明石 謙(あかし けん、1934年12月21日 - 2005… 明石 謙(あかし けん、1934年12月21日 - 2005年11月5日)は、日本のリハビリテーション科医。運動学および義肢装具学の第一人者。岡山県備前市吉永町生まれ。川崎医科大学リハビリテーション医学教室の初代教授、川崎リハビリテーション学院の学院長、日本リハビリテーション医学会常任理事を歴任した。日本のリハビリテーション医学の創成期を築き上げた医師のひとり。 岡山県立和気閑谷高等学校の学生時代に医師になりたいと希望するようになったが、成績は最上位ではなく、1953年の卒業と同時に岡山大学理学部物理学科へ入学した。英語と物理学、数学の成績が向上したため、1955年4月に同大学医学部医学科に入学することとなった。
橋本 孝(はしもと たかし、1934年12月16日 - )は… 橋本 孝(はしもと たかし、1934年12月16日 - )は、岡山県新見市生まれのドイツ文学者。宇都宮大学名誉教授。 1957年に中央大学法学部法律学科を卒業後、同大学文学部独文科を経て、1965年に同大学大学院ドイツ文学専攻博士課程満期退学。ドイツ学術交流会奨学生として、マールブルク大学、フライブルク大学、ミュンスター大学に留学。 1968年に宇都宮大学教養部助教授となり、同教授を経て1994年に同大学国際学部教授に就任。1998年に定年退官し名誉教授となった。ドイツ・ヴュルツブルク大学およびエアランゲン大学客員教授や日本グリム協会会長も務めた。2014年瑞宝中綬章受章。 2021年、「日本におけるドイツ文化の研究・普及や日独の友好に尽力した永年の功労」が称えられ、ドイツ連邦共和国功労勲章一等功労十字章を受章した。
橋本 徹(はしもと とおる、1934年(昭和9年)11月19… 橋本 徹(はしもと とおる、1934年(昭和9年)11月19日 - )は、日本の銀行家。富士銀行頭取、ドイツ証券会長、日本政策投資銀行社長のほか、国際基督教大学理事長も歴任した。プロテスタント信者。 両親とも教員の子息として岡山県高梁町(現:高梁市)に生まれる。年若い頃から英語に関心を抱き、岡山県立高梁高等学校在学中は英語クラブに所属。高校の同期には、伊藤忠商事副社長の森澤寛二、大学教授の南智、岡山東商業を甲子園優勝に導いた向井正剛がいた。東京大学法学部在学中にも英語研究会に所属したほか、柔道部にも所属した。 外交官を目指し、外務公務員上級試験を受験するも不合格となったため、富士銀行(現:みずほ銀行)に入行。
森安 なおや(もりやす なおや、1934年〈昭和9年〉11月… 森安 なおや(もりやす なおや、1934年〈昭和9年〉11月1日 - 1999年〈平成11年〉5月19日〈推定〉)は、日本の漫画家。漢字表記は森安 直哉。本名は森安 直(もりやす ただし) 。 岡山県岡山市出身。1950年代を中心に活動し、トキワ荘の居住者の一人としても知られる。作品の多くは『漫画少年』等の雑誌や貸本屋向けの書き下ろし単行本(貸本漫画)に掲載された。寡作ではあったが、叙情に溢れた繊細なタッチは、漫画家仲間からも評価を受けていた。 岡山市内山下元町(現・岡山市北区表町)に生まれる。生家は果実商である一方、父は国鉄に勤務していた。男ばかり4人兄弟の末っ子だった。 小学生時代から漫画に親しむようになる。
金光 平輝(こんこう へいき、1934年(昭和9年)10月3… 金光 平輝(こんこう へいき、1934年(昭和9年)10月31日 - 2024年(令和6年)7月21日)は、日本の宗教家。岡山県岡山市出身。金光教第5代教主。 岡山県岡山市出身。金光教第4代教主である金光鑑太郎の長男として1934年(昭和9年)10月31日に生まれる。 1952年(昭和27年)に私立岡山県金光中学校卒業後、早稲田大学にて西洋哲学を専攻し、1958年(昭和33年)に卒業。 1991年(平成3年)3月27日、父・鑑太郎が死去したことに伴い行われた教主選挙により、金光教の第5代教主に就任。2021年(令和3年)3月26日に退任するまで6期30年にわたり教主を務めた。教主として信仰活動「神人あいよかけよの生活運動」の開始や一般財団法人「金光財団」の立ち上げに尽力した。
田代 照勝(たしろ てるかつ、1934年6月27日 - 20… 田代 照勝(たしろ てるかつ、1934年6月27日 - 2003年10月8日)は、岡山県出身のプロ野球選手、プロ野球審判員。ポジションは投手。
古川 啓三(ふるかわ けいぞう、1934年4月25日 - 1… 古川 啓三(ふるかわ けいぞう、1934年4月25日 - 1984年10月6日)は岡山県倉敷市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
三宅 秀史(みやけ ひでし、1934年4月5日 - )は、岡… 三宅 秀史(みやけ ひでし、1934年4月5日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手(内野手)。登録名は1966年から現役引退まで「三宅 伸和(-のぶかず)」、現役引退後は「三宅 培司」とした。
高森 泰男(たかもり やすお、旧姓:景山、1934年3月3日… 高森 泰男(たかもり やすお、旧姓:景山、1934年3月3日 - 2016年以前)は、岡山県出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFB。 関西高等学校時代の1951年に全国高等学校蹴球選手権大会(後の全国高等学校サッカー選手権大会)でベスト8進出。1952年に立教大学に入学。在学中の1953年には高林隆と共に日本学生選抜に選出され、第3回国際大学スポーツ週間(英語版)(ユニバーシアードの前身)に出場した。 大学2年次の1955年に日本代表に選出され、1月2日のビルマ(保健大臣チーム)戦で初出場を果たした。大学4年次の1956年にメルボルンオリンピック予選の日本代表に選出・出場し、同年11月の本大会にも出場した。
立木 大夫(たちき ともお、1934年〈昭和9年〉2月21日… 立木 大夫(たちき ともお、1934年〈昭和9年〉2月21日 - 2013年〈平成25年〉7月30日)は、日本の政治家。岡山県高梁市長(2期)。位階は正六位。旭日小綬章受章。 岡山県高梁市出身。立正大学文学部卒業。高梁市役所に入り、助役などを務める。1996年の市長選挙に立候補し、初当選。2000年の市長選挙は無投票で再選する。2004年高梁市は上房郡有漢町、川上郡成羽町、川上町、備中町と合併し、新たな高梁市が発足した。合併後の市長職務執行者となり、市長選挙には立候補しなかった。2005年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。2013年死去。死没日付をもって正六位に叙された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
安本 美典(やすもと びてん、1934年2月13日 - )は… 安本 美典(やすもと びてん、1934年2月13日 - )は、日本の心理学者・日本史研究家(古代史)。文章心理学、計量比較言語学日本古代史の分野で著書及び論文がある。日本行動計量学会会員。 満洲国奉天省鞍山市に生まれ、1946年に帰国して岡山県高梁市で育つ。1949年に岡山県立高梁高等学校へ入学。同期には公正取引委員会事務局長(事務方トップ)となる植木邦之がいる。同高校を卒業。京都大学文学部(心理学)卒業を経て、京都大学大学院文学研究科(心理学)修了。国家公務員採用上級甲種試験(現在の国家公務員総合職)の心理職試験にトップで合格し、旧労働省(現在の厚生労働省)に入省。 旧労働省退官後、社会心理学者の南博(一橋大学教授)が設立した日本リサーチセンターに入社。
秋山 登(あきやま のぼる、1934年2月3日 - 2000… 秋山 登(あきやま のぼる、1934年2月3日 - 2000年8月12日)は、岡山県岡山市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
服部 経治(はっとり つねはる、1934年1月17日 - 2… 服部 経治(はっとり つねはる、1934年1月17日 - 2004年1月3日)は運輸官僚。岡山県新見市出身。 国鉄職員の父親の家庭で育つ。1955年に東京大学法学部を卒業し、同年に運輸省に入省。 1976年に運輸省を舞台としたロッキード事件が発覚し、運輸省でマスコミ対策のために1977年に大臣官房広報室長に抜擢され、渉外力で頭角をあらわす。1981年から1982年にかけて航空局参事官や官房審議官として成田空港問題を担当。 その後、航空局参事官、地域交通局長、官房長を経て1987年6月から運輸事務次官に就任。次官時代に10年以上も棚上げになっていた整備新幹線を軌道に乗せた。1989年6月に運輸事務次官を退官。
井家上 隆幸(いけがみ たかゆき、1934年1月1日 - 2… 井家上 隆幸(いけがみ たかゆき、1934年1月1日 - 2018年1月15日)は、日本の文芸評論家、コラムニスト。日本推理作家協会会員。 岡山県津山市出身。岡山大学文学部卒。1958年に三一書房に入社し編集者となり、斎藤龍鳳『遊撃の思想』(1965年)、清水一行『小説 兜町』(1966年)、小沢昭一『私は河原乞食・考』(1969年)、竹中労『エライ人を斬る』(1971年)などを担当。 1972年に退社し、創樹社で『なにが粋かよ:斎藤龍鳳の世界』(1972年)を担当。その後、創刊準備中の日刊ゲンダイに編集局次長として入ったが創刊前に退社。再びフリーとなり、書評を中心に執筆活動を行う一方、白川書院に編集者として関わり、竹中労の「日本映画縦断」シリーズ(1974-1976年)、『聞書アラカン一代:鞍馬天狗のおじさんは』(1976年)、マキノ雅弘・稲垣浩編『山上伊太郎のシナリオ』(1976年)、高平哲郎『みんな不良少年だった』(1977年)、夏文彦『映画・挑発と遊撃』(1978年)などを担当。
森澤 寛二(もりさわ かんじ、1934年(昭和9年)- )は… 森澤 寛二(もりさわ かんじ、1934年(昭和9年)- )は、日本の実業家。元・伊藤忠商事副社長、顧問を経て岡山県高梁市の市政アドバイザーを務める。 1934年(昭和9年)父親の仕事の関係で旧満州に生まれる。終戦後、中学2年の時に親の実家のある高梁へ引き揚げた。その後、岡山県立高梁高等学校へ進学した。高梁高校時代は、同期に富士銀行頭取を務めた橋本徹が友人にいる。高校卒業後、慶応義塾大学へ進学。1955年(昭和30年)頃、東京での学生の生活費は月1万円程度であり、仕送りと育英会援助やアルバイトで捻出した。二年間、同郷の大学友人と同じ下宿で生活し、たまに友人の実家から送られてくる米や野菜で食事をつくってたべる生活だったと語っている。
谷口 慶治(たにぐち けいじ、1934年 - )は、日本の工… 谷口 慶治(たにぐち けいじ、1934年 - )は、日本の工学者、福井大学名誉教授。 岡山県津山市生まれ。岡山県立津山工業高等学校・機械科(1953年卒)。 大阪歯車工業(株)に勤務:機械設計(歯車減速機の設計)に従事。 第2級無線技術士(郵政省・1955年)・第1級無線技術士(郵政省・1957年)(独学による)。 航空自衛隊に勤務(第9期公募空曹の教育課程を修了。第6期地上無線整備員課程を修了。第30期教育技術員(Instructor Training Course)課程を修了。通信学校・第3科教官・2等空曹 (方位測定装置を担当)。幹部候補生学校・第14期幹部候補生の教育課程を修了。幹部候補生学校・第1教育部教官・見習い幹部1等空曹・3等空尉を経て、2等空尉(主に通信電子工学を担当)。
藤井 素介(ふじい もとすけ、1934年 - )は日本の歴史… 藤井 素介(ふじい もとすけ、1934年 - )は日本の歴史小説作家。本名、藤井 資右(読み同じ)。岡山県津山市生まれ。横浜市鶴見区在住。 高校中退後、塗装工、営業マン、会社役員など、さまざまな職に就く。1953年(昭和28年)大阪で内田朝雄主宰の「劇団月光会」の研究生となり、仕事をしながら舞台で経験を積む。のち、横浜の劇団「蒼生樹」座友となる。1993年(平成5年)、幕末の文化年間に八丈島への流人である父の付き添いとなり島に渡った旗本の嫡男、斎藤守孝の、赦免となるまでの25年に亘る生活を描いた『海鳴りやまず 八丈流人群像』が第4回時代小説大賞を受賞しデビュー。主に史実を基にした歴史小説を手掛ける。
福島 吉治(ふくしま よしじ、1933年10月5日 - )は… 福島 吉治(ふくしま よしじ、1933年10月5日 - )は、日本の実業家。元CSK会長、元セガ会長、元野村證券投資信託委託(現野村アセットマネジメント)会長、元野村證券副社長。岡山県津山市出身。 1933年岡山県津山市に生まれる。1956年に滋賀大学経済学部を卒業後、野村證券へ入社。同社取締役、常務取締役、代表取締役専務、代表取締役副社長、野村證券投資信託委託代表取締役社長を経て、1995年代表取締役会長。翌1996年にCSK代表取締役社長就任し、2000年代表取締役会長。2001年セガ取締役会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小田 晋(おだ すすむ、1933年7月28日 - 2013年… 小田 晋(おだ すすむ、1933年7月28日 - 2013年5月11日)は大阪府生まれの日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。筑波大学名誉教授。国際医療福祉大学名誉教授。元帝塚山学院大学教授。医学博士。
植木 邦之(うえき くにゆき、1933年(昭和8年)7月16… 植木 邦之(うえき くにゆき、1933年(昭和8年)7月16日 - )は、日本の官僚。元公正取引委員会事務局長(現・事務総長)を務めた後、日本鉄道建設公団理事となった。その後、公正取引委員会の生え抜き出身として5人目の公正取引委員となった。岡山県出身。 岡山県生まれ。1949年(昭和24年)に岡山県立高梁高等学校へ入学する。同期には、後に大学教授となる安本美典、1個下には、同じく高梁高校から東大へ進学し、その後、富士銀行(現:みずほ銀行)の頭取となる橋本徹もいた。その後1952年(昭和27年)3月に高梁高校を卒業し、同年4月に東京大学文科一類へ入学。1956年(昭和31年)に東京大学法学部を卒業した。
土井 淳(どい きよし、1933年6月10日 - )は、岡山… 土井 淳(どい きよし、1933年6月10日 - )は、岡山県岡山市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者。
香西 洋樹(こうさい ひろき、1933年2月8日 - 202… 香西 洋樹(こうさい ひろき、1933年2月8日 - 2026年3月26日)は、日本の天文学者。専門は、彗星・小惑星の研究。多数の小惑星を発見した。「光害」を提唱した第一人者。 岡山県倉敷市出身。金光学園高等学校卒業、慶應義塾大学文学部中退。出身は文科系だが、アマチュア天文家ではなく国立天文台光学赤外線天文学研究系助教授を務めたプロの研究者であり、その点において香西は日本の天文学界でも異色の存在であるといえる。国立天文台退官後に、鳥取市さじアストロパーク・佐治天文台長に就任した。全国星空継続観察技術検討委員会委員を務め、皆既日食観測の海外ツアーを多数主催したことでも知られている。アマチュアとの交流にも積極的である。
道吉 剛(みちよし ごう、1933年 - 2019年9月10… 道吉 剛(みちよし ごう、1933年 - 2019年9月10日)は、日本のデザイナー、装丁家。 岡山県津山市出身。桑沢デザイン研究所リビングデザイン研究科卒業。 1964年東京オリンピックではデザイン室のコーディネーターを務め(当時は季刊『グラフィック・デザイン』の編集部に在籍)、自らも一部でデザインに関わった。 1970年の日本万国博覧会(大阪万博)では協会副参事デザイン担当となった。 株式会社道吉デザイン研究室を設立。かつて大熊肇も勤務していた。
石堂 淑朗(いしどう としろう、1932年7月17日 - 2… 石堂 淑朗(いしどう としろう、1932年7月17日 - 2011年11月1日)は、日本の脚本家、映画評論家。 広島県尾道市久保町出身。実家は『東京物語』の撮影が行われた浄土寺の近くで、田坂啓の家も近所にあった。 父は種子島出身で、足が悪く、苦学して33歳で京都大学法学部を卒業した弁護士だった。 旧制尾道中学校(現・広島県立尾道北高等学校)在学中に学制改革を経験するが、男女共学化に反対して岡山県立岡山朝日高等学校に転校。しかし翌年秋からここも共学化されるのを知り、同校を2年生の夏に中退。大学入学資格検定を受けて同級生よりも1年早く広島大学に入学したがまた中退して、東京大学文学部独文学科に入学した。
磯野 可一(いその かいち、1932年7月16日 - 202… 磯野 可一(いその かいち、1932年7月16日 - 2024年4月3日)は、日本の医学者。第11代千葉大学学長。千葉大学名誉教授。日本外科学会名誉会長。医学博士。
森 暢子(もり のぶこ、1932年4月23日 - )は、日本… 森 暢子(もり のぶこ、1932年4月23日 - )は、日本の政治家、元日本社会党参議院議員(1期)。 岡山県岡山市出身。1961年岡山大学教育学部卒。中学教諭を務め、その後、岡山県教職員組合副委員長や日本社会党岡山県副委員長などを歴任する。1989年の第15回参議院議員通常選挙で岡山選挙区から日本社会党公認で立候補して当選。1995年の第17回参議院議員通常選挙で落選した。1998年の第18回参議院議員通常選挙では比例区に社会民主党から立候補したが落選した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
池田 央(いけだ ひろし、1932年4月19日 - )は、日… 池田 央(いけだ ひろし、1932年4月19日 - )は、日本の心理学者、立教大学名誉教授。日本テスト学会理事長、教育測定研究所非常勤取締役を歴任する。 専門は教育評価法、心理・教育測定学で、日本におけるテスト理論の第一人者として知られる。岡山県出身。
大島 渚(おおしま なぎさ、1932年(昭和7年)3月31日… 大島 渚(おおしま なぎさ、1932年(昭和7年)3月31日 - 2013年(平成25年)1月15日)は、日本の映画監督、脚本家、演出家、著述家。フィクションだけでなくドキュメンタリーも制作した。 妹の大島瑛子は女優・プロデューサーで大島プロダクションの代表を務めた。美術監督の戸田重昌は瑛子の夫で義弟に当たる。妻は女優の小山明子、長男の大島武は東京工芸大学芸術学部教授、次男の大島新はドキュメンタリー作品監督。 1932年(昭和7年)3月31日、岡山県児島郡(当時)で生まれた。父方は長崎県対馬の出で、先祖は対馬藩士。母親は広島県呉市出身。父親は農林省の水産学者。仕事の関係で瀬戸内海を転々とし、カニやエビの研究をしていた。
吉永 祐介(よしなが ゆうすけ、1932年(昭和7年)2月1… 吉永 祐介(よしなが ゆうすけ、1932年(昭和7年)2月14日 - 2013年(平成25年)6月23日)は、日本の検察官(第18代検事総長)。弁護士。岡山市生まれ。位階は正三位。 日通事件、ロッキード事件など数多くの事件を東京地検特捜部で手がけ、俗にいう“現場派”として検事総長を歴任。2004年(平成16年)4月29日、瑞宝大綬章受章。 ロッキード事件の際、吉永副部長は新聞記者に対して「黙れ」「とにかく今後P3Cと書くことはならん」と言い、違反したら地検の会見には出させないと脅した。翌日からP3Cが紙面からきれいさっぱり消えたという。また、実質的な司法取引による刑事免責を与えられたロッキード社幹部のアーチボルド・コーチャンの証言について、吉永副部長は「米国人は聖書に手を置いて証言するから嘘は言わない」と新聞記者に言ったという。
田中 日佐夫(たなか ひさお、1932年2月7日 - 200… 田中 日佐夫(たなか ひさお、1932年2月7日 - 2009年5月15日)は、日本の美術史学者。専門は日本美術史。成城大学名誉教授。 岡山県岡山市生まれ。香里高等学校、同志社大学短期大学部英語科卒業後、立命館大学文学部史学科に編入した後、立命館大学大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了。龍村織物美術研究所、滋賀県教育委員会文化財保護課に勤務。その後、1972年に成城大学文芸学部助教授、1979年に教授となる。1984年『日本画 繚乱の季節』でサントリー学芸賞受賞。1988年『竹内栖鳳』で芸術選奨文部大臣賞受賞。1994年秋田県立近代美術館館長に就任。1999年紫綬褒章受章。2003年成城大を定年退任、名誉教授。
谷村 啓介(たにむら けいすけ、1932年1月15日 - 2… 谷村 啓介(たにむら けいすけ、1932年1月15日 - 2017年2月21日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。 岡山県高梁市出身。1954年同志社大学経済学部卒。新聞記者、岡山市議会議員を経て、1967年より岡山県議会議員を6期務める。1990年の総選挙で旧岡山1区から立候補して初当選。1993年の総選挙で落選した。 2017年2月21日、多臓器不全のため、死去した。85歳没。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
上田 賢一(うえだ けんいち、1932年 - )は、岡山県の… 上田 賢一(うえだ けんいち、1932年 - )は、岡山県の郷土史家。 兵庫県神戸市生まれ。岡山県岡山市で育つ。瀬戸高等学校・岡山操山高等学校教諭を経て、退職後予備校講師を務める。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
渡邊 行雄(わたなべ ゆきお、1931年〈昭和6年〉11月6… 渡邊 行雄(わたなべ ゆきお、1931年〈昭和6年〉11月6日 - 1996年〈平成8年〉4月1日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。岡山県倉敷市長。 倉敷市出身。1954年(昭和29年)同志社大学経済学部卒業。百十四銀行勤務を経て、1975年(昭和50年)以来、岡山県議会議員に4選し、1987年(昭和62年)同副議長に就任する。1991年(平成3年)倉敷市長に当選し、2期目在任中に死去した。ほか、水島ゴム工業用品社長を務めた。 市長在任中は、倉敷チボリ公園、くらしき作陽大学、倉敷芸術科学大学の誘致、下水の倍増計画に尽力した。
森谷 司郎(もりたに しろう、1931年(昭和6年)9月28… 森谷 司郎(もりたに しろう、1931年(昭和6年)9月28日 - 1984年(昭和59年)12月2日)は、日本の映画監督。 東京市四谷区番衆町(現・東京都新宿区新宿)出身。1937年に台湾に転居し、中学2年生の時に終戦とともに岡山県へ引き上げる。岡山県第一岡山中学校から岡山県立岡山朝日高等学校を経て、1955年に早稲田大学第一文学部仏文科卒業。卒業後はジャーナリストを志望していたが[要出典]、東宝の助監督試験に合格し入社する。同期には恩地日出夫、木下亮。成瀬巳喜男・黒澤明の作品で助監督を務める。監督昇進まで10年以上、助監督を経験し1966年に加山雄三主演『ゼロ・ファイター 大空戦』で、監督デビューを飾る。
榊原 宣(さかきばら のぶる、1931年9月8日 - 202… 榊原 宣(さかきばら のぶる、1931年9月8日 - 2025年3月25日)は、日本の外科医。順天堂大学名誉教授。専攻は消化器外科学。 岡山県岡山市生まれ。父は榊原亨、榊原仟は叔父。1956年岡山大学医学部卒、1961年同大学院博士課程修了、医学博士。岡山大学附属病院医師、1966年東京女子医科大学助教授、1974年教授、同第二病院長、1987年順天堂大学教授(外科学第一)、岡山市病院事業管理者を経て、順天堂大学名誉教授、社会医療法人社団十全会名誉理事長。 2002年日本医師会最高優功賞、2008年山陽新聞賞受賞、2011年春、瑞宝小綬章受勲。 2025年3月25日、老衰のため死去した。93歳没。
奥山 雄材(おくやま ゆうさい、1931年8月31日 - 2… 奥山 雄材(おくやま ゆうさい、1931年8月31日 - 2026年1月11日[要出典])は日本の郵政官僚。郵政事務次官を経て、稲盛和夫とともにKDDIの設立に尽力し、同社初代代表取締役社長、電気通信事業者協会会長、簡易保険福祉事業団理事長等を歴任した。 岡山県出身。岡山県立西大寺高等学校を経て、1954年、岡山大学法文学部法学科を2期生として卒業。小長啓一元通商産業事務次官は大学時代の友人。旧郵政省(現:総務省)でNTT民営化にあたるなどし、郵政省通信政策局長などを経て、1988年、郵政事務次官。1993年、第二電電(現:KDDI)社長に就任。NTTドコモやNTTコミュニケーションズに対抗するため、稲盛和夫会長とともに、国際電信電話、日本移動通信の親会社であるトヨタ自動車の奥田碩会長などと面談をし、第二電電を存続会社にした合併によりKDDIの設立を行い、同社初代社長に就任した。
光藤 景皎(みつどう かげあき、1931年8月28日 - 2… 光藤 景皎(みつどう かげあき、1931年8月28日 - 2023年10月16日)は、日本の法学者。専門は刑事訴訟法。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1976年)。大阪市立大学名誉教授。信州大学教授。弁護士。岡山県岡山市出身。 ドイツ刑事訴訟法の歴史的研究や英米証拠法の研究など比較法的研究を基礎とした緻密な解釈論を展開する。その解釈論的集大成である口述刑事刑事訴訟法の下巻が遂に公刊された。また多くの優れた弟子を育てたことでも知られている。[要出典] この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。
橋本 實(はしもと みのる、1931年(昭和6年)8月17日… 橋本 實(はしもと みのる、1931年(昭和6年)8月17日 - )は、日本の実業家。日本鋼管常務を務めた後、日本鋼管子会社の社長を務めた。日本鋼管が川崎製鉄と合併し、JFEスチールが誕生すると子会社のJFE物流特別顧問となる。東京都渋谷区出身。 大日本麦酒(現:サッポロビール)の常務を務めた橋本卯太郎の孫。ジャーナリストの橋本明、外交官の橋本宏は弟。首相を務めた橋本龍太郎、高知県知事を務めた橋本大二郎は従弟にあたる。 1931年(昭和6年)後に最高検察庁検事になる東京在住の父・橋本乾三と母・千代の長男として出生する。東京の学校に通うが、小学校在学中に日本の戦況が徐々に悪化するに伴い、学習院初等科の3年生以上が疎開を開始する。
水野 晴郎(みずの はるお、1931年〈昭和6年〉7月19日… 水野 晴郎(みずの はるお、1931年〈昭和6年〉7月19日 - 2008年〈平成20年〉6月10日)は、日本の映画評論家、映画監督、タレント。倉敷芸術科学大学教授、大阪芸術大学客員教授。 映画監督としてはMIKE MIZNO(マイク・ミズノ)の名義を使っていた。出生時の本名は水野 和夫(みずの かずお)であったが、山下奉文陸軍大将への尊敬の念と、自ら製作・監督し山下を演じた『シベリア超特急』シリーズへの愛着から、戸籍上の本名を山下奉文と一文字違いの山下奉大(やました ともひろ)に改名した。日本アカデミー賞の発案者。 1931年(昭和6年)7月誕生。戸籍では19日の生まれだが、両親が「17日だったよ」と言っていたような気がするとも述べている。
田口 勝彦(たぐち かつひこ、1931年1月24日 - 20… 田口 勝彦(たぐち かつひこ、1931年1月24日 - 2020年4月27日)は、日本の映画監督、テレビドラマの演出家、アニメーション監督、脚本家。脚本家としてのペンネームは山崎久、田口章一。岡山県津山市出身。シナリオ協会作家会員。日本映画監督協会会員。 日本大学芸術学部卒業後、東映へ入社。編集業務を経て、1年後に演出部へ異動。東映東京撮影所で1961年の『ファンキーハットの快男児シリーズ』である『ファンキーハットの快男児』、『ファンキーハットの快男児 二千万円の腕』の助監督を経て、東映東京制作所でテレビドラマの監督として活動。1966年に『悪魔くん』で監督としてデビューし、初期の「仮面ライダーシリーズ」や「スーパー戦隊シリーズ」のローテーション監督として同シリーズを支えた。
千原 しのぶ(ちはら しのぶ、1931年1月16日 - 20… 千原 しのぶ(ちはら しのぶ、1931年1月16日 - 2009年11月22日)は、日本の女優。本名、石原知子(いしはら ともこ)。岡山県久米郡久米町(現・津山市)出身。 父は中日新聞の前身・新愛知の記者で、父の転勤に伴い、小学校は石川県金沢市、福井県敦賀市、長野県松本市と3度転校した。岡山県美作高等学校に進学し、将来は日舞で身を立てようと考えていたが、同校卒業後、フルーツパーラーでアルバイトをしながら日舞の稽古に励んでいたある日、父が親交のあった片岡千恵蔵に会い、片岡の推薦で1952年、東映に入社。 千恵蔵のお声がかりという看板はあまりの効き目で、ズブの素人だったにもかかわらず、次々にお呼びがかかった。
三上 昭美(みかみ てるみ、1931年〈昭和6年〉1月1日 … 三上 昭美(みかみ てるみ、1931年〈昭和6年〉1月1日 - 2018年〈平成30年〉8月19日 )は、日本の歴史学者。元中央大学文学部教授。日本の近代史の研究者として知られ、日本古文書学会常任理事などを務めた。岡山県新見市出身。 1931(昭和6)年、岡山県阿哲郡新見町(現:新見市)で出生する。1943(昭和18)年、地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学する。同期には岡山大学名誉教授の佐藤巌がいた。1945(昭和20)年、学徒動員先だった山口県の小野田セメント工場で玉音放送を聴く。 5年制であった旧制中学を4年で飛び級卒業(新制中学校へ移行処置)し、旧制高等学校で最後の入学生となる1947年に京都にある第三高等学校文科へ進学した。
赤木 恭平(あかぎ きょうへい、1931年(昭和6年) - … 赤木 恭平(あかぎ きょうへい、1931年(昭和6年) - )は、日本の実業家で、スポーツ団体役員。世界のボウリング普及活動が認められて、2002年より日本オリンピック委員会名誉委員になる。岡山県高梁市出身。 地元の岡山県立高梁高等学校に進み、1950年(昭和25年)に卒業後、上京して早稲田大学法学部に進学した。早稲田大学法学部を卒業後、サラリーマン生活を経てから一念発起して起業。知人の誘いで1971年から全日本ボウリング協会(1964年設立)を財団法人化する活動に協力するようになった。認可を得てからも自身の会社を経営するかたわら協会の運営に携わり、1995年から16年にわたり会長を務め上げると同時に、世界ボウリング連盟の会長(1995年 - 1998年)として力を尽くしてきた。
尾崎 正敏(おざき まさとし、1931年 - 2025年3月… 尾崎 正敏(おざき まさとし、1931年 - 2025年3月5日)は、日本のバスケットボール指導者。元全日本女子バスケットボールチーム監督。元日本バスケットボール協会会長。岡山県出身。 岡山県立岡山操山高等学校卒業後、早稲田大学に進学。大学ではバスケットボール部で選手として活躍。卒業後は大日本紡績(現・ユニチカ)に入社。平野工場女子バスケットボール部で指導者となる。 身長の高い相手でも対応できる「忍者ディフェンス」「マッハ攻撃」を編み出し、オールジャパン8連覇や日本リーグ初代女王など多くのタイトルを総なめにしユニチカ黄金時代を築き上げた。 全日本チームの監督も務め、1965年には第1回アジア選手権準優勝、一時退いた後、コーチとして1970年アジア選手権初優勝、翌年の世界選手権で監督に復帰。
植木 雄輔(うえき ゆうすけ、1931年(昭和6年) - 2… 植木 雄輔(うえき ゆうすけ、1931年(昭和6年) - 2021年(令和3年)5月12日 )は、日本のジャーナリストである。日本記者クラブ会員、産経新聞政治部記者、フジテレビ報道センター室長を務めた。その後、フジサンケイ静止画情報制作の代表取締役社長となる。岡山県新見市出身。 1931年(昭和6年)岡山県阿哲郡美穀村正田(現・新見市正田)にて出生する。1944年(昭和19年)、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学した。 第二次世界大戦を経て、植木が旧制中学5年制の時に、1948年(昭和23年)学制改革により、これまでの旧制小中高帝国大学(6・5・3・3)から新制(6・3・3・4)へ変更となり、新制岡山県立高梁第一高等学校が旧制高梁中学の後を継ぎ誕生する。
小長 啓一(こなが けいいち、1930年12月12日 - )… 小長 啓一(こなが けいいち、1930年12月12日 - )は、日本の官僚、弁護士。 元通商産業事務次官。AOCホールディングス会長、同台経済懇話会代表幹事、経済産業調査会会長、東急元取締役。 岡山県備前市生まれ。陸軍幼年学校を経て、旧制岡山県西大寺中学校(現・岡山県立西大寺高等学校)、旧制第六高等学校から新制岡山大学法文学部に進み、1953年に卒業。同期には吉永祐介(検事総長)、1年後輩に奥山雄材(郵政事務次官)がいた。 猛勉強の末に在学中に国家公務員上級職(法律職)試験と旧司法試験に合格していたが、「先の戦争は、日本が石油を押さえられて軍部が突っ走ったために起きた。今後、資源のない日本が世界で生き残っていくためには貿易立国しかない」という思いから、1953年通商産業省に入省した。
堀部 美行(ほりべ みゆき、1930年(昭和5年)11月15… 堀部 美行(ほりべ みゆき、1930年(昭和5年)11月15日 - 2013年(平成25年)9月13日)は、日本の美容家であり、教育家でもある。韓国・又松大学校客員教授、山野美容芸術短期大学客員教授を務めた。岡山県倉敷市出身。 1930年(昭和5年)岡山県浅口郡玉島町(現:倉敷市)にて誕生する。その後、1943年(昭和18年)旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ入学し、東京都渋谷区長とつとめる小倉基、学問分野で流行学の創始をした宮本悦也がいた。1948年(昭和23年)同校を卒業する。 堀部の学生時代は、旧制中学と新制高校との切替えと戦争直後の混乱時期が重なり世の中が安定しなかった。
小沢 馨(おざわ かおる、1930年10月20日 - 201… 小沢 馨(おざわ かおる、1930年10月20日 - 2016年9月28日)は岡山県出身の元プロ野球選手、元高校野球監督。
小見山 輝(こみやま てる、1930年10月1日 - 201… 小見山 輝(こみやま てる、1930年10月1日 - 2018年7月1日) は、日本の歌人。本名・輝(あきら)。龍短歌会代表(1995 - 2018)。 1930年、岡山県笠岡市神島に生れる。1945年14歳で満蒙開拓青少年義勇軍に参加し満州に渡り、1946年に引き揚げ帰郷。1950年「林間」に入会。1951年「龍」入会。服部忠志に師事。1953年加藤克巳の「近代」に参加。1995年「龍」代表。万葉集や釈迢空の歌に親しみ、人間存在の根源的な虚ろを見つめ、生の華やぎや、かそけさをすくいとる作風に特徴がある。岡山県歌人会会長、日本歌人クラブ中国地区代表幹事などを歴任。万葉歌碑建立にも尽力した。2012年岡山地域文化賞受賞。
内田 栄一(うちだ えいいち、1930年7月31日 - 19… 内田 栄一(うちだ えいいち、1930年7月31日 - 1994年3月27日)は、日本の小説家、劇作家、放送作家、脚本家、演出家、映画監督。 岡山県出身。実家は岡山市内の古書店。鎌倉アカデミア中退。 若い頃には安部公房に師事。新日本文学会に入会して小説家としてデビューする。1974年には金子正次らとともに、劇団東京ザットマンを旗揚げするなど、アングラ演劇の活動も盛んに行っていた。 1930年(昭和5年)、岡山市に生まれる。生家は老舗の古書店。1945年、中学三年生のとき、高射砲の弾を作る工場に動員される。岡山大空襲で家を失い、愛媛県などに疎開。15歳の夏に終戦。戦後は、高校に通いながら、詩作と小説執筆に熱中。