吉田 次郎(よしだ じろう、1930年4月3日 - )は、… 吉田 次郎(よしだ じろう、1930年4月3日 - )は、日本の地方公務員、経営者。神奈川県総務部長、テレビ神奈川社長を務めた。神奈川県横浜市出身。勲四等瑞宝章受章。 1954年に東京都立大学人文学部を卒業し、同年に神奈川県庁に入庁。総務部長、湘南国際村専務を経て、1994年6月にテレビ神奈川社長に就任し、1998年6月までに務めた。2000年春の叙勲で勲四等瑞宝章を受章。
坂本 鉄男(さかもと てつお、1930年3月31日 - 20… 坂本 鉄男(さかもと てつお、1930年3月31日 - 2022年4月28日)は、日本のイタリア文学者、コラムニスト。元ナポリ東洋大学教授。 神奈川県小田原市生まれ。東京外国語大学イタリア語科卒。東京音楽大学講師、東京外国語大学助教授。 1971年、ナポリ東洋大学の教授に就任。 1970年代半ばからサンケイ新聞の嘱託でイタリアとバチカン市国に関するコラムを2020年12月の引退まで執筆を続けた。 1979年、産経新聞連載の『イタリア通信』でイタリア文化会館のマルコ・ポーロ賞を受賞。 1983年、イタリア共和国功労勲章コンメンダトーレ章授与。 2000年、勲三等瑞宝章を受章。 2002年、ナポリ東洋大学教授を退官。
岡本 勇(おかもと いさむ、1930年3月3日 - 1997… 岡本 勇(おかもと いさむ、1930年3月3日 - 1997年11月16日)は、日本の考古学者。 神奈川県横須賀市生まれ。1952年明治大学文学部史学地理学科卒業、1954年明治大学大学院文学研究科考古学専攻修士課程修了。1964年立教大学専任講師、1966年助教授、1974年辞職。横浜市立大学、立教大学などで講師を務めた。 1953年から1954年にかけて、八ヶ岳南麓長野県南佐久郡南牧村の矢出川遺跡の発掘調査で日本最初の細石刃を芹沢長介、地元の考古学研究家由井茂也らと共に発見した。 1960年代、横浜市北部埋蔵文化財調査委員会に参加し、開発に呑み込まれる横浜市北部の遺跡(青葉区内の朝光寺原遺跡や稲荷前古墳群など)を数多く発掘調査し保存活動に尽力した。
小原 宏(おはら ひろし、1930年2月28日 - 1996… 小原 宏(おはら ひろし、1930年2月28日 - 1996年12月11日)は、日本の経営者。ニッカウヰスキー社長を務めた。神奈川県横浜市出身。 1953年に成城大学政治経済学部を卒業し、同年に朝日麦酒(現在のアサヒビール)に入社。1982年3月に取締役に就任し、1986年8月に常務を経て、1994年3月にはニッカウヰスキー社長に就任。 1996年12月11日肝不全のために死去。66歳没。
宮澤 正幸(みやざわ まさゆき、1930年2月15日 - 2… 宮澤 正幸(みやざわ まさゆき、1930年2月15日 - 2024年2月28日)は、日本のスポーツジャーナリスト。 神奈川県小田原市出身。日本大学を経て拓殖大学卒業。 1953年に大学卒業と同時に東京新聞社に入社し、校閲部にて勤務した後の翌年に日刊スポーツ新聞社へ転職して運動部記者を務めた。 日刊スポーツ時代はアマチュアスポーツ担当記者としてレスリング、柔道、相撲のほかに体操競技の取材・報道を行い、第18回夏季オリンピック東京大会(1964年)では柔道競技の取材を担当した。 また1972年ミュンヘンオリンピック体操競技で日本の塚原光男が鉄棒で初めて披露した大技を「月面宙返り」と命名したのも宮澤であったという。
北條 美智留(ほうじょう みちる、1930年2月9日 - 2… 北條 美智留(ほうじょう みちる、1930年2月9日 - 2018年9月6日)は、日本の元女優、元声優。新字体で北条 美智留と表記されることもある。六芸社に所属していた。父は劇作家、著述家の北條秀司。 神奈川県足柄下郡小田原町(現:小田原市)出身。1939年4月、父秀司が劇作家の専業になるために箱根登山鉄道を退社し東京市麻布笄町(現:港区西麻布4丁目)に転居した後、戦火が激しくなってきた1945年4月に足柄下郡箱根町強羅に疎開して3年間を過ごす。終戦後の1948年4月に鎌倉郡大船町山崎(現:鎌倉市)に転居した後、1952年3月に同じ鎌倉市内の現自宅に転居し、2018年に亡くなるまでの66年間をこの家で過ごした。
野沢 協(野澤 協、のざわ きょう、1930年(昭和5年)2… 野沢 協(野澤 協、のざわ きょう、1930年(昭和5年)2月1日 - 2015年(平成27年)11月18日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。17・18世紀フランス思想史を専攻。 1930年、神奈川県鎌倉市生まれ。旧制浦和高等学校で学び、高等学校時代からの友人に出口裕弘、澁澤龍彦がいる。1953年、東京大学文学部仏文科を卒業。 1962年、(旧)東京都立大学人文学部仏文科助手に就いた。後に助教授、教授に昇進。1990年から2001年まで、駒澤大学外国語部教授をつとめた。2015年に死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
小此木 啓吾(おこのぎ けいご、1930年1月31日 - 2… 小此木 啓吾(おこのぎ けいご、1930年1月31日 - 2003年9月21日)は、日本の医学者・精神科医、精神分析家。学位は、医学博士。慶應義塾大学環境情報学部教授、東京国際大学教授を歴任。 青年が大学を留年しつづけ、その後も定職につかない傾向の増加を分析し、彼らを人生の選択をさけていつまでも可能性を保ったまま、大人になることを拒否して猶予期間にとどまる「モラトリアム人間」と呼んだ。 1930年東京府生まれ。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て、1954年慶應義塾大学医学部卒業。1960年「自由連想法の研究」で医学博士の学位を取得。1972年慶應義塾大学医学部助教授。1990年慶應義塾大学環境情報学部教授。
新倉 俊一(にいくら としかず、1930年1月22日 - 2… 新倉 俊一(にいくら としかず、1930年1月22日 - 2021年8月23日)は、日本のアメリカ詩研究者、翻訳家。明治学院大学名誉教授。慶應義塾大学アート・センター訪問所員。 神奈川県三浦郡葉山町出身。1951年、慶應義塾大学法学部卒。明治学院大学大学院修了、フルブライト留学でミネソタ大学大学院修了。明治学院大学教授。1976年、文学部長。1981年、日本エミリ・ディキンソン協会会長。西脇順三郎に師事した。 日本エズラ・パウンド協会理事も務め、ディキンソン、パウンドなどのアメリカ詩人の研究者の育成を行った。エドワード・リアのノンセンス詩などを研究、翻訳もある。 2021年8月23日午前8時10分、老衰のため神奈川県逗子市の自宅で死去。
相澤 秀禎(あいざわ ひでよし、1930年1月20日 - 2… 相澤 秀禎(あいざわ ひでよし、1930年1月20日 - 2013年5月23日)は、日本の実業家、芸能プロモーター。サンミュージックプロダクションの創業者で初代社長。本名は相澤芳郎(與四郎とも記されている)。自伝によれば姓名判断で上記の通称に改めたという。
小山内 美江子(おさない みえこ、本名:笹平 美江子(ささひ… 小山内 美江子(おさない みえこ、本名:笹平 美江子(ささひら みえこ)、1930年(昭和5年)1月8日 - )は、日本の脚本家である。代表作には、TBSのテレビドラマ『3年B組金八先生』やNHKの大河ドラマ『徳川家康』『翔ぶが如く』などがある。
森田 哲弥(森田 哲彌、もりた てつや、1930年 <昭和5… 森田 哲弥(森田 哲彌、もりた てつや、1930年 <昭和5年> 1月2日- 2014年 <平成26年> 6月8日)は、日本の会計学者。一橋大学名誉教授。1990年日本会計研究学会会長。1972年日本会計研究学会学会賞受賞、1980年日本会計研究学会太田賞受賞、1979年日経・経済図書文化賞受賞。位階は正四位。 神奈川県横浜市生まれ。1945年神奈川県立横浜第二中学校(現神奈川県立横浜翠嵐高等学校)第3年学年修了、海軍兵学校予科入学。1946年東京商科大学(現一橋大学)予科入学、1953年東京商科大学卒業。1954年東京商科大研究科退学。1956年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了、1959年一橋大学大学院商学研究科博士課程単位修得退学。
大江 三郎(おおえ さぶろう、1930年1月1日 - 198… 大江 三郎(おおえ さぶろう、1930年1月1日 - 1986年8月26日)は、日本の英語学者。 神奈川県生まれ。神奈川県立湘南高校卒。東京大学文学部英文科卒、1957年同大学院修士課程修了。1964年ミネソタ大学大学院言語学修了(フルブライト奨学生)。1976年「日英語の比較研究 主観性をめぐって」で東京都立大学 (1949-2011)文学博士。立教大学助教授、1968年九州大学文学部助教授を経て、1974年教授。在任中に死去した。 なお、大江教授の蔵書は、大江文庫として九大図書館に寄贈され、今日に至る。
小篠 菊雄(おざさ きくお、1930年 - 2020年)は、… 小篠 菊雄(おざさ きくお、1930年 - 2020年)は、日本のアナウンサー。東京プロ野球記者OBクラブ会員。神奈川県横浜市出身。慶應義塾大学文学部卒業。 1958年に[要出典]文化放送へ入社し、その後にフジテレビジョンへ移籍(同期に鶴岡巍)[要出典]。主にスポーツ実況で活躍。プロ野球中継、ボクシング中継などを担当、特にボクシングではファイティング原田(笹崎ボクシングジム)の試合を中心に実況を担当。また、オリンピック大会の中継でも活躍。1964年東京大会では、開会式の実況を担当。1972年ミュンヘン大会ではジャパンコンソーシアムの一員として中継を担当した。冷静なアナウンスが特徴。 フジテレビではアナウンサーののち、アナウンス室長、スポーツ部プロデューサーを歴任。
青柳 まちこ(あおやぎ まちこ、本名・青柳真智子、1930年… 青柳 まちこ(あおやぎ まちこ、本名・青柳真智子、1930年 - )は、日本の文化人類学者、立教大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。東京女子大学文学部社会科学科卒業。東京都立大学 (1949-2011)大学院博士課程修了(1964年中退、1984年「モデクゲイ - パラオ新宗教の研究」で文学博士)。ハワイ大学、オークランド大学留学。清泉女子大学助教授、立教大学助教授、文学部教授、1997年定年、名誉教授、茨城キリスト教大学教授を務めた。専攻はオセアニア地域。夫は、同じく文化人類学者の青柳清孝。 立教大学に青柳から寄贈された奨学基金を基にした「青柳真智子奨学金」が設置されているが、人文地理学および文化人類学の分野において、主として海外調査を行う学生を対象として、研究者の育成・支援を目的とした奨学金となっている。
宇佐美 ミサ子(うさみ みさこ、1930年 - )は、日本史… 宇佐美 ミサ子(うさみ みさこ、1930年 - )は、日本史学者。宿場女郎について研究してきた。 神奈川県小田原市生まれ。1953年法政大学法学部通信教育部卒、小学校、中学校、高校教師をへて退職。1983年、法政大学文学部史学科卒、1989年、法政大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学、1993年、「近世助郷制の研究」で文学博士。大学非常勤講師、町史・市史編纂委員、法政大学史学会評議員などを務めた。
青木 和雄(あおき かずお、1930年 - )は、日本の児童… 青木 和雄(あおき かずお、1930年 - )は、日本の児童文学作家。 神奈川県横浜市出身。早稲田大学第一文学部心理学科卒業。 横浜市教育委員会指導主事、横浜市立小学校校長を経て、教育カウンセラーとなる。カウンセラーとしての経験を生かし、いじめや児童虐待をテーマにした児童書を多数出版。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
櫻井孝一(さくらい こういち、1930年-2021年)は、日… 櫻井孝一(さくらい こういち、1930年-2021年)は、日本の法学者。専門は、破産法・民事訴訟法。学位は、法学博士(早稲田大学)。早稲田大学名誉教授。中村宗雄門下。神奈川県川崎市生まれ、大阪市育ち。 1954年早稲田大学第一法学部卒業、1961年早稲田大学大学院法学研究科博士課程修了、1963年早稲田大学法学部専任講師、1965年早稲田大学法学部助教授を経て、1970年早稲田大学法学部教授。また、1986年から1990年まで早稲田大学法学部長。2000年日本学術会議会員、2001年早稲田大学定年退職。同名誉教授。日本大学大学院法学研究科客員講師(-2004年)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
平野 杏子(ひらの きょうこ、1930年 - )は、日本の画… 平野 杏子(ひらの きょうこ、1930年 - )は、日本の画家、造形作家。大久保作次郎、三岸節子に師事。 1930年、神奈川県伊勢原市の事業家の家に生まれる。1962年より平塚市にアトリエを構え、初期は具象的な風景や静物に才能を見せながら、次第に仏教に傾倒し、抽象的な作風の大作を発表するようになる。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
小倉 寛太郎(おぐら ひろたろう、1930年〈昭和5年〉 -… 小倉 寛太郎(おぐら ひろたろう、1930年〈昭和5年〉 - 2002年〈平成14年〉10月9日)は、日本航空の労働組合の元委員長である。通称かんたろう。山崎豊子の著書『沈まぬ太陽』の主人公・恩地元のモデルとなった人物とされる。 台北州台北市生まれ。湘南中学校を経て東京大学法学部卒。東京大学教養学部の大学祭である駒場祭創設に実行委員会初代委員長として携わった。卒業後にAIU(のちのAIG損害保険)入社、4年後に退職し日本航空へ入社した。 湘南中学校時代に終戦を迎え、校長、教頭等の辞職を求めてストライキを実施。大学時代は自治会活動に没頭し、レッドパージ反対のストライキを実施。AIU入社後には、労働組合を結成し、役員に就任したが、所属部署が消滅し、退職。
土屋 淳(つちや あつし、 1930年 - 2011年)は、… 土屋 淳(つちや あつし、 1930年 - 2011年)は、日本の天文学者。 神奈川県出身、1930年生まれ。1945年旧制鎌倉中学校(現鎌倉学園中学校・高等学校)卒業。1953年東京大学理学部天文学科卒業。専門は電波天文学と測地学。学生時代から東京天文台(現在の国立天文台)の10m太陽電波望遠鏡の建設などにかかわり、その後東京天文台に就職、電波天文学の研究でオハイオ州立大学に留学した。学位論文は1977年「位置天文学の新技術の測地的利用の可能性」、東京大学理学博士。電波を利用する測地学の研究に初期の時代から携わり、GPS(全地球測位システム)に関する著書・論文も多い。また、人工衛星・月のレーザー測距や光干渉計の実験にも従事した。
徳岡 昌克(とくおか まさかつ、1930年 - 2019年6… 徳岡 昌克(とくおか まさかつ、1930年 - 2019年6月26日)は、日本の建築家、徳岡昌克建築設計事務所主宰。 横浜市生まれ。1951年(昭和26年)、京都工業専門学校(現 京都工芸繊維大学)建築科卒。同年、竹中工務店大阪本店設計部入社。1965年(昭和40年)から1967年(昭和42年)、同社を休職し、ワシントンD.C.ムーマ建築事務所・シカゴ C.F.マーフィー建築事務所(現 マーフィー・ヤーン建築事務所)勤務。1967年(昭和42年)から竹中工務店大阪本店設計部に復職。1968年(昭和43年)から1983年(昭和58年)まで同社の大阪本店設計課長・副部長・九州支店設計部長・大阪本店設計部副部長のほか、京都工芸繊維大学の非常勤講師を歴任。
今井 敬(いまい たかし、1929年12月23日 - )は、… 今井 敬(いまい たかし、1929年12月23日 - )は、日本の実業家。新日本製鐵(現・日本製鉄)相談役名誉会長、元社長。日本経済団体連合会名誉会長で、第9代経済団体連合会会長。 現在は公益財団法人国際花と緑の博覧会記念協会会長、全日本交通安全協会の会長・新潟県知事泉田裕彦後援会相談役、公益財団法人日本国際フォーラム代表理事(会長)、日本テレビホールディングス株式会社・日本テレビ放送網株式会社社外取締役などを務める。ホテルニューオータニ取締役(2019年<平成31年>4月1日-2020年<令和2年>3月31日)。 現在の神奈川県鎌倉市に生まれる。兄は今井善衛(元通商産業事務次官)、甥に同じく経産官僚で安倍晋三総理の内閣総理大臣補佐官、首相政務担当秘書官などを務めた今井尚哉がいる。
二瓶 敏(にへい さとし、1929年12月10日 - )は、… 二瓶 敏(にへい さとし、1929年12月10日 - )は、マルクス経済学者。元専修大学経済学部教授、専修大学社会科学研究所所員。 横浜市生まれ。兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区)および台北で育つ。1944年秋に日本に引き揚げ、福島県の旧制会津中学校に転校した。1945年江田島の海軍兵学校に入学した。敗戦後に会津中学校の4年生に復帰した。1947年、旧制浦和高等学校に入学した。1949年に落第および旧制高校廃止により中退し、東京大学教養学部文科2類に入学した。日本共産党に入党した。学生自治会結成と同時に副委員長を務めた。1950年夏より全学連書記局を務めた。「50年問題」では国際派に所属する。
若杉 明(わかすぎ あきら、1929年11月19日 - 20… 若杉 明(わかすぎ あきら、1929年11月19日 - 2024年1月17日)は、日本の会計学者。横浜国立大学名誉教授。元金融庁企業会計審議会会長。元日本学術会議会員。 横須賀市出身。1947年神奈川県立横須賀中学校卒。1950年横浜経済専門学校卒。1953年横浜国立大学経済学部卒。1958年東京大学大学院経済学会計学博士課程満期退学。1968年「実現概念の展開 その会計学的意義および役割に関する研究」で経済学博士。 1958年福島大学経済学部専任講師、1962年助教授、1964年横浜国立大学経営学部助教授、1972年教授、1981年経営学部長、1995年定年退官、名誉教授、高千穂商科大学商学部教授。
宮津 昭彦(みやつ あきひこ、1929年11月10日- 20… 宮津 昭彦(みやつ あきひこ、1929年11月10日- 2011年1月10日)は、昭和・平成期の俳人。神奈川県横浜市生まれ。横浜商工実習学校商業部(現・神奈川県立商工高等学校)で担任であった大野林火の指導を受けたのをきっかけに俳句をはじめる。卒業後は大阪住友海上保険(のちの三井住友海上火災保険)に入社、同時期に林火の「濱」同人。濱賞、濱同人賞を受賞、林火死去後の1998年より「濱」副主宰を務める。林火の句風を受け継いだ叙情性のある句風。1997年、句集『遠樹』で第37回俳人協会賞受賞。俳人協会副会長も務めた。2011年1月10日死去、81歳。
神川 正彦(かみかわ まさひこ、1929年11月5日 - 2… 神川 正彦(かみかわ まさひこ、1929年11月5日 - 2009年3月13日)は、日本の哲学者、比較文明学者、國學院大學名誉教授、元神奈川大学教授。 東京帝国大学教授神川彦松と日商社長下坂藤太郎の長女美知子の三男として鎌倉に生まれる。1948年旧制鎌倉中学(現:鎌倉学園高等学校)卒業。1953年東京大学文学部哲学科卒業。1958年東京大学大学院人文科学研究科哲学科博士課程満期退学。1973年、「歴史における言葉と論理」で文学博士。神奈川大学助教授、教授。1976年、國學院大学教授、退任後名誉教授。日本価値観変動研究センター所長。妻は作家の神川十浄(カミカワトキヨ)。長男はムービンストラテジックキャリア(東証グロース市場421A)創業者・代表取締役社長の神川貴実彦(カミカワキミヒコ)
間 宏(はざま ひろし、1929年9月25日 - 2009年… 間 宏(はざま ひろし、1929年9月25日 - 2009年8月14日)は、日本の社会学者。文学博士(論文博士・1966年)(学位論文「日本労務管理史研究 経営家族主義の形成と展開」)。 神奈川県横浜市出身。東京教育大学卒、1958年同大学院産業社会学博士課程満期退学。1966年「日本労務管理史研究 経営家族主義の形成と展開」で文学博士の学位を取得。1958年東京教育大学文学部助手、1961年専任講師、1964年助教授、1976年早稲田大学文学部教授。2000年定年、名誉教授。1975年『イギリスの社会と労使関係』で日経・経済図書文化賞受賞。産業・労働社会学、経営史。
佐藤 正明(さとう まさあき、1929年9月23日 - )は… 佐藤 正明(さとう まさあき、1929年9月23日 - )は、日本のカトリック聖職者・神学者。 神奈川県藤沢市出身。1948年カトリック教会にて受洗(洗礼名ヨセフ)。上智大学卒、エルマー神学大学倫理神学科卒。玉川大学文学部講師、助教授、教授(教育学)。国際援助団体・手を貸す運動代表。社会福祉法人・地の星理事。西アフリカ・シエラレオネにあるグァダルーペ聖母女子学園(OLG学園)を支援した。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
宮脇 愛子(みやわき あいこ、1929年9月20日 - 20… 宮脇 愛子(みやわき あいこ、1929年9月20日 - 2014年8月20日)は、日本の彫刻家。本名・磯崎愛子。旧姓・荒木。夫は建築家の磯崎新。 静岡県出身。熱海の資産家(商家)の一人娘として生まれ、幼少期より病弱のため戦時中も自宅療養し、丈夫になるようにと貴子、幹子と改名を繰り返した。 1945年に広津和郎が近所に転居して以降、家族ぐるみの交流が始まる。1946年に小田原高等女学校(現、神奈川県立小田原高等学校)卒業後、日本女子大学文学部史学科へ入学、東京大学西洋史学科の学生だった宮脇俊三との交際が始まり、俊三を広津に紹介する。在学中に俊三と結婚し(1960年に別居し1965年離婚)、1952年に大学卒業。
森 博(もり ひろし、1929年〈昭和4年〉9月7日 - 1… 森 博(もり ひろし、1929年〈昭和4年〉9月7日 - 1999年〈平成11年〉1月30日)は、日本の社会学者。東北大学名誉教授。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 神奈川県川崎市生まれ。1953年東北大学文学部社会学科卒。同・教養部助教授を経て教授。1993年定年退官。甲南女子大学教授。在職中に死去。『サン・シモン著作集』、カール・ポパーなどを訳した。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
神山 圭介(かみやま けいすけ、1929年8月3日 - 19… 神山 圭介(かみやま けいすけ、1929年8月3日 - 1985年1月16日)は、日本の作家・小説家。 神奈川県横浜市生まれ。本名・金子鉄磨(カネマロ)。東京大学文学部独文科卒。在学中より雑誌『現代文学』に参加。 卒業後、中央公論社に勤めるかたわら執筆活動を行う。 1976年「鴾色の武勲詩」で芥川賞候補。文化学院講師を務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
古山 良司(ふるやま りょうじ、1929年6月28日 - 2… 古山 良司(ふるやま りょうじ、1929年6月28日 - 2011年8月22日)は、国営競馬、日本中央競馬会に所属した騎手、調教師。神奈川県横浜市出身。父は騎手の古山喜三郎。 1950年に騎手デビュー。早くより頭角を現し、1950年代から1960年代にかけて第一線の騎手として活動、「戦後派ナンバーワン」との評を取り、コマツヒカリで東京優駿(日本ダービー)に優勝したほか、「走る精密器械」と呼ばれたタカオー、「怪物」タケシバオーといった名馬の主戦騎手を務めた。騎手通算は4409戦619勝、うち八大競走5勝を含む重賞24勝。 1970年より調教師に転身し、美浦トレーニングセンターに所属。2000年の引退までに数々の重賞勝利馬を手掛けた。
加藤 恭子(かとう きょうこ、1929年5月26日 - )は… 加藤 恭子(かとう きょうこ、1929年5月26日 - )は、日本の中世フランス文学者、エッセイスト。 旧姓・藤井。夫は加藤淑裕(よしひろ、1924-1988、発生生物学者、三菱化成生命科学研究所)、娘は『アメリカへ行った僚子』で知られる教育学者・東大教授の恒吉僚子。 東京生まれ。日本女子大学付属高女を経て同大国文科を中退し、1950年に早稲田大学文学部仏文科入学、1953年卒業。 夫ともに渡米し、1957年ワシントン大学大学院修士課程修了。1965年早稲田大学大学院仏文科博士課程満期退学。ワシントン大学研究助手、1965-72年マサチューセッツ大学特別研究員。 1973年上智大学講師、1995年同大学コミュニティ・カレッジ講師。
郷 静子(ごう しずこ、1929年4月20日 - 2014年… 郷 静子(ごう しずこ、1929年4月20日 - 2014年9月30日)は、日本の小説家。
桜井 眞一郎(さくらい しんいちろう、1929年4月3日 -… 桜井 眞一郎(さくらい しんいちろう、1929年4月3日 - 2011年1月17日)は日本の自動車技術者。 株式会社エス・アンド・エス エンジニアリング取締役会長。日本自動車殿堂入り、オーテックジャパン初代代表取締役。神奈川県出身。戸籍上の氏名は、櫻井 眞一郎。 旧プリンス自動車工業時代より日産自動車時代に渡るまでスカイラインの開発に携わる。2代目の途中からは開発責任者(主管)として7代目の開発終盤まで長期間携わっていたことから、「GT-Rの生みの親」「ミスタースカイライン」「スカイラインの父」として知られている。 清水建設に勤務していた時代に「日本で初めてバッチャープラントとコンクリートミキサー車(生コン車)を開発した」と伝えられるが、これについては異論も出されている。
絹川 正吉(きぬかわ まさきち、1929年3月7日 - 20… 絹川 正吉(きぬかわ まさきち、1929年3月7日 - 2025年1月23日)は、日本の数学者。国際基督教大学名誉教授・元学長。専門は解析学、フーリエ解析。Ph.D.(ノースウェスタン大学)。神奈川県横浜市出身。 2025年1月23日召天。95歳没。 『教養と大学スタッフ』、東信堂、2022年 (出典:『ACADEMIA』2021年・No.180、全国日本学士会)
黛 敏郎(まゆずみ としろう、1929年2月20日 - 19… 黛 敏郎(まゆずみ としろう、1929年2月20日 - 1997年4月10日)は、日本の作曲家。戦後のクラシック音楽、現代音楽界を代表する音楽家の一人として知られる。また、東京藝術大学作曲科講師として後進の育成にもあたった。
ジョー樋口(ジョーひぐち、1929年1月18日 - 2010… ジョー樋口(ジョーひぐち、1929年1月18日 - 2010年11月8日)は、日本の元プロレスラー、元レフェリー。 本名は樋口 寛治(ひぐち かんじ)。愛称は「ジョー」。 神奈川県横浜市出身。法政大学卒業。俳優の樋口隆則は息子。 日本プロレスと全日本プロレスでレフェリー、外国人係を務めた後、プロレスリング・ノア監査役、GHCタイトル管理委員長を歴任した。 実家は本牧の洋食材の問屋で、幼少時からコーヒーを嗜み、ジャズを愛好する少年だった。周囲の環境から、英語や洋食の調理もお手のものであった。また柔道の道に進み、二段まで昇段。終戦後は進駐軍に柔道を教えていた(この時期に英語をマスターしたとの記述もある)。
唐 順棋(とう じゅんき、1929年1月16日 - )は、日… 唐 順棋(とう じゅんき、1929年1月16日 - )は、日本の映画監督である。神奈川県横浜市生まれ、国籍は中華人民共和国である。日本名唐沢 二郎(からさわ じろう)、別名早坂 紘(はやさか こう)あるいは早坂 絋清(はやさか こうせい)の名でも活動した。「早坂絋」「早坂絃」「早坂宏」と記されることもある。おもにテレビ映画において「唐順棋」、劇場用映画において「唐沢二郎」「早坂紘」を使い分けた。連続テレビ映画『水滸伝』、『西遊記』では時代考証を手がけた。 1929年(昭和4年)1月16日、神奈川県横浜市中区元町に生まれる。『日本映画監督全集』によれば、本籍は中華人民共和国上海市延安東路(中国語版)にあるといい、同国は1949年(昭和24年)10月1日に建国されており、同書の記述が正しければ同国建国以降のものであり、唐の誕生の時点では同地は中華民国に属していた。
伊東 貞三(いとう ていぞう、1929年 - 2025年9月… 伊東 貞三(いとう ていぞう、1929年 - 2025年9月19日)は、日本の医師。内科医。昭和天皇の侍医を務めた。小田原新幹線クリニック院長、小田原循環器病院医療顧問を経て、三宿病院循環器内科勤務。幕末・維新期の蘭方医・伊東玄朴の子孫にあたる。医学博士。 東京都出身。1947年、法政二中卒業。1955年、東京大学医学部卒業。1961年、同大学医学部生物系研究科修業、医学博士。1976年、UCLA留学。 1983年〜1989年、宮内庁に入り昭和天皇及び香淳皇后の侍医を務める。1989年〜2000年、皇太后宮(香淳皇后)侍医。 2001年、勲三等瑞宝章受章。 2000年〜2010年、小田原新幹線クリニック院長。
八木 柊一郎(やぎ しゅういちろう、1928年12月20日 … 八木 柊一郎(やぎ しゅういちろう、1928年12月20日 - 2004年6月14日)は神奈川県出身の劇作家である。本名は八木伸一。旧制山形高等学校中退。
大野 明(おおの あきら、1928年11月13日 - 199… 大野 明(おおの あきら、1928年11月13日 - 1996年2月5日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 衆議院議員(9期)。参議院議員(1期)。労働大臣(第45代)。運輸大臣(第63代)。 衆議院議長、自由民主党副総裁を務めた大野伴睦の四男。 岐阜県山県郡美山町生まれ。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、父の秘書を務める。1956年11月、大野つや子と結婚。 1964年、父の死去に伴い、後継者として第30回衆議院議員総選挙岐阜1区補欠選挙に自由民主党から立候補し初当選。 1982年、第1次中曽根内閣の労働大臣として初入閣。1983年の第37回衆議院議員総選挙では現職閣僚でありながら落選。
大竹 三郎(おおたけ さぶろう、1928年10月31日 - … 大竹 三郎(おおたけ さぶろう、1928年10月31日 - )は、日本の化学者、科学読物作家。湘南工科大学名誉教授。 神奈川県藤沢市出身。1949年東京物理学校(のち東京理科大学)理化学科卒。神奈川県公立学校教員をへて、1965年相模工業大学講師、1975年教授、1977年副学長、理事。校名変更で湘南工科大学名誉教授。 1975年『黒つちがもえた』でサンケイ児童出版文化賞、1982年『ふしぎないろみず』で日本科学読物賞受賞。
草鹿 外吉(くさか そときち、1928年8月28日 - 19… 草鹿 外吉(くさか そときち、1928年8月28日 - 1993年7月25日)は、日本のロシア文学研究者、詩人、小説家、翻訳家。 後の神奈川県鎌倉市に生まれる。父は海軍兵学校校長を務めた草鹿任一であり、草鹿龍之介も親戚にあたるという海軍一家に育ち、湘南中学校から1945年海軍兵学校に入学する(77期)も、まもなく終戦を迎え、復員する。 第二次世界大戦復員後は、横浜工業専門学校を卒業後、早稲田大学に編入学して、ロシア文学を学ぶ。その後、早稲田大学や中央労働学院などで教えながら、日本福祉大学の教授となり、副学長も務めた。 また、詩人としては〈詩人会議〉の常任運営委員も務め、詩集も刊行した。 アレクサンドル・プーシキンを中心とした19世紀文学と、エフゲニー・エフトゥシェンコなどの同時代の詩人を中心に研究し、その方面の著書・訳書も多い。
小黒 恵子(おぐろ けいこ、1928年8月27日 - 201… 小黒 恵子(おぐろ けいこ、1928年8月27日 - 2014年4月1日)は、日本の作詞家。 神奈川県川崎市出身。血液型はO型。 サトウハチローに師事。1973年、「ハダシとハダカ」で日本作詩大賞童謡賞を受賞。1982年、「やあ、こんにちは」で赤い靴児童文化大賞。同年、「飛べ、しま馬」「ライオンの子守唄」で日本童謡賞。1990年、川崎市文化賞受賞。1991年には「小黒恵子童謡記念館」を開館した。2001年、勲四等瑞宝章受章。2014年4月1日午後11時23分、慢性呼吸不全のため、川崎市高津区の病院で死去。85歳没。 1897年築の生家(川崎市高津区諏訪)に1991年に開館した。生前の意向に従い、他の資産とともに川崎市に寄贈され、川崎市による再整備後の2017年4月1日に再開館した。
島田 修二(しまだ しゅうじ、昭和3年(1928年)8月19… 島田 修二(しまだ しゅうじ、昭和3年(1928年)8月19日 - 平成16年(2004年)9月12日)は、日本の歌人。洋画家で文化功労者の島田章三は実弟。 神奈川県横須賀市大津出身。父英之は浦賀船渠の客船インテリアデザイナー。母敏子は斎藤茂吉に師事した「アララギ」の歌人。四男一女の次男。 旧制横須賀中学校(34期)を卒業。国語教師は小田切秀雄であった。旧制静岡高等学校在学中の1943年に、北原白秋主宰の「多磨」に入会。小川国夫は高校の同級生である。1944年、兄・陽一(横中30期、海兵73期、海軍中尉、敷波乗組)を戦災で亡くす。江田島の海軍兵学校(77期)在学中には広島原爆を目撃した。 1948年の「コスモス」創刊に参加し、宮柊二に師事する。
寺田 和夫(てらだ かずお、1928年5月17日 - 198… 寺田 和夫(てらだ かずお、1928年5月17日 - 1987年9月5日)は、日本の人類学者、東京大学教養学部教授。 1928年、横浜市生まれ。第一高等学校から、東京大学理学部人類学科へ進んだ。1951年に卒業し、同大学院に進学。 1956年、教養学部助手に採用された。1958年から1969年、東京大学アンデス地帯学術調査団の一員としてペルーで考古学遺跡の発掘調査に従事。助教授を経て、教授した。1962年、学位論文『人体計測値による親子の類似性の分析』を東京大学に提出して理学博士の学位を取得。在職中に死去した。 ラテンアメリカの歴史と文化を専攻し、師泉靖一のインカ文化・アンデス文明研究を引き継いだ。
西田 司(にしだ まもる、1928年〈昭和3年〉5月13日 … 西田 司(にしだ まもる、1928年〈昭和3年〉5月13日 - 2014年〈平成26年〉5月9日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲章は勲一等旭日大綬章。大洲市名誉市民。 自治大臣(第51・55代)、国家公安委員会委員長(第61・65代)、国土庁長官(第21代)、衆議院議員(8期)、愛媛県喜多郡長浜町長(3期)等を歴任した。 愛媛県喜多郡長浜町(現・大洲市)生まれ。愛媛県立松山農業学校(現愛媛大学農学部)卒業後、長浜町議会議員に当選。町議会議長を経て、1963年に県内最年少で町長に選出され、3期12年務める。 1976年、第34回衆議院議員総選挙に高橋英吉の地盤を継承し、旧愛媛3区(定数3)から無所属で出馬。
色摩 力夫(しかま りきを、1928年5月13日 - 202… 色摩 力夫(しかま りきを、1928年5月13日 - 2022年11月24日)は、日本の外交官。国家基本問題研究所客員研究員。浜松大学教授。 神奈川県横浜市生まれ。仙台陸軍幼年学校卒業、陸軍士官学校61期。東京大学文学部仏文学科卒業。 1954年、外務省入省、スペイン留学、国際連合局社会課長、アメリカ局中南米参事官、内閣官房インドシナ難民連絡調整会議事務局長、サン・パウロ総領事を経て、ホンジュラス大使、コロンビア大使、チリ大使を歴任。 1992年に退官し、浜松大学国際経済学部教授。2003年退職。 1998年、勲二等瑞宝章受章。