白井 佳夫(しらい よしお、1932年4月29日 - 202… 白井 佳夫(しらい よしお、1932年4月29日 - 2024年10月5日)は、日本の映画評論家。 神奈川県川崎市出身。1958年早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。キネマ旬報社に入社して編集者として10年在籍、1968-76年『キネマ旬報』編集長を8年半つとめる。 <<1977年、「キネマ旬報」のオーナーであった大物総会屋・上森子鉄が、竹中労の連載「日本映画縦断」の打ち切りを宣言し、あわせて白井も編集長を解任された(いわゆる「キネマ旬報事件」)。>> 上記の<<>>の記述が「通説」として当該項目にあったが、『キネマ旬報の100年』(キネマ旬報社、2024年刊行)に掲載された白井へのインタビューによると、白井が解任された経緯は異なる。
小林 完吾(こばやし かんご、1932年4月27日 - )は… 小林 完吾(こばやし かんご、1932年4月27日 - )は、日本のアナウンサー、ニュースキャスター、司会者、ジャーナリスト、タレント。CMにも出演。愛称は「完吾さん」。 1960年2月6日、ラジオ南日本(現在の南日本放送)に入社し、放送業界に入った。1963年9月2日、日本テレビ放送網に移籍した。1992年4月、日本テレビ放送網を定年退職した。フリーアナウンサーとなり、オフィスこばやしを立ち上げた。 神奈川県鎌倉市出身。6人兄弟(兄2・姉2・弟)の5番目で三男である。両親はともに東京都出身である。祖父は洋画家の小林萬吾、母方の祖父は医学博士の中島譲吉である。親戚には元九州朝日放送アナウンサーで現在の福岡市長である高島宗一郎がいる。
今井 健二(いまい けんじ、1932年3月31日 - )は、… 今井 健二(いまい けんじ、1932年3月31日 - )は、日本の俳優。本名およびデビュー時の芸名:今井 俊一、旧芸名:今井 俊二。 神奈川県鎌倉市出身。明治大学卒業。田中事務所、グループ71、西村事務所に所属していた。 1955年、知人の勧めで、東映ニューフェイス第2期生として東映へ入社。同期には高倉健、五味龍太郎、丘さとみなどがいる。『野郎ども表へ出ろ』に出演して俳優デビューを果たす。大部屋俳優としての役柄を経て、『吠えろ岸壁』への出演後、『皮ジャン・ブルース』ではより大きな役を与えられた。1962年に東映を退社して以降はフリーランスとなった。もともとは二枚目のスター候補であり、温厚な青年なども演じていたが、今井健二名義で『続・女番外地』出演して以降は悪役をメインに演じるようになった。
岡崎 洋(おかざき ひろし、1932年(昭和7年)3月27日… 岡崎 洋(おかざき ひろし、1932年(昭和7年)3月27日 - 2018年(平成30年)3月31日)は、日本の政治家、大蔵官僚。神奈川県知事(民選第13・14代)、環境事務次官等を歴任した。 神奈川県出身。神奈川県立湘南高等学校、東京大学経済学部卒業。1954年、大蔵省(現財務省)に入省し、銀行局審査課に配属される。入省同期には窪田弘(旧日債銀会長、国税庁長官、理財局長)、矢澤富太郎(太田昭和監査法人会長、関税局長)、吉田正輝(兵庫銀行頭取、日銀理事、銀行局長、大臣官房総務審議官)らがいる。銀行局総務課長補佐(総括・企画)、銀行局特別金融課長、主計局主計官(総理府、司法・警察担当)、主計局主計官(外務、通商産業担当)、銀行局総務課長などを務める。
谷 啓(たに けい、本名:渡部 泰雄(わたべ やすお)、19… 谷 啓(たに けい、本名:渡部 泰雄(わたべ やすお)、1932年〈昭和7年〉2月22日 - 2010年〈平成22年〉9月11日)は、日本の俳優、コメディアン、トロンボーン奏者。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。 東京府荏原郡東調布町(現・東京都大田区田園調布)出身・三鷹市大沢に居住していた。渡辺プロダクション所属。中央大学経済学部中退、中央大学学員会三鷹支部会員。日本トロンボーン協会名誉会員。 写真家の吉田ルイ子は従妹にあたる。長男の渡部泰裕は映像ディレクター。 会社員の渡部四郎の長男として生まれる。祖父の渡部競一は福島県会津若松市出身で、現在の東京工業大学の前身の東京職工学校を卒業後、技師となり横須賀海軍工廠製造所や日本製鋼などに勤めたのち芝区(現在の東京都港区)三田四国町で鋼材を扱う成工商会を経営した。
鍵和田 秞子(かぎわだ ゆうこ、1932年(昭和7年)2月2… 鍵和田 秞子(かぎわだ ゆうこ、1932年(昭和7年)2月21日 - 2020年(令和2年)6月11日)は、神奈川県出身の俳人。 秦野生まれ。神奈川県立平塚高等女学校(現・神奈川県立平塚江南高等学校)を経て、1954年にお茶の水女子大学国文学科を卒業。大学在学中、井本農一のもとで俳文学を学ぶとともに、村山古郷の「たちばな」に入会し句作を開始。大学卒業後は教師として勤める。また金尾梅の門の「季節」に入会。1963年、中村草田男主宰の「萬緑」に入会。のち萬緑新人賞、萬緑賞を受賞。1977年、第一句集『未来図』により第1回俳人協会新人賞を受賞。この年に教師を辞す。1984年、草田男の死を経て「未来図」を創刊・主宰。
八木 誠一(やぎ せいいち、1932年2月15日 - )は、… 八木 誠一(やぎ せいいち、1932年2月15日 - )は、日本の新約聖書学者、神学者、宗教哲学者。東京工業大学名誉教授。 1932年、神奈川県横浜市生まれ。実家は無教会系のクリスチャンホームであった。1955年、東京大学教養学部ドイツ科を卒業し、1962年、同大学院西洋古典学専攻博士課程を単位取得満期退学。ゲッティンゲン大学で学んだ。 1960年に関東学院大学専任講師となり、1964年に助教授昇進。しかし、関東学院大学において新約聖書への批判的言辞は研究にとどめ、授業では教授しないことを求められて学問の自由の立場から同大を辞職。東京工業大学助教授となり、1975年に教授昇進。1967年に学位論文『新約思想の成立』を九州大学に提出して文学博士号を取得。
大谷 泰司(おおたに たいじ、1932年(昭和7年)1月31… 大谷 泰司(おおたに たいじ、1932年(昭和7年)1月31日 - 2012年(平成24年)2月1日)は、日本のプロ野球セントラル・リーグ審判。神奈川県横浜市出身。プロ野球で没収試合(後述)を宣言した数少ない審判員でもある。 横浜市立横浜商業高等学校に進んだが、春の選抜・夏の選手権の全国大会へは進出できなかった(当時は浅野高等学校、湘南高等学校が夏の甲子園に出場していた時期である)。卒業後1961年にセントラル・リーグの審判部に入局。関東出身でありながら関西審判部所属を希望。受理され1984年1月の退局まで同部の所属となる。 若い頃から視力が落ちており、一時期は眼鏡をかけて審判していたが、1969年のとあるゲームで判定に激昂した当時の中日監督水原茂に眼鏡をむしり取られるという出来事に見舞われてからはコンタクトレンズをつけて審判するようになる。
藤田 耕三(ふじた こうぞう、1932年1月11日 - 20… 藤田 耕三(ふじた こうぞう、1932年1月11日 - 2023年12月31日)は、日本の法律家。 神奈川県出身。1950年に神奈川県立湘南高等学校を卒業後、1955年に東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業する。在学中に司法試験に合格後、司法修習生となった後に、1957年に裁判官に任官する。1971年に東京地方検察庁検事および1947年から総理府中央公害審査委員会事務局審査官を務める。1981年に検察官特別考査会臨時委員などに任命され、1989年には千葉地方裁判所所長、1991年に東京地方裁判所所長、1993年に仙台高等裁判所長官、1995年に広島高等裁判所長官を歴任後、1997年に退官し弁護士登録をする。
柴田 弘武(しばた ひろたけ、1932年 - )は、日本の古… 柴田 弘武(しばた ひろたけ、1932年 - )は、日本の古代史研究家。 神奈川県藤沢市生まれ。1955年、早稲田大学教育学部卒業。東京都の中学校や東京都立荒川工業高等学校(定時制)の社会科教員を歴任し、1992年に退職。えみし学会会長。郷土教育全国協議会・史遊会・たたら研究会・日本地名研究所・日本ペンクラブなどの各会員。2001年、北野道彦賞受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
鳥海 久義(とりうみ ひさよし、1932年(昭和7年) - … 鳥海 久義(とりうみ ひさよし、1932年(昭和7年) - )は、日本の英文学者、和洋女子大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学第一文学部英文科卒、同大学院修士終了。和洋女子大学英文学科助教授、教授、2003年定年、名誉教授。
奥津 国道(おくつ くにみち、1932年 - 2016年)は… 奥津 国道(おくつ くにみち、1932年 - 2016年)は、日本の画家。 日本の画家で、水彩画が高く評価されている。1952年に、二科展へ入選を果たしているが、しばらくは画家としてでなく美術担当の会社員として長い間活躍していた。一般大衆誌の「平凡パンチ」の表紙を手がけて、その「作品」を多くの人が目を通すに至った。職業の画家としての作品も、数多く手がけていて、1980年ごろより精力的に個展を開催している。 最近では、一般向けの水彩画指導の本「水彩画プロの裏ワザ」シリーズを出版していて、生涯学習として水彩画を手がける人から重宝されてきた。 1932年、神奈川県秦野市に生まれる。1945年、神奈川県下の私立湘北中学校に入学するが、在学中、美術教師の藤井白映に絵の才能を見出されて指導を受ける。
境野 勝悟(さかいの かつのり、1932年 - )は、日本の… 境野 勝悟(さかいの かつのり、1932年 - )は、日本の哲学者、東洋思想研究家、著作家。 神奈川県横浜市出身。浅野学園高等学校を経て、1955年、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。同年より、栄光学園で国語科教員として教鞭を執る。1973年、同校を退職。1973年、神奈川県大磯町に「道塾」を開設。1975年、駒澤大学大学院禅学特殊研究科博士課程修了。
藁科 滿治(わらしな みつはる、1931年12月25日 ‐ … 藁科 滿治(わらしな みつはる、1931年12月25日 ‐ )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、内閣官房副長官、民主党参議院議員会長を歴任。 神奈川県出身。浅野中学校を経て1950年に浅野高校を卒業。高校時代は野球部に所属していた。1958年、明治学院大学経済学部を卒業した。1957年富士通に入社し、労働組合の活動に携わりながら早稲田大学大学院経済学研究科に通って労働問題を勉強するも中退した。1968年に電機労連に転出、1974年より電機労連書記長を務め、1983年からは中立労連事務局長を兼務。1984年7月に電機労連委員長に、9月には中立労連議長に、1985年には全民労協副議長に就任した。
坂本 由英(さかもと よしえ、1931年11月13日 - 1… 坂本 由英(さかもと よしえ、1931年11月13日 - 1998年10月2日)は、日本の俳優。 神奈川県横浜市出身。早稲田大学第一文学部演劇科卒業 。1950年に劇団近代座に入団 。その後はダテ企画に所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
平山 城児(ひらやま じょうじ、1931年10月28日 - … 平山 城児(ひらやま じょうじ、1931年10月28日 - 2023年9月16日)は、日本文学研究者。専門は上代文学・近代文学。立教大学名誉教授。 京都生まれ。鎌倉育ち。作家・平山蘆江の孫。父は非凡閣の編集者などをしていた平山清郎。母は宝塚歌劇団に在籍した元タカラジェンヌで、戦後は同じ鎌倉市在住であった川端康成の『歌劇学校』の代筆をしていた平山宮子(旧姓:森下。芸名:近江ひさ子、宝塚歌劇団14期生)。 湘南高等学校卒、1954年立教大学英文科卒、1957年同大学院修士課程修了、1960年立教大学日本文学科卒、1965年同大学院博士課程中退。 立教大学一般教育部講師、1967年同助教授、1974年教授、1995年同文学部教授、1997年定年退任、名誉教授。
川西 進(かわにし すすむ、1931年10月24日 - )は… 川西 進(かわにし すすむ、1931年10月24日 - )は、日本の英文学者、東京大学名誉教授。
小野寺 健(おのでら たけし、1931年9月19日 - 20… 小野寺 健(おのでら たけし、1931年9月19日 - 2018年1月1日)は、日本の英文学者、翻訳家。横浜市立大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。東京大学英文科卒、同大学院に学び、1958年茨城大学専任講師、1962年横浜市立大学助教授、1967年英国リーズ大学に留学。横浜市立大学教授を96年定年退官、日本大学教授、2002年退職。文化学院・文芸学科講師。2018年1月1日午前3時5分、老衰のため死去した。86歳没。 20世紀の英国小説を専門とし、ジョージ・オーウェル、アニータ・ブルックナー、E・M・フォースターなど翻訳多数、またエッセイ集もある。
岡田 哲(おかだ てつ、1931年9月 - 2019)は、日… 岡田 哲(おかだ てつ、1931年9月 - 2019)は、日本の食文化史研究家。 神奈川県横浜市生まれ。1956年東京大学農学部農芸化学科卒業。1990年まで日清製粉勤務、1994-1997年放送大学食文化史担当。全国調理師養成施設協会『調理用語辞典(改訂版)』の編集委員。
長田 武士(おさだ たけし、1931年8月31日 - 199… 長田 武士(おさだ たけし、1931年8月31日 - 1998年11月24日)は、日本の政治家。現・神奈川県相模原市出身。八王子高等学校定時制卒業。衆議院議員(6期)。 1931年8月31日、現・神奈川県相模原市に生まれる。 1952年、私立八王子高等学校定時制を卒業する。 1976年12月5日、第34回衆議院議員総選挙に、伊藤惣助丸の後継として、旧東京5区から公明党推薦で立候補し、初当選する(以降6回)。公明党副書記長、公明党総務局長に就任する。 1986年12月、公明党大会で、公明党選挙対策委員長に就任する。 1989年、公明党中央執行副委員長に就任する。 1993年7月、第40回衆議院議員総選挙に立候補せず、選挙地盤を石井啓一に譲り、政界を引退する。
池田 利夫(いけだ としお、1931年7月11日 - 201… 池田 利夫(いけだ としお、1931年7月11日 - 2012年3月12日)は、日本の国文学者。 横浜市生まれ。慶應義塾大学国文科卒。1963年同大学院博士課程満期退学。1976年「日中比較文学の基礎研究 翻訳説話とその典拠」で慶應義塾大学より文学博士の学位を取得。1960年慶應女子高等学校講師、1963年鶴見女子大学講師、助教授、鶴見大学教授、2002年定年、名誉教授。
倉橋 羊村(くらはし ようそん、1931年〈昭和9年〉4月2… 倉橋 羊村(くらはし ようそん、1931年〈昭和9年〉4月28日 - 2020年〈令和2年〉2月11日)は、日本の俳人。俳誌「波」主宰。本名は倉橋 裕(くらはし ゆたか)。 神奈川県横浜市に生まれる。戦時中の1945年、厚木市へ縁故疎開し神奈川一中(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)から厚木中学(現神奈川県立厚木高等学校)に転入、学徒動員を受ける。青山学院大学経済学部卒業。1952年、水原秋桜子に師事し、1954年には俳誌「馬酔木」の雑詠欄「馬酔木集」の巻頭を飾るなど主力として活躍し、青の会賞を受賞する。1964年には「鷹」を創刊した藤田湘子にしたがい編集長として参加するも、後に退会。1989年、青木泰夫より「波」主宰を継承。
小森 昭宏(こもり あきひろ、1931年4月26日 - 20… 小森 昭宏(こもり あきひろ、1931年4月26日 - 2016年6月5日)は、日本の作曲家、編曲家、医師。 童謡を多く作曲した。主な作品に、『ブーフーウー』、『勇者ライディーン』、「げんこつやまのたぬきさん」、「おべんとうばこのうた」、「いとまきのうた」、音楽物語『窓ぎわのトットちゃん』、NHK朝ドラマ『いちばん星』、編曲作品「黒猫のタンゴ」がある。 息子に男性俳優、声優の小森創介がいる。 1931年に東京で生まれ、幼少時からピアノを習う。旧制東京都立九段中学校、慶應義塾高等学校(塾高の同級生に小林亜星、 冨田勲、林光らがいた )を経て、1957年に慶應義塾大学医学部を卒業し、外科学教室助手を経て、脳外科医師として活動した。
成瀬 駒男(なるせ こまお、1931年3月12日 - 199… 成瀬 駒男(なるせ こまお、1931年3月12日 - 1995年8月14日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 神奈川県横浜市生まれ。1953年、東京大学文学部仏文科卒業。同大学院修士課程修了。國學院大学文学部助教授、教授。1995年8月14日、在任中に肝不全のため死去。 ルネサンスの民衆文化などを研究、『マルタン・ゲールの帰還』などアナール派の歴史書の翻訳で知られる。
津田 類(つだ るい、1931年3月6日 - )は、演劇評論… 津田 類(つだ るい、1931年3月6日 - )は、演劇評論家。
吉田 誠一(よしだ せいいち、1931年1月19日 - 19… 吉田 誠一(よしだ せいいち、1931年1月19日 - 1987年10月28日)は、日本の英文学者、翻訳家。 神奈川県横浜市出身。東京外国語大学英米語科卒業。横浜市立大学教授を務めた。また、日本英文学会会員であった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
磯田 光一(いそだ こういち、1931年(昭和6年)1月18… 磯田 光一(いそだ こういち、1931年(昭和6年)1月18日 - 1987年(昭和62年)2月5日)は、日本の文芸評論家、イギリス文学者。東京工業大学教授などを歴任。没後勲四等旭日小綬章受章。 1964年に三島由紀夫論『殉教の美学』を刊行し文壇に登場。戦後文学の再検討を進め、文学を通した近代論へと批評の幅を広げた。代表作に『永井荷風』、『思想としての東京』、『鹿鳴館の系譜』などがある。 神奈川県横浜市中区伊勢町(現・西区伊勢町)に生まれ、東京都葛飾区亀有育ち。東京府立第十一中学校(現・東京都立江北高等学校)3年の時に敗戦を迎え、1948年に第一高等学校 (旧制)入学。東京大学文学部英文学科に進学し、イギリス・ロマン派を専攻して卒業。
荒岡 昭(あらおか あきら、1931年1月6日 - )は、神… 荒岡 昭(あらおか あきら、1931年1月6日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(投手)。 逗子開成中学校から横浜専門学校を経て、1950年に大映スターズへ入団。1952年に退団。 1954年に西鉄ライオンズで復帰し、同年引退。
行天 豊雄(ぎょうてん とよお、1931年1月2日 - )は… 行天 豊雄(ぎょうてん とよお、1931年1月2日 - )は、日本の大蔵官僚、財務官。 神奈川県出身。1943年(昭和18年)に間門国民学校卒業、1948年(昭和23年)には神奈川県立横浜第一中学校卒業した。 同年、第一高等学校に入学。同校文科乙類(ドイツ語)のクラスメートには、本間長世(東大名誉教授、アメリカ史)、芳賀徹(東大教授、比較文化史)、高階秀爾(東大教授、美術史)らがいた。翌年、学制改革に伴い新制東京大学を受験するも不合格となり、1950年(昭和25年)に早稲田大学政治経済学部新聞学科に入学した。同大学新聞学科のクラスメートには、早坂茂三(田中角栄秘書)、岡村喬生(オペラ歌手)、越智勝幸(日本経済新聞政治部長)らがいた。
左近 淑(さこん きよし、1931年1月2日 - 1990年… 左近 淑(さこん きよし、1931年1月2日 - 1990年9月7日)は、日本の牧師・聖書学者。 日本画家であった父・木下茂・イクの次男として神奈川県横浜市に誕生。旧制神奈川県立横浜第一中学校を卒業。肺病による療養生活、並びに敗戦による心身両面の挫折を契機に1947年、日本基督教団横浜明星教会にて洗礼を受け、同時に伝道者としての召命を与えられて、1948年、日本基督教神学専門学校(現・東京神学大学)に入学。 1955年、「アリステアスの手紙」の研究で、同校より神学修士を授与される。日本基督教団四谷新生教会伝道師を経て、1958年から1963年にかけてフルブライト奨学金を得てニューヨークのユニオン神学大学大学院Th.D.課程に学ぶ。
久米 穣(くめ みのる、1931年 - 2006年1月)は、… 久米 穣(くめ みのる、1931年 - 2006年1月)は、日本の児童文学者、翻訳家、漫画原作者、脚本家。 久米元一の子として神奈川県鎌倉市に生まれる。文化学院文科卒業。主として児童文学の創作、再話を行い、シャーロック・ホームズシリーズや「怪盗ルパン」シリーズの少年向け翻訳も手がけた。漫画原作も多い。2001年日本児童文芸家協会特別賞を受賞。 久米みのる名義での執筆も存在する。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
吉田 栄夫(よしだ よしお、1930年12月18日 - 20… 吉田 栄夫(よしだ よしお、1930年12月18日 - 2021年7月22日)は日本の自然地理学者。国立極地研究所・立正大学名誉教授。元日本極地研究振興会理事長。理学博士(東京大学)。 主に南極観測に携わっており、1957年の第2次夏隊を皮切りに、第4次越冬隊、第8次越冬隊、第16次観測副隊長兼夏隊長、第20次観測隊長兼夏隊長、第22次観測隊長兼越冬隊長、第27次観測隊長兼夏隊長、アメリカ隊基地、ニュージーランド隊基地、イギリス隊基地などで6回観測に従事。 吉田による南極の地形研究は、その後の南極の氷河地形研究において主要な先行研究となっている。 1960年の第4次越冬隊と1961年の第5次越冬隊において、やまと山脈の地形調査を実施した。
石井 宏(いしい ひろし、1930年12月18日 - )は、… 石井 宏(いしい ひろし、1930年12月18日 - )は、日本の音楽評論家。妻・松岡三恵はピアニスト。 神奈川県出身。1944年、逓信省航空局新潟地方航空機乗員養成所本科に6期生として入学し特攻隊員を目指すも、敗戦によって旧制湘南中学校(現在の神奈川県立湘南高等学校)に転じる。旧制静岡高等学校を経て、1953年に東京大学文学部美学科卒業。学士入学で1956年に東京大学文学部仏文科卒業。 日本楽器(現・ヤマハ)および東京放送(TBS。現・東京放送ホールディングス)に勤務した後、フリーランスの文筆業に入る。執筆活動の他、NHK-FMに音楽解説者として出演。1993年から1994年までNHK総合テレビの情報番組「ナイトジャーナル」でCD評を担当。
伊藤 博(いとう ひろし、1930年12月 - )は、日本の… 伊藤 博(いとう ひろし、1930年12月 - )は、日本の国文学者。大妻女子大学名誉教授。 神奈川県横須賀市生まれ。1956年東京教育大学大学院修士課程修了。大妻女子大学教授、2001年定年、名誉教授。王朝女流文学が専門。 中央大学教授だった伊藤博(1935-91)も中古文学専門(『源氏物語』)だが別人。
青木 栄一(あおき えいいち、1930年(昭和5)11月30… 青木 栄一(あおき えいいち、1930年(昭和5)11月30日 - )は、日本の翻訳家。 神奈川県横浜市出身。1953年東京教育大学文学部英米文学科卒業、北海道新聞社入社。同編集局、1965年ワシントン支局勤務、1968年論説委員を務めた。 1975年より東京水産大学助教授、同教授、1985年より共立女子大学文芸学部教授を歴任。国際政治・経済、近未来ものなど翻訳多数。
辻 協(つじ きょう、本名:辻 協子、1930年11月27日… 辻 協(つじ きょう、本名:辻 協子、1930年11月27日 - 2008年7月8日)は、日本の陶芸家。夫は陶芸家の辻清明。美術家の辻けいは娘。 1930年(昭和5年)東京都生まれ。1948年、神奈川県立平塚高等女学校卒業、1952年、東京女子美術専門学校(現女子美術大学)洋画科卒業。同年新工人会員になり、会の創立者である陶芸家・辻清明と知り合い、のちに結婚。結婚をきっかけに陶芸を始め、1970年(昭和45年)に女性としては初めての日本陶磁協会賞を受賞した。 夫・清明は2008年(平成20年)4月15日に亡くなったが、約3カ月後の7月8日に夫と同じ肝臓がんで死去。享年77。
笹沢 左保(ささざわ さほ、1930年〈昭和5年〉11月15… 笹沢 左保(ささざわ さほ、1930年〈昭和5年〉11月15日 - 2002年〈平成14年〉10月21日)は、日本の小説家。本名は笹沢 勝(ささざわ まさる)。 テレビドラマ化されて大ヒットした『木枯し紋次郎』シリーズの原作者として知られ、推理小説、サスペンス小説、恋愛論などのエッセイ他、歴史書等も著し、380冊近くもの著書を残した。 詩人笹沢美明の三男として東京府淀橋町(現・東京都新宿区)にて出生。その後、神奈川県横浜市に移った。父は貿易商だった祖父の遺産を受け継いだが、財産を使い果たして貧困の中で育つ。子供の頃から探偵小説を愛読し、雑誌『ロック』の懸賞小説にも応募した。 横浜では関東学院高等部に通うが、家出を繰り返し、中退(資料によっては1948年卒とも記される)。
竹腰 美代子(たけこし みよこ、1930年10月5日 - 2… 竹腰 美代子(たけこし みよこ、1930年10月5日 - 2001年3月1日)は、日本の美容体操研究家。日本のテレビ体操の草分けとして広く知られている。香淳皇后の体操の先生としても著名。 神奈川県逗子市出身。神奈川県立第一高等女学校(現在の神奈川県立横浜平沼高等学校)卒業。岸恵子と草笛光子は高校の同窓生である。その後お茶の水女子大学体育学科に進み、卒業後、高校の体育教師となる。 1954年4月16日から日本放送協会で放映された『美容体操』の専属講師に就任。1958年から香淳皇后に美容体操を教えた。 著書に「いつもお陽さま家族」などがある。 1966年、クレイジーキャッツの安田伸と結婚した。 1967年4月に行われた東京都知事選挙では、美濃部亮吉の推薦人に名を連ねた。
村瀬 敏夫(むらせ としお、1930年10月1日- )は、日… 村瀬 敏夫(むらせ としお、1930年10月1日- )は、日本の国文学者。東海大学名誉教授。 横浜市生まれ。1959年早稲田大学大学院国文学博士課程満期退学、79年「紀貫之伝の研究」で早稲田大学文学博士。東海大学講師、助教授、教授、96年定年退任、名誉教授。『古今和歌集』などが専門。
藤木 幸夫(ふじき ゆきお、1930年〈昭和5年〉8月18日… 藤木 幸夫(ふじき ゆきお、1930年〈昭和5年〉8月18日 - )は、日本の実業家。藤木企業代表取締役会長、一般社団法人横浜港振興協会会長、横浜港ハーバーリゾート協会会長、横浜エフエム放送代表取締役会長。元横浜港運協会会長、元横浜スタジアム取締役会長。父親は藤木企業創業者の藤木幸太郎。政財界との繋がりが深いことから、しばしば「ハマのドン」と称される。 神奈川県横浜市西区天神町生まれ。藤木企業の創業者である藤木幸太郎の長男。横浜市立老松小学校(昭和22年廃校)、横浜市立老松中学校、神奈川県立工業学校(現・県立神奈川工業高校)を経て、1953年に早稲田大学政治経済学部卒業。 若い頃には共産党員であったが転向し、自由民主党が結成されると党員になった。
海津 忠雄(かいづ ただお、1930年8月15日 - 200… 海津 忠雄(かいづ ただお、1930年8月15日 - 2009年7月21日)は、日本の西洋美術史・美学者、慶應義塾大学名誉教授。 1951年慶應義塾高等学校卒業、1955年慶應義塾大学文学部卒業。1960年同大学院博士課程単位取得満期退学。大学院では守屋謙二に師事した。1965 - 1966年スイス・バーゼル大学に留学する。慶應義塾大学文学部助手、専任講師、助教授を経て、1973年から同教授となる。1986年「ドイツ美術と人文主義 著述者像としてのエラスムスの肖像」で、慶應義塾大学より文学博士の学位を取得。 1994年、任期を2年残して退職、慶應義塾大学名誉教授。同年4月から2001年3月まで、東亜大学大学院教授を務めた。
小林 惟司(こばやし ただし、1930年7月27日 - )は… 小林 惟司(こばやし ただし、1930年7月27日 - )は、日本の商学者、文筆家。千葉商科大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。1953年慶應義塾大学経済学部卒業後、明治生命(現:明治安田生命)入社(1983年3月まで)。 1983年より千葉商科大学助教授となり、1989年から千葉商科大学教授となる。1991年、「日本保険思想の生成と展開」で中央大学商学博士。2002年、千葉商大退任、名誉教授。 生命保険を研究したが、その他寺田寅彦などの人物伝を執筆する。
小林 忠生(こばやし ただお、旧姓:早川、1930年7月7日… 小林 忠生(こばやし ただお、旧姓:早川、1930年7月7日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。父親は日本海軍中将の早川幹夫、実兄の早川純生もサッカー選手で、東京大学、日本鋼管で活躍した。 神奈川県立湘南中学校時代の1948年に第3回国民体育大会で準優勝。卒業後は慶應義塾大学経済学部に進学しソッカー部に所属。在学中の1953年には鈴木徳衛と共に日本学生選抜に選出され、1953年国際大学スポーツ週間(英語版)(ユニバーシアードの前身)に出場した。1954年3月に大学を卒業。卒業後は東京海上火災保険に入社した(勤務先でサッカー部活動を行ったかは不明)。 卒業後も慶應BRB(現役、OBで構成された混成チーム)の一員として1954年、1956年の全日本サッカー選手権大会優勝に貢献。
阿部 進(あべ すすむ、1930年6月11日 - 2017年… 阿部 進(あべ すすむ、1930年6月11日 - 2017年8月10日)は、教育評論家。 神奈川県川崎市出身。神奈川県立神奈川工業高等学校(機械科)・横浜国立大学学芸学部特殊教員養成課程卒。川崎市内で小学校教諭を務めたあと、1964年(昭和39年)に教職を退き、創造教育センターを設立し野生学園を主宰。1980年(昭和55年)には児童文化の活性化を目標に劇団はかせを主宰。麻布科学実験教室を創設。評論家の道へ進む。 「カバゴン」を自称し、高度経済成長期から亡くなるまで精力的に教育活動を行っていた。現在でも使われる「現代っ子」は、1962年の阿部の造語。 「カバゴン」は、『日清ちびっこのどじまん』に出演した際に、番組での視聴者からの公募の結果選ばれたものである。
相沢 進(あいざわ すすむ、1930年6月9日 - 2006… 相沢 進(あいざわ すすむ、1930年6月9日 - 2006年5月18日)は、ミクロネシア連邦チューク諸島(トラック諸島)トール島出身のプロ野球選手(投手)、政治家。 父の庄太郎は1918年に日本からトラック諸島トール島(当時は日本の委任統治領)に移住し、ミクロネシア人である現地の酋長の娘ノツムール(洗礼名リサ)リサと結婚した。 1930年6月9日に相沢は父・庄太郎と母・リサとの次男として生まれる。幼少期の友人の中には、後にミクロネシア連邦の初代大統領となるトシオ・ナカヤマがいた。ミクロネシアでは日本人が持ち込んだ野球が大人気で、幼い頃から運動神経に優れた相沢は自然と野球に興味を持ち、これに夢中になった。
久保寺 昭(くぼでら あきら、1930年6月 - )は、神奈… 久保寺 昭(くぼでら あきら、1930年6月 - )は、神奈川県出身のプロ野球選手。 逗子開成中学から1950年に東急フライヤーズへ入団。同年退団。
三浦 隆(みうら たかし、1930年5月27日 - 2011… 三浦 隆(みうら たかし、1930年5月27日 - 2011年8月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 戦前無産政党で活動し戦後衆議院議員を務めた三浦寅之助の息子として、神奈川県横浜市に生まれる。横浜市立幸ヶ谷小学校、神奈川県立横浜第二中学校(現在の神奈川県立横浜翠嵐高等学校)、横浜市立大学から早稲田大学大学院修士課程修了を経て、関東学院大学で教鞭を取った(憲法専攻)。 1976年の総選挙に民社党公認で神奈川1区から出馬。この時は落選するが1979年の総選挙で初当選、以後3期連続当選。この間、党統制委員(1981年~1985年。落選後も1989年~1994年。うち1990年~1992年は政策審議会副会長も兼任)・党学生対策委員長(1983年~1984年)・党市民団体対策委員長(1985年)を歴任し、衆議院交通安全対策特別委員会理事(1986年)を務めた。
伊藤 邦男(いとう くにお、1930年(昭和5年)5月13日… 伊藤 邦男(いとう くにお、1930年(昭和5年)5月13日 - 2012年(平成24年)11月12日)は、日本の新聞記者、実業家。朝日新聞社常務を経て、全国朝日放送(テレビ朝日)社長を務めた。神奈川県横須賀市出身。 1953年(昭和28年)東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。1983年1月名古屋本社編集局長、1984年12月名古屋本社代表、1986年6月取締役・名古屋本社代表。 1987年(昭和62年)6月取締役・東京本社編集局長に就き、ロッキード事件や昭和天皇のがん闘病報道などを指揮するが、1989年5月朝日新聞珊瑚記事捏造事件で責任を問われ編集局長を更迭となる。 1990年5月常務(総務・労務担当)、1992年4月常務(総合企画室担当)。
見上 和由(みかみ かずよし、1930年(昭和5年)4月30… 見上 和由(みかみ かずよし、1930年(昭和5年)4月30日 - 2024年(令和6年)11月22日)は、日本の政治家。元神奈川県綾瀬市長(3期)。位階は従五位。旭日小綬章。 神奈川県出身。1950年より綾瀬町役場に勤務しながら私立藤沢高等学校(現・藤嶺学園藤沢中学校・高等学校)の定時制に通う(1952年卒業)。国民年金課長、総務参事、市制施行準備室長、収入役、助役を経て、1992年の市長選挙で現職で旧綾瀬町時代からの市長だった鈴木進を破り、初当選した。市長を3期務め、2004年の市長選挙で元綾瀬市議の笠間城治郎に敗れた。 2006年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。2024年11月22日、老衰のため死去。
宍戸 健夫(ししど たけお、1930年4月25日 - )は、… 宍戸 健夫(ししど たけお、1930年4月25日 - )は、日本の保育学者、愛知県立大学名誉教授。 横浜市出身。1954年東京大学文学部教育学科卒、1959年同大学院教育学研究科博士課程満期退学、愛知県立女子大学・愛知県立女子短期大学講師、助教授、1973年教授、愛知県立大学教授。1991年「日本の幼児教育 昭和保育思想史」で東大教育学博士。1996年定年退官、名誉教授。佛教大学教授、同朋大学教授、大阪健康福祉短期大学教授。