八巻 九万(八卷 九萬、やまき くまん、1852年12月14… 八巻 九万(八卷 九萬、やまき くまん、1852年12月14日(嘉永5年11月4日)- 1929年(昭和4年)4月1日)は、明治から昭和初期の大地主、政治家。衆議院議員、山梨県会議長。号・水竹漁史。幼名は熊太郎。 甲斐国巨摩郡箕輪村(山梨県北巨摩郡安都那村箕輪、高根村、高根町を経て現北杜市高根町箕輪)で、大地主の家に生まれる。父は勘弥、母はちゑ子。徽典館で学び、その後も学業を続けたいとの希望がかなえられず出奔し、上京して慶應義塾で学んだ。父の病の知らせにより帰郷して看病に手を尽くしたが死去し、家督を相続して東京に戻り、学業を終えて帰郷した。 戸長、区長総代理、学区総取締などを歴任。1879年(明治12年)山梨県会議員に選出され、同議長も務めた。
天野 董平(あまの とうへい、1850年1月17日(嘉永2年… 天野 董平(あまの とうへい、1850年1月17日(嘉永2年12月5日)- 1923年(大正5年)6月24日)は、明治から大正初期の醸造家・実業家・政治家。衆議院議員、山梨県北都留郡笹子村長。 甲斐国都留郡吉久保村(山梨県北都留郡笹子村を経て現大月市笹子町吉久保)で、酒造業・天野五郎左衛門の長男として生まれる。漢学を修めた。明治2年1月(1869年)家督を相続し家業を継承した。 1872年(明治5年)吉久保村戸長に就任。笹子村戸長を務め、1882年(明治15年)山梨県会議員に選出され、同常置委員、同参事会員、所得税調査委員、徴兵参事員、笹子村長、笹子村会議員、北都留郡会議員なども務めた。 衆議院議員には第9回、第10回総選挙で当選し、立憲国民党に所属し連続2期在任した。
古屋 満寿(ふるや ます、1850年〈嘉永3年〉 - 190… 古屋 満寿(ふるや ます、1850年〈嘉永3年〉 - 1907年〈明治40年〉3月19日)は、日本の商人・慈善家。東京都銀座の百貨店である松屋の前身の1つ、鶴屋呉服店を、夫の古屋徳兵衛(1849年〈嘉永2年〉4月10日 - 1911年〈明治44年〉7月30日)と共に創業し、松屋の黎明期を支えた人物の1人である。出生名は牛山 とみ。甲斐国巨摩郡(後の山梨県)下教来石村出身。東北地方が飢饉に見舞われた際、白米を入れた袋を「同情袋」と名付けて多数送るなど、慈善事業を行なった。 下教来石村の村長である牛山半左衛門(牛山慶長)の長女として誕生した。1869年(明治2年)2月、隣村の巨摩郡上教来石村出身の古屋徳兵衛と、質素な祝言を挙げた。
広瀬 和育 (ひろせ わいく、嘉永2年4月14日(1849年… 広瀬 和育 (ひろせ わいく、嘉永2年4月14日(1849年5月6日) - 大正14年(1925年)4月29日)は、山梨県の名望家。貴族院議員、第十銀行頭取。号は梧邨、東田外史。 甲斐国巨摩郡藤田村(現在の山梨県南アルプス市)に、父・和達の長男として生まれる。明治6年(1873年)1月に藤田村戸長、1876年明治9年(1876年)10月に山梨県学区取締総理、明治12年(1879年)8月に藤田村会議長、明治17年(1884年)5月に藤田村浅原村両村戸長、明治19年(1886年)3月に三恵、鏡中条、下今井、藤田四ヶ村戸長を務めた。その後、明治22年(1889年)8月の町村制施行により藤田村の村会議員、村長となり、明治23年(1890年)3月から明治28年(1895年)9月まで山梨県会議員を務め、明治30年(1897年)9月には多額納税者の互選により貴族院議員となり、同年9月29日から明治34年(1901年)9月28日まで在任した。
永峯 秀樹(ながみね ひでき、嘉永元年6月1日(1848年7… 永峯 秀樹(ながみね ひでき、嘉永元年6月1日(1848年7月1日) - 昭和2年(1927年)12月3日)は、英文学者、翻訳家。 甲斐国巨摩郡浅尾新田(山梨県北杜市明野町)出身。本姓は小野で、父は蘭方医の小野通仙。永峰家の養子となる。父に従い甲府に居住し、甲府徽典館を卒業後、沼津兵学校で英語を学ぶ。1871年(明治4年)、東京築地の海軍兵学寮(海軍兵学校)で英語、数学教師。ギゾーの『欧羅巴文明史』の翻訳で、福地源一郎がソサエティの訳語として作った「社会」の語を広めた。ほか、『アラビアン・ナイト』を「暴夜物語」として初めて邦訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
小田切 謙明(おたぎり けんめい、弘化3年12月1日(184… 小田切 謙明(おたぎり けんめい、弘化3年12月1日(1847年1月17日) - 1893年(明治26年)4月9日)は、明治時代の自由民権運動家、山梨県の名望家。 甲斐国西山梨郡飯沼村(甲府市新青沼)に生まれる。生家は青沼村の村役人を務め、謙明も明治5年には戸長を務めている。1876年(明治9年)には若尾逸平らと金融会社の補融社を設立する。 山梨県では県令藤村紫朗への反発から自由民権運動が起こるが、謙明も藤村を批判し、観風新聞を創刊する。1884年(明治17年)6月には龍泉社を設立し、甲府市桜町(丸の内一丁目)に海洲温泉を開始する。その功績が生前から顕彰され「海洲大権現」としても祀られた。 1880年(明治13年)2月26日、峡中新報社社主の林誾とともに峡中同進会を設立し、依田孝、薬袋義一、加賀美平八郎、佐野広乃らとともに理事委員となる。
雨宮 敬次郎(あめのみや けいじろう、あめみや けいじろう、… 雨宮 敬次郎(あめのみや けいじろう、あめみや けいじろう、弘化3年9月5日〈1846年10月24日〉 - 1911年〈明治44年〉1月20日)は日本の実業家・投資家。「天下の雨敬」「投機界の魔王」「明治の鉄道王」などの異名をとった。 結束して商売にあたった甲州商人、いわゆる「甲州財閥」と呼ばれる集団の一人であり、「政治の伊藤博文、金の安田善次郎」とともに「事業の雨宮敬次郎」とまで謳われた。最も知られる功績として、現在の長野県軽井沢町の基礎となる植林事業や、日本製粉の設立、東京市街鉄道や大日本軌道といった鉄道分野での事業などがある。 甲斐国山梨郡牛奥村(現・山梨県甲州市塩山牛奥)に名主・雨宮總右衛門の三男として生まれる。
加賀美 光賢(かがみ みつかた、弘化3年2月24日(1846… 加賀美 光賢(かがみ みつかた、弘化3年2月24日(1846年3月21日) - 1907年(明治40年)4月8日)は、日本の海軍軍人(軍医)、医師。宮中顧問官。最終階級は海軍軍医総監。位階および勲等は正四位・勲三等。 弘化3年(1846年)2月24日、甲斐国西山梨郡住吉村(現在の山梨県甲府市で、身延線の甲斐住吉駅周辺)にある住吉神社の神職・加賀美光矩と、その妻である察の子として生まれる。清和源氏武田氏流・加賀美氏の末裔。 薩摩藩の医師石神良策に師事し、西洋医学をイギリス人医師のウィリアム・ウィリスに学ぶ。1872年、海軍軍医部の創設にともない軍医頭となり、1892年、海軍軍医学校長に任命された。
小林 やす(こばやし やす、1846年3月2日(弘化3年2月… 小林 やす(こばやし やす、1846年3月2日(弘化3年2月5日)? - 1964年(昭和39年)5月29日)は、長寿日本一とされていた山梨県大月市の女性。その長寿記録は老年学研究者団体ジェロントロジー・リサーチ・グループ (GRG) によって認定されていない。資料によっては「やそ」、「やと」という表記も見られるが、「やす」が正しい。 1846年(弘化3年)に山梨県東山梨郡平等村(現在の山梨市)の雨宮重右衛門の娘として出生。大月市役所保存の戸籍では妻(やすの母)は不詳で次女となっているが、山梨市役所保存の戸籍では妻:いえの子で長女であるとしている。また、養子の婿によると甲府勤番の武士であった福島某の孫で各地を養女として転々としたと言われている。
田辺 有栄(たなべ ゆうえい、1845年11月6日(弘化2年… 田辺 有栄(たなべ ゆうえい、1845年11月6日(弘化2年10月7日) - 1911年(明治44年)9月14日)は、日本の政治家、実業家。 甲斐国山梨郡下於曽村(現・山梨県甲州市塩山下於曽)に生まれる。幼名は栄次郎。田辺家は御三卿領である田安家領で郡中総代を務める家柄で、当主・田辺周右衛門の長男。『東山梨郡誌』による略歴によれば、田辺は甲府の徽典館で学んだという。幼くして村内抗争で両親を失い一時は駿河国の幕臣河辺家に移る。1870年(明治3年)、明治維新後に帰郷し、下於曽村の名主となる。 明治維新を経た山梨県では、1872年(明治5年)に県庁が甲斐独自の税制であった大小切税法廃止を断行し、国中三郡の百姓を中心に反対運動が激化し、大小切騒動が起こる。
結城 無二三(ゆうき むにぞう・弘化2年4月17日(1845… 結城 無二三(ゆうき むにぞう・弘化2年4月17日(1845年5月22日) - 明治45年(1912年)5月17日)は、明治時代のキリスト教メソジスト派伝道師。死後に息子結城禮一郎によって出版された書籍により、幕末期には京都見廻組及び新選組に所属していたとされるが、研究者からは疑問が持たれている。幼名は米太郎(よねたろう)、のち有無之助(うむのすけ)、さらに無二三(むにぞう)。名は影祐(かげすけ)といったが、知人からは「けいゆう」と呼ばれたという。 甲斐国の医師・古屋景仲の長男として生まれる。幼名の「有無之助」は「俺ほどの豪傑が世の中に有るか無いか」という意味で、「無二三」とは「俺ほどの豪傑は天下に二人も三人も居ない」という意味で名乗ったという。
依田 道長(よだ どうちょう / みちなが、1845年2月2… 依田 道長(よだ どうちょう / みちなが、1845年2月2日(弘化元年12月26日)- 1923年(大正12年)8月3日)は、幕末から大正期の豪農、実業家、政治家。衆議院議員。幼名・熊弥太。 甲斐国山梨郡下井尻村(山梨県東山梨郡日下部村、日下部町を経て現山梨市下井尻)で、豪農・依田帯刀の長男として生まれる。元治元年(1864年)新徴組に加わるが、その後帰郷し、新徴組取締の山岡鉄太郎(山岡鉄舟)に入門し撃剣を学んだ。上黒駒村(現笛吹市)の武藤藤太と国事に奔走し、勤王運動に加わった。 明治維新後、明治5年(1872年)下井尻村戸長に、1876年(明治9年)学区取締総理に就任。1880年(明治13年)峡中同進会員となり自由民権運動に参画。
内藤 伝右衛門(ないとう でんえもん、1844年3月2日(天… 内藤 伝右衛門(ないとう でんえもん、1844年3月2日(天保15年1月14日)- 1906年(明治39年)11月18日)は、日本の実業家。峡中新聞(現在の山梨日日新聞)創業者。 山梨県東山梨郡八幡北村(現山梨市)出身。幼名・猪之甫。実父は手塚仙一。養父は甲府で商家「藤屋」を営んでいた初代内藤伝右衛門、養母は女子教育の先駆者の内藤萬春。 10代半ばに初代伝右衛門が他界し家業を継ぎ2代目伝右衛門を襲名した。1862年(慶応2年)平田国学(篤胤)の殿堂気吹堂に入門する。1872年(明治5年)7月1日、 県令土肥実匡の指示、篤胤門下で初代中巨摩郡長の三枝七内の資金援助により峡中新聞(山梨日日新聞)を創刊した。
網野 善右衛門(あみの ぜんえもん、1843年2月9日(天保… 網野 善右衛門(あみの ぜんえもん、1843年2月9日(天保14年1月11日) - 1926年(大正15年)4月18日)は、明治時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 雨宮彦兵衛の二男として甲斐国東八代郡祝村(現・山梨県甲州市)に生まれる。1865年(慶応元年)同郡錦村の網野治郎右衛門の養子となり、1870年(明治3年)2月、家督を相続する。1872年(明治5年)11月、同村戸長に就任し、ついで八代郡第四区第五区蚕種製造世話掛、錦村副戸長、八代郡第五区長兼学区取締役、学区取締総理、学事会員嘱託を経て、1882年(明治15年)9月に錦村村会議員に当選した。 1884年(明治17年)9月、東八代郡錦生学校教育連合会議員に転じ、英村錦村所得税調査委員、東八代郡会議員、同郡参事会員、同郡所得税調査委員補欠などを経て、1902年(明治35年)1月、山梨県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年1月10日から1904年(明治37年)9月28日まで在任した。
渡辺 信(わたなべ まこと、天保11年2月1日(1840年3… 渡辺 信(わたなべ まこと、天保11年2月1日(1840年3月4日) - 明治44年(1911年)12月13日)は、明治時代の素封家、政治家、実業家、蔵書家。号は青洲(せいしゅう)。市川大門村(現在の市川三郷町)の自宅内に青洲文庫という私立図書館を設立した。 甲斐国島上条村(現・甲斐市島上条)の小田切五郎右衛門の三男、小田切五三郎として生まれる。万延元年(1860年)、甲斐国西八代郡市川大門村の豪農・豪商渡辺寿の次女ふじのの婿養子となり、名を信(まこと)に改める。1871年(明治4年)家督を相続する。 1877年(明治10年)、甲州葡萄の主要生産地である八代郡祝村(甲州市勝沼町)で、雨宮広光を社長として大日本山梨葡萄酒会社が発足し、渡辺は藤村紫朗・栗原信近・若尾逸平・初鹿野市右衛門らとともに株主の一人となっている。
中丸 精十郎(なかまる せいじゅうろう、天保11年1月1日(… 中丸 精十郎(なかまる せいじゅうろう、天保11年1月1日(1840年2月3日)(異説1841年) - 明治28年(1895年)11月15日)(異説1896年)は、日本の画家。明治時代前期に活躍した洋画家・日本画家、版画家。雅号は金峯・金峰。 甲府城下(山梨県甲府市若松町)に生まれる。父は「精七」、母は「婦さ」で精十郎は長男。精十郎の妻(後妻)はか祢で、長男は蓮一(精十郎)。 甲府横近習町の文人画家である竹邨三陽(たけむらさんよう)の画塾に学び、南画家の日根対山に師事する。対山は1869年(明治2年)に死去するが、精十郎はこれ以前に対山門下を離れており、この頃には精十郎の父が死去し家督を相続したものと考えられている。
広瀬 久光(ひろせ ひさみつ、天保10年5月13日(1839… 広瀬 久光(ひろせ ひさみつ、天保10年5月13日(1839年6月23日) - 明治43年(1910年)8月11日)は山梨県の名望家、戸長、県会議員。 地域の戸長、区長などを歴任、また東山梨郡書記に任用されるなど、地方自治や農政の進展に貢献した。明治13年(1880年)から二期4年間、県会議員に在任活躍し、特に青梅街道の開発に最も力を注いでいた。また、自家の屋敷は「於曽屋敷」として昭和38年(1963年)9月9日に山梨県指定の史跡に指定されている。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
10代 加賀美 嘉兵衛(かがみ かへえ、1835年12月11… 10代 加賀美 嘉兵衛(かがみ かへえ、1835年12月11日(天保6年10月22日) - 1891年(明治24年)10月14日)は、幕末から明治期の豪農、政治家。旧名・次左衛門光則。 甲斐国八代郡南八代村(山梨県東八代郡南八代村、八代村、八代町を経て現笛吹市)で生まれた。生家の加賀美家は八代郡小石和筋きっての大富豪。幕末には甲州田安家領の支配勘定格・郡中取締役を務めた。 明治維新後、1872年(明治5年)八代郡第7区長、同第8区長に就任し、藤村紫朗県政に協力した。その後、第22区長、第23区長となる。1878年(明治11年)東八代郡長に就任し東山梨郡長を兼務した。 その後、県内の民権派に対抗して立憲保守党の設立に尽力した。
杉浦 譲(すぎうら ゆずる、天保6年9月25日〈1835年1… 杉浦 譲(すぎうら ゆずる、天保6年9月25日〈1835年11月15日〉- 1877年〈明治10年〉8月22日)は、幕末期の幕臣。明治初期の官僚。通称は愛蔵。幼名は昌太郎。字は子基。雅号は温斎、靄山など。甲斐国山梨郡府中(現在の山梨県甲府市)出身。 代々甲府勤番士を務める家に生まれる。勤番子弟の学問所である徽典館に入り、19歳で助教授となった。文久元年(1862年)に江戸に派遣され、外国奉行支配書物出役となり、後に調役に昇進。文久3年(1863年)に幕府の外交使節の一員としてフランスに派遣され、続いて慶応3年(1867年)にもパリ万国博覧会に派遣され、徳川昭武(清水徳川家当主)の随員として、渋沢栄一らと共に再び渡仏す。
初代若尾 幾造(わかお いくぞう、1829年(文政12年12… 初代若尾 幾造(わかお いくぞう、1829年(文政12年12月)- 1896年(明治29年)10月10日)は、幕末から明治期の実業家。 甲斐国巨摩郡在家塚村(のち山梨県中巨摩郡在家塚村、現南アルプス市在家塚)で、若尾林右衛門の息子として生まれる。分家して農業に従事した。 商業に興味がなかったが、異母兄若尾逸平の熱心な勧誘を受け、安政6年(1859年)横浜に出て生糸売込業、綿花・水晶・砂糖の取引業に従事。1875年、兄弟で財産を分割して、横浜本町で生糸売込業を開業した。1880年、横浜商法会議所設立に伴い初代常議員となり、1893年、若尾銀行を設立して頭取となった。
白野 夏雲(しらの かうん、文政10年閏6月26日〈1827… 白野 夏雲(しらの かうん、文政10年閏6月26日〈1827年8月18日〉 - 明治33年〈1900年〉9月8日)は、明治時代の物産研究家、アイヌ語研究家。本名は今泉 耕作(いまいずみ こうさく)。 甲斐国都留郡白野村(現在の山梨県大月市笹子町)の出身。代官の手代の家に生まれたがあまり教育を受けることができず、岩瀬忠震が徽典館の学頭をしていたときにその学僕となって少し書物を読んだ程度という。幕末には江戸に出て、幕府・歩兵の輜重隊の頭と軍事顧問を命ぜられ小川町に駐屯していた。1864年に天狗党の乱が起き、日光の警備を命じられ任地に赴く。1868年に彰義隊が上野に立てこもった時は浅草の蔵を守っていたが、官軍が江戸に入り徳川の残党を追求するに至って、隊を率いて新宿口から甲州へと逃げることができた。
若尾 逸平(わかお いっぺい、文政3年12月6日(1821年… 若尾 逸平(わかお いっぺい、文政3年12月6日(1821年1月9日) - 大正2年(1913年)9月7日)は日本の実業家・銀行家・政治家。貴族院議員、初代甲府市市長。従六位。 根津嘉一郎・雨宮敬次郎らとともに、郷土意識で緩やかな資本連合を持ち、中央経済界で影響力を持った甲州財閥と呼ばれるグループのひとりで、若尾家はその中核にあたる。 甲斐国西郡筋在家塚村(現在の山梨県南アルプス市在家塚)に生まれる。生家は百姓で、父は若尾林右衛門。逸平は長男。若尾逸平の来歴や逸話などは、1914年に内藤文治良の記した伝記『若尾逸平』に記されている。十代の頃、江戸に出て材木奉行の清水新右衛門に仕えたもののうまくいかず帰郷。
竹居 安五郎(たけい やすごろう、文化8年4月15日(181… 竹居 安五郎(たけい やすごろう、文化8年4月15日(1811年6月5日) - 文久2年10月6日?)は、日本の侠客。言葉にどもりがあり、竹居の吃安(どもやす)とも言われる。本名は中村安五郎で、名は安蔵とも記される。甲州博徒の一人で、上黒駒村出身の黒駒勝蔵の兄貴分としても知られる。 甲斐国東八代郡竹居村(山梨県笛吹市八代町竹居)に生まれる。生家の中村家は竹居村の名主を務めた家柄で、父は甚兵衛、母は「やす」。安五郎は甚兵衛の4男。父の甚兵衛は無宿人を取り締まる郡中総代にも任じられている。 安五郎の青年期には甲斐国でも無宿・博徒の活動が活発化し、天保7年(1836年)8月に発生した天保騒動は甲斐一国規模の一揆となり、「悪党」と呼ばれた多くの無宿が騒動に参加し激化した。
三枝 雲岱(さいぐさ うんたい、文化8年〈1811年〉 - … 三枝 雲岱(さいぐさ うんたい、文化8年〈1811年〉 - 明治34年〈1901年〉3月21日)は、日本の画人。本名は小野 太(おの ゆたか)。 甲斐国巨摩郡明野村浅尾新田(現・山梨県北杜市明野地区)で小野家の子として生まれた。14歳の時に蔵原村(現・北杜市高根町蔵原)の宝源寺三枝氏を継いだ。幼児より絵をたしなみ、甲府の画家竹村三陽(竹邨三陽)に師事し、その後京都に出て、日根対山に南宗画を学び、明治13年(1880年)3月、明治天皇山梨巡幸の際に「御嶽新道」・「玉堂富貴」2帖を作り献上した。 特に花鳥、中でも牡丹を描いたものが多い。山水画にもすぐれた作品があり、梅・蘭・百合・まつり・くちなし・桂花・水仙の七香に竹と石を配した「七香三友図」。
峰丘 奈知(みねおか なち、10月20日 - )は、元宝塚歌… 峰丘 奈知(みねおか なち、10月20日 - )は、元宝塚歌劇団・花組の娘役。 山梨県中巨摩郡、山梨英和高校出身。身長160cm。愛称は「しいちゃん」。
塩澤 未佳子(しおざわ みかこ、9月25日 - )は、山梨県… 塩澤 未佳子(しおざわ みかこ、9月25日 - )は、山梨県内で活躍するラジオパーソナリティ(YBSラジオキャスター)、オンライン話し方教室講師である。山梨県甲斐市出身。武蔵野女子大学卒業。
清田愛未(きよた まなみ、4月3日 - )は、日本の作曲家、… 清田愛未(きよた まなみ、4月3日 - )は、日本の作曲家、歌手、編曲家、ラジオパーソナリティ。旧芸名は清田まなみ。 山梨県出身。4歳からピアノを習い、クラシックなどの音楽に親しむ。『ドラゴンクエスト』をプレイしたことでゲームにも作曲家がいることを知り、この頃からいつかゲームミュージックを作曲してみたいと思っていた。中学時代は吹奏楽部でトランペットを担当していた。高校時代、クラシックの声楽を、音楽大学時代はブルガリアのコーラスや日本民謡に興味を持ち、レッスンに通った経験もある。大学で作曲を学び、中学と高校の教諭一種免許状(音楽)を取得している。 ゲームミュージック作曲家になりたいと思ったまま、大学在学中に歌手デビューし、地方の歌謡ショーや地元テレビやラジオに出演、そのうち作曲の仕事もするようになった。
すもと 亜夢(すもと あむ、1月27日 - )は、日本の漫画… すもと 亜夢(すもと あむ、1月27日 - )は、日本の漫画家。山梨県出身で血液型はO型。趣味はバラの栽培。 「るりちゃんパラダイス」でデビュー。主に『Cheese!』『プチコミック』(いずれも小学館)などで活躍している。
井上 真樹夫 は、日本の俳優、声優、作詞家。山梨県甲府市出身… 井上 真樹夫 は、日本の俳優、声優、作詞家。山梨県甲府市出身。青二プロダクションに所属していた。
輿水 恵一 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(… 輿水 恵一 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(5期)。
窪田 等 は、日本の男性ナレーター、声優であり、YouTub… 窪田 等 は、日本の男性ナレーター、声優であり、YouTuberでもある。山梨県出身。シグマ・セブン所属。
中島 克仁 は、日本の政治家、医師。
三澤 紗千香 は、日本の女性声優、歌手。フリー。山梨県出身。
諸角 憲一 は、日本の男性俳優、声優。山梨県甲府市出身。
古屋 亜南 は、日本の男性声優。山梨県甲斐市出身。クレイジー… 古屋 亜南 は、日本の男性声優。山梨県甲斐市出身。クレイジーボックス所属。
『白線流し』 『将太の寿司』 『イタズラなKiss』
おまた かな は、日本の舞台女優、声優。山梨県大月市出身。テ… おまた かな は、日本の舞台女優、声優。山梨県大月市出身。テアトル・エコー所属。
長田 佳奈(おさだ かな)は、日本の女性漫画家。山梨県甲府市… 長田 佳奈(おさだ かな)は、日本の女性漫画家。山梨県甲府市出身。 戦前の古き良き時代を舞台に、女性目線でみた日常生活を描いた作品が多い。作中の時代背景における世相を反映した生活文化の描写を事細かく丁寧に描いており、解説にも定評がある。 山梨県甲府市出身。山梨県立市川高等学校(現:山梨県立青洲高等学校)を卒業後、大学家政学部に進学。 大学を卒業後、福祉関係や臨時雇いの教職に就いて働きながら漫画を描く生活がおよそ5年間ほど続いた。 同人サークルで活動をしていたことがあり、同人誌即売会にも参加していた。ある年のCOMITIAに参加した時、たまたま会場に居合わせた漫画編集者の目に留まり、連載を薦められて2013年頃に商業誌デビュー。
金丸 淳一 は、日本の男性声優。81プロデュース所属。山梨県… 金丸 淳一 は、日本の男性声優。81プロデュース所属。山梨県甲府市出身。
長田 江身子 は、日本の元女優、元タレント。山梨県都留市出身… 長田 江身子 は、日本の元女優、元タレント。山梨県都留市出身。身長165cm。クイズ番組『世界・ふしぎ発見!』のミステリーハンターとして知られる。かつてビッグアップル(のちヒラタオフィスに吸収合併)に所属していた。
白須 慶子 は、山梨県出身の女優。株式会社ぱあとなあ所属。
堀内 良平 は、日本の実業家、政治家、文筆家である。富士身延… 堀内 良平 は、日本の実業家、政治家、文筆家である。富士身延鉄道 、富士山麓電気鉄道 、東京乗合自動車(戦時統合を経て現在の都営バス)の設立と経営に尽力し、山中湖一帯の別荘地開発を推進した。このことにより、富士急行グループの事実上の創業者と見なされ、甲州財閥の一人とされる。新聞記者であったこともあり、「堀内浩庵」というペンネームで執筆活動を行っており、富士五湖の命名者である。また日蓮宗を深く信仰していた。
PAPA(ぱぱ)は、山梨県南アルプス市出身の漫画家。主にアン… PAPA(ぱぱ)は、山梨県南アルプス市出身の漫画家。主にアンソロジーコミックや4コマ漫画を手がける。趣味は自転車でのツーリング。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
『聯合艦隊司令長官 山本五十六』 『八日目の蝉』
望月 智(もちづき さとし、10月7日 - )は、テレビ山梨… 望月 智(もちづき さとし、10月7日 - )は、テレビ山梨の社員で同局の元アナウンサー。妻は、同じくテレビ山梨のアナウンサーであった望月圭子。 山梨県南巨摩郡身延町出身。駒澤大学卒業。 1995年、テレビ山梨に入社した。同局のアナウンサーを務めた後、報道記者やCG制作などを歴任した。 2019年11月、出身地である身延町の観光大使に就任した。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
まつり(9月27日 - )は、山梨県笛吹市出身のシンガーソン… まつり(9月27日 - )は、山梨県笛吹市出身のシンガーソングライターである。 TikTokやYouTubeなどのSNSのほか、山梨で開催されているライブイベントで活動している。 2020年5月、シングル「だーりん。」でデビュー。本楽曲は、2019年末にYouTubeにて先行公開され、数ヶ月で再生回数が100万回を超えた。 2020年7月1日には「インディーズ」、7月29日には「また明日。」がリリースされた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
神田 こなぎ(かんだ こなぎ、7月10日 - )は、講談協会… 神田 こなぎ(かんだ こなぎ、7月10日 - )は、講談協会に所属する講談師。本名:大越 梨恵。 山梨県南アルプス市出身、山梨県立女子短期大学卒業。 2011年9月、神田すみれに入門、「こなぎ」を名乗る。12月に講談協会の前座となる。 2016年10月、二ツ目に昇進。 2025年3月30日、真打に昇進した。4月より真打昇進披露興行が行われる。
朝霧 かな(あさぎり かな、旧活動名及び本名:古屋 佳奈子(… 朝霧 かな(あさぎり かな、旧活動名及び本名:古屋 佳奈子(ふるや かなこ)、6月13日 - )は、競技麻雀のプロ雀士。RMU所属。 山梨県南都留郡富士河口湖町出身。2012年、「古屋佳奈子」の本名で日本プロ麻雀協会に入会しプロ雀士となる(第11期後期)。 会社員をしながらプロ雀士として活動していたが、会社内で麻雀にいいイメージを持たれていなかったこともあり、2018年にRMUに移籍し、同時に活動名を「朝霧かな」に改めた。 この項目は、雀士に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝)。
田中 真尋(たなか まひろ、3月26日 - )は、山梨放送の… 田中 真尋(たなか まひろ、3月26日 - )は、山梨放送の元ニュースキャスター。 山梨県中巨摩郡若草町(後の南アルプス市)出身。山梨県立甲府第一高等学校、首都大学東京卒業。 大学を卒業後、2009年に山梨放送に入社。報道記者やフィールドキャスターとして活動した後、2021年3月から2024年3月まで3年間『YBSワイドニュース』のメインキャスターを務めていた。 ニュースキャスター担当時には報道制作局報道部所属であったが、2024年4月1日付でビジネス推進部副部長に着任した。
水萌 みず(みなも みず、3月5日 )は、日本のアイドル、… 水萌 みず(みなも みず、3月5日 )は、日本のアイドル、女優、プラモデラー、ラジオパーソナリティ。ダブルツー所属。 山梨県笛吹市出身。身長:157cm。血液型:A型。趣味:プラモデル・ゲーム。日本大学芸術学部演劇学科演出コース卒。 同じ中学高校の同級生に古今亭雛菊がいる。 女性アイドルグループ・BANZAI JAPANの元メンバー。初期メンバーの1人で「山梨県の伝道師」として2014年から2017年4月まで活動した。グループ在籍中の2015年にやまなし大使に就任。 2017年4月よりソロ活動開始。ほくとインフルエンサー・笛吹市観光大使にも任命される。 2025年7月4日~6日、ガンダム個展「世界一可愛いガンプラミズダム展Vo.1」をパズル浅草橋にて開催。