吉田 之久(よしだ ゆきひさ、1926年12月4日 - 20… 吉田 之久(よしだ ゆきひさ、1926年12月4日 - 2003年3月24日)は、日本の元軍人、政治家。海兵74期。最終階級は少尉。戦後、衆議院議員(通算7期)、参議院議員(連続2期)。奈良県磯城郡田原本町出身。位階は従三位。
奈良県:10人
吉田 之久(よしだ ゆきひさ、1926年12月4日 - 20… 吉田 之久(よしだ ゆきひさ、1926年12月4日 - 2003年3月24日)は、日本の元軍人、政治家。海兵74期。最終階級は少尉。戦後、衆議院議員(通算7期)、参議院議員(連続2期)。奈良県磯城郡田原本町出身。位階は従三位。
好川 三郎(よしかわ さぶろう、1916年〈大正5年〉10月… 好川 三郎(よしかわ さぶろう、1916年〈大正5年〉10月11日 - 1983年〈昭和58年〉4月4日)は、日本の陸軍軍人、政治家。奈良県橿原市の初代市長をつとめ、紀元節復活運動に尽力し、「紀元節市長」として全国的な知名度を有した。 1916年(大正5年)10月11日生まれ。 畝傍中学校(旧制、現・奈良県立畝傍高等学校)2年修了、陸軍幼年学校、陸軍士官学校(50期)を経て陸軍大学校(60期)を卒業。陸軍少尉任官、歩兵第37連隊付となり小隊長、中隊長として満州・中支に従軍。その後、陸軍参謀となり陸軍少佐として終戦を迎える。1947年(昭和22年)11月28日、元陸軍将校として公職追放指定。戦後は服飾学校「八木ドレスメーカー女学院」を経営した。
堀 栄三(ほり えいぞう、1913年〈大正2年〉10月16日… 堀 栄三(ほり えいぞう、1913年〈大正2年〉10月16日 - 1995年〈平成7年〉6月5日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。階級は陸軍中佐、陸将補。 正確な情報の収集とその分析という過程を軽視する大本営にあって、情報分析によって米軍の侵攻パターンを的確に予測したため、「マッカーサー参謀」とあだ名された。戦中の山下奉文陸軍大将、そして戦後海外の戦史研究家にもその能力を高く評価されている。 参議院議員、国土交通大臣(2011年4月 - 2012年6月)の前田武志は堀の甥である。 奈良県吉野郡西吉野村(現五條市)出身。伊藤祐一郎の子に生まれる。陸軍航空本部長、第1師団長や留守航空兵団司令官を務めた陸軍中将堀丈夫(士官候補生13期)の養子となる。
嶋崎 重和(しまざき しげかず、1908年(明治41年)9月… 嶋崎 重和(しまざき しげかず、1908年(明治41年)9月9日 - 1945年(昭和20年)1月9日)は、日本の海軍軍人。空母「瑞鶴」飛行隊長として真珠湾攻撃で第二次攻撃隊長を務めた。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。 本籍は大分県。鉄道局技師・澤重元の三男として奈良市で生れ、嶋崎家の養子となる。上野中学校(現・三重県立上野高等学校)、愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)を経て、1929年(昭和4年)3月、海軍兵学校(第57期)を卒業。1930年(昭和5年)12月、海軍少尉任官。高橋赫一の薦めにより、高橋の妻の妹と結婚する。 1932年(昭和7年)12月から翌年7月まで、第23期飛行学生として訓練を受けた。
杉田 一次(すぎた かずし、1904年〈明治37年〉3月31… 杉田 一次(すぎた かずし、1904年〈明治37年〉3月31日 - 1993年〈平成5年〉4月12日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。陸士37期・陸大44期。最終階級は帝国陸軍では陸軍大佐、陸自では陸上幕僚長たる陸将。第4代陸上幕僚長を務めた。 米国陸軍隊付の経験に加えて在アメリカ大使館駐在武官補佐官の経験から、対米開戦に終始反対し、海軍をも巻き込んで開戦阻止に動いたが上層部を説得することができなかった。第25軍情報参謀としてマレー作戦に従軍、シンガポールの戦い後の降伏交渉において後半から山下奉文将軍の通訳を務める。イギリス軍に対する降伏勧告文を起案した。 ガタルカナル作戦では大本営派遣参謀として現地に入り、第2師団の作戦に関与。
淵田 美津雄(ふちだ みつお、1902年(明治35年)12月… 淵田 美津雄(ふちだ みつお、1902年(明治35年)12月3日 - 1976年(昭和51年)5月30日)は、日本の海軍軍人、キリスト教伝道者。海軍兵学校52期。最終階級は海軍大佐。 1902年12月3日、奈良県北葛城郡磐城村(現・葛城市)で教師の父・弥蔵と母・シカの三男として生まれる。旧制奈良県立畝傍中学校を経て、1921年(大正10年)、海軍兵学校に海兵52期として入学する。同期に源田実、高松宮宣仁親王らがいる。1924年7月24日、海軍兵学校を卒業、少尉候補生。 1925年12月、巡洋艦「矢矧」乗組。1926年12月、海軍砲術学校普通科学生。1927年4月、海軍水雷学校普通科学生。1927年7月、駆逐艦「秋風」乗組。
東 庄太郎(ひがし しょうたろう、1901年(明治34年)4… 東 庄太郎(ひがし しょうたろう、1901年(明治34年)4月15日 - 1945年(昭和20年)3月17日戦死認定)は、日本の軍人。硫黄島の戦いで小笠原兵団の高射砲隊を指揮した。最終階級は陸軍少佐、玉砕後大佐に二階級特進。 奈良県宇陀郡宇賀志村(現・宇陀市)佐倉出身。 1921年(大正10年)12月、伏見野砲兵第22連隊に現役入営。1930年(昭和5年)時点で本部附陸軍軍曹。1935年(昭和10年)、少尉候補者15期生として陸軍士官学校卒業。1936年3月、砲兵少尉。1937年(昭和12年)2月、陸軍野戦砲兵学校に入学(高射砲学生)。8月、千葉県柏市の高射砲第2連隊(第77部隊)に転じ、さらにその10日後、近衛師団第7高射砲隊に転じ、上海に上陸。
山本 茂一郎(やまもと もいちろう、1898年(明治31年)… 山本 茂一郎(やまもと もいちろう、1898年(明治31年)10月8日 - 1978年(昭和53年)5月13日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。 陸士31期、陸大38期(優等)。参議院議員(2期)。 和歌山県出身。農業・製糸業山本亀吉の四男として生まれる。五條中学校卒を経て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官され、歩兵第38連隊付となる。1926年(大正15年)12月、陸軍大学校(38期)を優等で卒業した。 1928年(昭和3年)3月、陸軍省整備局付勤務、整備局課員、イギリス駐在などを経て、1933年(昭和8年)3月、陸軍兵器本廠付に発令され、ジュネーブ軍縮会議日本全権団随員となる。
寺本 熊市(てらもと くまいち、1889年(明治22年)1月… 寺本 熊市(てらもと くまいち、1889年(明治22年)1月3日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 和歌山県伊都郡平野村(隅田村大字平野を経て現橋本市)で、八幡社神官・寺本政吉の三男として生まれる。五条中学、仙台陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第10連隊付となる。陸士生徒隊付などを経て、1921年(大正10年)11月、陸軍大学校(33期)を卒業した。翌月、歩兵第10連隊中隊長に就任。 1922年(大正11年)12月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員、第3師団参謀を歴任。
江藤 源九郎(えとう げんくろう、1879年(明治12年)2… 江藤 源九郎(えとう げんくろう、1879年(明治12年)2月25日 - 1957年(昭和32年)5月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。衆議院議員。 東京府神田区で江藤源作(江藤新平の弟)、はま夫妻の二男として生まれる。その後、父の転勤で奈良に移転。奈良県尋常中学校(現奈良県立郡山高等学校)を経て、1899年11月21日、陸軍士官学校(11期)を卒業。1900年6月22日、陸軍歩兵少尉に任官し、歩兵第38連隊付となる。1904年3月から1905年1月まで日露戦争に出征した。 以後、参謀本部副官、関東都督副官、台湾歩兵第1連隊大隊長、八代連隊区司令官、新発田連隊区司令官、歩兵第53連隊長、歩兵第38連隊長などを歴任。