樋口 啓太(ひぐち けいた、1988年 - )は、日本の研究… 樋口 啓太(ひぐち けいた、1988年 - )は、日本の研究者、経営者。博士(学際情報学)。醸燻酒類研究所創業者。元東京大学生産技術研究所特任講師。専門はHCI(ヒューマン・コンピューター・インタラクション)とCV(コンピュータービジョン)。 新潟県十日町市生まれ。新潟県立十日町総合高等学校卒業。金沢工業大学工学部情報工学科卒業。東京大学大学院学際情報学府総合分析情報学コース修士課程・博士課程修了。 暦本純一研究室の先輩に玉城絵美が、後輩に落合陽一がいる。2010年未踏本体クリエータ。東京大学生産技術研究所にて特任教員を務めた。 現在はSB Intuitions株式会社にResearch Scientistとして勤務。
大橋 崇行(おおはし たかゆき、1978年12月24日 - … 大橋 崇行(おおはし たかゆき、1978年12月24日 - )は、日本の文学研究者。ライトノベル作家、小説家。新潟県新潟市出身。 新潟県立三条高等学校卒業。上智大学文学部国文学科を経て、同大学院文学研究科国文学専攻博士前期課程を修了。その後総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻博士後期課程を修了し、博士(文学)の学位を得る。専攻は日本近代文学で、山田美妙を専門とする。東京で私立高等学校の国語科非常勤講師として教鞭をとる傍ら、国文学研究資料館博士研究員を経験。2013年4月より岐阜工業高等専門学校一般科目 (人文) 科助教となる。2015年4月、東海学園大学人文学部人文学科講師に着任。2018年4月より准教授。
齊藤 元章(さいとう もとあき、1968年 - )は、研究開… 齊藤 元章(さいとう もとあき、1968年 - )は、研究開発系シリアルアントレプレナー(連続起業家)、スーパーコンピュータ開発者・次世代の汎用人工知能(AGI)の研究者)。 多数のスパコン関連会社を抱えるPEZYグループの元代表。医師(放射線科)。医学博士(東京大学)。一般財団法人日本シンギュラリティ財団理事。 新潟県長岡市の出身。父親は新潟大学の工学部長。新潟県立新潟高等学校を経て新潟大学医学部を卒業後、東京大学医学部附属病院放射線科で2年間研修。東京大学大学院医学系研究科に在籍中に医療系法人を設立し、画像診断用のソフトウェアを開発。 東京大学大学院卒業後の1997年に渡米し、シリコンバレーでテラリコン・インコーポレイテッドを設立。
横山 安由美(よこやま あゆみ、1964年 - )は、日本の… 横山 安由美(よこやま あゆみ、1964年 - )は、日本の中世フランス文学研究者、立教大学教授。
山岸 真(やまぎし まこと、1962年 - )は、日本のSF… 山岸 真(やまぎし まこと、1962年 - )は、日本のSF翻訳家、研究者、アンソロジスト。日本SF作家クラブ会員、日本推理作家協会会員。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡高等学校を経て埼玉大学教養学部卒業。卒論のテーマはマイクル・ビショップ。 学生時代から、小川隆主宰の海外SF紹介研究のファングループ「ぱらんてぃあ」に参加。1980年代半ばから海外SF紹介の第一人者として『SFマガジン』『本の雑誌』や文庫解説などで活躍。1991年までビデオリサーチに勤務。 近年ではグレッグ・イーガンの作品翻訳などで知られている。また、2008年には、最愛の作品であるマイクル・コーニー『ハローサマー、グッドバイ』を新訳した。
樋口 正人(ひぐち まさと、1960年〈昭和35年〉8月17… 樋口 正人(ひぐち まさと、1960年〈昭和35年〉8月17日 - )は、日本の起業家・研究者である。2009年(平成21年)より株式会社ダステック代表取締役社長。新潟県新潟市生まれ、事業拠点は石川県金沢市。 一般社団法人日本ファンクショナルダイエット協会の「シニアケトジェニックアドバイザー」(認定証発行2016年3月20日)。および一般社団法人AGE研究協会の「AGE研究協会認定講師」(認定証発行2016年4月1日)。1998年(平成10年)4月 - 2001年(平成13年)3月は、通商産業省工業技術院生命工学工業技術研究所の技術研修員もつとめた。先生は岡修一。 ペンネーム「純炭社長」としてブログやSNSの発信もおこなっている(「純炭社長の徒然起業日誌」など)。
徳永 幸之 (とくなが よしゆき、1960年(昭和35年)1… 徳永 幸之 (とくなが よしゆき、1960年(昭和35年)1月9日 - ) は、日本の研究者。工学博士。元東北大学准教授、元宮城大学副学長、現教授。 主な研究対象は交通計画学。 妻は宮城県かるた協会常任理事の徳永理枝。 1960年1月9日、新潟県長岡市生まれ。1978年、新潟県立長岡高等学校を卒業後、東北大学工学部 土木工学科に進学。1982年に卒業。 学部卒業後に運輸省入省。1982年4月に運輸省 鉄道監督局民営鉄道部土木電気課に配属、1984年4月、運輸省 第三港湾建設局神戸調査設計事務所を経て、 1985年、出身の東北大学工学部にて助手に就任。 その後、1993年6月、大学院情報科学研究科助手に就任、1994年4月に講師、1995年4月に助教授、2007年に准教授を経て、 宮城大学事業構想学部教授に就任、現在に至る。
三浦 展(みうら あつし、1958年9月25日 - )は、日… 三浦 展(みうら あつし、1958年9月25日 - )は、日本の社会デザイン研究者、マーケティング・アナリスト、消費社会研究家、評論家。マーケティングリサーチやマーケティングプランニング、コンサルティング等の受託業務等を行う株式会社カルチャースタディーズ研究所代表取締役。 新潟県糸魚川市生まれ。三和村(現上越市)出身。新潟大学教育学部附属高田小学校、同中学校、新潟県立高田高等学校を経て、1982年に一橋大学社会学部を卒業。佐藤毅ゼミ出身で、サブゼミとして岩崎允胤ゼミにも参加した。 卒業後はパルコに入社。同社のマーケティング雑誌アクロス編集室で勤務し、入社4年目の1986年に「アクロス」編集長に就任。
芋川 玄爾(いもかわ げんじ、1947年 - )は、日本のス… 芋川 玄爾(いもかわ げんじ、1947年 - )は、日本のスキンサイエンス研究者。スキンサイエンス研究所所長及び宇都宮大学バイオサイエンス教育研究センター特任教授。医学博士。専攻分野は、皮膚科学、化粧品科学、細胞生物学、生化学など。 新潟県新潟市生まれ。名古屋大学工学部応用科学修士課程修了後、花王株式会社研究所を経て、神戸大学医学部皮膚科研究生となる。花王株式会社ではビオレやキュレルシリーズの開発を行った。同大で医学博士を取得後、計8大学の医学部皮膚科にて非常勤講師を歴任。2007年に東京工科大学応用生物学部教授に就任。中部大学生物機能開発研究所客員教授、アメリカ合衆国オハイオ大学Eduson Biotechnology Institute客員教授を経て、現在スキンサイエンス研究所所長及び宇都宮大学バイオサイエンス教育研究センター特任教授。
山田 俊幸(やまだ としゆき、1947年〈昭和22年〉 - … 山田 俊幸(やまだ としゆき、1947年〈昭和22年〉 - 2024年〈令和6年〉11月3日)は、日本近代文学研究者、少女文化研究者。元帝塚山学院大学教授。 新潟県柏崎市生まれ。國學院大學文学部卒業。帝塚山学院大学文学部助教授、教授、リベラルアーツ学部教授を歴任。日本絵葉書会会長。大正イマジュリィ学会常任委員。『一寸』同人。 2024年11月3日、多臓器不全のため死去。77歳没。
高橋 和夫(たかはし かずお、1946年12月5日 - 20… 高橋 和夫(たかはし かずお、1946年12月5日 - 2021年12月20日)は、日本の哲学者、スウェーデンボリ研究者、文化女子大学名誉教授。日本スウェーデンボルグ協会会員。 新潟県佐渡市生まれ。1973年学習院大学文学部哲学科卒、80年同大学院博士課程満期退学。文化女子大学文学部講師、助教授、現代文化学部教授、学部長。2012年名誉教授。
星野 暁(ほしの さとる、1945年 - )は日本の陶芸家・… 星野 暁(ほしの さとる、1945年 - )は日本の陶芸家・研究者。 新潟県見附市生まれ。1971年、立命館大学卒業後、藤平陶芸へ。その後、イースト・シドニー・テクニカル・カレッジ客員準教授(オーストラリア)、キャンベラ・スクール・オブ・アート客員準教授(オーストラリア)、大阪産業大学工学部環境デザイン学科教授。2003年退職。 星野の作品は国内外で幅広い支持を得ており、多くの作品が内外の主要博物館に収蔵されている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
滝沢 誠(たきさわ まこと、1943年6月27日- )は、日… 滝沢 誠(たきさわ まこと、1943年6月27日- )は、日本の右翼思想家研究者。 新潟県長岡市生まれ。1966年成蹊大学政治経済学部卒。石上良平、玉島信義に師事。 田中角栄元総理の紹介で大手広告会社に入社し、在野の研究者となる。 1968年から1970年まで大阪勤務、京都大学人文科学研究所の山田慶児らの研究会に参加。市井三郎、橋川文三、村上一郎、丸山眞男の教えを受ける。 1992年に広告会社を退社し千葉県安房の山中にこもり、近代日本の右翼、特に大川周明、権藤成卿の研究に没頭する。
中村 健之介(なかむら けんのすけ、1939年6月24日 -… 中村 健之介(なかむら けんのすけ、1939年6月24日 - 2022年9月22日)は、日本のロシア文学研究者。北海道大学名誉教授。新潟県三条市出身。 国際基督教大学教養学部卒業、東京大学大学院比較文学比較文化博士課程中退、北海道大学助教授、教授を経て1995年より東京大学教養学部教授、2000年定年退官後は大妻女子大学比較文化学部教授、2010年定年退任。 もっぱらドストエフスキー研究に専念してきたが、近年は宣教師ニコライ・カサートキンとその周辺の研究で業績を挙げた。2007年、『宣教師ニコライの全日記』(監訳)で日本翻訳出版文化賞受賞。明治大学教授(英語圏文学)の中村和恵は長女。 2022年9月22日午前4時2分、肺炎のため兵庫県の病院で死去。
市村 俊彦(いちむら としひこ、1935年9月23日 - )… 市村 俊彦(いちむら としひこ、1935年9月23日 - )は日本のテレパシーの研究者。 新潟県中蒲原郡横越村(現新潟市江南区)生まれ。新潟県立新潟工業高等学校、新潟大学理学部物理学科(物性物理専攻)を卒業。新潟青陵高等学校、新潟明訓高等学校で教諭経験。 会社勤務の傍ら、数百名の会員を擁する超心理研究会を主宰し、1967年から1987年にかけて会誌『テレパシー』を119号まで発行した。
相馬 庸郎(そうま つねお、1926年8月30日 - )はの… 相馬 庸郎(そうま つねお、1926年8月30日 - )はの日本の日本文学研究者。元神戸大学教授。専門は日本近代文学。 新潟県中条町(現・胎内市)に生まれる。1942年に新潟県立新発田中学を卒業し、1945年に海軍経理学校を卒業する。戦後、法政大学文学部日本文学科(通信教育課程)を卒業し、1961年に東京都立大学大学院博士課程を修了する。1962年から東京都立大学附属高等学校の国語科教諭、1967年から神戸大学教育学部助教授、1975年から神戸大学文学部教授を務め、1987年に退職する。主に自然主義や正岡子規、高浜虚子、柳田國男、深沢七郎など明治期から現代に架けての日本近代文学の研究に努めた。2001年に『深沢七郎』でやまなし文学賞(研究評論部門)を受賞。
茅原 一也(ちはら かずや、1921年〈大正10年〉11月2… 茅原 一也(ちはら かずや、1921年〈大正10年〉11月28日 - 2006年〈平成18年〉8月29日)は、日本の地質学者、鉱物学者、岩石学者、ヒスイ研究者。理学博士。元キタック最高技術顧問。新潟大学名誉教授、日本地質学会名誉会員。 新潟県中蒲原郡横越村(現 新潟市江南区)出身。 1939年(昭和14年)3月に新潟中学校を卒業、1941年(昭和16年)3月に新潟師範学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に東京高等師範学校を修了、1946年(昭和21年)9月に東京文理科大学地学科(地質鉱物学専攻)を卒業。 1946年(昭和21年)10月に新潟中学校教諭に就任、化学と地学と音楽を担当、1950年(昭和25年)3月に新潟大学理学部地質鉱物学教室助手に就任、1951年(昭和26年)4月に新潟大学理学部地質鉱物学教室講師に就任。
宮 栄二(みや えいじ、1916年8月26日 - 1986年… 宮 栄二(みや えいじ、1916年8月26日 - 1986年11月27日)は、新潟県の地方史研究者。 新潟県長岡市出身。1939年東京帝国大学文学部国史学科卒。内務省、北方文化博物館、新潟県教育長などをへて、新潟大学講師。県文化財保護審議委員、良寛会常任委員長。
駒形 作次(こまがた さくじ、1904年2月6日 - 197… 駒形 作次(こまがた さくじ、1904年2月6日 - 1970年7月11日)は、昭和の電気工学研究者、半導体研究者。原子力研究者。 逓信省電気試験所所長。通商産業省工業技術院長。日本原子力研究所理事長。原子力委員。三菱原子力工業顧問。 界面動電現象や東北帝国大学渡辺寧とともに日本で最初に半導体(トランジスタ)の研究を行いその後、原子力開発に携わった。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡中学校卒業(旧制)。旧制新潟高校卒業。東京帝国大学電気工学科卒。1937年(昭和12年)工学博士。 1927年(昭和2年)逓信省電気試験所に入所。1952年(昭和27年)通商産業省工業技術院長となる。1948年アメリカのベル研究所でショックレー、ブラッタン、バーディーンによって半導体であるゲルマニウムを用いたトランジスタが発明され、GHQからもたらされたトランジスタの論文を翻訳し「トランジスタ勉強会」を発足させる。
安芸 皎一(あき こういち、男性、1902年4月9日 - 1… 安芸 皎一(あき こういち、男性、1902年4月9日 - 1985年4月27日)は、日本の河川工学者、資源問題研究者。河川開発、水害問題のほか、資源問題を国際的視野で研究した。 内務省土木局技師安芸杏一の長男として新潟市に生まれる。兄弟構成は6人兄弟一女5男で、他5人とも大学出である。東京で育ち、府立四中(現・東京都立戸山高等学校)に進学。府立中時代は水練部主将を務める。四修で新潟高等学校 (旧制)に進学。同校を卒業後、東京帝国大学文学部英文科に進むが、1年後に工学部土木工学科に再入学。再入学した土木工学科では水理学者物部長穂のもとで河川工学を修める。1926年同学科卒業、内務省に入省。東京土木出張所内務工手。
中村 柳一(なかむら りゅういち、1886年(明治19年)4… 中村 柳一(なかむら りゅういち、1886年(明治19年)4月26日 - 1972年(昭和47年)11月28日)は、日本の教諭、日本語(国語)の教育者、研究者。日本語方言の開合研究の黎明期に、日本統治下の台湾に勤務した時の経験から、初めて越後方言の開合音(アウ・オウの別)について報告した。 明治19年(1886年)に新潟県刈羽郡高田村堀(現柏崎市堀)に生まれた。明治40年(1907年)に高田師範学校を卒業し、同年に小学校教員免許を取得し、同校の訓導を務めた。後に新潟県の大貫尋常小学校、富山県立魚津中学校で教職を歴任した。 大正6年(1917年)には台湾総督府国語学校に助教授として赴任し、国語(日本語)教育に従事した後、台北女子高等学校普通学校に教諭を担任した。
山縣 初男(やまがた はつお、1873年〈明治6年〉8月31… 山縣 初男(やまがた はつお、1873年〈明治6年〉8月31日 - 1971年〈昭和46年〉1月11日)は、日本陸軍の軍人・著述家・中国文学研究者・翻訳家。別号は三志園、海城。最終階級は陸軍大佐。陸軍の中国通(支那通)の一人として知られ、繆斌工作に関与していた。娘婿は自由民主党の政治家である三原朝雄。新潟県村上本町表新町(現・村上市)に生まれる。 旧士族・山縣正升の長男として生まれる。村上私学校を中退して陸軍教導団歩兵科に入り、1894年(明治27年)3月に卒業。歩兵二等軍曹として日清戦争に参戦した。1898年(明治31年)12月、士官候補生となり、陸軍士官学校(12期)に入学(同期に小磯國昭らがいる)。