永井 克孝(ながい よしたか、1931年〈昭和6年〉9月7日… 永井 克孝(ながい よしたか、1931年〈昭和6年〉9月7日 - 2014年〈平成26年〉6月23日)は、日本の生化学者。理学博士、医学博士。東京大学名誉教授、理化学研究所名誉研究員。専門は糖鎖生物学。 新潟県新潟市出身。1950年(昭和25年)3月に新潟高等学校を卒業、4月に東京大学に入学、木村雄吉と前田護郎に師事、1954年(昭和29年)3月に東京大学教養学部教養学科を卒業。 1958年(昭和33年)4月に東京大学伝染病研究所助手に就任、山川民夫に師事、1963年(昭和38年)4月に東京大学教養学部助手に就任、12月に東京大学から理学博士の学位を取得。 1966年(昭和41年)4月に東京大学教養学部助教授に就任、1968年(昭和43年)4月に東京大学医科学研究所細胞化学研究部助教授に就任、1974年(昭和49年)4月に東京都老人総合研究所生化学部部長に就任。
石塚 英夫(いしづか ひでお、1931年〈昭和6年〉8月14… 石塚 英夫(いしづか ひでお、1931年〈昭和6年〉8月14日 - 2009年〈平成21年〉11月11日)は、新潟県佐渡郡赤泊村(現在の佐渡市)長。 新潟県出身。赤泊小学校、新潟県立加茂農林高等学校卒。地元の青年団で活動し、1963年赤泊村議会議員となり、のちに議長となる。 1972年9月25日から2004年2月29日(合併による佐渡市誕生)まで赤泊村長を8期務める。在任中は県治山林道協会評議員、同砂防協会理事、全国離島振興協議会理事、佐渡治山林道協会会長などを務める。 2009年11月11日午後5時15分頃、佐渡市徳和の県道を歩いていたところ、軽乗用車にはねられ、全身を強く打って間もなく死亡、78歳。
寺田 ヒロオ(てらだ ヒロオ、本名:寺田 博雄、1931年(… 寺田 ヒロオ(てらだ ヒロオ、本名:寺田 博雄、1931年(昭和6年)8月4日 - 1992年(平成4年)9月24日)は、日本の漫画家。新潟県西蒲原郡巻町(現:新潟市西蒲区)生まれ、同県新発田市育ち。男性。新漫画党総裁。愛称は「テラ(寺)さん」。 伝説的な「トキワ荘」でのリーダー格で、特に藤子不二雄Ⓐの自伝的漫画『まんが道』で、頼もしくて理想的な先輩として描かれた。妻は作曲家・中村八大の実妹。 父親は軍人で、5人兄弟の3男だった。新潟県立新発田高等学校時代に野球部に所属する。同時期に少年漫画雑誌『漫画少年』と出会い、漫画投稿を始める。卒業後は知人の紹介で地元警察の事務職へ就職するが、電電公社(現:NTT)の電報電話局に転職。
本田 欣二郎(ほんだ きんじろう、1931年(昭和6年)6月… 本田 欣二郎(ほんだ きんじろう、1931年(昭和6年)6月18日 - )は、日本の政治家。元新潟県十日町市長(2期)。 現在の新潟県十日町市出身。新潟県立十日町高等学校卒。卒業後は十日町役場に入り、総務部長、助役などを務める。1989年の十日町市長選挙に立候補するが落選。1993年の市長選挙に立候補し、初当選。1997年の市長選挙では元十日町市議会議員の滝沢信一を破って再選する。市長を2期務め、2001年の市長選挙で三選を目指したが、再び立候補した滝沢信一に敗れた。
後藤 鉄男(ごとう てつお、1931年6月5日- 1982年… 後藤 鉄男(ごとう てつお、1931年6月5日- 1982年12月16日)は、日本の物理学者(素粒子論・場の量子論)。1970年に南部陽一郎が弦理論を提唱した後、南部と独立に南部-後藤のラグランジアン(南部=後藤作用)を提案した。 新潟県出身。旧制佐渡中学(現・新潟県立佐渡高等学校)、旧制新潟高等学校を経て新潟大学医学部に入学。後に理学部に転科した。 1958年大阪大学博士課程修了、日本大学理工学部教授となった。肺癌のため51歳で死去。
森田 桐郎(もりた きりろう、1931年4月24日 - 19… 森田 桐郎(もりた きりろう、1931年4月24日 - 1996年4月24日)は、日本の国際経済学者。元東京大学経済学部教授・東京大学名誉教授。
若山 三郎(わかやま さぶろう、1931年3月16日 - 2… 若山 三郎(わかやま さぶろう、1931年3月16日 - 2009年10月1日)は日本の小説家。 1931年3月16日、新潟県刈羽郡高柳町(現柏崎市)出身。 日本作家クラブ理事長。日本文芸家協会会員。 新潟県立柏崎高等学校卒業、明治大学政治経済学部中退。 1951年から日本製鋼と西松建設の嘱託通訳を務める。 1953年から1963年まで在日米軍で特殊通訳を務める。消防署に詰めて、消防隊や救急隊が出動した時、当該事件の内容を英語で米軍に説明する仕事だった。このころ、勤務の合間に小説を執筆。 1961年、『国際仲人』によって『講談倶楽部』奨励賞を受ける(この時の同期に太田久行こと童門冬二がいた)。 1963年に米軍通訳を辞して文筆一本の生活に入る。
伴 昭彦(ばん あきひこ、1931年2月2日 - 2023年… 伴 昭彦(ばん あきひこ、1931年2月2日 - 2023年12月4日)とは、日本の弁護士。新潟県弁護士会会長、日本弁護士連合会常務理事、新潟明訓高等学校理事長を務めた。新潟県新潟市出身。
磯部 定治(いそべ さだじ、1931年- )は、新潟県の地方… 磯部 定治(いそべ さだじ、1931年- )は、新潟県の地方史・文学研究家。 新潟県小出町(現魚沼市)に生まれる。1952年新潟県立小千谷高等学校小出分校(後の新潟県立小出高等学校)卒。同年、越南タイムズ社入社、92年同社退社。
眞保 亨(しんぼ とおる、1931年 - 2024年)は、日… 眞保 亨(しんぼ とおる、1931年 - 2024年)は、日本の美術史学者(日本美術史)。 新潟市生まれ。1955年東京教育大学を卒業。文化庁主任文化財調査官、東京国立文化財研究所美術部長、筑波大学教授・同芸術学研究科長・同芸術学系長・同芸術専門学群長、東京家政学院大学教授・同生活文化博物館長を歴任。筑波大学名誉教授。芸術学博士。 2024年3月に死去したことが、2025年3月発行の「芸叢 第40号」内で発表された。享年93歳。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
杉 みき子(すぎ みきこ、1930年〈昭和5年〉12月25日… 杉 みき子(すぎ みきこ、1930年〈昭和5年〉12月25日 - )は日本の児童文学作家である。新潟県高田市(現:上越市)出身。本名は小寺佐和子。日本児童文学者協会会員、短歌誌「北潮」会員などを務めていた。 新潟県高田市寺町に生まれ当地で育つ。父は電気技師だった。高田高等女学校(現:新潟県立高田北城高校)、長野女子専門学校国語科(後の長野短期大学)卒業。父親が円本全集を買い集めていたこともあり、幼少期から本を愛好した。7歳時に母校の上越市立大手町小学校の先輩にあたる小川未明の存在を知り、感銘を受けたことをきっかけに児童文学を志すようになる。 1945年(昭和20年)に学徒動員で市内川端工場で働く。
本宮 哲郎(もとみや てつろう、1930年11月17日 - … 本宮 哲郎(もとみや てつろう、1930年11月17日 - 2013年12月18日)は、新潟県出身の俳人。小池村(現燕市)生。1948年、「雲母」入会、飯田蛇笏、飯田龍太に師事。1970年、「河」入会。1981年、齋藤美規の「麓」創刊より参加。1985年、河賞。1986年、「雪国雑唱」50句により第1回俳句研究賞受賞。1988年、麓賞受賞。2000年、『日本海』により第40回俳人協会賞受賞。「河」「麓」同人。代表句に「花冷えの田より抜きたる足二本」など。新潟の風土を叙情豊かに詠む。句集に『雪嶺』『信濃川』『日本海』他。2013年12月18日、胃癌により死去。83歳。
志賀 浩二(しが こうじ、1930年〈昭和5年〉10月8日 … 志賀 浩二(しが こうじ、1930年〈昭和5年〉10月8日 - 2024年〈令和6年〉2月17日)は、日本の数学者。理学博士(東京大学・論文博士・1964年)。東京工業大学名誉教授。専門は微分位相幾何学、数学教育。 新潟県新潟市出身。1949年(昭和24年)3月に新潟県立新潟高等学校を卒業、4月に官立新潟高等学校に入学、5月に新潟大学が発足して官立新潟高等学校は新潟大学新潟高等学校となった。 1950年(昭和25年)3月に新潟大学新潟高等学校は廃校となり、4月に志賀浩二は否応なしに新潟大学理学部数学科の学生となった。 1953年(昭和28年)に新潟大学を卒業、東京大学大学院数物系研究科数学専攻修士課程に入学、矢野健太郎に師事、1955年(昭和30年)に修了。
佐藤 忠男(さとう ただお、1930年10月6日 - )は、… 佐藤 忠男(さとう ただお、1930年10月6日 - )は、日本の映画評論家・教育評論家。日本映画大学名誉学長。本名、飯利忠男。
齋藤 史郎(さいとう しろう、1930年9月16日 - 20… 齋藤 史郎(さいとう しろう、1930年9月16日 - 2016年2月19日)は、日本の医学者。徳島大学名誉教授。徳島健祥会福祉専門学校校長。 新潟県三条市出身。1959年に東京大学大学院生物系研究科第一臨床医学専門課程博士課程を修了。東京大学医学部付属病院助手などを経て、1981年に徳島大学医学部教授となり、付属病院長、1992年に医学部長を歴任、1996年3月に退官した。1997年に同大学学長に就任し、その間に徳島大学埋蔵文化財調査委員長などを歴任した。2003年に同大学学長を退任し、同年4月に徳島健祥会福祉専門学校校長に就任。2007年、瑞宝重光章受章。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
近藤 元次(こんどう もとじ、1930年(昭和5年)6月20… 近藤 元次(こんどう もとじ、1930年(昭和5年)6月20日 - 1994年(平成6年)2月16日)は、日本の政治家。位階は従三位勲一等、勲章は瑞宝章 農林水産大臣、衆議院議員(6期・自由民主党)を歴任した。息子は元自民党衆議院議員の近藤基彦。 新潟県佐渡郡相川町出身。新潟県立新潟工業高等学校を経て日本大学理工学部卒業。 相川町議会議員、新潟県議会議員を経て、1979年の第35回衆議院議員総選挙に旧新潟1区からに立候補し初当選(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・畑英次郎・麻生太郎・小里貞利・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田愰・宮下創平・亀井善之・船田元など)。連続当選6回。 自民党内では宏池会(大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一派)に所属。
高島 準司(たかしま じゅんじ、1930年4月11日 - 2… 高島 準司(たかしま じゅんじ、1930年4月11日 - 2019年9月25日)は、日本の実業家。住友不動産社長を務めた。 新潟県三島郡出雲崎町出身。1954年に東京大学法学部を卒業。 住友石炭鉱業での勤務を経て、1971年9月に住友不動産に転職。1979年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1994年6月には社長に昇格。2007年6月には会長に就任。社長在職中は、バブル崩壊で悪化した財務体質の改善に全力を尽くした。 2019年9月25日、心不全のために死去。89歳没。
多田 雄幸(ただ ゆうこう、1930年4月10日 - 199… 多田 雄幸(ただ ゆうこう、1930年4月10日 - 1991年3月8日〈60歳没〉)は、日本のヨットマン。新潟県出身。 史上初の世界一周単独ヨットレース「アラウンド・アローン(BOCレース(英語版))」クラスIIの優勝者。 1930年、新潟県長岡市生まれ。 新潟県立長岡中学校時代、グライダー部に所属、3級滑空士の資格を得た。3年生のとき、志願して予科練に入るが、戦争は末期、飛行機も壊滅状態で飛行訓練もできなかった。戦後、解体中の焼夷弾の不発弾が爆発し、右手などを負傷。 旧制新潟高等学校に入学。絵画や陶器に親しむ。卒業後、実家の商売を手伝い、衣類の行商を行う。 上京し、世田谷交通のタクシー運転手を経て、個人タクシー運転手となる。
坂井洲二(さかい しゅうじ、1930年-) 日本の民俗学者… 坂井洲二(さかい しゅうじ、1930年-) 日本の民俗学者 、ドイツ民俗学研究者、現在関西医科大学名誉教授。 新潟県生まれ、北海道大学卒業、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。1970年頃ドイツへ留学し、民俗学の改革者として知られるヘルマン・バウジンガーの活動に間近に接して、その研究方法を日本へ紹介した。ドイツ民俗学の手法を実地に試みる研究を行っている。
塚田 理(つかだ おさむ、1929年12月31日 - 201… 塚田 理(つかだ おさむ、1929年12月31日 - 2016年11月15日)は、日本の神学者。立教大学名誉教授。第7代学校法人立教学院院長。第15代立教大学総長。 新潟県上越市出身。立教大学文学部卒業。聖公会神学院卒業。オックスフォード大学大学院修了。 1957年より日本聖公会名古屋学生センター主事、聖公会神学院を経て立教大学文学部キリスト教学科勤務。 その後、同大学文学部長を経て、1994年大学総長(第15代)、1995年立教学院院長(第7代)。
平井 正(ひらい ただし、1929年11月10日 - )は日… 平井 正(ひらい ただし、1929年11月10日 - )は日本のドイツ文学者。元立教大学教授。
板橋守邦(いたばし もりくに、1929年11月7日 - 19… 板橋守邦(いたばし もりくに、1929年11月7日 - 1994年1月26日)は、日本のジャーナリスト。 新潟県出身。新潟中学校卒業後、海軍兵学校78期。1953年東京大学文学部仏文科卒、毎日新聞社に入り、『エコノミスト』編集長、1979年論説委員。その後北海道女子短期大学教授を務め、64歳で死去。捕鯨史の著書などを著した。
鳴海 日出夫(なるみ ひでお、1929年(昭和4年)11月2… 鳴海 日出夫(なるみ ひでお、1929年(昭和4年)11月2日 - 2016年)は、昭和期の歌手。 新潟県高田市(現上越市)出身。幼くして、父親の仕事の関係で中国へ渡る。敗戦後、引き揚げ旧制高田中学へ入学。1948年(昭和23年)、中学卒業後、かつてから親交のあった作曲家田村しげるの勧めで、NHKのど自慢素人音楽会に出場し合格。全国大会にチャレンジし、第4回NHK全国のど自慢大会で「白い花の咲く頃」を歌い2位、翌年の1952年(昭和27年)3月、「山のけむり」を歌い優勝。同年コロムビアに入社。恩師田村しげるが作曲した「島は国境の彼方へ」でデビュー。 1954年(昭和29年)、「東京の恋唄」のヒットにより、コロムビアの人気歌手の仲間入りを果たす。
三船 浩(みふね ひろし、本名:森田肖三、1929年9月28… 三船 浩(みふね ひろし、本名:森田肖三、1929年9月28日 - 2005年7月8日)は、日本の歌手。 新潟県新井市(現・妙高市)出身。1951年、NHKのど自慢で新潟県代表となり関東・甲信越大会で優勝、全国大会で第3位に入賞。新潟放送でのラジオ制作・DJを経験し上京。 1956年(昭和31年)12月、「男のブルース」(作詞:藤間哲郎、作曲:山口俊郎)で豊かな低音の魅力を生かし、キングレコードより歌手デビュー。芸名の三船浩とは、柔道四段の腕前で講道館の三船久蔵十段から命名。当時、フランク永井・神戸一郎・石原裕次郎と共に低音ブームを巻き起こし一世を風靡した。 その後も、「さようなら故郷さん」「東京だより」「夜霧の滑走路」「黒帯の男」「サワーグラスの哀愁」「小樽の赤い灯が見える」「男の酒場」などのヒット曲を放った。
吉原 賢二(よしはら けんじ、1929年(昭和4年)9月16… 吉原 賢二(よしはら けんじ、1929年(昭和4年)9月16日 - )は、日本の化学者。専門は放射化学。
後藤 文雄(ごとう ふみお、1929年9月13日 - 202… 後藤 文雄(ごとう ふみお、1929年9月13日 - 2025年9月17日)は、日本のカトリック教会司祭、神言会士。 1929年、新潟県長岡市の浄土真宗本願寺派の末寺の次男として生まれる。1947年3月、県立長岡中学校(翌年に県立長岡高等学校に改称)を卒業後、代用教員。1950年、岐阜県多治見市の神言神学院に入学。 1955年、南山大学哲学科を卒業後、神学研修を積み、1960年、司祭として叙階を受ける。同期の叙階は他に三好迪ら3人がいたが、3人は後に司祭を辞めて還俗している。 カトリック南山教会、カトリック吉祥寺教会主任司祭など、神言会運営の教会にて司祭を歴任。1981年から1994年まで、14人のカンボジア難民の子どもを次々に里子として引き受け、養育。
大塚 国夫(おおつか くにお、1929年〈昭和8年〉8月15… 大塚 国夫(おおつか くにお、1929年〈昭和8年〉8月15日 - 1989年〈平成元年〉6月9日)は、日本の男性俳優、声優。劇団青年座に所属していた。本名は大塚 国男(読み同じ)。 新潟県南魚沼郡石打村(現在の同県南魚沼市)出身。実家は印刷業を経営していた。幼少期から東京で育ち、東京都立九段高等学校卒業後、1953年に俳優座養成所5期生として入り、1956年、養成所卒業とともに劇団青年座に入団。 同年、東宝の稲垣浩監督映画『囚人船』の新人募集に合格し映画デビュー。完成後の同年9月、東宝に入社したため一時問題となったが、そのままの形で多数の作品に出演した。1962年、東宝を退社した後も映画、テレビドラマに多数出演していたが、後年になると青年座を拠点とした舞台活動を中心に活躍するようになり、多数の作品で主演を務めた。
生田 房弘(いくた ふさひろ、1929年4月23日 - 20… 生田 房弘(いくた ふさひろ、1929年4月23日 - 2021年5月26日)は、神経病理学者、新潟大学脳研究所教授。 1929年生まれ。1955年、新潟大学を卒業する。 1960年、アメリカ合衆国に渡り、モンテフィオレ病院に従事する。同年3月の新潟大学医学博士論文の題は「Glioma(神経膠腫)の局在について」。1973年、新潟大学脳研究所教授に就任する。 1982年、ウィーンで行われた国際神経病理学会で、脳梗塞などで一部失われた脳機能が、グリア細胞のアストロサイトの細胞分裂や移動により、シナプスをカバーすることで重要な働きをするという研究を発表する。1992年4月には、医学書院より出版された年鑑『神経研究の進歩』36巻にて、「『脳死』の神経病理学」という題名の論文を発表し、脳死判定された患者の心停止死後の剖検結果を報告し、脳死判定後も、脳深部の視床下部の細胞が自己融解しない場合があることを明らかにした。
江口 彌(えぐち わたる、1929年〈昭和4年〉3月30日 … 江口 彌(えぐち わたる、1929年〈昭和4年〉3月30日 - 1989年〈平成元年〉3月28日)は、日本の化学工学者。工学博士、熱管理士。京都大学教授。 新潟県新潟市古町通10番町(現 新潟市中央区古町通10番町)の第四銀行本店出納課長・江口治作の五男として出生。 1945年(昭和20年)3月に新潟中学校を卒業、1948年(昭和23年)3月に新潟高等学校を卒業、1952年(昭和27年)3月に京都大学工学部化学機械学科を卒業。 1955年(昭和30年)4月に京都大学工学部化学機械学科講師に就任、1957年(昭和32年)10月に助教授に就任、1961年(昭和36年)4月に京都大学工学部化学工学科助教授に就任、7月に京都大学から工学博士の学位を取得、1964年(昭和39年)7月に京都大学工学研究所原子核化学工学部門助教授に就任、1965年(昭和40年)12月に教授に就任、1971年(昭和46年)4月に京都大学原子エネルギー研究所原子核化学工学研究部門教授に就任、1982年(昭和57年)8月に京都大学工学部化学工学科装置工学講座教授に就任。
飯塚 正(いいづか ただし、1929年(昭和4年)1月29日… 飯塚 正(いいづか ただし、1929年(昭和4年)1月29日 - 2019年(平成31年)3月4日)は、昭和から平成時代の政治家。新潟県柏崎市長、新潟産業大学理事長を務めた。 柏崎市出身。1946年(昭和21年)新潟県立柏崎農学校卒業。 1959年(昭和34年)柏崎市議会議員に当選し、1987年(昭和62年)4月に7期目の途中で辞職するまで務めた。この間、1975年(昭和50年)5月から1979年(昭和54年)4月まで同市議会議長を歴任。1987年(昭和62年)以来、柏崎市長に2選。1992年(平成4年)11月、2期目の途中で辞職した。ほか、新潟産業大学理事長を務めた。 市長在任中は原子力発電所誘致による地域振興、新潟産業大学および新潟工科大学の開学、第6次上水道拡張事業に尽力した。
内山 力(うちやま ちから、1929年1月3日 - 1990… 内山 力(うちやま ちから、1929年1月3日 - 1990年1月5日)は、日本の会計学者。元中央大学商学部長。日本簿記学会発起人。中央大学商学部教授在任中に死去し、死後内山力奨学基金が創設された。 新潟県柏崎市出身。1953年中央大学商学部卒業、1957年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。指導教官は飯野利夫。1979年中央大学監査部長。1985年中央大学商学部長、日本簿記学会発起人。指導学生に星野一郎広島大学教授など。中央大学商学部教授在任中の1990年に死去。死後、1991年に内山力奨学基金が設立された。
荒川邦寿(あらかわ くにひさ、1928年12月7日- )は、… 荒川邦寿(あらかわ くにひさ、1928年12月7日- )は、日本の会計学者、立教大学名誉教授。 新潟県西蒲原郡弥彦村出身。立教大学経済学部卒、中央大学大学院商学研究科博士課程満期退学、71年「アメリカ「現代会計理論」の研究」で商学博士。西南学院大学講師、助教授、立教大学経済学部助教授、教授。94年定年、名誉教授、国士舘大学教授。2003年退任。
内山 裕一(うちやま ゆういち、1928年(昭和3年)12月… 内山 裕一(うちやま ゆういち、1928年(昭和3年)12月1日 - 2012年(平成24年)7月30日)は日本の政治家。新潟県三条市長(3期)。 新潟県出身。旧制新潟県立三条中学校(現新潟県立三条高等学校)、旧制新潟高等学校を経て、早稲田大学理工学部卒。卒業後は家業の内山商店(株)に入り、のち代表取締役となる。三条市教育委員、同委員長を務めた。1983年の三条市長滝澤賢太郎死去による市長選挙に立候補し、初当選する。市長を3期12年務め、1995年に市長を引退した。
小林 一也(こばやし かずや、1928年9月21日 ‐ 20… 小林 一也(こばやし かずや、1928年9月21日 ‐ 2015年3月9日)は、日本の教育学者。拓殖大学名誉教授、日本工業技術教育学会名誉会長。 新潟県柏崎市生まれ。1948年長岡工業高等専門学校工業化学科(のち新潟大学工学部)卒、立正大学文学部地理学科卒。1948年から中学校、高等学校で教える。1968年東京都教育庁指導部指導主事、1976年同主任指導主事、1981年東京都立工業技術教育センター指導部長、東京工業大学非常勤講師、1983年東京都立小石川工業高等学校校長。全国工業高等学校長協会理事長、顧問。1989年拓殖大学工学部教授、早稲田大学非常勤講師、1994年日本工業技術教育学会長。1999年拓殖大学名誉教授。
木田 元(きだ げん、1928年9月7日 - 2014年8月… 木田 元(きだ げん、1928年9月7日 - 2014年8月16日)は、日本の哲学者、翻訳家。専攻は西洋哲学史、現象学の研究。中央大学名誉教授。 モーリス・メルロー=ポンティ、エドムント・フッサール等の、20世紀ヨーロッパ思想で著名な哲学者の代表作を平易な日本語に訳した。ハイデガーの研究でも知られる。 新潟県新潟市生まれ、本籍地は山形県最上郡東小国村(現在は最上町)。 3歳のとき一家で満洲・新京に渡る。新京第一中学校(戦時体制のため4年で繰り上げ卒業)を経て、1945年(昭和20年)海軍兵学校に入学(78期)。同年8月6日、江田島で水泳の訓練中、原爆投下を広島市側の海岸で目撃。8月15日に日本が終戦を迎えると軍海軍兵学校では生徒たちに帰宅の指示が出たが、満州出身であったため本土にいる親戚もよくわからず困っていたところ、教官が自身の佐賀の実家へ行くよう指示してくれる(教官は兵学校での残務処理に残った)。
佐藤 昭子(さとう あきこ、旧名:佐藤 昭〈さとう あき〉、… 佐藤 昭子(さとう あきこ、旧名:佐藤 昭〈さとう あき〉、1928年〈昭和3年〉8月5日 - 2010年〈平成22年〉3月11日、女性)は、日本の政治家秘書、政治運動家。33年間にわたって田中角栄の秘書を務め、その愛人であったといわれ「越山会の女王」と称された。後に「政経調査会」を主宰した。 新潟県刈羽郡枇杷島村(現・柏崎市)に生まれる。両親は雑貨店を営んでいた。6人きょうだいの末っ子であったが、1人の姉は昭の出生前に死亡しており、1944年(昭和19年)までに父母、2人の兄、2人の姉と死別した。枇杷島小学校3年からそろばん塾に通って1級を取得し、数学・習字・体育が得意であった。1941年(昭和16年)小学校卒業後に進学した新潟県立柏崎高等女学校(5年制、のち4年制に変更。
大橋 和夫(おおはし かずお、1928年(昭和3年)8月3日… 大橋 和夫(おおはし かずお、1928年(昭和3年)8月3日 - 2005年(平成17年)10月25日)は、日本の政治家。千葉県船橋市長。 新潟県長岡市出身。表町小学校、旧制長岡中学校、旧制新潟高等学校を経て、東京大学法学部卒業後、自治庁に入庁。外事広報課長、地方課長、衆議院議長秘書官、埼玉県財政課長等を歴任、1968年4月、千葉県へ赴任。企画部長を経て、1971年7月には千葉県教育長に就任、県立高校7校を新設開校したのをはじめ、若潮国体の開催、千葉県立美術館の開館等に尽力。後に川上紀一と千葉県知事の座を巡って争うが、知事選挙において川上に敗れる。 習志野文化ホール理事長を歴任後、1981年7月、公選制第6代の船橋市長に就任した。
近 泰男(こん やすお、1928年〈昭和3年〉4月22日 -… 近 泰男(こん やすお、1928年〈昭和3年〉4月22日 - 2017年〈平成29年〉11月18日)は、日本の家族計画運動家。元日本家族計画協会会長・理事長、元ジョイセフ(家族計画国際協力財団)理事長・顧問。 新潟県新潟市出身。1941年(昭和16年)に新潟中学校に入学、1944年(昭和19年)に海軍飛行予科練習生として美保海軍航空隊に入隊、1945年(昭和20年)に新潟中学校を卒業、1951年(昭和26年)に中央大学専門部法科を卒業。 1946年(昭和21年)から日本生産合作社協会に勤務、1949年(昭和24年)から東京公衆衛生協会に勤務、1956年(昭和31年)に日本家族計画普及会理事に就任、1961年(昭和36年)に東京寄生虫予防協会理事に就任、1964年(昭和39年)に日本家族計画協会常務理事に就任、1966年(昭和41年)に日本家族計画協会事務局長に就任、1967年(昭和42年)に東京都予防医学協会理事に就任、日本家族計画協会専務理事に就任、1988年(昭和63年)にジョイセフ事務局長に就任、1990年(平成2年)にアジア人口・開発協会理事に就任、2000年(平成12年)に日本家族計画協会理事長に就任、2003年(平成15年)にジョイセフ理事長に就任、2012年(平成24年)に日本家族計画協会会長に就任。
木暮 山人(こぐれ やまと、1928年3月7日‐1998年5… 木暮 山人(こぐれ やまと、1928年3月7日‐1998年5月26日)は、日本の歯科医・政治家。参議院議員(2期)。 新潟県新発田市出身。旧制新発田中を経て日本歯科医学専門学校を1949年に卒業。更に法政大学法学部に進学し、1951年に卒業した。その後、日本歯科大学歯科薬理学教室研究生として在学,歯学博士の学位を取得する。 政治に早くから関心を持ち、法政大学在学中に亜細亜青年連盟を結成して1953年の総選挙に立候補。この時は得票が法定得票数にも満たず泡沫候補に終わるが、その後5回も総選挙に出馬し続けて得票を伸ばし続けた。その一方で歯科医として歯友会歯科技術専門学校の創設に関わり、歯科技工から実業界にも進出。
種村 芳正(たねむら よしまさ、1928年2月23日 - 2… 種村 芳正(たねむら よしまさ、1928年2月23日 - 2026年1月3日)は、日本の政治家。元新潟県議会議長(第82代)。元新潟県議会議員(1987年 - 2007年(5期連続当選))。新潟県立上組農学校卒業。
宮尾 辰男(みやお たつお、1928年2月22日 - 201… 宮尾 辰男(みやお たつお、1928年2月22日 - 2015年2月24日)は、新潟県中頸城郡中郷村(現上越市中郷区)出身のクロスカントリースキー選手、指導者。 1942年に日本曹達二本木工場に入社。戦後クロスカントリースキーを始め、1952年の国民体育大会クロスカントリースキー成年男子10kmで優勝、30kmで2位となる。1954年の第32回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキーでは、個人耐久(40km)で優勝。翌1955年の同大会個人長距離(15km)では、角昭吾(秋田営林局)に次いで2位だったが、同年の国体の成年男子15Kmでは角を抑えて優勝する。 1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックの代表選考委員会では、委員の間で宮尾と角のどちらを選ぶかで意見が分かれたが(当時のクロスカントリースキーの代表枠は1人)、最終的には長距離・耐久の両方に実績のある宮尾が代表に選出された。
福田 豊彦(ふくだ とよひこ、1928年2月4日 - 201… 福田 豊彦(ふくだ とよひこ、1928年2月4日 - 2015年6月9日)は、日本の歴史学者。東京工業大学・国立歴史民俗博物館名誉教授。日本中世史専攻。 1928年、新潟県新潟市生まれ。1959年に北海道大学大学院文学研究科修士課程を修了。 北海道大学文学部助手、東京工業大学教授を経て、国立歴史民俗博物館教授となった。1993年に定年退官。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
横山 準(よこやま じゅん、1928年1月15日 - )は、… 横山 準(よこやま じゅん、1928年1月15日 - )は、日本の元子役、俳優である。本名は横山 昇一(よこやま しょういち)。子役時代の芸名は爆弾小僧(ばくだんこぞう)。 1928年(昭和3年)1月15日、新潟県東頚城郡(現在の同県十日町市)に生まれる。 1933年(昭和8年)3月1日、松竹蒲田撮影所に入社。野村芳亭監督映画『島の娘』に初出演する。1935年(昭和10年)の清水宏監督映画『若旦那 春爛漫』から爆弾小僧の芸名を名乗る。『有りがたうさん』『風の中の子供』『按摩と女』など清水の作品に多数出演、また斎藤寅次郎監督の映画にも重用される。同時期に松竹に所属していた突貫小僧、葉山正雄、アメリカ小僧とともに子役の四天王と評された。
山田 善二郎(やまだ ぜんじろう、1928年1月 - 202… 山田 善二郎(やまだ ぜんじろう、1928年1月 - 2022年1月20日)は、日本の社会運動家。 新潟県南蒲原郡(現三条市)生まれ。父親は陸軍省の下級職員であった。尋常小学校の同級生にのちの法学者江藤价泰がいた。担任の勧めで第一東京市立中学校夜間部を受験し合格、昼間は給仕を務め家計を助けながら通学した。1943年、軍国少年として憂国の思いから、海軍飛行予科練習生(予科練)を親に隠れて志願し合格。三重海軍航空隊に入り、1945年、日本の敗戦により除隊。 戦後、連合国軍最高司令官総司令部通信資材部隊、同対敵諜報部隊、キャノン機関、中央情報局(CIA)横須賀海軍施設拠点などに日本人従業員として勤務。
松沢 俊昭(まつざわ としあき、1927年10月30日 - … 松沢 俊昭(まつざわ としあき、1927年10月30日 - 1985年11月10日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(4期)。全日本農民組合連合会会長。 新潟県五泉市生まれ。旧制村松中卒。代用教員を経て、農民運動に従事した。五泉市議会議員を2期務めた。1963年、新潟県議会議員選挙に、五泉市選挙区から日本社会党公認で立候補して当選した。全日農副会長などを歴任した。1969年12月に2期目の途中で県議を辞職した。同年の第32回衆議院議員総選挙で旧新潟2区から社会党公認で立候補して当選。しかし、1972年の第33回総選挙では落選した。 1974年の新潟県知事選挙に日本社会党公認で立候補した。浦沢与三郎が共産党公認で立候補したため票が分散。
岩村 卯一郎(いわむら ういちろう、1927年9月8日 - … 岩村 卯一郎(いわむら ういちろう、1927年9月8日 - 2004年8月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。新潟県議会議員(6期)。新潟県議会議長。長男は、新潟県議会議員の岩村良一。 新潟県北蒲原郡(現在の新発田市)出身で、新発田中学校を経て17歳の時に予科練に志願。1953年、法政大学法学部卒業。渡邊良夫衆議院議員の秘書を務め、第2次岸内閣で厚生大臣に任命されたときは、大臣秘書官を務めた。 1967年から新潟県議会議員を6期務め、副議長と議長を各1年務めた。自民党新潟県連の幹事長だった1989年には、君健男が癌のため新潟県知事を辞職したのに伴って多数の同党県議から推されて知事選への立候補の意思を表明したが、後に金子清への候補者一本化に同意した。
天田 昭次 (あまた あきつぐ、1927年8月4日 - 20… 天田 昭次 (あまた あきつぐ、1927年8月4日 - 2013年6月26日) は、日本の刀工。人間国宝に認定されている。 本名は誠一。同じく刀工である天田貞吉の長男。新潟県北蒲原郡本田村(現・新発田市)生まれ。1940年に、「日本刀鍛錬伝習所」に入門。「新作名刀展」で正宗賞を3回受賞。「伊勢神宮式年遷宮神宝太刀」を制作。1990年に全日本刀匠会理事長。1997年に日本刀で人間国宝の認定を受ける。山城伝、相州伝、備前伝など様々な作風で知られる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
登坂 健児(とさか けんじ、1927年(昭和2年)5月14日… 登坂 健児(とさか けんじ、1927年(昭和2年)5月14日 - )は、日本の政治家。元新潟県燕市長(1期)。 新潟県南蒲原郡燕町(現・燕市)出身。1946年、加茂朝中学校(現・加茂暁星高等学校)卒。1961年、トサカプレスを創業する。1979年に株式会社化し、社長に就任する。1975年、燕市議会議員に初当選し、3期務め、議長も務めた。1990年、燕市長に当選し、1期務めた。1994年に落選した。2002年に母校の加茂暁星学園の理事長に就任した。
利根川 裕(とねがわ ゆたか、1927年3月28日 - 20… 利根川 裕(とねがわ ゆたか、1927年3月28日 - 2024年1月29日)は、日本の作家である。テレビ朝日系の深夜番組「トゥナイト」の司会を長く務めた。 新潟県糸魚川市出身。日本ペンクラブ会員。代表作は『宴』(ISBN 978-4122007079)、『十一世市川団十郎』(ISBN 978-4480802002)。 新潟県立糸魚川中学校、新潟高等学校を経て、1950年東京大学文学部哲学科卒業、同大学院中退。東京都立上野高等学校教員ののち、1959年中央公論社に入り、『婦人公論』副編集長など、1966年編集局次長で退職し、作家となる。1968年「糸魚川心中」で直木賞候補、1969年「B少年の弁明」で直木賞候補。
坂上 富男(坂上 冨男、さかがみ とみお、1927年1月2日… 坂上 富男(坂上 冨男、さかがみ とみお、1927年1月2日 - 2018年4月9日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員を通算3期務めた。 新潟県三条市出身。1949年、日本大学法文学部政経学科卒業。新潟県内の小学校教員となる。 1952年、弁護士税理士事務所を開設。燕三条税理士法人の代表社員になる。三条市議会議員、新潟県弁護士会会長を務める。 1982年4月25日に行われた新潟県知事選挙に社会党・共産党の推薦を得て立候補。現職の君健男との一騎打ちに敗れ落選。 1986年の第38回衆議院議員総選挙に旧新潟3区から、社会党の統一候補として立候補し初当選。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で社会党は坂上と前県議の目黒吉之助の二人に公認を出す。