笑福亭 伯枝(しょうふくてい はくし、本名:白江 修、196… 笑福亭 伯枝(しょうふくてい はくし、本名:白江 修、1961年4月22日 - )は大阪市旭区清水出身在住の落語家。出囃子は『白妙』。松竹芸能所属。既婚、子あり。 実家はペンキ屋で、父は塗装業。19歳の時から付き合い始めた、伯枝にとって初めての人である妻と結婚。恋愛経験は中学校の時に付き合った女性と妻の2人。 1982年10月1日に6代目笑福亭松鶴に入門。 1986年、第7回ABCお笑い新人グランプリ新人賞を受賞。 2008年9月22日から1週間ママチャリのみで滋賀県の琵琶湖を1周しながら各地で落語会を開いた。 2019年2月19日、人生初の手術。以降、禁酒、禁チョコ、禁アイス。後に、進行性直腸癌ステージⅢを公表。
笑福亭 岐代松(しょうふくてい きよまつ、1961年1月1日… 笑福亭 岐代松(しょうふくてい きよまつ、1961年1月1日 - )は、大阪府門真市出身の落語家。本名は橋尾 一岐代(はしお かずきよ)。出囃子は『どて福』。 枚方市立第一中学校 部活動は水泳部。 大阪府立淀川工業高等学校(現在の大阪府立淀川工科高等学校)部活動は吹奏楽で全国大会出場の経験がある。卒業後、1982年6月1日に6代目笑福亭松鶴に入門。所属事務所は松竹芸能。上方落語協会会員。 落語家で結成するバンド「ヒロポンズ・ハイ」及び 噺家ディキシーランドジャズバンド「ホーンなあほな」のドラマーでもある。 2025年10月、阿波踊り「噺家連」 にてアメリカ南ネバダ大学・ラスベガス公演出演。 2025年11月、 噺家ディキシーランドジャズバンド「ホーンなあほな」 にてCDデビュー。
七代目 月亭 文都(つきてい ぶんと、1960年9月12日 … 七代目 月亭 文都(つきてい ぶんと、1960年9月12日 - )は上方噺家。出囃子は「楠公」(替えは「おかめ」)。吉本興業所属。血液型はB型。本名は宮田 健司。月亭文都の当代であり、初名は「月亭八天」。 大阪府大阪市中央区出身。子供のころに初めて買った笑福亭仁鶴のレコード「仁鶴古典独演会」を聴いて落語に興味持ち、小学校の卒業文集には「将来の夢」と題して落語家になることを宣言している。しかし、高校時代から音楽に傾倒し作詞作曲をはじめる。オリジナル曲の総数約300曲。大学時代は大阪ミナミのライブハウスやキタのパブで弾き語りをしながら音楽アーティストを夢見る。そのときに気のない客がいたため、子どものころ聴いた落語や小咄をMCに挟んでみたところ振り向いてもらえるようになったことから、徐々に子どものころ憧れていた落語家を志すようになる。
笑福亭 晃瓶(しょうふくてい こうへい、1960年3月24日… 笑福亭 晃瓶(しょうふくてい こうへい、1960年3月24日 - )は落語家。松竹芸能所属。
六代目 立川 文都(たてかわ ぶんと、1960年1月31日 … 六代目 立川 文都(たてかわ ぶんと、1960年1月31日 - 2009年10月29日)は落語家。大阪府大阪市出身。本名∶国府 秀剛。落語立川流所属。出囃子は『せり』。 大阪学院大学外国語学部卒業後の1984年2月、七代目立川談志に入門。関西出身なので「立川関西」と名乗る。 1988年3月、二ツ目昇進して「談坊」と改名。 1998年10月、真打昇進し「六代目立川文都」を襲名。 2009年7月、公式ブログで癌であることを公表したが、10月29日に胃癌のため死去。49歳。 11月5日に千葉県習志野市で開かれた「習志野寄席」は急きょ文都を送る会になり、初めて直弟子を失った師匠の談志もかけつけて高座を務めた。
月亭 ハッチ(つきてい ハッチ、1959年9月9日 - )は… 月亭 ハッチ(つきてい ハッチ、1959年9月9日 - )は、大阪府堺市出身の上方落語家。本名は谷口裕司。上方落語協会会員。 大阪府立泉北高等学校出身。高校時代は初め書道部に所属していたが、名ビラ書きを期待されて連れていかれた寄席研究会で落語にはまる。その後、先輩に誘われて大阪芸術大学に入学するも中退。大学在学中の1978年8月21日、月亭可朝に入門。ケーエープロダクションでアルバイトをしていた所、関係者になんば花月に連れていかれて可朝に引き合わされ、そのまま弟子入りになったという。芸名はアニメ『昆虫物語 みなしごハッチ』の主人公・ハッチにちなむ。 入門してからは古典落語を主に演じているが、特に「夢八」を得意とし、師匠・可朝から多く稽古を付けてもらっている。
4代目 桂 梅枝(かつら ばいし、1959年6月21日 - … 4代目 桂 梅枝(かつら ばいし、1959年6月21日 - )は、上方落語の落語家。大阪府大阪市城東区出身。吉本興業所属、上方落語協会会員( - 2025年3月)。本名∶小出 良司。出囃子は『猩々』。 関西大倉高等学校出身で、兄弟子の桂枝女太は高校の先輩である。 1978年10月11日、3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝)に11番弟子として[要出典]入門。入門は枝女太が小文枝のもとに連れてきたという。 1980年代に『MBSヤングタウン』(土曜日)、『プロポーズ大作戦』、『ヤングおー!おー!』、『ノンストップゲーム』などに出演[要出典]。関西で人気を獲得する。 1991年、喘息の子供の転地療養のために北海道札幌市へ移住。
四代目 三遊亭 圓歌(さんゆうてい えんか、1959年〈昭和… 四代目 三遊亭 圓歌(さんゆうてい えんか、1959年〈昭和34年〉4月8日 - )は、落語家。本名∶野間 賢。落語協会所属。故郷の鹿児島弁の落語で注目を集めている。出囃子は『二ツ巴』。名跡「三遊亭圓歌」の当代であり、前名は三遊亭歌之介。 鹿児島県肝属郡錦江町(旧:大根占町)出身。末っ子で、兄と姉がいる。 小学校1年生の頃、京都に住んでいた際に両親が離婚し、母・ノキ子に連れられて兄、姉と共に夜行列車を乗り継いで鹿児島県に帰った。 帰郷後、ノキ子は家計を支えるために近所のラーメン屋で働いたが、「賢(圓歌)にラーメンを食べさせてあげる」と老女将の好意で御馳走になった際、「早う食もらんと(麺が)伸びるよ?」と問われた圓歌がおずおずと「このラーメン代、母ちゃんの給料から…引く?」と問い返したのにいたたまれなくなり、大根占に住む母(圓歌曰く「大根占の婆っばん」)に頼んで3人を預かってもらった上で自身は大阪の紡績工場に出稼ぎに行った。
笑福亭 仁勇(しょうふくてい にゆう、1958年9月4日 -… 笑福亭 仁勇(しょうふくてい にゆう、1958年9月4日 - 2017年12月16日)は、大阪市出身の落語家。本名は山澤 健二(やまさわ けんじ)。所属事務所はよしもとクリエイティブ・エージェンシー。上方落語協会会員。 大阪府立桜塚高等学校卒業式の(正式卒業は18年後)後、1977年4月1日に3代目笑福亭仁鶴に入門。 翌1978年、うめだ花月で初舞台。 笑福亭仁智、笑福亭仁福、松旭斎小天正とのコントグループ「大阪パイレーツ」メンバー。 阿波踊り「はなしか連」”中間管理職”。 彦八まつりでは第一回から実行委員を務め、上方落語協会広報誌「んなあほな」の名付け親でもある。 2015年には【大阪W選】の立候補者(柳本顕・栗原貴子)の演説の司会を務め、多くの聴衆を魅了した。
笑福亭 伯鶴(しょうふくてい はっかく、1957年〈昭和32… 笑福亭 伯鶴(しょうふくてい はっかく、1957年〈昭和32年〉2月26日 - )は大阪府東大阪市出身の落語家である。本名は丹羽 透。出囃子は『陽気に行こう』。 子供のころから祖父の落語好きの影響で道頓堀角座に連れられて通うようになる。素人名人会(毎日放送)に何度も出演し名人賞を受賞、大阪府立盲学校高等部卒業後、1975年3月10日に6代目笑福亭松鶴に入門。1975年に初舞台。 落語会のほか、人権公演なども積極的に行っている。 出囃子の『陽気に行こう』はカントリーソングのアレンジしたのを使用している。 2008年12月1日23時ごろ、仕事の打ち合わせからの帰宅途中に大阪市淀川区の阪急宝塚線三国駅でホームと電車の間に足を踏み外し10m程引きずられ、両足骨折や脳挫傷などで意識不明の重体に。
露の 都(つゆの みやこ、1956年1月21日 - )は、大… 露の 都(つゆの みやこ、1956年1月21日 - )は、大阪府堺市出身の落語家。露の都事務所(自らの個人事務所)所属。本名は小山 眞理子。出囃子は『都囃子』。 枕で話す身の回りに起こった出来事や女性目線のテーマを生かした噺は「みやこ噺」と呼ばれている。 子供の頃は笑福亭仁鶴のファンで毎日放送の『素人名人会』に出演し好評価を得る、その日の放送の審査員が3代目桂米朝ではなく2代目露乃五郎(のちの2代目露の五郎兵衛)だった。住吉学園高等学校卒業後、入門を何度か断られるも1974年3月に2代目露乃五郎に入門。1975年京都花月で初舞台。現役の中では、東西落語界で最年長の女性落語家である。 特技は「南京玉すだれ」「ご祝儀舞」。
桂 昇蝶(かつら しょうちょう、1955年3月1日 - )は… 桂 昇蝶(かつら しょうちょう、1955年3月1日 - )は、大阪府大阪市出身の落語家。松竹芸能所属、上方落語協会会員。本名∶東中 勉。出囃子は『馬かけ』。 大阪府立港高等学校卒業。 1973年6月14日に二代目桂春蝶に入門、「さなぎ」を名乗る。 1987年3月、「昇蝶」に改名。
桂 吉朝(かつら きっちょう、1954年11月18日 - 2… 桂 吉朝(かつら きっちょう、1954年11月18日 - 2005年11月8日)は、大阪府堺市出身の落語家。出囃子は、当初『芸者ワルツ』、のちに『外記猿』。本名:上田 浩久。 5人兄弟の末っ子で、生家は印刷業だった。大阪府立今宮工業高等学校では落語研究会に所属。高校時代から『素人名人会』に出演。このころ3代目桂米之助の元に稽古に通った。これは米之助が、吉朝も参加した素人寄席の「落語村」(福島勤労青少年ホーム)の指導をしていた縁による。3代目桂米之助からは『東の旅』をネタ付けされる。 高校卒業後は家業の手伝いを経て、1974年1月に3代目桂米朝に弟子入り。米朝を選んだ理由は、噺の知的センスだったという。
7代目 笑福亭 松鶴(しょうふくてい しょかく、1952年2… 7代目 笑福亭 松鶴(しょうふくてい しょかく、1952年2月19日 - 1996年9月22日)は、日本の落語家。出囃子は、『独楽』。前名は笑福亭 松葉で、死後7代目松鶴を追贈された。本名∶倉本 雅生。 大阪府大阪市西成区岸里に生まれる。小中学校(在学したのは、港区内の大阪市立波除小学校・大阪市立市岡中学校)を通じて学業成績はよかったが、「これからは手に職をもっている者が勝つ」という父の意向で大阪市立都島工業高等学校に進学する。高校卒業後、キリンビール尼崎工場に入社したが、まもなく落語家になることを決意し、1970年7月11日に6代目笑福亭松鶴に入門した。この弟子入りに際しては、「一番怖そう」という理由で松鶴を選び、弟子入りを認めるかどうかの返信を求める往復ハガキを出した。
笑福亭 鶴瓶(しょうふくてい つるべ、1951年〈昭和26年… 笑福亭 鶴瓶(しょうふくてい つるべ、1951年〈昭和26年〉12月23日 - )は、日本の落語家、タレント、司会者、俳優。出囃子は『トンコ節』または『新ラッパ』。本名は、駿河 学(するが まなぶ)。身長170 cm。 大阪府中河内郡長吉村(現・大阪市平野区)出身で、兵庫県西宮市在住。所属事務所はデンナーシステムズ で、長年所属していた松竹芸能にも籍を残している。前述の通り、西宮市に本宅があるが、活動の拠点が東京であるため、港区にも別宅を持っている。 愛称は「べーさん」「べー師匠」「鶴瓶ちゃん」「まーちゃん」「まなぶくん」など。落語家として上方落語協会相談役を務めている。2025年現在、6代目笑福亭松鶴の存命の弟子の中では上から5番目にあたる。
桂 春若(かつら はるわか、1951年11月1日 - )は大… 桂 春若(かつら はるわか、1951年11月1日 - )は大阪府泉佐野市出身の、上方落語の落語家。本名は西口 雅彦(にしぐち まさひこ)。出囃子は『供奴』。松竹芸能所属。上方落語協会会員。妻は1973年5月に結婚した元漫才師の木村リップ・チップのチップ[要出典]。 子供のころは立川談志のファンであった。1967年に大阪の御堂会館で『笑点』の公開収録が行なわれた際に、高校を無断欠席の上で観覧して楽屋で弟子入り志願しようと待ち伏せしたものの、すでに談志が楽屋を後にしていたため出会えず、結局弟子入りは叶わなかった。その日の収録2本目で演芸コーナーを務めたのが3代目桂春団治であった(演目は『代書屋』)。
三林 京子(みつばやし きょうこ、1951年7月17日 - … 三林 京子(みつばやし きょうこ、1951年7月17日 - )は、日本の女優、落語家、声優・ナレーター。本名、宮永 佳代子。 大阪市住吉区(現・住之江区)粉浜出身。米朝事務所所属。文化審議会委員と大阪府教育委員、大阪芸術大学短期大学部専任教授などを歴任した。 実父は文楽の人形遣いで人間国宝の二世桐竹勘十郎。弟は同じく人形遣いの三世桐竹勘十郎(前名・吉田簑太郎)。同二世吉田簑太郎は甥に当たる。 文楽の人間国宝の家に生まれ育ったが、子供時代にNHK大阪放送児童劇団に入団。大谷中学校在学中の1965年より、東宝所属の大物女優・山田五十鈴に師事した。 1970年に大谷高等学校を卒業後、東宝演劇部と契約。
露の 新治(つゆの しんじ、1951年〈昭和26年〉1月8日… 露の 新治(つゆの しんじ、1951年〈昭和26年〉1月8日 - )は、大阪府大阪市生野区生まれの上方落語の落語家。本名∶前川 弘行。出囃子は『金毘羅船々』。 大阪府立生野高等学校を経て、大阪市立大学文学部中国文学科を卒業した。在学中は「大衆芸能研究会」を設立して、落語を演じる。 落語家志望だったが「堅気の仕事ではない」という理由でサラリーマンや家業の手伝いをした。1975年12月に林家染三に入門、「林家しん三」を名乗る。染三入門後の1976年8月から奈良市立春日中学校の夜間学級設立運動に参加する。この運動参加により「やりたいことをやるべきだ」と考えを改めた。1977年10月に「林家さん二」に改名した。
4代目 桂 小文枝(よんだいめ かつら こぶんし、1951年… 4代目 桂 小文枝(よんだいめ かつら こぶんし、1951年1月5日 - )は、日本の落語家。本名は立入 勉三。所属事務所は吉本興業。上方落語協会会員(相談役)。上方落語を聴く会会長(副会長は桂小枝)。大阪府大阪市城東区出身。現在[いつ?]は大阪府豊中市在住[要出典]。2019年2月までの高座名は桂きん枝(一時期別の高座名を名乗ったこともある。詳細は後述)。 お笑いコンビ・バンビーノの藤田裕樹は、甥(姉の子)にあたる[要出典]。 本名の苗字の「立入」は母方の姓で母は滋賀県の出身、父は畳職人をしていた[要出典]。 成城工業高校卒業後にエレベーター会社に勤めるが退職し、1969年7月、3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝)に入門。
桂 きん枝(かつら きんし、1951年1月5日 - )は、日… 桂 きん枝(かつら きんし、1951年1月5日 - )は、日本の落語家。本名は立入 勉三(たちいり べんぞう)。所属事務所は吉本興業。上方落語協会会員(理事)。上方落語を聴く会会長(副会長は桂小枝)。大阪市城東区出身。現在は、大阪府豊中市在住。
4代目 桂 春団治(かつら はるだんじ、1948年7月20日… 4代目 桂 春団治(かつら はるだんじ、1948年7月20日 - )は、大阪府北河内郡寝屋川町(現・寝屋川市)出身の落語家。 桂春団治の当代である。所属事務所は松竹芸能。上方落語協会相談役。本名∶山城 彰。出囃子は「野崎」。 大阪府立桜塚高等学校在学中の1965年10月、3代目桂春団治宅に電話し入門志願した。しかし春団治から「わしの家はうどん屋やない」とつき返され、数日後に道頓堀角座で出待ちし弟子入りした。高座名は桂春章。1967年3月に高校卒業後、正式に入門し内弟子生活を送る。初舞台は1968年の新世界新花月だったが、途中で施設が火事になった。 1968年2月に4代目桂春之助に改名。テレビ番組「2時のワイドショー」では、ミヤコ蝶々から「はるさん」と呼ばれ、ダメ出しをされる役割で知られた。
月亭 八方(つきてい はっぽう、1948年〈昭和23年〉2月… 月亭 八方(つきてい はっぽう、1948年〈昭和23年〉2月23日 - )は、上方の落語家。上方落語協会顧問。出囃子は『夫婦萬歳』。大阪府大阪市福島区出身、大阪市福島区在住。吉本興業所属。浪商高等学校(現:大阪体育大学浪商高等学校)出身。関西学院大学経済学部オープンカレッジコース(1年)修了。弟子の月亭八光は長男。 子供の頃は病気がちだった。父親は銀行員、母は大衆演劇のファンで、八方が売れてからは地元福島区でお好み焼き屋を営んでいた。妻は大衆演劇出身で、九州にいた頃には吉本新喜劇の木村進と共演経験もあった。 八方自身の子供の頃の夢は、プロ野球選手と漫才師であった。まずはプロ野球選手を目指そうと浪商高校に進学するものの、周りのレベルの高さから夢を断念(2学年上には主将の高田繁がいる)。
4代目 林家 小染(はやしや こそめ、1947年6月11日 … 4代目 林家 小染(はやしや こそめ、1947年6月11日 - 1984年1月31日)は、大阪府大阪市出身の上方噺家。本名: 山田 昇(やまだ のぼる)。出囃子は『たぬき』。
桂 朝太郎(かつら ちょうたろう、1946年2月11日 - … 桂 朝太郎(かつら ちょうたろう、1946年2月11日 - )は大阪府出身の落語家。本名は小田 幸吉(おだ こうきち)。大阪高等学校出身。独身。愛称は「朝(ちょう)さん」。
和多田 勝(わただ まさる、1942年1月20日 - 199… 和多田 勝(わただ まさる、1942年1月20日 - 1994年1月31日)は、上方噺家・エッセイスト・イラストレーター・タレント。芸名は笑福亭小つる(しょうふくてい こつる)。5代目笑福亭松鶴の孫(娘の子)で、6代目松鶴の甥にあたる。 大阪市に生まれ、生家は呉服屋、子供の頃から祖父・5代目松鶴に連れられ寄席通いをした。1947年7月に正式に5代目松鶴に入門し「笑福亭小つる」を名乗り、翌年1月に大阪市今里の双葉館で初舞台を踏む。小唄や寄席踊りで高座を勤め人気者になる。中学校卒業頃まで高座を勤め、大阪市立工芸高等学校を入学と同時にいったん廃業し学業に専念。 高校の美術油絵科を卒業後の1963年、そごう宣伝部に就職し、1970年まで勤める。
桂 音也(かつら おとや、1935年10月4日 - 1978… 桂 音也(かつら おとや、1935年10月4日 - 1978年3月28日)は、上方落語の落語家(上方噺家)で、フリーアナウンサー。本名は今井 清之。 大阪府箕面市に生まれる[要出典]。 神戸大学法学部卒業後、1960年に朝日放送にアナウンサーとして入社した。スポーツ番組や歌番組、演芸番組を担当する。後輩の道上洋三、乾浩明らと落語研究会を作り趣味で落語を始めた、この会には客として桂米朝一門の3代目桂米朝、2代目桂枝雀(当時は桂小米)や漫才作家の三田純市らが見に来ていた。会では主に古典落語を演じていた、これがきっかけで桂枝雀の教えを乞うようになる。[要出典] 1967年に朝日放送を退職してフリーの司会者となる。
3代目 桂 春団治(かつら はるだんじ、1930年〈昭和5年… 3代目 桂 春団治(かつら はるだんじ、1930年〈昭和5年〉3月25日 - 2016年〈平成28年〉1月9日)は、上方落語の落語家。本名:河合 一。大阪府大阪市出身。所属事務所は松竹芸能。上方落語協会会員で死去時点で相談役、1977年から1984年までは第3代会長を務めた。出囃子は『野崎』。2代目桂春団治は実父であり師匠。 2代目桂春団治は実父、河本寿栄は義母。実母とは死別している。兄が早世したため、長男の扱いであった。 浪華商業学校(現在の大阪体育大学浪商高等学校)では野球部で夜まで練習する生活を送った。卒業後、兵庫県宝塚市の自動車部品販売会社でサラリーマンとなる。本人にも父にも落語家の道に進む考えはなかった。
月亭 天使(つきてい てんし、8月26日 - )は、日本の落… 月亭 天使(つきてい てんし、8月26日 - )は、日本の落語家。血液型はB型。本名は福田 和栄。上方落語協会会員。 大阪府豊中市出身。大阪府立渋谷高等学校、龍谷大学文学部哲学科を卒業後、京都の出版社に勤務した。退社後、派遣会社で働きながら大阪シナリオ学校で漫才・落語の台本を学んだ後、2008年から天満天神繁昌亭にてアルバイト。その傍ら、新作落語の会「もぎた亭」に参加したり、ピッコロ演劇学校で演劇を学んだ。 一方で、台本を書くことにより「女性の気持ちを書きたい。ならば、自分がやった方が早い」と思うようになり、落語家への転身を決め、2010年2月16日に月亭八天(現:7代目月亭文都)に弟子入り。「天使」の名は師匠の当時の名・八天の字を取ったもので、師匠によって名づけられた。
林家 染雀(はやしや そめじゃく)は、落語家・色物の名。過去… 林家 染雀(はやしや そめじゃく)は、落語家・色物の名。過去に染雀を名乗った人物が数名確認できる。 林家 染雀(はやしや そめじゃく、1967年8月8日 - )は、大阪府八尾市出身の落語家。本名∶東 精一。大阪大学文学部卒業。吉本興業所属。上方落語協会会員。 叔母はオペラ歌手の東敦子。 1992年4月3日に4代目林家染丸に入門。音曲噺や芝居噺を得意とする。彦八まつりにて奉納する「住よし踊」では、染丸の後を継いでリーダー的存在として活動。 色物での活動として、1999年、3代目桂あやめとの音曲漫才コンビ『姉様キングス』を結成。またピンでは、衣装を前後ろ逆に着用し、後頭部に面をつけて背中を観客に見せながら踊る「うしろ面」を演じる。