小野 清之(おの きよゆき、1939年 - 2009年)は、… 小野 清之(おの きよゆき、1939年 - 2009年)は、英米文学者。千葉大学名誉教授。フォークナー研究で知られる。岡山県生まれ。 1945年小野家に谷崎潤一郎一家が疎開で滞在し谷崎家と親交がある。 上記 小野清之著書の略歴等紹介文より。(特に『あの日、あの人』で自叙伝の紹介)
岡山県:1,779人
小野 清之(おの きよゆき、1939年 - 2009年)は、… 小野 清之(おの きよゆき、1939年 - 2009年)は、英米文学者。千葉大学名誉教授。フォークナー研究で知られる。岡山県生まれ。 1945年小野家に谷崎潤一郎一家が疎開で滞在し谷崎家と親交がある。 上記 小野清之著書の略歴等紹介文より。(特に『あの日、あの人』で自叙伝の紹介)
松岡 巌鉄(まつおか がんてつ、1938年11月25日 - … 松岡 巌鉄(まつおか がんてつ、1938年11月25日 - )は、岡山県和気郡香登町(現・備前市)出身で間垣部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。大相撲時代の四股名は正剛山(せいござん)で、最高位は幕下33枚目。本名は、松岡 政雄(まつおか まさお)。 1958年、間垣部屋に入門して松岡山の四股名で1958年7月場所で初土俵、同年11月場所には四股名を正剛山と改め序二段優勝、1960年11月場所には三段目優勝して幕下昇進を果すが、1962年1月場所限りで廃業。 1962年、日本プロレスに入門し、大相撲時代の四股名である正剛山をリングネームとしてデビュー、後に松岡巌鉄に改名。 1968年1月18日には、国際プロレスのブッカーとして大木金太郎の引き抜きを画策したグレート東郷を、ユセフ・トルコとともに襲撃して負傷させた 。
荒嶋 龍一(あらしま りょういち、1938年〈昭和13年〉7… 荒嶋 龍一(あらしま りょういち、1938年〈昭和13年〉7月10日 - )は、日本の政治家、元岡山県赤磐市長(1期)。旭日双光章受章。 岡山県出身。岡山県立瀬戸高等学校卒。吉井町農業共済組合に就職後、吉井町役場に勤務し、収入役など各役職を歴任する。1998年 吉井町長に当選し、2期務める。2005年、吉井町は合併により、赤磐市が発足。合併後の赤磐市長の市長選挙に立候補し、2人を破って当選した。赤磐市長を1期務め、2009年の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、元赤磐市議の井上稔朗に敗れて落選した。
酒井 賢(、1938年〈昭和13年〉6月2日 - )は、日本… 酒井 賢(、1938年〈昭和13年〉6月2日 - )は、日本映画の美術監督。岡山県真庭郡新庄村出身。 地元の岡山県立勝山高等学校を卒業後、多摩美術大学卒業。1961年に、東宝へ入社。美術助手として、黒澤明、成瀬巳喜男、市川崑、岡本喜八、森谷司郎、熊井啓、降旗康男などの監督作品に参加した後、美術監督に移行する。『「さよなら」の女たち』、『マイフェニックス』、『ゴジラVSキングギドラ』から『ゴジラVSスペースゴジラ』までのゴジラ作品を担当したあとの1998年、東宝を退社してフリーになる。小泉堯史監督作品『阿弥陀堂だより』(2002年)、『博士の愛した数式』(2006年)、『明日への遺言』(2008年)、『蜩ノ記』(2014年)、『峠 最後のサムライ』(2022年)の美術を手掛ける。
豊田 昌倫(とよた まさのり、1938年3月31日 - )は… 豊田 昌倫(とよた まさのり、1938年3月31日 - )は、日本の英語学者、京都大学名誉教授、関西外国語大学名誉教授。専門は、英語文体論。 1938年、岡山県岡山市生まれ。岡山大学法文学部を卒業し、京都大学大学院へ進んだ。1964年、京都大学大学院博士課程を単位修得退学。1974年から1976年までロンドン大学に留学。 帰国後、大阪大学教養部助教授に着任。その後、京都大学教養部助教授となった。同大学文学部助教授となり、1993年に教授昇進。2004年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は、関西外国語大学教授として教鞭をとり、退任後名誉教授となった。関西外国語大学国際文化研究所所長を歴任。
立石 憲利(たていし のりとし、1938年〈昭和13年〉3月… 立石 憲利(たていし のりとし、1938年〈昭和13年〉3月7日 ‐ )は、日本の民俗学者、岡山県の民話研究家。岡山民俗学会名誉理事長、日本民話の会運営委員、岡山県語りのネットワーク会長。 岡山県久米郡津山市出身。2004年久留島武彦文化賞、2007年岡山県文化賞、山陽新聞賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
本郷 功次郎(ほんごう こうじろう、1938年2月15日 -… 本郷 功次郎(ほんごう こうじろう、1938年2月15日 - 2013年2月14日)は、日本の俳優。 大映で、柔道のできる二枚目俳優として1959年の『講道館に陽は上る』の準主役でデビューし、同年、続けて『海軍兵学校物語 あゝ江田島』『濡れ髪三度笠』に出演し、1959年の製作者協会新人賞を受賞。現代劇も時代劇も演じられる俳優と認められ、1961年には日本初の70mm映画『釈迦』で釈迦を演じ、大映の主演級映画スターとなり、『情熱の詩人啄木』(1962年)でも石川啄木を演じた。デビュー作だけでなく『日本名勝負物語 講道館の鷲』(1964年)でも姿三四郎を演じるなど、いくつもの柔道映画に柔道家役で出演。
塩見 鮮一郎(しおみ せんいちろう、1938年2月6日 - … 塩見 鮮一郎(しおみ せんいちろう、1938年2月6日 - )は、日本の作家。岡山市生まれ。本名同じ。 岡山大学法文学部独文科卒。大学在学中から小説・評論を手がける。河出書房新社で編集者を務めたのち、専業の作家となる。 1960年代には新日本文学会に所属。このころ、被差別部落における自殺や放火や近親相姦を描いた小説『黄色い国の脱出口』を『部落』誌に発表し、「部落の人間像を異様にデフォルメしている」(井上俊夫)との批判を受け、「状況を変革するためには、とことんまで小説を『作る』というのも一つの方法ではないでしょうか」と反論した。その反論に対し、北川鉄夫は「文学前衛気どり」と批判している。この作品は新日本文学会の第1回文学賞で最終選考まで残り、野間宏から高く評価されたが、同和教育の実践家の福地幸造はそのこと自体を「とほうもない痴呆状態の典型」と批判した。
石部 安浩(いしべ やすひろ、1938年1月16日 - 20… 石部 安浩(いしべ やすひろ、1938年1月16日 - 2010年9月29日)は、中央大学名誉教授。元陸上競技(走高跳)選手。1986年4月から2008年3月まで中央大学教授。1978年4月から1990年3月まで中央大学陸上競技部監督。1995年ユニバーシアード福岡大会の日本代表の陸上女子監督、2000年日本学生陸上競技連合オーストラリア遠征の日本代表監督。日本陸上競技連盟強化委員、関東学生陸上競技連盟コーチ、日本学生陸上競技連合強化委員などを務めた。 1956年4月中央大学入学~1958年3月 膝蓋靭帯炎(ジャンパー膝)の為、2年間競技中断 日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)
高杉 弘之(たかすぎ ひろゆき、1938年(昭和13年) -… 高杉 弘之(たかすぎ ひろゆき、1938年(昭和13年) - )は、日本の教育者である。国立特殊教育総合研究所研究員として勤務した後、広島大学教育学部教授となる。障害児教育を研究分野としていた。岡山県真庭市出身。 1938年(昭和13年)岡山県阿賀郡呰部村(現:真庭市)の高杉家に出生する。地元に近い岡山県立高梁高等学校へ進学する。同期には、ノンフィクション作家になる河内洋輔がいる。その後、1957年(昭和32年)に同校を卒業する。 その後、東京大学へ進学する。同大学文学部で学び、1962年(昭和37年)に同大学を卒業する。その後、東京大学大学院人文社会系研究科へ進学する。ここで、日本において盲ろう教育の草分的な存在であった梅津八三名誉教授が高杉の指導教官となる。
アンネット・一恵・ストゥルナート(アンネット・かずえ・ストゥ… アンネット・一恵・ストゥルナート(アンネット・かずえ・ストゥルナート、1938年 - )は、兵庫県西宮市生まれの日本のオペラ歌手・声楽家。旧姓は高島。 現在は日本国内各地でコンサートの舞台に立ちながら、後進の声楽指導に当たるなどの活動を行っている。
徳山 一美(とくやま かずみ、1938年 - 2007年8月… 徳山 一美(とくやま かずみ、1938年 - 2007年8月16日)は、元高校野球指導者で、元倉吉北高等学校野球部監督。 岡山県真庭市蒜山生まれ。鳥取県立倉吉農業高等学校に入学し、野球部では捕手を務めた。高校卒業後に進学した駒澤大学では相撲部で活躍した。大学卒業後、東京都内の会社に就職。1965年、創立5年目の倉吉北高等学校に社会科教諭として赴任。1969年に野球部が創部され、監督に就任する。 当時の鳥取県では、県立鳥取西高校・県立米子東高校の両校が強く、「少ない得点を守り抜いて勝つ」野球が主流だった。徳山は「2強と同じことをしていては勝てない」と考え、打力を前面に押し出したチーム作りを進めた。
河内 洋輔(かわうち ようすけ、1938年(昭和13年) -… 河内 洋輔(かわうち ようすけ、1938年(昭和13年) - )は、日本の実業家であり、作家でもある。日本統治下の台湾・高雄市で生れる。戦後台湾から引き揚げて、両親の故郷である岡山県へ帰郷する。東京都荒川区にある町工場の太陽興業社長を務め、現会長となる。岡山県加賀郡吉備中央町出身。 1938年(昭和13年)台湾警察に勤めていた岡山県出身の父・河内極の長男として出生。河内一家は、台湾南部の高雄市に住んでおり、父は特高警察に勤務、他に母と生れて間もない妹のマスミがいた。 第二次世界大戦で日本が負けると、その当日(1945年8月15日)の晩から翌日にかけて日本人への襲撃や暴動が台湾各地で発生する。この時、河内は、父親の勤める台湾警察の官舎に住んでいた。
千藤 幸蔵(ちふじ こうぞう、1937年10月24日 - 2… 千藤 幸蔵(ちふじ こうぞう、1937年10月24日 - 2012年1月4日)は、日本の民謡三味線演奏者である。岡山県英田郡作東町(現・美作市)に生まれる。本名は神田勀人(かつと)。宮本武蔵の友人として有名な本位田又八の末裔でもある。 幼少期より宮田東峰一門でハーモニカを習得するなどし、地元の岡山県立津山工業高等学校を卒業後、大阪にて会社勤めの傍ら趣味でギターを弾き音楽活動を続ける。 大ファンであった三橋美智也の大劇公演で演奏された三味線豊吉の三味線に魅せられて自らも手掛けるようになり、ラジオの民謡番組を録音し、それを五線譜に書き起こすなど独学で民謡の勉強を続けていた。後に知人であった藤本直之 (藤本琇丈の実弟、藤本直久の総領弟子) により、折から来阪中であった民謡三味線の名人藤本琇丈に引き合わされ、1963年(昭和38年)7月、藤本の勧めにより上京、内弟子となる。
田辺 信一(たなべ しんいち、1937年10月2日 - 19… 田辺 信一(たなべ しんいち、1937年10月2日 - 1989年4月29日)は、日本の作曲家、編曲家。岡山県総社市出身。慶應義塾大学のジャズサークルで音楽を学んだ。 作曲家・編曲家として多数の楽曲を制作、石坂浩二の金田一耕助シリーズの音楽を担当した。他にも歌謡曲の作曲としても知られる。元々ジャズ畑の人間であった(慶應ライトミュージックソサイエティ出身)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
池上 洵一(いけがみ じゅんいち、1937年9月15日 - … 池上 洵一(いけがみ じゅんいち、1937年9月15日 - )は、日本の国文学者。神戸大学名誉教授。 岡山県津山市生まれ。1960年、神戸大学文学部卒業。1966年東京大学大学院博士課程単位修得中退。 同年熊本大学に勤務、1973年静岡女子大学助教授、のち神戸大学文学部教授に就任。2001年同大学を退官し名誉教授となる。2002年に「説話と記録の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。 永積安明の研究を継ぎ、『今昔物語集』『三国伝記』を専門とする。校訂、著作が多数あり、著作集が刊行されている。
河原 主尚(かわはら きみなが、1937年9月1日 - )は… 河原 主尚(かわはら きみなが、1937年9月1日 - )は、岡山県久米郡久米町坪井出身のプロ野球選手(内野手→外野手)。 岡山県立津山高等学校から、1957年に大阪タイガースにテスト入団。当初は打力を買われて、内野手の入団だったが、やがて強肩に注目が集まり、外野手にコンバートされてウエスタン・リーグに出場するようになった。一軍では打席に経つ事はなかったが、4試合代走で出場した事がある。翌1958年に引退。
高旗 正人(たかはた まさと、1937年8月14日 - )は… 高旗 正人(たかはた まさと、1937年8月14日 - )は、日本の教育社会学者、岡山大学名誉教授。専攻は教育社会学・教育方法学。 岡山県倉敷市生まれ。1960年岡山大学教育学部卒業。1966年広島大学大学院教育学研究科博士課程満期退学、広島大学助手、1969年滋賀大学教育学部講師、1970年助教授、1977年教授、1985年岡山大学教育学部教授。1994年「T・パーソンズ規範論の教育社会学的研究 学級秩序の理論的考察」で教育学博士の学位を取得。2004年岡山大を定年退官、名誉教授、中国学園大学教授。2008年退職。2017年4月、瑞宝中綬章を受章。
石井 登(いしい のぼる、1937年7月23日 - )は、岡… 石井 登(いしい のぼる、1937年7月23日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手。
岩崎 淑(いわさき しゅく、1937年(昭和12年)4月3日… 岩崎 淑(いわさき しゅく、1937年(昭和12年)4月3日 - )は、日本のピアニスト、教育者。桐朋学園大学大学院大学教授、尚美学園大学大学院客員教授、くらしき作陽大学、武庫川女子大学客員教授。第3回高松国際ピアノコンクールの音楽監督代行兼審査員長も務める。 岡山県倉敷市出身。設立当時まだ4年制になる前の桐朋学園を経て、アメリカハートフォード大学音楽学部、同ジュリアード音楽院、イタリアキジアーナ音楽院で学ぶ。井口秋子、井口基成、J.ラタイナ、B.ミケランジェリ、S.ロレンツィ、I.フロインドリッヒなどに師事。1967年ミュンヘン国際音楽コンクール、1968年ブダペスト国際コンクール、1970年チャイコフスキー国際コンクール(チェリストである弟の岩崎洸と共に受賞)をはじめ、世界の名だたる国際コンクールにて業績を残してきた。
中川 博之(なかがわ ひろゆき、1937年3月15日 - 2… 中川 博之(なかがわ ひろゆき、1937年3月15日 - 2014年6月11日)は、現在の韓国ソウル市生まれの日本の作曲家、歌手。別名に五十嵐 悟(いがらし さとる)、ユズリハシロー。妻は作詞家の高畠じゅん子。 作曲数は1,500曲以上、レコード、CDの売上枚数は450万枚以上。新見市立千屋小学校の校歌をボランティアで作曲したこともある。
高谷 茂男(たかや しげお、1937年〈昭和12年〉1月1日… 高谷 茂男(たかや しげお、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2024年〈令和6年〉8月8日)は、日本の政治家、実業家。岡山県岡山市長(第33・34代)。 岡山県総社市出身。岡山大学法経短期大学部法経科第二部卒業。1959年、岡三證券(現:岡三証券グループ)に入社し、岡山支店に勤務する。1964年、山陽玩具(現:サンヨープレジャー)代表取締役社長に就任。その後、1995年におもちゃ王国代表取締役社長、2001年にチボリ・ジャパン(倉敷チボリ公園の運営企業)代表取締役社長に就任する。また社団法人日本青年会議所岡山ブロック協議会副会長(1977年〜)、岡山市商店会連合会副会長(1985年〜)、岡山商工会議所副会頭(1995年〜)、社団法人岡山西法人会会長(2003年〜)、社団法人岡山経済同友会常任幹事(2005年~)等の役職を歴任した。
伊達 美徳(だて よしのり、1937年 - )は、アール・ア… 伊達 美徳(だて よしのり、1937年 - )は、アール・アイ・エーの元取締役。伊達計画文化研究所代表取締役所長。日本都市計画家協会常務理事事務局長。日本の都市計画家。岡山県高梁市出身。 1937年(昭和12年)、岡山県高梁市に生まれる。実家は神社の境内にあった。その後、地元の岡山県立高梁高校を1956年(昭和31年)に卒業し、東京工業大学理工学部(建築学課程)へ進学。1961年3月、同大学を卒業した。卒業後、都市計画コンサルタント事務所であるアール・アイ・エーに就職した。 入社後、様々な都市計画を担当した。1963年には、日本住宅公団の名古屋港地区再開発計画を担当し、1980年代には東京都中央区勝どきの再開発を担当した。
有岡 利幸(ありおか としゆき、1937年 - )は、植物・… 有岡 利幸(ありおか としゆき、1937年 - )は、植物・植生研究家。 岡山県生まれ。岡山県立勝間田高校卒業後、1956年-1993年大阪営林局で国有林における森林の育成・経営計画業務などに従事。1993-2003年は近畿大学総務部総務課勤務。2003-2009年水利科学研究所客員研究員。1993年『ケヤキ林の育成法』で林業技術賞受賞。1993年『松と日本人』で毎日出版文化賞受賞。
滝 雅也(たき まさや、1936年12月12日 - )は、日… 滝 雅也(たき まさや、1936年12月12日 - )は、日本の男性俳優、声優である。長野県出身。 岡山県立笠岡高等学校卒業。NHK岡山放送劇団、ABC放送劇団、中部日本放送放送劇団を経て、以前は東京俳優生活協同組合に所属していた。 ヨーヨーが特技である。そのため、『スケバン刑事』ではヨーヨー指導を担当した。 1982年に『お笑いスター誕生!!』にコミックマジシャンとして挑戦したが、1週目で落ちた。その後再挑戦で4週まで勝ち抜いた。 太字はメインキャラクター。
山崎 正友(やまさき まさとも、1936年(昭和11年)11… 山崎 正友(やまさき まさとも、1936年(昭和11年)11月26日 ‐ 2008年(平成20年)12月29日)は、日本の元弁護士。岡山県出身。京都大学法学部卒業。創価学会の元副理事長・創価学会の元顧問弁護士などの役職を務めた。「山友(やまとも)」と略称されることもある。池田大作(名誉会長)が執筆した小説『新・人間革命』の登場人物「山脇友政」のモデルとなる。 1980年(昭和55年)頃に創価学会から除名された。 詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 1936年(昭和11年)に岡山県で生まれた。岡山県立岡山操山高等学校を卒業後、1955年(昭和30年)に京都大学法学部に入学。大学入学後に腎臓病を患い入退院を繰り返した。
三谷 太一郎(みたに たいちろう、1936年9月29日 - … 三谷 太一郎(みたに たいちろう、1936年9月29日 - )は、日本の政治学者・歴史学者。東京大学名誉教授、宮内庁参与、日本学士院会員。専門は日本政治外交史、特に大正デモクラシー期の日本政治史研究で知られる。
安原 裕(やすはら ひろし、1936年8月19日 - )は、… 安原 裕(やすはら ひろし、1936年8月19日 - )は、日本の経営者。富士紡績社長、会長を務めた。 岡山県高梁市出身。1961年に学習院大学政経学部政治学科を卒業し、同年に富士紡績に入社。1990年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1996年12月に専務を経て、1998年6月に社長に就任。2001年6月に取締役相談役を経て、2002年6月には顧問に就任。
岡野 利道(おかの としみち、1936年8月6日 - )は、… 岡野 利道(おかの としみち、1936年8月6日 - )は、日本の経営者。三井造船社長を務めた。岡山県玉野市出身。 1959年に九州大学工学部造船学科を卒業し、同年に三井造船に入社。1992年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務を経て、1997年6月に社長に就任。2001年6月には会長に就任し、2003年6月に相談役に退いた。
浅越 桂一(あさごえ けいいち、1936年7月2日 - 20… 浅越 桂一(あさごえ けいいち、1936年7月2日 - 2011年8月6日)は、岡山県都窪郡妹尾町(現・岡山市南区)出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。 関西高等学校では1954年夏の甲子園予選東中国大会決勝に進むが、米子東高のエース義原武敏に抑えられ、延長10回0-1xでサヨナラ負け、甲子園出場を逸する。高校の1年上に吉岡史郎がいた。 1955年に大阪タイガースに入団。小柄ながら体格がよく期待された。背番号を3に変更した1958年には、開幕からレギュラー二塁手として起用される。シーズン後半は辰市邦輔に定位置を譲るが48試合に先発出場を果たした。翌年も70試合に出場するが、鎌田実が台頭し1960年には出場機会が激減。
安原 達佳(やすはら たつよし、現在の姓は渡邉、1936年3… 安原 達佳(やすはら たつよし、現在の姓は渡邉、1936年3月5日 - 2015年4月1日)は、岡山県出身のプロ野球選手。ポジションは投手、外野手。
浜 慎二(はま しんじ、1936年1月5日 - )は、貸本漫… 浜 慎二(はま しんじ、1936年1月5日 - )は、貸本漫画出身の元・ホラー漫画家。 岡山県出身。 血液型:A型。 代表作品は『SF怪奇入門』、『学校で夜、幽霊が!』、『百年少女』など。 1957年、「杉田臣平」名義で『秘密の花園』にて漫画家デビュー。 間もなくして「浜慎二」のペンネームに改め、『怪談』(貸本)、『少年ブック』、『オール怪談』などへの連載や、ひばり書房、立風書房「レモンコミックス」シリーズなどに多くのホラー漫画作品を残した。なお、1990年代の『週刊漫画サンデー』でも、「杉田臣平」名義で読切作品を残している。 プロ漫画家としての活動と並行し、後期にはアマチュアによるマンガ同人会の作画グループにも参加した。
久山 純弘(くやま すみひろ、1936年 - )は、日本の外… 久山 純弘(くやま すみひろ、1936年 - )は、日本の外交官。岡山県出身。元国際連合事務次長補。元国際連合人間居住計画(UN-HABITAT)事務次長。元国際連合総会第5委員会議長(行財政問題担当)。元国連合同監査団(JIU)議長。日本国際連合協会理事。外務大臣表彰状受賞。瑞宝中綬章受賞。 岡山県出身。岡山県立朝日高等学校卒業。東京大学教養学部卒業。上智大学国際部(現・国際教養学部)大学院修了。経済企画庁(現在は内閣府)、ニューヨークの国連開発計画(UNDP)等を経て、1975-1984年、日本政府国連代表部にて外交官として従事。その間、1979-83年に国連総会の主要委員会の一つである国連行財政諮問委員会(ACABQ)のメンバー、1983年には国連総会第5委員会議長を兼任。
那野 比古(なの ひこ、1936年(昭和11年) - 201… 那野 比古(なの ひこ、1936年(昭和11年) - 2017年(平成29年))は、科学技術ジャーナリスト、多摩大学名誉教授。本名・井上一郎。 岡山県生まれ。岡山県立倉敷青陵高等学校、東京大学理学部卒業。サンケイ新聞、情報産業新聞記者を経て、1982年に科学技術ジャーナリスト・サンケイ新聞客員記者。郵政省などの各種委員も務める。1989年に多摩大学経営情報学部教授。日本ベンチャー学会副会長なども歴任。2007年に定年退任。
藤田 文子(ふじた ふみこ、1936年 - 2024年5月1… 藤田 文子(ふじた ふみこ、1936年 - 2024年5月12日)は日本の修道女。岡山県岡山市出身。 東京大司教区教会学校部部員、カトリック修道会総長管区長会使徒職養成委員などを歴任した。1979年より青少年と成人の祈りの指導に従事しながら、インド・アフリカの子供たちの教育の為、ESNAC教育里親グループを創立。 1954年、ノートルダム清心女子大学文学部卒業。カトリック援助修道会入会。 1964年より神戸・六甲小百合児童館児童厚生員として勤務。六甲教会や船橋教会等の児童を中心に信仰教育にあたる。 1971年、マニラのThe East Asian Pastoral Instituteで修学。 日本各地でキリスト教信仰教育の促進、小中高生の祈りの指導に従事した。
岡ノ山 喜郎(おかのやま よしろう、1935年11月3日 -… 岡ノ山 喜郎(おかのやま よしろう、1935年11月3日 - 没年不明)は、岡山県小田郡矢掛町出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は山部 喜一郎(やまべ きいちろう)。最高位は東前頭5枚目(1962年5月場所)。現役時代の体格は185cm、112kg。得意手は右四つ、寄り。 鮮魚商の家庭に生まれ、岡山県立矢掛高校に在学中は、ハンドボール部で活躍した。 高校卒業後、元横綱・双葉山が率いる時津風部屋に入門し、1955年5月場所で初土俵。 同場所では番付外と新序で、ともに好成績を残した。そのため、翌9月場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 同場所より出身地の岡山県に因んだ四股名、「岡ノ山」を名乗る事になり、廃業までこの四股名で通した。
野本 真也(のもと しんや、1935年(昭和10年)10月1… 野本 真也(のもと しんや、1935年(昭和10年)10月12日 - 2021年(令和3年)10月10日)は、日本の神学者、聖書学者。専門は旧約聖書。Dr.theol.(ハンブルク大学、1966年)。同志社大学名誉教授。岡山県高梁市出身。キリスト教徒。
横溝 桂(よこみぞ かつら、1935年10月1日 - )は岡… 横溝 桂(よこみぞ かつら、1935年10月1日 - )は岡山県総社市出身の元プロ野球選手(投手・外野手)・コーチ、解説者。
八名 信夫(やな のぶお、1935年8月19日 - )は、俳… 八名 信夫(やな のぶお、1935年8月19日 - )は、俳優、元プロ野球選手。岡山県岡山市出身。血液型B型。悪役商会所属。本名は同じ。
西山 孝(にしやま たかし、1935年8月18日 - 201… 西山 孝(にしやま たかし、1935年8月18日 - 2016年4月25日)は、日本の経営者。ミニストップ社長、会長を務めた。岡山県岡山市出身。 1958年に大阪市立大学商学部を卒業。野村證券での勤務を経て、1968年に明星食品取締役に就任し、1978年に常務を経て、1983年5月にミニストップ社長に就任。1995年5月に会長を経て、1998年5月には監査役に就任。 2016年4月25日、喘息のために死去。80歳没。
片山 虎之助(かたやま とらのすけ、1935年〈昭和10年〉… 片山 虎之助(かたやま とらのすけ、1935年〈昭和10年〉8月2日 - 2025年〈令和7年〉12月18日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は正三位。勲等は旭日大綬章。 総務大臣(初代・第2代)、郵政大臣(第68代)、自治大臣(第57代)、総務庁長官(第26代)、参議院議員(5期)、参議院予算委員長、自由民主党参議院幹事長・参議院国会対策委員長、たちあがれ日本参議院幹事長、旧日本維新の会国会議員団政策調査会長兼参議院議員団会長、維新の党総務会長兼参議院会長、日本維新の会共同代表兼国会議員団代表兼参議院会長、日本消防協会会長、日本防火協会会長等を歴任。 日本維新の会所属の参議院議員の片山大介は次男。
有吉 道夫(ありよし みちお、1935年7月27日 - 20… 有吉 道夫(ありよし みちお、1935年7月27日 - 2022年9月27日)は、将棋棋士、九段。2010年、引退。大山康晴十五世名人門下。棋士番号は66。岡山県備前市出身。 棋聖のタイトル獲得1回のほか優勝8回。また、タイトル戦の舞台での大山との師弟対決は4度実現。 現役55年を数え、2001年には史上6人目の通算1000勝(特別将棋栄誉賞)を達成。過去に7人しかいない『六十歳代A級棋士』の一人でもあった。順位戦A級在籍21期。同じ関西本部所属では、内藤國雄とは自他ともに認めるライバル関係で、共に関西棋界を長年にわたって牽引した。 将棋に熱中したきっかけは、「矢倉囲いの美しさに感動したから」だという。
押阪 忍(おしざか しのぶ、1935年〈昭和10年〉2月28… 押阪 忍(おしざか しのぶ、1935年〈昭和10年〉2月28日 - 2024年〈令和6年〉6月29日)は、日本のフリーアナウンサー、司会者、タレント、芸能プロモーター。元日本教育テレビ(NETテレビ、現在のテレビ朝日)アナウンサー。 岡山県津山市出身。「押阪」姓は飛鳥時代の皇族・押坂彦人大兄皇子がルーツという。岡山県立津山高等学校、立教大学経済学部を卒業した。5人兄弟の末っ子で、上の4人をすべて結核で失い、母親も早くに亡くした。そのため、同大学時代は実父の知人であった出羽海親方(元横綱・常ノ花)の伝手で出羽海部屋の書生を務めており、アナウンサーの中では非常に珍しい苦学生だった。 1958年4月、開局を翌年に控えた『日本教育テレビ』(NETテレビ、現在のテレビ朝日)にアナウンサーとして入社した。
工藤哲巳(くどう てつみ、1935年2月23日 - 1990… 工藤哲巳(くどう てつみ、1935年2月23日 - 1990年11月12日)は、日本の現代美術家。大阪に生まれ、、少年期を父の出身地青森で暮らし、1945年に父が早世した後、母の郷里岡山で高校までを過ごした。本名は工藤哲美。 祖父は青森県長橋村村長、父は画家の工藤正義。岡山県立岡山操山高等学校在学中に小磯良平に師事。東京藝術大学では林武に師事した。その在学中から、東京都美術館で開催されていた読売アンデパンダン展に出展し注目を浴びた。東野芳明は1960年(第12回展)に出展された工藤の『X型基本体に於ける増殖性連鎖反応』を評し最初に「反芸術」の語を用いている。 1958年、東京藝術大学油画科を卒業。
向井 正剛(むかい まさかた、1935年(昭和10年)2月1… 向井 正剛(むかい まさかた、1935年(昭和10年)2月11日 - )は、日本の教育者であり、高校野球監督でもある。岡山県下の高校野球監督として春夏通じて唯一の優勝経験者。岡山東商業高等学校の監督時代に、同郷のエース平松政次を擁して春の甲子園で優勝した。岡山県高梁市出身。 1935年(昭和10年)に岡山県高梁市で生まれる。戦後に地元の岡山県立高梁高等学校に進み、同期には富士銀行(現:みずほFG)頭取・日本政策投資銀行社長になる橋本徹、伊藤忠商事副社長になる森澤寛二、群馬大学医学部教授の伊吹令人、ノートルダム清心女子大学教授の南智、新宿で高級和食料理店「車屋」を起業する佐藤勇がいた。 高校時代は硬式野球部に所属したが、普通科高校であるため、野球部の人気が無く部員不足により2年秋で休部となった。
石津 祥介(いしづ しょうすけ、1935年1月31日 - 2… 石津 祥介(いしづ しょうすけ、1935年1月31日 - 2023年11月2日)は、日本のファッションデザイナー・ファッションディレクター。有限会社石津事務所、代表取締役。社団法人日本メンズファッション協会常任理事。公益財団法人日本ユニフォームセンター理事。ヴァンヂャケット創業者・石津謙介の長男。岡山県岡山市生まれ。 明治大学中退。桑沢デザイン研究所、セツ・モードセミナー卒業後、婦人画報社入社。創刊初期の「男の服飾」〜「MEN'S CLUB」編集部勤務。 1960年にヴァンヂャケット入社。その後、高度成長期のファッション界を席巻したヴァンヂャケット社創業者で父親の石津謙介の片腕として活躍。
伊吹 令人(いぶき よしと、1935年(昭和10年)1月19… 伊吹 令人(いぶき よしと、1935年(昭和10年)1月19日 - 2015年(平成27年)12月19日)は、日本の医学者であり、教育者である。群馬大学医学部教授を務めた後、日本産婦人科学会名誉会員。岡山県高梁市出身。 1935年(昭和10年)岡山県上房郡高梁町(現:高梁市)に生れる。母・三千子は、漢詩人・磯部杳坡の孫であり、磯部にとって初曽孫であった。親戚にUCLAに留学後、お茶の水女子大学名誉教授の伊吹知勢がいる。 その後、1950年(昭和25年)地元の岡山県立高梁高等学校へ進学する。同期には、富士銀行頭取になる橋本徹、伊藤忠商事副社長になる森澤寛二、岡山東商を甲子園優勝に導いた向井正剛、大学教授の南智、新宿で高級和食料理店「車屋」を起業する佐藤勇がいた。
福本 晃(ふくもと あきら、1935年(昭和10年) - )… 福本 晃(ふくもと あきら、1935年(昭和10年) - )は松下電器(現・パナソニックホールディングス)の元副理事であり、教育者でもある。鳥取大学客員教授を務めた。岡山県出身。 1935年(昭和10年)に岡山県で生まれる。小学校時代から電気工作が好きであり、高梁市内にあるラジオ屋に出入りしていた。地元の岡山県立高梁高校へ進学し、高校時代には、放送機を自作し高校の友人と通信していた。1954年(昭和29年)に同校を卒業。同年、大阪大学理学部へ入学した。その後、同大学を1958年に卒業し、マサチューセッツ工科大学へ入学、Ph.D in Physics(理学博士)を取得し1960年(昭和35年)に卒業したと同時に松下電器へ入社した。
南 智(みなみ さとる、1935年(昭和10年) - )は、… 南 智(みなみ さとる、1935年(昭和10年) - )は、日本の教育者であり、歴史家である。郷土史家として活動し、岡山県教育史編集委員、岡山県文化財保護審議会会長、元ノートルダム清心女子大学文学部教授を務めた。岡山県高梁市出身。 1935年(昭和10年)岡山県高梁市で生まれる。1950年(昭和25年)岡山県立高梁高等学校へ進学する。同期には、富士銀行頭取・日本政策投資銀行社長になる橋本徹、伊藤忠商事副社長になる森澤寛二、岡山東商を甲子園優勝に導いた向井正剛、群馬大学医学部教授の伊吹令人、新宿で高級和食料理店「車屋本店」を起業する佐藤勇がいた。1953年(昭和28年)岡山県立高梁高等学校を卒業し、岡山大学法文学部へ進学する。
石原 保徳(いしはら やすのり、1935年 - 2011年)… 石原 保徳(いしはら やすのり、1935年 - 2011年)は、日本の歴史学者。 岡山県岡山市生まれ。1961年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。高島善哉の指導を受けた。大学院修了後、出版社岩波書店に編集者として勤務。95年定年退職。和光大学非常勤講師を務めた。コンキスタドールによるアメリカ大陸の征服をもっぱら研究した。1992年に前立腺がんの摘出手術を受けて以降も、闘病生活が続き、2011年死去。 岩波書店の編集者として『大航海時代叢書』第2期(1979年 - 1992年)の企画・編集に携わり、さらに、編集者生活の総決算として『アンソロジー新世界の挑戦』(1992年 - 1995年)を企画した。