安村 和雄(やすむら かずお、1910年 <明治43年> 1… 安村 和雄(やすむら かずお、1910年 <明治43年> 10月7日 - 1995年 <平成7年> 9月15日)は、日本の裁判官。位階は正三位。 神奈川県立横浜第三中学校、東京帝国大学法学部卒業。1935年に司法官試補となり、東京地裁判事、宇都宮地・家裁所長、最高裁首席調査官を経て、1971年10月から東京地裁所長、1973年2月に最高裁事務総長、1974年12月に東京高裁長官に就任。1975年10月に定年退官。 1976年4月に法制審議会監獄法改正部会部会長を務め、代用監獄制度について1979年11月に運用を改善する事で存続するという結論を出した。1979年3月に日本プロ野球選手会初代理事長に就任。
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鈴木 義雄(すずき よしお、1910年(明治43年)10月3… 鈴木 義雄(すずき よしお、1910年(明治43年)10月3日 - 1999年(平成11年)7月23日)は、日本の実業家、通産省官僚。通産省重工業局長、日揮社長・会長、日本輸出入銀行理事などを歴任した。
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鈴木 義雄(すずき よしお、1910年(明治43年)10月3… 鈴木 義雄(すずき よしお、1910年(明治43年)10月3日 - 1999年(平成11年)7月23日)は、日本の実業家、通産省官僚。通産省重工業局長、日揮社長・会長、日本輸出入銀行理事などを歴任した。位階は正四位。 神奈川県三浦郡葉山町生まれ。昭和8年(1933年)に東京帝国大学法学部を卒業し、同年商工省に入省。大阪通産局総務部長や横浜通商事務所所長、在英国日本国大使館商務参事官、札幌鉱山監督局局長を経て、昭和29年(1954年)通商産業省重工業局長に就任した。通産省を退官後は、昭和32年(1957年)に日本輸出入銀行理事、昭和41年(1966年)に日本揮発油(現・日揮)社長に就任。昭和55年(1980年)からは日揮会長を務めた。
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阿部 九洲男(あべ くすお、1910年7月24日 - 196… 阿部 九洲男(あべ くすお、1910年7月24日 - 1965年11月2日)は、日本の俳優である。初期の芸名は春見 堅太郎(はるみ けんたろう)など、本名は伊東 石太郎(いとう いしたろう)である。 1910年(明治43年)7月24日、神奈川県横浜市寿町(現在の同県同市中区寿町)に「伊東石太郎」として生まれる。 満19歳を迎える1929年(昭和4年)、古海卓二監督の紹介で京都の市川右太衛門プロダクションに入社、「春見堅太郎」の芸名で、同年、城戸品郎監督の『髪』に出演、大貫三郎衛門役を演じる。市川右太衛門に師事する が、1931年(昭和6年)には関東に戻り、東京・巣鴨の河合映画製作社に移籍する。同年、村越章二郎監督の『清水の小政』に出演している。
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青木 幸造(あおき こうぞう、1910年6月10日 - 没年… 青木 幸造(あおき こうぞう、1910年6月10日 - 没年不明)は、神奈川県出身の元プロ野球選手(外野手)。
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岩堀 喜之助(いわほり きのすけ、1910年4月25日 - … 岩堀 喜之助(いわほり きのすけ、1910年4月25日 - 1982年10月8日)は日本の出版経営者。マガジンハウス創業者。娘にノンフィクション作家の新井恵美子。 神奈川県出身。新聞記者を志し、小田原中学から明治大学に入学。新聞部に所属するも退学処分となり、後に日本大学法学部に途中入学し、卒業。1933年に時事新報社に入社。後に退社し、1945年凡人社設立を経て、1954年に平凡出版(現マガジンハウス)設立。1982年死去。
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岩田 一男(いわた かずお、1910年4月23日 - 197… 岩田 一男(いわた かずお、1910年4月23日 - 1977年12月7日)は、日本の英語学者、英文学者。ロバート・ルイス・スティーヴンソン研究の日本における第一人者で、スティーヴンソン・クラブの日本人唯一の会員。 横浜生まれ。祖父の岩田幸吉は中区石川町で質店を営んでいた。神奈川県立横浜第三中学校卒業。1932年(昭和7年)、東京外国語学校英語部文科卒業。横浜高等女学校(現横浜学園高等学校)教諭、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)教授を経て、1943年(昭和18年)に東京商科大学(現一橋大学)講師、翌年に教授。1971年(昭和46年)に定年を前に退職。一橋文芸顧問を務めた。 横浜高等女学校では中島敦の同僚で、中島の「光と風と夢」に対するスティーヴンソンの手紙の影響を論じたりしている。
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吉田 隆子(よしだ たかこ、1910年2月12日 - 195… 吉田 隆子(よしだ たかこ、1910年2月12日 - 1956年3月14日)は、日本の作曲家。阪隆、吉田たか子、西加奈子、吉原澄、吉原澄子の名義で活動していたこともある。 東京府荏原郡目黒村大字目黒(現・東京都目黒区上目黒・駒場)580番地に生まれる。父の吉田平太郎は陸軍少将で陸軍騎兵実施学校校長。兄に飯島正がいる。 4歳から山田流箏曲を習う。青山師範学校附属尋常小学校(現・東京学芸大学附属世田谷小学校)入学。1919年、父の渡満に伴い一家で東京市芝区高輪南町に転居、南高輪尋常小学校(現・森村学園初等部)に転校。 日本女子大学附属高等女学校(現・日本女子大学附属中学校・高等学校)入学。納所弁次郎からピアノを習う。
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苅田 久徳(かりた ひさのり〈きゅうとく〉、1910年1月1… 苅田 久徳(かりた ひさのり〈きゅうとく〉、1910年1月19日 - 2001年8月3日)は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督・審判員、解説者・評論家。 長女はSKD戦後8期生を経て大映の女優として活動した苅田とよみ、三女は映画『妻の日の愛のかたみに』主題歌等で知られる歌手の苅田千賀子。 少年時代から横浜で有名な野球少年であったが、旧制本牧中学校から進んだ旧制法政大学の1年目は失策が多かった。チームの低迷もあって、応援団が「あんな下手くそを使うな」と藤田信男監督に怒鳴り込む騒ぎもあったが、藤田は「野球をやるのはワシらだ。帰れ!」と追い返している。その後のハワイ遠征で受けた藤田の猛ノックが守備開眼の転機となり、2年目からは東京六大学一の堅守の遊撃手として名を馳せ、初優勝に貢献。
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茶木 滋(ちゃき しげる、1910年 (明治43年)1月5日… 茶木 滋(ちゃき しげる、1910年 (明治43年)1月5日-1998年(平成10年)11月1日)は日本の作詞家、薬剤師。神奈川県横須賀市出身。童謡・めだかの学校(作曲・中田喜直)の作詞者として著名。旧制鎌倉中学校(現 鎌倉学園)、明治薬学専門学校 (旧制)(現・明治薬科大学)卒業。 1946年、小田原市の荻窪用水でのこと。幼い息子と散歩をしていて、少し先をいく息子が荻窪用水の水をのぞき込んだ。息子に「やあ、めだかがいるよ」と言われて自分ものぞき込むとめだかはいなかった。息子に「あんまり大声を出すんで逃げてしまったよ」というと、「大丈夫、また来るよ。だってここはめだかの学校だもん」と息子は言った。
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中里 恒子(なかざと つねこ、1909年12月23日 - 1… 中里 恒子(なかざと つねこ、1909年12月23日 - 1987年4月5日)は、日本の小説家。本名・恒。神奈川県生まれ。1939年に国際結婚をテーマにした『乗合馬車』『日光室』で女性初の芥川賞を受賞。人生の機敏を典雅な文体で描いた。戦後は『歌枕』『時雨の記』など老境を描いた作品を多く発表した。日本芸術院会員。 1909年(明治42年)、父・中里万蔵、母・保乃の次女として、神奈川県藤沢市に生まれる。家業は幕末から続く呉服太物商である。1922年(大正11年)、横浜紅蘭女学校(現・横浜雙葉学園)に入学。翌年9月の関東大震災で家も学校も焼失したため川崎に転居し、川崎実科高等女学校(現・川崎市立川崎高等学校)に編入する。
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青木 英五郎(あおき えいごろう、1909年12月9日 - … 青木 英五郎(あおき えいごろう、1909年12月9日 - 1981年1月3日)は、神奈川県横須賀市出身の日本の裁判官。弁護士。
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柴本 重理(しばもと しげみち、1909年11月24日 - … 柴本 重理(しばもと しげみち、1909年11月24日 - 1992年6月21日)は、日本の経営者。ブリヂストンタイヤ社長を務めた。長野県下高井郡延徳村(現・中野市)出身。 旧制神奈川県立横浜第二中学を経て、1933年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、1933年に内国貯金銀行に入行、1939年にブリヂストンタイヤに入社。1947年12月に取締役に就任し、1949年に常務、1958年に専務を経て、1963年3月に副社長に就任し、1973年5月に社長に昇格。1981年3月に会長、1982年3月に取締役相談役を経て、1983年3月から相談役を務めた。 1971年4月に藍綬褒章を受章し、1980年4月に勲二等旭日重光章を受章した。
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丸井 金猊(まるい きんげい、1909年10月19日 - 1… 丸井 金猊(まるい きんげい、1909年10月19日 - 1979年7月12日)は、戦前に活動していた日本画家。 神奈川県立神奈川工業高等学校工芸図案科(のちの産業デザイン科)元教諭。本名・丸井 金蔵(まるい きんぞう)。 愛知県葉栗郡北方村(現在の一宮市北方町)出身。九人兄弟の三男として生まれる。愛知県立工業学校(現在の愛知県立愛知総合工科高等学校)を卒業後、郷里出身の著名な日本画家である川合玉堂に憧れ、1928年(昭和3年)、東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)日本画科に入学。同期生には、杉山寧、川本末雄らが在籍。1933年卒業後(修業年限5か年)同校同科研究科(現在の大学院)に2年在籍。
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横山 光雄(よこやま みつお、1909年9月25日 - 20… 横山 光雄(よこやま みつお、1909年9月25日 - 2010年10月20日)は、日本の造園家、造園学者。大学教員として造園都市計画教育に関わり、他方で戦前の旧満洲国の各都市の都市計画、千里ニュータウン計画、駒沢オリンピック公園建設、旧運輸省観光支援策・離村再生・レクリエーション整備、など関与。千葉大学、東京大学、日本大学で教鞭を執る。1969年から1971年まで、日本造園学会会長を務めた。 神奈川県横浜市出身。1930年(昭和5年)、駒場時代の東京帝国大学農学部農学科に入学、丹羽鼎三の園芸第二研究室に入り、1933年(昭和8年)大学院に進学、造園学を学ぶ。 1935年(昭和10年)大学院修了後、埼玉県に2年間奉職し、また東京緑地計画協議会に関与し、東京緑地計画の立案作業に従事。
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大久保 忠利(おおくぼ ただとし、1909年8月28日 - … 大久保 忠利(おおくぼ ただとし、1909年8月28日 - 1990年6月1日)は、日本の言語学者・国語学者・文筆家。 神奈川県小田原市生まれ。1929年東京外国語学校卒。新聞記者、ユーモア作家、中学教師などを経て、東京都立大学教授。言語学、国語学、国語教育などについて多くの著述活動をした。
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富田 富士雄(とみた ふじお、1909年8月24日 - 19… 富田 富士雄(とみた ふじお、1909年8月24日 - 1999年3月12日)は、日本の社会学者・社会運動家。 横浜市生まれ。1934年関東学院神学部卒業。社会的キリスト教運動に参加して検挙。戦後米国に学んだのち関東学院大学教授、1968年関東学院長。横浜コミュニティ研究会会長。1972年横浜文化賞受賞、1982年勲三等瑞宝章受勲。 1970年 日本大学 文学博士 論文の題は「人口社会学の基本問題」。
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横山 保(よこやま たもつ、1909年(明治42年)8月11… 横山 保(よこやま たもつ、1909年(明治42年)8月11日 - 1981年(昭和56年)3月)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。海兵59期。最終階級は海軍で中佐、空自で空将補。 1909年8月11日、神奈川県横須賀市で海軍軍人の次男として生まれる。横須賀中学校を経て、1928年4月、海軍兵学校に59期生として入校。1931年11月7日兵学校を卒業。1934年11月、第26期飛行学生拝命。1935年7月、同課程修了、戦闘機搭乗員となる。1936年11月、佐伯空。 1937年2月、大分空分隊長。7月、支那事変の勃発に伴い、十三空分隊長として上海の公大飛行場に着任。哨戒任務を行う。9月19日、南京の中国空軍機殲滅を目的とした南京第一次空襲に第1大隊(制空隊、九六式艦戦13機)第3中隊長として参加。
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池田 善長(いけだ よしなが、1909年(明治42年)8月 … 池田 善長(いけだ よしなが、1909年(明治42年)8月 - 1982年(昭和57年)1月25日)は、日本の農業経済学者。専門は、農業経済学・開発政策。学位は、経済学博士(北海道大学)・農学博士(北海道帝国大学)。北海学園大学名誉教授。父は内務官僚や県知事を務めた池田宏。恩師は高岡熊雄。弟子に小田清、ゼミ出身者に森本正夫がいる。 三重県出身。1927年(昭和2年)横浜一中卒業。1934年(昭和9年)北海道帝国大学農学部農業経済学科卒業。同農学部助手。東亜研究所研究員や、北海道庁経済部勤務を経て、1947年(昭和22年)経済安定本部経済調査官。1950年(昭和25年)経済調査庁査察部課長。1952年(昭和27年)北海学園大学経済学部教授。
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戸田 華子(とだ はなこ、1909年〈明治42年〉6月30日… 戸田 華子(とだ はなこ、1909年〈明治42年〉6月30日 - 2003年〈平成15年〉5月10日)は、日本の元皇族、元華族夫人。閑院宮載仁親王の第5女子。母は、三条実美公爵令嬢・智恵子。旧名は、華子女王(はなこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。皇籍離脱後の名は、「華頂 華子(かちょう はなこ)」から「竹村 華子」を経て、「戸田 華子」。旧皇族の離婚第1号。 1909年(明治42年)6月30日 、閑院宮載仁親王と同妃智恵子の第5女子(第7子/末子)として、神奈川県小田原市の閑院宮御別邸で誕生した。 1926年(大正15年)12月13日に侯爵華頂博信と結婚し、「華頂 華子(かちょう はなこ)」となり、2男1女をもうける。
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小林 重四郎(こばやし じゅうしろう、1909年3月8日 -… 小林 重四郎(こばやし じゅうしろう、1909年3月8日 - 1996年6月6日)は、日本の俳優、歌手。本名は小林 義雄(こばやし よしお)。 神奈川県横須賀市汐入町出身。日本映画俳優学校卒業。新国劇出身。中里事務所に所属していた。 1924年、劇団「宝塚国民座」に入り、『砂絵呪縛』で初舞台を踏む。 1929年、日活に入社し『雲井竜雄』で映画デビュー。その後、松竹下加茂に移籍するが、1935年、再び日活へ復帰。映画『国定忠治』の劇中歌を唄い評判を得、ポリドールよりレコードも発売。歌う映画スターのはしりとなる。 1938年、一座を結成し、舞台俳優に転じ、テイチクレコード専属歌手としても人気を得る。
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高木 和男(たかぎ かずお、1909年3月2日 - 2004… 高木 和男(たかぎ かずお、1909年3月2日 - 2004年5月26日)は、日本の労働栄養学者。 東京府東京市深川区(現東京都江東区)木場出身。旧制湘南中学(現神奈川県立湘南高等学校)卒、横浜高等工業学校応用化学科(現横浜国立大学)卒、1953年新潟大学医学博士。管理栄養士。東京市衛生試験所、労働科学研究所(労働栄養学研究部長)、立正女子大学教授、相模女子大学教授、東京栄養食糧専門学校校長を務めた。民主栄養協会に属し、マルクス主義的な立場から労働者の栄養について研究した。 もともと病弱であった高木は家族の勧めで1918年(大正7年)東京から神奈川県高座郡藤沢町(現・藤沢市)鵠沼海岸にて療養を始めた。
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吉川 逸治(よしかわ いつじ、1908年12月14日 - 2… 吉川 逸治(よしかわ いつじ、1908年12月14日 - 2002年12月5日)は、日本の美術史学者。西洋美術史専攻。東京大学名誉教授。従兄は中国文学者の吉川幸次郎。 神奈川県横浜市生まれ。旧制神奈川県立横浜第一中学校、旧制浦和高等学校、東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業。矢代幸雄に師事。1933年から1939年までフランスに留学、アンリ・フォシヨンに師事。「サン・サヴァン教会堂のヨハネ黙示録画の研究」でパリ大学より博士号取得。ロマネスク建築・壁画研究を専門とした。 1947年東京芸術大学教授を経て1953年東京大学文学部助教授、1955年教授、1969年定年退官後、大和文華館館長。後に名古屋大学教授、東海大学教授。
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吉原 慎一郎(よしはら しんいちろう、1908年12月7日 … 吉原 慎一郎(よしはら しんいちろう、1908年12月7日 - 2009年8月2日)は、日本の建築家。株式会社創和建築設計事務所(現 株式会社創和三幸設計)創業者。 横浜市長であった飛鳥田一雄とは神奈川県立第一中学校(現 神奈川県立希望ヶ丘高等学校)の同窓であり、その縁で横浜市内を中心とした建築物の設計を数多く手がけたことで知られている。
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小林 桂助(3代)(こばやし けいすけ、1908年〈明治41… 小林 桂助(3代)(こばやし けいすけ、1908年〈明治41年〉6月6日 - 2000年〈平成12年〉1月10日)は、日本の鳥類研究家。旧名・小林賢三。位階は従六位。 1908年、神奈川県横浜市生まれ。1923年(大正12年)の関東大震災後、1927年に神戸市に移住。1932年(昭和7年)に神戸商業大学(現・神戸大学)を卒業した。 翌1933年(昭和8年)、薄荷輸出業「小林桂」(1883年に初代小林桂助が創業)に入社した。小林桂助3代目を継ぎ、家業の傍ら鳥の生態を調査した。1947年から1981年まで日本鳥学会評議委員をつとめた。2000年死去。死没日付をもって従六位に叙された。 このほか、鳥類に関連する著書多数。
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伊原 隆(いはら たかし、1908年6月5日 - 1976年… 伊原 隆(いはら たかし、1908年6月5日 - 1976年9月24日)は、日本の大蔵官僚、銀行家。大蔵省理財局長、横浜銀行頭取、全国地方銀行協会会長、横浜商工会議所会頭などを歴任した。 1908年(明治41年)6月5日、神奈川県に生まれる。神奈川師範学校附属鎌倉小学校、神奈川県立湘南中学校、第一高等学校文科乙類を卒業したのち、1928年(昭和3年)に東京帝国大学法学部法律学科に入学。1931年に卒業したのちは大蔵省に入省、理財局に勤務した。京橋税務署長、大蔵大臣秘書官、内閣総理大臣秘書官(兼任)などを歴任し、1945年5月19日に金融局資金統制課長。1946年2月2日に理財局国庫課長。同年8月31日に理財局次長となり、1947年9月2日から1951年5月1日までは理財局長を務めた。
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永田 義直(ながた よしなお、1908年4月5日 - 198… 永田 義直(ながた よしなお、1908年4月5日 - 1983年4月18日)は、日本の国文学者、民俗学者、翻訳家。 神奈川県横浜市生まれ。1931年東洋大学卒。兵庫県の公立高校の教員、校長を経て文筆家。古典文学、日本神話、民俗学、芸能などについて執筆した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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川喜多 かしこ(かわきた かしこ、1908年3月21日 - … 川喜多 かしこ(かわきた かしこ、1908年3月21日 - 1993年7月27日)は、昭和期の映画文化活動家。位階は正五位。川喜多記念映画文化財団理事長で東和映画の代表。 1908年(明治41年)3月21日大阪で生まれた。生後100日目に東京に転居し、横浜・大連・秋田へと、移り住んだ。 1921年、横浜の祖父の家に戻りフェリス和英女学校(現在のフェリス女学院)に入学する。関東大震災で父を失い神戸に移るが、まもなく復学した。 フェリス女学院を卒業後は、1929年1月、英語でタイプライターを打てる女性秘書として、東和商事という貿易会社の川喜多長政に採用された。最初の仕事は、長政が輸出を計画していた溝口健二の『狂恋の女師匠』のシノプシスの英訳だった。
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若林 忠志(わかばやし ただし、本名:タダシ・ヘンリー・ワカ… 若林 忠志(わかばやし ただし、本名:タダシ・ヘンリー・ワカバヤシ(Tadashi Henry Wakabayashi)、1908年3月1日 - 1965年3月5日)は、アメリカ合衆国ハワイ準州(Territory of Hawaii、現:ハワイ州)生まれのプロ野球選手(投手)・監督。ハワイ移民の日系2世。 ジャズ・ミュージシャンの津上研太は孫。 1908年3月1日、アメリカ合衆国ハワイ準州(Territory of Hawaii、現:ハワイ州)・オアフ島ワヒアワで出生。五男四女の九人兄妹の五番目の三男。父親の代に広島県芦品郡戸手村(現:福山市)からハワイへ移民しており、父母ともに広島県芦品郡生まれの日本人。
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相京 光雄(あいきょう みつお、1908年1月3日 - 19… 相京 光雄(あいきょう みつお、1908年1月3日 - 1984年4月29日)は、日本の経営者。神奈川県横浜市出身。 1932年に東京商科大学本科を卒業し、同年4月に三菱鉱業に入社。1957年5月に三菱金属鉱業取締役に就任し、1959年8月に常務を経て、1963年5月に副社長に就任し、1967年5月には社長に昇格した。1973年5月に三菱鉱業セメント会長に就任し、1977年6月から相談役を務めた。日本鉱業協会会長も務めた。 1969年10月に藍綬褒章を受章し、1979年4月に勲一等瑞宝章を受章。 1984年4月29日急性心不全のために死去。76歳没。
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服部 逸郎(はっとり いつろう、1907年12月3日 - 1… 服部 逸郎(はっとり いつろう、1907年12月3日 - 1973年8月5日)は、昭和期の日本の作曲家、歌手、作詞家、元アナウンサーである。別名をレイモンド服部、服部レイモンド、服部ヘンリー。なお、同姓の服部良一や服部正との血縁関係はない。 1907年(明治40年)12月3日、神奈川県横浜市出身。若い頃にキリスト教に入信した為、洗礼名をレイモンドという。 1931年(昭和6年)慶應義塾大学文学部卒業後に作曲家としての活動を開始。ハワイへの音楽留学から帰国した1934年(昭和9年)1月に、NHKが初めて行った全国規模でのアナウンサー採用試験に応募し、応募者728名中25名の合格者の1人として入局。
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小泉 芳江(こいずみ よしえ、〈出生名:石川 エシエ、いしか… 小泉 芳江(こいずみ よしえ、〈出生名:石川 エシエ、いしかわ エシエ〉、1907年〈明治40年〉11月29日 - 2001年〈平成13年〉10月30日)は、政治家で日本の第87・88・89代内閣総理大臣・小泉純一郎の母。また、政治家の小泉又次郎の娘、政治家の小泉純也の妻、請負師の小泉由兵衛の孫、俳優の小泉孝太郎・政治家の小泉進次郎の祖母でもある。 神奈川県横須賀市出身。父は小泉又次郎、母は石川ハツ(小泉家の女中、又次郎の妾、富山県の滑川出身)。 又次郎は正妻・ナオとの間に子どもがいなかった。そんな中、小泉家の女中の石川ハツが又次郎の子を産み、産まれた女児は「石川 エシエ」と名付けられた。ハツは後に神輿などを作る宮大工の山口忠蔵と結婚したが、エシエは又次郎に認知されて、小泉家が引き取った。
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竹岡 信幸(たけおか のぶゆき、1907年(明治40年)7月… 竹岡 信幸(たけおか のぶゆき、1907年(明治40年)7月31日 - 1985年(昭和60年)9月9日)は、昭和期の日本の作曲家。 神奈川県横浜市出身。 古賀政男の後輩にあたり、明治大学マンドリン倶楽部を経て作曲家になった。1934年(昭和9年)、「赤城の子守唄」の大ヒットで一躍人気作家となった。コロムビアレコードを中心に活躍し、数々の曲を作曲した。 夫人は1932年のロサンゼルス五輪水泳代表選手で、のちに宝塚歌劇団(23期生、芸名「水尾みさを」)を経て映画界入りした女優の横田みさを。 1985年9月9日没、墓所は静岡県駿東郡小山町の冨士霊園。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
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松尾 トシ子(まつお トシこ、1907年(明治40年)7月1… 松尾 トシ子(まつお トシこ、1907年(明治40年)7月14日 – 1993年(平成5年)6月3日)は、日本の政治家、衆議院議員(6期)。旧姓斎藤。 神奈川県横浜市出身。フェリス和英女学院から日本女子大学を経て、サンモール学院卒。横浜YMCAで英語教師を務め、横浜印書学校(のち日本女子英学院)を創立し、院長となる。 1946年の第22回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で神奈川県(大選挙区制、全県一区)から立候補して初当選、以後6期当選した。在職中の1949年日本大学法文学部を卒業した。党内では中央執行委員や代議士会副会長などを歴任した。その後は民主社会党に移ったが、1960年の第29回衆議院議員総選挙で落選した。
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中井 一郎(なかい いちろう、1907年 <明治40年> 4… 中井 一郎(なかい いちろう、1907年 <明治40年> 4月6日 - 1998年 <平成10年> 9月18日)は日本の政治家。神奈川県小田原市長(4期)。17代全国市長会会長。位階は従四位。 現在の神奈川県小田原市出身。旧制小田原中学卒。足柄下郡片浦村会議員を経て、神奈川県会議員を連続6期、同議長なども歴任した。県議時代は自由民主党に所属した。 1969年に小田原市長に初当選。4期務めた。市長在職中は市民に「市長と話し合う会」の開催、市役所の日曜開庁、浄水場や清掃工場、給食センターなどの開設、小田原城跡の一部開放や公園化、「緑を豊かにする条例」の制定など数々の業績を上げた。1983年から全国市長会会長に就任した。
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小船 幸次郎(こぶね こうじろう、1907年〈明治40年〉4… 小船 幸次郎(こぶね こうじろう、1907年〈明治40年〉4月4日 - 1982年〈昭和57年〉2月17日)は日本の作曲家、指揮者である。 横浜市生まれ。出生時の名は幸太郎。父が横浜の羽衣座という演芸場に関係していたので、幼時は日本音楽と演劇が身近な環境に育った。18歳の頃に作曲を志して独学し、1936年、30歳の時にチェレプニンに指導を受けたのみである。指揮法は15歳の頃より独学し、1937年にローゼンシュトックに師事した。 1932年に八十島外衛らと共に新交響楽団を離れ、横浜交響楽団の旗揚げに踏み切った。 1938年、第6回毎日音楽コンクールに《序曲第1番》が第1位入選、同年新響第2回邦人作品コンクールに《祭りの頃》が入選、日本放送協会募集管弦楽に《組曲第1番》が入選した。
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平等 文成(びょうどう ぶんじょう、1907年(明治40年)… 平等 文成(びょうどう ぶんじょう、1907年(明治40年)3月17日 - 1970年(昭和45年)12月12日))は、衆議院議員(日本社会党)、歴史学者。選挙には「びょうどう ぶんせい」の読みで出馬した。 神奈川県横浜市出身。1929年、新潟高等学校卒業。東京帝国大学文学部卒業。東京で新聞・雑誌記者として勤めたのち、中国大陸に渡り高橋公館、興亜院華北連絡部に勤務。のち、新民学院や北京大学(農学院)教授などを歴任し、東洋史の研究に従事する。第二次世界大戦後、長野県北佐久郡軽井沢町の浅間山麓に入植し、農民運動を始め、全日本農民組合中央常任委員、同国際部長、同長野県連合会委員長、日本社会党長野県本部統制委員長、私学新報社長などを歴任した。
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北原 武夫(きたはら たけお、1907年2月28日 - 19… 北原 武夫(きたはら たけお、1907年2月28日 - 1973年9月29日)は、日本の小説家。 神奈川県小田原市の医家に生まれる。神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)を経て、家業を継ぐべく旧制新潟高等学校理科に入学するが父に反抗して中退し、慶應義塾大学予科に入学。慶應義塾大学文学部仏文科に進むが国文科に転じ、1932年に卒業。在学中に、井上友一郎、田村泰次郎らの同人誌『桜』に参加。 都新聞社に入社。横浜支局に勤務。1934年、都新聞社本社に転勤。この間、1933年に宇野千代と知り合う。1936年、宇野千代と共に日本最初のファッション雑誌『スタイル』を創刊。1938年、『妻』を発表して芥川賞候補となり文壇にデビュー。
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井上 マス(いのうえ ます、1907年2月15日 - 199… 井上 マス(いのうえ ます、1907年2月15日 - 1991年5月30日)は、日本の随筆家、井上ひさしの母。旧姓広沢、戸籍名は鈴木マス。 広沢マスとして神奈川県小田原に生まれ、鈴木家の養女となる。14歳の時(1921年)東京新宿にある病院に勤める。ここで薬剤師の井上修吉と知り合い、20歳の時(1927年)修吉の郷里の山形県東置賜郡小松町(現:川西町)へ駆落ちし、事実婚関係となり、滋、廈、修祐の三人の息子を儲ける。修吉と駆け落ちした経緯から、養家の鈴木家に修吉との入籍を許されず、井上の籍に入れず、戸籍名の「鈴木マス」も使用せず、日常生活では「広沢ます」「井上マス」を使い分けていた。32歳の時(1939年)夫と死別。
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河村 みゆき(かわむら みゆき、1907年-1947年)は、… 河村 みゆき(かわむら みゆき、1907年-1947年)は、自由律俳句の荻原井泉水に学んだ女流俳人。神奈川県小田原市の出身。旧姓は富田。 若くから求道者的な姿勢をもち、一燈園に身を投じ、その後岡山の金光教に移り、そこで夫河村恵雲と知り合う。結婚後は、夫の両親と、愛媛県西条市にある香園寺で暮らすが、まもなく肺結核を病んで床につく。そこに1939年10月8日に同門の俳人種田山頭火が見舞いに訪れ、13日まで滞在した。雑誌『層雲』(1936年)に句が残っている。山頭火に送った追悼文「をぢさん-山頭火翁の霊前に-」(『層雲』昭和16年4月号所収)がある。『層雲』には度々彼女の句が掲載されているが、闘病生活を詠んだものが多い。
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秋山 徳雄(あきやま とくお、1906年(明治39年)12月… 秋山 徳雄(あきやま とくお、1906年(明治39年)12月22日 - 1979年(昭和54年)3月1日)は、昭和期の労働運動家、政治家、実業家。衆議院議員(1期)。 神奈川県三浦郡、のちの横須賀市で秋山清平の長男として生まれる。1924年(大正13年)横須賀市立実業補習学校を卒業した。 横須賀海軍工廠員として勤務。その後、横須賀市吏員、川崎市吏員を歴任。社会民衆党、社会大衆党に入党した。労働運動に加わり、全日本自治団体労働組合(自治労)特別執行委員、横須賀市労連顧問などを務めた。 1947年(昭和22年)神奈川県議会議員に選出された。日本社会党清掃特別委員会事務局長、同選挙制度対策特別委員会事務局長、地方公営企業対策特別委員会事務局長、地方公務員定年制反対特別委員会事務局長、同神奈川県連副会長、同横須賀支部長などを務めた。
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大貫 松三(おおぬき まつぞう、1906年10月3日 - 1… 大貫 松三(おおぬき まつぞう、1906年10月3日 - 1982年8月31日)は、日本の画家。洋画を専門とした人物であった。 神奈川県愛甲郡愛川町出身。尋常高等半原小学校(現 愛川町立半原小学校)から旧制厚木中学校(現 神奈川県立厚木高等学校)を卒業。 1927年に旧制東京美術学校西洋画科へ入学し、和田英作に弟子入りする。1928年、東京美術学校在学中に自作の「女と静物」を帝展(現在の日展)に出品し、入選する。また東京美術学校学生のままで旧制厚木高等女学校(現 神奈川県立厚木東高等学校)の教員を務めたこともある。 1931年から1936年まで平塚高等女学校(現 神奈川県立平塚江南高等学校)にて教師を務めた。
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稲垣 きくの(いながき きくの、1906年7月26日 - 1… 稲垣 きくの(いながき きくの、1906年7月26日 - 1987年10月30日)は、日本の俳人、茶道教授であり、元女優である。女優時代の芸名は若葉 信子(わかば のぶこ)、旧芸名露原 桔梗(つゆはら ききょう)、出生名は野口 キクノ(のぐち きくの)、俳優の宮島啓夫との婚姻時には、本名を宮島 公子(みやじま きみこ)とした。 1906年(明治39年)7月26日、神奈川県愛甲郡厚木町(現在の同県厚木市)に生まれる。生年月日および生地については、『現代俳句大系 第12巻 昭和34年-昭和43年』(角川書店)、『日本人名大辞典』(講談社)、『CD - 人物レファレンス事典 日本編』(日外アソシエーツ)等、俳人「稲垣きくの」を紹介する記事においては上記あるいはそれに準じた記述があるが、女優「若葉信子」を紹介する『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社)、『芸能人物事典 明治大正昭和』(日外アソシエーツ)では、「1908年(明治41年)7月23日」に「福井県福井市」で生まれたとする記述がある。
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大村 はま(おおむら はま、本名:大村 濱(読み同じ)、(英… 大村 はま(おおむら はま、本名:大村 濱(読み同じ)、(英文:Ohmura Hama)1906年(明治39年)6月2日 - 2005年(平成17年)4月17日)は、日本の国語教師、国語教育研究家。西洋中世哲学、ドイツ哲学、キリスト教神学の研究者大村晴雄は実弟。 横浜市出身。父親は大村益荒、北海道の尋常師範学校の教師を経て、ミッションスクールである共立女学校(現横浜共立学園)の幹事から教頭になっていた。母親はくらといい、北星女学校を卒業していた。両者クリスチャンという関係で結婚した。母くらは、後に「婦人の友」となる「家庭の友」の創刊号からの読者であり、父は潔癖さが強く、不器用であり、うそが嫌いであったという。
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角田 喜久雄(つのだ きくお、1906年5月25日 - 19… 角田 喜久雄(つのだ きくお、1906年5月25日 - 1994年3月26日)は日本の小説家。伝奇小説と呼ばれる時代小説、探偵小説で活躍した。 神奈川県横須賀市に生まれ、父は佐倉藩士の家系で、海軍工廠印刷部創設要員だったが、翌1907年に浅草で印刷業を始めて一家で移転する。小学生の頃から、俳句、短歌、新体詩の投稿をしており、滝沢馬琴、山東京伝、黒岩涙香を愛読、中学時代はトルストイ、ドストエフスキーなどを愛読していた。 東京府立三中時代の1921年(大正10年)に『現代』誌のスポーツ小説の懸賞に応募して二等となる。英語教師からシャーロック・ホームズの話を聞いて探偵小説に興味を持ち、翌1922年に『新趣味』に「毛皮の外套を着た男」を発表してデビュー。
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市川 泰治郎(いちかわ たいじろう、1906年3月25日 -… 市川 泰治郎(いちかわ たいじろう、1906年3月25日 - 没年不詳)は、日本の経済・思想史研究者。 横浜市生まれ。東京商科大学本科卒。国立国会図書館勤務、国際事業部長、拓殖大学教授。77年定年、名誉教授。城西大学教授。
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油井 賢太郎(ゆい けんたろう、1906年(明治39年)3月… 油井 賢太郎(ゆい けんたろう、1906年(明治39年)3月12日 - 1984年(昭和59年)7月23日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 福島県福島市で、実業家油井徳蔵の息子として生まれる。1925年(大正14年)横浜商業学校(現横浜市立横浜商業高等学校)を卒業した。 卒業後、横浜正金銀行に入行。以後、福島栄町郵便局長、九笹機業場監査役、福島絹織物元卸商業組合理事、福島絹人絹織物元配給常務取締役、福島県繊維品価格査定委員会第1部長、油井商店社長、不二社長、福島県織物元配給社長、信夫精器取締役、福島絹業取締役、中央防火塗装社長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に福島県地方区から出馬して当選し、その後、自由党に所属して参議院議員を1期務めた。
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相川 藤兵衛(あいかわ とうべい、1906年〈明治39年〉 … 相川 藤兵衛(あいかわ とうべい、1906年〈明治39年〉 - 1986年 <昭和61年> 5月18日)は、日本の商人(醤油商)、醸造家、政治家(第27代横浜市会議長)。相川醤油社長。金沢区保護司会長。位階は従五位。 神奈川県横浜市金沢区出身。相川家は江戸時代から室崎屋相川文五郎家の分家として商売をしており、幕末から昭和にかけては、カギ北の商標で醤油や味噌を製造、販売した。 横須賀中学校出身。1981年5月から1983年4月まで横浜市会議長を務めた。住所は六浦。1986年死去。死没日付をもって従五位に叙され、勲三等瑞宝章を追贈された。
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廣枝 音右衛門(ひろえだ おとえもん、1905年(明治38年… 廣枝 音右衛門(ひろえだ おとえもん、1905年(明治38年)12月23日 - 1945年(昭和20年)2月24日)は、台湾総督府警察の警察官、海軍巡査である。毎年9月第三土曜日か日曜日に、台湾・苗栗県南庄郷の勸化堂で慰霊祭が斎行されている。 1905年(明治38年)12月23日、神奈川県足柄下郡根府川村(片浦村を経て現在の小田原市)に生まれる。片浦尋常高等小学校(現・小田原市立片浦小学校)・逗子開成中学・日本大学予科を経て、1928年(昭和3年)に幹部候補生として佐倉歩兵第57連隊へ入隊。軍曹まで昇進する。 満期除隊後、湯河原町の小学校教員となるが、1930年(昭和5年)に職を辞して台湾に渡り、当時難関の職業であった台湾総督府巡査を志願し晴れて合格した。
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島田 正吾(しまだ しょうご、本名;服部 喜久太郎<は… 島田 正吾(しまだ しょうご、本名;服部 喜久太郎<はっとり きくたろう>、1905年12月13日 - 2004年11月26日)は、新国劇の俳優。横浜市生まれ。
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