寄神 美好(よりがみ みよし、1920年(大正9年)2月9日… 寄神 美好(よりがみ みよし、1920年(大正9年)2月9日 - 2003年(平成15年)7月20日)は、日本の実業家。淡路島出身。寄神建設株式会社の創業者。港湾工事における工法等の発明を行っており、数々の特許も取得している。 1920年(大正9年)2月 兵庫県津名郡仮屋町(現:淡路市仮屋)に生まれる。1934年(昭和9年)、大工の修行のため淡路島から神戸に渡る。1938年(昭和13年)3月 、潜水業を営む叔父である寄神末吉の養子となる。養父の下で潜水業の修行を開始。1940年(昭和15年)同郷の千鶴と結婚。1941年(昭和16年) 呉海軍軍事部に徴用され広島県呉市に向かう。港務部施設課に配属され軍港の整備・改修に従事する。
奥崎 謙三(おくざき けんぞう、1920年2月1日 - 20… 奥崎 謙三(おくざき けんぞう、1920年2月1日 - 2005年6月16日)は、日本の元陸軍兵士(最終階級は上等兵)、バッテリー商、著述家、アナーキスト。 昭和天皇パチンコ狙撃事事件のほか、不動産業者刺殺事件、皇室ポルノビラ事件、元上官家族への殺人未遂など、過激な行動や事件を度々起こしては逮捕・服役した。また、ドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』に出演したことでも知られる。 自らを「神軍平等兵」と称していた。 1920年、兵庫県明石市大蔵町6丁目で生まれる。本籍地は兵庫県三木市口吉川町槙。小学校を卒業後は木綿問屋の丁稚奉公に出た。 1940年、徴兵検査に甲種合格。1941年3月に岡山連隊に入営し、後に中国の九江にある工兵隊へ転属。
瓜生 卓造(うりゅう たくぞう、1920年(大正9年)1月6… 瓜生 卓造(うりゅう たくぞう、1920年(大正9年)1月6日 - 1982年(昭和57年)6月1日)は、日本の小説家、随筆家。兵庫県神戸市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。 息子は瓜生中(うりゅう なか)で同じく作家。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
太田 新生(おおた あらお、1920年 - 2015年)は、… 太田 新生(おおた あらお、1920年 - 2015年)は、日本の外交官。ヒューストン総領事や、駐リビア特命全権大使を務めた。 兵庫県姫路市出身。1939年成蹊高等学校文科甲類卒業。1943年高等試験行政科試験合格。同年東京帝国大学法学部政治学科卒業。 太平洋戦争中は大日本帝国海軍で通信関係の仕事に従事していたが、南方への赴任の前に日本の降伏となり難を逃れた。海軍時代にのちに妹の夫となった縫田清二と友人となる。 1948年外務事務官任官、叙二級、北海道連絡調整地方事務局連絡調整官。1964年外務省経済局書記官。1965年外務省移住局移住振興課長。同年外務省中南米・移住局移住課長。1966年外務省中南米・移住局総務課長。
山下 勝(やました まさる、1920年 - 2010年)は、… 山下 勝(やました まさる、1920年 - 2010年)は、日本の実業家、起業家、野球選手。山下ゴム株式会社元代表取締役社長。 1938年(昭和13年)3月、兵庫県立旧制姫路中学校(現・兵庫県立姫路西高等学校)卒業。 中学卒業前に立教大学野球部のセレクションを受けるが、この時、同じく野球部のセレクションを受け立教大学を受験する同志に、内野手の西本幸雄(和歌山中学)、中林正道(立教中学)、2塁手の辻勉(愛知商業)、捕手の伊藤治夫(亨栄商業)、外野手の高橋進(一宮中学)、後にマネージャーとして活躍する中島正明(関西学院中学)らがいた。このセレクション受ける中学生で1チームを構成し、大学予科のチームを相手に3試合したが、全て中学生のチームが勝利した。
織辺 由三(おりべ よしぞう、1920年 - 戦死)は、兵庫… 織辺 由三(おりべ よしぞう、1920年 - 戦死)は、兵庫県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。
後藤 文利(ごとう ふみとし、1920年 - 1993年10… 後藤 文利(ごとう ふみとし、1920年 - 1993年10月12日)は、日本の経済学者・経済思想史研究家。 神戸市生まれ。兵庫県第二神戸中学校(「神戸二中」、現在の兵庫県立兵庫高等学校)卒業。兵庫県立神戸高等商業学校(のちの神戸商科大学、現在の兵庫県立大学)を経て神戸大学卒業。指導教官は福田徳三門下の宮田喜代蔵。近畿大学商経学部元教授。思想の科学研究会会員。 マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』におけるカルヴァン派に相当するものが、日本における浄土真宗であると考え、『真宗と資本主義』(所書店、1973年)を著した。また恩師と同じ福田門下である大熊信行の着想を展開させた『配分の経済学』(同文館出版、1977年)を出版した。
井筒 研一(いづつ けんいち、1919年11月28日 - 1… 井筒 研一(いづつ けんいち、1919年11月28日 - 1992年1月29日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(投手)、審判員。
深見 安博(ふかみ やすひろ、1919年11月26日 - 1… 深見 安博(ふかみ やすひろ、1919年11月26日 - 1972年4月9日)は、兵庫県神戸市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。
浦井 和男(うらい かずお、1919年11月26日 - 19… 浦井 和男(うらい かずお、1919年11月26日 - 1982年8月29日)は、日本の経営者。兵庫県神戸市出身。 1942年に神戸商業大学を卒業し、1946年10月に神戸銀行に入行。1967年5月に取締役に就任し、1968年10月に常務、1976年10月に太陽神戸銀行専務を経て、1978年6月に阪神相互銀行会長に就任。1981年6月には社長に就任。 1982年8月29日胃潰瘍のために死去。62歳没。
伊藤 正己(いとう まさみ、1919年9月21日 - 201… 伊藤 正己(いとう まさみ、1919年9月21日 - 2010年12月27日)は、日本の法学者(英米法・憲法)、裁判官。位階は正三位。勲等は勲一等。学位は法学博士(東京大学・1960年)。東京大学名誉教授、文化功労者。名の表記は「正己」であり、「正已」や「正巳」は誤り。専門書でも誤記されることがある。司法省調査課嘱託、専修大学法学部非常勤講師、法務庁調査意見局調査員、東京大学法学部教授、東京大学法学部学部長、最高裁判所判事、日本育英会会長、財団法人国際科学技術財団会長などを歴任した。末延三次門下。弟子に、樋口範雄など。 兵庫県出身の法学者である。専門は英米法、憲法で、とりわけ表現の自由とプライバシーの関係性を研究した。
村上 武雄(むらかみ たけお、1919年9月21日 - 19… 村上 武雄(むらかみ たけお、1919年9月21日 - 1981年7月1日)は、日本の経営者。兵庫県神戸市出身。 1942年に神戸商科大学を卒業し、同年に東京ガスに入社。1969年9月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1976年1月に社長に就任。エネルギー産業の近代化を推進し、1969年には東京電力と共同でアラスカ産の液化天然ガスを導入した 1979年に藍綬褒章を受章。 1981年7月1日肝不全のために死去。61歳没。
田中 成豪(たなか なりたか、1919年9月19日 - )は… 田中 成豪(たなか なりたか、1919年9月19日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。1939年は田中幸雄、1940年から1949年は田中幸男の登録名でプレーしていた。
武田 繁太郎(たけだ しげたろう、1919年(大正8年)8月… 武田 繁太郎(たけだ しげたろう、1919年(大正8年)8月20日 - 1986年(昭和61年)6月8日)は、日本の小説家。兵庫県神戸市生まれ。早稲田大学独文科卒。 早稲田大学在学中に同人誌「炬火」に参加。 芥川賞候補に4回推されるが、いずれも受賞を逸した。 1960年作の「自由ヶ丘夫人」(光文社)はベストセラーとなり、1960年8月に映画化(東宝、監督佐伯幸三。出演:新珠三千代・池部良・淡路恵子・安西郷子・加東大介・浜美枝・有島一郎・杉葉子)されて、自由が丘の高級住宅街としてのイメージアップにつながった。また全国に「〜丘」という地名が出来るきっかけともなった。この他に「芦屋夫人」(1959年)、「銀座夫人」(1962年)がある。
安東 次男(あんどう つぐお、1919年(大正8年)7月7日… 安東 次男(あんどう つぐお、1919年(大正8年)7月7日 - 2002年(平成14年)4月9日)は、日本の俳人、詩人、評論家、翻訳家。俳号は流火艸堂。 1919年(大正8年)岡山県苫田郡東苫田村(現在の津山市)生まれ。小学5年時に一家で神戸に移住。第二神戸中学校卒業後、1937年、旧制第三高等学校文科丙類(フランス語)に入学。1941年(昭和16年)頃より「寒雷」に投句、加藤楸邨に俳句を学ぶ。1942年(昭和17年)東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。
青池 良正(あおいけ よしまさ、1919年6月22日 - )… 青池 良正(あおいけ よしまさ、1919年6月22日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(捕手)。
後藤 磯吉(ごとう いそきち、1919年3月30日 - 20… 後藤 磯吉(ごとう いそきち、1919年3月30日 - 2011年8月22日)は、兵庫県神戸市出身の実業家。はごろもフーズ元社長。シーチキンの生みの親。静岡県静岡市の名誉市民。 はごろもフーズ代表取締役会長の後藤康雄は、磯吉の次男。社長の後藤佐恵子は、康雄の長女(磯吉の孫)である。 1919年、兵庫県神戸市生まれ。山口高等商業学校経済研究科(現・山口大学経済学部)卒業。はごろもフーズの前身である後藤物産を創業者の先代から引き継ぎ、1947年後藤物産社長に就任。その後、社名を後藤物産缶詰、後藤缶詰、はごろも缶詰に改称。社長を務める。1987年にはごろもフーズに改称して同社長から同会長。2007年同社顧問に就任する。
直木 孝次郎(なおき こうじろう、1919年1月30日 - … 直木 孝次郎(なおき こうじろう、1919年1月30日 - 2019年2月2日)は、日本の歴史学者。大阪市立大学名誉教授。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1969年)。日本古代史研究を代表する研究者。 1919年、兵庫県神戸市で生まれた。1936年、兵庫県立第一神戸中学校を卒業。1938年、第一高等学校文科乙類へ入学。1941年に第一高等学校を卒業し、 京都帝国大学文学部史学科に進んだ。太平洋戦争の時局悪化に伴い、1943年に京都帝国大学文学部国史学科を卒業。卒業後は、海軍土浦海軍航空隊に入隊した。 1945年、終戦により復員。最終的な階級は海軍中尉であった。翌1946年、京都帝国大学特別研究生として研究の道に戻った。
三田 政夫(さんた まさお、1919年1月4日 - 没年不明… 三田 政夫(さんた まさお、1919年1月4日 - 没年不明)は、兵庫県出身のプロ野球選手(外野手)。
梶木 又三(かじき またぞう、1919年1月4日 - 200… 梶木 又三(かじき またぞう、1919年1月4日 - 2008年5月21日)は、日本の官僚、政治家。自由民主党参議院議員(3期)。兵庫県神戸市出身。1990年勲一等瑞宝章受章。 1942年京都帝国大学農学部農林工学科卒業後、農林省に入省。農地局建設部長を退官後の1971年、参議院議員選挙に全国区から全国土地開発事業団を支持団体に自民党公認で出馬し初当選。 なお、この選挙を通じて選挙違反で関係者が17人逮捕されたほか、岡山県和気町議会副議長、町議員ら3人が被供応(料亭で梶木派関係者からもてなしを受けたもの)、文書頒布による選挙違反の疑いで逮捕されている。 その後比例代表区に回り連続当選3回。自民党内では佐藤栄作→田中角栄→竹下登派に所属し、大蔵政務次官(三木武夫内閣)、環境庁長官(第1次中曽根内閣)、自民党参議院幹事長などを歴任した。
湯浅 芳彰(ゆあさ よしあき、1919年 - 没年不明)は、… 湯浅 芳彰(ゆあさ よしあき、1919年 - 没年不明)は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
小寺 新六郎(こでら しんろくろう、1918年12月14日 … 小寺 新六郎(こでら しんろくろう、1918年12月14日 - 1985年10月29日)は、日本の実業家。元ユニチカ社長。 兵庫県武庫郡住吉村(現・神戸市東灘区)に小寺源吾(元大日本紡績(現・ユニチカ)社長、会長)の6男として生まれる。 1941年12月、慶應義塾大学経済学部卒業と同時に父が経営していた大日本紡績に入社し、軍隊時代は満州や沖縄を転戦した。 戦後は10年以上にわたり同社の原綿課に勤務し、次いでニューヨーク駐在を経た後、ビニロン輸出課長、ビニロン化繊部長、産業資材販売部長を歴任する。1970年11月にユニチカ取締役、1972年5月に常務、1973年11月に副社長を経て、1974年3月28日に社長に就任し、父・源吾と出身大学および役職を同じくする経歴を歩んだ。
末永 隆甫(すえなが たかすけ、1918年 <大正7年> 1… 末永 隆甫(すえなが たかすけ、1918年 <大正7年> 11月8日 - 2004年 <平成16年> 1月25日)は、日本の経済学者。専門は経済学史。大阪市立大学(現大阪公立大学)名誉教授。元神戸商科大学(現兵庫県立大学)学長。 兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立第一神戸中学校(現兵庫県立神戸高等学校)を経て、1941年東京商科大学(現一橋大学)卒業。杉本栄一や高島善哉に師事した。同年から早川泰正とともに企画院嘱託として調査部で勤務した。1942年第54師団輜重兵部隊入隊。1946年大阪市立大学経済学部助手着任。1949年大阪市立大学経済学部助教授。1955年大阪市立大学経済学部教授。1962年大阪市立大学経済学博士。
小西 俊造(こにし しゅんぞう、1918年11月3日 - 2… 小西 俊造(こにし しゅんぞう、1918年11月3日 - 2012年10月27日)は、日本の教育者。医学者。山口大学第6代目学長。医学博士(1950年、京都大学にて取得)。 兵庫県出身。1942年9月に京都大学医学部卒業。1950年「麻疹予防に関する研究」で同大学にて医学博士。1963年10月、山口県立医科大学教授に就任。1969年4月山口大学医学部附属病院長、1978年3月同大学学長となる。1984年2月同大学任期満了にて退官。同大学名誉教授となる。2012年10月、故郷の相生市にて多臓器不全のため93歳にて他界。
佐々木 崑(ささき こん、1918年11月2日 - 2009… 佐々木 崑(ささき こん、1918年11月2日 - 2009年3月27日)は、日本の写真家。兵庫県神戸市出身。本名、幸一。 昆虫や小動物、花などのネイチャーフォトの草分け的存在。誕生や羽化の瞬間を撮り続け、「小さい生命」としてアサヒカメラ誌に23年間256回連載した。また、昭和を代表する写真家、木村伊兵衛の数少ない弟子の一人である。 1918年、中国・青島に生まれる。幼少期に神戸に移る。小学6年生の時、トーゴーカメラを購入し、写真の魅力を知る。同じ頃、セスナの遊覧飛行を体験し、飛行機の魅力にも惹かれた。 1936年、神戸村野工業学校(現 神戸村野工業高等学校)卒業後に上京、日本理科工業(現 大陽日酸)にて設計に従事する。
高木 盛久(たかぎ もりひさ、1918年10月25日 - 2… 高木 盛久(たかぎ もりひさ、1918年10月25日 - 2000年8月12日)は、日本テレビ放送網最高顧問。兵庫県神戸市出身。陸軍少尉。趣味、特技はゴルフと読書。
渡辺 茂(わたなべ しげる、1918年〈大正7年〉8月12日… 渡辺 茂(わたなべ しげる、1918年〈大正7年〉8月12日 - 1992年〈平成4年〉3月10日)は、日本のシステム工学者。 兵庫県姫路市出身。1941年(昭和16年)、東京帝国大学工学部機械工学科を卒業する。海軍に入り、技術大尉で終戦を迎える。東京大学工学部に復帰し、1947年(昭和22年)に助教授となる。1950年(昭和25年)、「歯車に関する研究」で東京大学工学博士。1953年(昭和28年)、東京大学工学部教授となる。1979年(昭和54年)、定年退官し名誉教授となり、同年、東京都立工科短期大学学長となる。 コンピューターの工学と社会への適用で新分野をひらいた。1983年(昭和58年)、世界コミュニケーション年で功労者として内閣総理大臣個人表彰を受ける。
角戸 正夫(かくど まさお、1918年7月17日 - 200… 角戸 正夫(かくど まさお、1918年7月17日 - 2005年1月14日)は、日本の化学者。大阪大学蛋白質研究所所長、姫路工業大学学長を歴任。 兵庫県出身。甲陽中学校(15回卒)を経て、大阪帝国大学卒。大阪大学工学部教官などを任官したのち、1971年8月15日から1982年4月1日まで大阪大学蛋白質研究所所長を務めた。1982年10月に姫路工業大学学長に就任。 解析化学を専門とする。関西6GeV-SR計画世話人会代表などを務め、関西への科学研究施設誘致に活動していた。
酒沢 成治(さかざわ せいじ、1918年5月1日 - 200… 酒沢 成治(さかざわ せいじ、1918年5月1日 - 2002年5月6日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(内野手)、監督。1953年から1954年までの登録名は「酒沢 政夫」(さかざわ まさお)。
大谷 四郎(おおたに しろう、1918年4月23日 - 19… 大谷 四郎(おおたに しろう、1918年4月23日 - 1990年11月9日)は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手、サッカー指導者、サッカージャーナリスト。東洋紡元社長の大谷一二は実兄。また、俳優の大谷亮介は長男、高畑裕太は孫である。 1918年4月23日神戸市御影生まれ。内海紡績常務取締役を務めた大谷恭助の四男として生まれる。御影師範学校附属小学校時代からサッカーに親しみ、兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)でサッカー部に入部。1934年の全国招待大会、1935年の全国中等学校選手権(現・全国高等学校サッカー選手権大会)に優勝し、2年連続全国大会制覇を達成した。第一高等学校(文科乙類)在学時代にも得点力のあるFWとして活躍。
坂野 惇子(ばんの あつこ、1918年4月11日 - 200… 坂野 惇子(ばんの あつこ、1918年4月11日 - 2005年9月24日)は、日本の実業家。アパレルメーカーファミリア創業者として知られる人物である。 1918年4月11日、兵庫県神戸市出身で、父はレナウン創業者で昭和時代に貴族院議員を務めた佐々木八十八。 1931年に甲南高等女学校に入学、1936年に甲南高等女学校を卒業。東京市へ上京し、東京女学館高等科の聴講生として学んでいる。 1940年、惇子は坂野兼通(山口銀行総理事)の子息、坂野通夫と結婚し、1943年に長女を出産した。その際に外国人専門の乳幼児看護師から外国式の育児法を教示される。 第二次世界大戦の進行と共に夫が大日本帝国海軍の軍属としてインドネシアに赴任。
汐ノ海 運右エ門(しおのうみ うんえもん、1918年3月1日… 汐ノ海 運右エ門(しおのうみ うんえもん、1918年3月1日 - 1983年7月18日)は、兵庫県印南郡(現:兵庫県姫路市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は岸本 忠夫(きしもと ただお)。最高位は西大関。得意手は右四つ、寄り、筈押しなど。現役時代の体格は180cm、113kg。 1918年3月1日、兵庫県印南郡(現:兵庫県姫路市)で生まれた。小学生の頃から体格が良く腕力も強かったことから、大人と同じ塩田作業に従事していたが、岸本少年の素質を見出した同郷の好角家に笠置山勝一を紹介され、出羽海部屋へ入門した。笠置山は当時としては珍しい大学出身(早稲田大学)のインテリ力士で、当時の出羽海部屋では「打倒双葉」を合言葉に双葉山の連勝を止めるための研究・対策を繰り広げていた。
上原 晋(うえはら すすむ、1918年 - 2015年 )は… 上原 晋(うえはら すすむ、1918年 - 2015年 )は、ラックス株式会社(現ラックスマン)の元開発担当常務。 経歴は以下のようになっている。1918年、兵庫県宝塚市に生まれ、1939年に株式会社錦水堂入社。1958年にMA-7Aモノラル真空管アンプ、6CA7の採用と高圧回路を採用して60wのハイパワーを実現した。
二宮 洋一(にのみや ひろかず、1917年11月22日 - … 二宮 洋一(にのみや ひろかず、1917年11月22日 - 2000年3月7日)は、兵庫県出身のサッカー選手、サッカー指導者。第二次世界大戦後初のサッカー日本代表監督を務めた。現役時代のポジションはフォワード。 兵庫県御影師範学校付属小学校を経て、1934年に旧制第一神戸中学校(現在の兵庫県立神戸高等学校)を卒業し、慶應義塾大学予科に進学。予科時代より慶應義塾体育会ソッカー部に入部して、予科1年より関東大学リーグに出場した。1938年より慶應義塾大学法学部政治学科に進学。1941年の大学卒業まで慶應義塾ソッカー部および慶應BRBの選手として、全日本選手権大会(現在の天皇杯全日本サッカー選手権大会)で、4度の優勝(1936年、1937年、1939年、1940年)を経験した。
佐藤 國吉(さとう くにきち、1917年11月16日 - 2… 佐藤 國吉(さとう くにきち、1917年11月16日 - 2002年6月18日)は海事実業家、元佐藤国汽船会長及び、元日本内航海運組合総連合会名誉会長。 兵庫県神戸市生まれ、1941年(昭和16年)12月慶応義塾大学経済学部卒業。佐藤國汽船に入社、1964年(昭和39年)公団共有船主協会副会長就任、1966年(昭和41年)日本船主協会理事及び、海運造船合理化審議会専問委員就任。1968年(昭和43年)全日本内航船主海運組合会長就任。1972年(昭和47年)船員中央労働委員会委員就任。1973年(昭和48年)神戸海運業組合長就任及び、日本押船土運船協会会長就任。1975年(昭和50年)日本近海船主協同組合理事長就任。
岩崎 利夫(いわさき としお、1917年9月30日 - 没年… 岩崎 利夫(いわさき としお、1917年9月30日 - 没年不明)は、兵庫県出身のプロ野球選手。
釣 常雄(つり つねお、1917年9月9日 - 1996年7… 釣 常雄(つり つねお、1917年9月9日 - 1996年7月25日)は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手。 飾磨小学校在学中から、周囲では名が知られた存在だった。そこに目をつけた姫路中学が、野球部強化のため、釣を含む飾磨小学校の選手複数人に入学を働きかける。しかし、当時の姫路中学は進学校として知られており、全員が不合格となってしまう。困り果てた姫路中学側は、その中で最も点数が高かった釣だけを強引に入学させたという。 姫路中学時代は1936年の選抜にチームを導く。初出場ということもあり姫路市民からの期待は大きく、当時姫路の連隊に所属していた賀陽宮恒憲王からも激励の言葉を受けたという。同大会は、初戦で平安中学に惜敗した。
新間 進一(しんま しんいち、1917年9月3日 - 200… 新間 進一(しんま しんいち、1917年9月3日 - 2005年12月11日)は、日本の国文学者。北海道大学助教授・青山学院大学教授を経て、青山学院大学名誉教授。 兵庫県神戸市出身。東京芝生まれ。父は神戸市日蓮宗妙法華院住職・新間智啓。神戸一中、六高を経て、1940年東京帝国大学文学部国文学科卒、同大副手。佐佐木信綱に師事した歌人でもある。1946年白百合女子専門学校教授、1950年北海道大学文学部助教授、1957年文部省教科書調査官、1966年青山学院大学教授、1986年定年、名誉教授。中古・中世和歌と近代短歌を研究、特に「梁塵秘抄」と与謝野晶子研究で知られる。2005年、呼吸不全のため88歳で死去。
津田 幸男(つだ ゆきお、1917年8月15日 - 1979… 津田 幸男(つだ ゆきお、1917年8月15日 - 1979年4月17日)は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはGK。兵庫県神戸市出身。 第一神戸中学校時代に二宮洋一、直木和らと共に1933年に全国中等学校蹴球選手権大会(後の全国高等学校サッカー選手権大会)で優勝。卒業後には二宮と共に慶應義塾大学へ進学し、体育会ソッカー部へ入部。レギュラーの座を掴むと関東大学サッカーリーグ戦4連覇(1937年、1938年、1939年、1940年)、1937年の全日本総合蹴球選手権大会 (後の天皇杯全日本サッカー選手権大会)優勝、慶應BRB(現役選手とOBからなる混成チーム)の一員として1936年、1939年、1940年の全日本総合蹴球選手権大会 優勝に貢献した。
浜口 庫之助(はまぐち くらのすけ、1917年7月22日 -… 浜口 庫之助(はまぐち くらのすけ、1917年7月22日 - 1990年12月2日)は、日本のソングライター。兵庫県神戸市出身。愛称はハマクラ。府立四中卒業、早稲田大学中退。青山学院大学商学部卒業。パーカッショニストの浜口茂外也は子。元女優の渚まゆみは妻。
富松 信彦(とみまつ のぶひこ、1917年7月12日 - 1… 富松 信彦(とみまつ のぶひこ、1917年7月12日 - 1983年7月20日)は、昭和時代前期に活躍したプロ野球選手。
織田 重治(おだ しげはる、1917年(大正6年)6月29日… 織田 重治(おだ しげはる、1917年(大正6年)6月29日 - 1995年(平成7年))は、大阪通管工業所の創業者で、アマチュアの古代史研究家。フィギュアスケート選手・織田信成の祖父。 兵庫県神戸市生まれ。1966年(昭和41年)家庭用下水配管の洗浄業を大阪市浪速区桜川で個人経営として創業。1968年(昭和43年)4月、家庭用下水配管の洗浄業を有限会社大阪通管工業所に改組する。 1983年(昭和58年)大阪医科大学の解剖学実習のための献体組織「さつき会」の初代会長となる。1985年(昭和60年)3月、「好太王碑文」の改竄説否定と碑文の再解析のために、古田武彦に従い藤田友治ら21名と訪中して「好太王碑」の現地調査を行う。
後藤 比奈夫(ごとう ひなお、1917年〈大正6年〉4月23… 後藤 比奈夫(ごとう ひなお、1917年〈大正6年〉4月23日 - 2020年〈令和2年〉6月5日)は、大阪府出身の俳人。本名は日奈夫(読み同じ)。「諷詠」名誉主宰。父は後藤夜半。 大阪府西成郡今宮村に生まれる。神戸一中、旧制一高を経て、1941年に大阪大学物理学科を卒業。戦時中は陸軍の技術研究所に勤務。1947年、大阪市にボン電気会社を設立。1951年、父・夜半について俳句の道に入り、夜半の主宰誌「花鳥集」に拠る。「ホトトギス」「玉藻」にも投句し高濱年尾、星野立子に師事。1954年、「花鳥集」が「諷詠」に改題され、その編集兼発行人となる。1955年、波電子工業所を創業、1960年に株式会社となり代表取締役に就任。
日下寛治(くさか かんじ、1917年(大正6年)3月26日 … 日下寛治(くさか かんじ、1917年(大正6年)3月26日 - 2006年(平成18年)2月28日)は、日本の彫刻家。1933年(昭和8年)の日展初入選を皮切りに日彫賞など数多くの賞を受賞。日本美術家連盟会員、日本彫刻倶楽部会員、日本彫刻会会員として文展4回、日展22回の入選を重ね、日展無鑑査彫刻家として多くの作品を残した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
安田 章生(やすだ あやお、1917年〈大正6年〉3月24日… 安田 章生(やすだ あやお、1917年〈大正6年〉3月24日 - 1979年〈昭和54年〉2月13日)は、昭和期の歌人、国文学者。文学博士。 尾上柴舟門下の歌人・安田青風の長男として兵庫県に生まれる。2歳のとき朝鮮・釜山に、4歳のとき京城に移る。1921年、兵庫県揖保郡龍野町(現たつの市)に転居。1925年、宍粟郡山崎町に移る。 龍野中学校(現兵庫県立龍野高等学校)、姫路高等学校文科を経て、東京帝国大学国語国文学科卒。大手前高等女学校教諭となる。戦中は土浦海軍航空隊教授嘱託、海軍教授を務める。1945年、天理語学専門学校(現天理大学)教授。1946年、樟蔭女子専門学校(現大阪樟蔭女子大学)教授。
砂田 重民(すなだ しげたみ、1917年3月4日 - 199… 砂田 重民(すなだ しげたみ、1917年3月4日 - 1990年9月24日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。衆議院議員、文部大臣、沖縄開発庁長官兼北海道開発庁長官などを務めた。父は自民党総務会長を務めた砂田重政。従弟は元衆議院議員の砂田圭佑。 兵庫県神戸市出身。暁星学園を経て、立教大学経済学部卒業。河野一郎の秘書を経て、1963年の第30回衆議院議員総選挙に父・重政の後継者として旧兵庫1区から出馬し初当選。当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮などがいる。以後2回連続当選後、3期目途中で議員を辞職し、1972年の神戸市長選挙に、自民党と袂を分かった現職の宮崎辰雄に挑む形で立候補したが落選。
冨久 正二(とみひさ しょうじ、1917年〈大正6年〉1月2… 冨久 正二(とみひさ しょうじ、1917年〈大正6年〉1月24日 - 2022年〈令和4年〉7月1日)は、日本の元マスターズ陸上競技選手。 1917年、兵庫県津名郡(現在の淡路島洲本市)で生まれ、5歳まで同地で育つ。以後父親の転勤に伴い飾磨郡(現・姫路市)・武庫郡(現・神戸市)、石川県と移住する。石川県在住時に小松商業学校(現・石川県立小松商業高等学校)を卒業。卒業後はいったん大阪市で丁稚となったものの3か月で脱走・帰郷し、小松製作所に就職する。 1938年に徴兵されて広島歩兵第11連隊第7中隊に所属し、日中戦争に従軍したが河南省にいたときに赤痢にかかり、さらに結核にも罹患して日本へ送還される。
嘉藤栄吉(かとう えいきち、1917年 - 2008年6月2… 嘉藤栄吉(かとう えいきち、1917年 - 2008年6月28日)は、兵庫県出身の元アマチュア野球選手。高校野球にて活躍した。
姫田 真佐久(ひめだ しんさく、1916年11月19日 - … 姫田 真佐久(ひめだ しんさく、1916年11月19日 - 1997年7月29日)は、日本の撮影監督である。兵庫県加古川市出身。 帝国美術学校を中退し、1937年4月日活多摩川撮影所(後の大映東京撮影所)に撮影助手として入社。同期には的場徹がいる。渡辺五郎の下で特撮カメラマンを経て、本編班に移り撮影監督デビュー。退社後は主に日活で活動した。今村昌平や神代辰巳との仕事で知られている。「戦後の日本映画を代表する撮影監督の一人」とされている。 日本アカデミー賞を3度受賞した他、1970年には『トラ・トラ・トラ!』でアカデミー賞撮影賞にノミネートされた。
水の也 清美(みずのや きよみ、1916年8月18日 - 没… 水の也 清美(みずのや きよみ、1916年8月18日 - 没年不詳)は、日本の女優である。兵庫県神戸市出身。本名は水谷 貞(みずたに さだ)(根沢 貞子とも)。宝塚歌劇団時代の芸名は左近 八重子(さこん やえこ)。愛称はサアちゃん。 兵庫生まれで兄三人姉一人妹一人がいた。水谷八重子は叔母で9歳のときに叔母とともに初舞台を踏む。幼少期は芸術座にいて芸術座童話劇部として活動していた。東京府立第五高等女学校(現在の東京都立富士高等学校・附属中学校)を三年で中退、宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)に入る。1931年に宝塚少女歌劇団の21期生として入団。同期に轟夕起子、服部富子がいた。1932年4月、『フーピー・ガール』で初舞台を踏んだ。