吉川 祐子(よしかわ ゆうこ、1952年 - )は、日本の民… 吉川 祐子(よしかわ ゆうこ、1952年 - )は、日本の民俗学者。学位は、博士(民俗学)(國學院大学・2003年)。 静岡県磐田市出身。大谷大学文学部を卒業した。[要出典] 2003年に「遠野昔話の民俗誌的研究」で博士(民俗学)の学位を國學院大学より取得した。 2002年時点では静岡常葉学園大学非常勤講師。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
加藤 直之(かとう なおゆき、1952年 - )は、日本のイ… 加藤 直之(かとう なおゆき、1952年 - )は、日本のイラストレーター。スタジオぬえ所属。静岡県浜松市出身。 日本SF作家クラブ会員。 装画家武部本一郎に影響され、SFイラストレーターを志す。千代田デザイナー学院在学時に同人会SFセントラルアートに入り、スタジオぬえ設立メンバーのひとりとなる。テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』ではぬえのメンバーと共にメカデザイン作業に参加した。 1974年、早川SFコンテスト・アート部門に1位入賞し、早川書房の「SFマガジン」やSF小説の表紙絵や挿絵を描き始める。文庫版『宇宙の戦士』のパワードスーツのイラストは日本のSF界に大きな影響を与えた。また、『銀河英雄伝説』では宇宙艦艇をデザインし、アニメ版のメカニックデザインも担当した。
村越 茶美雄(むらこし さみお、1951年12月22日 - … 村越 茶美雄(むらこし さみお、1951年12月22日 - )は、静岡県出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は27(1977年初採用から2003年キャンプイン前の解雇まで。※27は2003年新採用の深見大陸が引継ぐがわずか1年で退局したため2004年以降空番)。 1980年代中頃よりインサイドプロテクターを使用していた。通称は「サミー」。 東京都の中野実践商業高校(現在の実践学園高等学校。高校時代は女優・もたいまさこの一年先輩)を卒業後、中村屋勤務を経て、1976年にパ・リーグ審判員となった(同期には元審判部長の永見武司がいる)。 若い頃から一軍出場を果たし、小柄ながら看板審判員の一人であったが、1997年、西武の渡辺久信の投球を「ボール」と判定した際、イニングの合間に西武の東尾修監督に対して「ストライクと言うべきところをボールと言ってしまった」と、審判員としてはあるまじき発言をしてしまう。
伊藤 元重(いとう もとしげ、1951年12月19日 - )… 伊藤 元重(いとう もとしげ、1951年12月19日 - )は、日本の経済学者。東京大学名誉教授、元学習院大学教授。復興庁復興推進委員会委員長。専門は国際経済学、ミクロ経済学。Ph.D.(ロチェスター大学、1979年)。静岡県静岡市出身。 住友化学社外取締役、JX金属社外取締役、はごろもフーズ社外取締役、しずおかフィナンシャルグループ社外取締役、監査等委員会委員長。 経済学、ビジネスに関する多数の解説書がある。また、テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」などへのコメンテーターとしての出演、日本経済新聞や様々なビジネス誌・経済誌への寄稿も行っている。小渕内閣「経済戦略会議」、森内閣「IT戦略会議」で委員を務める。
山内 伸弥(やまうち しんや、1951年11月14日 - )… 山内 伸弥(やまうち しんや、1951年11月14日 - )は、日本のラリードライバー。静岡県浜松市出身。中央大学理工学部精密機械工学科卒業。 大学在学中からラリーを始め、1971年に三菱・コルトギャランでラリーデビュー。1975年にチームエンケイから本格的にラリー参戦。1979年アドバンラリーチーム結成とともにチームに参加。大庭誠介との2枚看板として活躍。1994年にラリー活動を一時休止するまでに7度のチャンピオンを獲得する。 海外ラリーにも数多く参戦しており、1978年サザンクロスラリーではトヨタ・スプリンタートレノで参戦しクラス優勝。1985年マレーシアラリーでは三菱・コルディアで総合2位に入る。
原田 久仁信(はらだ くにちか、1951年〈昭和26年〉11… 原田 久仁信(はらだ くにちか、1951年〈昭和26年〉11月3日 - 2025年〈令和7年〉5月7日)は、日本の漫画家。妻がいる。 福岡県福岡市出身、1959年・小学2年で諸事情により静岡県熱海市の叔父のもとに2歳下の妹と共に預けられ育つ。 1970年、静岡県立熱海高等学校卒業後、東京に上京。漫画制作の際のファッションセンスを磨き勉強したいと考え、一旦はアパレル企業(株式会社ジュン)に就職しデザイン室で働くも1年で自ら退職し、漫画家を目指しながら数年間様々なアルバイト生活を過ごす。伊豆諸島・新島でのひと夏のアルバイト経験により、新島の伝説をモチーフに初めて完成させた短編『ビッグ・ウェーブ』が第1回『小学館新人コミック大賞・少年まんが部門(1977年上期)入選第2席』を受賞。
植田 和男(うえだ かずお、1951年9月20日 - )は、… 植田 和男(うえだ かずお、1951年9月20日 - )は、日本の経済学者。専門はマクロ経済学、金融論。東京大学大学院経済学研究科教授。日本銀行政策委員会審議委員、東京大学大学院経済学研究科長などを歴任。静岡県出身。
松島 英雄(まつしま ひでお、1951年7月24日 - )は… 松島 英雄(まつしま ひでお、1951年7月24日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。現在は横浜DeNAベイスターズのスコアラー。
藤波 行雄(ふじなみ ゆきお、1951年4月26日 - )は… 藤波 行雄(ふじなみ ゆきお、1951年4月26日 - )は、静岡県静岡市葵区出身の元プロ野球選手(外野手)。
渡部 修(わたなべ おさむ、1951年〈昭和26年〉4月16… 渡部 修(わたなべ おさむ、1951年〈昭和26年〉4月16日 - )は、日本の政治家。 1995年から2005年まで(旧)磐田市議会議員を3期、2005年から2009年まで磐田市議会議員を1期、2009年から2021年まで磐田市長を3期務めた。 静岡県裾野市出身。静岡県立沼津商業高等学校卒業。 1995年(平成7年)、旧磐田市議会議員選挙において初当選。以来、市議会議員を通算4期務める。なおこの間、2005年(平成17年)4月1日に、旧磐田市と磐田郡竜洋町、福田町、豊田町、豊岡村が新設合併して、新しい磐田市が誕生する。 2009年(平成21年)4月19日執行の静岡県磐田市長選挙に立候補。元豊岡村長で元磐田市副市長の鶴田春男ら2候補を破り初当選した。
浅茅 陽子(あさぢ ようこ、本名: 1951年4月2日 - … 浅茅 陽子(あさぢ ようこ、本名: 1951年4月2日 - )は、日本の女優。静岡県清水市生まれ。身長160cm。桐朋学園短期大学部卒業。
大城 純男(おおしろ すみお、1951年4月 - )は、日本… 大城 純男(おおしろ すみお、1951年4月 - )は、日本の経済学者、札幌大学法学部教授、博士(経済学)(中京大学・論文博士・2007年)。 (地下鉄・市バス、留学生支援、観光・コンベンション・メッセ振興、研究学園都市、統計解析、市マスタープラン策定、生涯学習、図書館、まちづくり、NPOとの協働、外資系企業誘致などを名古屋市役所で担当)
松村 友視(まつむら ともみ、1951年3月31日 - )は… 松村 友視(まつむら ともみ、1951年3月31日 - )は、日本近代文学研究者、慶應義塾大学名誉教授。 静岡県焼津市生まれ。1969年静岡県立静岡高等学校卒業。1974年慶應義塾大学経済学部卒業、1982年同大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学、1985年慶大文学部助手、1988年助教授、1998年教授。2014年日本近代文学会常務理事、2015年代表理事。同年慶大を定年退任、名誉教授。泉鏡花などを研究した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鈴木 基行(すずき もとゆき、1951年1月15日 - ) … 鈴木 基行(すずき もとゆき、1951年1月15日 - ) は、日本の土木工学者。東北大学名誉教授。工学博士、土木学会認定特別上級土木技術者(鋼・コンクリート)。コスモシステム技術顧問、オリエンタル白石技術顧問、福山コンサルタント技術顧問、大和小田急建設技術アドバイザー、飛島建設技術アドバイザーなども歴任した。 沼津市生まれ。1975年東北大学工学部土木工学科卒業。1977年東北大学大学院工学研究科修士課程修了。1978年東北大学大学院工学研究科博士課程中退、東北大学工学部助手。1988年工学博士。1989年東北大学工学部助教授。1994年建設省土木研究所地震防災部主任研究員。1996年東北大学工学部助教授。
佐塚 元章(さづか もとあき、1951年1月14日 - )は… 佐塚 元章(さづか もとあき、1951年1月14日 - )は、NHKの元チーフアナウンサーで、現在は嘱託職。講演会などはアナウンサーの事務所・ボイスワークスとマネジメント協力契約を結んでいる。 静岡県立静岡東高等学校を経て早稲田大学卒業後、1973年入局。長らくスポーツアナウンサーとして活躍したが、2度目の静岡勤務を終えると同時に、スポーツの分野からは離れている。
法月 敏彦(のりづき としひこ、1951年 - )は、日本の… 法月 敏彦(のりづき としひこ、1951年 - )は、日本の演劇学者・演劇教育者。博士(芸術学)。静岡県静岡市出身。 日本大学芸術学部演劇学科卒業。日本大学大学院芸術学研究科文芸学専攻修了。 日本大学大学院芸術学研究科非常勤講師。
江川 雅司(えがわ まさし、1951年 - )は、日本の経済… 江川 雅司(えがわ まさし、1951年 - )は、日本の経済学者。明治学院大学経済学部教授を経て、新潟産業大学経済学部教授。専門は、財政学・地方財政論。元日本地方財政学会理事長。 静岡県浜松市出身。 1975年3月 高崎経済大学経済学部卒業。1977年3月 明治大学大学院政治経済学研究科修士課程修了。1980年3月 明治大学大学院政治経済学研究科経済学専攻。1984年 駒澤大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。1986年4月 明星大学人文学部経済学科専任講師、1991年4月 明星大学 人文学部経済学科助教授、1996年4月 明星大学人文学部経済学科教授。1997年4月 駿河台大学経済学部教授。
松岡 榮志(まつおか えいじ、1951年 - )は、日本の中… 松岡 榮志(まつおか えいじ、1951年 - )は、日本の中国古典文学者、中国語教育者。東京学芸大学名誉教授。日中翻訳文化教育協会会長。 専門は中国古典文学、中国語教育など。日本語、中国語辞書編纂に力を尽くし、漢字の情報処理(デジタル化)などにも貢献。アジアの漢字コード標準化や、コンピュータにおける多言語処理の先駆者としても知られる。また、長年中国語翻訳や漢方医学の古典訓読などにも携わり、多くの人材を育てている。 1951年、静岡県浜松市生まれる。 1971年東京教育大学(現筑波大学)文学部に入学、1975年東京大学大学院修士課程に進学、博士課程を経て、1979年より2016年まで東京学芸大学で教鞭を執り、一橋大学大学院で10年間兼任教授を務めた。
望月 敬生(もちづき よしお、1951年 - 2017年11… 望月 敬生(もちづき よしお、1951年 - 2017年11月)は日本の建築家、日本伝統建築設計の泰斗。望月敬生建築設計室・有限会社歴史建築設計研究体代表。日本庭園協会常務理事。静岡市出身。 日本漆喰協会 第12回作品賞 (大本山巨福山 建長寺大徹堂新築工事 設計者) 息子:望月敬士(たかし) 有限会社望月敬生建築設計室・歴史建築設計研究体代表 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、建築・土木に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:建築/Portal:建築)。
大橋 功男(おおはし いさお、1951年 - 2023年11… 大橋 功男(おおはし いさお、1951年 - 2023年11月2日[要出典])は、日本の元アマチュア野球選手である。ポジションは投手。 静岡市立安倍川中学校では野球部のエースとして活躍した。高校は静岡県立静岡高等学校に進学し、1969年の夏の甲子園県予選4回戦では伊東高を相手に、6四死球を与えるもノーヒットノーランを達成。決勝に進むが藤波行雄や松島英雄らがいた静岡商に敗退し、甲子園への出場は実現しなかった。同年のドラフト会議で東映フライヤーズから8位指名されたが入団を拒否。 早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは1年下の矢野暢生とともに投の中心となり、1973年春季リーグで優勝。リーグ通算47試合登板、13勝11敗、防御率2.80、96奪三振。
見城 徹(けんじょう とおる、1950年〈昭和25年〉12月… 見城 徹(けんじょう とおる、1950年〈昭和25年〉12月29日 - )は、日本の編集者、実業家。株式会社幻冬舎代表取締役社長。株式会社タッチダウン代表取締役社長。株式会社キャブ代表取締役社長。エイベックス株式会社取締役(非常勤)。株式会社テレビ朝日の放送番組審議会の委員長。株式会社プロラボホールディングス最高顧問。一般社団法人パッションリーダーズ特別顧問。 静岡県清水市(現・静岡市清水区)生まれ。清水市立有度第一小学校、清水市立第七中学校、静岡県立清水南高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、廣済堂に入社。初めて企画した『公文式算数の秘密』(1974年)が38万部のベストセラーとなる。
大谷 栄治(おおたに えいじ、1950年12月 - )は、日… 大谷 栄治(おおたに えいじ、1950年12月 - )は、日本の地球科学者。東北大学名誉教授。マルチアンビルセル、ダイヤモンドアンビルセルといった高圧発生装置を用いた地球内部に分布する鉱物の物性測定を専門とする。 1969年、静岡県立静岡高等学校卒業。1973年、東北大学理学部地学科地学第二卒業。1975年、名古屋大学大学院理学研究科地球科学専攻修士課程修了、理学修士。1978年、名古屋大学大学院理学研究科地球科学専攻博士課程単位取得退学。1979年、名古屋大学理学博士。 卒業論文のテーマは「幌満岩体の岩石学」。修士論文のテーマは「高圧発生技術学」。博士論文は「FayaliteとForesteriteのmelting」。
すがや みつる (1950年9月20日 - )は、日本の漫画… すがや みつる (1950年9月20日 - )は、日本の漫画家、漫画原作者、小説家。学位は修士(実践人間科学)(早稲田大学・2011年)。京都精華大学マンガ学部キャラクターデザインコース教授も務めた。日本マンガ学会第11期会長(5代目) 本名は菅谷 充(読みは同じ)。他のペンネームは漫画原作者として鶴見 史郎(ツルミはミツルのもじり)、鷹見 吾郎があるほか、本名でも小説家として活動している。静岡県富士市出身。血液型O型。 代表作は、『仮面ライダー』、『ゲームセンターあらし』、『こんにちはマイコン』等。 マイコン、コンピューターゲーム、パソコン通信、実務に関する教養漫画、F1など、時代を先取りした題材をテーマとするが、つねに本格的な流行到来前に新たなジャンルに取り組んでいる。
市毛 良枝(いちげ よしえ、1950年〈昭和25年〉9月6日… 市毛 良枝(いちげ よしえ、1950年〈昭和25年〉9月6日 - )は、日本の女優、登山家、タレント。NPO法人日本トレッキング協会理事。 静岡県田方郡修善寺町(現:伊豆市)出身、アミューズ所属。以前は、ハーキュリーズに所属していた。 医師でクリスチャンの父のもと、伊豆修善寺町で誕生し、小学校まで暮らす。20歳離れた二人の兄がいる。 立教女学院では松任谷由実の実姉とクラスメートであった。松任谷も市毛と姉は仲良しだったと自身のインターネットラジオ『ウィークエンドスペシャル 松任谷由実はじめました』で語っていて、市毛も松任谷は立教女学院当時から校内で目立っていたとインタビューで話している。 立教女学院中学校・高等学校卒業後、文学座や劇団俳優小劇場の養成所に入り、女優人生をスタートさせる。
山田 訓史(やまだ のりじ、1950年〈昭和25年〉8月22… 山田 訓史(やまだ のりじ、1950年〈昭和25年〉8月22日 - )は、日本の経営者。清水銀行頭取を務めた。 静岡県出身。静岡県立清水東高等学校を経て1950年に立命館大学経済学部を卒業し、同年に清水銀行に入行した。1998年に取締役に就任し、2000年4月に常務、2001年4月に専務を経て、2005年4月には頭取に就任。2012年4月には会長に就任。
仁科 喜世志(にしな きよし、1950年8月 - )は、日本… 仁科 喜世志(にしな きよし、1950年8月 - )は、日本の政治家。静岡県函南町長(3期)。元静岡県議会議員(2期)。 函南町立函南小学校、函南町立函南中学校、静岡県立韮山高等学校卒業。1973年(昭和48年)3月、法政大学卒業。同年4月、函南町役場に入庁。2010年(平成22年)11月、函南町役場を退職。 2011年(平成23年)4月、静岡県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。2015年(平成27年)の県議選は自由民主党公認で立候補し再選。 2018年(平成30年)3月25日に行われた函南町長選挙に立候補し、現職の森延彦(連合静岡推薦)ら2候補を破り初当選を果たした。投票率は46.71%。
小長谷 喜久男(こながや きくお、1950年7月16日 - … 小長谷 喜久男(こながや きくお、1950年7月16日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者、Jリーグクラブフロントスタッフ。 明治大学卒業後、ヤマハ発動機サッカー部(現・ジュビロ磐田)に入部して選手としてプレー。 引退後の1987年にヤマハの監督に就任。就任初年度の1987/88シーズンにチームを日本サッカーリーグ(JSL)1部優勝に導いている。ヤマハがジュビロ磐田へと移行した後はフロントスタッフとしてチームの躍進を支えた。 1999年11月からはメインスポンサーフジタの撤退で存続が危ぶまれていたベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)の運営を引き継ぐ新法人・株式会社湘南ベルマーレの社長に就任、3年半にわたり社長を務め、クラブの経営を立て直した。
長沢 琴枝(ながさわ ことえ、 1950年6月11日 - )… 長沢 琴枝(ながさわ ことえ、 1950年6月11日 - )は、元女性フィギュアスケート選手で、現役引退後はフィギュアスケートコーチ。1972年札幌オリンピックペア日本代表。パートナーは長久保裕。
片岡 啓子(かたおか けいこ、1950年5月28日 - )は… 片岡 啓子(かたおか けいこ、1950年5月28日 - )は、日本の声楽家、ソプラノ歌手。東邦音楽大学音楽学部音楽学科声楽専攻特任教授、元・声楽専攻主任、元・大学院音楽研究科長。 静岡県三島市出身。静岡県立三島北高等学校から国立音楽大学に進み、卒業後は同大学オペラ研修室を修了した。1974年に日伊声楽コンコルソ入賞して以降、様々なコンテストに入賞する。 1976年、文化庁芸術家在外研究員としてイタリアミラノへ留学。1978年、日本で『コジ・ファン・トゥッテ』に出演し、オペラ・デビュー。同年、再びイタリアへ渡り、ミラノ・スカラ座歌手養成所に学び、後にこれを修了した。以降、イタリアを中心にオペラへの出演歴を重ね、日本では二期会や藤原歌劇団の公演に参加した。
塩谷 立(しおのや りゅう、1950年2月18日 - )は、… 塩谷 立(しおのや りゅう、1950年2月18日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、衆議院環太平洋パートナーシップ協定等に関する特別委員長、自民党静岡県連会長。
稲村 哲也(いなむら てつや、1950年2月5日 - )は、… 稲村 哲也(いなむら てつや、1950年2月5日 - )は、日本の文化人類学者、愛知県立大学名誉教授、放送大学名誉教授。野外民族博物館リトルワールド館長 静岡県駿東郡長泉町生まれ。 1976年東京大学教養学部文化人類学分科卒、同大学院社会学研究科文化人類学専攻博士課程単位取得退学。 野外民族博物館リトルワールド研究員、1987年愛知県立大学講師、助教授をへて教授、2013年定年退職、名誉教授。 2013年放送大学教授に就任、同特任教授を経て、2022年3月退任、その後、同名誉教授号取得。 2024年4月からリトルワールド館長に就任。
大高 洋司(おおたか ようじ、1950年 - )は、日本の国… 大高 洋司(おおたか ようじ、1950年 - )は、日本の国文学者。専門は日本近世文学、特に読本(よみほん)。国文学研究資料館名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。博士(文学)。 1969年、静岡県立静岡高等学校卒業。1973年、慶應義塾大学文学部国文学科卒業。1980年、慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程満期退学。文学修士(慶應義塾大学)。1985年、甲南女子大学文学部助教授、1996年、同教授、2001年、国文学研究資料館整理閲覧部教授。2003年、総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻教授。2004年、国文学研究資料館文学資源研究系教授。2011年3月、『京伝と馬琴 <稗史もの>読本様式の形成』で大阪大学より博士(文学)の学位を取得。
渡辺 豊博(わたなべ とよひろ、1950年 - )は、身長1… 渡辺 豊博(わたなべ とよひろ、1950年 - )は、身長183センチ、体重100キロ超、ニックネームは「ジャンボさん」)。「水の都・三島」の水辺自然環境を劇的に再生し、富士山頂にはし尿問題解決のためのバイオトイレを最初に設置した日本の環境活動家。現在、都留文科大学特任教授、グラウンドワーク三島専務理事・事務局長。 1950年秋田県生まれ。静岡県立沼津東高等学校卒業。東京農工大学農学部農業生産工学科卒業。1973年、静岡県庁に入る。農業基盤整備事業の計画実施に携わり、1988年地域総参加による源兵衛川親水公園事業の企画を担当。静岡県企画部企画総室技監・(財)静岡総合研究機構研究室長(派遣)、生活・文化部NPO推進室長、エネルギー対策室長、農地森林部農地計画課主幹を歴任。
岡田 好惠(おかだ よしえ、1950年 - )は、日本の翻訳… 岡田 好惠(おかだ よしえ、1950年 - )は、日本の翻訳家、児童文学作家。 静岡県熱海市生まれ。青山学院大学文学部フランス文学科卒業。1986年「地球をかいにきたゾウ宇宙人」で第4回福島正実記念SF童話賞受賞。工業用英語、仏語翻訳を手がけつつ、ユニ・カレッジでフランス語推理小説の翻訳を学んだ。
法月 理栄(のりづき りえ、1950年 - )は、日本の漫画… 法月 理栄(のりづき りえ、1950年 - )は、日本の漫画家。 1950年静岡県島田市に生まれる。東京デザインカレッジを卒業後に結婚、子育てが一段落したのを機に漫画を描き始める。デビュー作は『毎日小学生新聞』に連載された『たまご』。1978年に『利平さんとこのおばあちゃん』が第3回小学館新人コミック大賞・佳作を受賞し、1979年から『ビッグコミック』で同作が連載された。 2003年には富士山をモチーフにした静岡県の公式キャラクターふじっぴーを考案している。 ほのぼのとした中にも活動的な主人公を描いた作品が主体である。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
秀男(ひでお、1949年12月28日 - )は、大相撲の元呼… 秀男(ひでお、1949年12月28日 - )は、大相撲の元呼出。本名は山木秀人(ひでひと)。伊勢ヶ濱部屋、桐山部屋を経て最後は朝日山部屋所属だった。血液型はA型[要出典]。 静岡県下田市出身。相撲部屋の先輩呼出である幸太郎に名付けられた。呼び上げの美声で相撲ファンから愛され、「土俵上の妖精」の異名を持つ。 1969年3月場所で初土俵。2003年5月場所より副立呼出に昇進。2008年1月場所番付発表の12月20日から立呼出に昇進。戦後生まれ初の立呼出となった。2003年7月場所限りで康夫が停年退職したため、翌9月場所からは秀男が呼出のトップとなり、結びの一番の呼び上げを担当していた。2014年12月27日に停年退職した。
加藤 初(かとう はじめ、1949年12月20日 - 201… 加藤 初(かとう はじめ、1949年12月20日 - 2016年12月11日)は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、野球指導者。 吉原商業高校(1年次は吉原市立、2年次より富士市立)から亜細亜大学に進む。入学早々に膝を悪くし、実家近くの信頼ある鍼灸医の治療をうけ回復した。その帰京の際、亜細亜大学を中退した友人宅へ途中下車して寄り、一泊の予定だったが大学でのシゴキがあったことから三週間も滞在してしまい、復学しづらくなって入学後3ヶ月あまりで中退した。 社会人野球の大昭和製紙へ入社し、4年目にエースとして第42回都市対抗野球大会へ出場。秋の日本産業対抗野球大会では優勝候補の熊谷組を1安打完封して優勝に貢献した。
関谷 正徳(せきや まさのり、1949年11月27日 - )… 関谷 正徳(せきや まさのり、1949年11月27日 - )は、日本の元レーシングドライバー。ル・マン24時間レースにおける日本人初の総合優勝者。 静岡県安倍郡井川村(現在の静岡市葵区)出身。血液型はA型。常葉学園橘高校出身。同校を卒業後静岡マツダ(マツダの静岡県における販売ディーラー)に入社する。 静岡マツダの社員だった1972年にレースデビュー。「ファミリアロータリークーペ」や「カペラ」、「サバンナ」をドライブし活躍した。1976年には富士グランチャンピオンレース(富士GC)併催のスーパーツーリング選手権でシリーズ2位となり、翌1977年にはシーズンチャンピオンを獲得した。 1978年には富士グランチャンピオンレースにステップアップし、1981年まで参戦した。
斉木 しげる(さいき しげる、1949年11月18日 - )… 斉木 しげる(さいき しげる、1949年11月18日 - )は、日本の俳優、タレント。本名、斎藤 滋樹(さいとう しげき)。静岡県浜松市天竜区出身。芝居ユニットシティボーイズ(大竹まこと・斉木しげる・きたろう)の一人。実兄はイラストレーター・画家の斎藤雅緒。
土田 博和(つちだ ひろかず、1949年10月31日 - )… 土田 博和(つちだ ひろかず、1949年10月31日 - )は、日本の医師、政治家、映画監督。フジ虎ノ門グループ代表、医療法人社団青虎会理事長、社会福祉法人博友会理事長。参議院議員を1期務めた。
加藤 健一(かとう けんいち、1949年10月31日 - )… 加藤 健一(かとう けんいち、1949年10月31日 - )は、日本の俳優。静岡県磐田市出身。青年座映画放送部所属。 加藤健一事務所主宰。文化庁芸術選奨新人賞(1989年)、第11回読売演劇大賞優秀男優賞受賞(2004年)、文化庁芸術選奨文部科学大臣賞(2004年)、紫綬褒章(2007年)、旭日小綬章(2024年)受章。愛称は、カトケン。 静岡県立袋井商業高等学校卒業後、半年間のサラリーマン生活を経て劇団俳優小劇場の養成所に入所。その後、劇団新芸を結成しその上演を続けつつ、劇団つかこうへい事務所の作品に出演していた。1980年に一人芝居『審判』を上演するため加藤健一事務所を設立。以降現在に至るまで年間3、4本のペースで東京都世田谷区の本多劇場を中心に公演を行い、主役を演じ続けている。
船川 誠(ふなかわ まこと、1949年9月10日 - 202… 船川 誠(ふなかわ まこと、1949年9月10日 - 2024年7月20日)は、高校野球の指導者、高校教員。 静岡高校監督、浜松商業高校野球部部長として甲子園に春夏通算5回出場。静岡県内の公立・私立高校、中学硬式野球で指導にあたり、赤堀元之をはじめ、多くのプロ野球選手を育成した。 静岡市生まれ。1968年、静岡県立静岡高等学校卒業。静岡高時代は野球部の主将を務めた。早稲田大学卒業。 1972年新卒で、浜松商業高校に赴任、野球部部長を務め、甲子園に三度出場し、1978年には、磯部修三監督の元で第50回選抜高等学校野球大会優勝に貢献した。1982年、野島譲監督の後任として、静岡高校の監督に就任。その夏の第64回全国高等学校野球選手権大会では大久保学投手を擁し、ノーシードながら県大会を勝ち抜き、全国大会では優勝候補の一角に数えられた。
松下 勝実(まつした かつみ、1949年8月31日 - )は… 松下 勝実(まつした かつみ、1949年8月31日 - )は、静岡県出身の元アマチュア野球選手である。ポジションは投手、一塁手、外野手。 清水東高校では、エース、四番打者として1966年秋季中部大会に進むが、1回戦で愛知高に延長13回の末に敗退。翌1967年夏の甲子園県予選決勝に進出。しかし榊原良行のいた浜松商に敗退し甲子園出場を逸する。 慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは、1968年春季リーグの早慶戦で本塁打を放ち注目される。同年秋季リーグから四番に座り打線の主軸として活躍、1969年秋季リーグで首位打者を獲得する。1971年秋季リーグでは、高校の2年後輩である山下大輔とクリーンアップを組み、萩野友康、工藤真らの好投もあって4年ぶりの優勝を飾る。
林 哲司(はやし てつじ、1949年8月20日 - )は、日… 林 哲司(はやし てつじ、1949年8月20日 - )は、日本の作曲家、編曲家、シンガーソングライター。静岡県富士市出身。 静岡県立富士高等学校、日本大学商学部卒。 五人兄弟の末っ子として生まれる。幼少の頃から兄の影響で米国のポップスを聴いて育った。 20歳の頃にヤマハが主催する音楽スクールに入り、その後ヤマハの音楽雑誌「ライトミュージック」の編集などに携わる。1972年、ヤマハ主催の第3回世界歌謡祭チリ大会に自作の『それが恋の終りなら』を応募したことをきっかけに、1973年3月にシングル『僕の隣の孤独』、4月にアルバム『BRUGES』を発売、シンガーソングライターとしてデビューした。1975年、PMPの朝妻一郎と笹島斌により、大橋純子の歌などが入った林作のデモテープが、フランス・カンヌのMIDEM(音楽見本市)に出展される。
久保田 一(くぼた はじめ、1949年7月29日 - )は、… 久保田 一(くぼた はじめ、1949年7月29日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(捕手)。 日大三島高では、1年次から外野手として活躍、その後捕手にコンバートされ、強肩でならした。3年生時は主将となり、年間打率.350をマークしている。 1967年にドラフト外で東映フライヤーズに入団。1973年に一軍公式戦の出場がないまま引退。
鈴木 いづみ(すずき いづみ、1949年7月10日 - 19… 鈴木 いづみ(すずき いづみ、1949年7月10日 - 1986年2月17日)は、日本の作家、女優である。女優としての芸名に浅香 なおみ(あさか なおみ)がある。
原田 眞人(はらだ まさと、1949年7月3日 - 2025… 原田 眞人(はらだ まさと、1949年7月3日 - 2025年12月8日)は、日本の映画評論家、映画監督、脚本家。 静岡県沼津市出身。スカイホーク所属(業務提携:つばさプロジェクト)。BS朝日番組審議会委員。 静岡県立沼津東高等学校卒業、東京写真専門学校(現:専門学校東京ビジュアルアーツ)、ペパーダイン大学中退。 幼少期より年間100本観るほど映画を愛好し、自身も大勢の観客を沸かせたり感動させたりしたいと考え映画監督を志すようになる。1962年に東京・有楽町で見たドン・シーゲル監督の『突撃隊』に感銘を受け、映画を見るたびに映画に関するメモや論評を書くようになった。 ロンドンに語学留学中の1972年、『ラスト・ショー』の評論を『キネマ旬報』に載せたことをきっかけに映画評論家となり、『キネマ旬報』や『宝島』にアメリカ発の映画情報を寄稿。
春口 廣(はるぐち ひろし、1949年7月3日 - )は、日… 春口 廣(はるぐち ひろし、1949年7月3日 - )は、日本のラグビー指導者。関東学院大学名誉教授。専門は、スポーツ科学。関東学院大学ラグビー部元監督。NPO法人横濱ラグビーアカデミー理事長。春口 広と表記されることもある。 静岡県生まれ。野球少年だったが愛知高校でラグビーを始める。小柄であったが大学のセレクション受験時、当時のラグビー部長綿井永寿の目に留まり日本体育大学に入学。日本体育大学専攻科修了。日体大でのポジションはスクラムハーフ・フランカー (SH・FL) としてレギュラー。 神奈川県立向の岡工業高等学校体育科教諭を経て、1974年に関東学院大学ラグビー部監督に就任。就任当初は関東大学ラグビーリーグ戦グループ3部に所属し、ラグビー専用グランドもなく、貝殻の混ざる運動場で部員8人のラグビー部を指導し始める。
嶋津 武仁(しまづ たけひと、1949年7月1日 - )は、… 嶋津 武仁(しまづ たけひと、1949年7月1日 - )は、日本の作曲家・指揮者・音楽教育家。福島大学人間発達文化学類名誉教授。 静岡県下田市生まれ。東京学芸大学で甲斐説宗に師事。東京学芸大学大学院修士課程音楽教育学科にて伊藤栄一に師事し作曲・指揮を修めた後、ベルリン芸術大学で尹伊桑に師事。ダルムシュタット夏期現代音楽講習会の参加などを通していくつかの国際コンクール等で入賞歴を重ねる。ベルリン工科大学では電子音楽の研究を重ねて、極めて知的な音響作曲法による作品を生み出す。最近の管弦楽曲ではノーノの美学に近く、「レクイエム」など東日本大震災をテーマにした楽曲も目立つ。初期のベルリン時代作品はブライトコプフ・ウント・ヘルテルから、後期の福島時代の作品は主に日本作曲家協議会から出版されている。
川辺 真(かわべ しん、1949年6月19日 - )は、日本… 川辺 真(かわべ しん、1949年6月19日 - )は、日本の作曲家、編曲家。武蔵野音楽大学名誉教授。ペンネームに風戸 慎介(かざと しんすけ)があり、その名でも知られる。 静岡県静岡市出身。1968年、静岡県立静岡高等学校卒業。武蔵野音楽大学作曲科卒業。アメリカ・ロチェスター大学イーストマン音楽院大学院修了。クラウス・プリングスハイム、田村徹、サミュエル・アドラー、ジョセフ・シュワントナーに師事。テレビ・映画などにおける作品多数。作詞家である小椋佳の詞の作曲・編曲がある。