鈴木 春祥(すずき はるよし、1943年1月1日 - )は高… 鈴木 春祥(すずき はるよし、1943年1月1日 - )は高校野球指導者。中越高等学校硬式野球部監督を務めた。
新潟県:1,930人
鈴木 春祥(すずき はるよし、1943年1月1日 - )は高… 鈴木 春祥(すずき はるよし、1943年1月1日 - )は高校野球指導者。中越高等学校硬式野球部監督を務めた。
松井 利夫(まつい としお、1943年1月1日 - )は、日… 松井 利夫(まつい としお、1943年1月1日 - )は、日本の実業家。アルプス技研最高顧問〈創業者〉。南魚沼市産業育成支援特別顧問。小千谷市まちづくり・人づくり支援特別顧問。 新潟県南魚沼市〈六日町五十沢〉の出身。1961年3月、新潟県立六日町高等学校を卒業。1964年3月、工学院大学専修学校電気科(夜間)を卒業。1968年7月、アルプス技研(松井設計事務所:当時〉を創業。1971年1月、株式会社アルプス技研を設立〈代表取締役社長に就任〉。1996年3月、多摩大学大学院経営情報学研究科を修了〈経営学修士:MBA〉・6月、株式店頭公開。1997年4月、代表取締役会長に就任。 2004年12月、アルプス技研が東証一部に上場(現プライム市場)2006年3月、最高顧問に就任。
赤沼 多佳(あかぬま たか、1943年 - )は、陶磁器研究… 赤沼 多佳(あかぬま たか、1943年 - )は、陶磁器研究家。 新潟県長岡市生まれ。裏千家茶道研修所卒業後、茶陶の研究に入る。東京国立博物館陶磁室調査員を経て、1979年、茶道資料館の開設時に学芸部長に就任。三井記念美術館参事。専門は茶の湯にかかわる東洋陶磁器の研究。
西山 賢一(にしやま けんいち、1943年 - )は、日本の… 西山 賢一(にしやま けんいち、1943年 - )は、日本の経済学者。帝京大学教授、埼玉大学教授などを歴任。5年間の理論化学の研究の後、10年余りの理論生物学の研究から経済学に移った。専門は複雑系の経済学、経済情報学、文化生態学。
遠藤 哲夫(えんどう てつお、1943年 - 2022年6月… 遠藤 哲夫(えんどう てつお、1943年 - 2022年6月4日)は、日本の著述家、プランナー、フリーライター。新潟県南魚沼郡六日町(現南魚沼市)出身。六日町立六日町中学校を経て新潟県立六日町高等学校卒業、法政大学中退。「大衆食の会」代表。編集プロダクション「アルシーヴ社」監査役。通称「エンテツ」「大衆食堂の詩人」。 1943年に新潟県南魚沼郡六日町で生まれ、1962年に上京して法政大学に通う(同大学は中退)。1971年より食品・飲食店のプランナーの道へ進み、独自の料理論・文化論を展開した料理評論家の江原恵の影響を受け、江原との共同活動等を行う。 1995年に『大衆食堂の研究 』を三一書房から刊行する。
小林 昌二(こばやし しょうじ、1942年12月6日 - )… 小林 昌二(こばやし しょうじ、1942年12月6日 - )は、日本の歴史学者、専門は日本古代史。新潟大学名誉教授。新潟市歴史博物館館長。新潟県出身。 新潟市沼垂生まれ。新潟高校から京都大学文学部国史学科へ進み、1966年卒業。72年には同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。 1974年に愛媛大学教育学部助手となり、75年講師、76年助教授に昇任した。1986年に新潟大学人文学部教授となり、2008年に定年退職し同大名誉教授となる。同年、帝京大学文学部教授となり、2015年に退職した。 2010年からは、新潟市歴史博物館館長を務めている。承平天慶の乱や渟足柵の研究に取り組んでいる。 2024年、瑞宝中綬章受章。
伊藤 雅治(いとう まさはる、1942年9月20日 - 20… 伊藤 雅治(いとう まさはる、1942年9月20日 - 2019年9月1日)は、日本の厚生労働技官・医師。厚生労働省医政局長・全国社会保険協会連合会理事長等を務めた。 新潟県西頚城郡木浦村(現糸魚川市)生まれ。伊藤茂昭元日本弁護士連合会副会長は弟。新潟県立高田高等学校を経て、1968年新潟大学医学部卒業、新潟県入庁、新津保健所兼衛生部公衆衛生課配属。1971年に厚生省へ入省し、公衆衛生局結核予防課に配属され、沖縄返還に備え結核対策にあたった。1975年外務省在サンパウロ日本国総領事館領事。1978年国際協力事業団医療協力部医療第二課長。1982年青森県環境保健部長兼青森県立青森高等看護学院長。 1985年厚生省保健医療局健康増進栄養課長。
加藤 全一(かとう ぜんいち、1942年2月8日 - )は、… 加藤 全一(かとう ぜんいち、1942年2月8日 - )は、日本の政治家。閉村までの新潟県神林村村長で、合併後の村上市市長職務執行者であった。
寺尾 正大(てらお まさひろ、1942年2月 - )は、日本… 寺尾 正大(てらお まさひろ、1942年2月 - )は、日本の警察官(ノンキャリア)。警視庁刑事部捜査第一課長、警視庁生活安全部長を歴任。新潟県新潟市出身。
渡辺 紘三(旧字体: 渡邊 紘三、わたなべ こうぞう、194… 渡辺 紘三(旧字体: 渡邊 紘三、わたなべ こうぞう、1942年(昭和17年)1月28日 - 2007年(平成19年)9月16日)は、日本の政治家。自由民主党の衆議院議員。 同じ派閥で名の読みが同じ渡部恒三が会津のケネディと呼ばれたのに対し、越山会のスポークスマンと呼ばれた。 渡邊良夫の三男として生まれる。新潟県北蒲原郡黒川村(現・胎内市)に本籍があり、現在の新発田市紫雲寺地区で幼少期を過ごした。早稲田高等学校を中退後、新潟県内の会社に勤務していたが兄の渡辺肇の引退を受け、1972年(昭和47年)第33回衆議院議員総選挙に旧・新潟2区から自由民主党公認で出馬し初当選(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・村岡兼造・保岡興治・瓦力・三塚博・越智通雄・野田毅・深谷隆司など)。
新田 貞章(にった さだあき、1942年1月8日 - )は、… 新田 貞章(にった さだあき、1942年1月8日 - )は、日本の経済学者。専門は農業史。 新潟県新発田出身。新潟県立柏崎高等学校、新潟短期大学を経て、1964年明治大学卒業。学部生時代は雄弁部に所属。 大学では横畑護のゼミで学ぶ。後に五島茂にも師事し、ロバート・オウエンの研究をする。 大学院時代、大宅壮一東京マスコミ塾第3期生となる。大宅壮一の死後は、大宅の側近にあたる青地晨主催の読書会に合流。 大森実主催の太平洋大学にも参加、サンフランシスコ到着時にプラハの春の第一報を聞いたという。 1973年、明治大学農学部農業経済学科講師、1994年、同教授。明治大学ラグビー部選手として名を馳せた渡邉大吾は教え子。
折戸 洪太(おりと こうた、1942年 - )は、日本の経済… 折戸 洪太(おりと こうた、1942年 - )は、日本の経済学者。中国経済が専門。 新潟市生まれ。1967年早稲田大学第一商学部卒業。1975年同大学院商学研究科博士課程満期退学。1982年から1983年にかけて中国人民大学に留学。徳山大学助教授、山口県立大学国際文化学部教授。2006年定年退任。NPO法人中国文化経済研究小組代表。1991年より山口放送で『折戸洪太の中国だより』を放送。
田川 紀久雄(たがわ きくを、1942年 - )は、日本の詩… 田川 紀久雄(たがわ きくを、1942年 - )は、日本の詩人。 新潟県刈羽郡北条生まれ。 田川紀久雄は1981年に第一童話集『小さな町の物語』、1982年に第一詩集『火事ですよ』を出版して以来、2011年の『鎮魂歌 東日本大地震のための応援詩』などの詩集や全詩集をはじめ、童話集、エッセイ集と多彩な創作活動を続ける詩人である。 詩書を刊行する一方で田川は、1985年高円寺のライブハウス『猫屋敷』にて月1回の詩語りを開始して以来2011年まで、全国各地で独自の詩語りライブを、坂井のぶこと共に行なっている。田川はまた画家でもあり、油彩画の個展約20回の実績をもつ。 田川はこれらの創作活動と同時に、出版社漉林書房の発行人として、多くの詩人の詩書を刊行しており、現在も詩誌『操車場 詩と評論』を編集・発行し、闘病の記録「末期癌日記」を連載している。
近藤健彦(こんどう たけひこ、1941年10月19日 - )… 近藤健彦(こんどう たけひこ、1941年10月19日 - )は日本の大蔵官僚。 新潟県柏崎市出身(父母も新潟県)。柏崎市立第二中学校、新潟県立柏崎高等学校、京都大学法学部卒業。京大法学部在学中に国家公務員上級甲種試験(行政)と外交官試験に合格。1965年 大蔵省入省(主税局国際租税課)。1969年 グルノーブル大学法律経済学部大学院修士課程修了。法学修士修得。1970年7月 浜松税務署長。1989年6月23日 関税局総務課長。1990年6月29日 横浜税関長。1991年6月11日 大臣官房審議官(関税局担当)。1992年6月26日 退官。同年7月 日本貿易振興会(JETRO)理事(アジア地域担当)(〜1998年)。
矢田 俊文(やだ としふみ、1941年9月25日 - )は、… 矢田 俊文(やだ としふみ、1941年9月25日 - )は、日本の経済地理学者、九州大学名誉教授、北九州市立大学名誉教授。石炭産業を対象とした実証的研究を行なう一方、経済活動の空間的展開について地域構造論を提唱した。 新潟県新津市出身。1959年、新潟県立新津高等学校を卒業後、1960年に東京大学に入学(理科II類)し、教養学部教養学科に進んで人文地理学を専攻して、1964年に卒業した。1970年、東京大学大学院理学系研究科博士課程を単位取得退学し、翌1971年に「エネルギー転換期における石炭生産配置の展開 : とくに資源条件との関連」により、東京大学より理学博士を取得した。 1970年に法政大学経済学部助手となり、1971年に講師、1972年に助教授、1979年に教授。
山田 紀之(やまだ のりゆき、1941年(昭和16年)9月1… 山田 紀之(やまだ のりゆき、1941年(昭和16年)9月15日 - 2018年(平成30年)12月7日)は、日本の政治家。新潟県糸魚川市長(1期)。位階は従五位。旭日小綬章。 新潟県糸魚川市出身。法政大学法学部卒。糸魚川市議会議員、同議長を務め、1997年糸魚川市長選挙に立候補し、初当選する。市長を1期務め、2001年の市長選に立候補し、再選をめざしたが、元糸魚川市議の吉岡静夫に敗れた。2011年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。2018年に死去した。死没日付をもって叙従五位。
宮越 馨(みやこし かおる、1941年〈昭和16年〉9月14… 宮越 馨(みやこし かおる、1941年〈昭和16年〉9月14日 ‐ )は、日本の政治家。元上越市議会議員(2期)、元新潟県議会議員(1期)、元上越市長(2期)、元官僚(大蔵省主計局主査など歴任)。 新潟県旧高田市出身。新潟県立高田高等学校、中央大学商学部卒業。 大蔵省を退官後、渡辺美智雄の秘書を8年務めながら、衆院選に3度出馬 したものの、いずれも落選した。宮越が出馬した旧新潟県第4区は、定数2を自民党の高鳥修と当時同じく自民党だった白川勝彦、さらに社会党(当時)の筒井信隆の3人が激しく争っており、宮越はこの3度の選挙全てで4位に終わった。 3度目の落選直後の1993年11月より出身地の上越市長に就任。
大倉 修吾(おおくら しゅうご、1941年〈昭和16年〉9月… 大倉 修吾(おおくら しゅうご、1941年〈昭和16年〉9月8日 - 2016年〈平成28年〉7月22日)は、新潟県を中心に活動していたラジオパーソナリティ、ローカルタレント。血液型はO型。 新潟県中蒲原郡五泉町(現五泉市)出身。医師一家に男4人兄弟の末っ子として生まれた。新潟県立村松高等学校を経て國學院大學文学部を卒業後、1964年春、新潟放送(BSN)に入社した。 BSN入社後は報道記者やラジオ番組のディレクターなどを歴任したが、ディレクターとして担当していたあるラジオ番組のパーソナリティが急病で出演できない状態になり、代役もスタンバイできなかった事から、上司の指示で大倉自身が急遽パーソナリティを務める事になった。
波形 昭一(なみかた しょういち、1941年5月9日 - 2… 波形 昭一(なみかた しょういち、1941年5月9日 - 2020年12月12日)は、日本の経済学者、獨協大学名誉教授。 新潟県十日町市生まれ。1965年早稲田大学第一商学部卒業、1970年同大学大学院商学研究科博士課程満期修了、1987年「日本植民地金融政策史の研究」で商学博士(早稲田大学)。1970年獨協大学経済学部講師、1975年助教授、1982年教授。2012年定年、名誉教授。
松井 啓(まつい あきら、1941年 - )は、日本の外交官… 松井 啓(まつい あきら、1941年 - )は、日本の外交官。初代駐カザフスタン特命全権大使、駐ブルガリア特命全権大使、駐ナイジェリア特命全権大使等を歴任。ブルガリ共和国スターラ・プラニナ第一等受章。 新潟県長岡市生まれ。1959年新潟県立新潟高等学校卒業。1965年一橋大学法学部卒業、外務省入省。同年イギリス陸軍教育学校留学。1966年ロンドン大学留学。1967年度には在ソ連邦日本国大使館とソ連邦対外文化連絡国家委員会の合意に基づき、宮鍋幟や茂田宏らとモスクワ大学派遣研究員を務めた。 外務大臣官房領事移住部領事第一課長等を経て、1993年初代駐カザフスタン特命全権大使。1996年からは国立国会図書館調査立法考査局専門調査員(外交・防衛担当)を務め国会議員らの図書館利用状況の調査等にあたった。
名倉加代子(なくら かよこ、1940年10月29日 - )は… 名倉加代子(なくら かよこ、1940年10月29日 - )は、日本の振付家。日本ジャズダンス芸術協会専務理事、日本振付家協会理事、名倉ジャズダンススタジオ主宰。新潟県新潟市出身。 四人姉妹の次女として新潟県新潟市で生まれる。 新潟大学教育学部附属新潟小学校在学中に銀行員だった父親の転勤で福井県福井市に転居。 12歳で竹部玲子バレエ団に入り、ダンスを始める。1959年、福井県立藤島高等学校卒業後に姉妹3人で上京。竹部玲子バレエ団に在籍しながらショー番組やステージに出演する。1960年、当時、日本テレビのディレクターだった井原髙忠が結成したスタジオNo.1ダンサーズ初代メンバーの一員となり、『シャボン玉ホリデー』などテレビや舞台に出演する。
新関 公子(にいぜき きみこ、1940年10月10日 - )… 新関 公子(にいぜき きみこ、1940年10月10日 - )は、日本の美術史学者、東京藝術大学名誉教授。 1940年新潟県長岡市生まれ。1959年新潟県立柏崎高等学校卒業。1963年東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。1965年同大学院修士課程修了、東京芸大付属芸術資料館(現東京芸術大学美術館)に勤務(-1974年)。 1968年フランス政府給費留学生としてエコール・デュ・ルーヴルで博物館学研修を受ける。1982-1987年横浜市美術館開設準備室勤務。2002年東京芸大美術館教授、2008年退任、名誉教授。2012年『ゴッホ 契約の兄弟』で吉田秀和賞受賞。
島倉 二千六(しまくら ふちむ、1940年〈昭和15年〉10… 島倉 二千六(しまくら ふちむ、1940年〈昭和15年〉10月5日 - )は、日本の特撮映画の背景専門の絵描き。雲の表現に定評があり、雲の神様と称される。立花隆の住居「猫ビル」に黒猫を描いた人物としても知られる。別名・島倉仁。新潟県水原町出身。 幼少期より絵が得意で、中学のときに新潟県の展覧会に入選、以後、文部大臣賞、郵政大臣賞受賞。中学校卒業後に看板屋で務めた後、兄の誘いで1957年に上京し独立プロへ入社。1958年の映画『怒りの孤島』から背景美術に携わる。1959年に映画『日本誕生』の現場を見学した際に特撮技術課長の末安昌美から誘いを受け、1960年に東宝の契約社員となった。当初は合成作画を担当し、『宇宙大戦争』(1959年)より鈴木福太郎の助手として背景美術を手掛ける。
五十嵐 基(いがらし もとい、1940年(昭和15年)8月1… 五十嵐 基(いがらし もとい、1940年(昭和15年)8月14日 - )は、日本の政治家。元新潟県五泉市長。 五泉市出身。五泉市立五泉実業高等学校卒業。 五泉市議会議員2期を経て、1987年(昭和62年)新潟県議会議員に当選。3期務めた。 1998年(平成10年)五泉市長に当選し、同年3月から2010年(平成22年)1月まで務めた。
サンダー杉山(サンダーすぎやま / Thunder Sugi… サンダー杉山(サンダーすぎやま / Thunder Sugiyama、本名:杉山 恒治 / すぎやま つねはる、1940年7月23日 - 2002年11月22日)は、日本のプロレスラー、アマチュアレスリング選手。 新潟県糸魚川市出身。明治大学農学部農業経済学科卒業。第2代IWA世界ヘビー級王者、第3代第7代IWA世界タッグ王者。レスリングで1964年東京オリンピックに出場後、プロレスラーに転向。現役引退後はタレント活動の他、実業家としても成功した。一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構では、連絡先を求めている。 東海高校から同志社大学に入学して柔道部に所属していたが、1年の終わりに部を辞めている。
愛田 武(あいだ たけし、本名:榎本 武(えのもと たけし)… 愛田 武(あいだ たけし、本名:榎本 武(えのもと たけし)、1940年7月1日 - 2018年10月25日)は、日本の実業家。愛田観光株式会社元代表取締役社長。歌舞伎町ホストクラブ協力会初代会長。 源氏名は大ファンであった歌手の愛田健二に因む。 この項目は、性風俗関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:性/PJ:性)。
斎藤 惇夫(さいとう あつお、1940年6月20日 - )は… 斎藤 惇夫(さいとう あつお、1940年6月20日 - )は、日本の児童文学作家、編集者。 1940年に新潟県新潟市に生まれる。小学校から高校卒業までを長岡市で過ごす。新潟大学教育学部附属長岡小学校、新潟県立長岡高等学校を卒業後、立教大学法学部法学科に進学。60年安保闘争に参加。同大卒業後、大手電機メーカーに勤務した。 その後、福音館書店編集部に勤務。長年にわたり児童書籍の編集に携わる。同社編集担当取締役となった。 1970年の処女作『グリックの冒険』で、翌年に日本児童文学者協会新人賞を受賞。 1972年の『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』で、国際児童年特別アンデルセン賞優良作品に選出。 1983年には、『ガンバとカワウソの冒険』で野間児童文芸賞を受賞した。
鶴橋 康夫(つるはし やすお、1940年1月15日 - 20… 鶴橋 康夫(つるはし やすお、1940年1月15日 - 2023年10月9日)は、日本のテレビディレクター・映画監督。本名:倉田 康夫(くらた やすお)。新潟県村上市出身。長男は、ドラマ制作を手がける日本テレビ社員・倉田貴也。 兄妹は自身を含め2男1女で、弟は新潟日報編集委員。出生名は鶴橋康夫であるが、婿取婚であるために改姓している。 新潟県立村上高等学校、中央大学法学部卒業。当初は新聞社志望だったが、読売新聞記者だった伊藤一男に讀賣テレビ入社を勧められる。 1962年、讀賣テレビ放送(読売テレビ)入社。東京支社制作部に所属し、一貫してドラマ演出を手がける。 社会派ドラマの名手として知られ、特に「木曜ゴールデンドラマ」枠における単発作品群で数多くの賞を獲得したことから「芸術祭男」の異名を取る。
田邊徹美(たねべ てつみ 1940年1月生まれ)新発田市五十… 田邊徹美(たねべ てつみ 1940年1月生まれ)新発田市五十公野出身。新発田高卒(第10回)→東京大学理学部(院も)卒。専門「物性」。京大理学博士。1993年高エネルギー加速器科学研究奨励賞、1994年仁科記念賞、受賞。
中矢 一義(なかや かずよし、1940年 - )は、日本の文… 中矢 一義(なかや かずよし、1940年 - )は、日本の文化学者、音楽評論家、慶應義塾大学名誉教授。専門は18世紀英国芸能史。 新潟県新潟市出身。新潟県立新潟高等学校を経て、1962年東京外国語大学英米科卒業、1968年東京都立大学 (1949-2011)人文科学研究科博士課程中退、同大学英文研究室助手、1969年國學院大學専任講師、1973年慶應義塾大学法学部専任講師、1979年助教授、1986年教授、2005年定年退職、名誉教授。 1996年 - 2002年長岡リリックホール館長。国際音楽フェスティヴァル、オペラなどの総合プロデュースを多数手がけた。雑誌に多くの音楽評を書いた。
大矢十四彦(おおや としひこ、 1940年- )は、新潟県長… 大矢十四彦(おおや としひこ、 1940年- )は、新潟県長岡市出身の日本画家。富貴蘭、芙蓉、花菖蒲、牡丹など花をモチーフとした作品を発表している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術)。
岡田 幹治(おかだ もとはる、1940年 - 2021年7月… 岡田 幹治(おかだ もとはる、1940年 - 2021年7月21日)は、日本のジャーナリスト・ノンフィクション作家。 元朝日新聞論説委員、元朝日ニュースター(CS放送)キャスター、元『週刊金曜日』編集長。 新潟県高田市(現・上越市)生まれ。1959年新潟県立高田高等学校卒業。 1964年、一橋大学社会学部を卒業後、朝日新聞社に入社。1979年にワシントン特派員を経て、1988年に朝日新聞論説委員となる。2000年、同社を定年退社。『週刊金曜日』編集長を経て、フリージャーナリストに転身した。現在は、食の安全や公共事業、日本経済を主なテーマにして、市民の立場から取材・執筆・講演活動をしている。 FSN(食の安全を考えるネットワーク)理事のほか、上智大学や法政大学の講師、東京経済大学の非常勤講師も務めている。
吉田 六左エ門(よしだ ろくざえもん、1939年(昭和14年… 吉田 六左エ門(よしだ ろくざえもん、1939年(昭和14年)12月15日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の元衆議院議員(3期)。
川口 徳一(かわぐち とくいち、1939年(昭和14年)11… 川口 徳一(かわぐち とくいち、1939年(昭和14年)11月8日 - )は、日本の政治家。元新潟県両津市(現・佐渡市)長(3期)。 新潟県佐渡郡両津町(のち両津市、現・佐渡市)出身。1958年、新潟県立両津高等学校卒。地元の漁業協同組合に入り、参事を務める。1995年の両津市長選挙に立候補し初当選する。1999年、2003年と続けて当選した。2004年に両津市は合併で佐渡市となり、合併後の佐渡市長選挙に立候補したが、元真野町長の高野宏一郎に敗れた。4年後の佐渡市長選挙に再び立候補したが落選した。
星野 伊佐夫(ほしの いさお、1939年6月27日 - )は… 星野 伊佐夫(ほしの いさお、1939年6月27日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日中綬章。 新潟県長岡市・三島郡選挙区選出の新潟県議会議員(12期)、新潟県議会議長、新潟県議会副議長、自由民主党新潟県連会長、自由民主党新潟県連常任顧問、自由民主党長岡支部長などを歴任した。 新潟県長岡市に生まれる[要出典]。1958年(昭和33年)3月、新潟県立長岡商業高等学校卒業。 1978年(昭和53年)4月、新潟県議会議員補欠選挙に立候補し初当選(1期)。越山会青年部長、越山会県議団長などを務める。 1991年(平成3年)5月16日、新潟県議会副議長に就任。 1996年(平成8年)7月12日、新潟県議会議長に就任。
中村 健之介(なかむら けんのすけ、1939年6月24日 -… 中村 健之介(なかむら けんのすけ、1939年6月24日 - 2022年9月22日)は、日本のロシア文学研究者。北海道大学名誉教授。新潟県三条市出身。 国際基督教大学教養学部卒業、東京大学大学院比較文学比較文化博士課程中退、北海道大学助教授、教授を経て1995年より東京大学教養学部教授、2000年定年退官後は大妻女子大学比較文化学部教授、2010年定年退任。 もっぱらドストエフスキー研究に専念してきたが、近年は宣教師ニコライ・カサートキンとその周辺の研究で業績を挙げた。2007年、『宣教師ニコライの全日記』(監訳)で日本翻訳出版文化賞受賞。明治大学教授(英語圏文学)の中村和恵は長女。 2022年9月22日午前4時2分、肺炎のため兵庫県の病院で死去。
髙野 宏一郎(たかの こういちろう、1939年4月27日 -… 髙野 宏一郎(たかの こういちろう、1939年4月27日 - )は、日本の政治家。初代新潟県佐渡市長(2期)。 新潟県佐渡市出身。慶應義塾大学商学部卒業。 佐渡テレビジョン代表取締役社長、マルゴ味噌代表取締役社長等を経て、2000年真野町長に就任。 2004年佐渡市初代市長に就任。2期8年務め、2012年任期満了に伴い退任。 現在は「曽我さん母娘を救う会」顧問を務める。
村田 耕一(むらた こういち、本名:村田 清照(むらた きよ… 村田 耕一(むらた こういち、本名:村田 清照(むらた きよてる)、1939年4月5日 - 2006年11月7日)は、日本のアニメーター。有限会社オープロダクション代表取締役。新潟県柏崎市出身。 1970年5月、塩山紀生、小松原一男、米川功真と共にOH!プロダクション(以下、OH!プロ)を設立する。OH!プロでは、東映動画班と東京ムービーの子会社であったAプロダクション班(現在のシンエイ動画の前身)に分かれて二社の作品を製作していたが、村田はAプロ班の中心アニメーターとして、原画、作画監督などを務め、多くの作品に取り組んだ。また、OH!プロ代表取締役として同社の経営に当たった。 村田はAプロ班のアニメーターとして同社の作品にかかわる中で、高畑勲、宮崎駿らと深い関係を築き、二人の作るアニメ映画やテレビアニメに参加し、作画監督として活躍した。
瀧澤 美恵子(たきざわ みえこ、1939年3月1日 -202… 瀧澤 美恵子(たきざわ みえこ、1939年3月1日 -2020年8月9日)は、日本の小説家。 新潟県中蒲原郡村松町出身。旧本名・岡村美枝子。新潟県立村松高等学校卒業、1960年東京外国語大学外国語学部中国語学科中退。1961年日産汽船入社、1964年マーシュ・アンド・マクレナン勤務。1980年滝澤淳と結婚。81年退社し専業主婦となる。1987年朝日カルチャーセンターの駒田信二の小説教室に入る。1989年「ネコババのいる町で」で第69回文學界新人賞受賞。1990年「ネコババのいる町で」で第102回芥川龍之介賞受賞。
猪俣 博(いのまた ひろし、1938年12月4日 - )は、… 猪俣 博(いのまた ひろし、1938年12月4日 - )は、日本の技術者、実業家。日立メディコ代表取締役社長や、同社取締役会長、日本医療機器産業連合会副会長、日本画像医療システム工業会会長などを歴任した。 新潟県長岡市出身。1961年新潟大学工学部電気工学科卒業、日立製作所入社、那珂工場配属。1980年日立製作所那珂工場医用機器設計部長。1991年日立製作所那珂工場長。1995年日立製作所計測器事業部長。1997年日立製作所取締役計測器事業部長。1999年日立製作所上席常務取締役計測器グループ長&CEO。2001年日立メディコ代表取締役社長。2005年日立メディコ取締役会長。2006年日本画像医療システム工業会会長、日本医療機器産業連合会副会長。
渡辺 惇夫(わたなべ あつお、別表記:渡邉 惇夫、1938年… 渡辺 惇夫(わたなべ あつお、別表記:渡邉 惇夫、1938年〈昭和13年〉11月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。第84代新潟県議会議長、新潟県議会議員(9期)、新潟市議会議員(2期)。 1957年(昭和32年)、新潟明訓高等学校卒業。中央大学法学部卒業。1979年(昭和54年)の新潟市議会議員選挙に無所属で立候補して、初当選を果たした。同年5月2日に就任した。1983年(昭和58年)の選挙では自由民主党公認で立候補して、再選を果たした。1987年(昭和62年)の新潟県議会議員選挙に新潟市選挙区から、自民党公認で立候補して初当選を果たした。1991年(平成3年)の県議選で再選を果たした。
渡辺 俊一(わたなべ しゅんいち、1938年11月7日 - … 渡辺 俊一(わたなべ しゅんいち、1938年11月7日 - 2024年8月13日)は、日本の建築学者。工学博士(東京大学)。専門は比較都市計画研究。東京理科大学名誉教授。 東京都生まれ。新潟県立三条高等学校を経て、1961年東京大学工学部建築学科卒業、1964年ハーバード大学大学院修了。1965年東京大学助手、1978年建設省建築研究所勤務などを経て、1990年から東京理科大学理工学部教授。シェフィールド大学、カリフォルニア大学、ミシガン州立大学、ワシントン大学、国立台湾大学、韓国開発研究院で客員教授等を歴任した。
汐澤 安彦(しおざわ やすひこ、1938年9月3日 - 20… 汐澤 安彦(しおざわ やすひこ、1938年9月3日 - 2025年1月7日)は、日本の指揮者。新潟県上越市出身、東京吹奏楽団名誉指揮者、東京音楽大学名誉教授。本名、飯吉靖彦。 これまで、新星日本交響楽団など全国各主要オーケストラを指揮しているが、特に吹奏楽での活動が顕著であり、東京吹奏楽団、シエナ・ウインド・オーケストラ、東京佼成ウインドオーケストラ、東京アカデミック・ウインドオーケストラ(現:ジャパンスーパーバンド)、フィルハーモニア・ウィンド・アンサンブル(現:ニューフィルハーモニア・ウィンド・オーケストラ)、東京音楽大学シンフォニックウインドアンサンブル、その他多くのアマチュア吹奏楽団を指揮し、演奏会、録音など幅広く演奏活動を行った。
湯川 豊(ゆかわ ゆたか、1938年8月16日 ‐ )は、日… 湯川 豊(ゆかわ ゆたか、1938年8月16日 ‐ )は、日本の編集者、評論家、エッセイスト、元京都造形芸術大学教授。
青木 太一郎(あおき たいちろう、1938年〈昭和13年〉7… 青木 太一郎(あおき たいちろう、1938年〈昭和13年〉7月2日 - )は、新潟県新潟市西区出身の政治家。新潟県立新潟南高等学校卒業、東京農業大学修了。新潟県議会議員(7期)、黒埼町長(1期)、黒埼町議会議員を歴任した。勲等は旭日中綬章。 新潟県立新潟南高等学校を卒業後、家業の農業に従事する傍ら、村の青年団に入り、後に団長を務める。1958年(昭和33年)に東京農業大学農学部を通信制で修了。1971年(昭和46年)から黒埼町議会議員を務め、3期目途中で辞任し、1981年(昭和56年)に行われた黒埼町長選に出馬。当時の浅妻茂一郎町長に挑んだが、落選。4年後の町長選では同じ顔合わせになり、7443票を集めて当選する。
大島 康邦(おおしま やすくに、1938年6月8日 - )は… 大島 康邦(おおしま やすくに、1938年6月8日 - )は元バスケットボール選手。 1938年、新潟県生まれ。新潟市立鳥屋野中学校に入学し、バスケットボールを始める。新潟県立新潟南高等学校3年のとき、県大会決勝まで進む。新潟県立新発田商工高等学校を相手にチームの総得点51点のうち32点を入れたものの、惜敗。 1957年、立教大学に進学。立教大学の黄金時代を担うプレーヤーとなり、主将を務めた4年時には1960年ローマオリンピック大会の代表に選出される。 1961年日本鉱業に入社し、9シーズンプレー。日本鉱業の黄金時代のプレーヤーであり、オールジャパン4連覇のメンバーである。 引退後は、ペルー・フィリピンに駐在。
星野 壽市(ほしの じゅいち、1938年5月20日 - )は… 星野 壽市(ほしの じゅいち、1938年5月20日 - )は、日本の実業家、馬主。 鉄のスクラップ加工、産業廃棄物処理などを手がける三栄商事株式会社代表取締役会長を務める。 星野 寿市とも表記される。 新潟県三条市出身。高校卒業後、群馬県高崎市のスクラップ屋に勤める。一度新潟県に戻ったのち、1964年に26歳で高崎市堰代町に三栄商事を起業した。2020年2月、社長職を長男の佑介に譲り、代表取締役会長となる。 日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は黒、水色十字襷、袖水色縦縞で、冠名は特に用いないが、所有馬に「上毛かるた」のフレーズを使用していることで知られる。 三条市出身ということもあり、三条競馬場には父に連れられよく訪れていたという。
神林 恒道(かんばやし つねみち、1938年4月19日 - … 神林 恒道(かんばやし つねみち、1938年4月19日 - 2025年12月16日)は、日本の美学者。大阪大学名誉教授。元美学会会長。専門はドイツ・ロマン主義、近代日本の芸術。日本美術教育学会会長。新潟市會津八一記念館館長。日本フェノロサ学会会長。 新潟市出身。新潟県立新潟高等学校、京都大学文学部卒業。1967年同大学院美学専攻博士課程中退。1996年「シェリングとその時代―ロマン主義美学の研究」で文学博士(大阪大学)。帝塚山学院大学助教授、1974年大阪大学文学部助教授、1989年教授。2002年定年退官、名誉教授、立命館大学先端総合学術研究科教授。2009年退職。 2025年12月16日、病気のため大阪府高槻市の病院で死去。
三澤 千代治(みさわ ちよじ、1938年3月29日 - )は… 三澤 千代治(みさわ ちよじ、1938年3月29日 - )は、日本の実業家。MISAWA・international株式会社代表取締役社長。(現)株式会社MISAWA代表取締役会長。 実業活動と並行して積極的に執筆活動を行っており、著書も数多い。 1938年3月29日、新潟県中魚沼郡十日町(現在の十日町市)土市に生まれる。新潟県立十日町高等学校卒業後、進学に伴い上京し、日本大学理工学部建築学科において建築工学を学んだ。 1967年、ミサワホームを創業した。ミサワホームは短期間で順調に業績を伸ばし、1971年に上場を果たす。上場企業の代表取締役としては、史上最年少であった。 耐久性やデザイン性に優れた商品開発を進めるなど、積極的な事業展開を行った。
乙川 弘文(おとがわ こうぶん、英語: Kōbun Chin… 乙川 弘文(おとがわ こうぶん、英語: Kōbun Chino Otogawa、1938年2月1日 - 2002年7月26日)は、アメリカで活躍した日本の曹洞宗の禅僧。別姓:知野(ちの)。道号は鳳雲。新潟県加茂市出身。 アメリカ合衆国カリフォルニア州で活動し、Apple社のスティーブ・ジョブズとの交流でも知られた。 新潟県加茂市の曹洞宗「定光寺」の三男として生まれる。1951年に13歳で乙川瑾映(のちの大本山總持寺独住20世貫首)に就いて得度。1960年、駒澤大学仏教学部卒業。1964年に京都大学大学院文学研究科で長尾雅人に師事して修士号(大乗仏教)を取得した。大学院在学中に地域の同宗派寺院耕泰寺の養子になり、知野に改姓。