佐藤 秀樹(さとう ひでき、1970年4月21日 - )は、… 佐藤 秀樹(さとう ひでき、1970年4月21日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ、スコアラー。 2014年シーズンより、2年間中日ドラゴンズの二軍投手コーチを務めた。中京大学附属中京高等学校在学時にU-18野球日本代表へ選出された現トヨタ自動車硬式野球部に所属の佐藤勇基は子息。 小学3年の時に野球を始め、中学でエースで4番打者になる。 富士宮西高でも1年秋からエースになり、県大会で2試合連続ノーヒットノーラン、19奪三振を記録。1987年、2年生の時に、第59回選抜高等学校野球大会に出場。3年夏は県大会決勝戦で完投するも、延長13回の末にサヨナラ負け。 その後、社会人野球の三菱重工横浜では補強選手で3年連続都市対抗野球出場、1992年のドラフト会議で中日ドラゴンズから1位指名を受け入団。
赤堀 元之(あかほり もとゆき、1970年4月7日 - )は… 赤堀 元之(あかほり もとゆき、1970年4月7日 - )は、静岡県藤枝市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。
里見 祐輔(さとみ ゆうすけ、1970年3月16日 - )は… 里見 祐輔(さとみ ゆうすけ、1970年3月16日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(投手)。 中学時代は外野手。静岡市立高で投手となり2年秋の沼津工業高校戦で20奪三振を記録した。1987年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから2位指名を受け入団。スライダー、タテに大きく割れるカーブが武器。 プロ2年目の1989年に一軍初登板を果たすが、一軍通算2試合の登板のみで1994年限りで現役を引退。
鈴木 平(すずき たいら、1970年3月10日 - )は、静… 鈴木 平(すずき たいら、1970年3月10日 - )は、静岡県磐田市出身の元プロ野球選手(投手)。引退後は鍼灸師となっている。
竹下 潤(たけした じゅん、1969年7月12日 - )は、… 竹下 潤(たけした じゅん、1969年7月12日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、埼玉西武ライオンズのスカウト。 静岡市立商高では当初外野手だったが3年生の時に投手へ転向する。卒業後、駒澤大学へ進学。1年春からベンチ入りし、東都大学野球リーグでは在学中2回の優勝を経験。同期のエース若田部健一の控えだったが、1991年秋季リーグでは3年ぶりの優勝に貢献した。リーグ通算24試合に登板、6勝4敗、防御率2.36、60奪三振。他の大学同期に一塁手の上羽功晃(神戸製鋼-京都外大西高監督)らがいる。駒大では同期の若田部の他、3学年先輩に野村謙二郎、1学年先輩に関川浩一、1学年後輩に鶴田泰と田口昌徳、3学年後輩に高木浩之と河原純一と本間満がいた。
武藤 潤一郎(むとう じゅんいちろう、1969年3月15日 … 武藤 潤一郎(むとう じゅんいちろう、1969年3月15日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(投手)。 吉原商業高卒業後、専修大学に進学。岡林洋一(元ヤクルト)、杉山賢人(元西武など)が同期。1年後輩に町田公二郎(元広島など)がいた。東都リーグ最多となる31回目の優勝に貢献。1部リーグ通算35試合に登板、6勝8敗、防御率3.54。 大学卒業後、プリンスホテルでは1992年に都市対抗野球で完封や好リリーフにより優秀選手賞、1992年度ドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けて入団。ドラフト指名時は、千葉マリンスタジアム近くに建設中の幕張プリンスホテルで工事用のヘルメットを着用して写真撮影に応じた。
杉山 賢人(すぎやま けんと、1968年12月12日 - )… 杉山 賢人(すぎやま けんと、1968年12月12日 - )は、静岡県沼津市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者、日本女子プロ野球機構ノース・レイア元監督。 バルセロナオリンピック野球の銅メダリスト。 静岡県沼津市で化学工場を営む家庭に生まれる。賢い人間になってほしいとの願いから「賢人」と命名され、スーパーマンのクラーク・ケントからもヒントを得たという。摘んできた花を飾るような繊細な性格であったが、小学校3年生の時にバッティングセンターで大人向けの速球を打ち返し、親の勧めで翌年から野球を始めた。小柄ながら優れた打撃を見せ、少年野球の県大会では特別敢闘賞を受賞している。 沼津市立金岡中学校では、2年生の夏にエースが負傷したのをきっかけに投手に転向した。
浮島 徹士(うきしま てつし、1968年8月11日 - )は… 浮島 徹士(うきしま てつし、1968年8月11日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 静岡学園高から神奈川大学短期大学部に進学し、神奈川大学野球連盟に加盟している神奈川大学硬式野球部でプレー。2年次の1988年の秋季リーグでは、打率.420をマークし首位打者、ベストナイン三塁手を獲得した。 短大卒業後、ロッテオリオンズに球団職員扱いとして籍を置き、1989年オフにドラフト外で入団した。 一軍公式戦への出場が無いまま、1993年限りで現役を引退した。 1994年に出版された小林至の著書「ボクの落第野球人生」 によると、1993年5月まではイースタンリーグのベストテン入りするほどの打撃だったが、夏場に入って右肘を故障したという。
山本 勝則(やまもと まさのり、1968年5月13日 - )… 山本 勝則(やまもと まさのり、1968年5月13日 - )は、静岡県榛原郡川根町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 川根高では3年春の島田工戦で20奪三振、1986年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから4位指名を受け入団。 プロ2年目の1988年は、野球留学でMLBの1A・サンノゼ・ジャイアンツでプレーする。プロ6年目の1992年に一軍初登板を果たすが、1994年限りで現役を引退。 現役引退後、1998年まで打撃投手を勤める。2009年10月13日に自由契約公示された。
望月 一(もちづき はじめ、1968年4月26日 - )は静… 望月 一(もちづき はじめ、1968年4月26日 - )は静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(投手)。
佐野 心(さの こころ、1967年1月23日 - )は、静岡… 佐野 心(さの こころ、1967年1月23日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手(外野手)。2004年4月に常葉学園菊川高等学校硬式野球部の部長に就任し、一時は監督を務めた。
田村 勤(たむら つとむ、1965年8月18日 - )は、静… 田村 勤(たむら つとむ、1965年8月18日 - )は、静岡県榛原郡川根町出身の元プロ野球選手(投手)。
田辺 学(たなべ まなぶ、1965年3月8日 - )は、静岡… 田辺 学(たなべ まなぶ、1965年3月8日 - )は、静岡県駿東郡小山町出身の元プロ野球選手(投手)。 小学4年の時にリトルリーグに入る。中学時代は3年間補欠だった。裾野高校では2年生からエースになるが夏の県予選は2年連続で1回戦で敗退した。 卒業後は社会人野球の東京ガスに入部。 1984年の東京スポニチ大会準優勝に貢献して敢闘賞。熊谷組などの補強選手として都市対抗野球大会に5回出場。 1985年アジア野球選手権大会日本代表に選出される。 1987年のベーブルース杯では優勝を飾った。制球に難はあるが、威力ある速球を武器に活躍した。チームでは善波達也、石井章夫ともバッテリーを組んだ。 1987年のドラフト会議で横浜大洋ホエールズに6位指名されたが、都市対抗野球出場を目指すためチームに残留し1年遅れで入団。
内藤 雅人(ないとう まさと、1965年1月25日 - )は… 内藤 雅人(ないとう まさと、1965年1月25日 - )は、静岡県浜松市出身の元アマチュア野球選手(外野手)。 静岡学園高校では、一年生から4番打者を務めていた。高校卒業後に東洋大学に進学して硬式野球部に所属し、東都大学野球リーグでは1984年の春季に、二打席連続本塁打6安打でリーグ新記録の12安打を放った。4年時は大学選手権優勝を果たし、1986年の日米大学野球の全日本メンバーにも選ばれた。ベストナイン2回。同期に森浩之がいた。 大学卒業後は、社会人野球のヤマハに所属し、1年目に都市対抗野球優勝を経験。1989年の第15回アジア野球大会の全日本メンバーにも選ばれ、1990年の都市対抗野球では優勝に貢献すると優秀選手に選ばれ、同年には社会人ベストナインにも選ばれた。
戸栗 和秀(とぐり かずひで、1964年10月11日 - )… 戸栗 和秀(とぐり かずひで、1964年10月11日 - )は、静岡県富士市出身の元アマチュア野球選手(内野手)、野球指導者。 富士宮北高校卒業後に駒澤大学に進学して硬式野球部に所属。入れ替わりとなるが広瀬哲朗と同じ経歴であった。東都大学野球リーグでは2度のベストナインに選ばれ、1985年春でサイクル安打を放ち、1986年春には首位打者になった。3年上の二塁手が白井一幸で、2年下の野村謙二郎とは二遊間を組み、同期に新谷博がいた。 大学卒業後は、社会人野球のプリンスホテルのチームに入団し、1988年の第14回カナダ・グランドホークス国際野球大会の全日本メンバーに選ばれ、当大会のベストナインにも選ばれた。
大久保 学(おおくぼ まなぶ、1964年7月3日 - )は、… 大久保 学(おおくぼ まなぶ、1964年7月3日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 NPBの南海ホークスへ最後に在籍した選手の1人で、1988年に現役を引退してからは、オイスカ高校や如水館高等学校の硬式野球部で監督を務めている。 静岡県立静岡高等学校3年時の1982年に、エース兼4番打者として第64回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、この大会で優勝した徳島県立池田高等学校との1回戦で敗れた。しかし、秋のNPBドラフト会議では、上記の試合で投げ合った畠山準に続いて南海ホークスから2位で指名。後に、畠山と揃って入団した。背番号は31。 入団1年目の1983年に、一軍公式戦で畠山を上回る2勝をマーク。
片瀬 清利(かたせ きよとし、1964年2月3日 - )は、… 片瀬 清利(かたせ きよとし、1964年2月3日 - )は、静岡県榛原郡榛原町(現:牧之原市)出身の元プロ野球選手(投手)。1993年から1996年までの登録名は、「片瀬 聖敏」(読み同じ)。 静岡県立榛原高等学校では、ノーヒット・ノーランを2回記録。高校卒業後は、東都大学野球連盟の駒澤大学に進学するも、2年生の夏に急性肝炎となり3年春に中退。その後、社会人野球の東京ガスに入社。通算27勝で全日本選抜にも選出された。1987年オフに、ドラフト外で広島東洋カープに入団。 2年目の1989年に一軍初登板を果たし、1991年はウエスタン・リーグ最多勝、5年目の1992年には右の中継ぎとして一軍に定着。
堀井 哲也(ほりい てつや、1962年1月31日 - )は、… 堀井 哲也(ほりい てつや、1962年1月31日 - )は、社会人野球選手(外野手)・指導者。現在、慶應義塾体育会野球部監督。過去にJR東日本監督を務めた。 静岡県田方郡函南町出身。静岡県立韮山高等学校入学後「打球が外野に飛ばなくなった」という理由で1年秋から左打ちに変更し、猛練習の末2年夏からレギュラーを獲得。慶應義塾大学では入学後に野球部の門を叩いたが、3年までは代打の2打席しかリーグ戦出場がなく、4年春の慶早3回戦で初のスタメン出場。卒業後は三菱自動車川崎に入社したが、現役生活は4年と短かった。この間垣野多鶴監督に師事している。 現役引退後は1988年からコーチ・マネージャーを務め、1993年に三菱自動車岡崎の創部に伴って転籍した。
長嶋 清幸(ながしま きよゆき、1961年11月12日 - … 長嶋 清幸(ながしま きよゆき、1961年11月12日 - )は、静岡県小笠郡浜岡町(現:御前崎市)出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者。 日本プロ野球史上、初めて背番号0をつけた人物である。 小学生時代に投手として静岡県大会で準優勝し、浜岡町立浜岡中学校時代は一塁手となるも、自動車工業高では外野手兼投手となり4番を打った。 2年次の1978年、練習試合を見に来ていた広島の木庭教スカウトが、予告本塁打を打った長嶋の打撃力に目を留めた。当時長嶋は阪神ファンであり、阪神の田丸仁スカウトも目を付け、3年次の1979年夏に田丸が自宅を訪問。下位指名の予定を伝えたが、阪神からのドラフト指名は無く、翌日も連絡がない間に、広島、南海から獲得意向の連絡があり、連絡翌日に自宅を訪れた木庭が両親を説き伏せ、仮契約を済ませた。
藤田 浩雅(ふじた ひろまさ、1961年10月3日 - )は… 藤田 浩雅(ふじた ひろまさ、1961年10月3日 - )は、静岡県裾野市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 家業の食堂は何度も傾き、食うや食わずの生活をしてきた。御殿場西高校では2年先輩の杉本正とバッテリーを組んでいた1年先輩の捕手が投手にコンバートされたため、1年次の1977年秋に捕手へ転向。高校卒業後は大昭和製紙への入社を希望するも断念し、1980年に関東自動車工業へ入社。3年目の1982年には都市対抗にヤマハ発動機の補強選手で出場してベスト8入りに貢献し、打撃は粗削りであったが、その強肩に広島、阪急などが目をつけた。特に阪急は衰えが目立つようになった中沢伸二の後継としてリストアップし、同年のドラフト3位で阪急ブレーブスに入団。
森下 知幸(もりした ともゆき、1961年3月21日 - 2… 森下 知幸(もりした ともゆき、1961年3月21日 - 2024年1月16日)は、日本の野球選手、高校野球指導者。御殿場西高等学校事務職員・野球部監督。 静岡県立浜松商業高等学校野球部監督、日本大学三島高等学校野球部監督、常葉学園菊川高等学校野球部監督などを歴任した。 浜松市立天竜中学校卒業、野球部の一学年下には横浜高校~日本ハムの曽利田勝二がいた。静岡県立浜松商業高等学校の野球部では主将を務め、第50回選抜高等学校野球大会にて優勝を果たした。 その後、中部電力での社会人野球の選手を経て、静岡県立浜松商業高等学校、日本大学三島高等学校、常葉学園菊川高等学校にて野球部の指導を担当した。特に常葉学園菊川高等学校においては、甲子園で一度も勝利したことがなかった同校を強豪校となるまでに育て上げ、第79回選抜高等学校野球大会での優勝に導いた。
広瀬 哲朗(ひろせ てつろう、1961年1月23日 - )は… 広瀬 哲朗(ひろせ てつろう、1961年1月23日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。野球解説者、タレント、野球日本女子代表の監督・顧問、野球指導者も務める。 静岡県静岡市清水区にある静岡市立蒲原中学校(旧:静岡県庵原郡蒲原町立蒲原中学校)、静岡県立富士宮北高等学校を経て駒澤大学に進学。歌手の久保田利伸は中学時代ならびに駒澤大学の後輩になる。同野球部では東都大学野球リーグで1980年春季リーグに優勝。同年の全日本大学野球選手権大会では決勝で明治大学に敗れ準優勝。1982年の日米大学野球選手権大会日本代表にも選ばれる。リーグ通算99試合出場、352打数100安打、打率.284、2本塁打、32打点。
大石 直弘(おおいし なおひろ、1960年7月18日 - )… 大石 直弘(おおいし なおひろ、1960年7月18日 - )は、静岡県天竜市(現:浜松市天竜区)出身の元プロ野球選手(投手)。
青山 道雄(あおやま みちお、1959年12月17日 - )… 青山 道雄(あおやま みちお、1959年12月17日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(外野手)。
井辺 康二(いべ やすじ、1959年7月21日 - )は、静… 井辺 康二(いべ やすじ、1959年7月21日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
鈴木 伸良(すずき のぶよし、1959年6月27日 - )は… 鈴木 伸良(すずき のぶよし、1959年6月27日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手→内野手→外野手→捕手)。右投右打。愛称はマンモス。
大石 大二郎(おおいし だいじろう、 1958年10月20日… 大石 大二郎(おおいし だいじろう、 1958年10月20日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(内野手)、監督、野球指導者、解説者、評論家。1987年から1990年までの登録名は、大石 第二朗(読みは同じ)。
久保寺 雄二(くぼでら ゆうじ、1958年7月18日 - 1… 久保寺 雄二(くぼでら ゆうじ、1958年7月18日 - 1985年1月4日)は、静岡県三島市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。
高橋 三千丈(たかはし みちたけ、1956年11月10日 -… 高橋 三千丈(たかはし みちたけ、1956年11月10日 - )は、静岡県熱海市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ、解説者・評論家。2016年からは名古屋産業大学硬式野球部の監督を務める。
植松 精一(うえまつ せいいち、1955年10月10日 - … 植松 精一(うえまつ せいいち、1955年10月10日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手。
袴田 英利(はかまだ ひでとし、1955年8月13日 - 2… 袴田 英利(はかまだ ひでとし、1955年8月13日 - 2025年2月8日)は、静岡県静岡市葵区出身のプロ野球選手(捕手)、コーチ。 静岡市立大里中学校時代は県大会で優勝。静岡高に進学が内定していたが、袴田の父親と静岡県自動車工業高等学校の校長が高校時代の同期で口説き落とされて自動車工に進んだ。自動車工では捕手、四番打者として1973年の全国高等学校野球選手権静岡大会で決勝に進出するが、後に大学同期となる植松精一らのいた静岡高に敗退。同年ドラフト3位でロッテオリオンズに指名されるも入団せず。 進学した法政大学には、2年上に中西清治、土屋恵三郎、同期にウィリー木原(大昭和製紙)といった好捕手がいたが、競争を勝ち抜き2年生時の1975年春季リーグから定位置を獲得。
秋田 秀幸(あきた ひでゆき、1955年4月29日 - )は… 秋田 秀幸(あきた ひでゆき、1955年4月29日 - )は、静岡県御殿場市出身の元プロ野球選手(内野手)。中央大学硬式野球部監督。
三枝 規悦(さえぐさ のりえつ、1952年7月21日 - )… 三枝 規悦(さえぐさ のりえつ、1952年7月21日 - )は、静岡県田方郡韮山町出身の元プロ野球選手(投手)。 日大三島高では、1970年夏の甲子園県予選準々決勝で、静岡高に延長14回敗退。社会人野球の金指造船、大昭和製紙を経て、1976年オフにドラフト外で阪急ブレーブスに入団。 1年目の1977年は、9試合を投げて1勝を挙げる。1978年は主に中継ぎで24試合を投げ、4勝2敗の成績だった。6月24日のロッテとの対戦では12安打5失点を喫するが、9回に簑田浩二が逆転サヨナラ2点本塁打、初完投勝利を記録した。この年にチームは4年連続でリーグ優勝し、日本シリーズに出場。第2戦では4回に長池徳二の代走に入り、そのまま今井雄太郎をリリーフ、日本シリーズで初登板を果たすがヤクルトの角富士夫に本塁打を打たれる。
池谷 公二郎(いけがや こうじろう、1952年6月28日 -… 池谷 公二郎(いけがや こうじろう、1952年6月28日 - )は、静岡県静岡市葵区出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者。
勝亦 治(かつまた おさむ、1952年4月30日 - )は、… 勝亦 治(かつまた おさむ、1952年4月30日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
山下 大輔(やました だいすけ、1952年3月5日 - )は… 山下 大輔(やました だいすけ、1952年3月5日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・監督・コーチ、解説者・評論家。愛称は「大ちゃん」。 清水東高校から1970年に一般入試で慶應義塾大学商学部へ進学。東京六大学野球リーグでは、1年次の同年秋季リーグから正遊撃手となり、高校の2年先輩である松下勝実とクリーンアップを組み活躍する。2年上の工藤真投手、清水東高でも2年上の松下勝実、1年上の萩野友康・長谷部優両左腕投手らを擁し、2年次の1971年秋季リーグからの3連覇に3番打者として貢献。1、2年時には「鬼の榊原」と呼ばれた榊原敏一監督に「試合と同じ集中力で練習しろ」と鍛え上げられた。
村越 茶美雄(むらこし さみお、1951年12月22日 - … 村越 茶美雄(むらこし さみお、1951年12月22日 - )は、静岡県出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は27(1977年初採用から2003年キャンプイン前の解雇まで。※27は2003年新採用の深見大陸が引継ぐがわずか1年で退局したため2004年以降空番)。 1980年代中頃よりインサイドプロテクターを使用していた。通称は「サミー」。 東京都の中野実践商業高校(現在の実践学園高等学校。高校時代は女優・もたいまさこの一年先輩)を卒業後、中村屋勤務を経て、1976年にパ・リーグ審判員となった(同期には元審判部長の永見武司がいる)。 若い頃から一軍出場を果たし、小柄ながら看板審判員の一人であったが、1997年、西武の渡辺久信の投球を「ボール」と判定した際、イニングの合間に西武の東尾修監督に対して「ストライクと言うべきところをボールと言ってしまった」と、審判員としてはあるまじき発言をしてしまう。
松島 英雄(まつしま ひでお、1951年7月24日 - )は… 松島 英雄(まつしま ひでお、1951年7月24日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。現在は横浜DeNAベイスターズのスコアラー。
藤波 行雄(ふじなみ ゆきお、1951年4月26日 - )は… 藤波 行雄(ふじなみ ゆきお、1951年4月26日 - )は、静岡県静岡市葵区出身の元プロ野球選手(外野手)。
大橋 功男(おおはし いさお、1951年 - 2023年11… 大橋 功男(おおはし いさお、1951年 - 2023年11月2日[要出典])は、日本の元アマチュア野球選手である。ポジションは投手。 静岡市立安倍川中学校では野球部のエースとして活躍した。高校は静岡県立静岡高等学校に進学し、1969年の夏の甲子園県予選4回戦では伊東高を相手に、6四死球を与えるもノーヒットノーランを達成。決勝に進むが藤波行雄や松島英雄らがいた静岡商に敗退し、甲子園への出場は実現しなかった。同年のドラフト会議で東映フライヤーズから8位指名されたが入団を拒否。 早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは1年下の矢野暢生とともに投の中心となり、1973年春季リーグで優勝。リーグ通算47試合登板、13勝11敗、防御率2.80、96奪三振。
加藤 初(かとう はじめ、1949年12月20日 - 201… 加藤 初(かとう はじめ、1949年12月20日 - 2016年12月11日)は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、野球指導者。 吉原商業高校(1年次は吉原市立、2年次より富士市立)から亜細亜大学に進む。入学早々に膝を悪くし、実家近くの信頼ある鍼灸医の治療をうけ回復した。その帰京の際、亜細亜大学を中退した友人宅へ途中下車して寄り、一泊の予定だったが大学でのシゴキがあったことから三週間も滞在してしまい、復学しづらくなって入学後3ヶ月あまりで中退した。 社会人野球の大昭和製紙へ入社し、4年目にエースとして第42回都市対抗野球大会へ出場。秋の日本産業対抗野球大会では優勝候補の熊谷組を1安打完封して優勝に貢献した。
松下 勝実(まつした かつみ、1949年8月31日 - )は… 松下 勝実(まつした かつみ、1949年8月31日 - )は、静岡県出身の元アマチュア野球選手である。ポジションは投手、一塁手、外野手。 清水東高校では、エース、四番打者として1966年秋季中部大会に進むが、1回戦で愛知高に延長13回の末に敗退。翌1967年夏の甲子園県予選決勝に進出。しかし榊原良行のいた浜松商に敗退し甲子園出場を逸する。 慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは、1968年春季リーグの早慶戦で本塁打を放ち注目される。同年秋季リーグから四番に座り打線の主軸として活躍、1969年秋季リーグで首位打者を獲得する。1971年秋季リーグでは、高校の2年後輩である山下大輔とクリーンアップを組み、萩野友康、工藤真らの好投もあって4年ぶりの優勝を飾る。
久保田 一(くぼた はじめ、1949年7月29日 - )は、… 久保田 一(くぼた はじめ、1949年7月29日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(捕手)。 日大三島高では、1年次から外野手として活躍、その後捕手にコンバートされ、強肩でならした。3年生時は主将となり、年間打率.350をマークしている。 1967年にドラフト外で東映フライヤーズに入団。1973年に一軍公式戦の出場がないまま引退。
榊原 良行(さかきばら よしゆき、1949年6月13日 - … 榊原 良行(さかきばら よしゆき、1949年6月13日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。娘は元バスケットボール女子日本代表主将の榊原紀子。
杉田 久雄(すぎた ひさお、1949年3月15日 -)は、静… 杉田 久雄(すぎた ひさお、1949年3月15日 -)は、静岡県湖西市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
望月 充(もちづき みつる、1948年10月6日 - )は静… 望月 充(もちづき みつる、1948年10月6日 - )は静岡県富士市出身の元プロ野球選手、コーチ、スコアラー。
稲葉 光雄(いなば みつお、1948年10月2日 - 201… 稲葉 光雄(いなば みつお、1948年10月2日 - 2012年8月11日)は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 5歳の時に兄からソフトボールでボール投げをやらされたことがきっかけで野球を始める。清水工業高校の2年生の時に投手となる。日本軽金属へ入社し、1968年のドラフト会議にて広島東洋カープから6位で指名されるが、まだ20歳と若かったことや会社から残留を要請されたこともあり、入団を拒否した。1970年の都市対抗には大昭和製紙の補強選手として出場し、チームの優勝に貢献。 1970年のドラフト2位で中日ドラゴンズに入団。 1971年8月25日の巨人戦(後楽園)に延長11回裏から登板して4イニングを無失点に抑え、プロ初勝利を挙げる。
奥柿 幸雄(おくがき さちお、1948年6月6日 - )は、… 奥柿 幸雄(おくがき さちお、1948年6月6日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。
加藤 秀司(かとう ひでじ、1948年5月24日 - )は、… 加藤 秀司(かとう ひでじ、1948年5月24日 - )は、静岡県榛原郡川崎町(現:牧之原市)出身の元プロ野球選手(一塁手、外野手)・コーチ・監督、解説者。日本プロ野球名球会会員。加藤 英司(読み同じ)の登録名での活動していた時期あり。 通算犠牲フライで歴代2位の記録数を持つ(野村克也に次ぐ105個)。 父は漁師であったが幼少の頃に死別し、単身PL学園高校に進学する。2年次の1965年に控え一塁手として春の選抜へ出場するが、準々決勝で高松商の小坂敏彦に抑えられ敗退。1学年先輩に福嶋久晃・得津高宏・長井繁夫が、2学年先輩に中村順司がいた。3年次の1966年の選抜にも4番・一塁手として連続出場するが、1回戦で、この大会に優勝した中京商に敗れた。
大隅 正人(おおすみ まさと、本名:竹内 正人(たけうち ま… 大隅 正人(おおすみ まさと、本名:竹内 正人(たけうち まさと)、旧姓:大隅、1948年2月17日 - 2021年8月3日)は、静岡県出身のプロ野球選手(投手、外野手、内野手)。左投左打。 三島高等学校からサッポロビールに進み、1967年の第38回都市対抗野球大会にも出場。同年のドラフト3位にて巨人に入団する。 1970年11月に自由契約となる。中日に移籍し、投手から打者への本格的な転向を図る。 1972年にウエスタン・リーグで打率.380を記録して首位打者を獲得。 1973年には一軍で自己最高の79試合に出場した。主に代打として起用されたが、一塁手、外野手として19試合に先発出場を果たす。しかし翌年は藤波行雄の入団や、谷木恭平の台頭もあって出場機会が激減。