杉本 彩(すぎもと あや、1968年7月19日 - )は、日… 杉本 彩(すぎもと あや、1968年7月19日 - )は、日本のタレント、レースクイーン、女優、グラビアアイドル、歌手、ダンサー、小説家、実業家、動物愛護活動家、作詞家、作曲家である。株式会社オフィス彩所属で代表取締役。公益財団法人動物環境・福祉協会Eva理事長。 京都市東山区出身。本名は、松山 基栄(まつやま もとえ)。事業活動などに際しては、本名を使用している。 身長168 cm、B82 cm、W58 cm、H86 cm(1987年5月、18歳時)。 東山区祇園出身で、当時は両親と妹と祖母と暮らしていた。京都市立有済小学校 、京都市立弥栄中学校卒業。京都府立北稜高等学校中退。 幼い頃は祇園に今ほど観光客はおらず、新門前通や新橋通などを遊び場にして毎日元気に走り回っていた。
懸野 直樹(かけの なおき、1960年〈昭和35年〉 - )… 懸野 直樹(かけの なおき、1960年〈昭和35年〉 - )は、日本の神職・慈善家。嵐山鵜飼観光文化振興協会の設立に際し私財から寄付を行った。 野宮神社名誉宮司、皇宮警察宸栄会幹事、このほか嵐山保勝会理事、同志社大学史友会幹事、京都府立北嵯峨高等学校同窓会長。学校法人洛陽総合学院監事、神社本教責任役員庶務部長、G20諸宗教フォーラム事務局長、近畿宗教連盟常任委員、国際宗教同志会監事、京都西南ローターアクトクラブOB(チャーターメンバー)、京都商工会議所青年部OBなどを歴任。 1979年京都府立北嵯峨高等学校卒、1983年同志社大学文学部卒日本文化史、考古学専攻卒。 1983年より野宮神社宮司を務めた。
天野 礼子(あまの れいこ、1953年 - )は、日本の環境… 天野 礼子(あまの れいこ、1953年 - )は、日本の環境運動家、環境問題評論家、アウトドアライター。 長良川河口堰建設をやめさせる市民会議代表。日本に健全な森をつくり直す委員会事務局長。 京都市生まれ。ろうけつ染め作家の一人娘として生まれる。同志社中学・高等学校、同志社大学文学部美学芸術学専攻卒業。大学在学中の19歳より釣りを始め、国内外の川、海を年に100日ほど釣り歩いていた。 1988年、作家・開高健を会長に「日本のダムを問う運動」を立ち上げ、長良川河口堰建設反対運動を展開。1989年に国会内で超党派国会議員による「長良川河口堰問題を語る会」が設立されるなど、「川とダム」を問う国民運動に育て上げ、国会で議論をつくった。
白川 真澄(しらかわ ますみ、1942年 - )は、社会運動… 白川 真澄(しらかわ ますみ、1942年 - )は、社会運動家。西村 光男の別名を持つ。 京都府京都市生まれ。京都大学大学院経済学研究科修了。日本共産党から分かれた「日本のこえ」に参加。1960年安保闘争、ベトナム反戦闘争、三里塚闘争などの社会運動に関わり続け、1967年共産主義労働者党の結成に参加。1971年の同党分裂に伴って、共労党全国協議会プロ革派(のちの政治グループ・蒼生)を結成、指導する。その後は、フォーラム90sの事務局次長、次いで事務局局長に就任。現在、季刊『ピープルズ・プラン』編集長、グローカル座標塾講師。1990年代からは「地域から政治を変える」運動にも参加している。2013年まで緑の党グリーンズジャパン全国協議会委員を務めた。
竹本 信弘(たけもと のぶひろ、1940年2月24日 - 2… 竹本 信弘(たけもと のぶひろ、1940年2月24日 - 2024年7月14日)は、日本の新左翼元活動家・理論家。かつては滝田修(たきたおさむ)というペンネームを使用していた。 1969年、京大パルチザンを結成。1971年の埼玉県朝霞駐屯地での自衛官殺害事件の共謀共同正犯として指名手配され、10年間逃亡の後、逮捕された。のち有限会社メディアコム代表。 2024年7月14日、京都市伏見区の病院で誤嚥性肺炎により死亡した。84歳没。 京都府京都市で京都教育大学名誉教授竹本正信の次男、三人兄弟の末っ子として生まれる。1958年、京都府立洛北高等学校卒業。1960年、京都大学経済学部入学。1964年に京都大学大学院修士課程に進み、ドイツ社会思想史(特にローザ・ルクセンブルク)を専攻する。
北沢 恒彦(きたざわ つねひこ、1934年4月22日 - 1… 北沢 恒彦(きたざわ つねひこ、1934年4月22日 - 1999年11月22日)は、日本の社会運動家。文筆家。元京都市役所職員。 京都市出身。黒川創は息子。北沢街子は娘。秦恒平は弟。 1952年京都府立鴨沂高等学校在学中、朝鮮戦争への反戦運動に加わり、逮捕。1960年同志社大学法学部卒業。また大学卒業後に製パン業の老舗・進々堂に勤め労働争議を経験。 その後、雑誌『思想の科学』の編集、執筆に関わる。1962年京都市役所勤務。66年京都市中小企業指導所に勤務、診断士となる。 京都ベ平連に参加し、67年まで事務局長を務める。 1984年大阪市立大学大学院経済学研究科修士課程修了。1995年京都市役所を定年退職。
岩崎 馨(いわさき かおる、1929年5月29日 - 202… 岩崎 馨(いわさき かおる、1929年5月29日 - 2025年2月22日 )は、日本の労働運動家。 京都市生まれ。1948年12月日本鋼管に入社し、電機課に配属となる。1953年明治学院大学経済学部卒業。1964年9月日本鋼管製鉄労働組合連合会中央執行委員調査担当を経て、のち同労組調査部長。1976年政策推進労組会議事務局次長。1978年日本鉄鋼産業労働組合連合会(鉄鋼労連)調査部長。1978年4月明治学院大学経済学部講師(1981年3月まで)。1982年全日本民間労働組合協議会(全民労協)調査局長(2002年まで)。1985年社団法人国際産業・労働研究センター事務局長。2000年財団法人社会経済生産性本部(2009年より日本生産性本部)社会労働部参与、労働研究センター事務局長。
好並 隆司(よしなみ たかし、1929年4月19日 - 20… 好並 隆司(よしなみ たかし、1929年4月19日 - 2010年9月23日 )は日本の歴史学者、社会運動家。専門は中国古代史。 京都府京都市生まれ。高校時代、平和運動に目覚める。1947年、岡山大学法文学部文学科1期生入学。1948年日本共産党入党。開学期の岡山大学学生運動を指導する。 岡山大学卒業後は広島大学大学院文化研究科を経て岡山大学文学部教官となる。 1961年、春日庄次郎らとともに日本共産党を批判、除名される。社会主義革新運動創設に参加し、その後共産主義労働者党に参加。 1969年、岡山大学闘争に際しては入試拒否27教官に名前を連ねる。 1973年、岡山大学教養部教官坂本守信の解雇処分に反対する教養部バリケード封鎖では学生らとともに教養部構内に立てこもる。
宅間 英夫(たくま ひでお、1926年9月16日 - 197… 宅間 英夫(たくま ひでお、1926年9月16日 - 1979年4月26日)は京都府出身の部落解放運動家。京都こどものとも社社長。部落解放同盟京都府連南丹地協議長の国府泰造から「兄ちゃん」と呼ばれる存在だった。 京都府船井郡富本村(現・南丹市)生まれ。父は郡是製糸社員。 京都府立第二中学校(現・京都府立鳥羽高等学校)時代から松居直や木島始と交際があった。松山高等学校 (旧制)の受験に失敗し、海軍通信学校に入隊したが1ヶ月で敗戦を迎える。 1946年、京都人文学園入学。1949年、同志社大学新聞学科に聴講生として学びつつ郷里の八木町青年団で活動。このころは朝田善之助や日本共産党の山林解放闘争のニセ情報を警察に200円で売ってなぶる計画の軍師だった。
寿岳 章子(じゅがく あきこ、1924年1月2日 - 200… 寿岳 章子(じゅがく あきこ、1924年1月2日 - 2005年7月13日)は、日本の国語学者・エッセイスト・社会活動家。 寿岳文章・寿岳しづ夫妻の長女として京都府に生まれる。弟は天文学者の寿岳潤。 旧制京都府立第一高等女学校、旧制京都府立女子専門学校を経て、1946年(昭和21年)に東北帝国大学法文学部を卒業、京都大学大学院へ進学。京都府立大学助教授、教授として同大学に36年間勤務。 墓所は南禅寺慈氏院。 寿岳の研究業績としては、室町時代の口語資料である抄物の研究が挙げられる。寿岳は抄物の語句や文章形態や文法構造について、抄物を語った人物の声として捉えようとした。あくまでも生きた人間の言葉に目を向け、抄物それ自体の言葉に深く切り込んで、その性格を解明して資料性を保証したのである。
増田 眞一(ますだ みちかず、選挙時の通名:マスダシン一、1… 増田 眞一(ますだ みちかず、選挙時の通名:マスダシン一、1923年〈大正12年〉 - 2000年〈平成12年〉6月3日)は、日本の実業家、政治活動家(政事公団太平会同人)。 京都府舞鶴市出身。同志社大学法学部在学中に学徒出陣で応召。熊谷陸軍飛行学校特操2期生を経て、知覧特攻基地神鷲隊に配属される。1945年8月10日、ウィリアム・ハルゼー率いる米海軍機動部隊に向け出撃したが、天候不良と搭乗機の不調で突入に失敗、帰投。そのまま終戦を迎えた。 戦後復学して同大学院で田村徳治教授の薫陶を受け、皇国史観を保持しつつ労農運動に目覚める。その後地元で旅館、青年の家、マリーナ等経営の傍ら反基地闘争・反公害運動を行い、政治団体『政事公団太平会』を組織。
東 史郎(あずま しろう、1912年(明治45年)4月27日… 東 史郎(あずま しろう、1912年(明治45年)4月27日 - 2006年(平成18年)1月3日)は、日本の軍人(召集兵)、著述家、社会活動家。 京都第16師団、福知山第20連隊上等兵として南京攻略戦に参加し、南京大虐殺(南京事件)を著書『わが南京プラトーン』で告発した。中国やアメリカ合衆国などでも謝罪活動を続けた。日記の一部記述について元上官と名誉毀損裁判となり、二審まで東日記の記述の公表に公益性は認定されたものの、事実であるかについて客観的証拠がないと判定され、最高裁で上告理由がないとして、そのまま損害賠償を命じられた。 京都府竹野郡間人村(たいざむら)出身。間人小学校を卒業後、1926年(大正15年)に京都府立第二中学校に進学した。
髙本 善四郎(たかもと ぜんしろう、1911年8月11日 -… 髙本 善四郎(たかもと ぜんしろう、1911年8月11日 - 2007年12月7日)は、日本の実業家、慈善活動家。ダイトロン創業者。 京都府舞鶴町(現舞鶴市)吉原地区生まれ。吉原尋常小学校、京都府立舞鶴中学校(現京都府立西舞鶴高等学校)卒業後、貿易に携わるため、東京商科大学(現一橋大学)専門部に進学し、1944年に卒業後商社に入る。 太平洋戦争中は中国大陸で従軍し、日本の降伏後大阪で個人事業を起業。東京通信工業の『テープコーダー』を扱い、1952年には大阪市北区に大都商事(現ダイトロン)を設立。 90歳で経営から引退後は、福祉や教育分野での慈善活動のため2001年に滋賀県にダイトロン福祉財団を設立、舞鶴市社会福祉協議会への寄付などを行った。
朝田 善之助(あさだ ぜんのすけ、1902年〈明治35年〉5… 朝田 善之助(あさだ ぜんのすけ、1902年〈明治35年〉5月25日戸籍上は7月4日 - 1983年〈昭和58年〉4月29日)は、日本の部落解放運動家、会社経営者。元「解同」(部落解放同盟)中央執行委員長。 京都府愛宕郡田中村字西田中(現在の京都市左京区田中馬場町)で生まれた。朝田が生まれた西田中は被差別部落で、古くは川崎村といった。 父は滋賀県大津市出身の幾之助、母はみゑ、長兄は幾松、次兄は伊助といった。父は和鞋の製造、販売の早瀬円蔵商店勤務を経て肥屋、汲み取りをやって1907年頃から共同浴場の経営をしていた。 1908年、養正小学校へはいった。1914年、小学校を卒業して寺町五条下ルの篠本靴店へでっち奉公へ出た。
鄭 島栄(チョン・ドヨン、朝鮮語: 정도영/鄭島榮、1901… 鄭 島栄(チョン・ドヨン、朝鮮語: 정도영/鄭島榮、1901年9月16日または1902年 - 1979年8月12日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の政治家、教育者。制憲韓国国会議員。 本貫は迎日鄭氏(朝鮮語版)。初名は鄭寿容、字は華一、号は白坡。仏教徒。 慶尚北道永川郡出身。京城中東中学校を経て大邱啓聖学校中退、京都第一府立中学校卒。三・一運動参加後、新幹会の設立に参加し、永川青年会会長、全国青年総連盟メンバーを経て、日中戦争中に治安維持法違反で投獄されたが、3年間の起訴猶予により釈放された。その後は仏教に入信し、禅房で7年間修行した。光復後は米軍政庁永川郡守顧問、韓国民主党慶北道党常務委員、独促国民会永川郡支部長・中央常務委員・慶北道党部常務委員、国民会支会長を務めた。
吉川 末次郎(よしかわ すえじろう、1892年(明治25年)… 吉川 末次郎(よしかわ すえじろう、1892年(明治25年)12月1日 - 1976年(昭和51年)11月20日)は、大正末から昭和期のジャーナリスト、社会運動家、政治家、法学者。参議院議員(1期)。次男は元東映プロデューサー吉川進。 京都府京都市出身。吉川利兵衛の養子となる。京都薬学校(現京都薬科大学)卒を経て、1918年(大正7年)同志社大学政治科を卒業した。1920年(大正9年)から1922年(大正11年)にかけて欧米に留学し、コロンビア大学政経部大学院などで学んだ。ロイター通信記者、日米時報主筆、帝都復興院嘱託、東京市政調査会研究員などを務め、社会運動に従事した。 1926年(大正15年)社会民衆党創立に加わり、1927年(昭和2年)京都支部創立に伴い支部長に就任。
中西 伊之助(なかにし いのすけ、1887年2月8日 - 1… 中西 伊之助(なかにし いのすけ、1887年2月8日 - 1958年9月1日)は、日本の作家、労働運動家、政治家。衆議院議員を2期務めた。 1887年2月8日、京都府久世郡槇島村(現・宇治市)の農家に出生し私生児として届け出された。旧制大成中学校(5年級編入学)を経て海軍兵学校に志願するも、出自を理由に入校はならなかった。その後、中央大学、早稲田大学に入るがいずれも中退。 少年・青年時代から機関車掃除夫や陸軍宇治火薬造所職工、新聞配達、南満州鉄道社員など、多種多様な職に就く傍ら無産運動にも尽力。朝鮮で新聞記者を務めていた時代には、藤田組による鉱山労働者虐待の実態を報じ、投獄されたこともある。 帰国後の1919年に日本交通労働組合へ入り、同組合理事長として東京市電争議を主導するが、治安警察法違反により検挙投獄となる。
河合 義一(かわい ぎいち、1882年(明治15年)3月11… 河合 義一(かわい ぎいち、1882年(明治15年)3月11日 - 1974年(昭和49年)7月25日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。 兵庫県加古郡、のちの高砂町(現高砂市)で、蔵元の家に生まれた。同志社中学校で学び、高砂教会で洗礼を受けた。1904年、東京外国語学校仏語科を卒業し、日本銀行に入行。その後、病気となり治癒したが、1911年、日銀を退職して帰郷した。 1919年、高砂町会議員に就任。賀川豊彦の活動に共鳴し農民組合運動に参加。日本農民組合東播連合会長、同兵庫県連合会長を務め、小作争議指導のため投獄されたこともあった。また、日本労農党などを経て社会大衆党に所属し、1937年4月、第20回衆議院議員総選挙に兵庫県第三区から出馬して初当選した。
清水 紫琴(しみず しきん、1868年1月(慶応3年12月)… 清水 紫琴(しみず しきん、1868年1月(慶応3年12月)下旬 - 1933年(昭和8年)7月31日)は、明治期の女性作家、自由民権運動の女性活動家。出生届出は1868年1月。 出身地は岡山県、出生地は京都府。本名は清水豊子、筆名は生野ふみ子、つゆ子。戦前の興信録では名を「トヨ」としているものもある。 京都府立第一高等女学校卒。1885年(明治18年)、自由民権派の弁護士・岡崎晴正と結婚。晴正とともに自由民権運動に携わるが、晴正は結婚前から交際していた女性を紫琴と結婚後も妾として囲っていたため、1888年(明治21年)自由民権運動家でありながら晴正と異なり男女同権の立場を取っていた植木枝盛と出会い、その後は女権運動に携わるようになる。
片山 信子(かたやま のぶこ)は日本の図書館員、国会職員、大… 片山 信子(かたやま のぶこ)は日本の図書館員、国会職員、大学教員。第27代国立国会図書館副館長。 京都府京都市生まれ。1980年京都市立紫野高等学校卒業。1985年東京大学経済学部を卒業した。 1986年に国立国会図書館へ入館し、関西館長、利用者サービス部長、総務部長などを経て、2022年1月1日副館長に就任した(2023年12月31日まで)。 2024年時点では、立教大学図書館司書コース兼任講師も務める。
神田 浩史(かんだ ひろし、生年非公表 - )は、日本の開発… 神田 浩史(かんだ ひろし、生年非公表 - )は、日本の開発コンサルタント、社会活動家、環境活動家。元外務省「国際協力に関する有識者会議」委員、元環境省検討会委員。岐阜県垂井町を拠点に、流域単位の循環型社会(「穏豊」社会)の構築を提唱・実践している。 京都市出身。京都大学農学部卒業。大学卒業後、開発コンサルタント企業に勤務。政府開発援助(ODA)の農業開発事業に従事し、タンザニア、ナイジェリア、バングラデシュなどの現場に駐在した。 帰国後、市民社会の立場から日本政府の政策策定に参画。2008年には外務省「国際協力に関する有識者会議」委員として報告書策定に関与し、2009年には環境省「3Rエコポイントシステム導入促進のためのガイドライン検討会」委員に選出された。
中田 慶雄(なかた よしお)は、新中国の建設に参加した活動家… 中田 慶雄(なかた よしお)は、新中国の建設に参加した活動家。日中経済交流コーディネーター。日本国際貿易促進協会理事長・副会長を務めるなど、日中の経済・貿易と友好交流、日中国交正常化のために活動した。 1930年(昭和5年)平屋村野添(現在の京都府南丹市美山町野添)に生まれる。平屋国民学校高等科(のちの平屋小学校)を卒業後、第二次世界大戦敗戦直前の1945年(昭和20年)5月に満蒙開拓青少年義勇軍として中国(旧満州)に渡る。敗戦後、ソビエト連邦軍に投降して捕虜となり延吉監獄(現在の延辺芸術劇場)で暮らす。 中国人農家に助けられて収容所を脱出。日本には帰国せず、中国東北部(旧満州)の石油化学工場などで働く。