大澤 正道(大沢正道、おおさわ まさみち、1927年9月25… 大澤 正道(大沢正道、おおさわ まさみち、1927年9月25日 - 2022年9月[要出典])は、日本のアナキズム研究家、文筆家、編集者。 名古屋市出身。別名・大原緑峯。1950年東京大学文学部哲学科卒。在学中、日本アナキスト連盟に参加、機関紙の編集に携わる。 卒業後平凡社に入り1966年雑誌『黒の手帖』を創刊。編集局長、出版局長、取締役を歴任し、1986年退社。
白井 昭(しらい あきら、1927年9月24日 - 2025… 白井 昭(しらい あきら、1927年9月24日 - 2025年2月26日)は、日本の評論家。鉄道技術者。鉄道ファン。元名古屋鉄道社員。元大井川鐵道副社長・顧問。日本ナショナルトラスト会員。 名古屋鉄道在籍時に、鉄道技術者としてパノラマカー(7000系)、モノレール車両(東京モノレール100形、名鉄MRM100形)の企画・製作・設計に携わった。大井川鐵道在籍時に井川線のアプト式新線開業、蒸気機関車の動態保存を手がけている。 同じく鉄道ファンであり鉄道関連の著書を多く手がけている白井良和は実弟である。 愛知県岡崎市出身。旧制豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)、名古屋工業専門学校(現・名古屋工業大学)卒業。
井上 昭文(いのうえ しょうぶん、1927年8月22日 - … 井上 昭文(いのうえ しょうぶん、1927年8月22日 - 2013年1月28日)は、日本の俳優。本名は同じ。 愛知県名古屋市出身。中京商業高等学校卒業。劇団新人会を経て、六芸社、グループ71に所属していた。 妻は女優の第1回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞した馬場恵美子。 俳優座養成所2期生。養成所卒業後、劇団新人会の創立メンバーの一員となる。 色川武大の『浅草葬送譜』によれば、名古屋から家出をして清水金一の付き人をしていたという。中京商業が母校。 東宝で若干のキャリアを積んだ後、1957年に『幕末太陽傳』で日活デビュー。1961年から1965年までは日活と専属契約を結び、名バイプレイヤーとして数多くの作品に出演し、石原裕次郎、小林旭、吉永小百合らのスターを引き立てながら、日活映画の黄金期を支えた。
粟津 則雄(あわづ のりお、1927年(昭和2年)8月15日… 粟津 則雄(あわづ のりお、1927年(昭和2年)8月15日 - 2024年(令和6年)4月19日)は、日本の文芸評論家、フランス文学者、美術評論家、詩人、翻訳家。日本芸術院会員。「歴程」同人。法政大学名誉教授。 1927年、愛知県西尾市生まれ。京都府立第一中学校、第三高等学校で学び、卒業した。1948年、東京帝国大学文学部仏文科に入学。1952年に東京大学を卒業し、その後はフランス文学の翻訳、美術評論等を多く手掛けた。 1964年に法政大学経済学部助教授となり、後に教授昇格。1997年に法政大学を定年退職して名誉教授となった。草野心平と1960年代に出会って以降、生涯にわたって交友が深く、後にいわき市立草野心平記念文学館長を務めた。
佐藤 昭夫(さとう あきお、1927年8月15日 - 200… 佐藤 昭夫(さとう あきお、1927年8月15日 - 2007年10月23日)は日本の教育者、政治家。元参議院議員(日本共産党公認、2期)。 愛知県名古屋市出身。京都大学理学部を卒業後、京都市立日吉ヶ丘高等学校教諭を務める傍ら、1958年京都教職員組合役員に就任。 1977年の参院選に京都府選挙区から立候補し初当選。1983年の参院選でも再選を果たすが、1989年の参院選で次点に終わる。 2007年10月23日、肺炎のため京都府宇治市の病院で死去。80歳。
中村 昌生(なかむら まさお、1927年8月2日 - 201… 中村 昌生(なかむら まさお、1927年8月2日 - 2018年11月5日)は、日本の建築家、建築史家(日本建築史)。京都工芸繊維大学名誉教授、福井工業大学名誉教授。京都伝統建築技術協会を設立、理事長を務める。専攻は日本建築。工学博士。 愛知県出身。それまで建築史研究の対象としてはまれであった茶室や数寄屋建築を本格的に研究し、研究によって得られた知見を生かして設計活動を行った。また、桂離宮修理事業をはじめ、伝統建築の保存に貢献した。 1927年、愛知県名古屋市生まれ。彦根工業専門学校建築学科(現滋賀大学)を卒業した後、京都大学工学部の研修員となる。同大学助手等を経て、1973年、京都工芸繊維大学教授。
三輪 和雄(みわ かずお、1927年8月1日 - )は日本の… 三輪 和雄(みわ かずお、1927年8月1日 - )は日本の医師、ノンフィクション作家。 愛知県名古屋市生まれ、名古屋大学医学部卒。名大医学部第一外科学教室、中京病院をへて、社会保険中央総合病院の脳神経外科部長などを務めた。1959年伊勢湾台風の記録を集めて『海吠える』を刊行し、ノンフィクションやエッセイを手掛け、数十冊の著書がある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大木 浩(おおき ひろし、1927年〈昭和2年〉6月30日 … 大木 浩(おおき ひろし、1927年〈昭和2年〉6月30日 - 2015年〈平成27年〉11月13日)は、日本の政治家、外交官。全国地球温暖化防止活動推進センター代表。位階は従三位。 環境大臣(第3代)、環境庁長官(第35代)、衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)。 愛知県西春日井郡西枇杷島町(現清須市)出身。愛知県立第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)時代は岡井隆と同級生で仲が良かった。第八高等学校を経て、旧制松本高校文科卒業後、海軍兵学校(第76期)で終戦を迎え、東京大学法学部卒業。 1952年東大卒業後、外務省に入省した。ワシントン、ベオグラード、ジュネーブでの在外公館勤務。外務省欧亜局東西通商課長、欧亜局東欧第一課長、報道課長、官房総務参事官を経て、1978年官房審議官・多角的貿易交渉担当大使、1979年在ホノルル総領事。
加藤 昭男(かとう あきお、1927年6月16日 - 201… 加藤 昭男(かとう あきお、1927年6月16日 - 2015年4月30日)は、愛知県瀬戸市出身の日本の彫刻家。武蔵野美術大学名誉教授。新制作協会会員。旭日小綬章受章。
盛田 正明(もりた まさあき、1927年5月29日 - )は… 盛田 正明(もりた まさあき、1927年5月29日 - )は、日本の実業家。ソニー副社長、ソニー・アメリカ会長、ソニー生命保険社長・会長を歴任した。 愛知県名古屋市出身。実家は江戸時代創業の老舗造り酒屋『盛田』。三人兄弟の末子で、長兄にはソニー創業者のひとりである盛田昭夫、次兄には盛田を引き継いだ盛田和昭(和昭の妻は大日本紡績常務田代重三の四女)がいる。義兄(姉の夫)はソニー元社長の岩間和夫。母方の祖父は旧大垣藩家老家で大垣共立銀行頭取の戸田鋭之助で、母方の伯父には実業家の戸田直温・戸田良直兄弟がおり、早川種三は母の従兄弟にあたる。 愛知県立第一中學校(旧制愛知一中・現 愛知県立旭丘高等学校)時代はバレーボール部に入り、セッターとしてプレーしていた。
川合 幸三(かわい こうぞう、1927年4月29日 - 19… 川合 幸三(かわい こうぞう、1927年4月29日 - 1994年3月27日)は、愛知県出身のプロ野球選手(内野手)。
小島 禎二(こじま ていじ、1927年4月21日 - 199… 小島 禎二(こじま ていじ、1927年4月21日 - 1997年2月11日)は、愛知県名古屋市出身のプロ野球選手。 名古屋第三商業学校(現名古屋市立桜台高等学校)から日本体育専門学校(現日本体育大学)を経て1948年に中日ドラゴンズへ入団。 1952年に引退。1963年から1964年まで中日でコーチを務めた。
塚本 三郎(つかもと さぶろう、1927年〈昭和2年〉4月2… 塚本 三郎(つかもと さぶろう、1927年〈昭和2年〉4月20日 - 2020年〈令和2年〉5月20日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(通算10期)、民社党委員長(第5代)、書記長(第5代)などを歴任した。 愛知県名古屋市に製材所を営む家の三男として生まれる。旧制明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)から中央大学法学部に進み、中大では辞達学会(弁論部)で活動した。 中大卒業後まもなく運輸省で鉄道員として勤務、国鉄労働組合の結成にも関わり一時期本省への出向も経験した。運輸省退職後は家具製造卸業を営みつつ日本農民組合中央委員を歴任、1952年の総選挙・1953年の総選挙に無所属で19
宇野 藤雄(うの ふじお、1927年3月15日 - )は、日… 宇野 藤雄(うの ふじお、1927年3月15日 - )は、日本の画家。日本画及び洋画を専門とする。 愛知県丹羽郡羽黒村(現・愛知県犬山市)出身。幼いころより絵が好きで小学校時代は得意な絵で訓導(教師)より成績表で褒め称えられていたという。青春期は時あたかも第二次世界大戦中とぶつかり、自身も徴兵により軍隊に取られたこともあり、絵筆を握ることもままならなかった。 戦争終了後、20歳になった時から画家としての活動を始め、1952年度の二科展で初入選し、以後23年連続入選を果たしている。自身は和歌・俳句、仏教などあらゆる日本文化を研究しつくし、研究から得た知識をキャンパスに表現する手法を長年執っている。
永田 雅宜(ながた まさよし、1927年 <昭和2年> 2月… 永田 雅宜(ながた まさよし、1927年 <昭和2年> 2月9日 - 2008年 <平成20年> 8月27日)は、日本の数学者。学位は、理学博士(京都大学)。京都大学名誉教授。日本数学会理事・日本学術会議会員・国際数学連合副会長を歴任。中日文化賞・日本学士院賞受賞。正四位勲二等瑞宝章。愛知県知多郡大府町峯畑(現・大府市若草町)出身。 1927年(昭和2年)2月9日、愛知県知多郡大府町峯畑(現・大府市若草町3丁目)に生まれた。大府町立大府小学校、愛知県刈谷中学校(現・愛知県立刈谷高等学校)を卒業した。名古屋大学理学部数学科に進学し、在学中には開校間もない愛知県立大府高等学校の非常勤講師を1年間務めている。
伊藤 敬一(いとう けいいち、1927年2月8日 - 201… 伊藤 敬一(いとう けいいち、1927年2月8日 - 2017年9月18日)は、中国文学者、東京大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。1947年東京外国語学校中国語科卒業。1950年東京大学文学部中国文学科卒業、1952年同大学院満期退学、東京都立大学 (1949-2011)(現首都大学東京)助手、1959年専任講師、1964年助教授、1970年東大教養学部助教授(中国語)、1974年教授、1987年定年退官、名誉教授、中京大学教授。1992年同教養部長、1997年定年。 若いころ中国文学仲間と同人誌『北斗』を創刊、のち日中友好協会理事長、会長を務めた。業績は多岐にわたるが、特に老舎で、日本老舎研究会会長も務めた。
川浦 康次(かわうら やすじ、1927年2月5日 - 197… 川浦 康次(かわうら やすじ、1927年2月5日 - 1970年11月11日)は、日本経済史家。 愛知県一宮市出身。問屋の家に育つ。愛知県立商業学校を経て、1950年大阪商科大学高等商業部卒業。1953年名古屋大学経済学部経済学科卒業。1958年同大学大学院退学。学部・大学院で塩澤君夫の指導を受け、日本経済史を専攻。1958年名城大学法商学部講師、1959年助教授、1964年教授、1966年同大学大学院教授。1966年「幕藩体制解体期の経済構造」で経済学博士(名古屋大学)。1970年11月11日、持病のため急逝、享年43歳。 主に幕末の日本の経済体制を研究した。『寄生地主制論』(塩沢君夫共著、御茶の水書房、1957年)は大塚久雄が提起した「局地的市場圏」や「蓄積基盤の移行」などを初めて日本史の分析に取り入れ、幕末における経済発展の性格や尾西綿織物業の経営形態などをめぐって論議を呼び起こした。
三輪 隆康(みわ たかやす、1927年 <昭和2年> 1月2… 三輪 隆康(みわ たかやす、1927年 <昭和2年> 1月21日 - 2013年 <平成25> 1月14日)は、日本の経営者。興和社長、会長を務めた。位階は正五位。 愛知県名古屋市出身。1950年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に興服産業(のちの興和)に入社。1951年に取締役に就任し、1959年8月には社長に昇格。1995年8月に会長に就任。 1990年3月に名古屋商工会議所副会頭に、1994年7月に愛知県公安委員長にそれぞれ就任。 1985年4月に藍綬褒章を受章し、1998年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2013年1月14日肺炎のために死去。85歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
加藤 雅彦(かとう まさひこ、1927年 - 2015年)は… 加藤 雅彦(かとう まさひこ、1927年 - 2015年)は、日本のヨーロッパ問題研究家、エッセイスト。 名古屋市生まれ。東京大学法学部卒業。NHKに入局。ほかベルリン自由大学に留学。NHKベオグラード、ボン支局長、解説委員などを歴任。 1992年『ドナウ河紀行』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。日本ヨハン・シュトラウス協会会員。
石川 清逸(いしかわ きよいつ、1926年12月3日 - 生… 石川 清逸(いしかわ きよいつ、1926年12月3日 - 生死不明)は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手。 名古屋工業高校を中退し、1950年に広島カープへ入団。 1952年に松竹ロビンスへ移籍し、同年引退。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
寺田 雷太(てらだ らいた、1926年10月13日 - )は… 寺田 雷太(てらだ らいた、1926年10月13日 - )は、愛知県出身のプロ野球選手(外野手)。
将積 茂(しょうじゃく しげる、1926年10月9日-201… 将積 茂(しょうじゃく しげる、1926年10月9日-2014年1月22日)は、日本の哲学研究者。愛知教育大学名誉教授。 愛知県豊橋市出身。旧姓・高柳。1951年、名古屋大学文学部哲学科卒業。愛知学芸大学助教授、愛知教育大学教授。1989年7月1日から1995年6月30日まで同大学学長を務めた。同大学名誉教授。専門はヘーゲルだが、ヒトラーの『わが闘争』の翻訳で知られる。
小柴 昌俊(こしば まさとし、1926年〈大正15年〉9月1… 小柴 昌俊(こしば まさとし、1926年〈大正15年〉9月19日 - 2020年〈令和2年〉11月12日)は、日本の物理学者、天文学者。 勲等は勲一等。正三位。学位はPh.D.(ロチェスター大学・1955年)、理学博士(東京大学・1967年)。東京大学特別栄誉教授・名誉教授、東海大学特別栄誉教授、杉並区立桃井第五小学校名誉校長、日本学術会議栄誉会員、日本学士院会員、文化功労者。血液型はA型。 シカゴ大学研究員、東京大学原子核研究所助教授、東京大学理学部教授、東京大学高エネルギー物理学実験施設施設長、東海大学理学部教授、財団法人平成基礎科学財団理事長などを歴任した。 愛知県生まれの物理学者であり、ニュートリノ天文学を開拓した天文学者でもある。
宇佐美 魚目(うさみ ぎょもく、1926年9月14日 - 2… 宇佐美 魚目(うさみ ぎょもく、1926年9月14日 - 2018年10月19日)は、愛知県出身の俳人、書家。本名は和男。名古屋市生まれ、愛知県第一中学校卒。19歳のとき父・野生の勧めで俳句をはじめ、翌年より「ホトトギス」に投句、高濱虚子、橋本鶏二に師事。また「牡丹」「桐の葉」でも学ぶ。1954年、愛知県愛知郡鳴海町(現、名古屋市緑区鳴海町)にて書道塾を開く。書は武市秀峰に師事。蜻蛉会、舟上会主宰(幹事長:宮川一水)。「桐の花」「鷹」「雪」を経て、1957年に鶏二の「年輪」創刊に参加、編集を担当。また野見山朱鳥に兄事。1958年、第1回年輪賞、第1回四誌連合会賞受賞。1963年、波多野爽波の「青」同人参加。
芳賀 登(はが のぼる、1926年7月30日 - 2012年… 芳賀 登(はが のぼる、1926年7月30日 - 2012年2月26日)は、日本の日本史学者。筑波大学名誉教授。 愛知県豊橋市生まれ。1951年東京文理科大学史学科卒業後、高校教師を経て、大阪教育大学に赴任。東京教育大学が廃止され、筑波大学が設立されるにあたって同大教授に就任。大江志乃夫ら東京教育大学日本史教室の教員は、東京教育大学の廃止に反対して全員が筑波大学に横滑りしなかったため、井上辰雄・田沼睦・岩崎宏之・大濱徹也らは芳賀の招請によって筑波大学に赴任した。副学長を務め、1990年に定年を2年前に退官、東京家政学院大学教授、理事長を務めた。日本風俗史学会会長も務めた。 幕末の国学を専門とするが、著作の分野は多岐にわたる。
田中 明(たなか あきら、1926年7月3日 - 2010年… 田中 明(たなか あきら、1926年7月3日 - 2010年12月8日)は、日本の韓国・朝鮮研究学者。 愛知県名古屋市生まれ。叔父の養子となり、小学校からソウルで暮らす。龍山中学校卒業後、海軍経理学校へ入学。第二次世界大戦の終戦後は名古屋の旧制第八高等学校に編入学し、さらに東京大学文学部の新制一期生となり、1952年に卒業。中日新聞を経て、朝日新聞に入社。 朝日新聞社時代には、『朝日ジャーナル』記者として韓国を取材。1972年に朝日新聞を休職して、韓国の延世大学校 韓国語学堂・高麗大学留学。1979年に朝日新聞社を退社。1981年から拓殖大学海外事情研究所教授を務めた。 2010年12月8日、心筋梗塞で死去。
三島 康雄(みしま やすお、1926年5月3日 - 2011… 三島 康雄(みしま やすお、1926年5月3日 - 2011年5月21日)は、日本の経営史学者。 名古屋市出身。1952年京都大学経済学部卒、1956年同大学院博士課程満期退学、1970年「ロシア領漁業における巨大企業の発展過程」で大阪大学より経済学博士の学位を取得。中京大学商学部講師、助教授、1960年東京水産大学(現・東京海洋大学)講師、助教授、1970年甲南大学教授、1993年奈良県立商科大学(現・奈良県立大学)教授、学長、2000年退職。1972年漁業経済学会賞受賞。1981年イリノイ大学客員教授。2004年4月瑞宝中綬章受章。
加藤 寛(かとう ひろし、1926年(大正15年)4月3日 … 加藤 寛(かとう ひろし、1926年(大正15年)4月3日 - 2013年(平成25年)1月30日)は、日本の経済学者。学位は経済学博士(慶應義塾大学)、慶應義塾大学名誉教授。名は「かん」と有職読みすることもある。政府税制調査会会長、内閣府規制改革担当顧問、嘉悦大学学長、千葉商科大学名誉学長、日本経済政策学会会長・日本計画行政学会会長・ソ連東欧学会代表理事・公共選択学会会長等を歴任。
内藤 明人(ないとう あきと、本名・内藤 進、ないとう すす… 内藤 明人(ないとう あきと、本名・内藤 進、ないとう すすむ、1926年3月29日 - 2017年3月20日)は、日本の経営者、リンナイ株式会社社長、会長や、社団法人日本ガス石油機器工業会会長、中部経済同友会代表幹事、名古屋商工会議所副会頭などを歴任した。 愛知県名古屋市生まれ。父は、林兼吉とともに林内商会(後の林内製作所〜リンナイ)を創業した内藤秀次郎で、その三男として生まれた。旧制明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)、旧制第八高等学校から東京大学工学部に進んで、機械工学を学び、村田一、山口開生、石川六郎らと交わる。卒業後は大企業へ就職するつもりだったが、兄が第二次世界大戦で戦死したため事業の後継者と期待され、1948年に大学を卒業し、林内商会に入社した。
野口 渉(のぐち わたる、1926年3月22日 - 没年不明… 野口 渉(のぐち わたる、1926年3月22日 - 没年不明)は、愛知県出身のプロ野球選手。明、二郎、昇、渉とプロ野球選手を輩出した野口四兄弟の末弟。
日下 実男(くさか じつお、1926年3月20日 - 197… 日下 実男(くさか じつお、1926年3月20日 - 1979年9月11日)は、日本の科学評論家、科学読物作家、翻訳家。 愛知県安城市出身。1947年、東京大学理学部物理学科卒業。朝日新聞社に入り、科学記者、欧米特派員を経て、1969年退社。 日本宇宙飛行協会(副会長)、日本海洋学会などに所属し、科学評論家として活躍。 1961年、『ロケットよ土星をめざせ』で小学館児童文化賞佳作賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
高取 正男(たかとり まさお、1926年3月16日 - 19… 高取 正男(たかとり まさお、1926年3月16日 - 1981年1月3日)は、日本の歴史学者・民俗学者。専攻は、日本文化史・民俗学。元京都女子大学教授。 1926年、愛知県名古屋市で生まれた。愛知県立明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)を経て、京都大学文学部史学科に入学。1951年に卒業し、同大学大学院にて国史学を専攻して柴田實に師事した。また先輩の竹田聴洲と出会い、民俗学を志した。 京都女子大学非常勤講師に就いた後、1961年に同大学助教授に就任。1966年に教授昇格。1977年より国立民族学博物館客員教授も務めた。 専門は民俗学で、宗教民俗学。没後には法藏館より『高取正男著作集』(全5巻)が刊行された。
桑原 章吾(くわばら しょうご、1926年3月16日 - 2… 桑原 章吾(くわばら しょうご、1926年3月16日 - 2008年1月6日)は、日本の医学者(微生物学)。元学校法人東邦大学理事長。勲三等旭日中綬章受章。 愛知県名古屋市生まれ。1943年9月東京帝国大学医学部を卒業。1949年5月松本医科大学助教授を経て、1954年5月に東邦大学医学部細菌学教授として着任、1969年4月同大学医学部長・学校法人東邦大学理事を経て、同年11月学校法人東邦大学理事長に就任、1991年8月に退任するまでの連続7期22年間理事長を務め、同大学の充実発展と経営基盤に尽力した。また、私立医科大学理事長会代表幹事、厚生省中央薬事審議会委員を始め社会福祉法人鶴風会、日本ワックスマン財団などの理事を務め、学会においては日本化学療法学会、日本感染症学会、日本細菌学会、日米医学協力委員会コレラ専門部会等で長く要職にあった。
朝見 政冨(あさみ まさとみ、1926年(大正15年)2月1… 朝見 政冨(あさみ まさとみ、1926年(大正15年)2月13日 - 2012年(平成24年)12月24日)は、昭和から平成時代の政治家。愛知県尾張旭市長。位階は正五位。勲四等瑞宝章。 愛知県出身。名古屋第一工学校卒業。1949年(昭和24年)春日井郡旭町に奉職し、1963年(昭和38年)収入役、1970年(昭和45年)市制施行、1971年(昭和46年)尾張旭市助役を経て、1985年(昭和60年)同市長に当選した。4期16年市長を務めた。 2002年秋の叙勲で勲四等瑞宝章を受章。2012年(平成24年)12月24日、心筋梗塞のため死去。死没日付をもって正五位に叙された。
稲川 誠一(いながわ せいいち、1926年1月11日 - 1… 稲川 誠一(いながわ せいいち、1926年1月11日 - 1985年3月20日)は、日本の歴史学者である。元聖徳学園岐阜教育大学教授。 愛知県名古屋市出身。第七高等学校造士館を経て、1948年に東京帝国大学文学部国史学科卒業、同大学院に進学。健康診断の結果、公立高校に就職できず、はじめ鶯谷女子高等学校に赴任し、後に健康が回復してから岐阜県立大垣北高等学校の教諭などをつとめる。その後、1980年に高山短期大学助教授、1982年に聖徳学園岐阜教育大学講師。1984年に助教授、1985年に教授に昇進。 七高で久保田収、東大で平泉澄に師事。日本中世史を専門とし、『新修大垣市史』の中世の部分を担当し、また岐阜県内の東大寺領荘園の研究に従事。
長江 録弥(ながえ ろくや、1926年1月2日 - 2005… 長江 録弥(ながえ ろくや、1926年1月2日 - 2005年4月6日)は、日本の彫刻家。日本芸術院会員。 愛知県瀬戸市出身。1948年、多摩造形芸術専門学校(現 多摩美術大学)卒業。1964年、第7回日展に「芽」を出品して特選。1965年、第8回日展に「乾漆作品の一」を無鑑査出品して特選。1966年、第9回日展に「憩」を委嘱出品して菊華賞。1980年、日展評議員に就任。1986年、第18回日展に「思考」を出品して文部大臣賞。1991年、第22回日展に出品した「砂丘」で日本芸術院賞受賞。1995年、日本芸術院会員。1996年、日展常務理事。1998年、瀬戸市名誉市民、日本彫刻会理事。1999年、紺綬褒章受章。
榊原章二(さかきばら しょうじ、1926年(大正15年)1月… 榊原章二(さかきばら しょうじ、1926年(大正15年)1月2日 - 2008年(平成20年)4月28日)は、日本の囲碁棋士。愛知県豊橋市出身、村島誼紀名誉九段門下、日本棋院所属、九段。首相杯争奪高段者トーナメント優勝など。 1936年福田正義に入門、1937年村島誼紀に入門。1944年入段。1946年、青年棋士の研究機関「敲玉会」に参加、大手合後期第二部優勝、三段。1955年五段。1956年大手合第一部優勝、六段。1961年首相杯戦準優勝。1963年首相杯戦優勝。1964年第4期旧名人リーグ入り、首相杯戦準優勝。1965年第21期本因坊リーグ入り。1972年九段。1973年28期、1975年30期本因坊リーグ入り。
杉山 悟(すぎやま さとし、1926年1月1日 - 2009… 杉山 悟(すぎやま さとし、1926年1月1日 - 2009年3月27日)は、愛知県豊田市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者。 身長180cmを超える体であったことから、「デカちゃん」の愛称で知られた。 1943年、旧制岡崎中学校卒業。パワーのあるバッティングがスカウトの目にとまり、軟式野球のチームであったユタカ産業から1948年に中日ドラゴンズへ入団。2年目の1949年には31本塁打をマークし、1952年には27本を打って本塁打王のタイトルに輝き、ベストナインも受賞する。1954年には主に5番を打ち、7月25日の大阪戦(大阪)では延長10回表に駒田桂二から2点本塁打を放ったが、その裏にタイガースが河合保彦のファウルチップ打球処理に絡むトラブルで試合の続行を拒否して放棄試合となり、中日の9-0勝利となった。
杉浦 正美(すぎうら まさみ、1926年 - )は、日本の画… 杉浦 正美(すぎうら まさみ、1926年 - )は、日本の画家。愛知県豊橋市出身。二科会所属、絵画部幹事。 豊橋市で生まれたが、5歳で母を亡くした後は1934年に福江町(現:田原市)に移り、祖母に育てられた。その後、名古屋市に転居。 1952年、北川民次 、安藤幹衛に師事。同年、「工場」で第37回二科展絵画部に初入選。以後は公告デザインを手掛けながら、描き続けた。 1961年、「火工」で第46回二科展絵画部で特選受賞。1963年、二科展絵画部会友に推挙された。その後も二科展を中心に様々な展覧会に出品を続けると同時に、個展を数多く開催した。1980年、二科展絵画部会員推挙。1987年、「島の月」で第72回二科展絵画部会員努力賞を受賞した。
中嶋 豊蔵(なかじま とよぞう、1926年 - 1945年6… 中嶋 豊蔵(なかじま とよぞう、1926年 - 1945年6月3日)は、大日本帝国陸軍軍人。1945年6月3日に第48振武隊隊員として、沖縄方面にて特攻戦死、享年19歳。 愛知県豊橋市の農家に生まれる。家が貧しかったことから、15歳の時に両親の承諾を経て、陸軍少年飛行兵を受験し、これに合格。少年飛行兵第12期生として大刀洗飛行学校に入校。入校間の給与は、その殆どを故郷の両親に宛てて送金している。昭和19年10月、内地から台湾に渡る途中、同僚で親友だった松本真太治(またじ)軍曹と共に、のちに陸軍最大の特攻隊出撃地となる知覧飛行場に立ち寄り、10日間そこに滞在している。この時、中嶋軍曹たちが食事をしていた所が富屋食堂で、そこの主人が鳥浜トメだった。
鈴木 重生(すずき しげお、1925年10月29日 - )は… 鈴木 重生(すずき しげお、1925年10月29日 - )は、日本のフランス文学者、作家、中央大学名誉教授。
仲谷 義明(なかや よしあき、1925年(大正14年)10月… 仲谷 義明(なかや よしあき、1925年(大正14年)10月27日 - 1988年(昭和63年)11月18日)は、日本の政治家、自治官僚。元愛知県知事(2期)。 愛知県渥美郡神戸村(現・田原市)で農業を営んでいた父親の仲谷清一は第一次世界大戦の好況にあおられ、田畑を売り、機屋(はたや)を始めた。ところがつぶれてしまい、夜逃げ同然で一家は名古屋市に出た。1925年10月27日、仲谷は名古屋市西区桜木町3丁目で出生した。父親は織機会社のあとミシン会社に勤め、やがて仲谷ミシン商会として独立した。 名古屋市立新道尋常小学校、愛知県立明倫中学校卒業。1945年3月、第四高等学校文科甲類卒業。同年4月、東京帝国大学法学部政治学科に入学。
伊藤 漱平(いとう そうへい、1925年10月20日 - 2… 伊藤 漱平(いとう そうへい、1925年10月20日 - 2009年12月21日)は、日本の中国文学者。東京大学名誉教授、二松學舍大学名誉教授。 1925年、愛知県碧海郡に生まれた。刈谷中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学支那哲文学科を卒業、大学院に進学した。1949年に大学院博士課程を退学。同1949年に北海道大学助手として着任した。 1955年、島根大学講師に就任。1960年より大阪市立大学助教授。1970年より北海道大学中国文学科教授。1977年より東京大学中国文学科教授となった。1986年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は二松學舍大学教授として教鞭をとった。また、1989年から1993年にかけて第6代二松學舍大学学長を務め、国際政治経済学部の設置に尽力した。
近藤 貞雄(こんどう さだお、1925年10月2日 - 20… 近藤 貞雄(こんどう さだお、1925年10月2日 - 2006年1月2日)は、プロ野球選手(投手)・指導者・監督、野球解説者。
渡辺 宙明(わたなべ ちゅうめい、1925年〈大正14年〉8… 渡辺 宙明(わたなべ ちゅうめい、1925年〈大正14年〉8月19日 - 2022年〈令和4年〉6月23日)は、日本の作曲家、編曲家。「ちゅうめい」は本名を音読みしたペンネームであり、本来の読みは「わたなべ みちあき」。 父は渡邊工業社長・名古屋螺子製作所(現:メイラ株式会社)創業者の渡辺俊雄。息子は作曲家・編曲家の渡辺俊幸。孫(俊幸の息子と娘)はナレーター・声優の渡辺眞伍、芸術家アイドルとして活動するマコ・プリンシパル(渡辺真子)。 また、作詞家の田野倉健之がアシスタントを務めた。 愛知県名古屋市出身。愛知県立明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)、第八高等学校理科、東京大学文学部心理学科卒。
佐橋 薫(さはし かおる、1925年(大正14年)6月28日… 佐橋 薫(さはし かおる、1925年(大正14年)6月28日 - 2015年(平成27年)4月28日)は、日本の政治家、実業家。愛知県小牧市長(4期)、愛知県議会議員(5期)。 愛知県小牧市生まれ。小学校3年生のとき、養鶏業を営んでいた父親を亡くす。新聞配達やおけ製造職人見習いなどを経て、1952年(昭和27年)6月、味岡木毛合資会社(現・佐橋工業株式会社)を設立した。愛知県青年団協議会の会長時代に青年会館建設に奔走。これがきっかけで政治の道に入り、1959年(昭和34年)の愛知県議会議員選挙に無所属で立候補するが次点で落選。1963年(昭和38年)4月、県議選に自民党公認で立候補し初当選。同年中京大学専科を中退。
佐伯 進(さえき すすむ、1925年5月13日 - 2021… 佐伯 進(さえき すすむ、1925年5月13日 - 2021年7月1日)は、日本の実業家。ノリタケカンパニーリミテド社長・会長や、中部経済同友会代表幹事、学校法人名城大学理事長を務めた。勲三等瑞宝章、スリランカラトナ勲章、藍綬褒章受章。 愛知県で佐伯卯四郎(のちに日本陶器社長・会長)の子として生まれる。 旧制愛知一中(のちの愛知県立旭丘高等学校)を経て、1943年東京商科大学(のちの一橋大学)予科入学、1945年陸軍予備士官学校卒業。1948年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、日本陶器入社。大学では古川栄一ゼミナールに所属。 日本陶器では一貫して営業畑を歩み、本社での営業やニューヨークに通算17年駐在を経て、1971年取締役、1973年常務取締役、1981年専務取締役、1985年代表取締役副社長。
荻本 伊三武(おぎもと いさむ、1925年4月24日 - )… 荻本 伊三武(おぎもと いさむ、1925年4月24日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。
中根 鎭夫(なかね しずお、1925年(大正14年)4月5日… 中根 鎭夫(なかね しずお、1925年(大正14年)4月5日 - 2018年(平成30年)1月3日)は、日本の政治家。岡崎市長(5期)、愛知県議会議員(2期)、岡崎市議会議員(4期)、岩津町議会議員(1期)、東海市長会長、全国市長会副会長などを歴任した。 愛知県額田郡常磐村大字大柳(現・岡崎市大柳町)に元常磐村長の大山巌の長男として生まれた。祖母の実家である奥殿村(現・岡崎市奥殿町)の中根八郎の養子となるも、8歳のときに養父を胃がんで亡くす。奥殿尋常高等小学校(現・岡崎市立奥殿小学校)、岩津農商学校(現・愛知県立岩津高等学校)卒業。愛知第二師範学校本科に入学するが、1944年(昭和19年)5月に特別甲種幹部候補生制度が導入されると、これに志願。
中根 寛(なかね ひろし、1925年3月26日 - 2018… 中根 寛(なかね ひろし、1925年3月26日 - 2018年1月17日)は、日本の洋画家。繊細で清澄な点描が特徴である。東京芸術大学名誉教授。 愛知県額田郡豊富村夏山(現・岡崎市夏山町)に生まれた。額田郡本宿村(現・岡崎市本宿町)で少年時代を過ごす。1931年(昭和6年)4月、父親が校長を務めていた本宿尋常小学校(現・岡崎市立本宿小学校)に入学。高等科を経て、1937年(昭和12年)に愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)に入学。中学で東京美術学校(現・東京芸術大学)出身の図画教師の山本鍬太郎と出会い、山本から絵を描くことの楽しさを教えられる。 1939年(昭和14年)、愛知県岡崎師範学校(愛知教育大学の前身)に入学。