一瀬 邦夫(いちのせ くにお、1942年10月2日 - )は… 一瀬 邦夫(いちのせ くにお、1942年10月2日 - )は日本の実業家、料理人。株式会社ペッパーフードサービスの創業者で元代表取締役社長。 1942年10月2日、静岡県静岡市生まれ。戸籍上は1942年10月出生となっているが、実際には同年8月に生まれている。物心つく前に東京へ引っ越すが、幼少期から富士宮市に疎開。4歳の時に東京に戻り、江戸川区小岩の一軒家で母親と2人暮らしを始めた。母は昼夜働きながら小唄や三味線を修行し、後に教室を開いた。後に墨田区へ移住し、日出学園高等学校 卒業後、母親の紹介で洋食屋のキッチンナポリに就職。母からは「邦夫、コックになるんだったら、日本で五本指に入れるようなコックになるんだよ」と送り出された。
横山 進一(よこやま しんいち、1942年9月10日 - )… 横山 進一(よこやま しんいち、1942年9月10日 - )は日本の実業家。住友生命保険社長・会長、生命保険協会会長を歴任。
土屋 基規(つちや もとのり、1942年8月26日 - 20… 土屋 基規(つちや もとのり、1942年8月26日 - 2018年7月6日)は、日本の教育行政学者、神戸大学名誉教授。 静岡県賀茂郡西伊豆町生まれ。1967年静岡大学教育学部卒業。1974年東京大学大学院教育学研究科博士課程教育行政学専攻単位取得満期退学。1975年神戸大学教育学部講師、助教授、1991年教授となり、1992年発達科学部教授。2006年神戸大学を定年退職、名誉教授となり、近畿大学生物理工学部教授を務め、2009年退職。2011年宝塚医療大学教授、2015年退任。
川村 修(かわむら おさむ、1942年7月31日- )は、日… 川村 修(かわむら おさむ、1942年7月31日- )は、日本の実業家。株式会社シャンソン化粧品代表取締役会長、静岡県バスケットボール協会元会長。 静岡県出身。シャンソン化粧品創業者・川村弘の息子として生まれる。祖父は外科医。静岡県立静岡高等学校を経て、立教大学社会学部に入学。高校では応援団、大学ではゴルフ部に所属。ゴルフトーナメントのキャディも務め、杉原輝雄に付いてコースを回る経験をする。1965年に立教大学を卒業した後、シャンソン化粧品に入社。1967年UCLAビジネスアドミニストレーション課程卒業。1967年シャンソン化粧品副社長、1973年同社社長に就任。 運営する女子バスケットボールチームのシャンソンVマジックは、リーグ優勝16回、皇后杯優勝10回、リーグ戦108連勝という記録を持ち、オリンピックにも選手が出場するなど、日本の女子バスケットボールを牽引してきた。
大隅 多一郎(おおすみ たいちろう、1942年〈昭和17年〉… 大隅 多一郎(おおすみ たいちろう、1942年〈昭和17年〉7月28日 - 2021年〈令和3年〉6月28日)は、日本の実業家。元日鉄海運(現・NSユナイテッド海運)社長。リオデジャネイロ商工会議所第19代会頭。日本ボート協会顧問、隅田川ボート記念碑建設委員会理事長を務めた。静岡県出身。 1961年(昭和36年)、静岡県立静岡高等学校卒業。1962年(昭和37年)、東京大学入学。東大では漕艇部に所属し、1964年東京オリンピック代表候補に挙げられた。1966年(昭和41年)、東京大学法学部卒業。同年4月、八幡製鐵入社。原料業務部原料調整室長、原料企画部部長代理、八幡製鐵所総務部長、1992年4月、理事、1993年(平成5年)6月、南米事務所長。
五島 綾子(ごとう あやこ、1942年7月1日 - )は、日… 五島 綾子(ごとう あやこ、1942年7月1日 - )は、日本の化学者(科学技術社会論・ナノテクノロジー論・環境科学・環境マネジメント論)、科学史家、薬剤師。学位は薬学博士(静岡薬科大学・1980年)、博士(理学)(名古屋大学・1993年)。 静岡薬科大学薬学部助手、静岡県立大学国際関係学部講師、静岡県立大学経営情報学部教授などを歴任した。 科学技術社会論、ナノテクノロジー論、環境科学、環境マネジメント論を専攻する化学者である。科学史にまつわる著作も上梓している。静岡薬科大学の薬学部を経て、静岡県立大学の国際関係学部や経営情報学部で教鞭を執った。 1965年静岡薬科大学薬学部卒業後、同大学教養科化学教室にて助手として採用された。
小浪 博英(こなみ ひろひで、1942年(昭和17年)7月 … 小浪 博英(こなみ ひろひで、1942年(昭和17年)7月 - )は、日本の工学者。専門は都市工学。博士(工学)。駅前広場の「小浪式」考案者である。 専門は都市工学であるが、長い行政経験を生かして、国土計画、地域計画、都市計画、観光振興、国際協力等幅広く研究している。また、国内の1000カ所以上のまちづくりの指導をしてきたほか、フィリピン、インドネシア、マレーシア、エジプト、イエメン等の国際技術協力を指導してきた。 土木学会、日本都市計画学会、日本国際観光学会、燈光会会員。 現在、社団法人国土政策研究会・社団法人木の総合文化・ウッドレガシー推進協議会の各専務理事を務めているほか、川崎市登戸土地区画整理審議会会長(2010年就任)、東アジア住宅・計画会議(EAROPH)理事、全日本土地区画整理士会編集参与、都市環境デザイン会議運営委員、江東区の水辺に親しむ会理事、TPI都市計画研究所相談役などとして活動している。
大隅 潔(おおすみ いさぎ、1942年6月22日 - )は、… 大隅 潔(おおすみ いさぎ、1942年6月22日 - )は、スポーツニッポン東京本社の元記者で、1964年東京オリンピック男子200m背泳ぎの日本代表選手。現在は、セントラルスポーツの顧問を務める。 スポーツニッポンでは後年、東京本社の常務取締役や、西部本社の代表を歴任。関連会社のスポニチクリエイツでも、代表取締役を務めた。退職後は、明治大学の客員教授に就任している。 静岡県の出身で、少年時代に自宅付近の天竜川で水泳へ親しむと、静岡県立浜松商業高等学校時代から競泳の選手として活躍。1964年東京オリンピックの開催を控えた1961年に、日本代表候補生の1人として、明治大学法学部への推薦入学を果たした。
門奈 直樹(もんな なおき、1942年6月7日 - )は、日… 門奈 直樹(もんな なおき、1942年6月7日 - )は、日本の社会学者、立教大学名誉教授、京都産業大学経営学部ソーシャル・マネジメント学科客員教授。専門は、ジャーナリズム、マスコミュニケーション論、危機管理とマスメディア。とくにイギリスのメディア研究、放送制度、メディア政策に詳しい。 静岡県生まれ。同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒業、同大学院文学研究科新聞学専攻修士課程修了。立教大学社会学部社会学科教授を経て、現職。 「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めている。 日本新聞協会『新聞研究』,朝日新聞社総合研究本部『朝日総研リポート・AIR21』,岩波書店『世界』,歴史教育者協議会『歴史地理教育』,青土社『現代思想』,東京社『総合ジャーナリズム研究』,日本民間放送連盟『月間民放』,放送批判懇談会『放送批判』,東洋経済新報社『週刊東洋経済』,潮出版社『潮』,メディア総合研究所『放送レポート』,朝日新聞社『月刊Asahi』,時事通信社『世界週報』,毎日新聞社『エコノミスト』,マスコミ市民会議『マスコミ市民』,日本新聞協会『新聞経営』,出版ニュース社『出版ニュース』等に掲載多数ある。
船田 和英(ふなだ かずひで、1942年5月5日 - 199… 船田 和英(ふなだ かずひで、1942年5月5日 - 1992年5月28日)は、プロ野球選手。ポジションは内野手。ニックネームは「ライフルマン」(同名のアメリカのテレビドラマにちなむ。主人公ルーカス・マッケイン役のチャック・コナーズに顔が似ていた)。静岡県出身。
井上 輝子(いのうえ てるこ、1942年3月27日 - 20… 井上 輝子(いのうえ てるこ、1942年3月27日 - 2021年8月10日)は、日本の社会学者、女性学者。和光大学名誉教授。 東京生まれ。別名・辺(ほとり)輝子。県立静岡高校から都立九段高校を経て、東京大学文学部社会学科卒業。1971年、同大学院社会学研究科新聞学修了。1970年、立教大学助手、1973年、和光大学助教授となり、1984年、同教授。2012年、定年退職、名誉教授。 1970年代初頭のウーマンリブ運動に参加する中で女性学と出会い、和光大学で女性学講座を担当。日本出版学会賞受賞。日本女性学研究会設立、日本女性学会代表幹事を務めるなど、日本における女性学の基礎を築いた。山川菊栄記念会代表、山川菊栄賞(山川菊栄記念婦人問題研究奨励金)選考委員長やNPO 法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)のミニコミ図書館に尽力するなど女性学研究の発展や女性情報の発信にも積極的にかかわった。
戸塚 洋二(とつか ようじ、1942年(昭和17年)3月6日… 戸塚 洋二(とつか ようじ、1942年(昭和17年)3月6日 - 2008年(平成20年)7月10日)は、日本の物理学者。学位は、理学博士。東京大学特別栄誉教授。 静岡県富士郡吉永村(後の吉原市、現在の富士市)富士岡出身。富士市名誉市民(第1号)。2002年文化功労者、2004年文化勲章、2008年従三位。 1960年、静岡県立富士高等学校卒業、1965年、東京大学理学部物理学科卒業。1972年、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。理学博士。その後、東京大学理学部教授を経て1988年に東京大学宇宙線研究所教授。 1995年には神岡宇宙素粒子研究施設長に就任、1997年からは東京大学宇宙線研究所長。
井田 勝通(いだ まさみち、 (1942-03-03) 19… 井田 勝通(いだ まさみち、 (1942-03-03) 1942年3月3日(84歳) -)は、日本のサッカー指導者、元サッカー選手。元静岡学園高等学校監督。 満州の奉天(現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽市)で生まれ、静岡県焼津市で育つ。高校は静岡県立静岡高等学校に進学し、サッカー部に所属し長池実の指導を受けた。1浪後に慶應義塾大学経済学部へ進学し体育会ソッカー部に所属。4年次に慶應義塾高等学校サッカー部を指導し好成績を収めた事が後に指導者を志すきっかけとなった。 卒業後は静岡銀行に就職し県社会人リーグで選手として活躍を続けていたが、堀田哲爾と長池が主催した指導者講習会を受講したことで再び指導者の道を志すことを決意。
大久保 満男(おおくぼ みつお、1942年2月24日 - )… 大久保 満男(おおくぼ みつお、1942年2月24日 - )は、日本の歯科医師。元日本歯科医師会会長。NPO法人ハート・リング運動 特別顧問。 1960年、静岡県立静岡高等学校卒業。1966年、日本大学歯学部卒業。1967年、歯科大久保医院を開設。1980年、静岡県立静岡北養護学校医。1985年~1988年、静岡市歯科医師会会長、1991年~1994年日本歯科医師会公衆衛生委員会委員、2000年~2006年、静岡県歯科医師会会長。2000年~2003年、日本歯科医師会理事を経て、2006年~2015年、同会長。日本歯科医師連盟会長、財団法人8020推進財団 理事長など要職を歴任。2009年、経済危機克服のための「有識者会合」メンバー。
天野 進吾(あまの しんご、1942年(昭和17年)2月2日… 天野 進吾(あまの しんご、1942年(昭和17年)2月2日 - )は、日本の政治家。静岡県旧静岡市長(2期)、静岡市議会議員(2期)、静岡県議会議員(9期)を歴任した。 静岡県議会・自民党静岡県連では、自由民主党静岡県連総務会長、自由民主党静岡県連幹事長、県議会議長などを歴任藍綬褒章受章。息子は静岡市議会議員の天野正剛。娘は静岡県議会議員の天野多美子。 1966年中央大学法学部政治学科卒。大学在学中(3年時)に自民党に入党、1967年から静岡市議を2期、1974年に静岡県議会議員補欠選挙に初当選、翌年本選で落選した。翌1975年株式会社グリーンシャワーを設立。その後、静岡県議会議員を2期務め、1987年静岡市長選挙に立候補し現職の河合代悟市長らを破り当選、2期7年を務めたが、採石業者との癒着問題の責任を取る形で1994年に辞任、1996年の第41回衆議院議員総選挙に静岡1区から無所属で立候補したが落選した。
嵐山 光三郎(あらしやま こうざぶろう、1942年〈昭和17… 嵐山 光三郎(あらしやま こうざぶろう、1942年〈昭和17年〉1月10日 - 2025年11月14日)は、日本の編集者、作家、エッセイスト。本名は祐乗坊 英昭(ゆうじょうぼう ひであき)。 父は、朝日新聞社社員から、多摩美術大学の教授に転じたデザイナーの祐乗坊宣明。弟の祐乗坊進は造園コンサルタントで多摩美術大学講師。 静岡県浜松市に生まれ、1950年から東京都北多摩郡国立町(現:国立市)に育つ。国立学園小学校卒業。小学校時代の同級生に、後の外務省・軍縮大使の登誠一郎、朝日新聞社の宮本貢がいた。 桐朋中学校・高等学校を経て、1965年國學院大學文学部国文科卒業。専攻は中世文学。また、笠井叡は高校の2年後輩で、大学時代に笠井から土方巽を紹介され、金粉ショーのアルバイトをやったこともある。
伊藤 達雄(いとう たつお、1942年(昭和17年) - )… 伊藤 達雄(いとう たつお、1942年(昭和17年) - )は、日本の医学者。専門は整形外科学。特に脊椎脊髄外科学、リウマチ整形外科。東京女子医科大学八千代医療センター初代院長・名誉院長。東京女子医科大学名誉教授。医学博士。 1961年(昭和36年)、静岡県立静岡高等学校卒業。1967年(昭和42年)、千葉大学医学部卒業。1968年(昭和43年)、千葉大学医学部整形外科教室入局。1977年(昭和52年)、千葉大学医学部整形外科助手。1978年(昭和53年)、米国南イリノイ大学整形外科留学clinical fellow。1979年(昭和54年)、富山医科薬科大学整形外科講師、1985年(昭和60年)、同助教授。
大槻 公一(おおつき こういち、1942年 - )は、日本の… 大槻 公一(おおつき こういち、1942年 - )は、日本の獣医学者。鳥インフルエンザ研究の第一人者。鳥取大学名誉教授。獣医学博士(北海道大学・論文博士・1980年)。静岡市出身。 渡り鳥の保有する鳥インフルエンザウイルスの調査、病原性などの解析、新型インフルエンザウイルス出現メカニズムの解明などを研究。獣医事審議会委員(農水省)や家きん疾病小委員会委員(農水省)などを歴任。鳥インフルエンザ、鶏伝染性気管支炎、鶏病などに関する著書・学術論文・総説は160編を超える。 静岡市清水区出身。1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。1966年、北海道大学獣医学部獣医学科卒。塩野義製薬油日ラボラトリーズ研究員を経て、1971年、鳥取大学農学部講師。
戸塚 悦朗(とつか えつろう、1942年(昭和17年)- )… 戸塚 悦朗(とつか えつろう、1942年(昭和17年)- )は、日本の弁護士。龍谷大学安重根東洋平和研究センター客員研究員。 「強制従軍慰安婦」、韓国人 慰安婦の対日補償請求運動を支援し、1992年2月国連人権委員会で、朝鮮・韓国人の戦時強制連行問題と「従軍慰安婦」問題をNGO「国際教育開発」の代表として初めて提起し、日本政府に責任を取るよう求め、国連の対応をも要請するなど、今日の日本の慰安婦問題に多大な影響を与えた。また、慰安婦の呼称として「性奴隷(Sex slaves)」を提唱し、日弁連や国連に使用を働きかけた。内縁の妻は元挺対協(現:正義連)山下英愛。 静岡県浜松市生まれ。1960年、立教大学理学部物理学科入学。
川島 宏(かわしま ひろし、1942年頃 - 2022年6月… 川島 宏(かわしま ひろし、1942年頃 - 2022年6月3日)は、日本の新左翼活動家(赤軍派)。アーバンデザイナー。 東大全共闘の主要なメンバーで、東大闘争を最初から最後まで戦い敗北した。大菩薩峠事件以後、赤軍派に身を投じ、よど号ハイジャック事件、PBM作戦を主要な立場で担った。1970年7月11日逮捕され、実刑。のちに川島宏祥と改名し、アーバンデザインの設計者として後半生を生きた。 静岡県静岡市に生まれる。士族だった家系で、地主の父親は自由党選出の静岡県議会議員だった。父とは9歳の時に死別した。1960年6月15日、静岡市での反安保デモに参加。1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。1962年、東京大学理科一類に進学。
長谷川 逸子(はせがわ いつこ、1941年12月1日 - )… 長谷川 逸子(はせがわ いつこ、1941年12月1日 - )は日本の建築家。菊竹清訓事務所出身。静岡県焼津市出身。関東学院大学工学部建築学科卒業。東京工業大学研究生を経て、1979年長谷川逸子・建築計画工房設立。関東学院大学客員教授。 伊東豊雄とともに「野武士」世代と伝えられている(槇文彦が命名)。1984年竣工の眉山ホールでの日本建築学会賞作品賞受賞や1986年に槇文彦や磯崎新らが審査員を務めた湘南台文化センターの公開コンペで最優秀賞を受賞し一躍注目を浴びる。トウキョウ建築コレクション2020審査員長などを歴任。 1941年(昭和16年)、静岡県焼津町に生まれる。父親は、逸子の祖父が創業したいくつもの会社を継ぎ、練炭工場や鉄工所など複数の事業を営んでいた。
山川 紘矢(やまかわ こうや、1941年11月21日 - )… 山川 紘矢(やまかわ こうや、1941年11月21日 - )は、日本の精神世界・スピリチュアル系の翻訳家、著作家、講演家。スピリットダンス主催、セミナー講師。翻訳は妻の山川亜希子と共に行っている(なお「紘矢」「亜希子」はペンネームである)。 静岡県引佐郡引佐町(現・浜松市浜名区)生まれ。静岡県立掛川西高等学校を経て東京大学法学部第1類(私法コース)卒業後、大蔵省(現・財務省)に入省(国有財産局総務課)。その後は外務省に出向し在マレーシア日本国大使館で3年間、外交官として勤務。1971年7月 加治木税務署長。1972年7月 大臣官房秘書課長補佐(財務官室)心得。1973年7月よりハワイ大学大学院、シカゴ大学大学院で学ぶ。
菊地 董(きくち ただす、1941年(昭和16年)10月29… 菊地 董(きくち ただす、1941年(昭和16年)10月29日 - )は、日本の政治家、実業家。元衆議院議員(1期)。 静岡県田方郡修善寺町(現・伊豆市)出身。日本社会事業大学中退。その後、佐々木更三の秘書を務め、会社を経営する。 1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙で、静岡7区に社会民主党から立候補して落選。2000年(平成12年)2月22日、前島秀行の死去により、重複立候補していた比例代表東海ブロックから繰上当選となった。同年6月の第42回総選挙で静岡県第5区に立候補し、落選した。 その後、(株) アジア太平洋センター代表取締役に就任した。
渡辺 秀武(わたなべ ひでたけ、1941年〈昭和16年〉9月… 渡辺 秀武(わたなべ ひでたけ、1941年〈昭和16年〉9月16日 - 2007年〈平成19年〉8月25日)は、静岡県富士市出身のプロ野球選手(投手)、スカウト。 愛称は「メリーちゃん」。 富士高校卒業後の1960年に本州製紙へ入社するが、後に日本軽金属へ移籍。1963年の都市対抗では河合楽器に補強され出場し、電電四国との1回戦で好リリーフを見せ、勝利投手となるなど活躍。チームの準決勝進出に貢献するが、積水化学に敗退した。この時のチームメイトに一枝修平がいる。 大会終了後の8月23日に読売ジャイアンツへ入団し、二軍では3年目の1965年に防御率1.83でイースタン・リーグ最優秀防御率に輝いたが、最初の3年間は僅か3勝と低迷。
鈴木 與平(すずき よへい、1941年8月8日 - )は、日… 鈴木 與平(すずき よへい、1941年8月8日 - )は、日本の実業家。鈴与代表取締役社長を経て、現在は同社代表取締役会長。旧名 鈴木道弘。社長在任中、Jリーグ 清水エスパルスの運営支援を開始、フジドリームエアラインズを設立、航空事業へ参入した。 静岡市出身。1960年、静岡県立静岡高等学校卒業。1965年、慶應義塾大学経済学部卒業。1967年、東京大学経済学部卒業。同年、鈴与入社。日本郵船に出向。1970年、鈴与取締役。1974年、鈴与常務。1976年、鈴与副社長。1977年、鈴与社長。2014年、鈴与会長兼社長。2015年、鈴与会長。 1992年、2月より日本プロサッカーリーグ(Jリーグ) 清水エスパルスの運営支援を開始、球団会長。
家田 佳子(いえだ よしこ、1941年7月12日 - )は、… 家田 佳子(いえだ よしこ、1941年7月12日 - )は、日本の元女優、元モデルである。本名同じ。 1941年(昭和16年)7月12日、静岡県静岡市に生まれる。 青山学院中等部・高等部に進学する傍ら、舞踊家の貝谷八百子が創設した貝谷バレエ団(現在の貝谷バレエアカデミー)に所属し、4年間舞踊を修得していたが、1957年(昭和32年)5月、同校高等部在学中に実父と懇意だった劇作家の内村直也にスカウトされ、東宝に入社する。同年11月5日に公開された鈴木英夫監督映画『脱獄囚』で池部良と共演し、映画デビューを果たす。以後、同社の新進女優として、ジャンルを問わず多くの作品に脇役、時には準主役として出演した。
夏目 和良 (なつめ かずよし、1941年7月7日 - )… 夏目 和良 (なつめ かずよし、1941年7月7日 - )は、日本の実業家。元中部日本放送、CBCテレビ社長、会長、相談役。 愛知県出身。同志社大学経済学部卒業。大学卒業後の1965年4月、中部日本放送に入社。1997年6月東京支社長。1998年12月テレビ営業局長。1999年6月取締役テレビ営業局長。2001年6月常務取締役。2003年6月代表取締役社長。2008年6月代表取締役会長。2011年9月CBCラジオ取締役。2014年4月CBCテレビ代表取締役会長。同年6月取締役相談役名誉会長、取締役相談役。2016年退任。 2013年11月旭日中綬章受章。
前島 秀行(まえじま ひでゆき、1941年6月27日 - 2… 前島 秀行(まえじま ひでゆき、1941年6月27日 - 2000年2月10日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。社会民主党国会対策委員長などを務めた。 富士宮市出身。静岡県立富士高等学校、早稲田大学政治経済学部を卒業し、日本社会党書記局に就職。 その後、党総務部長などを務め、1986年に勝間田清一の後継として第38回衆議院議員総選挙に旧静岡2区から立候補し初当選。以後4期連続当選。副書記長などを歴任。社会民主党への改組後も党に残り、党総務部長に就任。1998年には国会対策委員長に就任する。 4期目の当選は、小選挙区比例代表並立制の導入となったため、静岡県第5区からの立候補となったが落選し、重複立候補していた比例東海ブロックでの復活当選となった。
長山 藍子(ながやま あいこ、1941年〈昭和16年〉6月2… 長山 藍子(ながやま あいこ、1941年〈昭和16年〉6月21日 - )は、日本の女優。中国内蒙古自治区フフホト市生まれ、静岡県三島市育ちで、3人きょうだいの長女。身長159cm、体重50kg。日本新劇俳優協会理事。夫は俳優の武正忠明(1997年結婚)。 父は同盟通信社記者で東京タイムズ創立に参加した。通信社の記者として父親が赴任していた中国・内蒙古フフホト市で生まれ、幼児期を東北部の新京(現:長春)で過ごした。4歳のとき現地で終戦を迎え、父親と離れてしまい、母・弟とともに引き揚げて、東京に住む。 成蹊小学校・中学校、静岡県立三島北高等学校卒業。小・中学校の同級生に俳優の東野英心がいた。 父親の影響で俳優を目指し、小・中学校時代から演劇部に所属。
大野 雄二(おおの ゆうじ、英: Yuji Ohno、194… 大野 雄二(おおの ゆうじ、英: Yuji Ohno、1941年〈昭和16年〉5月30日 - )は、日本のジャズピアニスト、作曲家、編曲家。静岡県熱海市出身。『ルパン三世』シリーズの作曲家としても知られる。 日本テレビ音楽専属、フリーを経て、バップ専属で活動している。 静岡県熱海市にある旅館瑞雲荘大野屋(後のホテル大野屋)を創業した大野市郎の次男として生まれ、小学生の時からピアノを始める。6年生の2学期までは地元の小学校に通い、その後は小田原にある小学校・中学校まで越境通学していた。小田原市立第一中学校(現:小田原市立城山中学校)卒業後は慶應義塾高等学校に進学。同級生だった明石勇(クラリネット担当、後にNHKアナウンサーとなる)らと「ジュニア・ライト・ミュージック」を結成。
朝井 茂治(あさい しげじ、1941年5月11日 - 201… 朝井 茂治(あさい しげじ、1941年5月11日 - 2010年5月2日)は、静岡県裾野市出身の元プロ野球選手(内野手)。一時期、登録名を朝樹 一義世とした。
高田 忠敬(たかだ ただひろ、1941年(昭和16年)4月1… 高田 忠敬(たかだ ただひろ、1941年(昭和16年)4月11日 - )は、日本の医学者。専門は消化器外科学。特に肝胆膵外科。帝京大学名誉教授。静岡市出身。 1941年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)生まれ。1960年、静岡県立静岡高等学校卒業。1966年、千葉大学医学部卒業。1967年、東京女子医科大学消化器病センター外科(医療錬士)。1973年、同助手。1977年、同講師、1981年、東京女子医科大学消化器病センター助教授、帝京大学医学部外科助教授。1991年、帝京大学医学部外科教授。2006年、帝京大学医学部外科主任教授。2007年、帝京大学名誉教授・客員教授。帝京短期大学ライフケア学科長・教授。
杉原 高嶺(すぎはら たかね、1941年4月10日 - )は… 杉原 高嶺(すぎはら たかね、1941年4月10日 - )は、日本の法学者。専門は、国際法・海洋法・国際司法制度など。学位は、法学博士(東北大学、1976年)(学位論文「国際司法裁判所の研究」)。京都大学名誉教授、北海道大学名誉教授。静岡県出身。兄は憲法学者で一橋大学・駿河台大学名誉教授の杉原泰雄。
瀧 安治(たき やすはる、1941年2月11日 - 2003… 瀧 安治(たき やすはる、1941年2月11日 - 2003年11月19日)は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(二塁手)。実兄に阪神の捕手であった瀧英男がいる。
芹澤 勤(せりざわ つとむ、1941年(昭和16年)1月22… 芹澤 勤(せりざわ つとむ、1941年(昭和16年)1月22日 - )は、日本の政治家。元長野県小諸市長(2期)。 静岡県沼津市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。 大学卒業後は長野県庁に入庁。県職員を経て2000年から1期4年、小諸市助役を務めた。 2004年、小諸市長選に出馬し初当選。2期8年を務める。 2010年5月20日、自民党本部で開催された自由同和会第25回全国大会に祝電を贈った。 2012年と2016年に小諸市長選に出馬するも落選した。
一郷 正道(いちごう まさみち、1941年 - )は、日本の… 一郷 正道(いちごう まさみち、1941年 - )は、日本の仏教学者。文学博士(京都大学・1986年)。元京都産業大学教授、大谷大学教授、京都光華女子大学・同短期大学部学長。岡崎教区第34組真勝寺住職。 静岡県生まれ。1959年(昭和34年)、静岡県立静岡高等学校卒業。1963年(昭和38年)、大谷大学文学部仏教学科卒業。1967年(昭和42年)、ワシントン州立大学極東学部大学院入学。1969年(昭和44年)、京都産業大学講師、1970年(昭和45年)、京都大学大学院文学研究科博士課程宗教学(仏教学)専攻単位取得後退学。1981年(昭和56年)、京都産業大学教養部教授。1986年(昭和61年)、文学博士(論文博・京都大学)。
伊藤 方也(いとう まさや、1941年 -2020年 )は、… 伊藤 方也(いとう まさや、1941年 -2020年 )は、日本の墨画師、イラストレーター。主に広告業界で活動し、サントリーリザーブの新聞広告、キリン一番搾りの墨文字・墨画などで人気を博した。 1941年、上海生まれ。1960年、静岡県立静岡高等学校卒業。1965年、東京芸術大学工芸科卒業。広告代理店に入りアートディレクターをしていたが、「どうしても絵をかきたい」との思いを抑えきれず退社し、1971年〜1972年、ヨーロッパを旅した。当初、版画に取り組んだが、しばらくして「墨で絵をかいたらどうなるか」と考え、習字を習った。間もなく、サントリーから墨絵の広告を依頼され、約7年間描いた。サントリーリザーブの新聞広告を皮切りに、雑誌の表紙絵、デパートのポスター、カレンダー、商品パッケージのイラスト、企業のロゴマークなどを手掛けた。
川島 紘一郎(かわしま こういちろう、1941年〈昭和16年… 川島 紘一郎(かわしま こういちろう、1941年〈昭和16年〉 - )は、日本の薬学者。共立薬科大学名誉教授。薬学博士(東京大学)。 1960年(昭和35年)、静岡県立静岡高等学校卒業。東京大学薬学部卒業。1971年、東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了。同年、ニューヨーク医科大学 Research Fellow、Postdoctoral Fellow。1973年、ロッシュ分子生物学研究所(英語版)Postdoctoral Fellow。1975年、自治医科大学薬理学教室講師。共立薬科大学薬理学教室教授。2007年、同大学退任、名誉教授。武蔵野大学薬学研究所客員教授、北里大学薬学部分子薬理学教室客員教授を歴任した。
安藤 喜春(あんどう よしはる、1941年 - )は、静岡県… 安藤 喜春(あんどう よしはる、1941年 - )は、静岡県出身の元アマチュア野球選手(内野手)、野球指導者。 沼津東高等学校では、1958年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、静岡高に延長14回逆転サヨナラ負け。1959年に社会人野球の大昭和製紙に入社、10年間遊撃手として活躍した。1961年の都市対抗では準決勝に進むが、新三菱重工に敗退。1968年には全日本代表のメンバーにも選ばれた。 1969年から大昭和製紙北海道の監督を務め、1974年の都市対抗野球で北海道のチームで初の優勝を果たし、同年には社会人ベストナインの特別表彰を受けている。 1980年から古巣の大昭和製紙の監督を務め、1980年の都市対抗でチームを優勝に導いた。
池上 洋通(いけがみ ひろみち、1941年(昭和16年)- … 池上 洋通(いけがみ ひろみち、1941年(昭和16年)- )は、日本の地方自治研究者。地方自治と地域社会に関する各種の分野の事項に積極的に発言・主張、創作活動を行っており、雑誌編集などのジャーナリストとしても活動してきた。静岡県清水市(現静岡市)出身。 フリーライターを経て、1974年~1992年、東京都日野市市役所職員。秘書課、企画課、社会福祉課、市民会館などに勤務、この間、市の基本構想策定、市民意識調査、社会福祉政策、文化政策などの立案・実施に直接携わる。また、市民として、文化運動、障がい者・難病患者運動に参加、政府の難病政策の転換(施設→在宅)に寄与した。この間に、市民・自治体職員・研究者で構成する全国組織・自治体問題研究所の一員となり、地方自治・各分野の地域運動などに関わる運動・政策論などの執筆活動を開始。
大宇根 弘司(おおうね ひろし、1941年 - )は、日本の… 大宇根 弘司(おおうね ひろし、1941年 - )は、日本の建築家である。社団法人である日本建築家協会(JIA)会長、東京理科大学の非常勤講師などを歴任した。静岡県生まれ。 1960年静岡県立藤枝東高等学校卒業。1965年東京大学工学部建築学科卒業、前川國男建築設計事務所入所。山梨県立美術館の設計を担当。1982年大宇根建築設計事務所設立。代表作に(仮称)麻布子ども中高生プラザ等複合施設(設計プロポーザルで選定)。東京エレクトロン仙台事業所研究開発施設2号棟、芸術の森公園・山梨県立文学館、夢の島熱帯植物館など。
遠藤 安彦(えんどう やすひこ、1940年12月6日 - )… 遠藤 安彦(えんどう やすひこ、1940年12月6日 - )は、日本の官僚。元自治事務次官。地域創造元会長。 1959年、静岡県立静岡高等学校卒業。東京大学法学部卒業。 大分県総務部次長、同県商工労働部長、同県総務部長、財政局交付税課長、財政局地方債課長、財政局財政課長、大臣官房審議官(税務担当)、大臣官房総務審議官、大臣官房長、財政局長などを務める。 1996年9月、自治事務次官。1998年2月、地域創造理事長。財団法人日本宝くじ協会理事長、(株)日本宝くじシステム代表取締役、財団法人地方財務協会理事長、2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会事務総長を務めた。2016年、日本AED財団理事。
石川 嘉延(いしかわ よしのぶ、1940年11月24日 - … 石川 嘉延(いしかわ よしのぶ、1940年11月24日 - )は、日本の自治官僚、政治家、行政学者(専門は地方自治)。勲等は旭日大綬章。日本大学国際関係学部客員教授。「嘉延」の読みは「よしのぶ」が正式だが、「かえん」と呼ばれることもある。 静岡県知事(第49〜52代)、内閣府中央防災会議委員、地震調査研究推進本部政策委員会委員、全国知事会理事・災害対策委員会委員長、学校法人静岡文化芸術大学理事長などを歴任した。 日本統治時代の台湾生まれ。両親はいずれも静岡県出身の日本人だが仕事の都合で台湾に滞在しており、石川は生後5年間を台湾で過ごした。1945年の終戦にともない、家族の故郷である静岡県小笠郡佐束村(現掛川市)に引き揚げた。
荒木 紀一 (あらき きいち、1940年11月11日 - … 荒木 紀一 (あらき きいち、1940年11月11日 - ) は、日本の陸上競技選手。1964年東京オリンピック陸上日本男子円盤投代表候補選手 (膝の故障により出場断念)。円盤投男子元日本記録保持者。静岡県浜松市出身。中央大学法学部法学科卒業。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
森瑤子(もり ようこ、1940年11月4日 - 1993年7… 森瑤子(もり ようこ、1940年11月4日 - 1993年7月6日) は、1980年代に活躍した日本の小説家。本名、伊藤雅代。静岡県伊東市出身。37歳でデビューしてから52歳で没するまでの短い活動期間に、小説、エッセイ、翻訳など100冊を超える著作を生んだ。作品は20回以上テレビドラマ化されている。森瑶子名義の著作多数。 ライナーノーツ抄:『私は独り言のような小説を好まない。人間の葛藤が好きなのである。…ダブルコンチェルトの中に描かれている女たちは恋を失ったときに、相手を決して責めない女たちである。…』
竹原 あき子(たけはら あきこ、1940年11月1日- )は… 竹原 あき子(たけはら あきこ、1940年11月1日- )は、日本の工業デザイナー、和光大学名誉教授。 静岡県浜松市生まれ。1964年千葉大学工学部工業意匠学科卒、キヤノンカメラ株式会社デザイン課勤務。1968年フランス政府給費留学生として渡仏。1968年フランス国立高等工芸大学。1970年パリ環境研究院。1972年フランス高等インスチチュート。1975年和光大学芸術学科助教授。1984年教授、2011年定年、名誉教授。
稲沢 潤子(いなざわ じゅんこ、1940年10月5日 - )… 稲沢 潤子(いなざわ じゅんこ、1940年10月5日 - )は、日本の小説家。本名・岩田淳子。 静岡県出身。静岡県立沼津東高等学校からお茶の水女子大学を経て名古屋大学卒業後、出版社に勤務しながら小説を書き始める。1969年2月号の『民主文学』に「二足めの靴」が掲載され、作家としてのキャリアがはじまる。1972年には「紀子の場合」を発表。その後、『群像』『民主文学』を中心に多くの作品を発表する。 ルポルタージュの著作も多く、1981年の北炭夕張新炭鉱ガス突出事故を契機に夕張を取材し、『夕張のこころ』(大月書店)を刊行する。また、障碍者問題や千葉県立小金高等学校の卒業式問題に取材した著作もある。 1987年、夕張を舞台にした小説『地熱』で多喜二・百合子賞を受賞する。
渥美 雅子(あつみ まさこ、1940年〈昭和15年〉10月1… 渥美 雅子(あつみ まさこ、1940年〈昭和15年〉10月1日 - )は、日本の弁護士、評論家。 静岡県浜松市生まれ。静岡県立浜松北高等学校を経て、1963年に中央大学法学部を卒業後、1966年に弁護士開業。 千葉県の女性弁護士第1号。 家族、遺産相続、DVなどの問題を担当、人生相談の回答者として活動している。 女性と仕事の未来館館長(2003年 - 2011年)を務めたほか、NPO法人DV被害者支援活動促進のための基金を設立(同理事長)、NPO法人高齢社会をよくする女性の会監事などを務めている。2005年に男女共同参画社会づくり功労者として内閣総理大臣表彰を受けている。 法律事務所の会議室に高座をもうけて講談師を招き、「渥美講談塾」を開設。
越村 敏昭(こしむら としあき、1940年〈昭和15年〉9月… 越村 敏昭(こしむら としあき、1940年〈昭和15年〉9月20日 - 2023年〈令和5年〉8月13日)は、日本の実業家。東京急行電鉄社長・会長、東急グループ代表、日本ショッピングセンター協会会長、五島美術館理事長等を歴任した。 静岡県出身。1956年、静岡県立静岡高等学校入学(2年次修了まで在籍し転校)。早稲田大学法学部卒業。 1964年(昭和39年)4月、東京急行電鉄株式会社入社。1995年(平成7年)6月、取締役。1999年(平成11年)6月、常務取締役。2001年(平成13年)6月、専務取締役。2003年(平成15年)6月、代表取締役。2005年(平成17年)6月、代表取締役社長。2011年(平成23年)4月、取締役会長。
小池 政臣(こいけ まさおみ、1940年9月 - )は、日本… 小池 政臣(こいけ まさおみ、1940年9月 - )は、日本の政治家、僧侶。元三島市長(3期)。父は衆議院議員の小池政恩、息子も衆議院議員の小池政就。