千田 軍之助(せんだ ぐんのすけ、安政3年2月11日(185… 千田 軍之助(せんだ ぐんのすけ、安政3年2月11日(1856年3月17日) – 大正3年(1914年)3月2日)は、衆議院議員(自由党→憲政党→立憲政友会)、ジャーナリスト。 紀伊国那賀郡南志野村(現在の和歌山県紀の川市)の郷士の家に生まれた。1874年(明治7年)、副戸長となり、第三大区第二小区会議所に勤務した。1876年(明治9年)、地租改正にあたって県令神山郡廉に地価の不当を訴えたが、容れられなかったため副戸長を辞した。その後、児玉庄右衛門(児玉仲児の父)らとともに自由民権運動を展開したため、投獄された。これに対し数百の民衆が彼らを奪還しようと蜂起したため、神山は大阪鎮台に出兵を乞う事態となった(粉河騒動)。
岡崎 邦輔(おかざき くにすけ、1854年4月12日(嘉永7… 岡崎 邦輔(おかざき くにすけ、1854年4月12日(嘉永7年3月15日) - 1936年(昭和11年)7月22日)は、日本の政治家・実業家。号は晩香。 自由党を経て、立憲政友会衆議院議員、加藤高明内閣の農林大臣、貴族院議員を歴任する。陸奥宗光の配下として活躍し、政界の寝業師、策士として知られた。 現在の和歌山市で、嘉永7年(1854年)3月15日(衆議院に提出した履歴による。嘉永6年(1853年)説もあり)、紀州藩士・長坂学弥(がくや)の子として生まれる。孫の岡崎久彦によれば、長坂家は長坂血鑓九郎の末裔であるという。江戸の旗本直参・長坂本家との関係は、系図に明らかでなく、大坂夏の陣後の元和年間に徳川頼宣に従って紀州入りしたときに与えられた1,000石のお墨付が遺るのみという。
加藤 杲(かとう あきら、1854年3月22日〈安政元年2月… 加藤 杲(かとう あきら、1854年3月22日〈安政元年2月24日〉 - 1938年〈昭和13年〉9月20日)は、明治時代後期から昭和時代戦前の政治家。銀行家。和歌山県和歌山市長。旧姓は茨木、旧名は六之助。 和歌山城下出身。紀州藩家臣の茨木藤助の三男として生まれ、のち加藤仁左衛門の養子となる。1880年(明治13年)和歌山区書記となり、和歌山市収入役、助役を経て、1897年(明治30年)9月から1914年(大正3年)11月まで和歌山市長を務める。その間、1890年(明治23年)3月に和歌山県会議員に当選し、再選を経て1898年(明治31年)9月まで務めた。 財界では、1916年(大正5年)紀陽貯蓄銀行取締役となり、1920年(大正9年)頭取に就任。
遠藤 慎司(えんどう しんじ、嘉永6年3月30日(1853年… 遠藤 慎司(えんどう しんじ、嘉永6年3月30日(1853年5月7日) - 昭和7年(1932年)4月7日)は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍主計監(少将相当官)。和歌山市長。 紀州藩士・遠藤圭介(泰貫)の長男として和歌山城下の藩邸で生まれ、藩主に従って江戸に遊学した。1877年(明治10年)より陸軍省に出仕し、会計局に勤務した。1881年(明治14年)よりドイツに留学し、会計学を学んだ。帰国後の1885年(明治18年)に陸軍大学校教官を兼務し、お雇い外国人クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケルの通訳を務めた。1890年(明治23年)に陸軍経理学校が設立されると教官に任命された。日清戦争が発生すると第二軍経理顧問として従軍し、さらに台湾総督府中央会計部長心得、台湾兵站監督部長を歴任した。
神崎 修三(こうざき しゅうぞう、1853年1月25日(嘉永… 神崎 修三(こうざき しゅうぞう、1853年1月25日(嘉永5年12月16日)– 1917年(大正6年)5月4日)は、明治・大正期の地主、政治家、実業家。衆議院議員。旧姓・堀内。 紀伊国名草郡神前村(和歌山県名草郡岡崎村、海草郡岡崎村を経て現和歌山市)で堀内伊兵衛の長男として生まれ、豪農・神前吉次郎の養子となる。漢学を修めた。 1888年(明治21年)1月、補欠選挙で和歌山県会議員に当選。1889年(明治22年)、1894年(明治27年)、1898年(明治31年)に再選され、1899年(明治32年)9月に退任。1901年(明治34年)5月に補欠選挙で当選し、1902年(明治35年)8月に衆議院議員に当選のため辞職した。
菅沼 政経(すがぬま まさのり、1851年(嘉永4年2月) … 菅沼 政経(すがぬま まさのり、1851年(嘉永4年2月) - 1912年(大正元年)9月17日)は、明治時代の政治家。官吏。銀行家。和歌山県会議長。幼名は松之凾。 菅沼半兵衛の子として和歌山城下(現和歌山市)に生まれる。維新後の1871年(明治4年)に上京し、1875年(明治8年)慶應義塾を卒業する。 1877年(明治10年)三浦権五郎、長屋喜弥太らと協力し、旧藩主の徳川茂承より10万円の拠出を受け徳義社を設立し、のち社長を務めた。ほか同年、南海新報を発行した。 1878年(明治11年)県御用掛を経て、1879年(明治12年)2月に初代那賀郡長に就任。翌年10月まで在職した。1881年(明治14年)4月、和歌山県会議員選挙に補欠当選し、1882年(明治15年)再選、同年6月から県会議長を務め、1885年(明治18年)8月に退任した。
児玉 仲児(こだま ちゅうじ、嘉永2年11月14日(1849… 児玉 仲児(こだま ちゅうじ、嘉永2年11月14日(1849年12月28日) - 明治42年(1909年)1月24日)は、和歌山県の民権家、官吏、衆議院議員(3期)、大日本水産会名誉会員。 紀伊国那賀郡中山村(粉河村、粉河町を経て現紀の川市)生まれ。同窓に濱口梧陵、陸奥宗光など。 はじめ、森田節斎について漢学を学び、京阪の鴻儒について文学を修める。明治6年(1873年)に慶應義塾に入学し、卒業後に大蔵省記録局(13等)に出仕。のちに辞して自由民権運動に参加。明治9年(1876年)の地租改正について、和歌山県令・神山郡廉に提出した建白書を発端にして、「粉河騒動」の端緒となる。 明治10年(1877年)陸奥宗光の協力により、粉河に風猛学校を設立し、翌年に自由民権の結社・実学社、木国同友会を率いる。
小幡 儼太郎(おばた げんたろう、1848年12月17日(嘉… 小幡 儼太郎(おばた げんたろう、1848年12月17日(嘉永元年11月22日)– 1909年(明治42年)7月8日)は、明治期の漢学者、政治家。衆議院議員。幼名・正己。号・楽山、水哉。 紀伊国名草郡和歌山城下(和歌山県和歌山区を経て現和歌山市)で、和歌山詰、紀伊田辺藩士・小幡儀左衛門の長男として生まれる。父は早くに没した。 1868年(明治元年)京都で僧・天章に漢学を師事し、その後、大坂の並河華、兵庫の菅野健助に学び、さらに、東京の安井息軒、塩谷宕陰、伊勢の土井有恪に師事した。牟婁郡田辺城下で漢学塾を開き子弟の教育を行った。 1873年(明治6年)第七大区学区取締に就任し、同区一小区長、西牟婁郡書記を歴任し、1881年(明治14年)に退職。
草郷 清四郎(そうごう せいしろう、1846年1月28日〈弘… 草郷 清四郎(そうごう せいしろう、1846年1月28日〈弘化3年1月2日〉 - 1924年〈大正13年〉8月9日)は、幕末の武士、明治・大正期の実業家である。 和歌山出身で元は紀州藩士。福澤諭吉の慶應義塾で学び、明治維新後は義塾の塾監や大学東校総幹事など教育に関わっていたが1880年(明治13年)より実業界に転身。主として鉄道会社の経営に関わり小田原電気鉄道(小田急箱根の前身)を長く務めた。 草郷清四郎は、弘化3年1月2日(新暦:1846年1月28日)、草郷久次郎の三男として生まれた。出身地は紀伊国和歌山城下の岡領町(現・和歌山県和歌山市)で、父は紀州藩士であった。13歳で父が死去すると遠縁にあたる勢州奉行三木家に寄居し文武を修める。
中西 光三郎(なかにし みつさぶろう、弘化2年1月15日(1… 中西 光三郎(なかにし みつさぶろう、弘化2年1月15日(1845年2月21日) – 明治43年(1910年)7月10日)は、衆議院議員(立憲政友会)、貴族院多額納税者議員。 紀伊国那賀郡井ノ口村(現在の和歌山県紀の川市)の豪農の家に生まれた。1862年(文久2年)、父の跡を継いで庄屋となり、1872年(明治5年)に大区小区制が実施されると区長に就任した。1879年(明治12年)、県会制度が制定されると初代副議長に選出された(議長は濱口梧陵)。1881年(明治14年)、議長に就任。同年、木国同友会という政社を結成し、濱口会長のもと副会長に就いた。やがて松本鼎県令と対立し、松本は懐柔のため郡長就任をたびたび要請した。
吉村 角次郎(よしむら かくじろう、1844年10月19日(… 吉村 角次郎(よしむら かくじろう、1844年10月19日(弘化元年9月8日)- 1921年(大正10年)10月8日)は、幕末から大正期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 紀伊国那賀郡山崎組畑毛村(和歌山県那賀郡山崎村、岩出町を経て現岩出市)で、吉村六右衛門の息子として生まれた。元治元年(1864年)以降、那賀郡畑毛村ほか3ヵ村庄屋、戸長を務めた。 1875年(明治8年)父の死去に伴い家督を相続した。1878年(明治11年)頃から津村重兵衛と協力して養蚕業の振興に尽力。1890年(明治23年)居谷平助と共同で岩出製糸工場を設置し、他に畑毛製糸を設立して経営したが、経済状況の悪化により、1895年(明治28年)に畑毛製糸が、翌年には岩出製糸工場が閉鎖を余儀なくされた。
桂 文左衛門(かつら ぶんざえもん、 1844年 - 191… 桂 文左衛門(かつら ぶんざえもん、 1844年 - 1916年5月16日)は、紀州粉河(現在の和歌山県紀の川市)生まれの上方噺家。本名: 渡辺 儀助。享年72。 最初初代桂萬光門下で初代桂南光を名乗る。明治2年に立川三光(3代目立川三光)門下で初代立川三木助の後、明治5年9月に初代桂文枝門下で初代桂文三、1881年12月に2代目桂文枝を経て、1904年に桂文左衛門を名乗る。同門の2代目桂文都(後の2代目月亭文都)、初代桂文之助、初代桂文團治と共に、当時の「四天王」と呼ばれる。 1874年4月3日、師匠の初代文枝が亡くなると、一門の桂文都との間で2代目襲名問題が起こり、勝利した文三が2代目文枝を名乗り、「桂派」の総領に就任。
佐々木 直前(ささき なおまえ、1842年 - 大正5年(1… 佐々木 直前(ささき なおまえ、1842年 - 大正5年(1916年)11月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍工兵大佐。紀州藩(和歌山県)出身。慶應義塾出身の士官として、明治時代の陸軍省および砲兵工廠に勤務した。 紀州藩の藩士として生まれる。明治4年(1871年)頃、洋行を志した同藩の後輩松島剛を憐れみ、学資を補助したと伝えられる。 明治5年(1872年)に陸軍大尉に任じられ、明治6年(1873年)8月26日、陸軍少佐。明治13年(1880年)には陸軍工兵中佐に進み、従六位・勲五等を授与された。明治19年(1886年)に勲四等旭日小綬章を受章し、明治25年(1892年)3月11日に正五位に叙せられた。
松山 棟庵(まつやま とうあん、1839年10月23日(天保… 松山 棟庵(まつやま とうあん、1839年10月23日(天保10年9月17日) - 1919年(大正8年)12月12日)は、幕末・明治の日本の医師。大学東校(現東京大学医学部)大教授。慶應義塾医学所校長。東京慈恵会医科大学創立者。初名は勤。棟庵は名、字は功、号は棲菝で尊生舎と称した。紀州藩出身。 紀伊国那賀郡神田村(現・和歌山県紀の川市)で。医師松山庄太郎の四男として生まれた。兄は蘭方医新宮凉庭の養子の凉介。帯刀を許されていた藩士で、浜口梧陵と共に、福沢諭吉を6000石で紀州藩に招聘しようと企てたが拒否されたため、紀州和歌山藩の選抜留学生として江戸の慶應義塾に派遣される。紀州藩士の慶應義塾留学に重要な役割を果たしたといわれる山口良蔵が同門に居る。
宇井 可道(うい よしみち、天保8年8月26日(1837年9… 宇井 可道(うい よしみち、天保8年8月26日(1837年9月25日) - 1922年(大正11年)12月10日)は日本の国学者、歌人、民俗学者。紀伊国牟婁郡上三栖村庄屋・村長、紀伊田辺藩貧院頭取、和歌山県西牟婁郡職員、田辺銀行支配人。熊代繁里に国学を学び、晩桜社を主催し、郷土の民話を採取した。 天保8年(1837年)8月26日紀伊国牟婁郡上三栖村に生まれた。弘化4年(1847年)5月坂本弥平や兄勝之助に習字、児島熊仙に漢籍を学んだ。安政4年(1857年)8月兄が死去すると、10月嗣子となり、文久元年(1861年)4月上三栖村庄屋に就任した。 慶応3年(1867年)1月紀伊田辺藩士熊代繁里に入門し、明治5年(1872年)4月まで田辺まで2里の道程を通学し、国学・和歌を学んだ。
鳥山 啓(とりやま ひらく、天保8年3月25日(1837年4… 鳥山 啓(とりやま ひらく、天保8年3月25日(1837年4月29日) - 大正3年(1914年)2月28日)は、紀伊田辺藩(現和歌山県田辺市)出身の博物学者、教育者、作詞家。南方熊楠の恩師であり、「軍艦(軍艦行進曲)」の作詞者としても知られる。 天保8年3月25日(1837年4月29日)、田辺の大庄屋田所佐平の次男として生まれる。幼名は象次郎。名を為助、字を明郷とした。田辺藩士鳥山純昭の養子となり、藩主安藤直裕の近従として召し出される。8歳の頃から真砂丈平から漢学を、医師石田三郎から本草学を学び、15歳からは和歌山に出て本居内遠と熊代瑞穂に就き国学を修め、その傍らで天文学や科学、地理学、英学なども幅広く学んだ。
前田 謙祐(まえだ けんすけ、1836年(天保7年2月)- … 前田 謙祐(まえだ けんすけ、1836年(天保7年2月)- 1891年(明治24年)6月1日)は、明治期の地主、政治家。貴族院多額納税者議員。 紀伊国那賀郡 (和歌山県) 前田村(和歌山県那賀郡中貴志村、貴志川町を経て現紀の川市)で、屋号「一本木(いっぽんぎ)」豪農・前田若右衛門の長男として生まれる。家山角蔵に師事した。 1870年(明治3年)小倉組郷長に就任。1873年(明治6年)4月、小学校世話係となる。1874年(明治7年)前田・北山・尼寺3ヵ村戸長に就任し、以後、前田村戸長、上野山外10カ戸長を歴任した。 1876年(明治9年)地租改正の和歌山県案が紀北地方に不公平との不満から各地で騒動が頻発した際に、貴志地方の総代として農民側として解決に尽力した。
石橋 八九郎(いしばし はちくろう、旧姓・阪本、幼名・甚七、… 石橋 八九郎(いしばし はちくろう、旧姓・阪本、幼名・甚七、1833年〈天保4年〉 - 没年不明)は、日本の商人・会社役員・慈善家。救恤を致す。 紀州の人。海草郡加太村(現・和歌山市)生まれ。阪本甚右衛門の子である。家は代々網綱を商とし、「十一屋」と称する。成長すると紀泉両州に行商し、網綱を販ぎ1日も懈怠せず、「十一屋」の名が大に揚がる。 安政5年、石橋家を嗣ぐ。当時石橋家の資産は富裕ではなく、僅かに米穀と肥物を商い唯数畝の菜園あるのみであったが、八九郎が励精刻苦、家事を見るとまもなく漸く富裕となった。紀州銀行取締役、南陽肥料取締役などをつとめる。 性格は慈善を好み、救恤を致し、官は褒賞を賜うことになったが、八九郎は固辞して受けなかった。
津田 出(つだ いずる、天保3年2月1日(1832年3月3日… 津田 出(つだ いずる、天保3年2月1日(1832年3月3日) - 明治38年(1905年)6月2日)は、幕末期から明治前期にかけて活躍した武士・官僚、陸軍軍人。官位は錦鶏間祗候陸軍少将従二位勲一等。通称は又太郎。号は芝山。 弟は初代和歌山県知事の正臣。 紀州藩士(300石)の津田信徳(三郎右衛門)の長男として現在の和歌山県和歌山市に生まれる。津田家は河内国交野郡津田城主楠木正儀の後裔であり、戦国期に紀州に移り、藩祖入国以前からの住人として、代々紀州藩に仕えていた。山林を多数所有する豪家でもあった。 蘭学・徂徠学を学び、藩の小姓業奥右筆組頭を勤めたが、幕末の藩内抗争に関係して幽閉される。 明治維新後に藩主徳川茂承より小姓頭・井田民男を介して和歌山藩大参事へと大抜擢される。
加納 宗七(かのう そうしち、1827年7月16日(文政10… 加納 宗七(かのう そうしち、1827年7月16日(文政10年6月23日) - 1887年(明治20年)5月5日)は、江戸・明治期に活動した日本の商人。 文政10年6月23日(1827年7月16日)、和歌山城城下町の北ノ新地分銅町(現在の和歌山市北ノ新地分銅町)に生まれる。生家は紀州藩の御用商人宮本家で、酒造業や廻船業を営んでいた。結婚後、宗七は姓を加納と改めた。宗七は倒幕運動に参加し、慶応3年11月15日(1867年12月10日)に坂本龍馬が暗殺されると、三浦休太郎が坂本龍馬殺害に関与したとの情報を海援隊にもたらし、慶応3年12月7日(1868年1月1日)、陸奥宗光らとともに三浦を襲撃(天満屋事件)。
千田川 熊藏(せんだがわ くまぞう、1792年 - 1828… 千田川 熊藏(せんだがわ くまぞう、1792年 - 1828年2月22日(文政11年1月8日))は、大坂相撲・朝日山部屋、真鶴部屋、玉垣部屋に所属した大相撲力士。第99代大関。のち千田川吉藏。本名は目良 熊吉(吉藏)。紀伊国牟婁郡(現在の和歌山県田辺市)出身。188cm、体重不明。最高位は西大関。 大坂相撲を経て、1814年11月に関脇格で江戸相撲に加入、紀州藩の抱えであった。翌場所には大関に上がった。大関から陥落して2場所後に、四股名を千田川吉藏に改めた。以後も三役、上位で実力を発揮したが病に倒れ、1823年2月以降土俵を離れた。1828年に現役力士のまま死去した。 熊野潟(大坂相撲)→千田川熊藏(江戸相撲)→千田川吉藏(1816年3月場所-)
豊岡 んみ(とよおか んみ、12月21日 - )は、日本のタ… 豊岡 んみ(とよおか んみ、12月21日 - )は、日本のタレント、女優。和歌山県紀の川市出身。 19歳で出身地の和歌山県から大阪へ移住後、俳優の養成所で芝居を学ぶ。その後、俳優の活動を始める。2020年現在は関東、関西が活動の中心となっている。出演映画がゆうばり国際ファンタスティック映画祭で上映された。 2024年6月、俳優業引退をSNSにて発表。 映画出演を中心に、トーク番組MCやトークライブ、司会の仕事も多くしている。好きなものは小説、漫画、ウイスキー、ご飯、アニメ、美容、食品サンプル、オカルト、深海、宇宙、都市伝説。太宰文学研究会会員。
中井 優月(なかい ゆつき、5月20日 - )は、日本の女性… 中井 優月(なかい ゆつき、5月20日 - )は、日本の女性歌手。和歌山県和歌山市出身。ウインズ平阪の元サポートメンバー。元Fun×Famメンバー。 2011年から2017年3月まで地元和歌山を拠点に活動するローカルアイドルユニット「Fun×Fam」のメンバー、メインボーカル高校卒業を機にアイドルとしての活動を終了。 2018年5月7日に行われた「ウインズ平阪LIVE2018」からサポートメンバー加入。 2020年12月30日、自身初のソロアルバム『月白』を発表。 2022年5月3日を以って、ウインズ平阪のサポートメンバーを卒業した。 2023年3月25日KT Zepp Yokohama 行われたBUZZFESミスコン2023 準々グランプリ 2023年広瀬香美がたった一人で審査する覆面オーディション番組『歌姫ファイトクラブ‼︎心技体でSINGして!Hirose』に772番の歌姫候補として出演。
清水 じゅん(しみず じゅん、1月26日 - )は、日本の女… 清水 じゅん(しみず じゅん、1月26日 - )は、日本の女性声優。和歌山県和歌山市出身。RME所属。 大学は文学部史学科卒業。 趣味は食べ歩き、料理、雑貨屋巡り。 免許は高等学校教諭一種免許状(地理歴史)、学校図書館司書教諭。 資格は図書館司書、博物館学芸員。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
岡本 米次郎(おかもと よねじろう、生年不明 - 1897年… 岡本 米次郎(おかもと よねじろう、生年不明 - 1897年(明治30年)9月12日)は、日本の海軍兵学校生徒。海軍兵学校で発生した殺人事件の被害者である。 和歌山県出身。料理屋を営む父の次男である。和歌山師範附属小学校、和歌山中学を経て海軍兵学校へ進む。小中学校時代の成績は優秀であった。野村吉三郎は岡本の1年後輩で、両人は岡本家で勉強をともにした仲であり、野村が海軍へ進んだ理由に岡本の感化があった。岡本は海兵25期生に相当するが、このクラスは三度にわたる入校試験が行われた。当初は18名を募集したが合格者は5名であり、二度の追加募集で31名が入校している。岡本は18歳で、その第一回入校試験に合格する。
山本 大地 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(2… 山本 大地 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(2期)。和歌山市議会議員(2期)を務めた。
猫田しゅばる(ねこたしゅばる、本名 ウメモト ケンジ)は、日… 猫田しゅばる(ねこたしゅばる、本名 ウメモト ケンジ)は、日本の小説家、シナリオライター、ディレクター。和歌山県出身。関西在住。和歌山県立那賀高等学校卒業。桃山学院大学在学中に第3回ひまわり童話賞に入選。その後、フリーのマルチライターとしてデビュー。 アドベンチャーゲーム等のゲームシナリオを多数手掛けており、犬と人間との絆をテーマにしたオンラインゲーム『Soundness -DOG&FRIENDS ONLINE-』のメインシナリオを担当した。 また小説家としても活動中で、その場合は猫田しゅばるではなく植岡キクというペンネームを使用しているようである。
小林 悟楼 は、和歌山県出身のプロ野球選手。
島本 和夫 は、和歌山県出身のプロ野球選手。
田中 朋子 は、日本の元女子プロ野球選手で指導者。和歌山県出… 田中 朋子 は、日本の元女子プロ野球選手で指導者。和歌山県出身。
西岡 詩穂 は、日本のフェンシング(フルーレ)選手。
和歌山県立橋本高等学校邦楽部卒業
北本 正路 は、日本の陸上競技(中距離走・長距離走)選手、大… 北本 正路 は、日本の陸上競技(中距離走・長距離走)選手、大日本帝国陸軍軍人(最終階級は大尉)。
中川 虎大 は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。… 中川 虎大 は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。
森下 敏秀 は、和歌山県出身の元アマチュア野球選手である。ポ… 森下 敏秀 は、和歌山県出身の元アマチュア野球選手である。ポジションは内野手(三塁手)。
嶋田 好高 は、和歌山県有田市出身の日本の元プロ野球選手。プ… 嶋田 好高 は、和歌山県有田市出身の日本の元プロ野球選手。プロ在籍は独立リーグのみであった。
川崎 絢平 は、 和歌山県海南市出身の元アマチュア野球選手・… 川崎 絢平 は、 和歌山県海南市出身の元アマチュア野球選手・日本高校野球指導者。明豊高等学校野球部監督。
尾花 高夫 は、和歌山県伊都郡九度山町出身の元プロ野球選手(… 尾花 高夫 は、和歌山県伊都郡九度山町出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・監督、解説者。
富山 凌雅 は、和歌山県御坊市出身のプロ野球選手(投手)。左… 富山 凌雅 は、和歌山県御坊市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。オリックス・バファローズ所属。
阪井 あゆみ は、日本の女性ファッションモデル、歌手。和歌山… 阪井 あゆみ は、日本の女性ファッションモデル、歌手。和歌山県橋本市出身。テンカラット所属。
はやし りか は、日本の女性声優。和歌山県橋本市出身。アーツ… はやし りか は、日本の女性声優。和歌山県橋本市出身。アーツビジョン所属。
KEITO OKA(けいとおか、本名:岡 敬人)は、和歌山県… KEITO OKA(けいとおか、本名:岡 敬人)は、和歌山県和歌山市出身の手品師。生年月日は「永遠の青年」としており、事実上は非公表。 大掛かりなイリュージョンマジックを得意とし、主に関西を中心に活動。近年ではテレビでの活動も見られる。 若年の頃より髪型を、リーゼント風のオールバックにし、トレードマークともいえる。身長180センチを超える体格を生かし、手品のレパートリーを幅広く持つ。 現在では年に数回、にっぽん丸などの豪華客船でのイベントアトラクションを担当する。
塩﨑 太智 は、日本の俳優、歌手。5人組ダンスボーカルユニッ… 塩﨑 太智 は、日本の俳優、歌手。5人組ダンスボーカルユニットM!LKのメンバー。
ジェームス 西田(ジェームス にしだ、本名:西田 昌弘(にし… ジェームス 西田(ジェームス にしだ、本名:西田 昌弘(にしだ まさひろ)、12月16日 - )は和歌山県出身のミュージシャンである。
杉原 あつ子(すぎはら あつこ、8月22日 - )は、日本の… 杉原 あつ子(すぎはら あつこ、8月22日 - )は、日本のカンツォーネ歌手、女優。和歌山県出身。 御坊市出身。和歌山県立日高高等学校、1981年駒澤大学文学部歴史学科卒業。 大学在学中から文学座附属演劇研究所に入所。大学卒業後は舞台やテレビドラマの俳優として活動。杉村春子に師事。演劇のかたわら、歌のレッスンを続ける。カンツォーネは村上進に師事。1988年からライブハウス、シャンソニエなどで歌い始める。その後、活動を歌にしぼり、カンツォーネ(イタリアン・ポップス)に日本語の繊細な表現を合わせて歌うとともに、日本語の訳詞にも力を入れる。2008年5月に発表したセカンド・アルバム「Portrait」では作詞を手がけた。
岡本 弥紀(おかもと よしあき、2月13日 - )は、音楽制… 岡本 弥紀(おかもと よしあき、2月13日 - )は、音楽制作ユニット『FLAT5th』に所属する日本のソングライター・編曲家。英語表記名はFLAT5th Yoshiaki Okamoto。 和歌山県高野山生まれ。ニックネームは「おかP」。2006年から自身のブランドである制作ユニット『FLAT5th』を設立。同年から伊藤由奈や柴咲コウ等へ楽曲提供、CMソング等への楽曲提供等幅広く活動。FLAT5th設立前はクラブシーンでの活動がメインだった為、ハウスやR&B、各種ルーツミュージックを独自に解釈したサウンドが特徴的である。Macユーザーでミュージックシーケンサーは主にLogic Proを使用。
小西 つどい は、日本の元女子プロ野球選手。和歌山県出身。ポ… 小西 つどい は、日本の元女子プロ野球選手。和歌山県出身。ポジションはセカンド。
Nazuki Saxophone(ナヅキ・サクソフォーン)は… Nazuki Saxophone(ナヅキ・サクソフォーン)は和歌山県和歌山市出身のサクソフォーン奏者。 小学校5年生で金管バンドに所属し、ユーフォニアムを担当。中学校で吹奏楽部に所属し、父のジャズ好きに影響されアルト・サクソフォーンを始める。和歌山県立星林高等学校国際交流科を卒業後、20歳から和歌山県内の中学、高校の吹奏楽部にレッスン講師として招かれる。中学高校合わせて12校にて指導を行った他、成見楽器店でも講師を務めた。関西外国語大学短期大学部英米語学科卒業。 21歳で音楽事務所「OFFICE TONE」に所属、プロのサクソフォーン奏者としてキャリアを開始。イベント、ブライダル、パーティでの演奏などを中心に活動する。
小西 克幸 は、日本の声優、舞台俳優。和歌山県和歌山市出身。… 小西 克幸 は、日本の声優、舞台俳優。和歌山県和歌山市出身。賢プロダクション所属。関智一が座長を務めている劇団ヘロヘロQカムパニーの副座長を務めていたが、現在休団中。