野明 花菜(のあけ はな、2004年11月28日 - )は、… 野明 花菜(のあけ はな、2004年11月28日 - )は、日本のスピードスケート選手。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。下諏訪町立下諏訪中学校、長野県岡谷南高等学校を経て立教大学スポーツウエルネス学部スポーツウエルネス学科在学中。 両親は共に元スピードスケート選手で、父は元男子1,500m世界記録保持者の野明弘幸、母は1992年アルベールビルオリンピック代表の上原三枝である。 中学校時代は陸上競技もやっており、1,500mの選手で地域大会出場経験もあった。 高校に上がってから本格的にスピードスケートに専念、ジュニアワールドカップで世界各地を転戦するなどの経験を重ねる。 2024年の世界ジュニアスピードスケート選手権大会(日本・青森県八戸市)では日本代表として出場し、女子チームパシュートで金メダルを獲得した。
小島 良太(こじま りょうた、1998年5月11日 - )は… 小島 良太(こじま りょうた、1998年5月11日 - )は、日本の男子スピードスケート選手。2022年北京オリンピック日本代表。 1998年、長野県長野市出身。兄の影響で、3歳よりスケートを始める。 1998年に開催された長野オリンピック競技会場(エムウェーブ)に於いてエムウェーブスケートクラブで、本格的にスピードスケートを始める。 長野市立芹田小学校、長野市立櫻ヶ岡中学校、長野県立屋代高等学校を経て、長野五輪で清水宏保を金メダルに導いた結城匡啓コーチの下で学ぶため信州大学に進学。同大学では2018年平昌オリンピック500m金メダルの小平奈緒、山中大地、近藤太郎、山田梨央とともに練習する。 信州大学教育学部学校教育教員養成課程 野外教育コース卒業。
曽我 こなみ(そが こなみ、1995年4月9日 - )は女子… 曽我 こなみ(そが こなみ、1995年4月9日 - )は女子スピードスケート選手。日本代表選手。長野県諏訪市出身。佐久長聖高校卒業。日本ハウスホテル&リゾート所属。 2019年世界距離別選手権女子500m 銅メダリスト。2023年四大陸選手権女子500m 銀メダリスト。2018年スピードスケートW杯(ポーランド・トマショフマゾウィエツキ大会)金メダリスト。インターハイ、国体(成女)500m優勝者。 1995年4月9日 長野県諏訪市生まれ。幼少の頃からスピードスケートを始め、諏訪市立湖南小学校、諏訪市立諏訪西中学校時代から当時の長野県記録を更新し全国大会でも活躍していた。2011年スピードスケートの名門・佐久長聖高校へ進学すると、全国高等学校スケート選手権大会で500m優勝、日本代表選手として出場したジュニアW杯カルガリー大会では、500m 3位、銅メダリストとなった。
大林 昌仁(おおばやし まさひと 1994年6月10日 - … 大林 昌仁(おおばやし まさひと 1994年6月10日 - )はスピードスケート選手。ISUスピードスケート・W杯日本代表。 2021年11月、スピードスケートW杯(ポーランド・トマショフマゾウィエツキ大会)男子マススタート金メダリスト。 長野県南佐久郡川上村出身。川上村立川上中学校、佐久長聖高校、山梨学院大学卒。福井県スポーツ協会所属。
菊池 萌水(きくち もえみ、女性、1992年4月6日 - )… 菊池 萌水(きくち もえみ、女性、1992年4月6日 - )は、日本のショートトラックスピードスケート選手。長野県野沢北高等学校卒業。早稲田大学社会科学部を経て、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に在学中。KHネオケム株式会社所属。 長野県南佐久郡南相木村出身。南相木小学校、小海中学校、野沢北高校、早稲田大学出身。五人姉妹の四女で、二女は平昌五輪スピードスケートチームパシュート金メダリストの菊池彩花。三女の菊池悠希、五女の菊池純礼もショートトラック選手というスケート一家で育つ。なお、全日本ショートトラックスピードスケート選手権の女子総合優勝は、2016/17シーズンが萌水、2017/18シーズンは悠希、2018/19シーズンは純礼と、3期連続で菊池家が総合タイトルを手にしている。
山中 大地(やまなか だいち、1990年5月1日 - ) は… 山中 大地(やまなか だいち、1990年5月1日 - ) は、日本の男子スピードスケート選手。平成30年度日本スケート連盟のシニア強化選手A。 1990年、長野県南佐久郡川上村の出身。長野工業高等専門学校に進学後、株式会社電算に所属。小平奈緒選手らとともに、結城匡啓コーチ(現信州大学教育学部教授)から指導を受けている。 以下に自己記録を記載する。
酒井 裕唯(さかい ゆい、1987年12月7日 - )は、日… 酒井 裕唯(さかい ゆい、1987年12月7日 - )は、日本のショートトラックスピードスケート選手。 長野県出身。姉の影響で3歳のときにスケートを始め、ショートトラックは小学校4年より始める。長野県岡谷東高等学校在学中の2005年にスピードスケート・ショートトラックのワールドカップ(W杯)に初出場。高校卒業後は早稲田大学に進学し、2010年、バンクーバーオリンピックの500mと3000mリレーに出場し、500mは予選で敗退して17位、3000mリレーでは7位。大学卒業後は岐阜クラブに所属していた。 2011年2月1日、カザフスタンで行われたアジア冬季競技大会の女子500mで銅メダルを獲得。2月20日、W杯ドイツ・ドレスデン大会女子1000mで2位となり、初めてW杯個人種目の表彰台に登壇。
菊池 彩花(きくち あやか、本名:長島 彩花、1987年6月… 菊池 彩花(きくち あやか、本名:長島 彩花、1987年6月28日 - )は、日本の元スピードスケート選手。富士急行所属。平昌オリンピックのスピードスケート女子チームパシュート金メダリスト。2018年より日本スケート連盟ナショナルチーム(NT)強化コーチ、富士急行スケート部コーチを務める。 長野県南佐久郡南相木村出身。南佐久郡小海町北相木村南相木村中学校組合立小海中学校時代からスピードスケートで全国大会に出場。佐久長聖高等学校を経て、2006年に富士急行に入社。 2011年のアジアスピードスケート選手権で総合3位に入賞。 2013年10月の第20回全日本スピードスケート距離別選手権大会1500mでは、日本国内最高記録となる1分58秒12で初優勝し、ワールドカップ出場が内定した。
小平 奈緒(こだいら なお、1986年5月26日 - )は、… 小平 奈緒(こだいら なお、1986年5月26日 - )は、長野県茅野市出身のスピードスケート選手。バンクーバーオリンピック女子団体パシュート銀メダリスト。信州大学教育学部卒業。相澤病院所属。
名取 英理(なとり えり、1985年9月23日 - )は、長… 名取 英理(なとり えり、1985年9月23日 - )は、長野県茅野市出身のスピードスケート選手である。 茅野市立永明中学校-東海大学付属第三高等学校-山梨学院大学-十六銀行。 2010年バンクーバーオリンピック代表に選ばれ、女子3000m21位となった。
小澤 美夏(おざわ みか、1985年8月9日 - )は、長野… 小澤 美夏(おざわ みか、1985年8月9日 - )は、長野県塩尻市出身のショートトラックスピードスケート選手。2001年世界ジュニア選手権出場を皮切りに、2002年ソルトレークシティオリンピック出場、2006年トリノオリンピックでは1000mで9位と着実に成績を上げてきている。2010年バンクーバーオリンピックで3大会連続出場。 堺女子高校、阪南大学を卒業し、現在は阪南大学職員。
上原 龍(うえはら りゅう、1985年4月4日 - )は、長… 上原 龍(うえはら りゅう、1985年4月4日 - )は、長野県軽井沢町出身の競輪選手、元スピードスケート選手。競輪選手としては日本競輪選手会長野支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第95期生。師匠は市村和昭(48期)。 軽井沢中学校時代、2001年の全国中学スケート競技大会500mで優勝。 佐久長聖高等学校時代、2003年の国体スピードスケート・少年男子1000mにおいて、2010年のバンクーバーオリンピック500mで銅メダルを獲得することになる加藤条治を破って優勝。 しかし、社会人になってからは成績が伸び悩み、目標としていた2006年のトリノオリンピックの出場を果たせなかったことから、自身の父親との交友があった市村和昭に弟子入りし、競輪選手を目指すことになった。
吉井 小百合(よしい さゆり、現在の本姓は橋本、1984年1… 吉井 小百合(よしい さゆり、現在の本姓は橋本、1984年11月28日 - )は、元スピードスケート選手。最も得意な種目は500mで、1000mでも力を発揮した。 長野県出身。茅野市立泉野小学校、茅野市立東部中学校、東海大学付属第三高等学校を経て、日本電産サンキョーに所属していた。出身の泉野小学校は校庭に毎冬リンクを作りスケートの授業がある。5歳の頃、姉の影響でスピードスケートを始める。 ワールドカップ(W杯)通算2回優勝。2006年トリノオリンピックでは、500m9位、1000m15位だった。 2010年バンクーバーオリンピック、500mでは5位と前大会より順位を上げ入賞を果たしたが、1000mは15位と前回と同じで、1500mは26位と芳しくなかった。
新谷 志保美(しんや しほみ、1979年8月10日 - )は… 新谷 志保美(しんや しほみ、1979年8月10日 - )は、日本の女子スピードスケート選手である。筑波大学体育専門学群卒業。156cm、51kg。現姓は神津。 長野県上伊那郡宮田村出身。兄は長野県の中学校教師で社会科を教えている。小学二年生のとき、父が経営するクラブでスケートを始める。1995年の全国中学校スケート大会で500m・1000mの2冠を達成。 多くのスポーツ名門校からの誘いを蹴り、スポーツ界では無名だった地元進学校の長野県伊那北高等学校に進学。1996・97年の高校総体500mで連覇。 筑波大学進学後も学生スプリント2年連続完全制覇など学生タイトルを総なめにする。卒業後、竹村製作所へ入社。
外ノ池 亜希(とのいけ あき、1979年3月3日 - )は、… 外ノ池 亜希(とのいけ あき、1979年3月3日 - )は、長野県上伊那郡辰野町出身のスピードスケート選手である。所属はアルピコ→ストロングスアスリートクラブ。父はコーチでもある外ノ池信平。 東海大学付属第三高等学校在学時1996年アジア冬季競技大会に出場、1000mと1500mで銀メダルを獲得した。18歳で1998年長野オリンピック出場、1500mで16位となった。以降2002年ソルトレークシティオリンピック、2006年トリノオリンピックと3大会連続出場。ソルトレイクシティでは女子1000メートルにて1分14秒64の日本記録で7位に入賞。 2006年現役引退を表明。その後江連忠ゴルフアカデミーに入門、「チーム・江連」の一員となり、プロゴルファーを目指し修行を積んでいる。
篠原 祐剛(しのはら ゆうごう、1978年11月2日 - )… 篠原 祐剛(しのはら ゆうごう、1978年11月2日 - )は、長野県原村出身の元ショートトラックスピードスケート選手。山梨学院大学卒。1998年長野オリンピック、2002年ソルトレークシティオリンピックと、計2度の冬季オリンピックに出場。現在、山梨学院大学スケート部コーチ。
今井 裕介(いまい ゆうすけ、1977年9月20日 - )は… 今井 裕介(いまい ゆうすけ、1977年9月20日 - )は、日本の元スピードスケート選手、元競輪選手。長野県南佐久郡臼田町(現・佐久市)出身。身長175cm、体重75kg。 佐久長聖高等学校時代はショートトラックスピードスケート選手。ショートトラックでは全日本選手権を制し日本代表を経て山梨学院大学入学後にスピードスケートに転向。長野オリンピックでは1000m11位、1500m16位、ソルトレークシティオリンピックでは1000m15位、1500m34位。トリノオリンピックでは1000m20位、1500m34位。 2001年3月、同種目で1分45秒49の日本新をマークした。世界歴代2位に相当する好記録。
伊藤 大理(いとう ひろみち、1976年10月23日 - )… 伊藤 大理(いとう ひろみち、1976年10月23日 - )は元スピードスケート選手で、現在は長野県を登録地(日本競輪選手会新潟支部所属)とする競輪選手。 かりがね自転車競技場をホームバンクとしている。 スピードスケート選手時代、1999年に大韓民国春川市で行われた第4回アジア冬季競技大会・1500mで3位に入った。この他、真駒内選抜スピードスケート競技会での優勝経験を有する。 冬季アジア大会の銅メダル獲得を契機に、競輪選手への転身を決意。同じくスピードスケートから競輪へ転身した市村和昭(競輪学校48期生)に師事し、日本競輪学校第85期適性試験に合格。 2000年8月8日、立川競輪場でデビューし、初勝利も同日。
野明 弘幸(のあけ ひろゆき、1974年8月24日 - )は… 野明 弘幸(のあけ ひろゆき、1974年8月24日 - )は、長野県出身の男性スピードスケート選手。1998年長野オリンピック、2002年ソルトレイクシティオリンピックスピードスケート日本代表。長野県岡谷南高等学校を経て日本体育大学卒業。妻は元スピードスケート選手で、1992年アルベールビルオリンピック、1998年長野オリンピックのスピードスケート日本代表の上原三枝。娘の野明花菜もスピードスケート選手で、2026年ミラノ・コルティナオリンピックのスピードスケート日本代表である。 長野県諏訪郡原村に生まれた。世界ジュニア選手権では2位となり、1994年世界選手権では5位。1994年12月のISUワールドカップ男子1500mメートルでは、日本人選手初の中長距離種目優勝を飾った。
今村 俊明(いまむら としあき、1962年5月11日 - )… 今村 俊明(いまむら としあき、1962年5月11日 - )は、長野県岡谷市出身の元スピードスケート選手、実業家。 岡谷南高校1年時の第28回インターハイ5000m、3年時の第30回大会10000mで優勝。 日本大学在学中の1984年サラエボオリンピックに出場、5000m26位、10000m23位となった。1984年の第53回全日本スピードスケート選手権大会総合優勝。日大卒業後の1985年春三協精機に入社。現役引退後は同チームコーチ・監督。 2002年、ソルトレークシティオリンピック日本選手団スピードスケート代表コーチ。2006年、トリノオリンピック日本選手団スピードスケート代表コーチ。2010年、バンクーバーオリンピック日本選手団スピードスケート代表監督。
市村 和昭(いちむら かずあき、1957年8月11日 - )… 市村 和昭(いちむら かずあき、1957年8月11日 - )は、長野県軽井沢町出身の元スピードスケート選手、元競輪選手。日本競輪学校第48期生。長野県軽井沢高等学校、明治大学出身。
伊東 千恵子(いとう ちえこ、1954年4月2日 - )は、… 伊東 千恵子(いとう ちえこ、1954年4月2日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県出身。 長野県諏訪二葉高等学校-三協精機。 1972年のインターハイ1500mで優勝。 インスブルックオリンピックでは1500m22位、3000m21位だった。
小池 里美(こいけ さとみ、1950年10月19日 - )は… 小池 里美(こいけ さとみ、1950年10月19日 - )は日本の元スピードスケート選手である。長野県富士見町出身。三協精機所属。
内藤 修(ないとう おさむ、1949年4月14日 - 201… 内藤 修(ないとう おさむ、1949年4月14日 - 2016年10月22日)は、日本のスピードスケート選手である。オリンピアン。長野県佐久市出身。 臼田高校(現・長野県佐久平総合技術高等学校)を経て1972年日本大学文理学部を卒業。高校時代に全国高校大会で5000m、10000mに高校記録を出して優勝。日本学生選手権では10000mに3連覇。ユニバーシアード10000mで銅メダルを獲得。1972年札幌オリンピックでは5000m16位、10000m12位だった。1974年の第43回全日本スピードスケート選手権大会で総合優勝。世界選手権に2度出場した。 2016年、急性心筋梗塞のため67歳で死去した。
出嶋 民雄(でじま たみお、1947年2月21日 - )は… 出嶋 民雄(でじま たみお、1947年2月21日 - )は、日本の元スピードスケート選手。長野県佐久市出身。 立教大学在学時の1968年グルノーブルオリンピックでは500m33位。 1971年富士急行に入社、1974年から1981年まで同チーム監督を務めた。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
斎藤 実子(さいとう じつこ、1946年5月18日 - )… 斎藤 実子(さいとう じつこ、1946年5月18日 - )は、日本の元女子スピードスケート選手。長野県岡谷市出身。三協精機に所属していた。 諏訪二葉高校時代にはインターハイ3000mで3連覇を達成。1968年グルノーブルオリンピックでは1500mで26位、3000mで20位となっている。
有賀 豊文(あるが とよふみ、1942年11月16日 - )… 有賀 豊文(あるが とよふみ、1942年11月16日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県佐久市出身。 立教大学在学時の1964年インスブルックオリンピックに出場、1500m41位、5000m24位、10000m22位だった。 財団法人日本スケート連盟理事。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
高橋 カネ子(たかはし かねこ、1942年9月26日 - … 高橋 カネ子(たかはし かねこ、1942年9月26日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県軽井沢町出身。長野県軽井沢高等学校-三協精機 1964年インスブルックオリンピックに出場、500m14位、1000m18位、1500m18位、3000m16位だった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
浜 文恵(はま ふみえ、1939年11月29日 - )は、日… 浜 文恵(はま ふみえ、1939年11月29日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県岡谷市出身。 1957年の全日本スピードスケート選手権大会で優勝。三協精機所属時の1960年スコーバレーオリンピックにオリンピック日本女子スピードスケート史上初の代表として出場、500m8位、1000m7位、1500m10位だった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
小林 秀司(こばやし しゅうじ、1939年4月17日 - )… 小林 秀司(こばやし しゅうじ、1939年4月17日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県出身。 岡谷工業高校時代にはインターハイ10000mで3連覇を達成。明治大学在学時の1960年スコーバレーオリンピックに出場、1500m34位、5000m24位、10000m21位だった。
五味 芳保(ごみ よしやす、1933年(昭和8年)4月25日… 五味 芳保(ごみ よしやす、1933年(昭和8年)4月25日 - 没年不明)は、日本の元スピードスケート選手である。長野県茅野市出身。 1952年(昭和27年)冬季オリンピックのオスロオリンピックに早稲田大学在学中18歳で出場し5000mで10位、10000mで14位となった。 4年後の1956年(昭和31年)コルティナダンペッツォオリンピックでは10000m23位、5000m27位、1500m39位タイの成績を残した。 全日本スピードスケート選手権大会では1952年と1954年の2回優勝している。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
竹村 晋吉(たけむら しんきち、1931年(昭和6年)12月… 竹村 晋吉(たけむら しんきち、1931年(昭和6年)12月21日 - 1999年(平成11年)12月9日)は、日本のスピードスケート選手である。長野県茅野市出身、長野県岡谷南高等学校、日本大学を卒業。ヤシカに所属していた。 日本大学在学時の1956年(昭和31年)の冬季オリンピック、コルティナダンペッツォオリンピックに出場、500m11位、1500m36位だった。4年後の1960年(昭和35年)スコーバレーオリンピックでは500m43位に終わった。 池袋スケートセンターの開場式でスケーティングを披露。 1999年脳こうそくのため死去。
高林 清高(たかばやし きよたか、1928年7月10日 - … 高林 清高(たかばやし きよたか、1928年7月10日 - 没年不詳)は、日本の元スピードスケート選手である。 長野県下諏訪町出身。明治大学在学中の1952年にオスロオリンピックへ出場し、500mで6位入賞、これは1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック500mで4位となった石原省三以来2人目の入賞である。また、1500mで34位となった。4年後のコルティナダンペッツォオリンピックでは500mで30位に終わった。インスブルックオリンピックではスケートチームのコーチを務めた。 1953年(昭和28年)増沢工業に入社し、1956年(昭和31年)高林スケート工業専務に就任、1960年(昭和35年)明治精機製作所を創業し代表者となった。
潤間 留十(うるま とめじゅう、のち宮沢姓、1902年12月… 潤間 留十(うるま とめじゅう、のち宮沢姓、1902年12月9日 - 1999年1月26日)は日本の元スピードスケート選手である。長野県諏訪郡平野村(現在の岡谷市)出身。諏訪蚕糸学校(現・長野県岡谷工業高等学校)卒。 1932年のレークプラシッドオリンピックでは、500m、1500m、5000m、10000mの4種目に出場したが、いずれも予選で敗退した。 その後は審判員として長く活躍し、日本スケート連盟名誉審判員にも選ばれた。