森岡 利行(もりおか としゆき、1960年4月1日 - )は… 森岡 利行(もりおか としゆき、1960年4月1日 - )は、日本の脚本家・映画監督・演出家。 大阪府八尾市出身。20代の頃は舞台俳優として、状況劇場、ブリキの自発団、劇団離風霊船といった劇団を転々とした。1993年に劇団「ストレイドッグ」を結成する。1995年に「新・悲しきヒットマン」で脚本を書き、2000年に「クラヤミノレクイエム」で映画を監督し、2004年に映画化企画『路地裏の優しい猫』が第3回日本映画エンジェル大賞を受賞したのちに映画化されて、2008年に「子猫の涙」として公開された。第20回東京国際映画祭「日本映画 ある視点」部門で特別賞を受賞した。現在は脚本、映画監督、舞台演出などの活動が主である。
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阪本 順治(さかもと じゅんじ、1958年10月1日 - )… 阪本 順治(さかもと じゅんじ、1958年10月1日 - )は、日本の映画監督、脚本家。『大鹿村騒動記』や『北のカナリアたち』などを手がけたことで知られている。 大阪府堺市出身[リンク切れ]。実家は仏具店で、家の前に東映の封切館「堺銀座東映パール」があった。子どもの頃は東映ヤクザ映画の全盛期で、お客が映画館に押し寄せ、紛れてタダ見した。もし家の前の映画館が東映ではなく松竹だったら、人情喜劇でデビューしていたと思うと話している。東映作品を一本だけ選ぶなら『森と湖のまつり』という。大阪府立三国丘高等学校時代は家に閉じこもり、友達は一人もいなかったという[リンク切れ]。大きな影響を受けたのが大島渚で、大島のシナリオを読み漁っていたら、学生運動をしないといけないと思うようになった。
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黒田 秀樹(くろだ ひでき、1958年4月30日 - )は、… 黒田 秀樹(くろだ ひでき、1958年4月30日 - )は、日本のCMディレクター、映画監督。黒田秀樹事務所代表。信州大学特任教員。 大阪府豊中市出身。関西大学第一高等学校、関西大学社会学部卒業。 高校時代、大阪府豊中市内の中学同窓生を中心とした4人でロックバンド「銀童子」を結成し、ドラマーとして活動。1976年、高校3年生で大阪Aブロック代表のバンド「アラバマ」のドラマーとして8.8Rockday'76本大会に出場をはたしている。その後、人気バンド「ナッツベリーズ」に参加。CMディレクター・映画監督の中島信也とは高校時代の音楽仲間。 大学卒業後の1982年に電通映画社に入社。三共リゲインのCM「24時間タタカエマスカ」では自ら作詞したCMソング「勇気のしるし」が大ヒットした。
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香月 秀之(かつき ひでゆき、1957年2月4日-)は、日本… 香月 秀之(かつき ひでゆき、1957年2月4日-)は、日本の映画監督・脚本家。日本映画監督協会会員。 大阪府堺市出身。大阪府立登美丘高等学校、拓殖大学卒業。 ・1996年 KSS「仕切り屋五郎」 ・1996年 KSS「ワタシノカラダヲカエシテ」 ・1999年 映画『新宿やくざ狂犬伝』 ・ 2000年 映画「突破者太陽伝」原作:宮崎学 ・2000年 映画『借王/シャッキング -THE MOVIE 2000-』 ・2000年 映画 『平成金融道 マルヒの女』 ・2003年 映画「北海の虎.望郷』 ・1995年 「仕切り屋五郎」 マンガ原作/漫画サンデー ・2000年 「借金帝王学」 スタープレス ・2010年 「君が踊る、夏」 角川文庫 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。
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スクリーミング・マッド・ジョージ(1956年10月7日 - … スクリーミング・マッド・ジョージ(1956年10月7日 - )は大阪府出身、在住の日本人エフェクト・アーティスト、シュルレアリスト、映画監督、歌手、システマインストラクター。初芝高等学校(現・初芝立命館中学校・高等学校)卒業。アメリカ合衆国を中心に活躍。本名:谷 譲治 (たに じょうじ)。 1956年、大阪は心斎橋の理髪店で長男として生を受ける。父親である稔は国内の理容大会に出場すれば必ず優勝するというほどの理容師で、日本人で初めて海外大会に出場も果たしたと言う。その後、父は欧米で技術を習得するなど意欲的に海外で活動し、ジョージの将来を決定付ける下地となった。因みに姉が二人おり、ヘアースタイリストとして現在フランクフルトにいる。
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旦 雄二(だん ゆうじ、1952年3月24日 - )は、日本… 旦 雄二(だん ゆうじ、1952年3月24日 - )は、日本の映画監督、脚本家、CMディレクター、映像クリエイターである。日本映画監督協会会員。 『城戸賞』『ACC賞』『経産省HVC賞』受賞。別名・檀 雄二。大阪府大阪市出身。武蔵野美術大学卒業。 大阪府大阪市生まれ。桃山学院高等学校、武蔵野美術大学(美術デザイン専攻)を卒業。1975年(昭和50年)よりフリーの映画助監督として渡辺護、山本晋也、中村幻児らにつく。見習いサードからセカンドを経てチーフを歴任。 1978年(昭和53年)からCMに従事。CMプロダクション「HAT Inc.(旧CAP)」にて制作、プロダクション・マネージャー、アシスタント・プロデューサー、CMプランナー、アシスタント・ディレクターを担当。
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大森 一樹(、1952年〈昭和27年〉3月3日 - 2022… 大森 一樹(、1952年〈昭和27年〉3月3日 - 2022年〈令和4年〉11月12日)は、日本の男性映画監督、脚本家。株式会社ファーストウッド・エンタテインメント代表取締役。日本映画監督協会理事、大阪芸術大学芸術学部映像学科学科長。血液型はAB型。 文芸作品から怪獣映画まで幅広いジャンルを手掛ける。独自の視点による人間描写が特徴である。 1952年に大阪府大阪市東住吉区に医師をしている父親の家で生まれる。1961年に父親の転勤で兵庫県芦屋市に転居、芦屋市立精道中学校、六甲高等学校、京都府立医科大学医学部卒業。医師免許を持つ映画監督という希少な人物でもある。 もともと漫画少年であり、手塚治虫や真崎守の作品などに影響を受ける。
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津島 勝(つしま まさる、1947年7月20日 - 2011… 津島 勝(つしま まさる、1947年7月20日 - 2011年5月4日)は、日本のテレビディレクター・映画監督。 大阪府大阪市出身。奈良女子大附属高校(現:奈良女子大学附属中等教育学校)を経て、1970年京都大学文学部史学科卒業。 大学生になるまで、映画は観たことが無かったという。 京大在学中、俳優・遠藤太津朗宅に家庭教師として出入りしていたのがきっかけで、遠藤の紹介により、東映撮影所に見学に行き、これが映画界との初の接点となった。これが縁となって、卒業後に東映テレビプロダクションの契約助監督となる。以後は主に東映京都製作のテレビ時代劇に助監督として就き、杉良太郎の推薦により、『遠山の金さん(第2シリーズ)』(テレビ朝日)で監督に昇格。
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和田 誠(わだ まこと、1936年〈昭和11年〉4月10日 … 和田 誠(わだ まこと、1936年〈昭和11年〉4月10日 - 2019年〈令和元年〉10月7日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、エッセイスト、映画監督。大阪府生まれ。 実父は築地小劇場の創立者メンバーの1人で、のち、ラジオドラマを多数演出し「ラジオの神様」と呼ばれた和田精。日劇レビューで演出家を担った山本紫朗は伯父にあたる。 妻は料理愛好家・シャンソン歌手の平野レミ。長男はロックバンド・TRICERATOPSの和田唱で、その妻は上野樹里。次男の和田率は元電通勤務で、現在は母・平野レミの料理サイト「remy」のクリエイティブ・ディレクター。率の妻は和田明日香。 父である精が勤務していたJOBK(現在のNHK大阪放送局)の当時の赴任地である大阪市東住吉区で生まれる。
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吉田 剛(よしだ たけし、1935年3月2日 - 2018年… 吉田 剛(よしだ たけし、1935年3月2日 - 2018年11月17日)は、日本の脚本家・映画監督である。本名同じ。大阪府堺市生まれ。 1958年、関西大学文学部卒業後、松竹大船撮影所に入社。助監督として小林正樹、篠田正浩、斎藤耕一らの作品につく。それと並行して、野村芳太郎の『おはなはん・第二部』(1966年)、小林『化石』(1975年)、瀬川昌治『哀しい気分でジョーク』(1985年)、佐藤純彌『敦煌』(1988年)や、『必殺シリーズ』(ABC)などのテレビドラマのシナリオを執筆。 1992年、野村芳太郎が急病のため、映画『復活の朝』で監督も兼任する。 1990年代の「月刊ドラマ」誌上における近況報告や随筆では、幕末におけるアメリカ人の傲慢さなども例に挙げて反米主義者を自称していたこともあった。
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須藤 久(すどう ひさし、1933年10月18日 - 201… 須藤 久(すどう ひさし、1933年10月18日 - 2017年1月2日)は、日本の映画監督、脚本家、映画評論家、思想評論家。 ドキュメンタリー映画や思想や生き方についての評論集の著作を数多く輩出している。 大阪府生まれ、幼少期に山口県下関市に移住、戦時中に川棚温泉に疎開後、再び下関市に戻り旧制豊浦中学に入学、学校制度の変更後山口県立豊浦高等学校在学中、新聞部に所属、山口県秋吉台でおこなわれた1泊2日の反戦・平和キャンプ集会に参加、県警警備部刑事の撮影した写真によって参加が学校に明るみに出て、反省文を提出すれば無期停学にするという学校の処分を、何もやましい事がないのに反省文は出せないと拒否し、強制退学となる。
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須川 栄三(すがわ えいぞう、1930年〈昭和5年〉9月8日… 須川 栄三(すがわ えいぞう、1930年〈昭和5年〉9月8日 - 1998年〈平成10年〉10月2日)は、日本の映画監督、脚本家。代表作に『野獣死すべし』『君も出世ができる』『蛍川』など。 大阪府大阪市西区新町で石綿(アスベスト)製造販売業の家に生まれ、旧制大阪府立八尾中学校(現・大阪府立八尾高等学校)、旧制姫路高等学校(現・神戸大学)を経て、1953年(昭和28年)東京大学経済学部を卒業し、東宝に入社。映画界入りのきっかけは、終戦直後の日本に大量に輸入された外国映画の洗礼を受けたことだった。 助監督時代に執筆したシナリオ『危険な英雄たち』が、1957年に鈴木英夫監督、石原慎太郎主演によるピカレスク(悪漢小説)・ドラマ『危険な英雄』として製作・公開され、シナリオも書ける助監督の有望株として評価を受ける。
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田中 徳三(たなか とくぞう、1920年9月15日 - 20… 田中 徳三(たなか とくぞう、1920年9月15日 - 2007年12月20日)は、日本の映画監督である。関西学院大学文学部卒業。大阪市東区(現・中央区)船場出身。
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武智 鉄二(たけち てつじ、旧字体:鐡二、1912年〈大正元… 武智 鉄二(たけち てつじ、旧字体:鐡二、1912年〈大正元年〉12月10日 - 1988年〈昭和63年〉7月26日)は、大阪市出身の日本の演劇評論家、演出家、映画監督。役者の型や口伝に影響されない狂言作者の意図に忠実な武智歌舞伎を世に問うたことで知られる。歌舞伎のみならず、能や文楽、オペラ、舞踏、映画の演出も手がけ、わいせつ図画公然陳列罪で起訴された「黒い雪裁判」の被告人の一人としても知られる。本名ははじめ武智 鐡二、のち西村 鐡二(にしむら てつじ)、のち川口 鐡二(かわぐち てつじ)。 日本演劇学会、伝統芸術の会、日本文芸家協会、日本オペラ協会、日本演劇協会、各会員。 1912年、大阪市梅田に生まれる。
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中川 順夫(なかがわ のりお、1909年9月5日 - 200… 中川 順夫(なかがわ のりお、1909年9月5日 - 2004年)は、日本の映画監督、脚本家である。伊世 亜夫の筆名も持つ。 1909年(明治41年)9月5日、大阪府に生まれる。 1926年(大正15年)、旧制・大阪府立今宮職工学校(現在の大阪府立今宮工科高等学校)を卒業、1930年(昭和5年)、新興キネマ演出部に入社した。1934年(昭和9年)、田坂具隆監督の『月よりの使者』に助監督としてついた後に、脚本部に異動した。1939年(昭和14年)、須山真砂樹監督の『泣き笑ひの天国』で脚本家としてデビューした。 その後、読売新聞社映画部、日本映画社に移籍し、ドキュメンタリー映画の製作に携わる。1940年(昭和15年)、『オモチャの科学』で監督としてデビューした。
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曾根 純三(そね じゅんぞう、1898年9月13日 - 没年… 曾根 純三(そね じゅんぞう、1898年9月13日 - 没年不詳)は、日本の映画監督、脚本家である。本名曾根 為一(そね ためいち)。椎名 良太(しいな りょうた)名義で脚本を書き、のちに監督名を曾根 千晴(そね ちはる)と変えた。戦前の「職人監督」である。 1898年(明治31年)9月13日、大阪市東区(現在の中央区 (大阪市)北部・東部)に生まれる。香川県出生説あり、本人は否定している。旧制大阪府立天王寺中学校(現在の大阪府立天王寺高等学校)を卒業したのち、神戸のパルモア英学院(現在のパルモア学院専門学校)を中退、証券会社勤務、警察官を経て、劇団の脚本部にいたところ、撮影技師の三木茂、杉山公平と知り合い、西宮市甲陽園にある東亜キネマ甲陽撮影所の脚本部に入社した。
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野淵 昶(のぶち あきら、1896年〈明治29年〉6月22日… 野淵 昶(のぶち あきら、1896年〈明治29年〉6月22日 - 1968年〈昭和43年〉2月1日)は日本の舞台演出家、映画監督。 1896年6月22日、奈良県奈良市油留木町に生まれる。同市の花芝町に暮らす祖父母のもとで育てられる。祖父である野淵龍潜が1909年に亡くなった後、現在の大阪府堺市に移住。1914年、堺中学校(現在の三国丘高校)卒業後、同志社大学神学部、京都帝国大学文学部英文科で学ぶ。 京都帝国大学在学中の1918年、エラン・ヴィタール小劇場を結成して日本の戯曲家では武者小路実篤、秋田雨雀、久米正雄、谷崎潤一郎らの劇、海外の戯曲家ではアントン・チェーホフ、アルトゥル・シュニッツラー、ロード・ダンセイニ、グレゴリー夫人、ジョン・ミリントン・シング、ショーン・オケイシーらの劇を上演。
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直木 三十五(なおき さんじゅうご、1891年2月12日 -… 直木 三十五(なおき さんじゅうご、1891年2月12日 - 1934年2月24日)は、日本の小説家、脚本家、映画監督。本名は植村 宗一(うえむら そういち)。弟は東洋史学者の植村清二。エンターテインメント系の作品に与えられる直木三十五賞(通称:直木賞)は、彼に由来する。 1891年2月12日、現在の大阪市中央区安堂寺町2丁目に生まれる。 父の反対を押して早稲田大学英文科予科を経て、早稲田大学高等師範部英語科へ進学したが、月謝未納で中退。しかし早稲田大学へは登校し続けており、卒業記念写真の撮影にも参加している。 1920年、久米正雄、吉井勇、田中純、里見弴らによって創刊された『人間』の編集を担当。
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仲谷 進(なかたに すすむ )は日本の特殊メイクアーティスト… 仲谷 進(なかたに すすむ )は日本の特殊メイクアーティスト、映画監督、映画特技監督。 1966年、大阪生まれ。大阪府立佐野工業高等学校機械科卒業。大阪モード学園メイクアップアーティスト学科卒業 1987年、特殊メイクアップアーティストの神風太郎に師事。 1992年、特殊メイクスタジオKID`S COMPANYを設立。特殊メイク専門工房として大阪に事務所を設立。以降、TVや映画、CM、MV、イベントなどの特殊メイクを手がける。 ECCアーティスト専門学校 特殊メイクコース、大阪デザイナー専門学校 特殊メイクコースを立ち上げ、若手育成に力を注ぐ。 現在、大阪モード学園非常勤講師を勤める。 工房にてスクール開校。
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藤原 知之(ふじわら ともゆき)は、日本の演出家、映画監督。… 藤原 知之(ふじわら ともゆき)は、日本の演出家、映画監督。大阪府大阪市生まれ。 明治大学理工学部卒業後、バラエティー番組、CM、MVのディレクター業務と平行して映画監督・堤幸彦の元で助監督としてキャリアを積む。連続ドラマTBS『家族八景 Nanase,Telepathy Girl's Ballad』で初監督。以降、テレビ朝日『警部補 矢部謙三』第2シリーズなどを演出。映画『幸せの青い鳥居』は国際短編映画祭 SHORT SHORTS FILM FESTIVAL & ASIA 2013で入選、ベストアクターアワードを受賞した。映画「U・F・O 〜うしまどの、ふしぎなできごと〜」では、第12回山形国際ムービーフェスティバル2016グランプリを受賞。
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