原田 明夫(はらだ あきお、1939年11月3日 - 201… 原田 明夫(はらだ あきお、1939年11月3日 - 2017年4月6日)は、日本の弁護士。元検事総長。東京府東京市生まれ、兵庫県相生市育ち。 盛岡地方検察庁勤務時に新渡戸稲造の思想にふれ感銘を受け、司法、検察の中枢に身をおきながら、新渡戸研究を続けてきた。則定衛が東京高検検事長を女性問題で辞職したことにより、堀口勝正の代替として名古屋高検検事長から村山弘義がそのイスに座ったが、検事長定年制により、予想より早く原田に東京高検検事長の座が回って来た。そのため、検事総長在任も異例の3年に及んだ。また法務事務次官当時、政党行脚に出て、犯罪捜査のための通信傍受に関する法律の成立に尽力した。 その他、国際民商事法センター理事長、グルー・バンクロフト基金評議員、社団法人日本倶楽部理事 などを務めている。
加茂 周(かも しゅう、1939年10月29日 - )は、兵… 加茂 周(かも しゅう、1939年10月29日 - )は、兵庫県芦屋市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 長兄の加茂豊は毎日放送元社員でゴールキーパーとして1958年アジア大会で日本代表に選出された経験を持ち、弟の加茂建は加茂商事(サッカーショップ加茂を展開、傘下にジャパン・スポーツ・プロモーション、ソル・スポーツマネージメント)の社長である。 なお、1936年ベルリンオリンピックサッカー日本代表の加茂健・加茂正五との血縁関係はない。 関西学院大学卒業後、ヤンマーディーゼルサッカー部(現:セレッソ大阪)での選手生活を経て、1967年に指導者に転じた。1974年に日本人初のプロ契約監督として日産自動車サッカー部(現:横浜F・マリノス)の監督に就任。
岸上 大作(きしがみ だいさく、1939年(昭和14年)10… 岸上 大作(きしがみ だいさく、1939年(昭和14年)10月21日 - 1960年(昭和35年)12月5日)は、日本の歌人。兵庫県神崎郡田原村井ノ口(現・福崎町西田原)出身。
重森 孝子(しげもり たかこ、1939年〈昭和14年〉9月1… 重森 孝子(しげもり たかこ、1939年〈昭和14年〉9月14日 - )は、脚本家(映画、TV)。兵庫県西宮市生まれ。 兵庫県立鳴尾高等学校~同志社大学文学部(1962年)卒。在学中は「第三劇場」に所属。卒業後、劇団仲間と結婚し上京、離婚後シナリオ研究所に学ぶ。在学中に浦山桐郎と知り合い、1970年に浦山との間の娘を出産。
大橋 太朗(おおはし たろう、1939年8月31日 - 20… 大橋 太朗(おおはし たろう、1939年8月31日 - 2021年1月28日)は、日本の実業家。阪急電鉄(現阪急阪神ホールディングス)代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。 兵庫県芦屋市西山町出身。兵庫県立芦屋高等学校を経て、1962年に関西学院大学商学部卒業、高校時代は鉄道研究会に所属するほどの鉄道好きが高じて、京阪神急行電鉄(現阪急阪神ホールディングス)入社。1990年取締役に昇格。1992年常務取締役。1995年専務取締役。1998年代表取締役専務取締役。 1999年から阪急電鉄代表取締役社長を務めたが、株主総会をめぐりトラブルが発生し、2002年には芦屋市西山町の自宅雨戸などに銃弾が撃ち込まれる事件が発生し、翌2003年代表取締役会長に退いた。
2代目桂 枝雀(かつら しじゃく、本名:前田 達(まえだ と… 2代目桂 枝雀(かつら しじゃく、本名:前田 達(まえだ とおる)、1939年(昭和14年)8月13日 - 1999年(平成11年)4月19日)は、兵庫県神戸市生まれの落語家。3代目桂米朝に弟子入りして基本を磨き、その後2代目桂枝雀を襲名して頭角を現す。古典落語を踏襲しながらも、超人的努力と空前絶後の天才的センスにより、客を大爆笑させる独特のスタイルを開拓する。出囃子は『昼まま』。実の弟はマジシャンの松旭斎たけし。長男は桂りょうば。
新山 彰忠(にいやま あきただ、1939年7月29日 - 2… 新山 彰忠(にいやま あきただ、1939年7月29日 - 2000年10月22日)は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
柏原 康夫(かしはら やすお、1939年7月14日 - )は… 柏原 康夫(かしはら やすお、1939年7月14日 - )は、日本の実業家。京都銀行名誉顧問、関西経済連合会副会長、関西文化学術研究都市推進機構(前理事長)。京都市観光協会会長。京都府観光連盟会長。2006年11月藍綬褒章、2019年旭日中綬章を受章。 1939年兵庫県神戸市に生まれる。川崎重工業に勤めていた父が知多工場へ転勤となったため、愛知県半田市に移住。半田高校を経て滋賀大学経済学部を卒業。就職の際には就職難の時代で苦戦を強いられたが、首尾よく京都銀行への入行が決まった。初任地は三条支店(京都市)で本出納補助を担当。次に総務部に移動となり経費を担当。コンピュータ関係の費用や機器の保守料などを削減し、成果を出した。
寺本 勇(てらもと いさむ、1939年7月3日 - )は、兵… 寺本 勇(てらもと いさむ、1939年7月3日 - )は、兵庫県芦屋市出身の元プロ野球選手(外野手)・プロ野球審判員。元パシフィック・リーグ審判部長。 芦屋高等学校では1956年、2年生の時に左翼手として春の選抜に出場。準決勝まで進むが中京商に敗れる。一学年上のチームメートに渡海昇二がいた。卒業後は立教大学に進学。東京六大学野球リーグでは1、2年在学中に3度の優勝を経験するが、その後の立大は低迷を続ける。しかし1961年秋季リーグでチームは2位まで順位を戻し、寺本も打率.410(2位)を記録して、同季のベストナインに選出された。大学同期に丸山完二、青野修三がいる。 1962年に大毎オリオンズに入団するが、一軍出場に恵まれないまま1963年に退団。
畑 道也(はた みちや、1939年7月2日 - 2008年3… 畑 道也(はた みちや、1939年7月2日 - 2008年3月25日)は、日本の音楽学者。関西学院大学文学部教授、同学院院長(第14代)を歴任した。 西欧音楽史、および音楽を中心とする文化変容が専門。父は畑歓三。 大阪府生まれ、兵庫県西宮市で幼少期を送る。関西学院中学部・高等部卒業後、1964年に関西学院大学文学部を卒業。1970年、関西学院大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1982年より関西学院大学文学部美学科教授、2004年4月から2007年3月まで、関西学院第14代院長を務めた。この他に、関西学院大学交響楽団で、名誉顧問と常任指揮を務めた。2008年3月25日、気管支肺炎のため死去。
片上 公人(かたかみ こうじん、1939年〈昭和14年〉6月… 片上 公人(かたかみ こうじん、1939年〈昭和14年〉6月28日 - 2010年〈平成22年〉)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。キャッチコピーは『地球人・未来人・片上公人』 神戸市出身。神戸大学経済学部卒業。神戸市職員、創価学会の地元役員、聖教新聞記者などを経て1986年の第14回参議院議員通常選挙に兵庫県選挙区より公明党公認で出馬し、当選。1992年の選挙で再選を果たす。 1995年秋、女性秘書に対するセクハラで告訴される。1995年11月16日には自民党、日本社会党、新党さきがけ、日本共産党の全女性議員22人が事実関係の調査と片上議員の議員辞職を求める超党派の声明を出した。22日には、自民党の石井道子、南野知惠子、社会党の千葉景子、日下部禧代子、大脇雅子、栗原君子、さきがけの堂本暁子、共産党の吉川春子、阿部幸代が参院議長に対して「多くの女性の憤りや疑問に答えるためにも速やかな事実の解明を求める」との申し入れ書を手渡した。
荒川 康男(あらかわ やすお、1939年6月12日 - )は… 荒川 康男(あらかわ やすお、1939年6月12日 - )は、日本のジャズ・ベース奏者、作曲家である。 1939年6月12日、神戸市に生まれた。御影に住んでいたが、第二次世界大戦のあおりで鳥取県との県境に近い日本海側の美方郡諸寄に疎開していた。小学校に上がるころに終戦を迎え、芦屋山手小学校に通った。そこでの同窓生にジャズ・ミュージシャンの清水閏、木村新弥らがいる。 戦後はラジオでFENをよく聴いていた。中学のときにジャズに興味を持ち、高校に入りベニー・グッドマンのレコードを入手した。 本格的な楽器の演奏経験がなかったにもかかわらず、高校3年のときに神戸のジャズ喫茶でベースを担当する羽目になったのが演奏活動の始まりであった。
保田 茂(やすだ しげる、1939年6月3日 - )は、日本… 保田 茂(やすだ しげる、1939年6月3日 - )は、日本の農学者、農学博士。神戸大学名誉教授、兵庫農漁村社会研究所代表。 兵庫県出身。1973年、兵庫県有機農業研究会を設立。事務局長として有機農業の普及につとめる。1974年より「食品公害を追放し安全な食べ物を求める会」を組織し、安全な食べ物を求める消費者運動を推進。日本有機農業学会会長、日本有機農業研究会副理事長を歴任。農業経営・地域活性化分野で活動、農業経営学に有機農業という新しい分野を切り開き、理論と実践を統合。最近では食育に取り組んでいる。1985年、京都大学農学博士、論文の題は「有機農業の展開過程に関する経済的研究」。2015年、兵庫県社会賞受賞。
柏木 哲夫(かしわぎ てつお、1939年5月29日 - )は… 柏木 哲夫(かしわぎ てつお、1939年5月29日 - )は、日本の医学者、内科医、精神科医。博士(医学)、博士(人間科学)。専門はターミナルケア。クリスチャンであり、日本メノナイト・ブレザレン教団石橋キリスト教会会員。淀川キリスト教病院理事長、大阪大学名誉教授、ホスピス財団理事長。 兵庫県出身。大阪府立北野高等学校を経て、1965年大阪大学医学部卒業。大阪大学精神神経科に3年勤務。69年ワシントン大学に留学。72年帰国、淀川キリスト教病院に精神神経科を開設、ターミナルケア 実践のためチームを結成。 その後、同病院にて内科医としての研修を受け、1984年にホスピスを開設し、その後副院長、ホスピス長を経て、93年大阪大学人間学部教授。
戸梶 正夫(とかじ まさお、1939年4月17日 - )は兵… 戸梶 正夫(とかじ まさお、1939年4月17日 - )は兵庫県神戸市長田区出身の元プロ野球選手(捕手)。
六本 佳平(ろくもと かへい、1939年3月10日 - )は… 六本 佳平(ろくもと かへい、1939年3月10日 - )は、日本の法学者。東京大学名誉教授。専門は法社会学。法学博士。神戸市出身。1970年助教授として、日本の国立大学最初の「法社会学講座」担当者となる。俳人の六本和子は母親。 「弁護士業務の経済的基盤に関する実態調査票」1980年実施(日本弁護士連合会、全国調査、自由と正義32巻10号所載)
鎌田 実(かまた みのる、1939年3月8日 - 2019年… 鎌田 実(かまた みのる、1939年3月8日 - 2019年8月1日)は、兵庫県三原郡広田村(現:南あわじ市)出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家。 男四人兄弟の末っ子として生まれ、生まれて10日目に父が亡くなった。父は近隣地区の情報を特化する新聞を発行して生計を立てていたが、大黒柱が倒れ、家族は窮地に追い込まれる。長男もまだ働く年齢ではなく、母が新聞発行を引き継げるわけもなく、乳呑み児を抱いて淡路島内の実家に引っ越し、呉服を売り歩く商売を始めた。買ってくれるのは親戚だけで、母は自分の着物を質屋に入れ、実父の助けも借りて生きた。淡路島は空襲も少なく、周りは海で温暖な気候であったため、魚や野菜など食べ物に困ることはなかった。
高田 賢三(たかだ けんぞう、1939年(昭和14年)2月2… 高田 賢三(たかだ けんぞう、1939年(昭和14年)2月27日 - 2020年(令和2年)10月4日)は、日本のファッションデザイナー。ケンゾー創業者で、パリを拠点に活動した。会場を借りてショーを開催した初めてのデザイナーで、今日のパリコレの原型となった。 兵庫県姫路市出身。姫路市立野里小学校、姫路市立広嶺中学校、兵庫県立姫路西高等学校卒業後、神戸市外国語大学2部英米学科中退。1958年に文化服装学院に入学、男子学生としては2期生。師範科で1年間、服飾造形の基礎を学んだあと、デザイン科に進む。同級のデザイン科9期生には、コシノジュンコ、松田光弘、金子功ら、後のファッション界をリードする人材が揃っており「花の9期生」と呼ばれた。
たかとう 匡子(たかとう まさこ、1939年2月16日 - … たかとう 匡子(たかとう まさこ、1939年2月16日 - )は、日本の詩人。兵庫県神戸市生まれ。本姓・高藤(たかふじ)。1961年武庫川女子大学卒。1961年から2004年まで高校の国語教師。詩人・歌人の野田かおりは、教え子。2006年詩集『学校』で第8回小野十三郎賞受賞。2015年、第39回井植文化賞受賞。2018年『私の女性詩人ノートⅡ』で第39回日本詩人クラブ詩界賞受賞。詩誌「イリプス」同人。
若鳴門 清海(わかなると きよみ、1939年2月7日 - 2… 若鳴門 清海(わかなると きよみ、1939年2月7日 - 2011年4月18日)は、兵庫県三原郡三原町(現役当時、現在の同県南あわじ市)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は居内 徳夫(いうち とくお)。最高位は西前頭6枚目(1966年7月場所)。現役時代の体格は182cm、115kg。得意手は右四つ、突っ張り、投げなど。 中学時代から土地相撲の大関と互角に取れたため、大相撲の世界に入ることを志したが、自宅で待針を踏んで右足の親指を貫通させてしまった。すぐに手術して針を抜いたが、傷が癒える前に農作業に出て破傷風にかかってしまった。あわや右脚切断かという重症だったが、どうにか右足親指切断にとどまった。
佐々木 赫子(ささき かくこ、1939年1月16日 - )は… 佐々木 赫子(ささき かくこ、1939年1月16日 - )は日本の児童文学作家。日本児童文学者協会会員。 兵庫県神戸市生まれ。岡山大学教育学部卒業。 教職を経て子育て中、巡回図書館の蔵書のなかで児童文学に出会った。1970年夏、日本児童文学者協会主催「幼児教育と幼年文学の講座」を受講して創作活動を開始。1971年大石真らが主宰する 同人誌「子どもの町」掲載の「あしたは雨」が翌年の日本童話会賞を受賞。1973年関英雄を師とする 同人誌「てんぐ」に掲載された「旅しばいの二日間」は日本児童文学者協会新人賞を受賞した。「旅しばいの二日間」を長編化した『旅しばいのくるころ』が処女出版となった。 岡山の農村での疎開体験を素材にした上記2作は、逆境のなかでたくましく生きる子どもたちを描いて感動を呼ぶ作品であるが、一方であっけらかんとしたユーモアを見せる『きらくにいこうぜキックオフ』『勉強しないでいい点とれます』、怪談集「月夜に消える」などの作品もあり、創作の幅は広い。
菅谷 定彦(すがや さだひこ、1939年1月7日 - )は、… 菅谷 定彦(すがや さだひこ、1939年1月7日 - )は、日本の新聞記者、実業家。日本経済新聞記者、同専務取締役後、テレビ東京社長、同会長を経て、現在は学校法人渡辺学園(東京家政大学等を運営)理事長。 兵庫県出身。妻は清泉女子大学副学長を務めた菅谷孝子。 中学校から大学までテニス選手として活躍し 、1957年には広瀬均(後にデビスカップ日本代表選手、監督)とのコンビで全日本ジュニアテニス選手権男子ダブルスで優勝している。 テレビ東京の社長としては、月1回のペース(年9 - 10回)で行われる社長定例会見において、本来経営者としてタブーであるライバル局への攻撃や個人としての私見などの発言をすることで有名であった。
井奥 貞雄(いおく さだお、1939年〈昭和14年〉1月5日… 井奥 貞雄(いおく さだお、1939年〈昭和14年〉1月5日 - )は、日本の政治家、実業家。元衆議院議員(3期)。 兵庫県姫路市出身。1957年兵庫県立飾磨工業高等学校卒業後、マッチ製造業の八家化学工業に入社。1965年にヤカ東京工場が設立されると工場長となり、1968年に取締役に就任すると松戸青年会議所の活動に加わる。1977年にヤカ常務に就任すると共に松戸青年会議所理事長。1979年には麻生太郎の後任として日本青年会議所会頭となり、オーナー経営者や二世の多いJCにあって初の高卒・サラリーマン重役出身の会頭として話題を呼んだ。 1983年にヤカ社長となるとともに第13回参議院議員通常選挙に自民党公認(名簿29位)で比例区から立候補、1986年の第14回参議院議員通常選挙でも立候補する(名簿24位)がどちらも落選に終わる。
大迫 嘉昭(おおさこ よしあき、1939年 - )は、196… 大迫 嘉昭(おおさこ よしあき、1939年 - )は、1968年、自費(スポンサーなし)によるバイクで世界一周をした最初の日本人である。 2. https://web.archive.org/web/20190218023746/http://www.geocities.jp/ryosukejj/069_YamahaNews_J_1969.pdf 3. https://web.archive.org/web/20190218023753/http://www.geocities.jp/ryosukejj/1968.pdf 4. http://www.berndtesch.de/English/Continents/WorldAround/ WorldAroundMotorcycle1951-1970.html 5. http://www.tukutuku.de/
松本 英孝(まつもと ひでたか、1939年 - )は、社会福… 松本 英孝(まつもと ひでたか、1939年 - )は、社会福祉学者。 神戸市生まれ。1963年大阪市立大学家政学部社会福祉学科卒業、大阪市中央児童相談所児童福祉司となる。その後、新見女子短期大学教授、県立広島女子大学生活科学部教授、広島国際大学医療福祉学部教授、神戸学院大学教授、日本福祉大学教授。
杉本 良夫(すぎもと よしお、1939年 - )は、日本の社… 杉本 良夫(すぎもと よしお、1939年 - )は、日本の社会学者・文化人類学者。オーストラリアのラトローブ大学名誉教授。
荘司 貴和子(しょうじ きわこ、1939年 - 1979年6… 荘司 貴和子(しょうじ きわこ、1939年 - 1979年6月5日)は日本画家、抽象画家。 兵庫県神戸市生まれ。東京都立駒場高等学校芸術科を経て、1963年に東京芸術大学日本画科を卒業。高校の非常勤講師として絵画を教える傍ら制作活動に取り組み、新制作協会日本画部に出品、1973年と1974年には春季展賞を受賞した。1971年に結婚、夫の母である日本画家の荘司福とは共に取材旅行を行い制作に励む。1974年に結成された創画会にも出品を重ね、4年連続で春季展賞を受賞するなどしたが、1979年に腸癌で死去。享年39歳。 その作品は、加山又造により「稀有の才能に満ち」「日本画という制約の多いとも思える素材、技法で、日本画のみが可能と思える抽象作品を、地道に、しかも才能豊かに、一貫して発表しぬいて居られ」「胸をときめかして見たのである」と評された。
和田 憲昌(わだ のりまさ、1938年12月7日- )は、… 和田 憲昌(わだ のりまさ、1938年12月7日- )は、日本の経営者。和田興産社長、会長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1962年に慶應義塾大学法学部を卒業。三ツ星ベルトでの勤務を経て、1966年に和田興産に転じ、1982年には社長に就任。2008年5月に会長に就任。 2019年5月に旭日双光章を受章した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
長谷部 真道(はせべ しんどう、1938年(昭和13年)12… 長谷部 真道(はせべ しんどう、1938年(昭和13年)12月1日 - )は、高野山真言宗の僧。管長。金剛峯寺415世座主。学習院大学法学部卒業。高野山専修学院卒業。兵庫県美方郡香美町出身。 旧兵庫県美方町(現在の香美町)の大乗寺に生まれた。1963年(昭和38年)に学習院大学法学部を卒業後、実家の大乗寺を継ぐために高野山専修学院に入る。 1967年(昭和42年)3月に実家である大乗寺の住職に就任。その後、金剛峯寺の執行総務部長・責任役員など経て、2022年(令和4年)に金剛峯寺415世座主に就任した。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
高 丈二(こう じょうじ、1938年(昭和13年)11月22… 高 丈二(こう じょうじ、1938年(昭和13年)11月22日 - )は、日本の声楽家、テノール歌手、オペラ歌手、音楽教育者。沖縄県立藝術大学・聖徳大学名誉教授。旧名 黄 耀明と書かれた記録が存在する。 兵庫県神戸市出身。1958年(昭和33年)兵庫県立神戸高等学校卒業。1963年(昭和38年)、東京藝術大学卒業。1965年(昭和40年)、同大学院オペラ科修了。渡邊高之助に師事。1965年(昭和40年)モーツァルト『魔笛』タミーノ役で声楽家としてデビュー後、1968年(昭和43年)イタリアに留学。ヴェルディ音楽院に入学し、エットレ・カンポガッリアーニに師事。1970年(昭和45年)ミラノ・レオーネⅩIII劇場でロッシーニ『セヴィリアの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵を歌い、好評を博す。
東後 勝明(とうご かつあき、1938年〈昭和13年〉11月… 東後 勝明(とうご かつあき、1938年〈昭和13年〉11月16日 - 2019年〈平成31年〉8月14日)は、英語教育者、早稲田大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。空襲で兵庫県小野市(当時小野町)に疎開。兵庫県立小野高等学校を経て早稲田大学教育学部英語英文学科卒業、同大学専攻科修了。ロンドン大学大学院教育研究科修士課程修了、博士課程修了。早稲田大学教授、2008年定年退職、名誉教授。東京YMCAインターナショナルスクール校長。1972年から1985年9月までの長きに渡りNHKラジオ「英語会話」の講師を務めた。1995年キリスト教に入信。英語学・英語教育に関する著書多数。英語音声学、英語教育学専攻。
清水 一嘉(しみず かずよし、1938年11月8日 - )は… 清水 一嘉(しみず かずよし、1938年11月8日 - )は、日本のイギリス文学者。愛知大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。岡山県立岡山朝日高等学校卒、1962年東北大学文学部英文科卒、1964年同大学院修士課程修了。同年愛知大学教養部講師、1969年助教授、1980年教授、1998年文学部教授。2009年定年退任、名誉教授。専攻は英文学、英国文化史。 2018年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
佐々木恒男(ささき つねお、1938年10月7日 - )は、… 佐々木恒男(ささき つねお、1938年10月7日 - )は、日本の経営学者。学位は、商学博士(明治大学・論文博士・1985年)(学位論文「ファヨール経営学説の研究」)。青森公立大学名誉教授。 兵庫県宝塚市生まれ。中央大学第1法学部法律学科卒業、同大学大学院商学研究科博士課程中退。1985年「ファヨール経営学説の研究」で明治大学より商学博士の学位を取得。 中央大学商学部助手、千葉商科大学講師、武蔵大学経済学部助教授・教授、日本大学教授、2001年青森公立大学教授、2003年学長、2012年学長退任。名誉教授。専門は、経営学原理、組織論、マネジメント論、経営学史。組織学会高宮賞受賞。
神戸 一郎(かんべ いちろう、1938年(昭和13年)9月7… 神戸 一郎(かんべ いちろう、1938年(昭和13年)9月7日 - 2014年(平成26年)4月27日)は日本の元歌手、元俳優、実業家。本名:前原 正捷(まえはら まさかつ)。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立夢野台高等学校、神戸商科大学卒業[要出典]。芸名は、デビュー前にレコード店で芸名を募集したうえで、作曲家の上原げんとによって命名された。歌手の藤山一郎のような美声と歌の上手さから、「神戸の藤山一郎」…神戸一郎になった[要出典]。 高校時代から、のど自慢に出場し、1957年(昭和32年)、第8回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、コロムビアの専属歌手になる。 同年12月、「十代の恋よさようなら」でデビュー。
野依 良治(、1938年9月3日 - )は、日本の化学者(有… 野依 良治(、1938年9月3日 - )は、日本の化学者(有機化学)。学位は工学博士(京都大学・1967年)。国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センター長、名古屋大学特別教授、名城大学客員教授、高砂香料工業株式会社取締役。日本学士院院長。2001年に「キラル触媒による不斉反応の研究」が評価されノーベル化学賞を受賞した。 名古屋大学大学院理学研究科研究科長、理学部長、物質科学国際研究センター長、独立行政法人理化学研究所理事長などを歴任した。 1938年9月、兵庫県武庫郡精道村(当時)に野依金城・鈴子の長男として生まれた。1945年に終戦を迎え、疎開先から神戸市に戻り、兵庫師範学校男子部附属小学校(神戸大学附属住吉小学校の前身)に学んだ。
土橋 芳邦(どばし よしくに、1938年8月21日 - )は… 土橋 芳邦(どばし よしくに、1938年8月21日 - )は、日本の実業家。クボタ代表取締役社長、学校法人大阪産業大学理事長などを務めた。 兵庫県宝塚市出身。1961年神戸大学経済学部卒業、久保田鉄工(現クボタ)入社。1982秘書室長。1989年取締役広報室担当。1991年常務取締役。1993年専務取締役。1999年から代表取締役社長を務め、不採算事業の整理などを進め全事業の黒字化を達成した。同年、日本ダクタイル鉄管協会会長に就任。2003年に相談役に退いた。2008年社友。2009年学校法人大阪産業大学理事長。
島田 順司(しまだ じゅんし、1938年〈昭和13年〉8月1… 島田 順司(しまだ じゅんし、1938年〈昭和13年〉8月12日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 兵庫県出身。兵庫県立芦屋高等学校卒業。オフィス斉藤、ジェイ・クリップに所属していた。 関西新劇界の名門劇団である関西芸術座演劇研究所を卒業後、正式座員になった後に退座して上京。東京芸術座に所属。 1965年、NET(現・テレビ朝日)のテレビ時代劇『新選組血風録』の沖田総司役で本格デビュー。同ドラマのヒットにより、栗塚旭演じる土方歳三とともに人気を博した。『新選組血風録』終了後も、『俺は用心棒』(1967年)、『燃えよ剣』(1970年)でも沖田を演じるなど時代劇を中心に活躍。 1988年から『はぐれ刑事純情派』 (テレビ朝日)で、藤田まこと演じる安浦刑事が所属する警視庁山手中央警察署の刑事課長・川辺精一役で、シリーズ18年間の全作品にレギュラー出演。
今津 光男(いまづ みつお、1938年7月8日 - 2005… 今津 光男(いまづ みつお、1938年7月8日 - 2005年11月7日)は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。
蔦 行雄(つた ゆきお、1938年7月5日 - 2007年7… 蔦 行雄(つた ゆきお、1938年7月5日 - 2007年7月6日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(投手)。 洲本高校では、エースとして1955年秋季近畿大会県予選準決勝に進むが、渡海昇二らのいた芦屋高に9回裏サヨナラ負け。1956年夏の甲子園県予選では決勝に進出。県尼崎高の今津光男と投げ合うが、9回裏またも1-2でサヨナラ負けを喫し、甲子園出場を逸する。高校同期に遊撃手の鎌田実がいる。 1957年に近鉄パールスへ入団。1959年にはチーム最多の50試合に登板、先発陣の一角としても起用された。翌1960年はミケンズに次ぐ23試合に先発し、7勝を記録した。1961年には開幕投手を経験。1963年に広島カープに移籍し、同年限りで引退。
岩上 江笠(いわかみ こうりつ、1938年5月7日 - )は… 岩上 江笠(いわかみ こうりつ、1938年5月7日 - )は、兵庫県養父郡出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。 八鹿高から立命館大学へ進学。関西六大学リーグでの通算成績は36試合登板、12勝7敗、防御率1.04、162奪三振。4年秋の京都大2回戦で9連続奪三振のリーグ記録を樹立した。サイドスローからのシュート、カーブを武器とした。 社会人野球の丸善石油を経て、1962年に近鉄バファローズに入団。同年6月26日の南海戦(大阪スタヂアム)でプロ初先発するが、敗戦投手になっている。翌1963年にプロ初勝利と初本塁打を記録し、打率.455を記録した。その後は低迷し、1965年に引退した。 投手登録だったが、1962年に外野手として1試合出場している。
渡海 昇二(とかい しょうじ、1938年5月3日 - 201… 渡海 昇二(とかい しょうじ、1938年5月3日 - 2016年6月30日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。 芦屋高校では、1956年に中堅手として春の選抜に出場する。準決勝まで進むが中京商業高の安井勝に抑えられ完封を喫する。なお、中京商業高は同大会で優勝した。高校時代の1学年下のチームメートに寺本勇(元大毎オリオンズ、引退後プロ野球審判員)がいた。 高校卒業後は、慶應義塾大学に進学する。東京六大学野球リーグで優勝はできなかったが、主将として1960年秋季リーグの早慶六連戦で活躍。2年生捕手の大橋勲とともに打線の中軸を担い、同季のベストナイン(外野手)にも選出される。リーグ通算81試合出場、290打数76安打、2本塁打、31打点、打率.262、ベストナイン(外野手)2回。
樋口 武男(ひぐち たけお、1938年4月29日 - )は大… 樋口 武男(ひぐち たけお、1938年4月29日 - )は大和ハウス工業代表取締役会長兼CEO。
岡 八朗(おか はちろう、本名・市岡 輝夫〔いちおか てるお… 岡 八朗(おか はちろう、本名・市岡 輝夫〔いちおか てるお〕、1938年(昭和13年)4月16日 - 2005年(平成17年)7月26日)は、日本の喜劇俳優。2003年(平成15年)4月16日以前の芸名は「岡 八郎」。兵庫県尼崎市出身。長女はゴスペル歌手の市岡裕子。 盟友の花紀京と共に吉本新喜劇の二大巨星と呼ばれ、新喜劇の黄金時代を築いて長きに渡って君臨した。 父は喜劇役者で幼少から芸事に触れる。 1958年(昭和33年)、宝塚映画製作所の大部屋に入るが1年で退社。花菱アチャコに師事、師匠の薦めで1959年(昭和34年)4月に吉本新喜劇へ第1期生として入団。入団当初は本名の「市岡 輝夫」のまま、吉本新喜劇の前身である吉本ヴァラエティやステレオコントの舞台に上がる。
安達 貞至(あだち さだゆき、1938年4月4日 - )は、… 安達 貞至(あだち さだゆき、1938年4月4日 - )は、日本の兵庫県出身のサッカー選手、サッカークラブスタッフ。選手時代のポジションはゴールキーパー。次男の安達亮もサッカー選手および指導者 関西学院大学から1961年にヤンマーディーゼルに入社、ヤンマーディーゼルサッカー部でプレーした。大学の後輩にあたる加茂周は、安達に誘われる形でヤンマー入りした。釜本邦茂がヤンマーに加入すると、安達はマネージャーに身を転じて裏方としてチームを支えるようになった。社業においては1986年から1995年までヤンマー東日本の代表取締役社長を務めた。 1995年から1996年まで地元兵庫県のヴィッセル神戸(当時JFL)の強化部長、ゼネラルマネージャーを歴任。
久保井 一匡(くぼい かずまさ、1938年3月25日 - )… 久保井 一匡(くぼい かずまさ、1938年3月25日 - )は、日本の弁護士で日本弁護士連合会元会長。久保井総合法律事務所所長。兵庫県美方郡香美町小代区出身。
森滝 義巳(もりたき よしみ、1938年3月8日- )は、兵… 森滝 義巳(もりたき よしみ、1938年3月8日- )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(投手)。 史上7人目の完全試合達成者。 兵庫高校では、1955年に春の選抜に出場。2回戦(初戦)で、後に立教大学同期となる浜中祥和のいた若狭高に敗退。同年夏は県予選準々決勝で長田高に敗れる。 1956年に立教大学に進学すると長嶋茂雄・杉浦忠らの2年後輩となる。杉浦卒業後の3年次からは、1学年下の五代友和と投の二本柱として活躍。東京六大学野球リーグで在学8シーズン中、5度の優勝に貢献した。1957年・1958年に全日本大学野球選手権大会連続優勝。1959年の第3回アジア野球選手権大会日本代表に選出され、日本の優勝に貢献。
吉岡 賢治(よしおか けんじ、1938年3月5日 - 202… 吉岡 賢治(よしおか けんじ、1938年3月5日 - 2025年2月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算2期)。 兵庫県豊岡市出身。兵庫県立豊岡高等学校卒業。神戸大学電気電子工学科卒業。 電電公社(現在のNTT)に入社し、豊岡局に勤務しつつ、労組活動に入る。 1986年の第38回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧兵庫5区から出馬するが落選。1990年の第39回衆議院議員総選挙に再び出馬し初当選。以後2期連続当選。 議員在任中は外務委員などを務める。本岡昭次参議院議員らと共に自社さ連立政権反対派として知られた。1994年に土肥隆一と共に日本社会党を離党し、民主改革連合に入党。 1996年の第41回衆議院議員総選挙では民主改革連合公認及び連合・五党協議会統一候補として兵庫5区より出馬するも落選。
内藤 正久(ないとう まさひさ、1938年(昭和13年)2月… 内藤 正久(ないとう まさひさ、1938年(昭和13年)2月20日 - )は、日本の通産官僚。元通商産業省産業政策局長。 産業政策局長在任中の1993年、細川内閣が誕生するも、棚橋祐治次官時代から引き続いて情報・通信など次世代産業振興の目玉として「新社会資本整備」の新ビジョンを打ち出す。熊野英昭事務次官の下、消費税増税案の斎藤次郎大蔵次官ら大蔵省と共に、減税をセットとした協調案で共闘することとなる。このように当時の通産省は、大蔵省に属する財政、経企庁の経済計画の総合調整的立場をセットにしたマクロ政策視点からの行動が目立っていた。産業政策の担保として個別の業界間や業界政界間、官民間との「もちつ、もたれつ」の濃密な人的信頼関係と共に、通産省の役割としては本来的に産業構造論にあることから、1970年代の産業構造ビジョンで示した重化学工業化や知識集約化といった一律の産業政策はもはや時代にそぐわないとしても、産業区分を大きく分けた上で各各についてどういう制度基盤整備が可能かがその政策定立の背景にあった。
徳田 虎雄(とくだ とらお、1938年〈昭和13年〉2月17… 徳田 虎雄(とくだ とらお、1938年〈昭和13年〉2月17日 - 2024年〈令和6年〉7月10日)は、日本の医師、政治家。鹿児島県徳之島町名誉町民。鹿児島県天城町名誉町民。モットーは「生か死か!」。 医療法人徳洲会創立者及び理事長、衆議院議員(4期)、沖縄開発政務次官、第7代日本体操協会会長、自由連合代表、特定医療法人沖縄徳洲会理事長、社会医療法人木下会理事長、医療法人静仁会理事長、埼玉医療生活協同組合理事長、札幌医療生活協同組合理事長、公益財団法人徳洲会国際奨学財団理事長、などを務めた。 日本の病院王と呼ばれながら国内に大規模な医療機関・医療事業グループを次々と築いていき、衆議院議員としても政治に関わった。
京極 高晴(きょうごく たかはる、1938年〈昭和13年〉1… 京極 高晴(きょうごく たかはる、1938年〈昭和13年〉1月18日 - 2024年〈令和6年〉5月6日)は、豊岡京極家15代当主。第10代靖国神社宮司。 1938年(昭和13年)、東京市渋谷区生まれ。1943年(昭和18年)、兵庫県豊岡市に疎開。兵庫県立豊岡高等学校(1957年)、東京大学法学部(1961年)を卒業。日本郵船事業部長を経て、氷川丸マリンタワー社長、関東曳船社長などを歴任。 2009年6月15日から2013年1月18日まで靖国神社宮司を務めた。前任者の南部利昭に続いて神職経験のない宮司であった。 日本会議の代表委員も務めた。 2024年5月6日、硬膜下血腫のため死去。86歳没。