松本 周也(まつもと しゅうや、2000年5月10日 - )… 松本 周也(まつもと しゅうや、2000年5月10日 - )は、日本の競泳(自由形)選手。 静岡県下田市出身。2016年4月、静岡県立伊東高等学校に進学。高校3年時にインターハイにて200m、400m個人メドレーで優勝。2019年4月、中京大学に進学。2023年4月、ひまわりネットワーク株式会社所属。 2018年度(高3) 2019年度(大1) 2020年度(大2) 2021年度(大3) 2022年度(大4)
望月 絹子(もちづき きぬこ、Kinuko Mochizuk… 望月 絹子(もちづき きぬこ、Kinuko Mochizuki, 1999年4月14日 - )は、日本の女性競泳選手である。 静岡県静岡市出身。静岡市立清水高部小学校、静岡市立清水第六中学校、静岡市立清水桜が丘高等学校を経て神奈川大学人間科学部・人間科学科3年在学中。 地元の「とこはスイミングスクール」にて水泳を始める。中学校時代は2014年の第54回全国中学校水泳競技大会・女子400m自由形で2位という成績を残す。 高等学校時代は2017年(高校3年次)の日本高等学校選手権水泳競技大会(インターハイ)女子200m自由形にて2位となった。 2018年に神奈川大学に進学。1年・2年次を経て、2020年に大学3年になってから急成長し、第96回日本学生選手権水泳競技大会(インターカレッジ)女子400m自由形では優勝した小堀倭加(日本大学)にあと僅かと迫る2位に入賞するなど活躍、神奈川大学初の大会総合優勝の立役者のひとりとなった。
松本 弥生(まつもと やよい、1990年3月8日-)は、日本… 松本 弥生(まつもと やよい、1990年3月8日-)は、日本の女子競泳選手。静岡県沼津市出身。種目は自由形。所属はミキハウス→リトルトウキョウプロダクション→XFLAG SPORTS。
鈴木 孝幸(すずき たかゆき、1987年1月23日 - )は… 鈴木 孝幸(すずき たかゆき、1987年1月23日 - )は、静岡県浜松市北区(現・中央区)出身のパラ競泳選手、会社員。聖隷クリストファー高等学校から早稲田大学教育学部に進学し、卒業後、株式会社ゴールドウインのスピード事業部に勤務。 2008年北京パラリンピック、2021年開催の東京パラリンピック及び2024年パリパラリンピック 競泳 金メダリスト。 先天性四肢欠損症。右腕の肘から先がなく、左手は指が二本と短い指が1本あり、右足は根本付近からなく、左足は膝下からない。6歳から水泳を始めた。 2004年にはアテネパラリンピックに17歳で出場、個人では100m自由形・150m個人メドレーに出場した。
髙桑 健(たかくわ けん、1985年3月25日 - )は、日… 髙桑 健(たかくわ けん、1985年3月25日 - )は、日本の競泳選手。身長177cm。血液型はO型。足のサイズは27.5センチ。 鹿屋体育大学卒、自衛隊体育学校所属。海上自衛官で、階級は一等海尉である。 静岡県裾野市生まれ。生後6ヶ月のときから父・章(あきら)がコーチを務める沼津市のトーアスイミングスクール(現スイミングスクール ルネサンス・トーア沼津)にて水泳を始める。2000年4月、日本大学三島高等学校入学。2002年の全国高校総体では200m個人メドレー5位。2003年4月、鹿屋体育大学に進学。大学卒業後、自衛隊体育学校のチームに所属。2009年4月、所属先が陸上自衛隊から海上自衛隊に異動。
高桑 健(たかくわ けん、1985年3月25日 - )は、日… 高桑 健(たかくわ けん、1985年3月25日 - )は、日本の競泳選手。身長177センチ。血液型はO型。足のサイズは27.5センチ。
伊藤真波(いとう まなみ、1984年 - )は、日本の看護師… 伊藤真波(いとう まなみ、1984年 - )は、日本の看護師、水泳選手、ヴァイオリニスト。20歳の際に交通事故に遭遇したことにより片腕を失い隻腕となった。 水泳を子供の頃得意としていた。また7歳からはバイオリンを習い始めた。 看護学校の学生だった2004年に静岡県内で実習先の病院へバイクで向かう際、交通事故に遭った。その際に右腕が巻き込まれたことにより、右腕を切断した。 近畿義肢製作所へ看護師に適した義手の製作を依頼し、神戸百年記念病院に日本初の義手を用いた看護師として就職した(2016年に休職)。 義手を活用するためのリハビリとして2007年に水泳を再開し、2008年北京パラリンピックと2012年ロンドンパラリンピックに出場した。
岩崎 恭子(いわさき きょうこ、1978年(昭和53年)7月… 岩崎 恭子(いわさき きょうこ、1978年(昭和53年)7月21日 - )は、静岡県沼津市出身の日本の元競泳選手、指導者。専門種目は平泳ぎ。スポーツコメンテーター、日本オリンピック委員会事業・広報専門委員、日本水泳連盟競泳委員・基礎水泳指導員(水泳インストラクター)。 1992年バルセロナオリンピック200m平泳ぎ金メダリスト。競泳競技の最年少金メダル獲得記録保持者(14歳6日)である。 沼津市立第五中学校から日本大学三島高等学校を経て日本大学文理学部心理学科を卒業する。3姉妹の次女。3歳上の長姉が水泳をしていた影響で、岩崎も5歳から地元のスイミングスクールで水泳を習い始める。 姉も高校1年次(1991年)にインターハイ女子100m・200m平泳ぎで2冠を達成した五輪候補選手だったが、岩崎も1990年(小学6年次)に100m平泳ぎで1分12秒79の短水路学童日本記録を樹立、1991年(中学1年次)に全国中学校水泳競技大会女子100m・200m平泳ぎで2冠を達成し(200mは2分31秒08で当時の大会新記録)、同年の日本選手権200m平泳ぎでも4位に食い込むなど、一気に頭角を現す。
漢人 陽子(かんど ようこ、1974年9月26日- )は、静… 漢人 陽子(かんど ようこ、1974年9月26日- )は、静岡県浜名郡雄踏町(現浜松市中央区)出身の元競泳選手。 古橋廣之進と同じ静岡県浜名郡雄踏町(現浜松市中央区)出身である。 小学校1年の時に水泳を始めた。静岡県立浜松商業高等学校から早稲田大学へ進学した。 1991年のパンパシフィック水泳選手権、100mバタフライ、200mバタフライで銅メダルを獲得。翌1992年のバルセロナオリンピック代表に選ばれ、400mメドレーリレーでは肥川葉子・岩崎恭子・千葉すずと共に7位入賞を果たした。 1993年夏季ユニバーシアードの100mバタフライ、200mバタフライでは金メダルを獲得した。 日本選手権水泳競技大会でも1992年、1994年と100mバタフライで優勝している。
田中 順子(たなか じゅんこ、1973年10月2日 - )は… 田中 順子(たなか じゅんこ、1973年10月2日 - )は、日本の元アーティスティックスイミング(シンクロナイズドスイミング)選手である。学校法人常葉大学系列中学・高等学校教諭、体育教諭。現姓は平島 順子(ひらしま じゅんこ) 1973年(昭和48年)生まれ。静岡県静岡市出身。天理大学卒業。1996年アトランタオリンピックシンクロで銅メダルを獲得した。 この項目は、水泳選手(飛込競技選手・アーティスティックスイミング選手・水球選手を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJスポーツ人物伝)。
不破 央(ふわ ひさし、1968年10月22日 - )は、静… 不破 央(ふわ ひさし、1968年10月22日 - )は、静岡県富士市生まれの元競泳選手。元100m平泳ぎ日本記録保持者。水中パフォーマンス集団「トゥリトネス」主宰。日本大学経済学部卒業。 夏は暑いことに気付き、小学一年生でスイミングクラブ入会。スポーツクラブNAS所属の中学生時代、日本選手権の男子100m平泳ぎで2回の優勝(1984年、1986年)を果たし、春日部共栄高校、日本大学、山形富士通まで現役を続けた。 1986年6月8日、国際競技会派遣選手選考会(倉敷)で100 m平泳ぎの日本記録を更新。1986年9月、ソウルで行われたアジア大会100m平泳ぎでは、絶対的優勝候補ながら2位に終わる。
早川 一枝(はやかわ かずえ、1947年6月13日 - )は… 早川 一枝(はやかわ かずえ、1947年6月13日 - )は、日本の元競泳選手。静岡県出身。1964年東京オリンピック日本代表。400m・800m・1500m自由形の元日本記録保持者。 富士市立富士中学校、吉原市立商業高等学校、別府大学卒。 1962年アジア競技大会の400m自由形で2位入賞を果たした。 1964年東京オリンピック日本代表に選出された。400m自由形に出場し、予選落ちだった。 1966年アジア競技大会に出場、400m自由形と400mフリーリレーで2冠を達成した。 日本選手権の400m自由形では4連覇、800m自由形では6連覇を達成している。400mの4連覇は6連覇の五十嵐千尋、5連覇の山田沙知子に次ぐ歴代3位の記録。
長沢 二郎(ながさわ じろう, 1932年(昭和7年)2月2… 長沢 二郎(ながさわ じろう, 1932年(昭和7年)2月2日 - 2010年(平成22年)3月23日)は、日本の競泳選手。 静岡県沼津市出身。静岡県立沼津東高等学校から早稲田大学高等学院に編入し、早稲田大学政治経済学部卒業。早大では水泳部に所属した。 早大在学中の1952年ヘルシンキオリンピックに出場し、200メートル平泳ぎで6位。1954年5月にバタフライが平泳ぎから分離する形で考案され、同年6月に長沢が「ドルフィンキック」を発明、当時の200メートルバタフライの世界新記録を更新した。同年には第4回日本スポーツ賞を受賞。引退後の1964年には、第18回夏季オリンピック東京大会において競泳日本代表のコーチを務めた。
鵜藤 俊平(うとう しゅんぺい、1918年12月1日 - )… 鵜藤 俊平(うとう しゅんぺい、1918年12月1日 - )は、日本の水泳選手。1936年ベルリンオリンピック400メートル自由形で銀メダル、1500メートル自由形で銅メダルを獲得している。立教大学出身。
寺田 登(てらだ のぼる、1917年(大正6年)11月25日… 寺田 登(てらだ のぼる、1917年(大正6年)11月25日 - 1986年(昭和61年)9月26日)は、日本の水泳選手。静岡県磐田郡福島村中島(現磐田市福田中島)出身。慶應義塾大学出身。1936年ベルリンオリンピック1500m自由形で金メダルを獲得した。 静岡見付中(現在の静岡県立磐田南高等学校)から慶應義塾大学に進学。1936年ベルリンオリンピック競泳男子1500m自由形に出場し金メダルを獲得した。引退後は慶應義塾大学水泳部監督などの要職を歴任した。なお、結婚後は伊藤姓を名乗った。1986年、68歳で没した。 水泳選手には珍しい、筋肉質のずんぐりした体形であった。小学校時代に見にいった水泳大会で、人数が足りないからと飛び入り出場し1位になったのが縁で競泳と出会う。
杉浦 重雄(すぎうら しげお、1917年(大正6年)5月10… 杉浦 重雄(すぎうら しげお、1917年(大正6年)5月10日 - 1988年(昭和63年)4月10日)は、日本の競泳選手。静岡県浜松市出身。旧制静岡見付中(現在の静岡県立磐田南高等学校)、早稲田大学専門部政治経済科卒業。1936年ベルリンオリンピック800mフリーリレー金メダリスト。
宮崎 康二(みやざき やすじ、1916年(大正5年)10月1… 宮崎 康二(みやざき やすじ、1916年(大正5年)10月15日 - 1989年(平成元年)12月30日)は、日本の水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピック100m自由形、800mリレーの金メダリスト。元・日本水泳連盟理事。 静岡県浜名郡吉津村(現在の湖西市)の出身。吉津尋常小学校を経て浜松一中(現・静岡県立浜松北高等学校)時代に15歳で1932年ロサンゼルスオリンピックに出場。身長179cm、体重66kgの恵まれた体躯を生かし、100m自由形の予選で58秒7の日本新記録を樹立し、準決勝ではジョニー・ワイズミュラーの記録を破る58秒0の五輪新記録・日本新記録を打ち立てる。決勝では58秒2で金メダルを獲得、アメリカのこの種目の連勝を6でストップさせた。
新井 茂雄(あらい しげお、1916年〈大正5年〉8月8日 … 新井 茂雄(あらい しげお、1916年〈大正5年〉8月8日 - 1944年〈昭和19年〉7月19日)は、静岡県出身の日本の男子競泳選手。1936年ベルリンオリンピック800mフリーリレー金メダリスト、100m自由形銅メダリスト。戦前の日本競泳界を牽引した選手のひとり。1941年に佐藤宣子と結婚したため、自身は「佐藤茂雄」とも名乗っていた。なお2人の間に一女が生まれているが、早世している。 静岡県沼津市出身。静岡県立浜松農蚕学校から立教大学へと進学し、1936年ベルリンオリンピック800メートルリレーで金メダルを、100メートル自由形で銅メダルを獲得した。特に800メートルリレーでは遊佐正憲、田口正治、杉浦重雄とチームを組み、新井はアンカーで泳ぎ2位のアメリカを大きく引き離して8分51秒5の世界新記録をマークするなどの圧勝ぶりでもあった。
小池 禮三(こいけ れいぞう、1915年(大正4年)12月1… 小池 禮三(こいけ れいぞう、1915年(大正4年)12月12日 - 1998年(平成10年)8月3日)は、日本の水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピックの200m平泳ぎの銀メダリスト。1936年ベルリンオリンピックの200m平泳ぎの銅メダリスト。オリンピック2大会連続でメダルを獲得。 静岡県沼津市出身。沼津商業時代に頭角を現した。 1932年ロサンゼルスオリンピックでは本命視されるも、体調を崩していたこともあり鶴田義行に次いで銀メダルを獲得した。 慶應義塾大学法学部政治学科に進学。200m平泳ぎで世界最高記録を樹立した。 1936年ベルリンオリンピックでは、葉室鐵夫、エルヴィン・ジータス(ドイツ)に次いで銅メダルを獲得した。
伊藤 三郎(いとう さぶろう、1915年7月18日 - 19… 伊藤 三郎(いとう さぶろう、1915年7月18日 - 1978年1月19日)は、日本の競泳選手。現役時代の種目は平泳ぎで、明治大学在学中に1936年ベルリンオリンピック日本代表のひとりとなり、男子200m平泳ぎ決勝で2分47秒6のタイムを出し、5位に入賞した。 静岡県磐田郡豊浜村(後の磐田市の南東部)出身。中泉農学校(後の静岡県立磐田農業高等学校の前身)から、明治大学に進んだ。 1938年に明治大学を卒業し、昭和製鋼所に入社と報じられた。 1941年、陸軍少尉となっていた伊藤は、第23軍第38師団の一員として香港島の戦いに参加した。そして、12月22日、戦闘中に銃創を負ったと報道された。 明治大学水泳部監督、日本水泳連盟常務理事、埼玉県水泳連盟副会長を歴任。
牧野 正蔵(まきの しょうぞう、1915年(大正4年)5月1… 牧野 正蔵(まきの しょうぞう、1915年(大正4年)5月15日 - 1987年(昭和62年)2月12日)は、日本の競泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピックの1500m自由形銀メダリスト、1936年ベルリンオリンピックの400m自由形銅メダリスト。400mおよび800m自由形で世界記録を更新した。 静岡県浜名郡鷲津町(現在の湖西市)出身。吉津尋常小学校(現 湖西市立鷲津小学校)に入学。1932年ロサンゼルスオリンピックに出場し、男子100m自由形で金メダルを獲得した宮崎康二は吉津尋常小学校で牧野の1年後輩である。旧制静岡県立見付中学校(現在の静岡県立磐田南高等学校)から早稲田大学に進学する。
野田 一雄(のだ かずお、1908年6月30日 - 1995… 野田 一雄(のだ かずお、1908年6月30日 - 1995年3月31日)は、日本の競泳選手。400m・800m・1500m自由形元日本記録保持者。 静岡県浜松市出身。静岡県立浜松商業学校(現・静岡県立浜松商業高等学校)卒業後、慶應義塾大学に進学。 1924年、浜商在学中にパリオリンピック代表に選出され、400m自由形・1500m自由形に出場。また、男子4×200mリレーにおいて小野田一雄、高石勝男、宮畑虎彦とともに4位の成績を修めた。 1925年、第7回極東選手権競技大会に出場。400ヤード第3位。 1926年、第5回全国学生水上競技大会に出場。100m・800m自由形優勝。 1928年アムステルダムオリンピックで水泳主将を務め、男子4×200mリレーの予選のみ出場した。
田畑 政治(たばた まさじ、1898年12月1日 - 198… 田畑 政治(たばた まさじ、1898年12月1日 - 1984年8月25日)は、日本の教育家、新聞記者、水泳指導者。静岡県浜名郡浜松町成子(現・浜松市中央区成子町)出身。 長きに渡り日本水泳連盟会長を務めた他、1964年東京オリンピックの招致活動におけるキーマンの一人として知られる。 田畑は1898年(明治31年)12月1日、浜名郡浜松町成子(現・浜松市中央区成子町)にて生まれた。実家は造り酒屋であった。 旧制静岡縣立浜松中学校(現・静岡県立浜松北高等学校)、第一高等学校(現・東京大学教養学部)を経て、東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、1924年(大正13年)に朝日新聞社(東京朝日新聞)に入社する。
内田 正練(うちだ まさよし、1898年1月7日 - 194… 内田 正練(うちだ まさよし、1898年1月7日 - 1945年2月14日)は、日本の水泳選手。オリンピックに出場した日本最初の水泳選手の一人であり、日本でのクロール泳法の普及に尽力した。 静岡県浜松市に生まれる。内田家は浜松有数の名家で、父が産業家、母が産婦人科開業医師で、5人兄弟の二男であった。兄の内田千尋(東京帝国大学卒)が水府流太田派古式泳法の師範という環境で、内田も幼少時より水練に親しみ、古式泳法を習得した。 旧制浜松中学校(現在の静岡県立浜松北高等学校)に入学すると、浜松中水泳部に属して水泳を研鑽した。内田は部員にとって憧れの存在であり、1学年後輩の田畑政治も内田に憧れた1人であった。