上芝 功博(うえしば よしひろ、1935年 - )は、日本の… 上芝 功博(うえしば よしひろ、1935年 - )は、日本の心理学者。法務技官として、非行少年の診断・鑑別を担当。那覇、京都、神戸、大阪、東京少年鑑別所所長など歴任。退官後は、千葉大学教育学部教授、甲南大学大学院、龍谷大学にて講師として活躍。専門はロールシャッハ・テスト。
京都府:2,682人
上芝 功博(うえしば よしひろ、1935年 - )は、日本の… 上芝 功博(うえしば よしひろ、1935年 - )は、日本の心理学者。法務技官として、非行少年の診断・鑑別を担当。那覇、京都、神戸、大阪、東京少年鑑別所所長など歴任。退官後は、千葉大学教育学部教授、甲南大学大学院、龍谷大学にて講師として活躍。専門はロールシャッハ・テスト。
浅沼 萬里(あさぬま ばんり、1935年 - 1996年3月… 浅沼 萬里(あさぬま ばんり、1935年 - 1996年3月23日)は、日本の経済学者。専門は取引費用の経済学と契約理論。京都大学教授である。位階は正四位。浅沼万里とも書く。 母親が出産のために一時帰国していたため京都で生まれるが、幼少期を中国で過ごしており、名前は万里の長城にちなむ。浅沼が小学校4年時に終戦となり、翌年の8月に日本に戻る。 同志社中学校・高等学校で学び、生徒会長とテニス部のキャプテンを務める。このとき、アメリカのキリスト教会からの奨学金の支援を受けており、そのことを生涯感謝していた。高校3年時に病気になり、病院で1年、自宅で2年療養し、1956年、21歳のときに同志社高校3年に復学する。
小川 欽也(おがわ きんや、1934年12月28日 - 20… 小川 欽也(おがわ きんや、1934年12月28日 - 2024年12月10日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優、映画プロデューサーである。監督としての別名に三川 和久(みかわ かずひさ)、小川 卓寛(おかわ たかひろ)、小川 和久(おかわ かずひさ)、上田 光生(うえだ みつお)があり、俳優としては姿 良三(すがた りょうぞう)、脚本家としては水谷 一二三(みずたに ひふみ)と名乗る。成人映画の黎明期からの映画作家として知られ、異分野で活躍する山本晋也を除けば、成人映画の世界で長く現役として作品を発表し続けた人物であった。監督作は400本を超える。 1934年(昭和9年)12月28日、京都府京都市下京区烏丸通綾小路下ルに生まれる。
谷口 安平(たにぐち やすへい、1934年(昭和9年)12月… 谷口 安平(たにぐち やすへい、1934年(昭和9年)12月26日 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。京都大学名誉教授。弁護士、弁護士法人松尾綜合法律事務所客員弁護士。 京都府立鴨沂高校卒業、日本の司法試験は、京都大学法学部在学中に合格。その後、民法並びに民事訴訟法などを主な研究領域とした学者を目指し、海外のロースクールへ留学。 倒産法分野の研究においては、日本では権威的存在である。また、株式会社における総会決議の効力を争う訴訟について、その実質が会社という法人自身は紛争主体になっていない内部紛争であることに着目し、会社の被告適格性に疑問を呈した「コップの中の嵐」理論でも知られる。 民法学者谷口知平の次男。
南部 敦子(なんぶ あつこ、本名:糠澤 敦子、1934年〈昭… 南部 敦子(なんぶ あつこ、本名:糠澤 敦子、1934年〈昭和9年〉12月1日 - 1970年〈昭和45年〉10月5日)は、日本の陸上競技選手。アジア大会陸上女子100m金メダリスト。1950年代を代表する選手として活躍した。大阪府吹田市千里山出身。光華高等学校卒業、光華女子大学短期大学卒業。短大卒業後は松下電器に所属。南部忠平の長女。 1953年、インターハイ5種競技において2944点の日本新記録を樹立して優勝。高校卒業後は光華陸上クラブに所属。1954年、マニラでのアジア競技大会において100mを12”5で走り優勝。太平洋戦争以来冷え切っていたフィリピン国民の対日感情改善に寄与した。日本選手権では400MRに光華陸上クラブチームの一員として参加し、優勝。
萩 吉康(はぎ よしやす、1934年12月 - )は、日本の… 萩 吉康(はぎ よしやす、1934年12月 - )は、日本の教育学者・社会学者である。皇學館大学教授。専門は、児童教育・社会福祉学。 京都市出身。1956年、中部社会事業短期大学社会事業学科を卒業し、1959年まで同短期大学人間関係研究所助手をつとめるとともに、日本福祉大学社会福祉学部に編入学し、1961年卒業。日本福祉大学社会福祉学部助手となる。 1962年、社団法人岐阜精神病院サイキアトリック・ソーシャルワーカーに就任、1964年に三重県立幼稚園教員養成所専任講師となり、1976年、皇學館大学文学部講師、1980年同助教授、1989年同教授。2000年、皇學館大学社会福祉学部教授となり、2005年定年退職。
田中 辰郎(たなか たつろう、1934年11月22日 - 2… 田中 辰郎(たなか たつろう、1934年11月22日 - 2017年7月26日)は、日本の経営者。髙島屋社長を務めた。京都府京都市出身。 1961年に同志社大学文学部社会学科を卒業し、同年に髙島屋に入社した。1991年5月に取締役に就任し、1993年5月に常務を経て、1996年7月に社長に就任。2001年3月から相談役を務めた。 2017年7月26日に呼吸不全のために死去。82歳没。
宇宿 允人(うすき まさと、1934年11月8日 - 201… 宇宿 允人(うすき まさと、1934年11月8日 - 2011年3月5日)は、京都府出身の指揮者、トロンボーン奏者。旧名は山口 治だが、のちに婚家の姓を名乗り、宇宿 治となり、のち宇宿 允人と改名した。 京都市西陣で表具師の家庭に生まれ育つ。京都市立西陣小学校から京都市立上京中学校を経て同志社高等学校に入学するが経済的理由で中退し、京都市立堀川高等学校普通科に転校。同音楽科への転科を経て、1957年に東京芸術大学器楽科卒業後、ABC管弦楽団に入団。翌1958年、トロンボーンの師である嶋昇の誘いでNHK交響楽団に移籍。1960年から1968年までN響の首席トロンボーン奏者として活動。傍ら、フルトヴェングラーの指揮する音楽と彼の人柄に感銘を受けて指揮者を志し、管弦楽法と指揮法を近衛秀麿に師事し、指揮者として東京佼成ウインドオーケストラを指導した。
森谷 尅久(もりや かつひさ、1934年9月23日- 201… 森谷 尅久(もりや かつひさ、1934年9月23日- 2019年10月2日)は、日本史学者、武庫川女子大学名誉教授。 京都市出身。1957年立命館大学文学部卒、64年同大学院文学研究科修士課程修了。大津市史編纂委員、京都市史編纂所員、京都大学人文科学研究所講師、1982年京都市歴史資料館初代館長。武庫川女子大学教授、2005年定年、名誉教授。京都文化に関する著作多数。
梶野 啓(かじの ひろむ、1934年9月17日 - )は、ド… 梶野 啓(かじの ひろむ、1934年9月17日 - )は、ドイツ文学者、奈良女子大学名誉教授。筆名・梶野 玲王。京都市生まれ。 1958年京都大学文学部独文科卒、1960年同大学院修士課程修了、大阪工業大学教養部助手、1963年奈良女子大学文学部講師、69年助教授、85年教授。97年定年退官、名誉教授、四国学院大学教授。1962年日本ゲーテ協会会長賞受賞。1975-76年西ドイツ・ボン大学に学ぶ。
国松 彰(くにまつ あきら、1934年9月14日 - )は、… 国松 彰(くにまつ あきら、1934年9月14日 - )は、元プロ野球選手(外野手)。現在は亀屋万年堂の代表取締役会長。
森 稔(もり みのる、1934年8月24日 - 2012年3… 森 稔(もり みのる、1934年8月24日 - 2012年3月8日)は、日本の実業家。森ビル株式会社代表取締役社長、同会長などを歴任。森ビル初代社長である森泰吉郎の二男であり、森ビルの実質的創業者とされる。 1934年(昭和9年)、京都高等蚕業学校教授・森泰吉郎の次男として京都府に生まれる。実家は東京・田村町(現在の港区西新橋の一部)で米穀店を営んでおり、副業として貸家経営も行っていた。 湘南学園中学校、神奈川県立湘南高等学校を経て、1959年(昭和34年)に東京大学教育学部社会教育学科を卒業。ジャーナリスト・アメリカ学者の鈴木健次は中学・高校・大学の同級生。 大学卒業後、取締役として森ビルに入社する。
内藤 恒方(ないとう つねかた、1934年 8月17日ー20… 内藤 恒方(ないとう つねかた、1934年 8月17日ー2020年6月7日 )は、日本の建築家。ランドスケープアーキテクト。建築設計と造園設計をおこなう建築士事務所およびランドスケープコンサルタントのALP(アルプ)設計室を主宰。京都市生まれ。
岡部 陽二(おかべ ようじ、1934年8月16日 - )は、… 岡部 陽二(おかべ ようじ、1934年8月16日 - )は、日本の国際金融マン、医療経済研究者。 住友銀行(現:三井住友銀行)入行。取締役国際投融資部長、常務取締役ロンドン支店長、専務取締役を歴任。同行退職後、明光証券(現:SMBC日興証券)代表取締役会長、広島国際大学医療福祉学部医療経営学科および同大学院教授を経て、医療経済研究・社会保険福祉協会 医療経済研究機構副所長を歴任。
西田 吉宏(にしだ よしひろ、1934年〈昭和9年〉7月29… 西田 吉宏(にしだ よしひろ、1934年〈昭和9年〉7月29日 - 2007年〈平成19年〉11月19日)は、日本の養鶏家、政治家。参議院議員・西田昌司の父。 参議院議員(3期)、自民党参議院国会対策委員長、参議院議院運営委員長、京都府議会議長、京都府議会議員(5期)などを歴任。 1934年(昭和9年)、京都府京都市出身。父親が病気がちであったため小学生の頃から家の手伝いをしていて、千本今出川まで自転車の前と後ろに籠をぶら下げて、1日に2回も卵の配達をしたという。 エンジニアを夢見ていたが、父親の病がいよいよ悪化してしまい、授業料が払えなくなり京都市立洛陽高等学校を中退して家業に専念し、懸命に働いた結果、20歳代半ばで3つの養鶏場を経営する、京都でもひとかどの養鶏家として知られるようになった。
林 彰太郎(はやし しょうたろう、1934年6月21日 - … 林 彰太郎(はやし しょうたろう、1934年6月21日 - 2000年代)は、日本の俳優。京都府京都市北区出身。本名は高橋 徹(たかはし とおる)。別名は池 徹(いけ とおる)。 京都府立山城高校卒業後、同志社大学経済学部に進学するが1958年に中退し、松竹俳優養成所に入る。同年、池 徹の芸名で『七人若衆大いに売り出す』で映画初出演。1960年に東映へ移籍し、林 彰太郎と改名。東映京都撮影所を拠点に活動した。 嶋田景一郎・坂口祐三郎と共に三野郎として売り出されていた。身長180cmの体格を活かし、時代劇・アクション映画・ヤクザ映画などの脇役を演じてきた。晩年は東映太秦映画村の俳優養成所で講師として後進の育成に当たった。
高坂 正堯(こうさか まさたか、1934年〈昭和9年〉5月8… 高坂 正堯(こうさか まさたか、1934年〈昭和9年〉5月8日 - 1996年〈平成8年〉5月15日)は、日本の国際政治学者、歴史家、思想家。京都大学(京大)法学部教授を長く務め、学んだのも京大であった。国際政治学や欧州外交史を専門とし、現実主義(リアリズム)の立場から理論や日本の針路についての発言を展開した。日本の国際政治学に大きな影響を与えたほか、論壇でも活躍した。主著に『古典外交の成熟と崩壊』『国際政治』『宰相吉田茂』『海洋国家日本の構想』など。 生まれも京都市で、哲学者高坂正顕の次男である。 高坂家の先祖は高坂弾正忠昌信と言われる(後述)。父の高坂正顕は西田幾多郎に学んだ京都学派の哲学者で、「近代の超克」を唱えた。
平井 嘉明(ひらい よしあき、1934年5月6日 - )は、… 平井 嘉明(ひらい よしあき、1934年5月6日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手(主に遊撃手)。 立命館高校では西田稔と同期。1951年秋季近畿大会府予選準決勝に進むが、城南高に敗退。翌1952年夏の甲子園府予選は決勝で山城高に完封負け、甲子園には届かなかった。1953年に卒業後関西大学へ進学し野球部所属。 関西六大学野球リーグでは在学中2回優勝。4回生となった1956年、同期のエース法元英明と1年下の中西勝己投手が中退しプロ入り後、2年生エース村山実が好投し全日本大学野球選手権大会に出場、決勝で島津四郎や人見武雄らのいた日大を降し選手権初優勝を飾る。東京六大学以外の大学としては初の優勝であった。
北沢 恒彦(きたざわ つねひこ、1934年4月22日 - 1… 北沢 恒彦(きたざわ つねひこ、1934年4月22日 - 1999年11月22日)は、日本の社会運動家。文筆家。元京都市役所職員。 京都市出身。黒川創は息子。北沢街子は娘。秦恒平は弟。 1952年京都府立鴨沂高等学校在学中、朝鮮戦争への反戦運動に加わり、逮捕。1960年同志社大学法学部卒業。また大学卒業後に製パン業の老舗・進々堂に勤め労働争議を経験。 その後、雑誌『思想の科学』の編集、執筆に関わる。1962年京都市役所勤務。66年京都市中小企業指導所に勤務、診断士となる。 京都ベ平連に参加し、67年まで事務局長を務める。 1984年大阪市立大学大学院経済学研究科修士課程修了。1995年京都市役所を定年退職。
堀田 力(ほった つとむ、1934年4月12日 - 2024… 堀田 力(ほった つとむ、1934年4月12日 - 2024年11月24日)は、日本の検察官、弁護士、福祉事業家。さわやか法律事務所所長、第一東京弁護士会所属、公益財団法人さわやか福祉財団会長、全日本社会貢献団体機構名誉顧問。 法務省大臣官房人事課課長、甲府地方検察庁検事正、法務省官房長、さわやか福祉推進センター所長などを歴任した。 京都府出身の弁護士である。京都大学を卒業後、検察官として任官し、東京地方検察庁では特別捜査部の検事としてロッキード事件の捜査に従事した。その後、甲府地方検察庁の検事正や法務省の官房長などを歴任した。退官後は弁護士として活動するとともに、さわやか福祉推進センターを開設するなど福祉事業家として活動した。
布施 浄慧(ふせ じょうえ、1934年(昭和9年)3月25日… 布施 浄慧(ふせ じょうえ、1934年(昭和9年)3月25日 - )は、真言宗智山派の僧。管長。智積院第72代化主。大正大学大学院修了。京都府京都市出身。 埼玉県出身。大正大学卒業後、同大学大学院に進学し博士課程後期を満期退学。その後、大正大学の講師に就任。 埼玉県久喜市の吉祥院住職を務める傍ら、成田山勧学院教授・智山講伝所上座阿闍梨・宗機顧問などを歴任。2019年(令和元年)6月28日に真言宗智山派の管長と智積院の第72代化主に就任。2021年(令和3年)に後七日御修法大阿闍梨を務め、真言宗長者となる。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
渡辺 邦彦(わたなべ くにひこ、1934年3月17日 - 2… 渡辺 邦彦(わたなべ くにひこ、1934年3月17日 - 2017年3月28日)は日本の映画監督。京都府京都市出身。
磯田 啓二(いそだ けいじ、1934年(昭和9年)3月8日 … 磯田 啓二(いそだ けいじ、1934年(昭和9年)3月8日 - 2019年(令和元年)11月12日)は、日本の映画プロデューサー。 京都府京都市出身。妻は映画プロデューサーの大西悦子(本名:磯田悦子)。 松竹京都撮影所、松竹大船撮影所を経てフリーランスとなり、個人事務所「株式会社磯田事務所」を設立。多数の映画・テレビドラマを手掛ける。 2019年(令和元年)11月12日午前3時8分、多臓器不全のため、東京都渋谷区の自宅で死去。85歳没。 この項目は、映画に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
加藤 充(かとう みつる、1934年3月3日 - )は 東京… 加藤 充(かとう みつる、1934年3月3日 - )は 東京都生まれ、京都府育ちのベーシスト。通称「カッペちゃん」。サンズ・オブ・ウェストやザ・スパイダースのメンバーとして活動を行った。 マンドリンを嗜む母の影響でギター教室に通うも単調な練習に耐えられず挫折、その後独学で古賀メロディーなどを習得する。 その後ウェスタンミュージックに憧れて、同志社高校時代には同志社大学のカントリーバンド「ゲーリー石黒&サンズ・オブ・ウェスト」に欠員要員として参加、ギター・ベース・アコーディオンを担当し、米軍キャンプ廻りなどで鍛えられる。同志社で賛美歌に慣れ親しんでいたため、曲の構成やコードが似ているウェスタンミュージックの習得は容易だったという。
深見 茂(ふかみ しげる、1934年1月24日 - )は、ド… 深見 茂(ふかみ しげる、1934年1月24日 - )は、ドイツ文学者、大阪市立大学・滋賀県立大学名誉教授、祇園祭山鉾連合会理事長。 京都市生まれ。1958年大阪大学大学院独文科修士課程修了、同年6月大阪市立大学文学部助手、講師、助教授。1981年10月教授。1994年「ドイツ近代短篇小説の研究 -その歴史と本質」で大阪市大文学博士。1995年定年退官、名誉教授、滋賀県立大学国際教育センター教授。2004年退任、名誉教授。2012年11月、瑞宝中綬章受章。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
松本 明(まつもと あきら、1934年1月22日 - 202… 松本 明(まつもと あきら、1934年1月22日 - 2022年7月18日)は、日本のテレビディレクター・プロデューサー・小説家である。京都市右京区出身。 1952年、京都府立嵯峨野高等学校を卒業し、1957年、早稲田大学第一文学部演劇科を卒業。同年6月、大映京都撮影所企画部に入社。同年末に退社。 大映退社後、大阪テレビ放送(のちにラジオ単営局だった朝日放送と合併)に移籍。演出部に配属され、フロアディレクターとして活躍後、1960年、『サンドイッチマン物語』の演出で正ディレクターとしてデビュー。『スチャラカ社員』、『てなもんや三度笠』といった公開コメディの先駆けとなった。 のちにドラマ部門に移籍し、『女の劇場』(帯ドラマ)、『近鉄金曜劇場』、『東芝日曜劇場』(当時のキー局であるTBS制作で、系列局も持ち回りで制作していた)などの単発ドラマをはじめ、マルチカメラのスタジオドラマに勝新太郎を起用した『悪一代』(1969年)、町工場を舞台にした庶民派喜劇『おやじ火山』(1970年)などを演出。
長門 裕之(ながと ひろゆき、1934年〈昭和9年〉1月10… 長門 裕之(ながと ひろゆき、1934年〈昭和9年〉1月10日 - 2011年〈平成23年〉5月21日)は、日本の俳優。昭和時代の日活映画の「青春スター」。(今村昌平監督と組んだ)『にあんちゃん』で1959年(昭和34年)のブルーリボン男優主演賞受賞。『豚と軍艦』『秋津温泉』などで主演。テレビドラマなどでも活躍。俳優の津川雅彦は実弟。 歌舞伎俳優の沢村国太郎を父に、女優のマキノ智子を母に、本名 加藤 晃夫(かとう あきお)として、京都府京都市中京区で誕生。両親もそうだが、祖父は「日本映画の父」と呼ばれる牧野省三、狂言作者の竹芝伝蔵、叔父に加東大介、叔母に沢村貞子がいるという演劇・映画などを本業とする芸能一家の一員として誕生。
田中 浩(たなか ひろし、1934年〈昭和9年〉1月1日 -… 田中 浩(たなか ひろし、1934年〈昭和9年〉1月1日 - 1993年〈平成5年〉1月2日)は、日本の俳優。本名は同じ。 京都府出身。京都商業高等学校卒業。オフィス青柳、ファミリープロに所属していた。 父は昭和初期から中期にかけて活躍した俳優・寺島貢、母は昭和初期の女優・対馬ルイ子。 東宝を経て三船プロダクションに入社し、殺陣師・久世竜に師事。当時は同社製作の映画・テレビのほぼすべてに脇役で出演しており、斬られ役などとして重用されていた。退社後は各社のテレビドラマ・映画に出演したが、アクション作品でのやくざ役、時代劇での悪代官役など悪役が多く、1979年の『戦国自衛隊』では武田信玄を演じた。一方、「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」のキャッチコピーで知られる丸大食品のCMに長らく出演していたことから、その知名度は高かった。
梅原 郁(うめはら かおる、男性、1934年1月1日 - 2… 梅原 郁(うめはら かおる、男性、1934年1月1日 - 2020年5月3日)は、日本の東洋史学者。京都大学名誉教授。専門は中国史、特に宋代史。 京都市生まれ。父は東洋考古学者の梅原末治。1957年京都大学文学部史学科東洋史学専修卒業。1962年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1966年神戸学院大学助教授、1969年京都大学人文科学研究所助教授、1981年同教授。1986年「宋代官僚制度研究」で文学博士の学位を取得。1997年定年退官、名誉教授、就実女子大学教授。2005年退職。就実大学では西嶋定生文庫の整備に尽力した。 宋代史を主要な研究分野とするが、元・明・清朝の法制史・制度史研究でも大きな成果がある。
古川 哲雄(ふるかわ てつお、1934年 - )は、日本の医… 古川 哲雄(ふるかわ てつお、1934年 - )は、日本の医師、医学者。専門は神経内科学。 1934年、兵庫県伊丹市に生まれる。滋賀県日野町立小、中学校卒、京都同志社高校卒。 1961年、東京大学医学部医学科を卒業する。1962年、東京大学医学部第3内科に入る。1967年、医学博士号を取得する。1968年、東京大学医学部脳研神経内科に入る。1969年から1971年、および1977年、ロサンゼルスのカリフォルニア大学に留学する。1975年から80年にかけて東京女子医科大学神経内科非常勤講師を併任していた。1978年、日本赤十字社医療センター神経内科部長となる。1980年から2002年まで、東京医科歯科大学医学部神経内科助教授、保健衛生学科教授を務める。
芦田 文夫(あしだ ふみお、1934年 - )は、日本の経済… 芦田 文夫(あしだ ふみお、1934年 - )は、日本の経済学者。立命館大学名誉教授。専門は経済理論、比較経済体制論、社会主義経済論。 京都市生まれ。1957年京都大学経済学部卒業。1962年京都大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。1981年「社会主義的所有と価値論」で経済学博士(京都大学)。1962年立命館大学経済学部専任講師、1965年助教授、1972年教授。1974年経済学部主事、1975年経済学部長代行、1978~1979年学生部次長、1986~1988年教学部長、1991~1994年立命館副総長・立命館大学副学長。2000年定年退職、立命館大学名誉教授。2005年まで特任教授。
橋本 直樹(はしもと なおき、1934年 - )は、日本の農… 橋本 直樹(はしもと なおき、1934年 - )は、日本の農学博士、ビール醸造研究者、食に関する著述家・講師。 キリンビールの研究所長やビール工場長・常務、京都大学講師、帝京平成大学教授などを務め、2010年現在は食に関する講演などを行う。 京都市生まれ、1956年、京都大学農学部農芸化学科卒業。1971年農学博士号を取得し、入社したキリンビールでは醸造について研究し、研究所長・工場長を経て常務を務める。 キリンビール在職中1987年「ライトビールの創成~香味品質の設計技法の開発と応用」で日本農芸学会・農芸化学技術賞を受賞する。 2006年から2010年まで帝京平成大学教授を務める。2011年、日本醸造学会:功績賞受賞。
宮下 嶺夫(みやした みねお、1934年 - )は日本の翻訳… 宮下 嶺夫(みやした みねお、1934年 - )は日本の翻訳家。日本翻訳協会会員。主に児童書の翻訳を手掛ける。 京都府京都市生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
芦屋 小雁(、1933年12月4日 - 2025年3月28日… 芦屋 小雁(、1933年12月4日 - 2025年3月28日)は、日本の喜劇俳優。本名は西部 秀郎()。所属事務所は小雁倶楽部、さち子プロ。 京都府京都市出身。生家は友禅染工場であったという。兄に俳優の芦屋雁之助、弟に芦屋雁平(初代芦屋凡凡)がいる。雁之助の娘の西部里菜は姪。父親も芸界が好きで、漫才師になり、雁之助と地方巡業していたことがあった。芸人にならなかった長兄は、京都の交通局に勤務したが、職場の劇団でプロレタリア演劇にかかわっていた。 旧制中学中退後、さまざまな職業についた後、絵が好きだったことから、商業美術の世界に入り、映画看板などを描く。 やがて、雁之助と漫才コンビ「若松ただし・きよし」を結成して活動する。
塚原 仲晃(つかはら なかあきら、1933年11月11日 -… 塚原 仲晃(つかはら なかあきら、1933年11月11日 - 1985年8月12日)は、日本の医学者・大脳生理学者・脳神経学者。大阪大学基礎工学部教授。医学博士。 京都府京都市生まれ。東京大学医学部卒業。1963年に東京大学より医学博士を授かる。博士論文の題は「A contribution of internuncial activity to motoneuronal discharges(前柱細胞発射にたいする介在細胞活動の関与について)」。 36歳で大阪大学教授に就任。シナプス、記憶に関する研究においては世界をリードしていたとの評価もある[誰によって?]。当時の日本を代表する脳神経学者の一人でもあった。
岩田 宗一(いわた そういち、1933年10月29日 - 2… 岩田 宗一(いわた そういち、1933年10月29日 - 2020年6月8日)は、日本の声明研究者。大谷大学名誉教授。 京都市生まれ。1959年京都市立音楽短期大学(現・京都市立芸術大学)卒業。1965年佛教大学卒業。大谷短期大学助教授、大谷大学教授、1999年退任、名誉教授。2020年6月8日に死去。86歳没。
奥田 博之(おくだ ひろゆき、1933年10月16日 - )… 奥田 博之(おくだ ひろゆき、1933年10月16日 - )は、フリーアナウンサーで、元ラジオ神戸(現在のラジオ関西)アナウンサー。 京都府京都市出身。同志社大学法学部時代は放送部に所属。大学在学中(採用決定後)からラジオ神戸で仕事をしていたという。 卒業後の1958年(昭和33年)にラジオ神戸に入社。ラジオ関西時代は、「電話リクエスト」でマリア・リグレステイ、「ラジオ関西のナマナマ大放送」では笑福亭鶴光と担当するなど看板アナウンサーとなり、また、阪神タイガース戦をメインにプロ野球中継も担当、日本シリーズ中継ではラジオ関東(現在のラジオ日本)でもその放送は流れた。 1979(昭和54)年頃ラジオ関西を退職しフリーアナとなり、読売テレビ「2時のワイドショー」やサンテレビ「サンテレビボックス席」の中継で活躍した。
石川 英輔(いしかわ えいすけ、1933年9月30日 -)は… 石川 英輔(いしかわ えいすけ、1933年9月30日 -)は、日本のSF作家で、江戸文化、写真、印刷技術を扱う。 京都府京都市出身で、東京都立石神井高等学校を卒業し、国際基督教大学と東京都立大学理学部を中退した。 SFファングループ「宇宙塵」に1957年の創設来参加する。1961年にミカ製版を設立して社長となり、1976年にカラー写真製版技術の研究で日本印刷学会第一回技術賞となる。 SF同人誌「宇宙塵」に連載した西遊記のSFパロディ「SF西遊記」を、1976年に講談社から単行本として刊行して作家となり、以後は一連の中国古典小説のSFパロディ・シリーズを手がける。 1979年に「大江戸神仙伝」で現代人がタイムスリップする「時代劇の江戸とは異なる、リアルな江戸社会」を描写すると、シリーズ化される。
中路 融人(なかじ ゆうじん、1933年〈昭和8年〉9月20… 中路 融人(なかじ ゆうじん、1933年〈昭和8年〉9月20日 - 2017年〈平成29年〉7月18日)は、日本画家。日展常務理事、日本藝術院会員、晨鳥社会長。 1996年4月に開館した近江商人博物館(東近江市五個荘竜田町583)では、2016年4月に中路融人の作品が多数寄贈されたことで中路融人記念館を加えている。
辻井 重男(つじい しげお、1933年9月13日 - )は、… 辻井 重男(つじい しげお、1933年9月13日 - )は、日本の情報工学者、東京工業大学名誉教授。
松田 寛夫(まつだ ひろお、1933年9月3日 - 2022… 松田 寛夫(まつだ ひろお、1933年9月3日 - 2022年3月24日)は、日本の脚本家。 京都市出身。松田定次と松浦築枝の養子。京都大学文学部卒業。 1958年、東映に入社。早くからチーフ助監督になるが、組合委員長として契約者の組織化などに働き、常にひと言多いクセがたたり、岡田茂プロデューサーと喧嘩し、助監督を棒に振って東映東京撮影所に飛ばされた。 1967年に脚本家デビュー。当初はヤクザ映画やアクション映画の脚本を執筆していたが、次第に時代劇、ドラマと幅を広げていき、テレビドラマにも進出した。東映の脚本家は数名の共作で執筆することが多いが、比較的早くから単独執筆の映画に恵まれている。特に後年には、『花いちもんめ。
小辻 英雄(こつじ ひでお、1933年8月22日 - )は、… 小辻 英雄(こつじ ひでお、1933年8月22日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。 洛北高校から大日本印刷を経て1953年に南海ホークスへ入団。 1956年は正捕手の松井淳に衰えが見え、2番手だった筒井敬三も移籍したこともあり野村克也と正捕手を争ったが春キャンプで結果を残せず4試合の出場に留まった。同年に退団し、翌年から社会人野球のリッカーミシンでプレー。後に同社の京都支社長に就任した。
長谷川 常雄(はせがわ つねお、1933年8月13日 - 2… 長谷川 常雄(はせがわ つねお、1933年8月13日 - 2019年4月27日)は、日本の実業家。キューサイの創業者。京都府京都市出身。 1957年に同志社大学商学部を卒業し、同年に大沢商会に入社。1963年に退社し、煎餅の製造・販売事業を開始し、1965年10月には福岡市で菓子製造販売会社長老製菓(のちのキューサイ)を創業し、2006年5月までに社長を務めた。1982年にはのちの主力商品となる「青汁」を製造・販売を開始。らでぃっしゅぼーや会長も務めた。 2019年4月27日、死去。85歳没。
吉田 義男(よしだ よしお、1933年7月26日 - 202… 吉田 義男(よしだ よしお、1933年7月26日 - 2025年2月3日)は、京都府京都市中京区出身のプロ野球選手(内野手、右投右打)・コーチ・監督、野球解説者、野球評論家、タレント、甲子園歴史館の運営会議顧問であった。 現役時代は「今牛若丸」と称され、華麗かつ堅実な守備で知られた守備の達人であった。引退後は3度にわたって阪神タイガースの監督を務めた。阪神を初めて日本一に導き、また阪神の監督を3度経験した唯一の人物である。 ニックネームは「よっさん」。1989年から1996年まで野球フランス代表監督を務め、「ムッシュ」とも呼ばれる。甥の谷真一も近鉄バファローズの元プロ野球選手。 1946年、旧制中等学校の京都市立第二商業学校に入学。
池坊 専永(いけのぼう せんえい、1933年7月21日 - … 池坊 専永(いけのぼう せんえい、1933年7月21日 - )は、京都府出身の華道家である。池坊の45代目家元。華道家元四十四世池坊専威の長男。妻は元公明党所属衆議院議員の池坊保子、長女は次期家元の四代目 池坊専好、次女は華道家の池坊美佳である。 現在は個展、国内・海外の普及活動だけでなく執筆、講演会を行っている。
只木良也(ただき よしや、1933年6月13日 - )は、日… 只木良也(ただき よしや、1933年6月13日 - )は、日本の森林生態学者、名古屋大学名誉教授、京都府立林業大学校名誉校長、国民森林会議顧問。 京都市出身。1956年京都大学農学部林学科卒、61年同大学院博士課程修了、「数量的間伐に関する生態学的研究」で農学博士の学位を取得。四手井綱英に師事。61年農林省林業試験場、70年同調査部企画室長、73年同造林部造林第二研究室長、1978年信州大学理学部教授に転じ、1991年名古屋大学農学部教授、97年定年退官、名誉教授。プレック研究所生態研究センター長。国民森林会議顧問。86年読売農学賞を「森林生態系の物質生産構造及び環境保全機能に関する研究」で受賞。
伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年5月15日 - 1… 伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年5月15日 - 1997年12月20日)は、日本の映画監督・俳優・脚本家・エッセイスト。本名は池内 義弘(いけうち よしひろ)。雑誌編集長・商業デザイナー・イラストレーター・CMプランナー・ドキュメンタリー映像作家としても活動し、料理通としても知られた。 監督デビューは51歳と遅咲きだったが、それまでに表現手段を追究する職を多数経験し、その集大成として映画に挑戦し、ヒットメーカーとなった。 1984年の監督デビュー作である『お葬式』からいきなり数々の映画賞を獲得するなど絶賛を浴びた。その後、『タンポポ』『マルサの女』『マルサの女2』『あげまん』『ミンボーの女』『大病人』『スーパーの女』『マルタイの女』などを演出し、いずれも大ヒットを記録した。
早崎 治(はやさき おさむ、1933年5月7日 - 1993… 早崎 治(はやさき おさむ、1933年5月7日 - 1993年11月11日)は、日本の写真家。日本広告写真家協会元会長。 京都府京都市生まれ。立命館中学校・高等学校、立命館大学経済学部卒業。大学在学中は写真部に所属し、写真に熱中し写真雑誌への投稿を始める。卒業後、写真評論家重森弘淹の紹介で広告制作会社「ライトパブリシティ」入社。 1964年東京オリンピックの一連のポスター(1962年、1963年:亀倉雄策と共同製作)が反響を呼び、イタリアで開催されたポスター展でもグランプリを獲得。その後、「早崎スタジオ」を設立。商業広告写真を中心に幅広く活躍した。 1993年11月11日、取材中の転落事故により死去。
大山 喬平(おおやま きょうへい、1933年5月7日 - )… 大山 喬平(おおやま きょうへい、1933年5月7日 - )は、日本の日本史学者。京都大学名誉教授。専門は中世農村史。 1933年、京都市生まれ。京都大学文学部国史学科に入学、赤松俊秀や林屋辰三郎に師事。また、大学同期生に、河音能平(大阪市立大学名誉教授)や安丸良夫(一橋大学名誉教授)がいた。1957年3月に同大学卒業。同大学大学院に進学、1962年3月京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。 1963年10月より名古屋市立大学専任講師。1964年4月、同大学経済学部助教授。1969年4月、大阪市立大学文学部助教授に転じた。1971年4月より京都大学文学部助教授を務めた。1981年7月、学位論文『日本中世農村史の研究』を京都大学より文学博士の学位を取得。
野々内 隆(ののうち たかし、1933年5月 - )は、日本… 野々内 隆(ののうち たかし、1933年5月 - )は、日本の通産官僚。通商産業省基礎産業局長や、資源エネルギー庁長官を経て、中小企業診断協会会長や経済産業調査会理事長などを歴任した。 京都府立洛北高等学校を経て、1956年京都大学経済学部卒業、通商産業省入省。同期に尾身幸次(第6代財務大臣)、杉山弘(通商産業事務次官、電源開発社長)、川崎弘(経済企画審議官、東京電力副社長)、守屋一彦(日本化学繊維協会理事長)など。 1972年通商産業大臣官房審議官。1973年通商産業大臣官房参事官。1974年通商産業省通商政策局西欧アフリカ中東課長。1977年通商産業省産業政策局商政課長。1978年通商産業省通商政策局経済協力部経済協力課長。