井箟 重慶(いのう しげよし、1935年(昭和10年)3月1… 井箟 重慶(いのう しげよし、1935年(昭和10年)3月15日 - )は、日本の実業家。オリックス・ブルーウェーブ(現・オリックス・バファローズ)元球団スペシャルアドバイザー・顧問・代表。関西国際大学名誉教授。 岐阜県瑞浪市出身。少年時代は中日ドラゴンズのファンで、医師の家系だったことから慈恵高校に進学したが、肺を患って医者の道を断念した。上智大学外国語学部卒。1959年丸善石油(現コスモ石油)入社。米国丸善石油→米国コスモ石油副社長を歴任。なお、勤務の傍ら上智大学硬式野球部監督を務め、その後丸善石油の野球部(松山市。現在廃部)にも携わり、古賀正明らをスカウトした。 1989年、一般公募に応募し、オリックス球団常務に就任。
加藤 孝造(かとう こうぞう、1935年〈昭和10年〉3月1… 加藤 孝造(かとう こうぞう、1935年〈昭和10年〉3月12日 - 2023年〈令和5年〉4月17日)は、荒川豊蔵を第一世代とする美濃の第三世代の陶芸家。「瀬戸黒」人間国宝。 岐阜県土岐郡瑞浪町(現・瑞浪市河戸町)出身で後に多治見市星ケ台に移住した。2012年旭日小綬章受章。瑞浪市、多治見市、可児市の名誉市民。美濃陶芸協会会長、名誉会長及び名誉顧問を務めた。 瑞浪市土岐町で製糸業を営む家に生まれた。瑞浪町立瑞浪中学校を卒業後、岐阜県立多治見工業高等学校窯業科(現セラミック科)に進学。ほどなく全国最年少の18歳で日展洋画部に入選し、「天才」と騒がれる。高校卒業後、多治見市の岐阜県陶磁器試験場(後に岐阜県セラミックス研究所)に研究生として入所及び就職。
原田 道一(はらだ どういつ、1935年 - )は、日本の僧… 原田 道一(はらだ どういつ、1935年 - )は、日本の僧侶、文筆家。岐阜県の曹洞宗正宗寺東堂。 高山市生まれ。1941年春から半年間、三重県津市景雲寺(尼寺)に預けられ、剃髪。1963年駒澤大学仏教学部卒業。曹洞宗教化研修所青年コース(4年間)修了。岐阜県立高校教諭(倫理と社会科)を経て、正宗寺住職となる。住職としての職責のほか講演会、音楽会などを企画、運営。地元飛騨の地域、文化活動に積極的に関わる。 著書に「出あうところ わがいのち」「脳幹鍛練で『自分流の生き方』をつくる -いま、身心一如の時代に必要なこと」など。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
鈴木 藏(すずき おさむ、1934年(昭和9年)12月1日 … 鈴木 藏(すずき おさむ、1934年(昭和9年)12月1日 - )は岐阜県土岐市出身の日本の陶芸家。重要無形文化財保持者。 1934年、美濃焼の産地として知られる岐阜県土岐市駄知町にて、釉薬の研究者であり岐阜県の陶磁器試験場の技師でもある鈴木通雄の長男として生まれる。1953年(昭和28年)、岐阜県立多治見工業高等学校窯業科を卒業後、父・通雄が技術部長を任されていた丸幸陶苑試験室(幸兵衛窯関連会社の一般生活陶器製造会社)に入社。窯業開発研究室の助手として働きながら陶土や釉薬などについて学び、陶芸の基礎的な知識を本格的に身につける。さらに、五代目加藤幸兵衛(加藤卓男の父)から作陶の教え受け、荒川豊蔵や加藤土師萌などに師事するなど制作にも励んだ。
菱村幸彦(ひしむら ゆきひこ、1934年11月9日- )は、… 菱村幸彦(ひしむら ゆきひこ、1934年11月9日- )は、日本の元文部官僚、教育行政学者、教育評論家。 岐阜県高山市出身。1959年京都大学法学部卒。文部省に入り、教科書検定課長、高等学校教育課長、初等中等教育局審議官を経て、1988年総務審議官、初等中等教育局長。1991年退任、放送大学学園監事、1993年国立教育研究所長。駒場東邦中学校・高等学校長、学校法人清真学園理事長、財団法人学習ソフトウエア情報研究センター理事長を歴任した。日本図書教材協会会長。
筑間 啓亘(ちくま ひろのぶ、1934年11月5日- )は… 筑間 啓亘(ちくま ひろのぶ、1934年11月5日- )は、日本の経営者である。プロ野球球団近鉄バファローズ球団社長を務めた。 岐阜県岐阜市出身。1952年に東京大学法学部私法学科を卒業し、同年に近畿日本鉄道に入社した。1993年6月に取締役に就任し、1997年6月には常務に就任した。1998年6月から2003年6月までに常任監査役を務め、2004年6月までに監査役を務めた。 その一方で、1995年6月から1998年6月までに近鉄バファローズ球団社長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大脇 雅子(おおわき まさこ 1934年10月15日 - )… 大脇 雅子(おおわき まさこ 1934年10月15日 - )は、日本の政治家、弁護士。参議院議員(2期)、社会民主党政策審議会長、国際委員長を歴任した。 岐阜県岐阜市出身。名古屋大学法学部を卒業後、司法試験に合格し、司法修習を経て弁護士登録。労働・公害問題や家庭問題等、市民に密着した事案を数多く手がけた。1992年、PKO法闘争のなかで、砂川事件判決の裁判官だった伊達秋雄から「今こそ憲法擁護の大事な時」と促され、日本社会党からの国政進出を決意。第16回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、当選。以後2期12年間参議院議員を務め、護憲と共に男女雇用機会均等法、パートタイム労働者の権利保護法、環境アセスメント法、廃棄物処理法等の立法、改正に尽力した。
棚橋 祐治(たなはし ゆうじ、1934年10月13日 - )… 棚橋 祐治(たなはし ゆうじ、1934年10月13日 - )は、日本の弁護士。元通産官僚、第25代通商産業事務次官、石油資源開発社長、石油鉱業連盟会長。 岐阜県岐阜市生まれ。軍人であった父を3歳の時に亡くし、母と祖父母に育てられた。 岐阜県立岐阜北高等学校から東京大学法学部に入学。在学中は行政法・自治法が専門の田中二郎のゼミで学ぶ。ゼミの同期には片山虎之助(参議院議員、初代総務大臣)がいた。「広域行政の必要性」を説く田中からは自治省への入省を勧められ、片山も自治省でのキャリアを積む事となるが、棚橋は「日本はまだまだ経済発展が必要だ。出来るならば、産業政策を担う通産省に入りたい」と志した。 1958年、東大法学部を卒業し通商産業省入省。
中田武司(なかだ たけし、1934年10月13日- )は、日… 中田武司(なかだ たけし、1934年10月13日- )は、日本の国文学者、専修大学名誉教授。 岐阜県高山市生まれ。1957年國學院大学文学部卒業、1959年同大学院国文学博士課程満期退学、1973年「王朝歌物語の研究」で文学博士の学位を取得。1966年専修大学文学部助教授、教授、理事・評議員。2004年定年退職、名誉教授。「武田祐吉博士記念賞」受賞。中古の和歌・物語が専門。
冨長 覚梁(とみなが かくりょう、1934年9月15日 -2… 冨長 覚梁(とみなが かくりょう、1934年9月15日 -2024年4月1日 )は、日本の詩人、浄土真宗僧侶。長願寺住職。 岐阜県養老町生まれ。岐阜大学卒。2002年「そして秘儀そして」で第35回日本詩人クラブ賞受賞。2009年度岐阜県芸術文化顕彰受賞。2023年地域文化功労者。愛情に満ちた心温まる「愛の詩」審査委員長。代々養老町の文人で、曾祖父は冨長覚民、祖父は冨長静丸(覚静、1865-1930)で広瀬淡窓の門に学び県議会議員も務めた。父は冨長蝶如、真宗大谷派長願寺の御住職であり、1956年から3年かけて完結に導いた『梁川星巌全集』編集の功労者にして、岐阜に限らぬ広く東海地方全域の旧世代知識人の師表として仰がれた漢詩人であってみれば。
小野 和子(おの かずこ、1934年〈昭和9年〉6月18日 … 小野 和子(おの かずこ、1934年〈昭和9年〉6月18日 - )は、日本の児童文学者、民話採集家、翻訳家。 岐阜県高山市生まれ。東京女子大学日本文学科卒業、1958年から宮城県仙台市に住み、宮城県内で民話を採集記録、再話する。1975年、「宮城民話の会」を設立。児童文学の翻訳多数。
小島 俊明(こじま としはる、1934年4月27日 - )は… 小島 俊明(こじま としはる、1934年4月27日 - )は、日本のフランス文学者、詩人、翻訳家。日本文芸家協会会員。 岐阜県各務原市生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒、同大学院文学修士。東京家政学院大学教授、2005年定年、名誉教授。早稲田大学政治経済学部非常勤講師(定年まで30年間)。フランスの20世紀詩などを翻訳紹介、自身も詩を書いた。
笠木 茂(かさぎ しげる、1934年2月 - )は、岐阜県出… 笠木 茂(かさぎ しげる、1934年2月 - )は、岐阜県出身の洋画家。ル・サロン会員、日本美術連盟会員。 岐阜県中津川市に生まれる。東京芸術大学卒業。特許庁を経て、東京芸術大学大学院修了。伊藤廉、中根寛、フランス国立高等装飾美校・デピェール教授に師事。安宅賞受賞。ル・サロン、サロン・ドートンヌなどに出品。資生堂ギャラリー、梅田画廊などで個展を開く。 地元の恵那山など、古里の中津川市を描いた作品を多く手掛ける。かつてはカラフルな、柔らかいタッチの油彩画や、シルクスクリーンを使用した花を描いたものが多かった。近年では油彩でありながら水彩画のような風合いのものを、海洋を主題として描くことが多い。 2012年、岐阜県各界功労者表彰(文化・芸術)を受けた。
梶原 拓(かじわら ひろむ、1933年11月14日 - 20… 梶原 拓(かじわら ひろむ、1933年11月14日 - 2017年8月29日)は、日本の政治家。建設省官僚。前岐阜県知事、元全国知事会会長。氏名の読みは一般には「かじわら たく」として知られる。 岐阜県岐阜市出身。岐阜県立岐阜高等学校、京都大学法学部卒業。 県立岐阜高校、京都大学法学部を卒業後、旧建設省に入省し、都市局局長等を歴任。鳥取県に出向し知事の西尾邑次の部下だったこともある。 1985年に当時の岐阜県知事だった上松陽助の部下として、岐阜県副知事に就き、上松の引退を受け1989年(平成元年)に夢おこし県政を掲げ岐阜県知事に初当選。以降4期16年在任し、全国知事会長も歴任した。 県内の産業振興にも積極的に取り組み、当時はほとんど知られていなかったCOSMOS (COsmic Scale Multimedia Of Six-faces) と称する当時世界に2台しか存在しなかった6面スクリーンの最先端の仮想現実環境の研究拠点を含む研究施設を県内に整備して振興に努めた。
澤田 榮作(さわだ えいさく、1933年(昭和8年)10月6… 澤田 榮作(さわだ えいさく、1933年(昭和8年)10月6日 - 2019年(令和元年)10月19日)は、岐阜東照宮奉賛会会長、全国高等学校定時制通信制教育振興会顧問、岐阜県高等学校定時制通信制教育振興会名誉会長、岐阜板垣会名誉会長。文化人。道徳教育家。実業家。 1933年(昭和8年)10月6日、元近衛兵・澤田治朗吉の三男として岐阜県稲葉郡北長森に生れる。母は澤田栄吉の長女・むめ。 1953年(昭和28年)3月、岐阜県立華陽高等学校卒業後、1954年(昭和29年)12月、棚橋工業株式会社へ入社。1956年(昭和31年)12月、家業の丸栄プロパン瓦斯株式会社へ入社。 1959年(昭和34年)12月、丸栄プロパン瓦斯株式会社・専務取締役に就任。
河合 保彦(かわい やすひこ、1933年10月3日 - 19… 河合 保彦(かわい やすひこ、1933年10月3日 - 1984年9月11日)は岐阜県出身の元プロ野球選手。右投右打。
岩井 健作(いわい けんさく、1933年(昭和8年)8月1日… 岩井 健作(いわい けんさく、1933年(昭和8年)8月1日 -2025年(令和7年)3月31日 )は、日本の牧師。56年間で6つの教会(広島流川教会2年、呉山手教会5年、岩国教会13年、神戸教会24年、川和教会2年、明治学院教会10年)で牧師を務め、42年間4つの教会付属幼稚園(呉山手2年、岩国13年、神戸教会で2つの付属幼稚園24年)で園長職を務めた。岐阜県加茂郡加茂野村出身、日本基督教団隠退教師、日本基督教団安中教会教会員。 『日本キリスト教歴史大事典』(教文館 1988)に健作自身が「岩井文男」の項の執筆をしている。また「岩井文男と賀川豊彦の農民福音学校」(岩井健作、賀川豊彦学会論叢20号、2012)において賀川豊彦との接点が語られている。
海部 幸世(かいふ さちよ、1933年4月30日 - )は、… 海部 幸世(かいふ さちよ、1933年4月30日 - )は、第76・77代内閣総理大臣であった海部俊樹の妻。 岐阜県武儀郡美濃町(現・美濃市)出身。金城学院短期大学卒業(金城学院大卒とも)。日本民主党の柳原三郎代議士事務所の手伝いをしており、当時、河野金昇の秘書をしていた海部俊樹と国会で出会い、1955年(昭和30年)に結婚する。 1960年(昭和35年)に夫である俊樹が衆議院選挙に当選し代議士の妻となる。また1989年(平成元年)8月10日から1991年(平成3年)11月5日までの間、夫が内閣総理大臣に在任したため、およそ2年間、ファーストレディをつとめた。 「幸世」という名前から、中国共産党主席だった毛沢東の“猛妻”江青(こうせい)になぞらえて、「コウセイ夫人」と呼ばれるほどのバリバリ型の代議士夫人であったとメディアなどでは伝えられている。
田中 照雄(たなか てるお、1933年4月16日 - 197… 田中 照雄(たなか てるお、1933年4月16日 - 1972年1月19日)は、岐阜県出身のプロ野球選手(投手)。近鉄投手の武智文雄は兄、東映内野手の田中和男は弟。 岐阜高校から1952年に阪急ブレーブスへ入団。ここではあまり出番がなく、1954年オフにトンボユニオンズへ移籍。1956年には先発陣の一角に食い込み、7勝をあげる。翌年は球団合併により大映ユニオンズに所属するが、1958年に兄文雄がいる近鉄パールスに移籍し、同年限りで引退した。下手投げから、スライダー、ドロップ、カーブとシュートを武器にした。 1972年1月19日に38歳で死去した。
柳川 喜郎(やながわ よしろう、1933年(昭和8年)1月 … 柳川 喜郎(やながわ よしろう、1933年(昭和8年)1月 - )は日本の政治家。NHK解説委員を経て岐阜県可児郡御嵩町長を歴任。 義父は初代御嵩町長の伊崎隆三。現在は愛知県名古屋市在住。 御嵩町長在任中の1996年(平成8年)に暴漢に襲われ(御嵩町長襲撃事件)、一時は意識不明の重体となったが回復後に復帰。当時の御嵩町は産業廃棄物処分場計画で大きく揺れており、柳川喜郎は計画反対であった。そのため産廃処分場計画との関連が指摘されたが犯人の検挙には至らず、2011年10月30日に公訴時効が成立した。この事件は民主主義に対する暴圧として大きく取り上げられた。 後の東京都神田生まれ。1945年(昭和20年)に父の転勤により後の岐阜県可児市に転居。
山田 勢児(やまだ せいじ、1932年11月27日 - 20… 山田 勢児(やまだ せいじ、1932年11月27日 - 2013年2月6日)は、日本の陶芸家。
田中 邦衛(たなか くにえ、1932年11月23日 - )は… 田中 邦衛(たなか くにえ、1932年11月23日 - )は、日本の俳優。現代劇・時代劇・コメディーを問わず、幅広いジャンルで映画・テレビドラマに数多く出演した。位階勲章は旭日小綬章。岐阜県土岐郡土岐津町出身。麗澤高等学校、麗澤短期大学英語科卒。
蓑谷 穆(みのたに たかし、1932年10月7日 - 201… 蓑谷 穆(みのたに たかし、1932年10月7日 - 2016年4月17日)は、日本の実業家。株式会社みの谷取締役会長で、高山商工会議所会頭、一般財団法人金森公顕彰会理事長も務めた。 岐阜県出身。岐阜県立斐太高等学校在学中に家業の「みの谷」を継ぎ、1951年に同校を卒業後、1953年に同社代表取締役に就任した。[要出典] 1982年から飛騨高山観光協会(現・飛騨・高山観光コンベンション協会)会長を30年間務めた。観光と商工業が一体となったまちづくりを目指し、高山市の国際観光都市としての発展を推進した[要出典]。 1998年から15年間、高山商工会議所の会頭を務める。 2004年[要出典]、国土交通省が制定した「観光カリスマ百選」に、「外客受入」類型の一人として選任される。
末松 安晴(すえまつ やすはる、Yasuharu Suema… 末松 安晴(すえまつ やすはる、Yasuharu Suematsu、1932年9月22日 - )は、日本の電子工学者・通信工学者・計算機科学者・教育者。光通信用半導体レーザの先駆的研究により大容量長距離光ファイバ通信の実現と発展に貢献した。岐阜県中津川市坂下出身。 1963年6月26日には、東京工業大学で世界初の光ファイバ通信実験を行って公開した。その後、本格的な光ファイバ通信の実現を目指して研究した末松は1981年に動的単一モードレーザ(その一つの位相シフト分布反射器レーザ)を発明し、この分野の学術基盤を開拓した。位相シフト分布反射器レーザは、現在大容量長距離光ファイバ通信用の標準レーザとして広く世界で用いられている。
亀井 俊介(かめい しゅんすけ、1932年8月14日 - 2… 亀井 俊介(かめい しゅんすけ、1932年8月14日 - 2023年8月18日)は、日本の比較文学者、アメリカ文学者、アメリカ大衆文化研究者。東京大学名誉教授。 岐阜県中津川市生まれ。新制岐阜県立中津高等学校卒業。1953年、東京大学文学部英文科卒。1952年、同大学院比較文学比較文化専攻修士課程修了。はじめ詩人を目指していた。同大学院比較文学比較文化専攻博士課程在学中に休学し、セントルイスのワシントン大学に留学。メリーランド大学大学院などをへて、1962年に帰国して大学院に復学。1963年、東京大学大学院比較文学比較文化専攻博士課程単位取得退学。師の一人に島田謹二がいる。 1963年東京大学教養学部助教授、1984年教授、1993年定年退官、名誉教授、東京女子大学教授、2003年岐阜女子大学教授。
清水義之(しみず よしゆき、1932年7月21日 - 201… 清水義之(しみず よしゆき、1932年7月21日 - 2014年5月4日)は、日本の実業家。株式会社十六銀行前代表取締役会長・顧問、前岐阜商工会議所(岐商)会頭、元中部経済連合会(中経連)副会長。 父は、後に助役を経て第9代大垣市長(在任1974年~1975年)となる清水正之。前任頭取の高橋順吉は父親の従兄弟。 ちなみに、後に大垣共立銀行頭取となる外村次郎は旧制大垣中学校(現岐阜県立大垣北高等学校)での先輩、同じく後に日銀を経て岐阜銀行頭取となる花田実は、名古屋大学経済学部・塩野谷九十九ゼミの一年先輩にあたる。塩野谷ゼミでは経済学者・飯田経夫と同級生で、飯田は晩年、十六銀行社外監査役に就任する。
服部 勉(はっとり つとむ、1932年7月8日 - )は、日… 服部 勉(はっとり つとむ、1932年7月8日 - )は、日本の微生物学者、農学者、東北大学名誉教授。妻は渋沢敬三の次女・服部黎子。渋沢家当主の渋沢雅英は義兄。 岐阜県大垣市生まれ。名古屋大学理学部卒業、1960年東北大学大学院学農学研究科農芸化学専攻博士課程修了、「界面に吸着せる細菌の研究」で農学博士。土壌微生物の研究を始める。東北大学農学研究所助教授、遺伝生態研究センター教授を務め、1996年定年退官、名誉教授、東京農業大学教授を務めた。水田、畑、草地、山林など、身近な環境にすむ土壌微生物の生態が研究テーマ。日本微生物生態学会会長を務めた。
小倉 満(おぐら みつる、1932年(昭和7年)5月5日 -… 小倉 満(おぐら みつる、1932年(昭和7年)5月5日 - 2001年(平成13年)3月3日)は、昭和から平成前期の実業家、政治家。大垣市長(4期)。大垣市名誉市民。
花井 悠(はない ゆう、1932年1月19日 - 2007年… 花井 悠(はない ゆう、1932年1月19日 - 2007年12月14日)は、岐阜県出身のプロ野球選手、野球解説者。 岐阜高等学校(1948年8月までの校名は岐阜第一高等学校)では、エースとして1948年の夏の甲子園に出場。準決勝に進むが、小倉高の福嶋一雄に抑えられ完封負け。翌1949年の夏の甲子園でも順調に勝ち進み、決勝に進出。佐々木信也のいた湘南高と対戦するが3-5で逆転負け、準優勝にとどまる。チームメートに河合保彦、森和彦らがいた。卒業後は慶應義塾大学へ進学し、野手転向。東京六大学野球リーグでは1951年秋季リーグから2季連続優勝、右翼手、四番打者として活躍する。リーグ通算86試合出場、265打数76安打、0本塁打、49打点、打率.287。
福田 静夫(ふくだ しずお、1932年 - )は、日本の哲学… 福田 静夫(ふくだ しずお、1932年 - )は、日本の哲学者。日本福祉大学名誉教授。 岐阜県美濃加茂市生まれ。岐阜県立華陽高等学校卒業。名古屋大学文学部哲学科卒業。1965年同大学大学院文学研究科博士課程修了。 愛知大学講師を経て、日本福祉大学社会福祉学部教授。 「名古屋哲学セミナー」常任講師。同セミナーは1976年に真下信一を講師に迎えて始まり、1985年に真下が亡くなった後は教え子の吉田千秋と福田静夫が講師を引き受けた。2000年10月には福田を解説者とする「イタリア映画を楽しむ会」、2002年6月には福田を講師とする「ヘーゲルを読む会」が発足している。 書店大地が2004年に出版した「ヘーゲルを読む会」の記録集『ヘーゲルを読む No.1』には論文「ヘーゲルの『自然法論』のために」が収録されている。
稲葉 宏雄(いなば ひろお、1931年8月16日 - )は、… 稲葉 宏雄(いなば ひろお、1931年8月16日 - )は、教育学者、京都大学名誉教授。 岐阜県大垣市生まれ。1954年京都大学教育学部卒業。59年同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学、京都女子大学文学部専任講師、65年助教授。1972年京都大学教育学部助教授、79年教授。88年教育学部長、95年定年退官、名誉教授、近畿大学生物理工学部教授。2000年龍谷大学文学部教授。2003年退職。
前ヶ潮 春夫(まえがしお はるお、1931年3月12日 - … 前ヶ潮 春夫(まえがしお はるお、1931年3月12日 - 1979年11月30日)は、岐阜県大野郡上枝村(現在の高山市赤保木町)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は三野谷 春夫(みのや はるお)→清水 春夫(しみず はるお)。身長175cm、体重88kg。得意手は右四つ、下手投げ。最高位は東前頭18枚目(1958年7月場所)。 小学校3年生の時に母を病で亡くし、以後は、父の手1つで育てられた。 地元・上枝村の青年相撲で活躍していた頃、巡業で高山市内を訪れた横綱・前田山に見出され、彼が所属する高砂部屋にスカウトされた。 1949年10月場所で初土俵を踏み、四股名を本名の「三野谷」から「前ヶ潮(ゲン担ぎとして改名、先輩の四股名をそのまま襲名)」と改めた1953年1月場所で三段目優勝を遂げ、幕下も4場所で突破して1954年3月場所で十両に昇進した。
篠田 正浩(しのだ まさひろ、1931年3月9日 - 202… 篠田 正浩(しのだ まさひろ、1931年3月9日 - 2025年3月25日)は、日本の映画監督。株式会社表現社代表取締役、早稲田大学特命教授、日本中国文化交流協会代表理事、城西国際大学メディア学部客員教授。 岐阜県岐阜市生まれ。梅林小学校、岐阜県立加納高等学校、早稲田大学第一文学部卒業後、松竹に入社。1960年代にかけて大島渚、吉田喜重とともに松竹ヌーヴェルバーグの旗手と呼ばれた。 早々に会社と衝突して独立した二人と異なり、松竹にしばらく残った後、1966年にフリーになる。翌年に独立プロダクションの株式会社表現社を設立。前衛的作品も辞さない大島や吉田に比べ、篠田は平易なサービス精神も持ち合わせており、独立後の1960年代後半から1970年代前半は『心中天網島』(1969年)や『無頼漢』(1970年)などの先鋭的な作品を独立プロから連発したが、1970年代後半からは『はなれ瞽女おりん』(1977年)や『鑓の権三』(1986年)などの大手映画会社配給の大作が多く、『鑓の権三』ではベルリン国際映画祭の銀熊賞 (芸術貢献賞)を受賞した。
柴田 英治(しばた えいじ、1930年11月11日 - 19… 柴田 英治(しばた えいじ、1930年11月11日 - 1999年8月19日)は、岐阜県出身の元プロ野球選手(投手)。引退後に加藤(かとう)へ改姓。
平野 元(ひらの はじめ、1930年(昭和5年)10月3日 … 平野 元(ひらの はじめ、1930年(昭和5年)10月3日 - )は、日本の政治家、元岐阜県山県市長(2期)。 岐阜県出身。岐阜県立長良高等学校卒。岐阜県庁職員、中部女子短期大学事務局長を経て。山県郡高富町の町長となる。高富町は2003年に伊自良村、美山町と合併し、山県市となる。合併後の市長選挙に立候補し、無投票で初当選した。4月27日に就任した。2007年の市長選挙でも無投票で再選。山県市長を2期務めた。2011年4月26日に退任した。
野原 敏雄(のはら としお、1930年8月31日 - )は、… 野原 敏雄(のはら としお、1930年8月31日 - )は、日本の経済地理学者、中京大学名誉教授。生活協同組合運動に従事したことでも知られる。 愛知県名古屋市に生まれ、育つが、旧制中学1年を終えて、岐阜県に疎開する。旧制中学5年を終えたところで家庭の事情により学業を断念し、しばらく家業の手伝いなどをするが、やがて愛知県教育委員会事務局にあった教育文化研究所に事務員として勤めるようになり、逆コースの時期の教育現場の雰囲気に触れる。新制高校卒業の認定試験を受け、岐阜県立大垣北高等学校卒業の資格を認定され、名古屋大学文学部に学んだ。在学中には自主的に歴史研究会を組織するが、現代農村への関心から、3年次には地理学科へ進学した。
松原 達哉(まつばら たつや、1930年4月3日 - 202… 松原 達哉(まつばら たつや、1930年4月3日 - 2020年8月9日)は、日本の臨床心理学者。岐阜県羽島郡上羽栗村伏屋(現・岐南町伏屋)出身。 専門は臨床心理学・カウンセリング心理学。臨床心理士・日本カウンセリング学会認定カウンセラー・上級産業カウンセラー。生活分析的カウンセリング法(LAC法)創案者。就学レディネスの研究。東京福祉大学名誉学長。立正大学心理学部名誉教授。故郷の岐南町図書館には松原から寄贈された図書による松原文庫があり、松原の著書、心理学・カウンセリング・幼児教育・家庭教育などに関する書籍がある。
国嶋 一則(くにじま かずのり、1930年2月13日 - 2… 国嶋 一則(くにじま かずのり、1930年2月13日 - 2020年5月1日)は、日本の倫理学者。駒澤大学名誉教授。「伊吹 浄」の筆名をもつ。 1930年、岐阜県大垣市生まれ。愛知県立旭丘高等学校を卒業し、金沢大学法文学部に入学した。しかし、1952年に東京大学文学部倫理学科に転じ、1956年に卒業。同大学大学院に進み、金子武蔵に師事した。1959年、大学院比較文学比較文化課程に転じた。1965年、同博士課程を中退。 その後は、東京農業大学助教授に就いた。1969年より駒澤大学助教授。1970年に教授昇進。2000年に駒澤大学を定年退任し、名誉教授となった。
鈴木 修(すずき おさむ、1930年〈昭和5年〉1月30日 … 鈴木 修(すずき おさむ、1930年〈昭和5年〉1月30日 - 2024年〈令和6年〉12月25日)は、日本の実業家。 中央相互銀行での勤務を経て、鈴木自動車工業株式会社代表取締役社長(第4代)、スズキ株式会社社長(初・第4代)、スズキ株式会社最高経営責任者(初代)、財団法人スズキ教育文化財団理事長(初代)、スズキ株式会社最高執行責任者(第3代)、スズキ株式会社相談役、公益財団法人スズキ財団理事長、同顧問などを歴任。1987年11月藍綬褒章受章、2000年4月勲二等旭日重光章受章。2025年1月パドマ・ヴィブーシャン勲章(英語版)受章。 岐阜県益田郡下呂町(現在の下呂市)生まれ。旧姓は松田。益田農林学校(現益田清風高校)卒業。
わかやま けん(本名:若山 憲、1930年1月29日 - 2… わかやま けん(本名:若山 憲、1930年1月29日 - 2015年7月17日)は日本の絵本作家。 グラフィックデザインの世界から児童書の世界へ入る。『きつねやまのよめいり』(こぐま社)では、第16回サンケイ児童出版文化賞を受賞。また海外などでも評価を受ける。代表作として「こぐまちゃんえほんシリーズ」(こぐま社)などの作品があり、2017年時点で累計約954万部、特に『しろくまちゃんのほっとけーき』は、293万部を記録するベストセラーとなった。 1930年、岐阜県岐阜市出身。1945年12月、15歳のときに偶然見かけた雑誌『週刊少国民』に衝撃を受け、活動していた洋画家や童画家の作品に触れる。1948年頃から岐阜市のデザイン事務所に勤務し、グラフィックデザイナーとして仕事をするかたわらで、童画に強く惹かれていく。
竹中 恵美子(たけなか えみこ、1929年11月19日 - … 竹中 恵美子(たけなか えみこ、1929年11月19日 - 2025年7月1日)は、日本の経済学者、大阪市立大学名誉教授。専門は労働経済学。戦後の女性労働研究のパイオニアとして知られる。 岐阜県大垣市出身。大阪商科大学(現・大阪市立大)卒。甲南大学助教授、1972年「現代労働市場の理論」で大阪市大経済学博士。1974大阪市立大教授。1993年定年退官、花園大学教授、龍谷大学教授。2001年 - 2007年ドーンセンター館長。2024年、瑞宝中綬章受章。 戦後日本の女子労働について研究。女性運動、自治体の政策立案にも参加。夫は姜在彦、長男は社会学者・早稲田大学教授の竹中均。 2025年7月1日、多臓器不全のため東京都内の病院で死去。
新井 清泉(あらい せいせん、本名:新井 昌奎(あらい しょ… 新井 清泉(あらい せいせん、本名:新井 昌奎(あらい しょうけい)、1929年11月19日 - 2009年9月7日)は、岐阜県土岐市出身の書道家、美術作家。 1929年(昭和4年)11月19日生まれ。 芝浦工業専門学校中退。 1961年に、岐青会として書道研究書芸会を創設。 書道研究書芸会会長、憲墨会会長、大書心会理事長、土岐市美術作家連盟会員など、多くの役員を務め、書家として多くの賞を受賞した。 2009年9月7日に死去。享年80歳。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
鈴木 尚之(すずき なおゆき、1929年10月5日 - 20… 鈴木 尚之(すずき なおゆき、1929年10月5日 - 2005年11月26日)は、日本の脚本家。岐阜県高山市(旧・吉城郡国府村大字広瀬)出身。 父親は警察官で、岐阜県内で転校を繰り返し、父は退官時は高山警察署の署長であった。旧制岐阜二中(現・岐阜県立加納高等学校)の二学年下に篠田正浩がいたが、在学中に面識はない。同中学から日本大学藝術学部に進み、大学卒業後、1954年東映に入社。同期に東映京都撮影所に配属された高岩淡ら。東映東京撮影所の助監督となるが、同スタジオの埃が原因で、気管支炎を患い、一番仲良しだった深作欣二は引き留めてくれたが、やむなく1955年、本社企画本部脚本課に転属し脚本家となる。
栗木 孝幸(くりき たかゆき、1929年10月3日 - 19… 栗木 孝幸(くりき たかゆき、1929年10月3日 - 1998年11月11日)は、岐阜県出身のプロ野球選手(外野手)。
糸魚川 淳二(いといがわじゅんじ、1929年8月21日 - … 糸魚川 淳二(いといがわじゅんじ、1929年8月21日 - 2021年11月11日)は、日本の古生物学者、地質学者。名古屋大学名誉教授、元豊橋市自然史博物館館長。学位は、理学博士(京都大学・1961年)。 岐阜県恵那郡坂下町(現・中津川市)に生まれる。1942年4月、恵那中学(現・岐阜県立恵那高等学校)に入学。1945年4月、海軍経理学校予科に入校し終戦を迎える。恵那中学に復学し、1946年9月には旧制第四高等学校理科甲類に入学し1949年3月に卒業。同年4月、京都大学理学部に入学。1957年、京都大学大学院を退学。同年8月、名古屋大学理学部に採用される。1958年2月、助手。1971年4月、助教授。
上野 一惠(うえの かずえ、男性、1929年7月24日 - … 上野 一惠(うえの かずえ、男性、1929年7月24日 - 2005年9月16日)は、日本の細菌学者。 岐阜県関市生まれ。岐阜大学医学部附属嫌気性菌実験施設(現岐阜大学科学研究基盤センター嫌気性菌研究分野)初代教授。岐阜大学名誉教授。1950年代後半から、日本において無芽胞嫌気性菌の臨床細菌学的研究を開始し、日本におけるこの分野の基礎および臨床における研究の礎を築いた。
伊藤 勝彦(いとう かつひこ、1929年〈昭和4年〉7月13… 伊藤 勝彦(いとう かつひこ、1929年〈昭和4年〉7月13日 - 2015年〈平成27年〉1月14日)は、日本の哲学者、評論家。埼玉大学名誉教授。文学博士。 岐阜県大垣市生まれ。1953年(昭和28年)に東京大学文学部哲学科を卒業。1960年(昭和35年)、同大学院博士課程中退、東大文学部助手。1963年(昭和38年)、北海道大学文学部助教授。1972年(昭和47年)、埼玉大学教養学部教授。1988年(昭和63年)、埼玉大学名誉教授。東京女子大学文理学部教授、1998年(平成10年)退任。 1972年(昭和47年)「デカルトの人間像」で東大文学博士。デカルト、パスカル哲学専攻ながら文学への関心が強く、三島由紀夫に心酔し、文芸評論も書く。
椎名 武雄(しいな たけお、1929年5月11日 - )は日… 椎名 武雄(しいな たけお、1929年5月11日 - )は日本の会社経営者。
市川 深(いちかわ ふかし、1929年1月8日 - 2015… 市川 深(いちかわ ふかし、1929年1月8日 - 2015年12月1日)は、日本の会計学者。 岐阜県恵那市生まれ。名城大学商学部卒、1956年立教大学大学院修士課程修了。関東学院大学助教授、1968年東京経済大学経営学部助教授、72年教授、経営学部長、99年定年、名誉教授。『万葉集』の研究もおこなった。
土本 典昭(つちもと のりあき、1928年12月11日 - … 土本 典昭(つちもと のりあき、1928年12月11日 - 2008年6月24日)は、記録映画作家、ルポルタージュ作家。