廣野 翔一(ひろの しょういち、1991年4月22日 - )… 廣野 翔一(ひろの しょういち、1991年4月22日 - )は、日本の歌人。大阪府高槻市出身。千葉県在住。 大阪府高槻市出身。自宅にあった短歌雑誌から短歌に興味を持つ。開明高等学校卒業。 2010年、同志社大学法学部入学後に京大短歌に入会、当時の先輩会員には大森静佳、藪内亮輔、笠木拓がいた。2011年、塔短歌会に入会。2013年、「クロスロード」で第59回角川短歌賞佳作。2014年、大学卒業後に同人誌「穀物」を創刊、参加する。この頃から東海圏に移り住み、荻原裕幸、小坂井大輔、辻聡之とともに同人誌「短歌ホリック」を創刊、参加する。 2022年に第一歌集『weathercocks』(短歌研究社)を刊行。
岡野 大嗣(おかの だいじ、1980年1月1日 - )は、日… 岡野 大嗣(おかの だいじ、1980年1月1日 - )は、日本の歌人。大阪府出身(八尾市育ち)。無所属。 2011年、笹井宏之『えーえんとくちから』と石川啄木『一握の砂』を読んだことで作歌を始める。短歌結社には所属せず、活動初期は新聞や雑誌の短歌投稿欄を作品発表の場としていた。はじめて採用されたのはフリーペーパー紙『うたらば』。その後は『夜はぷちぷちケータイ短歌』や『短歌あります』(ダ・ヴィンチ)、新聞歌壇などで常連投稿者になる。 2014年8月、『選択と削除』で第57回短歌研究新人賞次席。選者の穂村弘からは「アイロニカルな眼差し」「批評を突き抜けたブラックユーモア」を評価される。同年12月、書肆侃侃房から第一歌集『サイレンと犀』を出版。
黒瀬 珂瀾(くろせ からん、1977年7月22日 - )は、… 黒瀬 珂瀾(くろせ からん、1977年7月22日 - )は、日本の歌人・僧侶。 大阪府豊中市生まれ。大阪星光学院高等学校卒業後、大阪大学文学部比較文学専攻卒、同大学院文学研究科修士課程修了。在学中は京都大学短歌会に参加した。 師・春日井建の影響を強く受けた耽美的世界観が特徴的だった初期の歌風から、岡井隆の影響が濃い修辞主体の写生的な作風に変貌しつつある。また、オタク文化を始めとするサブカルチャーに造詣が深いことでも知られる。映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』の俳句監修を担当した。第五回まで開催された文学フリマ金沢の実行委員も務めていた。浄土真宗本願寺派の僧籍を持ち、富山県富山市の寺院願念寺の住職。
陣崎草子(じんさき そうこ、1977年- )は、日本の絵本作… 陣崎草子(じんさき そうこ、1977年- )は、日本の絵本作家、児童文学作家、歌人。歌人集団「かばん」会員。 大阪府生まれ。高槻市立芝谷中学校→大阪府立高槻北高等学校→大阪教育大学芸術専攻美術コース卒業。立体造形会社やデザイン会社に勤務後、23歳でイラストレーターとして独立。絵本作家をめざし26歳で上京。武井武雄について調べる過程で知った穂村弘の短歌に衝撃を受け、2007年より作歌を開始。穂村弘の連載「短歌ください」(ダ・ヴィンチ)の挿絵を担当する。2010年の「草の上で愛を」で第50回講談社児童文学新人賞佳作を受賞。
今橋 愛(いまはし あい、1976年 - )は、歌人。大阪府… 今橋 愛(いまはし あい、1976年 - )は、歌人。大阪府大阪市出身。 京都精華大学人文学部卒業。在学中に岡井隆の講義を受講し、23歳の頃から作歌をはじめる。2002年、『O脚の膝』で第1回北溟短歌賞(石川啄木賞の前身)を、穂村弘から高く評価され受賞。歌誌 [sai] 、snell(雪舟えまとの二人誌)、未来短歌会、六本木詩人会に所属。ひらがなや多行書きを多用し、現代詩のような独特の表現スタイルを用いる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
塩見 恵介(しおみ けいすけ、1971年8月15日 - )は… 塩見 恵介(しおみ けいすけ、1971年8月15日 - )は、日本の俳人。文学修士(専攻・近現代俳句)。「船団の会」副代表(2014年 - )。 大阪府羽曳野市生まれ、兵庫県芦屋市育ち。1990年、「船団の会」入会、坪内稔典に師事。1996年、甲南大学大学院人文科学研究科修士課程修了。同年より甲南中学校・高等学校国語科教諭。2004年、第7回俳句甲子園にて甲南高校監督として優勝に導く。 句集に『虹の種』(2000年 蝸牛新社)、『泉こぽ』(2007年 ふらんす堂)、『隣の駅が見える駅』(2021年 朔出版)、アンソロジーとして『現代俳句100人20句』(2001年 邑書林)、『関西俳句なう』(2015年 本阿弥書店)に参加している。
江戸 雪(えど ゆき、1966年12月12日 - )は、日本… 江戸 雪(えど ゆき、1966年12月12日 - )は、日本の歌人。本名同じ。大阪府大阪市在住。現代歌人協会会員。短歌同人誌「西瓜」所属。超結社の「中之島歌会」でも活動中。
俵 万智(たわら まち、1962年〈昭和37年〉12月31日… 俵 万智(たわら まち、1962年〈昭和37年〉12月31日 - )は、日本の歌人、エッセイスト。本名同じ。結社「心の花」所属。所属事務所は東京コンサーツ。父は希土類磁石研究者の俵好夫。 大阪府四條畷市で幼少期を過ごす。中学生のとき、福井県武生市(現在の越前市)に移住し福井県立藤島高等学校に入学。演劇部に所属した。 指定校推薦で早稲田大学第一文学部に入学、日本文学専修に進級した。在学中に心の花を主宰している佐佐木幸綱に師事し、短歌の世界に入った。なお、大学時代は「アナウンス研究会」に所属していた。1985年(昭和60年)大学卒業後、神奈川県立橋本高等学校の国語教員として勤務しながら発表した『野球ゲーム』で第31回角川短歌賞次席。
田中 裕明(たなか ひろあき、1959年10月11日 - 2… 田中 裕明(たなか ひろあき、1959年10月11日 - 2004年12月30日)は、大阪府出身の俳人。波多野爽波に師事、「青」に拠ったのち、「ゆう」を創刊・主宰。1983年に角川俳句賞を当時史上最年少の22歳で受賞。俳句の伝統をふまえた瑞々しい句風で、俳壇のニューウェーブとして活躍したが、白血病により早世した。 大阪府大阪市生まれ。大阪府立北野高等学校在学中の1976年、短詩型同人誌「獏」に参加。翌年島田牙城に誘われて俳誌「青」に入会、波多野爽波に師事し、「青」学生メンバーからなる「がきの会」に参加。1978年、京都大学工学部電気系学科入学。1979年、「青」新人賞受賞。同年「青」300号を期として、島田牙城、上田靑蛙とともに同誌編集を受け継ぐ。
仲 寒蟬(なか かんせん 1957年6月7日 - )は、大阪… 仲 寒蟬(なか かんせん 1957年6月7日 - )は、大阪府大阪市出身の俳人、内科医。本名、仲元司(なか もとじ)。1983年、信州大学医学部卒。1996年、「港」に入会し、大牧広に師事。1997年、読売俳句大賞準賞受賞。2001年、「里」創刊同人。2004年、第一句集『海市郵便』により第20回山室静佐久文化賞受賞。2005年、「小海線」50句で第50回角川俳句賞受賞。2015年、第二句集『巨石文明』で芸術選奨新人賞を受賞。大牧広の逝去を受けて後継誌「牧」を創刊、代表。「里」「群青」同人。長野県佐久市在住。佐久市立国保浅間総合病院勤務。
池田 はるみ(いけだ はるみ、1948年3月5日 - )は、… 池田 はるみ(いけだ はるみ、1948年3月5日 - )は、日本の歌人。和歌山県生まれ、大阪府豊中市出身。NHK学園短歌講座専任講師、現代歌人協会会員、「未来」選者・編集委員。 京都女子大学短期大学部国語専攻卒業。1985年、作品「白日光」で短歌研究新人賞を受賞。1987年に未来短歌会に入会し、岡井隆に師事。1991年に歌集『奇譚集』を刊行。1997年、歌集『妣が国(ははがくに) 大阪』を刊行。翌1998年、同歌集でながらみ現代短歌賞・現代歌人集会賞を受賞。2001年、歌集『ガーゼ』を刊行。翌2002年、同歌集で河野愛子賞を受賞。2002年・翌2003年、NHK全国短歌大会ジュニアの部選者。2021年、歌集『亀さんゐない』で前川佐美雄賞を受賞。
大輪 靖宏(おおわ やすひろ、1936年(昭和11年)4月6… 大輪 靖宏(おおわ やすひろ、1936年(昭和11年)4月6日 - )は、日本の俳人・日本文学研究者。専門は日本近世文学。上智大学名誉教授。公益社団法人日本伝統俳句協会副会長、国際俳句交流協会常務理事、慶大俳句丘の会会長、横浜俳和会顧問、和の句会主宰。 東京府東京市蒲田区生まれ。山梨県、福岡県、大阪府で育ち、大阪府立豊中高等学校を経て、1960年、慶應義塾大学文学部国文学科卒業。同年、日本テレビに入社するも退職し、1961年、慶應大学大学院文学研究科国文学専攻に進学。1968年、博士課程単位取得満期退学。1970年、同大学附属研究所国際センター専任講師、1973年、上智大学文学部専任講師、1974年、助教授、1981年、教授。
山上 樹実雄(やまがみ きみお、1931年7月22日 - 2… 山上 樹実雄(やまがみ きみお、1931年7月22日 - 2014年8月6日)は、日本の俳人。本名・公夫。大阪府出身。 大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。卒業後は眼科医として勤務。1948年に「馬酔木」入会、水原秋櫻子に師事。また1949年より「南風」入会し山口草堂にも師事する。「馬酔木」「南風」同人、「南風」副主宰を経て、2004年に「南風」代表に就任。 句集に『眞竹』『白蔵』『山麓』『翠微』『四時抄』『晩翠』『春の顔』。1995年、『翠微』により第35回俳人協会賞、2003年『四時抄』により第3回山本健吉文学賞および第4回俳句四季大賞を受賞。ほかに馬酔木新人賞、南風賞などを受賞。俳人協会名誉会員、日本文藝家協会会員。
有馬 朗人(ありま あきと、1930年〈昭和5年〉9月13日… 有馬 朗人(ありま あきと、1930年〈昭和5年〉9月13日 - 2020年〈令和2年〉12月6日)は、日本の物理学者(原子核物理学)、俳人、政治家。位階は正三位。旭日大綬章。学位は理学博士(東京大学、1958年)。東京大学名誉教授、財団法人日本科学技術振興財団会長、科学技術館館長、武蔵学園学園長、公立大学法人静岡文化芸術大学理事長(初代)。文化勲章受章者。 国立大学協会会長(第14代)、東京大学総長(第24代)、理化学研究所理事長(第7代)、参議院議員、文部大臣(第125代)、科学技術庁長官(第58代)などを歴任した。 主に、原子核物理学の分野で国際的に知られ、原子核構造論などで多くの業績を上げた。
三好 潤子(みよし じゅんこ、1926年8月15日 - 19… 三好 潤子(みよし じゅんこ、1926年8月15日 - 1985年2月20日)は、日本の俳人。本名、三好みどり。 大阪府大阪市に生まれる。 1939年に大阪市三先尋常小学校を、1947年に大阪女学院(ウヰルミナ女学院)を卒業する。小学校在学中の1935年には急性虫垂炎や右腎結核を、女学院在学中には中耳結核や急性肝炎を患い、生涯病に悩まされる。 また1938年1月8日には自宅が大阪市港区夕凪橋の自宅を延焼により失い、1941年に再建。その自宅を旅館「夕凪橋」として母が経営することとなったが、1947年に5人組の強盗に押し入られる。自身は2階におり難を逃れたため、機転を利かせて逮捕に協力。このことから、母とともに警察から表彰されたが、その時の築港警察署の司法主任が後に師事することとなる榎本冬一郎であった。
八木 三日女(やぎ みかじょ、1924年7月6日 - 201… 八木 三日女(やぎ みかじょ、1924年7月6日 - 2014年2月19日)は、大阪府堺市出身の俳人、眼科医(医学博士)。本名・下山ミチ子。 大阪女子高等医学専門学校(現・関西医科大学)卒。在学中、澁谷道らと学生俳句会に参加し、同医専に教授として在任していた平畑静塔に師事し俳句をはじめる。「激浪」「雷光」「梟」「夜盗派」「縄」を経て「海程」同人。1964年、同人誌「花」を創刊・代表を務める。 「例ふれば恥の赤色雛の檀」(『紅茸』)「満開の森の陰部の鰭呼吸」(『赤い地図』)「赤い地図なお鮮血の絹を裂く」(同)など、鋭敏な感性で独自の抽象的・エロス的世界を展開。関西前衛俳句を代表する女性俳人として注目された。
鷲谷七菜子(わしたに ななこ、1923年1月7日 - 201… 鷲谷七菜子(わしたに ななこ、1923年1月7日 - 2018年3月8日)は、日本の俳人。 大阪府出身。楳茂都流の舞踊家・楳茂都陸平と元宝塚歌劇団娘役の吉野雪子(千鳥)との間の長女。本名・ナナ子。生後7ヶ月で楳茂都流二代目家元の祖父に引き取られ、祖父母によって育てられる。1940年、夕陽丘高等女学校(現・大阪府立夕陽丘高等学校)卒業。 高女時代より俳句をはじめ、1942年より「馬酔木」に入会、水原秋桜子に師事。また1946年、「南風」に入会し山口草堂にも師事する。1951年「馬酔木」同人。「南風」編集・発行に参加し、1962年より「南風」婦人投句欄選者(1980年まで)。1984年、草堂の指名により「南風」主宰となる。
花谷 和子(はなたに かずこ、1922年3月22日 - 20… 花谷 和子(はなたに かずこ、1922年3月22日 - 2019年6月11日)は、大阪府出身の俳人。旧姓・驪城(こまき)。 豊中市生まれ。1939年、大阪府立清水谷高等女学校(現・大阪府立清水谷高等学校)卒。1954年、「青玄」に入会、日野草城に師事。草城没後は伊丹三樹彦に師事した。1973年、「藍」を創刊、代表同人。1975年より同主宰。1986年、大阪府芸術功労賞、1994年、第43回現代俳句協会賞受賞。2011年、「藍」主宰を退き名誉主宰。 代表句に「宙という美しきもの雪舞えり」などがあり、やさしさや慈しみを湛えた句風である。句集に『ももさくら』『光は空へ』『五月の窓』がある。子の花谷清も俳人で現「藍」主宰。
中村 浩(なかむら ひろし、1920年7月15日 - 198… 中村 浩(なかむら ひろし、1920年7月15日 - 1985年8月23日)は、日本の国文学者、歌人。 大阪市生まれ。本名・米島勉。父は書道家で大阪朝日新聞にも勤務した中村眉山(本名は平三)。父親が阪田の書の代筆をしていた関係で、晩年の阪田三吉と交流があり、のちにその思い出をもとに阪田の27回忌(1972年)に、それを記念した『実録王将伝』を執筆、のちに『棋神・阪田三吉』として刊行した。 國學院大學文学部国文学科卒。折口信夫、金田一京助に師事。戦後、関西大学、薫英学園で教職につき、その後、大阪府議会事務局、四天王寺女子大学、羽衣学園短期大学、辻調理師学校に勤務。
桂 信子(かつら のぶこ、1914年11月1日 - 2004… 桂 信子(かつら のぶこ、1914年11月1日 - 2004年12月16日)は、日本の俳人。日野草城に師事。「旗艦」「青玄」などを経て「草苑」を創刊・主宰。本名は丹羽信子(にわのぶこ)。大阪市出身。1980年代以降は箕面市の自宅で過ごした。 大阪府大阪市東区八軒家に生まれる。大阪府立大手前高等女学校卒業。1934年、日野草城の「ミヤコ・ホテル」連作に感銘を受け、翌年より句作を開始。どこにも投句しなかったが、1938年、草城主宰の「旗艦」を知り投句。1939年、桂七十七郎と結婚。1941年、「旗艦」同人。同年、夫が喘息の発作のため急逝、以後会社員として自活する。 1946年「太陽系」創刊に参加、草城主宰の「アカシヤ」同人。
原 コウ子(はら こうこ、1896年1月15日 - 1988… 原 コウ子(はら こうこ、1896年1月15日 - 1988年6月25日)は、俳人。本名・コウ。旧姓・志賀。 大阪府貝塚町(現貝塚市)出身。泉南高等女学校(現大阪府立和泉高等学校)卒。1916年より「ホトトギス」投句。原石鼎選の入門欄だった縁で1918年に石鼎と結婚。1951年、石鼎の死没により「鹿火屋」主宰を継承。1974年、高齢のため養子の原裕に同主宰を譲る。句集に『昼顔』『胡卉』『胡色』、著書に『石鼎とともに』がある。
米田雄郎(よねだ ゆうろう、1891年(明治24年)11月1… 米田雄郎(よねだ ゆうろう、1891年(明治24年)11月1日 - 1959年(昭和34年)3月5日)は、大正・昭和前期の歌人。出生名、米田菊次。本名、米田雄還。同じく歌人の米田登は次男。 奈良県磯城郡川西村(現・川西町)の農家の長男として生まれる。尋常小学校卒業後、伯父が住職を務める香久山村の法念寺に寄寓。1907年(明治40年)、大阪市の上宮中学に入学。18歳より短歌を始め、若山牧水の添削を受ける。1911年(明治44年)前田夕暮の白日社に入社し、雄郎の筆名を使い始め、自由律短歌及び定型律短歌を作る。1917年(大正6年)には歌集「日没」を発行。 早稲田大学中退後、1918年(大正7年)滋賀県蒲生郡(現・東近江市)石塔町の浄土宗寺院・極楽寺住職となり、また高等小学校の代用教員も務める。
田村 木国(たむら もっこく 1889年1月1日 - 196… 田村 木国(たむら もっこく 1889年1月1日 - 1964年6月6日)は、和歌山県出身の俳人・新聞記者。本名省三。笠田町(現かつらぎ町)生。大阪府立北野中学校(現大阪府立北野高等学校) 卒、三高文科を中退。1910年より大阪朝日新聞社で記者として勤め、のち大阪毎日新聞社に移った。 中学時代より句作を始め、大正初期に行友李風らと洗堰吟社を起こす。1917年、高浜虚子に師事。河東碧梧桐にも師事した。1922年、野村泊月、皆吉爽雨らとともに「山茶花」創刊。1934年、「ホトトギス」同人。1946年、休刊していた「山茶花」を復刊し主宰。「狩くらは大月夜なり寝るとせん」など、句に「大」の字を好んで用い、大らかな写生句を詠んだ。
石上 露子(いそのかみ つゆこ、1882年(明治15年)6月… 石上 露子(いそのかみ つゆこ、1882年(明治15年)6月11日 - 1959年(昭和34年)10月8日)は、日本の作家、歌人。大阪府富田林市出身。 雅号はゆふちどり。新詩社の社友となり、「明星」等に短歌、詩、小説等を発表した。本名杉山 孝(すぎやま たか)。代表作は「小板橋」。
茅野 雅子(ちの まさこ、1880年5月6日 - 1946年… 茅野 雅子(ちの まさこ、1880年5月6日 - 1946年9月2日、旧姓:増田)は、大阪市出身の歌人である。夫はドイツ文学者・詩人の茅野蕭々。本名、まさ。 1880年、大阪市道修町の「増田順血湯」本舗で知られた薬種問屋の次女として生まれる。相愛高等女学校中途退学。1900年与謝野鉄幹が主宰する「新詩社」に加入、「明星」へ投稿。1904年上京して日本女子大学に入学。1905年、与謝野晶子、山川登美子と3人で歌集「恋衣」を刊行(増田雅子名義)、明星派3才媛として雅子の名を世に広めた。晶子が「しら萩」、登美子が「しら百合」と呼ばれたのに対し、雅子は「しら梅の君」という愛称で呼ばれた。鉄幹には「明星」の清怨派と評された。
青木 月斗(あおき げっと、1879年(明治12年)11月2… 青木 月斗(あおき げっと、1879年(明治12年)11月20日 - 1949年(昭和24年)3月17日)は、日本の俳人。正岡子規門下。本名は青木 新護。 大阪市東区(現・大阪市中央区)船場にある神薬快通丸・天眼水本舖の「青木薬房」に生まれる。文学的素地としては、文芸好きな母方の血筋を受け、小学校時代の教師に文学家の斎藤黙蛙、友人に画家の西山翠嶂、赤松麟作、俳人の山中北渚、松村鬼史らがいた。1889年に父が死没し、1894年に道修町へ転居して大阪薬学校(後の大阪薬学専門学校)に入学するも中退。中退後は家業を継いだ。 1897年、國民新聞へ投句を初める。初号は月兎(げっと)。1898年に友人と三日月会を発足。
矢沢 孝子(やざわ たかこ、1877年(明治10年)5月6日… 矢沢 孝子(やざわ たかこ、1877年(明治10年)5月6日 - 1956年(昭和31年)4月13日)は、日本の女流歌人である。本名はたか。 兵庫県の篠山町(現在の丹波篠山市)にて、篠山藩士だった矢沢一貫とその妻のてるとの間に長女として生まれた。幼くして父から漢詩や和歌を学び、大阪府立堂島高等女学校(現在の大阪府立大手前高等学校)に入学する。その後中退し、1893年(明治26年)に留学のため上海に移住し、東洋学館にて英語等を学んだ。その後帰国し、1896年(明治29年)には20歳の若さで妻の父の次男と結婚した後に小学校の教員として活動する。 教職を引退した直後に新潮社に入社し、自身が詠んだ歌を同社が出版する「スバル」に寄稿し発表した。
高山保次郎(たかやま やすじろう、1838年 - 1907年… 高山保次郎(たかやま やすじろう、1838年 - 1907年11月3日)は、幕末-明治期の神官、歌人。本姓は里井、名は慶孝、号は苞居。 1838年(天保9年)、和泉泉南郡南中通村(現・大阪府泉佐野市)、里井孝幹の二男として生まれる。幼名は寬三郞。 里井家は代々好学で、幼少より学を好み、家翁の教授を受け、15歳のとき堺市九間町の高山家の養子となり家督を継ぎ、名を保次郎と改める。 父の没後は岩崎長世に国学をまなび、大阪枚岡神社に出仕、歌会始の撰者に加わる。また堺の区長などをつとめる。 長世の没後は尾崎正明、渡辺重春らと交り歌道に専心する。 1907年(明治40年)、70歳で死去。没後に『苞居歌集』が刊行された。