奥野 良之助(おくの りょうのすけ、1931年8月29日 -… 奥野 良之助(おくの りょうのすけ、1931年8月29日 - )は、日本の生物学者、生態学者。 大阪府大阪市生まれ。京都大学大学院理学研究科3年中退。神戸市立須磨水族館勤務後、金沢大学理学部生物学科助教授。1997年退職。
大阪府:572人
奥野 良之助(おくの りょうのすけ、1931年8月29日 -… 奥野 良之助(おくの りょうのすけ、1931年8月29日 - )は、日本の生物学者、生態学者。 大阪府大阪市生まれ。京都大学大学院理学研究科3年中退。神戸市立須磨水族館勤務後、金沢大学理学部生物学科助教授。1997年退職。
坂本 重雄(さかもと しげお、1931年8月25日 - 20… 坂本 重雄(さかもと しげお、1931年8月25日 - 2001年4月29日)は、日本の法学者。専門は、労働法・社会保障法。学位は、法学博士(旧東京都立大学)。静岡大学名誉教授。日本労働法学会代表理事、日本社会保障法学会代表理事等を歴任。大阪府大阪市出身。 1951年兵庫県立柏原高等学校卒業。1955年神戸大学法学部卒業。1958年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了。吾妻光俊ゼミ出身。 1958年一橋大学法学部助手。1959年東京都立大学法経学部助手。1964年静岡大学文理学部助教授。1965年同人文学部助教授。1973年同人文学部教授。1979年静岡大学評議員(~1983年)。1983年同人文学部長(~1985年)。
杉本 尚次(すぎもと ひさつぐ、1931年4月27日- 20… 杉本 尚次(すぎもと ひさつぐ、1931年4月27日- 2022年2月20日)は、日本の地理学者・文化人類学者。専攻は文化地理学。国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。大阪市立大学文学部文学研究科博士課程修了。国立民族学博物館教授・第5研究部長を経て、1992年3月末をもって定年退職、同名誉教授。その後は関西学院大学教授、大阪人間科学大学教授を務めた。 1968年、学位論文「日本における民家の地理学的研究」で大阪市立大学より文学博士の学位を取得。 2022年2月20日、死去。90歳没。死没日付をもって正五位に叙され、瑞宝中綬章を追贈された。
古川 俊之(ふるかわ としゆき、1931年2月7日 - 20… 古川 俊之(ふるかわ としゆき、1931年2月7日 - 2014年10月21日)は、日本の医師・医学者。 大阪府堺市出身。大阪大学医学部卒、同大学院循環器内科博士課程修了、1960年医学博士。1961年阪大医学部助手、1972年講師、1975年東京大学医学部教授、1989年国立大阪病院院長。長崎県立大学学長・長崎県立公立大学法人副理事長を務めた。 1973年ベルツ賞2等賞受賞。
樋口 欣三(ひぐち きんぞう、1931年 - )は、日本の英… 樋口 欣三(ひぐち きんぞう、1931年 - )は、日本の英文学者、大阪市立大学名誉教授。 大阪市生まれ。大阪市立大学人文学部英文科卒、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。大阪市立大学助教授、教授、名誉教授、関西大学教授、2000年退職。18-19世紀の英国文学を研究した。
橋本 暢夫(はしもと のぶお、1931年 - 2024年12… 橋本 暢夫(はしもと のぶお、1931年 - 2024年12月17日)は、日本の国語教育学者。 大阪市生まれ。1954年広島大学教育学部卒業。和歌山県立桐蔭高等学校、広島県下の高等学校に勤務。1969年広島県教育委員会指導課指導主事、高等学校教育係係長・指導課課長補佐。広島県立高等学校教頭、1980年大分大学助教授、教授。1989年鳴門教育大学教授、評議員、付属図書館長となり「大村はま文庫」を創設、1990年大村はま賞受賞。1997 - 2003年徳島文理大学教授。2002年「中等学校国語科教材史研究 現代文教材化の状況とその史的役割を中心に」で広島大学博士(教育学)。専攻は国語教育学、国語教育史研究。
大野 喜久之輔(おおの きくのすけ、1930年〈昭和5年〉1… 大野 喜久之輔(おおの きくのすけ、1930年〈昭和5年〉12月16日 - 2023年〈令和5年〉10月)は、日本の経済学者、神戸大学名誉教授、広島市立大学名誉教授、第18期日本学術会議会員。元ロシア・東欧学会副代表理事。大阪市東成区生まれ。
上野 俊一(うえの しゅんいち、1930年〈昭和5年〉12月… 上野 俊一(うえの しゅんいち、1930年〈昭和5年〉12月8日 - 2020年〈令和2年〉10月3日)は、日本の昆虫学者、昆虫分類学者、動物学者、洞窟生物学者。大阪府茨木市出身。父は動物学者の上野益三。妻は上野美子。 元国立科学博物館動物研究部長、名誉研究員、ハーバード大学昆虫学研究室客員研究員(Darlington Lab.)。元日本鞘翅学会会長、元日本洞窟学会会長。 オサムシ科の分類を専門としており、特に地下浅層に生息するメクラチビゴミムシ類の研究では多数の新種の記載論文を発表し、世界的権威である。 また、1957年の地下水に棲むムカシゲンゴロウとメクラゲンゴロウの発見は、日本で初めての地下水環境からの昆虫の発見であり、ムカシゲンゴロウは世界で初めてのゲンゴロウ科以外の地下水性甲虫の発見として知られている。
豊島 久真男(とよしま くまお、1930年10月5日 - )… 豊島 久真男(とよしま くまお、1930年10月5日 - )は、日本の医学者。東京大学名誉教授。大阪大学名誉教授。専攻はウイルス学・腫瘍学。1969年に世界で初めてトリ肉腫ウイルスからガン遺伝子を発見。この分野の先駆けとしてその後のガン研究に大きな貢献をした。84~94年には「対ガン10カ年総合戦略」の研究総括。また、DNAのガイドライン策定に参加。ヒトクローン倫理問題でも総合科学技術会議文部科学省専門委員会の委員や科学技術・学術審議会生命倫理・安全部会 特定胚及びヒトES細胞研究専門委員会の主査などを務めた。1998(平成10)年文化功労者。2001(平成13)年文化勲章受章。医学博士(大阪大学、1959年)。大阪府出身。
有馬 朗人(ありま あきと、1930年〈昭和5年〉9月13日… 有馬 朗人(ありま あきと、1930年〈昭和5年〉9月13日 - 2020年〈令和2年〉12月6日)は、日本の物理学者(原子核物理学)、俳人、政治家。位階は正三位。旭日大綬章。学位は理学博士(東京大学、1958年)。東京大学名誉教授、財団法人日本科学技術振興財団会長、科学技術館館長、武蔵学園学園長、公立大学法人静岡文化芸術大学理事長(初代)。文化勲章受章者。 国立大学協会会長(第14代)、東京大学総長(第24代)、理化学研究所理事長(第7代)、参議院議員、文部大臣(第125代)、科学技術庁長官(第58代)などを歴任した。 主に、原子核物理学の分野で国際的に知られ、原子核構造論などで多くの業績を上げた。
川嶋 康生(かわしま やすなる、1930年〈昭和5年〉8月2… 川嶋 康生(かわしま やすなる、1930年〈昭和5年〉8月23日 - )は、日本の医学者、医師。国立循環器病センター名誉総長。大阪大学名誉教授。医学博士(大阪大学、1961年)。 大阪府出身。1943年(昭和18年)大阪府池田師範学校附属国民学校(現:大阪教育大学附属池田小学校)卒業。大阪府立豊中中学校(旧制)、旧制大阪府立浪速高等学校を経て京都大学工学部に入学するも中退。その後、大阪大学医学部に入学し、卒業。 体外循環の安全性の向上の研究を行い、先天性心臓奇形に対する川島手術など多くの新しい手術を世界に先駆けて発表するなど、日本の心臓外科医の第一人者として活躍。学校法人大阪薬科大学の理事長なども務めた。
石井 威望(いしい たけもち、1930年7月26日 - 20… 石井 威望(いしい たけもち、1930年7月26日 - 2024年10月5日)は、日本のシステム工学者。東京大学名誉教授。アカデミーヒルズリサーチ・ネットワーク所長。工学博士(東京大学・1963年)。大阪市生まれ。 専門はシステム工学・マルチメディア。テクノポリス(高度技術集積都市)構想を推進し、未来社会論で独創性を見せる。著書に『日本人の技術はどこから来たか』(1997年)、『iバイオテクノロジーからの発想』(2000年)など。 東京大学に在学中、ノーバート・ウィーナーの『サイバネティックス』を読んで、医学から工学に転じた。その後、システム工学、管理工学、応用工学から人工臓器、都市交通システムまで幅広い分野で活躍したが、専門はシステム工学・マルチメディアである。
伊原 吉之助(いはら きちのすけ、1930年3月17日 - … 伊原 吉之助(いはら きちのすけ、1930年3月17日 - )は、昭和、平成の台湾問題学者、比較近代史学者。 大阪府堺市生まれ。大阪府立堺中学校(現在の大阪府立三国丘高等学校)、大阪市立都島工業専門学校電気科(現在の大阪市立大学工学部)を経て、1950年、神戸大学経済学部入学。1959年、神戸大学大学院経済学研究科修了。 大学院修了後、龍谷大学経済学部講師を経て、1964年帝塚山大学教養学部助教授。1971年、同教授。2000年、定年退職し名誉教授。日亜協会会長
金森 順次郎(かなもり じゅんじろう、1930年(昭和5年)… 金森 順次郎(かなもり じゅんじろう、1930年(昭和5年)3月7日 - 2012年(平成24年)11月13日)は、日本の物理学者、理学博士。大阪大学名誉教授。位階は従三位。 第13代大阪大学総長、財団法人国際高等研究所所長、財団法人国際高等研究所上級研究員、財団法人山田科学振興財団理事長を務めた。 大阪市出身。近畿日本鉄道(近鉄)の実質的な創業者の一族に生まれたが、順次郎は嫡流でなかったこともあり、学界へと進んだ。
澤井 裕(さわい ゆたか、1930年2月15日 - 2003… 澤井 裕(さわい ゆたか、1930年2月15日 - 2003年7月10日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(大阪大学・論文博士・1971年)(学位論文「公害の私法的研究 」)。関西大学名誉教授。大阪府出身。 大阪府大阪市生まれ。大阪府立豊中中学(現・豊中高校)、旧制浪速高校を経て、1949年大阪大学医学部に入学。その後、1953年に法学部に転部、1955年同学部を卒業。1957年大阪大学大学院修士課程修了、関西大学法学部助手。1960年同専任講師、1963年同助教授、1969年同教授に昇進。1973年から1974年まで関西大学学生部長を務め、1980年から1981年まで関西大学法学部長を務めた。
畑中 幸子(はたなか さちこ、1930年 - )は、日本の文… 畑中 幸子(はたなか さちこ、1930年 - )は、日本の文化人類学者、中部大学名誉教授。専門は、オセアニア研究、民族問題研究。 大阪市生まれ。和歌山県立田辺高校(和歌山県立田辺中学校・高等学校)、早稲田大学を経て、1968年東京大学大学院社会学研究科博士課程修了、「プカルア 環礁に住むポリネシア人の社会・経済的研究」で社会学博士。ニューギニア奥地に単身居を構え、未開の民族を調査していた畑中を、友人の作家有吉佐和子が訪ねた記録は、有吉の『女二人のニューギニア』(朝日新聞社後朝日文庫)というエッセイとなっている。オーストラリア国立大学高等研究所太平洋地域研究部。金沢大学文学部助教授、教授、国立民族学博物館併任教授。
森田 康夫(もりた やすお、1930年 - )は、日本史学者… 森田 康夫(もりた やすお、1930年 - )は、日本史学者、樟蔭東女子短期大学名誉教授。 大阪市生まれ。立命館大学大学院日本史研究科修士課程修了。樟蔭東女子短期大学教授、2001年定年、名誉教授。2009年「大塩平八郎と陽明学」で立命館大学文学博士。
高橋 敷(たかはし おさむ、1929年12月11日-2015… 高橋 敷(たかはし おさむ、1929年12月11日-2015年7月6日)は、宇宙物理学者、教育評論家。 大阪府堺市出身。松山高等学校(旧制)卒、京都大学理学部卒、1959年同大学院宇宙物理学博士課程満期退学、小・中・高校教師ののち、宇宙学者・教育研究者として南米、ヨーロッパに招かれ、八年間を過ごす。ペルー中部大学教授(教育学)、ベネズエラ東部大学教授(理学部)を務め、その体験に基づいた『みにくい日本人』がベストセラーとなる。のち大阪府教育研究所。東海学園大学教授を務めた。
堀口 亘(ほりぐち わたる、(旧姓:松元、1964年4月改姓… 堀口 亘(ほりぐち わたる、(旧姓:松元、1964年4月改姓)、1929年7月14日 - )は、日本の法学者。専門は、商法・金融商品取引法。学位は、学士(東京商科大学)。一橋大学名誉教授。元日本商品先物取引協会会長、元日本私法学会理事。授勲瑞宝中綬章。 田中誠二(一橋大学名誉教授)門下。長男は商法学者の堀口勝(東洋大学准教授)。指導学生に川村正幸(一橋大学名誉教授)、野田博(一橋大学教授)等がいる。 指導学生には川村正幸(一橋大学名誉教授)、芳賀良(横浜国立大学教授)、古山正明(長崎大学教授)、品谷篤哉(立命館大学教授)、野田博(一橋大学教授)、布井千博(一橋大学教授)、諏訪康雄(法政大学名誉教授)、土橋正(青山学院大学教授)、吉田正之(新潟大学教授)等がいる。
谷沢 永一(たにざわ えいいち、谷澤 永一とも、1929年6… 谷沢 永一(たにざわ えいいち、谷澤 永一とも、1929年6月27日 - 2011年3月8日)は、日本の国文学者、文芸評論家、書誌学者。専門は書誌学、日本近代文学。関西大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。大阪市立大江小学校、旧制大阪府立天王寺中学校(現在の大阪府立天王寺高等学校)を経て、1947年関西大学予科に入学。1952年関西大学文学部国文学科卒業。1955年関西大学文学部助手、1957年関西大学大学院文学研究科博士課程単位取得。1959年同大学文学部専任講師、1962年同助教授、1968年同教授。1972年「日本近代文学評論史研究」で関西大学より文学博士の学位を取得。 1980年、書評コラムを集めた『完本 紙つぶて』でサントリー学芸賞を受賞。
渥美 和彦(あつみ かずひこ、1928年9月25日 - 20… 渥美 和彦(あつみ かずひこ、1928年9月25日 - 2019年12月31日)は、日本の医学者。専門は医用工学。東京大学名誉教授。医学博士。大阪府出身。旧制北野中学校、旧制第三高等学校、東京大学医学部卒業。 渥美と漫画家・医師の手塚治虫は旧制北野中学校(現:大阪府立北野高等学校)の同級生であり、手塚が『鉄腕アトム』に登場させたキャラクターであるお茶の水博士を描くに際しては同級生であった渥美をモデルの一人としたことを渥美本人に打ち明けている。
藤沢 友吉郎(ふじさわ ともよしろう、1928年7月26日 … 藤沢 友吉郎(ふじさわ ともよしろう、1928年7月26日 - )は、日本の経営者、薬学博士。藤沢薬品工業社長、会長を務めた。 大阪府大阪市出身。1953年に東北大学理学部化学科を卒業し、同年に藤沢薬品工業に入社。1970年11月に取締役に就任し、1972年11月に常務を経て、1976年6月に副社長に就任し、1978年1月には社長に昇格。1992年6月に会長に就任し、1998年6月に取締役相談役を経て、2005年4月からアステラス製薬相談役を務めた。 1993年11月に藍綬褒章を受章し、2002年11月に勲二等瑞宝章を受章。
安岡 重明(やすおか しげあき、1928年7月5日 - 20… 安岡 重明(やすおか しげあき、1928年7月5日 - 2017年6月12日)は、日本の経済学者・経営学者・歴史学者。同志社大学名誉教授。専門は、日本経済史・経営史。学位は、経済学博士(大阪大学・1959年)。近世経済史研究を皮切りに、主に近現代経済史・経営史特に三井財閥に関する研究で知られる。 大阪府大阪市出身。1953年大阪大学経済学部卒業。1959年同大学院博士課程修了、経済学博士の学位を授与される。同年同志社大学助手。1967年同大学教授。1980年同大学商学部長。1986年同大学教務部長を経て1999年同大学名誉教授。 2009年4月瑞宝中綬章受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
市原 明(いちはら あきら、1928年(昭和3年)6月20日… 市原 明(いちはら あきら、1928年(昭和3年)6月20日 - 2018年(平成30年)11月20日)は、日本の医学者(酵素病理学者)である。医学博士。 大阪市出身。市原硬大阪大学名誉教授の子。1952年(昭和27年)大阪大学医学部を卒業。1954年(昭和29年)から1957年(昭和32年)までアメリカに留学し、カルフォルニア大学、ジョンズ・ホプキンズ大学で学んだ。 1959年(昭和34年)大阪大学歯学部助教授に就任。1965年(昭和40年)徳島大学医学部教授に転じた。同大酵素科学研究センター長を務め、名誉教授となった。指導学生に田中啓二がいる。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。
黒田 実郎(くろだ じつお、1928年6月1日-1999年8… 黒田 実郎(くろだ じつお、1928年6月1日-1999年8月18日)は、幼児心理学者。 大阪市生まれ。1952年関西学院大学大学院心理学博士課程満期退学、ロンドン大学大学院心理学博士課程修了、聖和女子短期大学専任講師、55年助教授、61年教授、64年聖和女子大学教授、1970年「条件づけによる幼児の行動変容に関する実験研究」で関西学院大学文学博士。80年聖和大学教育学部教授。99年定年退任。没後正五位勲三等瑞宝章受勲。ジョン・ボウルビィのアタッチメント理論の権威であった。
山上 達人(やまがみ たつんど、1928年3月26日 - 2… 山上 達人(やまがみ たつんど、1928年3月26日 - 2004年)は、日本の会計学者。商学博士(論文博士・1971年)(学位論文「生産性会計論」)。大阪市立大学名誉教授、奈良産業大学名誉教授。 大阪市出身。大阪商科大学卒業。1960年大阪市立大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。1971年「生産性会計論」で商学博士の学位を取得。関西大学商学部講師、助教授、大阪市立大学商学部助教授、教授。1991年定年退官、名誉教授、奈良産業大学教授。2003年退任、名誉教授。
木元 進一郎(きもと しんいちろう、1927年12月2日 -… 木元 進一郎(きもと しんいちろう、1927年12月2日 - 2012年5月25日)は、日本の経営学者。明治大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。1950年明治大学商学科卒、1972年「経営参加制度研究」で経営学博士の学位を取得。明治大学経営学部講師、助教授、1962年教授となり、1996年退任、名誉教授となり、浜松大学教授、同大学学長を務めた。 労務管理が専門で、労務理論学会の創設(1991年)に尽力し、同学会第二代会長、最高顧問。2004年 旭日中綬章叙勲。
吉田 寛(よしだ ひろし、1927年11月6日 - 2023… 吉田 寛(よしだ ひろし、1927年11月6日 - 2023年5月14日)は、日本の会計学者、兵庫県立大学名誉教授。 大阪市生まれ。1949年兵庫県立神戸経済専門学校(現・兵庫県立大学)卒業 (西洋経済史専攻)。1956年同志社大学商学部卒業(会計学専攻)、1958年神戸大学大学院経営学研究科修士課程修了、大分大学経済学部専任講師(会計学)、1960年兵庫県立神戸商科大学商経学部専任講師、1962年助教授、1968年教授。1988年神戸商科大学を退任、名誉教授、流通科学大学商学部教授、1992年商学部長、1996年九州産業大学経営学部教授。 1966年日本会計研究学会賞受賞(受賞論文「会計における集合と同質性」『会計』1965年12月号)、シアトルのワシントン大学客員助教授、1970年「企業会計の基礎理論に関する情報論的研究」で経営学博士(神戸大学)。
本多 淳裕(ほんだ あつひろ、1927年9月1日 - 200… 本多 淳裕(ほんだ あつひろ、1927年9月1日 - 2003年12月5日)は、日本の環境工学者、工学博士。大阪府八尾市出身。 産業環境管理協会が1996年に本多にちなんだ「リサイクル技術開発本多賞」を設けた。 1927年大阪府八尾市に生まれる。 1948年新潟農林専門学校農芸化学科(現新潟大学農学部)卒。1948年から1983年まで、大阪市立生活科学研究所(現大阪市立環境科学研究センター)勤務。1962年工学博士号を取得。1970年大阪市立大学非常勤講師、1985年同大学工学部教授。 「ごみ博士」と呼ばれ、処理技術検討委員会委員として香川県の豊島ゴミ問題に関わった。 1983年紫綬褒章を受章。
乾 由明(いぬい よしあき、1927年8月26日 - 201… 乾 由明(いぬい よしあき、1927年8月26日 - 2017年7月17日)は、日本の美術史家。京都大学名誉教授、金沢美術工芸大学名誉教授。兵庫陶芸美術館名誉館長。 大阪府大阪市出身。実家は高級料亭の播半。1951年京都大学文学部西洋近代美術史専攻卒。京都国立近代美術館勤務、京都大学教養部助教授、1975年教授。1991年、定年退官、名誉教授。1997年金沢美術工芸大学長。2006年兵庫陶芸美術館館長、2012年、退任、名誉館長。 フランスを中心とする西洋近代美術の研究・紹介に務める一方で、日本の近・現代美術について活発な評論活動を繰り広げ、現代美術批評の最前線に立つ。現代陶芸の研究者としても活躍し、富本憲吉、楠部弥弌など日本の陶芸家のみならず、バーナード・リーチ、ルーシー・リーやハンス・コパーなど海外の陶芸家とも親交を深めた。
松本 仁助(まつもと にすけ、1927年3月8日 -2016… 松本 仁助(まつもと にすけ、1927年3月8日 -2016年11月3日 )は西洋古典学者、古代ギリシア文学研究者、大阪大学名誉教授。大阪市生まれ。1951年京都大学文学部卒業。同志社大学教授、大阪大学教授、大阪学院大学教授を経て2002年に退職。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
沖浦 和光(おきうら かずてる、1927年1月1日 - 20… 沖浦 和光(おきうら かずてる、1927年1月1日 - 2015年7月8日)は、日本の社会学者、民俗学者。桃山学院大学名誉教授、同大学長。専攻は芸術論、社会思想史、比較文化論。もっぱら被差別民、被差別部落、マルクス主義的民族論などの研究を行う。 大阪府豊能郡箕面村半丁(現・箕面市)の生まれ。小学校2年生のころに大阪市内の紀州街道沿いにある下町の長屋に引っ越す。 箕面村牧落小学校、大阪市阿倍野区晴明丘小学校、住吉区田辺小学校と転校を繰り返したのち、私立桃山中学校、旧制浪速高等学校文科甲類を経て、1953年東京大学英文科でアメリカ文学を研究。東大卒業後、大学院に進学するかたわら、大田区立大森第八中学校で英語を教える。
竹尾 治一郎(たけお じいちろう、1926年12月31日 -… 竹尾 治一郎(たけお じいちろう、1926年12月31日 - )は、日本の哲学者、関西大学名誉教授。分析哲学・科学哲学が専門。 大阪府大阪市出身。1950年京都大学文学部哲学科卒。大阪教育大学助教授、関西大学文学部教授。1997年定年、名誉教授となり、南大阪大学教授。
宇尾 淳子(うお じゅんこ、1926年10月12日 - 20… 宇尾 淳子(うお じゅんこ、1926年10月12日 - 2006年9月11日)は、日本の生物学者(専門は昆虫生理学、内分泌学)。 大阪府大阪市出身。男爵・西五辻光仲の三女。夫は核融合の研究で知られる宇尾光治。 1948年奈良女子高等師範学校卒業。1951年京都大学理学部動物学科卒。1952-1953年純心女子短期大学(長崎)講師。1957年京都大学大学院(旧制)修了。1961年「鱗翅目昆虫の神経分泌系の電子顕微鏡的研究」で理学博士。1955-1964年海星女子学院短期大学助教授、教授、1962-1967年アメリカ・プリンストン大学研究員、西ドイツ・ミュンヘン大学助手、イギリス・オックスフォード大学研究員、1967-1985年塩野義製薬研究所主任研究員、1975年オーストラリア・アデレード大学客員教授。
星野 英一(ほしの えいいち、1926年7月8日 - 201… 星野 英一(ほしの えいいち、1926年7月8日 - 2012年9月27日)は、日本の法学者。専門は民法。東京大学名誉教授。日本学士院会員、文化功労者。
広岡 隆(ひろおか たかし、1926年6月29日 - 200… 広岡 隆(ひろおか たかし、1926年6月29日 - 2009年)は、日本の法学者。専門は、行政法・行政代執行。 大阪府河南町生まれ。1949年京都帝国大学法学部卒。1962年「行政上の強制執行の研究」で、京都大学より法学博士の学位を授与される。 大阪学芸大学助教授、関西大学法学部助教授、関西学院大学法学部助教授、教授、96年定年、名誉教授、関西外国語大学教授。『アメリカ現代詩におけるホイットマン像』の著者、廣岡實は実弟。
久米 三四郎(くめ さんしろう、1926年3月22日 - 2… 久米 三四郎(くめ さんしろう、1926年3月22日 - 2009年8月31日)は、日本の核化学者。大阪府出身。 旧制大阪府立高津中学校、旧制高知高等学校、大阪帝国大学卒業。製薬会社勤務を経て、大阪大学理学部講師を務めるかたわら、反原発の運動家として全国各地で多数の講演を行った。反原発運動全国連絡会を結成し、『はんげんぱつ新聞』の発刊に携わるなどの活動もあった。 1973年、国内で初めて原発の安全性が問われた、四国電力の伊方原子力発電所設置許可取り消し請求訴訟において、原告(住民)側補佐人を務めた。 高速増殖原型炉もんじゅの設置許可の無効確認を求めた行政訴訟(もんじゅ訴訟)でも、原告側の特別保佐人として、建設に反対の論陣を張った。
中島 達二(なかじま たつじ、1926年3月2日 - 200… 中島 達二(なかじま たつじ、1926年3月2日 - 2001年3月18日)は、日本の経営者、工学博士。日本板硝子社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1947年に京都大学工学部電気工学科を卒業し、同年に逓信省に入社。1982年7月に日本板硝子に転じ、1984年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務を経て、1988年6月に社長に就任。1992年6月に副会長に就任し、1994年6月には相談役に就任。 1996年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2001年3月18日心不全のために死去。75歳没。
榎原 猛(えはら たける、1926年(大正15年)1月22日… 榎原 猛(えはら たける、1926年(大正15年)1月22日 - 2004年(平成16年)6月28日)は、日本の憲法学者。大阪大学名誉教授。元甲子園短期大学長。法学博士。大阪府吹田市出身。
上田 吉一(うえだ よしかず、1925年10月3日 - 20… 上田 吉一(うえだ よしかず、1925年10月3日 - 2005年12月17日)は、日本の教育哲学者、心理学者。姫路工業大学名誉教授。 大阪府茨木市出身。1952年京都大学文学部哲学科卒業。1968年「精神的に健康な人格の概念に関する研究」で京大教育学博士。姫路工業大学講師、助教授、教授、名誉教授、兵庫教育大学教授、龍谷大学教授。1996年退職。人間主義心理学を提唱した。
江崎 玲於奈(えさき れおな、1925年〈大正14年〉3月1… 江崎 玲於奈(えさき れおな、1925年〈大正14年〉3月12日 - )は、日本の物理学者。日本国外においてはレオ・エサキ(Leo Esaki)の名で知られる。 1973年(昭和48年)、トンネル効果の研究に関連して、アイヴァー・ジェーバー、ブライアン・ジョゼフソンとともにノーベル物理学賞を受賞し、日本人としては4人目となるノーベル賞受賞者となった。 文化勲章受章者、勲一等旭日大綬章受章者。学位は理学博士(東京大学・1959年)。学位論文は「薄いp-n接合における新現象」。 大阪府中河内郡高井田村(後の同郡布施町、さらに布施市、現在の東大阪市布施地区)で生まれ、1947年に東京帝国大学を卒業し、川西機械製作所(後の神戸工業株式会社、現在のデンソーテン)に入社、真空管の陰極からの熱電子放出の研究を行った。
山本晴義(やまもと はるよし、1925年 - 2017年4月… 山本晴義(やまもと はるよし、1925年 - 2017年4月2日 )は、日本の哲学者、大阪経済大学名誉教授。専攻は社会思想史・哲学。 大阪市生まれ。1948年早稲田大学文学部卒業。大阪経済大学助教授、教授、96年定年退任、名誉教授、大阪哲学学校校長。
難波 喜造(なんば きぞう、1924年11月30日 - 20… 難波 喜造(なんば きぞう、1924年11月30日 - 2005年10月14日)は、日本の教育学者、国文学者。元神戸大学、早稲田大学教授で日本文学協会創立メンバー。専門は国語教育学。 大阪府出身。天王寺中学校(現天王寺高校)卒業後、高知高等学校(現高知大学)理学部に入学し、文学部に編入・卒業した。卒業後、東京帝国大学(現東京大学)文学部に入学・卒業し、同大学院に進学・満期退学後は都立高校国語科教諭として、東京都立赤城台高等学校、東京都立大学附属高等学校へ赴任した その後、奈良教育大学助教授・同教授を務め、教授時には奈良教育大学附属小学校長を併任した。神戸大学教育学部教授、佛教大学文学部教授を歴任後、早稲田大学大学院客員教授となり国語教育学を講じた。
木崎 良平(きさき りょうへい、1924年11月17日 - … 木崎 良平(きさき りょうへい、1924年11月17日 - )は、日本の西洋史学者、立正大学名誉教授。日露交渉史を研究した。 1924年、大阪府守口市生まれ。召集をへて、戦後京都大学西洋史学科を卒業。 1951年、鹿児島大学文理学部助教授に着任。1964年、学位論文『ルーシ」という語の意味に関する歴史的一考察』を京都大学に提出して文学博士号を取得。1965年より鹿児島大学教養部教授、1971年より教養部長を務めた。1976年、立正大学教授となった。1995年に立正大学を定年退任し、名誉教授となった。
坂井 利之(さかい としゆき、1924年10月19日 - 2… 坂井 利之(さかい としゆき、1924年10月19日 - 2017年8月16日)は、日本の情報処理工学者。京都大学名誉教授、龍谷大学名誉教授。専門は、情報通信工学、情報工学、情報学。工学博士(京都大学、1954年)。 大阪府高槻市生まれ。文字や音声などを認識する技術、パターン認識の研究・開拓の先駆者とされ、情報処理学会や国際パターン認識連盟(英語版)の会長を務めた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
川上 貢(かわかみ みつぐ、1924年9月6日 - 2012… 川上 貢(かわかみ みつぐ、1924年9月6日 - 2012年3月20日)は、日本の建築史家。京都大学名誉教授。主に鎌倉時代から室町時代にかけての貴族住宅の研究である『日本中世住宅の研究』によって、書院造に到る寝殿造の変遷を解き明かした。 1924年9月6日、大阪府大阪市に生まれた。1931年4月、東淀川区中津尋常高等小学校に入学。1936年、都島区都島小学校へ転校。1937年4月、大阪市立都島工業学校建築科に入学。しかし戦局の悪化にともなって1942年12月に繰り上げ卒業。 1943年4月、大阪理工科大学予科に進学。1945年4月、同学理工学部応用化学科に進学。しかし1946年3月に大阪理工科大学を退学し、京都帝国大学工学部建築学科に入学。
山本 信(やまもと まこと、1924年9月6日 - 2005… 山本 信(やまもと まこと、1924年9月6日 - 2005年)は、日本の哲学者、東京大学名誉教授。 大阪府堺市生まれ。1943年東京帝国大学文学部哲学科入学。1944年9月兵役のため休学、館山で敗戦、復学。1947年卒業、大学院に入学、1952年満期退学。1956年東京大学文学部助教授、1971年教授、文学部長を務め、1985年定年退官、東京女子大学文理学部教授。1992年同学長、1998年退任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
多田英之(ただひでゆき、1924年(大正13年)5月6日 -… 多田英之(ただひでゆき、1924年(大正13年)5月6日 - 2021年(令和3年)9月21日)は、日本の建築構造学者。大阪府出身。専門は建築構造で耐震構造・免震構造・鋼管構造など。免震の生みの親。工学博士、一級建築士、技術士。1983年に建設大臣の特別認可を取得し、国内免震建築第一号積層ゴムを用いた免震建物評定を八千代台住宅に誕生させる。平成元年には日本建築学会免震構造小委員会主査として「免震構造設計指針」をまとめ、2001年に東京都杉並区に28階建て日本初の超高層免震マンションを実現する。積層ゴムアイソレータの実物大実験など耐震実験を多く行い、免震という概念を確立。 1942年、大阪市立都島工業学校建築科卒業。
唄 孝一(ばい こういち、1924年3月18日 - 2011… 唄 孝一(ばい こういち、1924年3月18日 - 2011年1月11日)は、日本の民法学者。旧・東京都立大学名誉教授。文化功労者。大阪府出身。 東京大学では川島武宜に師事し、家族法を専攻する。川島の影響を受け、実態調査を積極的に行うなど、法規範の研究に新たな方法論を盛り込むことに尽力した。1960年の母親の突然死をきっかけに、医事法の研究も行うようになる。世界医事法学会副会長、日本医事法学会代表理事などを歴任。日本の医事法学分野における最高権威といえる存在。 2012年3月、唄孝一の研究資料を収集した『医療と法と倫理(ELM)専門総合資料館」(仮称)』が明治大学内に開設され、2015年に『ELM(法・医・倫理の資料館)』として本開館された。
吉沢 伝三郎(吉澤 傳三郎、よしざわ でんざぶろう、1924… 吉沢 伝三郎(吉澤 傳三郎、よしざわ でんざぶろう、1924年2月8日 - 2003年4月15日)は、日本の哲学・倫理学研究家。ニーチェを主とした近代ドイツ哲学研究で知られる。東京都立大学名誉教授。 1924年(大正13年)、大阪府に生まれる。1941年(昭和16年)に大阪府立高津中学校を卒業後、旧制一高に進学。1949年(昭和24年)に東京帝国大学文学部倫理学科を卒業。和辻哲郎から教えを受けた最晩年の弟子の一人であり、和辻にその人柄と秀逸な研究をこよなく愛された愛弟子だった。 卒業後は東京都立大学教授となる。1987年に定年退官。2003年に死去。急死した最愛の長男の墓に永眠している。 専門は近代ドイツ哲学。