千葉 一幹(ちば かずみき、1961年5月19日 - )は、… 千葉 一幹(ちば かずみき、1961年5月19日 - )は、日本の日仏比較文学者、日本近現代文学者、文芸評論家。大東文化大学教授。 三重県生まれ。三重県立桑名高等学校卒、1984年東京大学文学部仏文科卒、1986年同大学院比較文学比較文化修士課程修了、1990年東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。1992年東北芸術工科大学講師、1995年「文学の位置─森鷗外試論」で群像新人文学賞受賞。1996年東北芸術工科大学助教授、2005年拓殖大学商学部教授、2014年大東文化大学文学部教授。2015年『宮沢賢治』で島田謹二記念学藝賞受賞。
大辻 隆弘(おおつじ たかひろ、1960年8月25日 - )… 大辻 隆弘(おおつじ たかひろ、1960年8月25日 - )は、日本の歌人、文芸評論家。現代歌人協会会員、現代歌人集会理事、日本文藝家協会会員、中部日本歌人会副委員長、一般社団法人未来短歌会理事長・歌誌「未来」編集発行人・選者、同人誌「レ・パピエ・シアン・Ⅱ」代表、元皇學館大学講師。元津西高等学校教員。宮中歌会始選者。現津東高等学校教員。 三重県松阪市稲木町に生まれ、松阪市に在住。三重県立松阪高等学校卒業後、1979年4月、龍谷大学文学部哲学科に入学。大学院時代に、NHKの短歌番組をきっかけに作歌を始める。1985年3月、龍谷大学大学院文学研究科(哲学)を修了。翌1986年、未来短歌会に入会し、岡井隆に師事した。
倉阪 鬼一郎(くらさか きいちろう、1960年1月28日 –… 倉阪 鬼一郎(くらさか きいちろう、1960年1月28日 –)は、日本の小説家・評論家・俳人・翻訳家。 環境経済学者の倉阪秀史は実弟。名字を「倉坂」と誤記されることが多い。 三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。三重県立上野高等学校、早稲田大学第一文学部文芸科卒業。早稲田大学大学院日本文学専攻中退。 早稲田大学時代は「幻想文学会」に所属し、東雅夫、浅羽通明らと知り合う。東がのちに創刊した雑誌『幻想文学』には、レビュー等を大量に寄稿する。また、「幻想文学会」の分科会として「幻想短歌会」を主宰した。 大学事務員として就職したもののフリーライターを志望して退職する。しかし生計が成り立たず印刷会社に入社、文字校正係として11年間勤務の後、退職。
中森 明夫(なかもり あきお、本名:柴原 安伴〈しばはら や… 中森 明夫(なかもり あきお、本名:柴原 安伴〈しばはら やすとも〉、1960年〈昭和35年〉1月1日 - )は、日本のコラムニストで編集者、アイドル評論家。 三重県志摩市出身。おたくという語の生みの親。ペンネームは、中森明菜からとったものである。 中学卒業後、三重県立明野高等学校に入学するも一年の夏休み明けに自主退学。その後、東京の大学に進学していた5歳年上の兄を頼って上京し、東京の高校へと進学する。最終学歴は明治大学付属中野高等学校中退と自称している。 1982年7月、ミニコミ誌ブームの中で、エンドウユイチ(=遠藤諭)達と共に、サブカルチャー総合ミニコミ誌の『東京おとなクラブ』(東京こどもクラブのもじり)を創刊。
高原 英理(たかはら えいり、1959年 - )は、日本の文… 高原 英理(たかはら えいり、1959年 - )は、日本の文芸評論家、小説家。本名は加藤 幹也。妻は歌人の佐藤弓生。 三重県桑名市生まれ。立教大学文学部日本文学科卒業、東京工業大学大学院社会理工学研究科博士課程修了。博士(学術)。博士論文は「近代日本文学における少年表象による憧憬の価値構成」(2003年)。指導教官は井口時男。 1985年、小説「少女のための鏖殺作法」にて第1回幻想文学新人賞受賞(本名名義)。1996年、評論「語りの事故現場」にて第39回群像新人文学賞評論部門優秀作。この時に高原英理の筆名を用い始める。ゴス文化やゴシック文学についての批評を多く著す。 1999年、秋里光彦の名でホラー小説『闇の司』を第6回日本ホラー小説大賞に応募し、短編部門最終候補に残る。
太田 述正(おおた のぶまさ、1949年2月17日 - )は… 太田 述正(おおた のぶまさ、1949年2月17日 - )は、日本の評論家。防衛庁のキャリア出身で元防衛庁長官官房防衛審議官。 経営学修士(MBA)、政治学修士(いずれもスタンフォード大学)。 三重県四日市市出身。エジプトカイロにて少年期を過ごす。モーツァルト記念音楽院に短期留学。 大臣官房で審議官まで経験した人物であるため、防衛省の内部事情を知り尽くしている。人を喰ったような性格であるため、テレビ番組などで誤解を招きやすい。[要出典]
三上 治(みかみ おさむ、1941年4月9日 - )は、日本… 三上 治(みかみ おさむ、1941年4月9日 - )は、日本の編集者・文筆家・評論家、元政治運動家。 本名・味岡修。三重県出身。 三重県四日市市生まれ。三重県立四日市高等学校卒業。1960年、中央大学法学部政治学科に入学し、安保闘争に参加。1962年、再建された社会主義学生同盟の全国委員長になる。1966年、中央大学中退、第二次ブントに加わり、全共闘運動やベトナム反戦闘争にも加わる。1969年、ブント内部の党派闘争で統一派として赤軍派と対立する。 1969年4月28日の沖縄闘争で指名手配され、9月に逮捕。1970年、いったん保釈されるが、保釈取り消しで東京拘置所に入所。この間、神津陽と共に共産主義者同盟叛旗派をつくり、同派のリーダーとなる。
田畑 彦右衛門(たばた ひこえもん、1932年〈昭和7年〉8… 田畑 彦右衛門(たばた ひこえもん、1932年〈昭和7年〉8月1日 - )は日本の社会評論家、司会者、三重県総合文化センター総長、元NHK解説委員。 三重県上野市(現・伊賀市)出身。三重県立上野高等学校を経て早稲田大学政治経済学部卒業後、1955年にNHKに入局。 情報番組『600 こちら情報部』で時事解説を務めた(大事件の発生で「600」が急遽中止になった時は、そのままスケジュールを流用して臨時ニュースのキャスターをつとめたりしていた)ほか、クイズ番組『クイズ百点満点』では、クイズの解説を務めた。 1994年3月、『クイズ百点満点』終了とともにNHKを退職。その後、社会評論家、コラムニストとして講演や執筆活動を中心に活動している。
渡辺 淳(わたなべ じゅん、1922年12月12日 - 20… 渡辺 淳(わたなべ じゅん、1922年12月12日 - 2021年10月20日)は、日本の評論家(とくに演劇・映画)、フランス文学者、翻訳家。旧・東京都立大学名誉教授。本名は名前を「あつし」と読む。兄の渡辺仁は人類学者で、東京大学教授ほかを務めた。 三重県久居町(現津市)生まれ。三重県立宇治山田中学校(現三重県立宇治山田高等学校、3年まで)、長野県立松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)、旧制富山高等学校を経て、1943年に東京帝国大学文学部仏文学科に入学したが、同年学徒出陣の対象者となる。1945年まで兵役(海軍)に就き、戦後に復学(渡辺一夫に師事)して1948年卒業。 戦後、まず現代フランス文学、とくにナチス・ドイツの占領を契機に変貌した文芸・思想の紹介、評論を各種新聞、雑誌、単行本上に発表してデビュー。
駒田 信二(こまだ しんじ、1914年1月14日 - 199… 駒田 信二(こまだ しんじ、1914年1月14日 - 1994年12月27日)は、日本の作家、文芸評論家、中国文学者。島根大学教授、桜美林大学教授、早稲田大学客員教授などを歴任した。 1914年1月14日、父の勤務地の大阪府大阪市に生まれる。本籍は三重県安濃郡多門村(現在は津市)で、家は明治23年(1890年)の名簿によると地価総額3036円余りの素封家だった。兄は父の姉の家を継いだ美術史家の谷信一。父の転勤で広島、金沢、東京と移動したのち、津で祖父母に育てられ、津中学校卒業、旧制山形高校を経て1940年東京帝国大学文学部支那文学科卒業。 1941年旧制松江高校教授となるが、1942年召集されて支那に出征、捕虜となり共産党の工作員と誤認されて死刑宣告を受けるが日本人と分かり釈放。
野田 理一(のだ りいち、1907年11月10日 - 198… 野田 理一(のだ りいち、1907年11月10日 - 1987年2月22日)は、日本の詩人、美術評論家、随筆家。三重県津市出身。 戦前より詩作、また海外美術の鑑識眼も醸成していた。荒地同人。大正時代生まれがほとんどの同人の内で年長であった。自らの人生は語らず、作品のみを残す。美術評論では早くからジョン・ケージ、フンデルトヴァッサー、ルーチョ・フォンタナなどを紹介する。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
三鬼 陽之助(みき ようのすけ、1907年8月3日 - 20… 三鬼 陽之助(みき ようのすけ、1907年8月3日 - 2002年10月5日)は、日本の経済評論家。
横光 利一(よこみつ りいち、1898年〈明治31年〉3月1… 横光 利一(よこみつ りいち、1898年〈明治31年〉3月17日 - 1947年〈昭和22年〉12月30日)は、日本の小説家・俳人・評論家。本名は漢字表記同じで「よこみつ としかず」。 菊池寛に師事し、川端康成と共に新感覚派として大正から昭和にかけて活躍した。『日輪』と『蠅』で鮮烈なデビューを果たし、『機械』は日本のモダニズム文学の頂点とも絶賛され、また形式主義(英語版)文学論争を展開し『純粋小説論』を発表するなど評論活動も行い、長編『旅愁』では西洋と東洋の文明の対立について書くなど多彩な表現を行った。1935年(昭和10年)前後には「文学の神様」と呼ばれ、志賀直哉以来の「小説の神様」とも称された。
斎藤 緑雨(さいとう りょくう 齋藤緑雨、1868年1月24… 斎藤 緑雨(さいとう りょくう 齋藤緑雨、1868年1月24日(慶応3年12月30日) - 1904年(明治37年)4月13日)は、明治時代の小説家、評論家。本名・賢(まさる)。「正直正太夫」をはじめ、「江東みどり」「登仙坊」など別名も多数ある。幸田露伴がつけたという戒名は「春暁院緑雨醒客」。
和田 誠(わだ まこと、11月7日 - )は、日本のヘヴィメ… 和田 誠(わだ まこと、11月7日 - )は、日本のヘヴィメタル評論家、ラジオパーソナリティ。三重県桑名市出身、血液型A型。 愛称はキャプテン、またはキャプテン和田。イラストレーターの和田誠とは同名異人物。 1970年代から新宿などのロック喫茶でDJとして活動し、1975年にオールナイトニッポン(ニッポン放送)のパーソナリティとしてデビュー。1992年度には「FM STATION」全国人気投票で総合15位にランクされる。 1987年よりTBSのHR/HM番組「PURE ROCK」にレギュラー出演。 ジャーニーの全作品にて日本盤解説を執筆。その他、HR/HM全般のCDに解説を寄せている。ハロウィン、ガンマ・レイ、ブラインド・ガーディアン、アングラ、ゴットハード、ソナタ・アークティカなどのメンバーと親交が深い。