寺西 勇(てらにし いさむ、1946年1月30日 - )は、… 寺西 勇(てらにし いさむ、1946年1月30日 - )は、富山県射水郡(現:射水市)出身で立浪部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。本名:寺西 等(てらにし ひとし)。大相撲時代の四股名は寺西(てらにし)、最高位は三段目1枚目。 大相撲の立浪部屋に入門し、1963年5月場所に本名の寺西の四股名で初土俵を踏んだ。しかし伸び悩んでしまい、入門3年後の1966年5月場所をもって廃業した。大相撲廃業後は、1966年に同門の永源遙とともに豊登道春率いる東京プロレスに入ってプロレスラーに転向。同年10月21日、団体旗揚げ戦においてデビュー(相手は竹下民夫)。東京プロレス崩壊後はラッシャー木村らと共に国際プロレスに移籍する。
石井 隆一(いしい たかかず、1945年12月15日 - )… 石井 隆一(いしい たかかず、1945年12月15日 - )は、日本の政治家、自治・総務官僚。勲等は旭日大綬章。 富山県知事(公選第17-20代)、消防庁長官(第26代)を務めた。妻は数学者で東京大学名誉教授の石井志保子。 富山県富山市西町生まれ。富山県立富山中部高等学校、東京大学法学部卒業。1969年、自治省(現総務省)に入省した。静岡県総務部長や財政局財政課長、税務局長、自治税務局長等を経て、2002年に消防庁長官に就任した。また2003年から3年間、早稲田大学大学院公共経営研究科において客員教授を務めた。2004年1月に退官し、市町村職員中央研修所学長に就任し、同年の8月に退職した。 2004年11月、富山県知事を6期務めた中沖豊の退任を受け、知事選挙に無所属で出馬して初当選。
向井 英二(むかい えいじ、1945年〈昭和20年〉12月2… 向井 英二(むかい えいじ、1945年〈昭和20年〉12月2日 - )は、日本の政治家。富山県高岡市出身。自由民主党富山県議会議員を7期務めた。
臼井 嘉一(うすい よしかず、1945年10月7日 - 20… 臼井 嘉一(うすい よしかず、1945年10月7日 - 2013年10月5日)は、日本の教育学者、福島大学名誉教授、国士舘大学教授。専門は社会科教育学。 富山県魚津市生まれ。京都教育大学卒。1977年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。福島大学教育学部助教授、教授、2002年3月から2006年3月まで学長。2008年退任と同時に名誉教授、国士舘大学文学部教育学科教授、同年10月全学教職課程委員長兼任。 2013年10月5日、肺炎のため死去。67歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山崎 昇(やまざき のぼる、1945年〈昭和20年〉9月15… 山崎 昇(やまざき のぼる、1945年〈昭和20年〉9月15日 - )は、日本の政治家。元東京都墨田区長(4期)。叔父は墨田区長を3期務めた山崎栄次郎。 富山県西礪波郡西野尻村(東礪波郡福野町を経て、現・南砺市)で生まれる。富山県立高岡商業高等学校、中央大学法学部卒。卒業後は叔父の栄次郎の勧めで墨田区役所に勤務する。区民課長、企画経営室長などを経て、助役に就任する。 1999年〈平成11年〉墨田区長選挙に立候補し、元民社党衆議院議員の伊藤昌弘らを破って初当選した。2003年〈平成15年〉に再選。2007年〈平成19年〉に三選。2011年〈平成23年〉に5人による選挙戦を制し、四選を果たした。 2015年〈平成27年〉に区長を引退した。
奥田研爾(おくだ けんじ、1945年8月2日 - )は、日本… 奥田研爾(おくだ けんじ、1945年8月2日 - )は、日本の医師、医学研究者。学位は医学博士(横浜市立大学・1976年)。 横浜市立大学名誉教授・奥田内科院長。 黒屋賞受賞者。「感染症の遺伝子制御」によって1983年の黒屋奨学賞を受賞した。 富山県下新川郡入善町に生まれる。魚津高校を卒業後、大学は横浜市立大学医学部に進学。大学時代は米国への留学を目指し英会話などの語学習得にも努めた。 大学時代、皮膚科学を専門とする野口義國教授に出会い、哲学を踏まえた免疫学の講義に深く影響を受ける。ただし、後には著書で、医学においては哲学よりも事実解明や真実の追求が重要だと述べている。 野口義國教授からの深い影響で免疫遺伝学の道に進み、「誘導ミサイル療法」というテーマで学位を取得した。
小川 忠男(おがわ ただお、1945年3月19日 - )は… 小川 忠男(おがわ ただお、1945年3月19日 - )は、日本の官僚。都市再生機構理事長を務めた。 富山県滑川市出身。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1967年に東京大学法学部を卒業し、同年に建設省に入省。1999年7月に大臣官房長、2001年1月に国土交通審議官を経て、2008年7月に都市再生機構理事長に就任。2012年7月に退任。
杉木峯夫(すぎき みねお、1945年 - )は、富山県富山市… 杉木峯夫(すぎき みねお、1945年 - )は、富山県富山市出身の日本のトランペット奏者である。 東京芸術大学音楽学部卒業後、ニース国際音楽アカデミーでピエール・ティボーに師事。フランス政府給費生としてパリ国立高等音楽院でモーリス・アンドレに師事した。。バリ国立高等音楽院で一等賞を得て卒業した1972年にリヨン国立管弦楽団へ入団した。日本に帰国後は札幌交響楽団を経て東京芸術大学の教員となった。札幌ブラス・アンサンブル、北海道教育大学札幌非常勤講師、ベルナール・トマ管弦楽団、パリ・コンセール・コロンヌ管弦楽団、「モーリス・アンドレと弟子達」レコーディング(エラート社)に参加した。水戸室内管弦楽団、サイトウ・キネン・オーケストラ、紀尾井シンフォニエッタ東京他で演奏した。
又市 征治(またいち せいじ、1944年〈昭和19年〉7月1… 又市 征治(またいち せいじ、1944年〈昭和19年〉7月18日 - 2023年〈令和5年〉9月18日)は、日本の政治家、労働運動家、地方公務員。参議院議員(3期)、社会民主党幹事長(第5代・第7代)、副党首、党首(第5代)を歴任。 1944年7月18日、富山県富山市生まれ。1962年、富山県立富山高等学校卒業。1965年、富山県庁就職。1974年、自治労富山県本部書記長に就任。1995年、自治労富山県本部執行委員長就任。 2001年、第19回参議院議員通常選挙に社会民主党公認で比例区から立候補し、初当選した。 2003年、幹事長・福島瑞穂の党首就任により、幹事長就任。 2007年7月、第21回参議院議員通常選挙で再選(比例区)。
青木 靖雄(あおき やすお、1944年4月21日 - )は、… 青木 靖雄(あおき やすお、1944年4月21日 - )は、日本のアナウンサー。 富山県高岡市出身。東京大学法学部卒業。 1967年4月、TBSに入社、アナウンサー12期生(同期には石森勝之・小口勝彦・河野通太郎・久米宏・林美雄・宮内鎮雄・米沢光規)として放送界にデビュー、ニュース・報道系アナウンサーとして活躍。11月15日にアナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務となる。 TBS退社後もTBSニュースバードの「ビジネス・ナビ」コーナーで東証アローズからのリポートを2007年3月30日まで担当した。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
大磯 武(おおいそ たけし、1944年4月8日 - )は、富… 大磯 武(おおいそ たけし、1944年4月8日 - )は、富山県新湊市(現在の射水市)出身で立浪部屋所属の元大相撲力士、東京プロレス、国際プロレス所属の元プロレスラー。本名は、摺崎武二(するさき たけじ)。大相撲時代の四股名は大磯浪(おおいそなみ)、最高位は三段目14枚目。プロレスラー時代は身長181cm、体重117kg。 大相撲の立浪部屋に入門し、1963年7月場所に本名の摺崎の四股名で初土俵を踏んだ。1965年3月場所に四股名を大磯浪に改名したが伸び悩み、1966年5月場所をもって三段目で廃業した。大相撲廃業後は1966年に東京プロレス設立に伴い、プロレスラーに転向。入門同期には寺西勇・大剛鉄之助・柴田勝久・永源遙らがいた。
聖川 湧(ひじりかわ ゆう、1944年2月11日 - )は、… 聖川 湧(ひじりかわ ゆう、1944年2月11日 - )は、日本の作曲家。本名・岩井実。日本作曲家協会理事。 富山県新湊市(現・射水市)出身。小学5年の時に両親が離婚。新湊市内に間借りし父親との二人暮らしが始まったが、ふた間しかない部屋に叔父一家が転がり込み、中学3年の時に追い出された。新湊を離れ、金沢の父親の知人の下宿に預けられたが、父親が莫大な借金を残して失踪。天涯孤独の身となった。1962年、下宿の隣にいた歌手の新川二朗と金沢ヘルスセンターの専属バンドで活動し、アルトサックス奏者として食いつないだ。 1963年に上京し、多田敏夫とスイングナインに加入。スカウトされ、1965年にビクターから本名の岩井実で「赤いエレキ」で歌手デビュー。
川道 武男(かわみち たけお、1944年1月31日 - )は… 川道 武男(かわみち たけお、1944年1月31日 - )は、日本の動物学者。 富山県魚津市出身。1967年北海道大学理学部生物学科(動物学専攻)卒業、1973年同大学大学院理学研究科博士課程中退。この間、1972年アラスカ州立大学北極生物研究所に所属。1973年大阪市立大学理学部生物学科助手。1976年「ナキウサギの比較行動学並びに比較社会学」で北海道大学理学博士。1982年大阪市立大学理学部講師、1985年-2000年助教授。 学生時代に世界を放浪し、独立したばかりのアフリカ諸国での野生哺乳類への無法な扱いを目の当たりにし、野生哺乳類の生態研究を決意する。1970年代半ばに奈良の社寺林でムササビの生態観察を開始し、国内外でナキウサギ、ツバイなど単独性哺乳類の社会を研究している。
湊谷 弘(みなとや ひろし、1943年10月17日 - 20… 湊谷 弘(みなとや ひろし、1943年10月17日 - 2016年6月15日)は、日本の柔道家(講道館9段)。富山県出身。 1967年と1969年に開催された世界選手権大会の軽中量級覇者である。 富山県福野町(現・南砺市)で接骨院を営む家に、7人兄妹の末っ子として生まれる。父が道場を経営していた関係で5歳頃から柔道を始め、当時は幼心にもインターハイか国体への出場を目標に稽古に励んだ。なお、兄妹はいずれもスポーツマン・スポーツウーマンで、後に卓球のダブルスで日本一になった者もいる。 中学校を卒業すると、進学校であり柔道でも県立小杉高校らと共に当時富山県内の4強に数えられた県立福野高校(現・県立南砺福野高校)へ進学。
長勢 甚遠(ながせ じんえん、1943年〈昭和18年〉10月… 長勢 甚遠(ながせ じんえん、1943年〈昭和18年〉10月3日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(7期)。 法務大臣(第77代)、内閣官房副長官(第3次小泉改造内閣)、法務副大臣(第2次森改造内閣)等を歴任。富山県魚津市名誉市民。 富山県魚津市石垣に生まれ、小学校入学時に父親の仕事の関係で富山市在住となった。富山市立柳町小学校、富山大学教育学部附属中学校、富山県立富山高等学校、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。東大法学部第3類(政治コース)在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)を合格。 1966年、労働省(現、厚生労働省)に入省する。1986年6月、労政局労働法規課長。
小林 光俊(こばやし みつとし、1943年5月2日 - )は… 小林 光俊(こばやし みつとし、1943年5月2日 - )は学校法人敬心学園の理事長。 1943年、富山県富山市八尾町生まれ。富山県立高岡高等学校、大東文化大学経済学部卒業。 岐阜県境にある白木峰山麓の静かな里山 旧大長谷村で育つ。大長谷小学校・中学校を本校とする栃折分校に通った。とにかく勉強嫌いで遊んでばかりのガキ大将だった。 中学一年生のとき、弁論大会に出場する。学校に対する問題点と生徒に対する問題点について熱弁し、二年生三年生を負かして優勝した。二年生のとき、柔道を習いたいと先生に申し出ると畳も用具もないからと断られたため大長谷村の役場にでかけ、村長に直談判したこともあった。村長は口約束で実行しなかったため「大人が子供に言ったことを守らない」と抗議し、そのことが村議会で問題となり、柔道用具や畳が入ったことがあった。
若見山 幸平(わかみやま こうへい、1943年4月16日 -… 若見山 幸平(わかみやま こうへい、1943年4月16日 - 没年不明)は、富山県富山市西田地方町出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は熊野 敏彦(くまの としひこ)。最高位は西関脇(1965年11月場所・1966年1月場所)。現役当時の体格は177cm、176kg。得意手は右四つ、寄り、極め出し。 14歳の時に立浪部屋へ入門し、1957年11月場所にて初土俵。同場所では番付外で好成績を残したため後半より新序に出世して相撲を取り、負け越したものの、翌場所では序ノ口を飛び越していきなり序二段に付いた。当初の四股名は、本名と同じ「熊野」。 その後も順調に出世し、1963年5月場所で十両に昇進した。
久々湊 晴夫(くぐみなと はるお、1943年4月14日 - … 久々湊 晴夫(くぐみなと はるお、1943年4月14日 - )は、日本の法学者。専門は、医事法・家族法。北海道医療大学名誉教授、元北海学園大学法科大学院教授。泉久雄門下。
舛方 勝宏(ますかた かつひろ、1943年2月16日 - )… 舛方 勝宏(ますかた かつひろ、1943年2月16日 - )は、日本のアナウンサー、実業家。日本テレビ放送網(NTV)でアナウンサーを皮切りに、グループ各社で管理職や役員職を歴任した。富山県魚津市出身。富山県立魚津高等学校、早稲田大学第一文学部社会学科卒業。 ※特記なき限り、日本テレビアナウンサー当時のもの。
宮林 正恭(みやばやし まさやす、1943年1月24日 - … 宮林 正恭(みやばやし まさやす、1943年1月24日 - )は、日本の官僚。リスク危機管理学者。松蔭大学観光メディア文化学部教授。元千葉科学大学副学長。博士(工学)。富山県高岡市出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
山崎 信三(やまざき しんぞう、1943年1月7日 - 20… 山崎 信三(やまざき しんぞう、1943年1月7日 - 2015年6月4日)は、スペイン語の文学者。元立命館大学経営学部教授。 富山県射水市生まれ。1966年同志社大学法学部卒業。スペインに渡りマドリード大学で学ぶ。1974年 - 1978年スペイン労働省中央労働災害防止協会翻訳室翻訳担当職員。1981年京都外国語大学大学院修士課程修了。1995年立命館大学経営学部助教授、1996年教授。2008年定年退任。2015年6月逝去、享年72歳。
広野 允士(廣野 允士、ひろの ただし、1943年1月1日 … 広野 允士(廣野 允士、ひろの ただし、1943年1月1日 - )は、日本の通産官僚、政治家。 衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)、参議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、民主党筆頭副幹事長、同参議院幹事長代理、同広報委員長、同富山県総支部連合会代表、国民の生活が第一副代表兼参議院議員会長、日本未来の党幹事(広報担当)、生活の党副代表・両院議員総会長・幹事会議長・富山県総支部連合会代表などを歴任。 選挙など政治活動の際には、姓を新字体、名を平仮名で表記した「広野ただし」名義を用いることが多いが、本名は漢字表記の「廣野允士」である。 富山県富山市出身。富山県立富山中部高等学校、東京大学工学部卒業後に通商産業省に技官で入省。
青山 邦夫(あおやま くにお、1943年 - )は、日本の元… 青山 邦夫(あおやま くにお、1943年 - )は、日本の元裁判官。退官後は、名城大学法務研究科(法科大学院)教授、弁護士(愛知県弁護士会所属)。
中村 良三(なかむら りょうぞう、1942年11月12日 -… 中村 良三(なかむら りょうぞう、1942年11月12日 - )は、日本の柔道家。講道館九段を取得している。 現役時代は全日本選手権出場等の実績を持ち、引退後は母校・東京教育大学および筑波大学にて教授や柔道部監督、国際柔道連盟教育理事等を歴任した。 富山県高岡市の生まれで、小学校低学年の時に母親の友人の女性から勧められて柔道を始めた。市立高陵中学校にて後々まで生涯の師と仰ぐ事となる向健三と出会い、中学3年次に県大会で団体戦・個人戦とも優勝。高校は県下有数の進学校である県立高岡高校へ進み、卒業後1961年に東京教育大学へ入学して稽古に励んだ。大学4年次の1964年には日本の柔道家にとっての檜舞台である全日本選手権に東京地区代表として出場を果たしている。
中﨑 久雄(なかさき ひさお、1942年8月6日 - )は、… 中﨑 久雄(なかさき ひさお、1942年8月6日 - )は、日本の政治家、医師。元神奈川県大磯町長(3期)。 富山県高岡市出身。1968年(昭和43年)3月、神戸大学医学部医学科卒業。1970年(昭和45年)3月、国立がんセンター病院外科レジデントになる。1980年(昭和55年)12月、東京大学より医学博士を授与。 2003年(平成15年)4月、東海大学医学部付属大磯病院長に就任。2007年(平成19年)4月、同大学健康推進センター所長に就任。2008年(平成20年)8月、大船中央病院長に就任。 2010年(平成22年)11月28日に行われた大磯町長選挙に無所属で出馬。現職の三好正則、元町議の渡辺順子、元町議の柴崎茂ら3名の候補者を相手に接戦を制し、初当選。
水上 千之(みずかみ ちゆき、1942年6月25日 - 20… 水上 千之(みずかみ ちゆき、1942年6月25日 - 2007年12月5日)は、日本の法学者。専門は国際法・海洋法。海洋法研究の大家の一人。学位は、博士(法学)(東北大学・論文博士・1995年)(学位論文「船舶の国籍と便宜置籍」)。広島大学名誉教授。富山県富山市出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。
姫野 敬輔(ひめの けいすけ、1942年1月16日 - )は… 姫野 敬輔(ひめの けいすけ、1942年1月16日 - )は日本の弁護士。京都府公安委員会委員長・元京都弁護士会会長。姫野法律事務所代表。特定非営利活動法人ジュベネイル・ガイド顧問弁護士。
角川 春樹(かどかわ はるき、1942年〈昭和17年〉1月8… 角川 春樹(かどかわ はるき、1942年〈昭和17年〉1月8日 - )は、日本の編集者、実業家、映画監督、俳人、宗教家。角川源義の長男で、株式会社角川春樹事務所代表取締役社長、宗教法人明日香宮宮司、俳句結社「河」主宰を務める。角川書店の二代目社長を務め、今日のKADOKAWA、角川映画の礎を築く。1993年に麻薬及び向精神薬取締法違反などの容疑で逮捕され、角川グループ各社の役職を辞任した。釈放後、新たに出版社の角川春樹事務所を設立した。モットーは『生涯不良。何か文句あるか』 富山県中新川郡水橋町に誕生し、東京都杉並区に育つ。父は角川書店創業者の角川源義、母は富美子(旧姓鈴木)。杉並区立杉並第五小学校、杉並区立天沼中学校を経て國學院大學久我山高等学校に入学。
南塚 信吾(みなみづか しんご、1942年1月3日 - )は… 南塚 信吾(みなみづか しんご、1942年1月3日 - )は、日本の歴史学者、千葉大学・法政大学名誉教授。専門はハンガリー史。2020年4月より「世界史研究所」所長。 1942年、富山県富山市生まれ。東京大学教養学部を卒業し、東京大学大学院博士課程修了。 卒業後は津田塾大学学芸学部の講師・助教授をつとめ、千葉大学文学部助教授・教授を経て、1998年から2000年まで千葉大学副学長を務める。2004年から法政大学国際文化学部教授を務め、2012年定年退職。名誉教授となる。 その間、ハンガリー(1972年 - 1974年、1991年 - 1992年)およびブルガリア(1983年 - 1984年)に留学した。
二橋 正弘(ふたはし まさひろ、1941年12月27日 - … 二橋 正弘(ふたはし まさひろ、1941年12月27日 - )は、日本の官僚。元内閣官房副長官(事務担当)、元自治事務次官。 富山県出身。高岡高校を経て、東京大学法学部卒業後の1964年 自治省に入省。静岡県副知事、自治省財政局長などを経て、1999年自治省最後の事務次官に就任。2003年9月から第1次小泉内閣第2次改造内閣以降の小泉内閣で内閣官房副長官(事務担当)を務めた。2006年9月の安倍内閣発足、的場順三の起用に伴い退任するが、2007年9月発足した福田康夫内閣で再起用される。経験者の再起用は異例。 2008年9月発足の麻生内閣発足に伴い退任、財団法人自治総合センター理事長に復帰した。
福田 富昭(ふくだ とみあき、1941年12月19日 - )… 福田 富昭(ふくだ とみあき、1941年12月19日 - )は、日本の実業家(会社社長)。アマチュアスポーツとプロスポーツの組織者。 国際レスリング連盟(FILA)副会長。公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)副会長を経て現在名誉委員および2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会評議員、文部科学省五輪対策チーム実行委員長。「美しい日本の憲法をつくる国民の会」代表発起人。雑誌出版・不動産仲介業の日本メディア・ミックス(株)取締役。株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス社外取締役。 日本オリンピック委員会副会長として、旧竹田宮家の竹田恒和同委員会会長(竹田恒泰の父)を補佐していた。
堀内 岩雄(ほりうち いわお、1941年12月9日 - 20… 堀内 岩雄(ほりうち いわお、1941年12月9日 - 2015年3月4日)は、富山県滑川市出身のレスリング選手で日本大学教授。1964年東京オリンピックレスリング男子フリーライト級銅メダリスト。日本大学卒業。 2015年3月4日午後0時7分、糖尿病のため死去。73歳没。3月11日に葬儀・告別式が営まれた。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
大澤 光民(おおざわ こうみん、本名:大澤 幸勝〈おおざわ … 大澤 光民(おおざわ こうみん、本名:大澤 幸勝〈おおざわ ゆきまさ〉、1941年9月26日 - 2023年10月29日)は、日本の鋳金作家。鋳金の伝統的な焼型鋳造を受け継ぐ一方、鋳型に銅など金属を埋め込んで文様を表す鋳ぐるみ技法を編み出した。重要無形文化財保持者(人間国宝)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
石出 宗秀(いしで むねひで、1941年3月12日 - )は… 石出 宗秀(いしで むねひで、1941年3月12日 - )は、日本の官僚。元総理府次長。富山県氷見市出身。千葉県流山市西初石在住。瑞宝重光章受章。 氷見市立西部中学校・富山県立氷見高等学校・富山大学経済学部経済学科卒業。1963年 運輸省に入省。海上保安庁経理補給部補佐官、第五管区海上保安本部経理補給部長、関東海運局運航部長、運輸審議会審理官、大臣官房観光部業務課長、海上保安庁経理課長、総理府内閣総理大臣官房参事官、公害等調整委員会事務局長などを経て、1992年7月に日本学術会議事務局長。1993年6月に賞勲局長。1996年7月5日より総理府次長(~1998年1月9日まで)。退官後は神奈川中央交通監査役・JR東日本フードビジネス監査役等を務めた。
數土 文夫(すど ふみお、1941年(昭和16年)3月3日 … 數土 文夫(すど ふみお、1941年(昭和16年)3月3日 - )は、JFEホールディングス第2代社長・相談役、元日本放送協会経営委員会委員長。元東京電力ホールディングス取締役会長。 富山県旧富山市の村役人を務めた家に生まれ、父は国語教師で、石動高校と新湊高校で校長を務め、婦中町教育長も務めた數土寅夫。富山県立富山中部高等学校、北海道大学工学部冶金工学科を卒業後、川崎製鉄に入社。 剛腕の経営者として知られ、為替、金利など経済・経営全般に関する発言も見られる。中国の古典を愛読。兄の直方はエスエス製薬名誉会長。東京大学工学部を卒業し、泰道照山の三女と結婚した。弟の数土武夫も東京大学工学部卒で、同仁医薬化工社長、エスエス製薬取締役を務めた。
坂田 信久(さかた のぶひさ、1941年2月20日 - )は… 坂田 信久(さかた のぶひさ、1941年2月20日 - )は、富山県出身の元テレビディレクター、サッカー選手、実業家。 日本テレビ放送網のスポーツ局次長、東京ヴェルディ1969(現・東京ヴェルディ)社長、国士舘大学大学院教授を歴任した。 富山県立富山中部高等学校時代はサッカー部に所属し、全国高等学校サッカー選手権大会に3年連続で出場した。1959年に入学した東京教育大学(現:筑波大学)でも蹴球部に入り1年生でレギュラーとなった。同期が今西和男、3学年上に上田亮三郎、1学年上に勝澤要、1学年下に松本光弘がいる。 当初は大学卒業後教師になるつもりであったが、1961年に当時サッカー日本代表の指導のため来日していたデットマール・クラマーの講演を聴き、その講演の中でクラマーが指導者の重要性と共に報道機関の重要性を説いたことでマスメディアへの興味がわいたという。
海堂 昌之(かいどう まさゆき、1941年1月15日 - )… 海堂 昌之(かいどう まさゆき、1941年1月15日 - )は、フランス文学者、作家。本名は斎藤昌三。法政大学教授を務めた。 富山県高岡市出身。東京大学仏文科卒、同大学院中退。 1968年に本名の斎藤昌三で「拘禁」により文学界新人賞受賞、芥川賞候補、同年「夜への落下」で同候補、1970年海堂昌之名義で「背後の時間」により太宰治賞受賞。 フロベールを専門とし、著作はほぼ本名の斎藤昌三名義で行っている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
古市 泰宏(ふるいち やすひろ、1940年12月18日 - … 古市 泰宏(ふるいち やすひろ、1940年12月18日 - 2022年10月8日)は、日本の分子生物学者。学位は、薬学博士(東京大学・1970年)。新潟薬科大学客員教授。mRNAの研究で知られる科学者。 日本統治時代の朝鮮・城津(現在の朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道金策市)に生まれる。日本が降伏すると、祖父の出身地である富山市に引き揚げる。 1959年富山県立富山中部高等学校卒業、1963年富山大学薬学部卒業、1969年に東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了、薬学博士号取得。同年から国立遺伝学研究所に在籍。 1974年アメリカ合衆国ニュージャージー州のロシュ分子生物学研究所に留学。 1975年、mRNAに「キャップ」という構造を発見した。
西 修(にし おさむ、1940年(昭和15年)6月2日 - … 西 修(にし おさむ、1940年(昭和15年)6月2日 - )は、日本の法学者。駒澤大学名誉教授。博士(政治学)(早稲田大学)、博士(法学)(日本大学)。専門は憲法・比較憲法学。 富山県出身。2011年(平成23年)3月、駒澤大学法学部教授を退任。防衛法学会名誉理事長。比較憲法学会副理事長。 1953年(昭和28年)、国立富山大学教育学部附属小学校卒業。1956年、国立富山大学教育学部附属中学校卒業。1959年、富山県立富山中部高等学校卒業。1964年、早稲田大学第一政治経済学部卒業。1966年、同大学院政治学研究科修士課程(憲法専修)修了。1970年 同博士後期課程(憲法専修)単位取得満期退学。
岩倉 高子(いわくら たかこ、1940年5月16日 - 20… 岩倉 高子(いわくら たかこ、1940年5月16日 - 2026年1月7日)は、日本の女優。富山県富山市出身。特技はバレエ、日舞。劇団青年座所属。父は作家の岩倉政治。 富山県立富山北部高等学校卒業。 高校を卒業後、上京して俳優座養成所に11期生として入社する。同期には工藤堅太郎、岩本多代らがいる。1964年に舞台でデビューする。その後は、舞台、映画、テレビドラマなどで活躍する。 2026年1月7日、肺がんのため死去した。85歳没。
石田 帰山(いしだ きざん、1940年5月10日 - )は、… 石田 帰山(いしだ きざん、1940年5月10日 - )は、日本の書家。本名、紀夫。元毎日書道展会員、元創玄書道会審査員。「唯一神又吉イエス主義を後世に伝える会」の題字を手掛けたことで知られる。石田紀夫名義で、テノール歌手としても活動している。 富山県魚津市生まれ。専修大学卒業、東京音楽大学大学院修士課程修了。文化功労者である書道家大平山濤に50年の間師事する。 19歳の時、書道家吉田帰雲、大平山濤両者から一字ずつもらい、雅号「帰山」を名乗りはじめる。1965年、文化勲章受賞者である金子鷗亭が立ち上げた書道会「創玄書道会」の開催する第1回創玄展に出品し、入選。1968年、鷗亭のもとへ向かう山濤と共に、東京に移り住む。
村椿 輝雄(むらつばき てるお、1940年 - )は、元野球… 村椿 輝雄(むらつばき てるお、1940年 - )は、元野球選手(投手)。 富山県黒部市出身。富山県立魚津高等学校に進学し、野球部に入部。1958年、第40回全国高等学校野球選手権大会にエースとして出場。1回戦で優勝候補の浪華商を完封。2回戦で明治を、3回戦で桐生を破り、ベスト8に進んだ。準々決勝では徳島商業の板東英二と投げ合い、ともに得点を許さず延長18回引き分けとなり、翌日再試合となった。翌日魚津は1 - 3で敗れたものの、初出場でベスト8まで進出した活躍は「蜃気楼旋風」と呼ばれた。 高校卒業後は三菱重工業に入社し、社会人野球を続けた。また三菱重工業では横浜造船所や石川県金沢市の支社に勤務し、米国三菱重工業株式会社駐在員としてアメリカ合衆国に長期滞在していたこともある。
黒部 進(、1939年〈昭和14年〉10月22日 - )は、… 黒部 進(、1939年〈昭和14年〉10月22日 - )は、日本の俳優。赤坂プロ、エヌ・エー・シー、竹内事務所、アクターズプロモーションを経て、アートプロモーションに所属。本名は吉本 隆志()。 富山県黒部市出身。生家は農業を営み、父は教師だった。富山県立桜井高等学校卒業。 中央大学経済学部に進学。中央大学に合格して上京するが、東京の雰囲気に慣れると次第に遊びにはまってしまう。四年時には芝居に興味を持ち始め、劇団表現座に身を置く。やがて、家賃を滞納したことからホームレスとなってしまい、靴磨きで生計を立てる。ある日、靴磨きの客として来た映画監督・山本嘉次郎から、東宝ニューフェイスの受験を勧められる。
利根川 進(とねがわ すすむ、1939年9月5日 - )は、… 利根川 進(とねがわ すすむ、1939年9月5日 - )は、日本の生物学者(カリフォルニア大学サンディエゴ校Ph.D.)。1987年、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。現在、マサチューセッツ工科大学教授(生物学科、脳・認知科学科)を務める他、ハワード・ヒューズ医学研究所研究員、理化学研究所脳科学総合研究センターセンター長、理研-MIT神経回路遺伝学研究センター長等も兼任。京都大学名誉博士。
辺見 じゅん(へんみ じゅん、本名:清水 眞弓(しみず まゆ… 辺見 じゅん(へんみ じゅん、本名:清水 眞弓(しみず まゆみ、旧姓:角川、邊見)、1939年(昭和14年)7月26日 - 2011年(平成23年)9月21日)は、日本の歌人・ノンフィクション作家。二人の娘がいる。 私小説風から童話・詩歌まで幅広い作品を手がける。ノンフィクションにおいては、丹念な聞き取りを元に構成されているとして評価が高い。私小説風作品においては、複雑な家庭環境を元に冷静で批判的に家族を捉える反面、親子の愛情について細やかに描写されている。 父の友人曰く伯父をモデルとした安一は5回離婚したが伯父が離婚したのは4回とコメントしている。 実母・富美子は花冷えの作中の母親が不倫をするくだりと夫婦喧嘩をしてヒステリーをおこす場面を読み「なぜ、実の娘がこんな見てきたような嘘を書くのか、私には分かりません。
金山 明博(かなやま あきひろ、1939年2月25日 - )… 金山 明博(かなやま あきひろ、1939年2月25日 - )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、漫画家。 東京都出身。大沢野小学校、速星中学校、富山県立富山工業高等学校卒業。虫プロダクションを経て、フリー。日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。 東京都四谷で生まれる。生家は市ヶ谷駐屯地の前で軍服の仕立て屋を営んでいた。第二次世界大戦により1944年に富山県の遠戚宅へ疎開、富山県では高校卒業まで過ごす。中学時代には美術部に所属。高校時代から本格的に漫画を描き始める。高校卒業後は集団就職した千葉県市川市の鉄工所に勤務しながら夜間は漫画修行という生活に明け暮れるが、1959年、20歳のときにいったん富山へ帰郷。
三栗 崇(みつくり たかし、1939年2月19日 - )は、… 三栗 崇(みつくり たかし、1939年2月19日 - )は、富山県出身の体操選手。富山県立富山中部高等学校から東京教育大学に進む。1960年ローマオリンピック、1964年東京オリンピック体操男子団体金メダリスト。妻は同じ体操選手の中村多仁子。引退後は国際武道大学教授を務めた。
三浦 安子(みうら やすこ、1938年12月18日 - )は… 三浦 安子(みうら やすこ、1938年12月18日 - )は、日本のドイツ文学・キリスト教学者、東洋大学名誉教授。 富山県立高岡高等学校卒。1961年、東京大学教養学部教養学科ドイツ分科卒、同大学院比較文学比較文化修士課程入学1962年10月、病気休学。1965年9月、西独ハンブルク大学留学。1967年、帰国。1968年、修士課程修了、1972年、博士課程単位取得満期退学。東洋大学文学部専任講師(ドイツ語)、1974年、助教授、1986年、教授、1992年、老人介護のため退職、非常勤講師、1994年、教授復帰、2000年、経済学部教授。2009年、定年退任、名誉教授。
中島 銀兵(なかじま ぎんぺい、1938年〈昭和13年〉6月… 中島 銀兵(なかじま ぎんぺい、1938年〈昭和13年〉6月6日- 1996年〈平成8年〉2月23日)は、元日本テレビ放送網のプロデューサー・ディレクター。 富山県出身。富山県立福野高等学校、成城大学文芸学部卒業。1963年に日本テレビ入社。同期入社に小林完吾(南日本放送から移籍)、今村倫子、青尾幸、徳光和夫、細川知正(元日本テレビ取締役最高顧問)がいる。 テレビ業界を志望した理由は、学生時代に当時の人気番組『お笑い三人組』(NHK)を観覧して、番組制作に憧れたためだと言う。 念願叶い開始直後の『笑点』にADとして配属、漫才ブーム時も『お笑いスター誕生!!』など多数の漫才番組を担当、その後も一貫して演芸・お笑い番組の制作を手掛けた。
松下 武義(まつした たけよし、1938年2月10日 - )… 松下 武義(まつした たけよし、1938年2月10日 - )は日本の実業家、徳間書店代表取締役相談役、多摩大学大学院経営情報学研究科客員教授、元・加州住友銀行代表取締役会長、元・東京総合信用代表取締役社長、クオーク初代代表取締役会長、元・大映代表取締役社長、元・徳間ジャパンコミュニケーションズ代表取締役会長。 1938年生まれ。富山県高岡市出身。高岡市立中田小学校、高岡市立中田中学校を経て、富山県立高岡高等学校にて学んだ。上京し、学習院大学の政経学部に入学し、1960年に卒業する。 大学卒業後、住友銀行に入行する。1985年に取締役となり、以降1988年に常務、1991年に専務に就任した。1992年、住友グループに属する信販会社である東京総合信用の社長に就任した。