谷口 高史(たにぐち たかし、旧芸名:谷口孝史、1960年8… 谷口 高史(たにぐち たかし、旧芸名:谷口孝史、1960年8月3日 - )は、日本の俳優、声優。身長178 cm、体重80 kg。血液型A型。滋賀県大津市出身、滋賀県立石山高等学校卒業、追手門学院大学中退。 1960年、男兄弟3人の末子として誕生。 1976年、滋賀県立石山高等学校へ入学。アクション俳優になるために体操部に入部し、団体でインターハイに出場した経験を持つ。 1979年、追手門学院大学へ入学するが、1981年に中退。京都の東映俳優養成所へ入所する。 1983年、東映京都芸能所属の俳優となる。 小雁倶楽部、ビックワンウエストを経て、2014年から個人事務所 喜怒哀楽プロ所属として活動。
藤井 貴司(ふじい たかし、1960年7月16日 - )は、… 藤井 貴司(ふじい たかし、1960年7月16日 - )は、朝鮮語学習書著者、朝鮮語学習塾「ハヌル韓国語学院」経営者・講師。滋賀県大津市出身。 朝鮮語の仕事に携わる前は関西電力株式会社に勤務し、資材、経理、財務、IT関係の仕事を歴任。在籍中に米国、東南アジア、欧州、オーストラリアでの海外投資家対象プレゼンテーションミーティングを担当。関西電力ではITの知識を生かし、WEBポータルサイトを運営する「関西どっとコム」の発案者となり、企画の一角を担う。関西電力の早期退職者募集に応じ、2002年12月、関西電力を退職。京都のIT企業に入社するも2ヶ月後にリストラ対象となり退社。2004年8月、大韓民国高麗大学校語学堂での朝鮮語学習を契機として、朝鮮語関連の事業を開始。
藤田 幸光(ふじた ゆきみつ、1960年4月23日 - )は… 藤田 幸光(ふじた ゆきみつ、1960年4月23日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。元全日本代表。 滋賀県長浜市出身。1979年に松下電器に入社し、1980年代の同チームを牽引した。 日本リーグ通算成績で、歴代最多得点3位をマークしている。 1990年よりコーチ兼任となり、1993年から1997年まで監督を務めた。 2007年4月より京都橘大学女子バレーボール部監督に就任し、2009年12月の全日本インカレにおいてチーム初となるベスト4に導いた。 2025年、京都橘大学監督を退任。帝塚山大学女子バレーボール部の監督に就任した。
海東 英和(かいとう ひでかず、1960年(昭和35年)1月… 海東 英和(かいとう ひでかず、1960年(昭和35年)1月24日 - )は、日本の政治家。滋賀県議会議員(1期)。高島市長(初代)、新旭町長(第6代)、新旭町議会議員(2期)等を歴任した。 滋賀県出身。滋賀県立高島高等学校、龍谷大学経済学部卒業。1982年、大学を卒業し新旭町役場に就職。1991年、新旭町役場を退職。同年、新旭町議会議員選挙に出馬し、当選した。町議の傍ら、民間企業にも勤務していた。 1999年、新旭町長に当選し、2005年まで2期6年務めた。高島郡5町1村から構成される高島地域合併協議会の会長を務め、2005年1月1日に高島市が誕生。同年2月の高島市長選挙で初代市長に当選した。
喜多 徹人(きた てつと、1960年 - )は、日本の教育者… 喜多 徹人(きた てつと、1960年 - )は、日本の教育者、著述家、カウンセラーで神戸セミナー校長。兵庫県予備校連盟会長、全国予備学校協議会副会長、日本ブリーフサイコセラピー学会理事を歴任。 滋賀県近江八幡市に生まれる。小学時代には宿題はほとんどやらない"問題児"だったが、小学4年生の時の夏休みの宿題の課題が"自由研究"だったことで突如やる気を起こし、人のやらないことをやって驚かそうと思いついたのが「往復3㎞の山道を毎日走ること」であった。それを毎日、タイムを計り変化をグラフ化し、20日間全60㎞の日記を書き、さらに写真を貼って提出した。叔父を初め、担当教師、クラスの生徒のほとんどが喜多のこの行動に驚いた。
傳田光洋(でんだ みつひろ 1960年 -)は、日本の皮膚科… 傳田光洋(でんだ みつひろ 1960年 -)は、日本の皮膚科学研究者、小説家、SF作家。ペンネームは伝江田航洋(つたえだ こーよー)。別名、ツタエダ・コーヨー。 1979年に滋賀県立膳所高等学校を卒業、1983年に京都大学工学部工業化学科を卒業、1985年には同大学院工学研究科分子工学専攻修士課程修了、1994年に京都大学工学博士となり、1993から1996年までの間はカリフォルニア大学サンフランシスコ校研究員、民間企業研究職を経て、2010から2021年3月までの間は国立研究開発法人科学技術振興機構CREST研究者。現在明治大学先端数理科学インスティテュート客員研究員 作家としては、1982年に星新一ショートショート・コンテスト(現在の小説現代ショートショート・コンテスト)に「太り過ぎの終末」で入選。
牧村 泉(まきむら いずみ、1960年 -)は、日本の小説家… 牧村 泉(まきむら いずみ、1960年 -)は、日本の小説家、ホラー作家、推理作家。女性。 滋賀県大津市生まれ。関西大学社会学部卒業。広告制作会社勤務を経る。フリーランスのコピーライターとして活躍する傍ら、小説を執筆する。2002年、『邪光』で第3回ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞し、小説家デビューを果たす(応募時は槇居泉名義。大賞受賞は、佐藤ラギ『人形(ギニョル)』)。2004年、同作がドラマ化される。 「」内が収録されている牧村泉の作品 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中野亜里(なかの あり、1960年 - 2021年1月9日)… 中野亜里(なかの あり、1960年 - 2021年1月9日)は、日本のベトナム政治学者。夫は川根真也。 滋賀県大津市出身。筆名・中川明子。1983年日本大学国際関係学部卒業、1988年慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程満期退学、1992年「ベトナム社会主義共和国の外交 東南アジア地域情勢に対する認識と外交政策」で博士(法学)。2010年大東文化大学国際関係学部教授。 2021年1月10日、癌性腹膜炎のため北海道札幌市の病院で死去。60歳没。
采野 吉洋(うねの よしひろ、1959年〈昭和34年〉5月1… 采野 吉洋(うねの よしひろ、1959年〈昭和34年〉5月14日 - )は、鹿児島県を拠点に活動する日本のフリーアナウンサー。 滋賀県大津市出身。私立東山高等学校、関西大学卒業。中学から大学まで一貫して放送系のクラブに在籍。大学生時代は「海賊放送研究会」で活動し、1982年(昭和57年)にMBCへ入社。同期には上野知子がいる。血液型はA型で、「うねちゃん」と言うニックネームで有名。MBCラジオの「アニメでGo!Go!」では番組内で「アニメキング」と名乗っていた。「アニメでGo!Go!」終了後は、采野が司会を行う城山スズメ番組内で水曜日16時から放送されているミニコーナー「お父ちゃんのアニメソング」において、懐かしいアニメソングを扱うという趣旨で受け継がれている。
川本 勇(かわもと ゆう、1959年4月25日 - )は、滋… 川本 勇(かわもと ゆう、1959年4月25日 - )は、滋賀県を中心に活動するプロデューサー、音楽家、タレント、演出家、企業経営者。愛称は“ミスターびわ湖”勇(ゆう)さん。 『滋賀を盛り上げろ! びわ湖を守れ! ロックせよ! 』をコンセプトにした人気 テレビ番組「勇さんのびわ湖カンパニー」(BBCびわ湖放送)のプロデューサー、メインパーソナリティとして出演、2021年9月に放送1000回を迎えた。 他の出演番組は、YouTube生配信番組「びわモニ」、KBS京都テレビ「勇さんのびわ湖バイタル研究所」、KBS京都ラジオ「勇さんのカタリズム」、BBCびわ湖放送・あいコムこうか「勇さんのあいコムランド」などなど。
藤高 俊彦(ふじたか としひこ、1959年4月18日 - )… 藤高 俊彦(ふじたか としひこ、1959年4月18日 - )は、元社会人野球選手(投手)。右投右打。 伊香高校では、3年時に1977年春の選抜に出場。1回戦で桜美林高に敗退するが、好投手として注目を集める。同年夏は県大会準決勝で長浜商工をノーヒットノーランで降す。しかし決勝では比叡山高に敗れ、福滋大会には出場できなかった。 卒業後は社会人野球の新日本製鐵広畑へ入社。1981年の都市対抗に西村基史と投の二本柱として出場。1完封1完投を含む3勝をあげ、東芝との準決勝でも先発するが、佐々木二三男(清工建設から補強)、黒紙義弘の継投に抑えられ敗退。1981年ドラフト5位で西武ライオンズと阪急ブレーブスの2球団から重複指名を受け、抽選により西武が交渉権を獲得したが、藤高本人は入団を拒否。
栗田 伸一(くりた しんいち、1959年4月10日 - 20… 栗田 伸一(くりた しんいち、1959年4月10日 - 2004年6月26日)は、滋賀県栗太郡栗東町(現・栗東市)出身の騎手、調教助手。実父は騎手、調教師の栗田勝。母方の祖父は調教師の武田文吾。 音無秀孝・安達昭夫・田中剛・菅沼輝正と同期で、名伯楽武田文吾の孫、名騎手栗田勝の息子とあってデビュー時から注目を集める。伸一は中学の最終学年になった頃、勝に「体も小さいし、一つ自分もやってみよう」かと相談すると、勝は特に賛成も反対もしない代わりに「ただやるつもりであればきちんとやれ」といった意味のことを言ったため、伸一の進路は決まった。1979年3月3日の阪神第1競走アラブ系4歳以上オープンを、1977年最優秀アラブ馬に選ばれた伊藤修司厩舎のミサキシンボルで初騎乗初勝利。
都 裕次郎(みやこ ゆうじろう、1959年2月25日 - )… 都 裕次郎(みやこ ゆうじろう、1959年2月25日 - )は、滋賀県大津市出身の元プロ野球選手(投手)、スコアラー、野球指導者。 当時の滋賀県滋賀郡堅田町(現大津市)真野で出生し、農業を営む父が映画スターの石原裕次郎ファンであったため、「裕次郎」と命名された。当人によると、最初は祖父が名付けた「定成」(さだなり)に決まっていたが、役所に届ける寸前で父が独断で急遽、裕次郎に変えたという。 大津市立真野小学校時代は野球は近所の仲間と遊びでやったり、町内会でソフトボールをやったりする程度だったが、大津市立堅田中学校時代に本格的に野球を始め、滋賀県立堅田高等学校時代は、硬式野球部に所属しエースとして活躍。
井上 紀良(いのうえ のりよし、本名:井上典義、1959年2… 井上 紀良(いのうえ のりよし、本名:井上典義、1959年2月11日 - )は、日本の漫画家。滋賀県高島郡(現・高島市)出身。血液型はO型。 1959年、滋賀県の高島郡に生まれる。小学生の頃に望月三起也や松本零士、モンキー・パンチの作品を読み、影響を受ける。中学を卒業後、京都の友禅会社に入ったが、伝統工芸にありがちな徒弟制度で10年経たないと一人前にはなれないというのを聞き、友禅の仕事に魅力が無くなり退職、漫画家を目指す。高知県に渡り、青柳裕介、間宮聖士のアシスタントをして修業したのち、1978年に『少年キング』(少年画報社)「バイクロック」で漫画家デビュー。その後、『週刊ヤングジャンプ』(集英社)・第4回青年漫画大賞にて「エンジェルス」が入選。
近持 イオリ(ちかもち イオリ、1959年 - )は、日本の… 近持 イオリ(ちかもち イオリ、1959年 - )は、日本の彫刻家。せきがはら人間村生活美術館館長。 滋賀県大津市出身。1985年に金沢美術工芸大学彫刻科を卒業後に渡米し、新妻実に師事。1986年帰国。 2000年ごろ、関ケ原にシンポジウムで訪れた際、矢橋昭三郎と巡り合い、関ケ原製作所に参加した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術)。
水野 晶子(みずの あきこ、1958年12月18日 - )は… 水野 晶子(みずの あきこ、1958年12月18日 - )は、日本のフリーアナウンサー・アマチュアの落語家。 1981年から1991年3月31日までは、大阪テレビタレントビューローに所属しながら、毎日放送(MBS)との間でアナウンサーとしての専属契約を締結。1991年4月1日付でMBSに正社員で入社してからは、2018年12月31日に定年で退職するまで、アナウンサーとして勤務していた。 大阪府生まれの滋賀県育ち(草津市出身)で、滋賀県立膳所高等学校から神戸市外国語大学へ進学した。大学卒業後の1981年4月に、大阪テレビタレントビューローと契約。MBS専属のアナウンサーとして同局の番組へ出演した後に、1991年4月に専門職(アナウンサー、後に一般職)の社員として入社した。
小田 全宏(おだ ぜんこう、1958年11月3日 - )は、… 小田 全宏(おだ ぜんこう、1958年11月3日 - )は、日本の実業家。 滋賀県彦根市出身で、東京大学法学部を卒業して松下政経塾へ入塾する。 27歳から陽転思考の講演などで人づくりが生涯の課題と唱え、立候補者による公開討論会を企図する「リンカーン・フォーラム」、「首相公選の会」、「日本政策フロンティア」などを設立する。2003年に、NPO法人「富士山を世界遺産にする国民会議」運営委員長になり、記憶力向上アクティブ・ブレイン・プログラムを始める。2008年に、太陽光発電の日本版固定買取制度実現を目指す「GEIN」を岡田武史と共同代表で設立する。2019年に一般社団法人「ジャパン・スピリット協会」を設立する。
姫野 カオルコ(ひめの かおるこ、1958年8月27日 - … 姫野 カオルコ(ひめの かおるこ、1958年8月27日 - )は、日本の小説家。雅号:姫野 嘉兵衛。 1958年(昭和33年)、現在の滋賀県甲賀市に生まれる。青山学院大学文学部日本文学科を卒業。 嬰児の頃から、いろいろな他人宅に預けられていた。小学校入学後も鍵っ子で一人っ子だった。そのため空想や書くことが友達代わりだった、小学生の頃から作家を志す。大学在学中より読者投稿原稿のリライト作業などを主としていたが、映画評も書くようになる。卒業後、画廊で、事務のアルバイトをしながら小説を執筆し、1990年、講談社に持ち込みをした『ひと呼んでミツコ』で32歳で単行本デビュー。 1997年の『受難』、2003年の『ツ、イ、ラ、ク』、2006年の『ハルカ・エイティ』、2010年の『リアル・シンデレラ』がそれぞれ直木賞候補となる。
小西 理(こにし おさむ、1958年〈昭和33年〉8月22日… 小西 理(こにし おさむ、1958年〈昭和33年〉8月22日 - )は、日本の政治家、実業家。滋賀県近江八幡市長(2期)。総務大臣政務官(第2次小泉内閣)、衆議院議員(2期)等を務めた。 滋賀県近江八幡市生まれ。母は薬屋をしていた。滋賀県立彦根東高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1983年、三菱重工業株式会社に入社。1991年に三井海上火災保険(現三井住友海上火災保険)に入社し、2000年に退職。同年より兄である小西哲衆議院議員の公設第一秘書を務める。 2001年、兄・哲の死去に伴う衆議院滋賀2区補欠選挙に自由民主党公認で出馬し、民主党新人の田島一成を破り、初当選した。当選後、橋本派に所属。
松宮 孝明(まつみや たかあき、1958年3月11日 - )… 松宮 孝明(まつみや たかあき、1958年3月11日 - )は、日本の法学者。立命館大学法務研究科教授。専門は刑法。博士(法学)。日本刑法学会理事。元民主主義科学者協会法律部会理事。滋賀県出身。 大学院では、中森喜彦の指導を受けたが、中山研一が佐伯千仭、平場安治などの協力のもとに始めた刑法読書会にも参加しており、相対立する学説を同時に学んだ。過失犯論から研究を始め、著作として、『刑事過失論の研究』(1989年)、『過失犯論の現代的課題』(2004年)がある。中山研一、浅田和茂と共著の『レヴィジオン刑法1 共犯論』(1997年)は共犯論の必読の書。ほかに論文集として『刑事立法と犯罪体系』(2003年)がある。
沢田 康彦(さわだ やすひこ、1957年10月5日 - )は… 沢田 康彦(さわだ やすひこ、1957年10月5日 - )は、日本の編集者、エッセイスト、映画評論家、映画プロデューサー。ファックス&メール短歌の会『猫又』主宰。『暮しの手帖』前編集長。滋賀県生まれ、現在は京都市に在住。 戸籍上の正確な表記は澤田 康彦(読みは同じ)。前妻は作家の蒔岡雪子。2002年に再婚して現在の妻は女優の本上まなみ。 滋賀県立彦根東高等学校、上智大学外国語学部フランス語学科卒業。在学中に『本の雑誌』の書店配本部隊に参加。また、椎名誠が主催する「東ケト会」に「ドレイ」として参加し、離島でのキャンプ活動に参加し、椎名の著書『怪しい探検隊』シリーズに実名で登場している。 大学卒業後、マガジンハウスに入社し、雑誌『BRUTUS』などの編集を行う。
松居 一代(まつい かずよ、1957年6月25日 - )は、… 松居 一代(まつい かずよ、1957年6月25日 - )は、日本の女優、投資家、ブロガー。本名同じ。滋賀県近江八幡市出身。近江兄弟社高等学校卒業、梅花短期大学中退。所属事務所は松居一代事務所。独身(2度の離婚歴)。 1979年に『11PM』(よみうりテレビ)の、いわゆる“大阪イレブン”のカバーガールとして、司会者である藤本義一と並んで画面に登場し、芸能界デビューした。以後アシスタントとして定着し、4年間に渡り出演。 その後ドラマ「幻之介世直し帖」にて女優デビューを果たすと、数多くの映画、ドラマに出演。代表作は映画「マルサの女」(1987年)、「肉体の門」(1988年)、「夜逃げ屋本舗part2」(1992年)などに出演。
西 つよし(にし つよし、1957年4月8日 - )は、日本… 西 つよし(にし つよし、1957年4月8日 - )は、日本の作曲家、歌手。本名:西 猛(にし つよし)。 滋賀県近江八幡市出身。 岐阜市柳ケ瀬で流しをやっていた父の影響で幼少期よりドラムやギター等の楽器演奏をたしなむ。中学2年生の時にフォークバンド、ベルヤングを結成し音楽活動を始める。高校3年生の時に京都リバーズプロダクションにスカウトされソロのフォークシンガーとして活動。その後、演歌の作曲家を志し滋賀歌謡スタジオを立ち上げ、歌唱指導の傍ら作曲活動を続ける。39歳で一念発起し東京での作曲活動を始めた。 作曲活動の傍らライブ活動も精力的に行い、ファンキーパパ、とんちんかんず、風見鶏ブルースバンド、つよしGAとおる、すぎもとバンド等多くのユニットで活躍。
笑福亭 小松(しょうふくてい こまつ、1957年2月22日 … 笑福亭 小松(しょうふくてい こまつ、1957年2月22日 - 2014年8月2日)は、元落語家。本名は夏 東雁(하동안 / か とうがん、ハ トンアン)で、韓国籍。別名 夏川鴈二郎。滋賀県草津市出身。 兄弟弟子の笑福亭鶴瓶にかわいがられた。師匠から破門された際、他の弟子のように罵詈雑言を並べて怒鳴られることなく、逆に頭を下げられ「頼むから辞めておくんなはれ」と懇願される。1998年2月から130日かけて、鹿児島から北海道まで徒歩で全国縦断を達成。これが雑誌、新聞、テレビで取り上げられ、映画『勇気の3000キロ』のモデルにもなった。各地で「がん克服落語会」のチャリティー高座を開催した。 後述する略歴のとおり、落語家を廃業した現状が明らかとなっている。
寶 馨(宝 馨、たから かおる、1957年2月12日 - )… 寶 馨(宝 馨、たから かおる、1957年2月12日 - )は、日本の工学者。日本高等学校野球連盟会長。京都大学名誉教授。工学博士(京都大学、1990年1月)。防災士。2023年4月より国立研究開発法人防災科学技術研究所の理事長を務める。 滋賀県彦根市生まれ。京都大学防災研究所に長年所属し、豪雨洪水災害、土砂災害等に関する研究を推進した。国連防災の10年 (IDNDR)、ユネスコ国際水文学計画 (IHP) に1990年代半ばから参画し、国際共同研究を推進している。京都大学大学院工学研究科において48人の博士を輩出した。また、思修館プログラム(総合生存学館)など、大学院における学際的な教育プログラムを実施してきた。
里内 猛(さとうち たけし、1957年1月11日 - )は、… 里内 猛(さとうち たけし、1957年1月11日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。JFA 公認S級コーチ(1998年 - )。滋賀県出身。大阪経済大学卒業。 選手時代はディフェンダーとして住友金属工業蹴球団に所属した。1988年に引退した後、翌年から同部コーチに就任。その後同部が母体となった鹿島アントラーズで2001年までフィジカルコーチを務め、鹿島の隆盛の基礎を支えた。 鹿島時代からのジーコとの繋がりから、2003年から日本代表チームのフィジカルコーチとなり、2006年のFIFAワールドカップドイツ大会にもスタッフとして帯同した。その後監督がイビチャ・オシムに替わってからも引き続きフィジカルコーチを務めていたが、2006年限りで退任。
大津 びわ子(おおつ びわこ、1957年〈昭和32年〉1月3… 大津 びわ子(おおつ びわこ、1957年〈昭和32年〉1月3日 - )は日本のラジオパーソナリティ。愛称は『びわりん』。 幼稚園の先生になりたいと思い、滋賀県立大津高等学校卒業後、神戸女学院大学家政学部児童学科に入学。同大学4年生在学中に旅行に行った沖縄で、偶然居合わせた『MBSヤングタウン』のディレクターにナンパされ食事に行ったところ、トーク力を評価されて『MBSヤングタウン』にレギュラー出演することになる。1978年4月から1980年9月までは原田伸郎(水曜日)の、1983年4月から1989年9月までは明石家さんま(月曜日)の、それぞれのアシスタントを担当していた。なお、原田のヤンタンに出演していた当時は、ヤンタン出演以外は大阪大学の研究室で秘書として働いていたこともある。
久米 郁男(くめ いくお、1957年 - )は、日本の政治学… 久米 郁男(くめ いくお、1957年 - )は、日本の政治学者。早稲田大学政治経済学術院教授。専門は政治経済学。 滋賀県大津市生まれ。1981年京都大学法学部卒業、1983年京都大学大学院法学研究科修士課程修了。1984年、フルブライト奨学生としてコーネル大学に留学。1987年、コーネル大学大学院コースワーク修了。1994年、コーネル大学大学院博士課程修了、博士(政治学)取得。神戸大学法学部助教授・教授を経て、現職。早稲田大学大学院政治学研究科長(2020-22年)。スタンフォード大学日本センター客員教授、コーネル大学客員助教授、東京大学社会科学研究所併任教授、政策研究大学院大学併任教授、放送大学客員教授 (2011-14年)、経済産業研究所ファカルティーフェロー、東京財団仮想制度研究所 (VCASI) フェローも務めた。
久遠 恵(ひさとお けい、1957年 -)は、日本の小説家、… 久遠 恵(ひさとお けい、1957年 -)は、日本の小説家、推理作家。 滋賀県大津市出身。立命館大学経済学部卒業。1994年、『SHADOW BOXING』が第14回横溝正史賞の最終候補作に選ばれる(選考委員:権田萬治、佐野洋、夏樹静子、森村誠一)。1995年、「ボディ・ダブル」で第17回小説推理新人賞を受賞する(選考委員:北方謙三、高橋克彦、三好徹)。 「」内が久遠恵の作品 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
福井 美恵子(ふくい みえこ、1956年12月3日 - 19… 福井 美恵子(ふくい みえこ、1956年12月3日 - 1980年11月30日)は、滋賀県蒲生郡日野町出身の日本の女子バスケットボール選手。ポジションはセンター。184cm。 中学ではバレーボール部に所属するが、高校女子バスケの名将原田茂監督の誘いを受け樟蔭東高校に進学しバスケットボールに転向。インターハイ・国体で優勝に輝き、全日本ジュニアにも選ばれた。 卒業後の1975年、ユニチカに入社。日本リーグ新人王を獲得。1977-78シーズンにはリーグ優勝の原動力となり、この年より3年連続でベスト5に選ばれた。 また、全日本のメンバーとして1975年世界選手権準優勝メンバーとなる。 翌年のモントリオールオリンピックにも控えとして出場した。
BOSS戸田(ぼす とだ)(英:BOSS TODA、実名は戸… BOSS戸田(ぼす とだ)(英:BOSS TODA、実名は戸田有三Toda Yuzo、1956年8月31日生まれ、滋賀県大津市出身)は、日本の俳優、アーティスト、映画プロデューサー。 母国日本に帰還した傷痍軍人が、行き場を無くした有三(3歳)を養子に迎え育てた。 親父は、日本国陸軍二等兵として最前線で、敵地中国大陸で戦っていた。戦いのある時、親父は銃剣で敵人の腹を刺した!とその直後に、敵陣の手榴弾が親父の頭蓋骨を砕いた!親父はこのような悲劇に遇いながらも、銃剣で刺した敵人を想い、戦後60年にわたり、とある寺で供養し続けた。まさに『武士道の精神』であると誇りに想う。 生まれ育った地域、滋賀県。 日本の映画撮影のロケ地として人気がある県です。
栢木 進(かやき すすむ、1956年〈昭和31年〉6月2日 … 栢木 進(かやき すすむ、1956年〈昭和31年〉6月2日 - )は、日本の政治家。元滋賀県野洲市長(1期)、元野洲市議会議員(1期)。 滋賀県甲賀郡伴谷村(現甲賀市水口町)生まれ。男5人兄弟。滋賀県立大津商業高等学校、大阪産業大学経営学部卒業。178cm、100kg(2021年2月時点) 株式会社 蓮葉の代表取締役会長を務める。 2016年(平成28年)10月23日に行われた野洲市長選挙に立候補するも現職の山仲善彰に敗れ落選。 2019年(令和元年)11月、市立野洲病院整備工事の入札が不落となり、市の計画が再度見直しとなったことを受け、市長選挙への2度目の挑戦を決意。 2020年(令和2年)10月18日に行われた野洲市長選挙で現職の山仲善彰との一騎打ちを制し初当選した。
高岡 秀行(たかおか ひでゆき、1956年4月29日 - )… 高岡 秀行(たかおか ひでゆき、1956年4月29日 - )は滋賀県出身の元騎手、元調教師。ホッカイドウ競馬からシンガポールターフクラブに移籍した。 滋賀県立八日市高等学校卒業後、2年間の浪人生活を送るも、大学受験に失敗。その後は縁もゆかりもない北海道へ渡る。 牧場でアルバイトをするうちに騎手を志すようになり、1979年にデビュー。23歳と遅咲きながら通算524勝を挙げ、1992年に引退。 1993年からは調教師に転身し、2000年には年間54勝でリーディングトレーナーとNARグランプリの最優秀調教師賞を受賞。 ホッカイドウ競馬ではJRA1勝を含む通算356勝を挙げたが、2002年に3人の日本人スタッフを引き連れてシンガポールターフクラブへ移籍。
松岡 久和(まつおか ひさかず、1956年(昭和31年)3月… 松岡 久和(まつおか ひさかず、1956年(昭和31年)3月5日 - )は、日本の法学者。専門は民法。立命館大学教授、京都大学名誉教授[リンク切れ]。元民主主義科学者協会法律部会理事。滋賀県長浜市出身。 指導教官は前田達明。 弟弟子に窪田充見、佐久間毅などがいる。 詳細は、分野別分類・概要要付主要業績一覧 →下記Webページの「業績一覧」
鵜飼 哲也(うかい てつや、1956年1月1日 - )は、日… 鵜飼 哲也(うかい てつや、1956年1月1日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(ストッパー、サイドバック)。息子の鵜飼宏長(JFL)、鵜飼建吾(J2)も元サッカー選手。 滋賀県立甲賀高等学校(現・水口高等学校)を卒業し、1974年に日本サッカーリーグ1部の古河電気工業サッカー部に入る。 大型フルバックとしてプレーするが、怪我に泣かされるシーズンも目立った。1982年8月に行われたJSLカップは、5試合すべてにフル出場し優勝。また、同年11月の日ソ親善サッカーでは、JSL選抜チームとして古河から、宮内聡、早稲田一男、佐藤長栄とともに出場している。その後29歳で引退。 JSL選抜チーム(1982年)1試合0得点
久保 公人(くぼ きみと、1956年(昭和31年) - )は… 久保 公人(くぼ きみと、1956年(昭和31年) - )は、日本の文部官僚。文部科学省スポーツ・青少年局長などを歴任した。2016年4月より2024年3月まで、学校法人尚美学園理事長兼尚美学園大学学長。 滋賀県大津市に小学校の教師の家庭に生まれる。滋賀県立膳所高等学校を経て、京都大学法学部を卒業する。1980年(昭和55年)文部省に入省する。 2015年(平成27年)7月28日、文部科学省は久保スポーツ・青少年局長が辞任し、後任に高橋道和内閣官房教育再生実行会議担当室長を任命する人事を発表した。スポーツ・青少年局は、東京オリンピックの国立競技場建設を管轄しており、建設計画の白紙撤回に伴い、事実上の更迭と観測されている。
曽我 逸郎(そが いつろう、1955年11月12日 - )は… 曽我 逸郎(そが いつろう、1955年11月12日 - )は、日本の政治家。長野県上伊那郡中川村長を3期務めた。 長崎県対馬生まれ。本籍地は兵庫県西宮市。滋賀県に転居し、滋賀県立膳所高等学校卒業。大学で仏教学を学ぼうと志し、のち哲学専攻に転ずる。京都大学文学部卒業。電通に入社、大阪・香港・名古屋で勤務し、営業部長を経て、2002年退社。中川村に移り、農業を営む。 2005年4月24日、民間感覚の導入や観光と農業を結び付けた活性化策、村長給料30%カットを掲げ、草の根型の活動を展開して、中川村村長に初当選した。 生きていくのに必要・十分な所得を、すべての人に条件を設けずに給付しようというベーシックインカムの発想に関心をもち、しばしば文章を発表している。
真山 達志(まやま たつし、1955年9月25日 - )は日… 真山 達志(まやま たつし、1955年9月25日 - )は日本の行政学者。滋賀県八日市市(現東近江市)生まれ。2026年4月より同志社大学名誉教授。2026年4月より東近江市教育委員。元同志社大学政策学部・大学院総合政策科学研究科教授。政策実施研究、自治体の政策形成、自治体の防災行政、スポーツ政策などを中心に研究。2013年4月-2016年3月同志社大学副学長・教育支援機構長。2004年4月-2006年、2008年4月-2012年3月同志社大学政策学部長。2015年4月-2017年3月同志社大学公共サービス研究センター長。2025年4月-2026年3月同志社国際学院初等部・国際部校長。2025年より日本地方自治学会理事長、日本体育・スポーツ政策学会会長を務める。
福田 功(ふくだ いさお、1955年8月13日 - )は、日… 福田 功(ふくだ いさお、1955年8月13日 - )は、日本の国土交通技官。館山市助役、国土交通省中国地方整備局長、国土交通省大臣官房技術参事官、港湾空港技術研究所特別研究官等を歴任した。退官後、日本埋立浚渫協会副会長。 滋賀県大津市出身。1974年滋賀県立膳所高等学校卒業。1978年名古屋工業大学工学部土木工学科卒業、運輸省入省。1999年館山市助役。2001年国土交通省道路局地域道路調整室長。2003年関西国際空港計画・技術部長。2006年内閣府沖縄振興局参事官(振興第三担当)。2008年国土交通省港湾局国際・環境課長。2009年から国土交通省中国地方整備局長を務め、長岡秀人出雲市長との間で災害時における情報交換に関する協定書を締結するなどした。
森谷 昭(もりたに あきら、1955年7月18日 - )は、… 森谷 昭(もりたに あきら、1955年7月18日 - )は、滋賀県出身の元プロ野球選手(内野手)。
鬼塚 忠久(おにづか ただひさ、1955年7月3日 - )は… 鬼塚 忠久(おにづか ただひさ、1955年7月3日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワード。滋賀県甲賀郡甲西町(現・湖南市)出身。 滋賀県立甲賀高校時代、高校選手権、インターハイ、国体に出場。卒業後の1974年に日本サッカーリーグ1部の古河電気工業サッカー部(現 ジェフユナイテッド市原・千葉)へ入部し、1年目からレギュラーの座を獲得。以後、ウインガーとして古河の黄金時代を支え、1982年シーズンにはアシスト王にも輝いた。サイドからのドリブル突破を持ち味とし、得点能力も高かった。 引退後は、芸能人で結成されたサッカーチーム、ザ・ミイラにも所属していた。また、解説者やサッカースクールのコーチなどを経て、2004年に古河時代のチームメイトだった前田秀樹が監督を務める水戸ホーリーホックの強化部長兼取締役に就任。
高橋 俊春(たかはし としはる、1955年4月4日 - )は… 高橋 俊春(たかはし としはる、1955年4月4日 - )は、滋賀県出身の元プロ野球選手(投手)。 伊香高では2年生の時、エースとして1973年秋季近畿大会に出場。しかし肩を故障し一塁手に転向する。1973年の夏の甲子園に出場。1回戦で原田末記、平田恒雄のいた中京商に敗退。 高校卒業後は、中京大学へ進学し硬式野球部に入部し再び投手に復帰。愛知大学リーグでは2回優勝。リーグ通算6勝3敗を記録した。 大学卒業後は、社会人野球の日本通運名古屋に入団。1981年の都市対抗に三菱重工名古屋の補強選手として出場。1回戦で先発を任され、東芝の黒紙義弘と投げ合うが惜敗。 同年オフに、ドラフト外で広島東洋カープに入団。
烏丸 せつこ(からすま せつこ、1955年2月3日 - )は… 烏丸 せつこ(からすま せつこ、1955年2月3日 - )は、日本の女優。 滋賀県大津市出身。中京大学中退。ティー・アーティスト所属。6代目(1980年度)クラリオンガール。身長156cm、血液型はA型。「日本人離れしたボディ」で脚光を浴びた。 1979年に6代目(1980年度)クラリオンガールに選出され、芸能界デビュー、デビュー直後にCF、ポスター等でセミヌードを披露する。あどけない表情と日本人離れしたプロポーションで、当時のグラビアを席捲した。 『海潮音』に出演し、女優としてのスタートを切る。同時期には五木寛之による『四季・奈津子』の主役・奈津子役で初主演。ファッション史研究の川本恵子は「裸が最高、ファッション不要。
磯﨑 行雄(いそざき ゆきお、1955年 - )は、日本の地… 磯﨑 行雄(いそざき ゆきお、1955年 - )は、日本の地質学者。東京大学名誉教授。日本地質学会会長。 滋賀出身。1974年滋賀県立膳所高等学校卒業。1978年大阪市立大学理学部卒業。1980年大阪市立大学大学院理学研究科前期博士課程修了。1981年大阪市立大学大学院理学研究科後期博士課程中退、山口大学理学部助手。1987年大阪市立大学理学博士。1992年山口大学理学部助教授。1993年東京工業大学理学部助教授。1995年ハーバード大学客員研究員。1997年東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻准教授。2000年東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻教授。2019年日本地球惑星科学連合フェロー。
唐木 幸子(からき さちこ、1955年 - )は、日本の技術… 唐木 幸子(からき さちこ、1955年 - )は、日本の技術者。京都府出身。オリンパス研究開発センター研究開発統括室 理事・研究統括。 世界で初めて実用的な遺伝子解析用のDNAコンピュータを開発した。文部科学省科学技術・学術審議会委員(第三期・第四期)、国立大学法人評価委員会委員(第三期・第四期)を務める。
桑原 知子(くわばら ともこ、1955年 - )は、日本の臨… 桑原 知子(くわばら ともこ、1955年 - )は、日本の臨床心理学者。学位は、教育学博士。放送大学特任教授。京都大学名誉教授。 滋賀県生まれ。滋賀県立膳所高等学校、京都大学教育学部卒、1987年同大学院教育学研究科博士課程修了。「人格の"二面性"について」で教育学博士の学位を授与される。 専門は、心理療法・カウンセリング・遊戯療法等、多岐に渡る。その中でも、学校現場におけるカウンセリング、家庭裁判所調査官との共同研究などの研究、実践を精力的に行っている。 また、これらの領域における実践・教育・研究・スーパービジョンを行い、社会との接点を模索している。
高田 毅士(たかだ つよし、1955年 - ) は、日本の地… 高田 毅士(たかだ つよし、1955年 - ) は、日本の地震工学者、一級建築士。東京大学名誉教授。元日本政府観光局MICEアンバサダー。地震リスクマネジメント研究の第一人者として知られた。 滋賀県生まれ。1973年滋賀県立虎姫高等学校卒業。1977年名古屋大学工学部建築学科卒業。1979年名古屋大学大学院工学研究科前期課程修了、清水建設入社。一級建築士。1991年工学博士。1993年ICOSSAR若手研究者賞受賞。 1998年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻助教授。1999年コロラド大学ボルダー校客員教授 。2001年ワイマール・バウハウス大学客員教授。2004年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻教授。
寺村 邦子(てらむら くにこ、1955年 - )は音楽(ピア… 寺村 邦子(てらむら くにこ、1955年 - )は音楽(ピアノ)教師。ギネス世界記録を14件保持している。 1955年に滋賀県彦根市で生まれる。彦根市内でギネス記録に挑戦している。
上西 一雄(うえにし かずお、1954年11月1日 - )は… 上西 一雄(うえにし かずお、1954年11月1日 - )は、滋賀県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはFW(主にウイング)。 滋賀県立甲賀高等学校(現・水口高等学校)を卒業後、1973年にJSL1部のヤンマーディーゼルサッカー部に入部。左足タッチのドリブルを得意とし、現役の13年間では、釜本邦茂、吉村大志郎、今村博治、阿部洋夫、堀井美晴、楚輪博、長谷川治久らとヤンマーの攻撃陣を支えた。
今森 光彦(いまもり みつひこ、1954年8月6日 - )は… 今森 光彦(いまもり みつひこ、1954年8月6日 - )は、日本の写真家・切り絵作家。日本写真家協会会員。弟は画家の今森洋輔。滋賀県大津市出身。 地元滋賀県の里山などで活動し、そこに棲息する昆虫や琵琶湖に関する写真撮影を主とする。滋賀県北部は日本海側気候、南部は瀬戸内海式気候とであることから、自然と季節との関わりを的確に捉えた作品も多い。1974年のカリマンタン島以来海外にも数多く足を運んでいる。 近畿大学理工学部土木工学科卒業。大学を出てから昆虫写真専門の写真家を志し、コマーシャルフォトスタジオに2年間勤務して写真技術を学ぶ。1980年にプロ写真家として自立。1984年に大津市中心部から20kmほど北の棚田や自然が残る仰木地区に活動場所を移す。