玉浦 裕(たまうら ゆたか、1947年8月1日 - )は化学… 玉浦 裕(たまうら ゆたか、1947年8月1日 - )は化学者、工学者、東京工業大学名誉教授。
広島県:2,640人
玉浦 裕(たまうら ゆたか、1947年8月1日 - )は化学… 玉浦 裕(たまうら ゆたか、1947年8月1日 - )は化学者、工学者、東京工業大学名誉教授。
森 進伍(もり しんご、1947年5月22日 - )は、日本… 森 進伍(もり しんご、1947年5月22日 - )は、日本のものまねタレント、歌手。本名は胡濱 勲(えびすはま いさお)。広島県高田郡甲立(現・安芸高田市)出身。森進一のモノマネで知られている。 1967年、17歳のとき、広島の生家から家出。東京・本郷の旅館の下働きをしながら歌の勉強を続ける。その後、ミシンや雑誌のセールスマンの傍ら、新宿で流しをする。 1970年に作曲家の勧めで、讀賣テレビ放送『全日本歌謡選手権』に出場、初代10週連続勝ち抜きグランドチャンピオンとなり、胡浜 三郎(えびすはま さぶろう)の芸名で歌手デビュー。東芝レコードより「女のまごころ」をリリースし、40万枚のヒットとなる。
細川 匡(ほそかわ ただし、1947年5月8日 - )は日本… 細川 匡(ほそかわ ただし、1947年5月8日 - )は日本の実業家。 FMはつかいち社長。デリカウィング会長。けん玉ワールドカップ廿日市大会会長。広島修道大学特別客員教授。 鳥取県日野郡日南町に生まれる。広島県立広島国泰寺高等学校卒業。早稲田大学を経て、コピーライターとして広告代理店に勤務する。 1978年に父が経営をしていた惣菜工場に入社。専務に就任。1983年にはデリカウィング社長に就任。セブン-イレブン広島県第一号の舟入店とも契約を結ぶ。 2007年から廿日市商工会議所の会頭を務める。 2021年、デリカウィング会長となり、経営から退く。
小村 和年(こむら かずとし、1947年(昭和22年)5月1… 小村 和年(こむら かずとし、1947年(昭和22年)5月1日 - )は、日本の政治家、運輸・国土交通官僚。広島県呉市長(3期)、日本下水道協会会長などを歴任した。 広島県呉市出身。呉市立阿賀中学校、広島県立広高等学校卒業。1966年(昭和41年)4月、国税庁広島国税局入局。1967年(昭和42年)4月、呉税務署に配属。 1972年(昭和47年)3月、中央大学商学部卒業。同年4月、運輸省に入省、鉄道監督局総務課配属。1998年、近畿運輸局運航部長。2000年、運輸省航空局地域航空活性化対策室長。中国運輸局企画部長を経て、2001年(平成13年)8月、国土交通省を退職。 2001年(平成13年)11月4日に行われた呉市長選挙に立候補するも、現職の小笠原臣也に敗れ落選。
河野 美代子(こうの みよこ、1947年4月2日 - )は、… 河野 美代子(こうの みよこ、1947年4月2日 - )は、日本の政治活動家・医師。ボランティア団体「広島エイズ・ダイヤル」代表。河野セクシャリティー医学研究所所長。 広島生まれ。1960年、広島市立観音小学校卒業。1963年、観音中学校卒業。1966年、県立観音高校卒業。 1972年、広島大学医学部卒業。同大学医学部産科婦人科学教室入局。1981年、医療法人あかね会土谷総合病院産婦人科部長。 1990年、河野産婦人科クリニック(広島市中区紙屋町)を開業。 2007年、第21回参議院議員通常選挙に無所属で広島県選挙区から立候補するも落選。
今川 憲英(いまがわ のりひで、1947年4月1日 - )は… 今川 憲英(いまがわ のりひで、1947年4月1日 - )は、日本の外科医的建築家、日本を代表する構造家の一人、構造エンジニア、構造デザイナー、構造設計家、構造的建築家。 広島県尾道市生まれ。1962年に三原工業高等学校付属中学校、1965年に三原工業高等学校機械科を卒業し1969年日本大学理工学部建築学科を卒業。大学時代は坪井善勝研究室に所属。その後東京大学生産技術研究所川股研究室、渡辺邦夫擁する構造設計集団(S.D.G)を経て1978年に構造設計事務所T.I.S. & PARTNERSを設立。 職業能力開発大学校(現・職業能力開発総合大学校)、武蔵野美術大学、女子美術大学、明治大学、東海大学、近畿大学、京都工芸繊維大学非常勤講師を経て、2000年から東京電機大学工学部建築学科教授。
橋本朝生(はしもと あさお、1947年3月22日 - 201… 橋本朝生(はしもと あさお、1947年3月22日 - 2011年9月11日)は、日本の能・狂言研究者。 広島県尾道市生まれ。1970年東京大学文学部国文科卒、1980年同大学院博士課程満期退学。1975年日本古典文学会賞受賞。山形大学講師、助教授、山梨大学教育学部助教授、教授。1997年観世寿夫記念法政大学能楽賞受賞。在任中に死去、没後正四位瑞宝中綬章受勲。
竹内 章(たけうち あきら、1947年3月2日 - )は、日… 竹内 章(たけうち あきら、1947年3月2日 - )は、日本の陸上競技選手。1972年ミュンヘンオリンピックに3000メートル障害で出場した。 広島県比婆郡西城町(現在の庄原市西城町)出身。町立の美古登小学校、西城中学校を経て、盈進高等学校卒業。日立造船に所属。1971年、第11回実業団・学生対抗陸上競技大会の3000メートル障害で優勝。 1972年ミュンヘンオリンピックに3000メートル障害で出場した。記録は1次予選で5着(8分40秒4)で、予選通過はならなかった。
桑原 真夫(くわばら まさお、1947年3月 - )は、日本… 桑原 真夫(くわばら まさお、1947年3月 - )は、日本の詩人、スペイン・ガリシア文学研究者、翻訳家。本名・中西 省三。 所属は日本イスパニア学会、スペイン史学会、日本観光研究学会、京都セルバンテス懇話会。 広島県福山市鞆の浦生まれ。広島大学附属福山高等学校、北海道大学経済学部卒。三井銀行に入行後、ブリュッセル、マドリッド、ロンドン等ヨーロッパに約14年駐在。のち赤福相談役。
藤田 訓弘 (ふじた のぶひろ、1947年2月26日 - )… 藤田 訓弘 (ふじた のぶひろ、1947年2月26日 - )は広島県出身の元プロ野球選手。名前がくにひろと誤読されやすく、そのような表記の出版物もあるが、正しくはのぶひろ。
寺西 正司(てらにし まさし、1947年2月6日 - )は、… 寺西 正司(てらにし まさし、1947年2月6日 - )は、日本の銀行家で、元UFJ銀行頭取。元全国銀行協会会長。広島県因島市出身。大阪府高槻市在住。 三和ドック創業者寺西儀正の次男として生まれる。寺西重郎(一橋大学名誉教授)は兄、三和ドック社長を継いだ寺西勇は弟。兄弟3人とも広島県立因島高等学校出身。1965年広島県立因島高等学校卒業。1969年大阪大学経済学部卒業後、三和銀行に入行。1973年ノースウェスタン大学でMBAを取得。1995年三和銀行取締役、1999年に専務に就任。2002年には金融持株会社・UFJホールディングスの傘下で三和銀行と東海銀行が合併して誕生したUFJ銀行の初代頭取に就任。
小川 邦和(おがわ くにかず、1947年2月1日 - )は、… 小川 邦和(おがわ くにかず、1947年2月1日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・評論家・解説者。
天満 祥典(てんま よしのり、1947年〈昭和22年〉1月5… 天満 祥典(てんま よしのり、1947年〈昭和22年〉1月5日 - )は、日本の政治家。元広島県三原市長(2期)、元広島県議会議員(3期)、元三原市議会議員(2期)。 広島県三原市小坂町出身。広島県三原工業高等学校(現、如水館高等学校)普通科卒業。立命館大学理工学部卒業。 1995年(平成7年)、三原市議会議員選挙に立候補し、初当選。1999年(平成11年)、2期目の当選。 2003年(平成15年)4月13日執行の広島県議会議員選挙に三原市選挙区(定数2)から無所属で立候補。自民党現職の平田修己がトップ当選を果たし、残り1議席を連合広島地方協議会議長の渡辺篤志と争い、初当選を果たした。 2007年(平成19年)4月の県議選において2期目の当選(このときから選挙区は、三原市・世羅郡選挙区となる)。
大田 晋(おおた しん、1947年 - )は、日本の元厚生官… 大田 晋(おおた しん、1947年 - )は、日本の元厚生官僚、広島市元助役、川崎医療福祉大学元教授である。広島県出身。 広島県広島基町高等学校(現・広島市立基町高等学校)を経て、1971年に東京大学法学部を卒業し、厚生省に入省。1973年から2年間、フランスのリヨン大学大学院に留学した。 1980年から3年間、広島市に出向した。1994年9月、環境庁大気保全局企画課長。1996年に広島市助役に就任した。 1999年、自由民主党推薦で広島市長選に出馬したが、落選。2003年にも自民党推薦で出馬したが、秋葉忠利に破れ落選。 1999年10月に川崎医療福祉大学教授に就任。2015年3月末で同大を退職。
坂本 敏夫(さかもと としお、1947年 - )は、日本のノ… 坂本 敏夫(さかもと としお、1947年 - )は、日本のノンフィクション作家、元刑務官(最終階級:矯正副長)。 熊本県生まれ。広島県広島基町高等学校(現・広島市立基町高等学校)卒業。法政大学法学部中退。坂本の父と祖父も刑務官で、刑務所や拘置所の近くにある官舎で育ち、自らも19歳で刑務官になった。元々は教師志望だったが、父の死去により家計を支えるために大学を中退して刑務官となった。 1967年1月、大阪刑務所の看守を最初に神戸刑務所・大阪刑務所係長を務めた。その後、法務本省事務官、東京矯正管区専門官、長野刑務所・東京拘置所・甲府刑務所・黒羽刑務所で課長を務める。1994年3月、広島拘置所総務部長を最後に退職した。
豊田 浩志(とよた こうじ、1947年 - )は、日本の歴史… 豊田 浩志(とよた こうじ、1947年 - )は、日本の歴史学者。上智大学名誉教授。専攻は西洋史の初代キリスト教史とローマ帝政史研究。 1947年、広島県に生まれた。広島学院高等学校を経て、1970年広島大学文学部史学科西洋史学専攻卒業。1972年同大学院文学研究科西洋社会史専攻修士課程修了。1977年、同博士課程単位修得退学し、同大学助手となった。 1978年、美作女子大学(現・美作大学)専任講師に着任。1981年に助教授昇進。1988年に上智大学文学部助教授となり、1991年に教授昇進。1997年、広島大学に学位論文を提出して博士号取得。2017年に上智大学を定年退職し、名誉教授となった。
矢延 洋泰(やのぶ ひろやす、1947年 - )は、日本の地… 矢延 洋泰(やのぶ ひろやす、1947年 - )は、日本の地理学者。専門は東南アジア地域研究、経済地理学、環境科学。 広島県生まれ。崇徳高等学校卒業。同年、理科系大学に入学し中退。1969年駒澤大学文学部地理学科入学、1973年同卒業。同年 東京大学工学部研究生。1977年イタリア政府の招請でトスカーナ州シエナ大学に短期留学。1978年駒澤大学大学院博士課程地理学専攻満期退学。 立教大学大学院、青山学院大学、神奈川大学、駒澤大学、東京純心女子大学講師を歴任。 「国立国会図書館サーチ」を参照
金子 洋三(かねこ ようぞう、1947年 - )は、日本の福… 金子 洋三(かねこ ようぞう、1947年 - )は、日本の福祉活動家。前青年海外協力隊事務局長。現在、社団法人青年海外協力協会 (JOCA) 会長。 広島県広島市出身。1970年京都大学農学部卒業、同大学院に進み森林生態学の研究をしていたが、青年海外協力隊に応募し、1972年から2年間、天然痘撲滅計画の最後に残ったエチオピアに派遣され天然痘監視員として活動。1978年にJICAに入団。2000年10代目の青年海外協力隊事務局長に初の生え抜きとして就任した。2004年退団。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高原 一隆(たかはら かずたか、1947年- )は、日本の経… 高原 一隆(たかはら かずたか、1947年- )は、日本の経済学者。博士(経済学)(立命館大学)。専門は、経済政策・地域経済学。特に、産地と産業クラスターとの関係を研究。北海学園大学名誉教授。
菅波 茂(すがなみ しげる、1946年12月29日 - )は… 菅波 茂(すがなみ しげる、1946年12月29日 - )は、広島県深安郡神辺町(現・福山市)出身の医学博士、医師、福祉事業家。国際医療ボランティアAMDA創設者、理事長。医療法人アスカ会・創設者、元理事長。アスカ国際クリニック(旧・菅波内科医院)元院長。社会福祉法人遊々会創設者、理事長。 アジアを中心に以下のような世界中の災害発生地に医師を派遣している。
堀田 泰司(ほった やすじ、1946年12月21日 - )は… 堀田 泰司(ほった やすじ、1946年12月21日 - )は、日本の法学者、弁護士。専門は民法で、特に請負契約を研究対象とする。九州国際大学名誉教授、前学長、法学部・大学院法学研究科教授。広島県三原市出身。 新版不動産取引の基礎、(共著)青林書院、1983年 民法と現代社会、(共著)嵯峨野書院、1989年 民事裁判例の基本原理、(共著)嵯峨野書院、1989年 債権法各論・市民社会の法シリーズⅣ、(編著)嵯峨野書院、1998年 現代民事法学の構想・内山尚三先生追悼論文集、(編著)信山社、2004年 『債権法各論』〔新現代社会と法シリーズⅣ〕(編著)(嵯峨野書院、2006年 『民法総則』〔新現代社会と法シリーズⅠ〕(編著)(嵯峨野書院、2007年 『民法総則』〔スタンダール民法シリーズⅠ〕(編著)(嵯峨野書院、2015年 『債権法各論』〔スタンダール民法シリーズⅣ〕(編著)(嵯峨野書院、2016年 『物権・担保物権法』〔スタンダール民法シリーズⅡ〕(編著)(嵯峨野書院、2019年|-|主な論文 建設請負契約における諸問題(一)、(二)、(三・完)(単著)建設総合研究24巻3・4合併号、1975年、建設総合研究25巻1号、1976年、建設総合研究25巻2号、1976年 ジョイント・ヴェンチャーに関する一考察(単著)八幡大学論集第31号第3号、1981年 請負と所有権移転の時期(単著)現代民法学の基本問題(中)、第一法規、1983年 安田先生の借地借家法論(単著)安田民法学、八幡大学社会文化研究所、1984年 債権譲渡の対抗要件(単著)債権法重要論点研究、酒井書店、1988年 中間省略登記(単著)物権法重要論点研究、酒井書店、1991年 定期借家制度における問題点(単著)、財産法諸問題の考察・小林一俊博士古希記念論集、酒井書店、2004年|-|学会発表 わが国に於ける公共工事請負契約の問題点(第85回九州法学会)1992年|-|その他
内田 俊雄(うちだ としお、1946年11月24日 - )は… 内田 俊雄(うちだ としお、1946年11月24日 - )は、アマチュア野球指導者。元亜細亜大学硬式野球部監督、現・拓殖大学野球部監督。広島県広島市出身。
中本 和洋(なかもと かずひろ、1946年11月13日 - … 中本 和洋(なかもと かずひろ、1946年11月13日 - )は、日本の弁護士。2016年から日本弁護士連合会の会長を務める。大阪弁護士会所属。 民事、商事事件を得意とする。
草光 俊雄(くさみつ としお、1946年〈昭和21年〉11月… 草光 俊雄(くさみつ としお、1946年〈昭和21年〉11月6日 - )は、日本の英国史学者。東京大学名誉教授。元放送大学教授。 学位は、Ph.D(シェフィールド大学・1983年)(学位論文「British Industrialisation and Design 1830-51」)。 広島県福山市生まれ。桐朋高等学校卒、1973年慶應義塾大学経済学部卒、1975年同大学院修士課程修了。1983年学位論文「British Industrialisation and Design 1830-51」で英国シェフィールド大学よりPh.Dの学位を取得。1983年から1985年ケンブリッジ大学ニーダム研究所研究員。
煙石 博(えんせき ひろし、1946年11月2日 - )は、… 煙石 博(えんせき ひろし、1946年11月2日 - )は、日本のアナウンサー、ラジオパーソナリティ。元中国放送アナウンサー。 広島県広島市出身。広島県立広島国泰寺高等学校1年生の時に広島県放送劇コンクールで助演賞受賞、高校2年生の夏休みに開催された高校放送コンクール全国大会に、広島県代表として参加して4位入賞。その後は、広島商科大学短期大学部卒業。1971年(昭和46年)中国放送へ入社。広島弁での語り口は多くのラジオリスナーの心を掴んだ。入社早々の1972年(昭和47年)から担当した『ヤングポップス』では「仏のえんちゃん」と呼ばれた。また、「えんちゃん」の愛称でも親しまれた。 1985年(昭和60年)頃放送された『世の中土曜日うきうきワイド』を担当するまでは主に1人でのトーク番組を担当。
山本 浩二(やまもと こうじ、1946年10月25日 - )… 山本 浩二(やまもと こうじ、1946年10月25日 - )は、広島県佐伯郡五日市町(現:広島市佐伯区)出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)、野球解説者・野球評論家。スカパーJSATグループ番組審議会委員。 本名および旧登録名(1974年まで、後述)は「山本 浩司(読み同じ)」。 2014年から2022年まで日本プロ野球名球会理事長を務めた。 「ミスター赤ヘル」(ミスターあかヘル)の愛称で知られ、現役時代は広島東洋カープのスター選手として活躍し、引退後は広島の監督を2度務め、日本代表の監督も務めた。 NPB史上、大卒で500本塁打を達成した唯一の人物で、セ・リーグ初の外野手部門でダイヤモンドグラブ賞(現:ゴールデングラブ賞)を受賞し、セ・リーグ最多記録となるダイヤモンドグラブ賞を10回受賞している。
小林 浩(こばやし ひろし、1946年10月13日 - )は… 小林 浩(こばやし ひろし、1946年10月13日 - )は日本の実業家。日本ハム、元北海道日本ハムファイターズ会長。広島県安芸郡府中町出身。 1969年東京水産大学(現・東京海洋大学)水産学部製造学科卒業、日本ハム入社。食肉輸入事業に長く携わり水産物・乳製品の責任者などを歴任。 1992年3月輸入ブロイラー部長就任。1999年4月輸入食肉第二次業部長代行就任。2000年取締役輸入食肉第二次業部長就任2003年上席執行役員就任2005年常務執行役員就任2007年4月に代表取締役社長就任2012年代表取締役会長に就任2015年代表取締役会長を退任した。 2002年の牛肉偽装事件の後、藤井良清前社長が取り組んだ社内コンプライアンス(法令順守)経営の推進とコーポレートガバナンス(企業統治)強化を継承。
岡野 憲治(おかの けんじ、1946年10月 - )は、日本… 岡野 憲治(おかの けんじ、1946年10月 - )は、日本の会計学者。松山大学名誉教授。専門は原価計算論、管理会計、特に製品ライフサイクル・コスティング。 1946年、広島県尾道市因島生まれ。1965年、広島県立尾道商業高等学校卒業。1971年、広島商科大学(現:広島修道大学)商学部卒業。1975年、広島大学大学院経済学研究科修士課程修了。1977年、松山商科大学(現:松山大学)経営学部助手。1978年、神戸大学大学院経営学研究科博士課程単位取得退学、松山商科大学専任講師。大学院時代は溝口一雄に師事した[要出典]。1980年同助教授、1987年同教授。2015年、松山大学を任期満了につき退職、名誉教授。
入山 欣郎(いりやま よしろう、1946年〈昭和21年〉9月… 入山 欣郎(いりやま よしろう、1946年〈昭和21年〉9月15日 - )は、日本の地方政治家。広島県大竹市長(5期)。2024年9月市議会定例会で今季限りでの退任の表明した。 広島県大竹市出身。1969年(昭和44年)3月、早稲田大学理工学部卒業。同年4月、三菱商事に就職。1970年(昭和45年)、実家の泉産業株式会社に転職。 2006年(平成18年)6月25日に行われた大竹市長選挙に自民党・民主党・公明党・国民新党の推薦を受けて立候補。現職の中川洋、神尾徹生元市長の二男の神尾光輝らを破り初当選した。 2018年(平成30年)、元市議の日域究を破り4選。2021年(令和3年)12月に5期目を目指し出馬を表明。
松井 桂三(まつい けいぞう、1946年9月 - )は、広島… 松井 桂三(まつい けいぞう、1946年9月 - )は、広島県広島市出身、兵庫県在住のアートディレクター、グラフィックデザイナー。大阪芸術大学短期大学部・デザイン美術学科教授。松井桂三有限会社主宰。様々な企業・ブランドのアートディレクションを手がけている。 広島県立広島国泰寺高等学校、大阪芸術大学デザイン学科を中退後、髙島屋宣伝部に入り広告デザインを多数手がける。独立後、Apple Computerデザインコンサルタント、政府広報のシンボルマーク、関西国際空港株式会社のシンボルマークなどを手がける。また、ヒロココシノのブランディングのアートディレクションほか、多岐にわたり上質なデザイン・ブランディングを手がける。
佐々木 隆之(ささき たかゆき、1946年8月24日 - 2… 佐々木 隆之(ささき たかゆき、1946年8月24日 - 2020年2月20日)は、日本の実業家。JR西日本代表取締役社長、同社取締役会長等を務めた。 広島市出身。広島大学教育学部附属高等学校を経て、1970年に一橋大学経済学部を卒業し、日本国有鉄道に入社。当時、一橋大学から国鉄に就職する学生は毎年1、2名と少なかったが、情報学ゼミの教授の勧めで入社した。 研修では機関士として、寝台特急「みずほ」の運転に当たったこともある。その後企画・総務畑を歩み、大阪鉄道管理局総務部長等を務めた。 1987年国鉄分割民営化により新たに発足したJR西日本に移る。同社では主に営業部門、経営企画部門、人事部門、財務部門等を幅広く経験し、人事部長、取締役財務部長、取締役営業部長等を務めたのち、2002年にキヨスクやコンビニエンスストアの運営等を行う完全子会社のジェイアール西日本デイリーサービスネット社長に転出した。
浅原 利正(あさはら としまさ、1946年8月12日 - )… 浅原 利正(あさはら としまさ、1946年8月12日 - )は、日本の外科医、広島大学名誉教授。第11代広島大学学長(2007年5月21日~2015年)。広島県双三郡作木村(現 三次市作木町)出身。
板垣 英憲(いたがき えいけん、本名「ひでのり」、1946年… 板垣 英憲(いたがき えいけん、本名「ひでのり」、1946年〈昭和21年〉8月7日 - )は、日本の政治評論家、ジャーナリスト。 広島県呉市に生まれる(旧本籍地は鳥取県東伯郡大栄町(現北栄町)、現在はさいたま市在籍)。 東工大理工学部附属工業高校、中央大学法学部法律学科、海上自衛隊幹部候補生学校入校(第23期一般幹部候補生課程)。 1972年、毎日新聞社東京本社記者となり、社会部、政治部に所属。首相官邸に詰め福田赳夫・大平正芳、安倍晋太郎・田中六助各内閣官房長官の番記者を担当した。日本医師会、日本歯科医師会、全国健康保険組合連合会や、経済部に籍を置いて東証記者クラブにも所属、東京証券取引所、四大証券会社(大和・日興・野村・山一)、公正取引委員会などを担当した。
桑原 秀範(くわばら ひでのり、1946年8月1日 - )は… 桑原 秀範(くわばら ひでのり、1946年8月1日 - )は、アマチュア野球選手、高校野球監督。元広島商業高校、堀越高校、穎明館高校野球部監督。広島県安佐郡川内村(現広島市安佐南区)出身。
高橋 一三(たかはし かずみ、1946年6月9日 - 201… 高橋 一三(たかはし かずみ、1946年6月9日 - 2015年7月14日)は、広島県府中市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 府中西小学校→第二中学校を経て、1962年に北川工業高校へ進学。2年次の1963年の秋季中国大会県予選ではエースとして決勝に進み、尾道商の小川邦和と投げ合い完封負けを喫するが、中国大会への出場権を獲得。しかし準々決勝で佐々木誠吾を擁する浜田高に敗れ、3年次の1964年春の選抜への出場を逃す。同年夏の大会も県予選で敗退し、甲子園には届かなかった。 1964年11月4日に読売ジャイアンツへ入団。この入団は当時の中国地区担当スカウトの木戸美摸の尽力によるものである。
増田 和俊(ますだ かずとし、1946年(昭和21年)6月1… 増田 和俊(ますだ かずとし、1946年(昭和21年)6月1日 - )は、日本の政治家。元広島県三次市長(2期)、元作木村長(2期)。 広島県作木村生まれ。1965年3月、広島県立三次高等学校卒業。1966年4月、作木村職員となる。1995年3月、同村の助役に就任。 1999年2月、作木村長に就任。2004年4月1日、三次市(旧)、双三郡君田村、布野村、作木村、吉舎町、三良坂町、三和町、甲奴郡甲奴町の8市町村が新設合併し、新しい三次市が誕生する。それに伴い同職を失職。2008年4月、三次市の副市長に就任。同年9月、佛教大学社会学部卒業。 2011年3月31日、公職選挙法違反の疑いで書類送検されていた三次市長の村井政也が、裁判所から罰金の略式命令を受けたことにより辞職。
今井 和也(いまい かずや、1946年4月20日 - )は、… 今井 和也(いまい かずや、1946年4月20日 - )は、日本の実業家。元三井物産代表取締役副社長CFO。
吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年〈昭和21年〉4月5… 吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年〈昭和21年〉4月5日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、俳優。本名同じ。旧芸名は平仮名のよしだたくろう。鹿児島県伊佐郡大口町(現在の伊佐市)生まれ 、広島県広島市育ち。 竹田企画(事務所)、avex trax(レコードレーベル)に所属。フォーライフ・レコードの第2代社長を務めた。楽曲提供者としては入江剣のペンネームを用いることがある。 妻は森下愛子(1986年結婚)。元妻は四角佳子(1972年 - 1975年)→浅田美代子(1977年 - 1984年)。 日本のシンガーソングライターの草分け的存在であり、1970年代初頭、マイナーであったフォークとロックを、日本ポップス界のメジャーに引き上げた歌手である。
花岡 一雄(はなおか かずお、 1946年1月14日 - )… 花岡 一雄(はなおか かずお、 1946年1月14日 - )は、日本の医学者。学位は、医学博士(東京大学)。東京大学名誉教授。JR東京総合病院病院長及び名誉院長を歴任し、現在[いつ?]東邦大学医療センター佐倉病院麻酔科客員教授、東京八重洲クリニックのペインクリニック内科勤務。 佃煮の製造業を営む父と小学校教員の母のもとに広島県尾道市で生まれる。尾道市立久保小学校を経て、1964年に広島大学附属福山中学校・高等学校を卒業後、東京大学理科三類に入学。1971年に東京大学医学部を卒業し、1974年エール大学麻酔科レジデント・ポストドクトラルフェローになる。その後帰国し、東京大学附属病院目白台分院助教授を経て、1991年東京大学医学部麻酔学教授に着任する。
栗原 君子(くりはら きみこ、1946年1月13日- )は、… 栗原 君子(くりはら きみこ、1946年1月13日- )は、日本の市民運動活動家、政治家。元参議院議員、前新社会党中央執行委員会委員長。
池端 俊策(いけはた しゅんさく、1946年1月7日 - )… 池端 俊策(いけはた しゅんさく、1946年1月7日 - )は、広島県呉市出身の脚本家。 広島県立呉三津田高等学校を経て、1970年、明治大学政治経済学部卒業。高校時代から演劇部に入り、脚本作りに熱中していた。大学在学中からシナリオ作家協会主催の「シナリオ研究所」(現在の「シナリオ講座」)に通い、卒業後は竜の子プロダクションに半年勤務。その後は営業職など職を転々とし、今村昌平の脚本助手となり、今村監督の映画『復讐するは我にあり』(1979年、松竹/今村プロ)、『楢山節考』(1983年、東映/今村プロ)の第1稿を手がけた。 1984年、テレビドラマ脚本『私を深く埋めて』(TBS)『羽田浦地図』(NHK)『危険な年ごろ』(読売テレビ)の三作品で第3回向田邦子賞、芸術選奨文部大臣新人賞を受賞し脚光を浴びる。
長谷川 和彦(はせがわ かずひこ、1946年1月5日 - 2… 長谷川 和彦(はせがわ かずひこ、1946年1月5日 - 2026年1月31日)は、日本の映画監督。愛称はゴジ。 広島県賀茂郡西高屋村(現:東広島市)に出生。父は農業協同組合勤務、母は教師で三人兄弟の末弟。1945年8月、母が原爆投下2日後に広島市に入り放射線を浴び、胎内5ヵ月のため胎内被曝した。4歳からABCC(現・放射線影響研究所)で定期検診を受けた。被曝2世の自分は早死にすると思い、人生を生き急ぐもとになったとインタビューで語る。 広島市翠町(現:南区翠)で育ち、広島市立皆実小学校から広島市立翠町中学校を経て広島大学教育学部附属高等学校へ進む。広大付属高の同級に鳥取県米子市長・野坂康夫ら。
荒野 泰典(あらの やすのり、1946年 - )は、日本の歴… 荒野 泰典(あらの やすのり、1946年 - )は、日本の歴史学者。立教大学名誉教授。専門は日本近世史。広島県呉市出身。
広田 佐枝子(ひろた さえこ、1946年または1947年 -… 広田 佐枝子(ひろた さえこ、1946年または1947年 - )は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル2個を含む複数のメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍した。段級位は9段。 中学1年から卓球を始め、広島県立大竹高等学校を経て専修大学に入学。 1967年度、ストックホルム (スウェーデン) で行われた世界選手権ではシングルスで16強。森沢幸子と出場した女子ダブルス準決勝ではスベトラーナ・グリンベル(英語版) / ソージャ・ルドノワ(英語版)組 (ソビエト連邦) に3-2で勝利。決勝では山中教子 / 深津尚子組 (日本) を3-0で下し金メダル。
山下了是(やました のりゆき、1946年 - )は日本の染色… 山下了是(やました のりゆき、1946年 - )は日本の染色工芸家。東京芸術大学名誉教授。広島市立大学講師。現代染織芸術を専門とし、日展、現代工芸展などを舞台に活躍。赤を基調に木綿や麻を染め上げ、自然や人物を明るい色調で描いた作品が多い。
小野 盛司(おの せいじ、1946年 - 2023年11月2… 小野 盛司(おの せいじ、1946年 - 2023年11月23日)は、日本の物理学者、理学博士、進化生物学者、実業家、経済評論家、積極財政を求める運動家と様々な肩書きを持つ。日本ベーシックインカム学会理事。広島県尾道市出身。東京都文京区在住[要出典]。 東京大学大学院博士課程修了、理学博士(東京大学)。 1965年フロイトの『精神分析入門』を読み、彼の考えは間違いであり、人間の行動は性欲ではなく「種の保存」(群選択)で説明できるという説を提唱した。この説に関し心理学者の宮城音弥と議論し、天才的だと言われ自信を得た[要出典]。 専門は物理学であり、1974年東京大学大学院博士課程終了、理学博士(東大)。
片山 一道(かたやま かずみち、1945年11月27日 - … 片山 一道(かたやま かずみち、1945年11月27日 - )は、日本の自然人類学者、京都大学名誉教授。専門は先史人類学・骨考古学。 広島県佐伯郡鹿川村(現・ 江田島市能美町)に生まれる。高校進学に伴い能美島を離れて学生寮に入る。今西錦司と木原均に憧れて中学生時代より京都大学を志望する。広島大学教育学部附属高等学校卒業。1969年、京都大学農学部農林生物学科卒業。1974年、京都大学大学院理学研究科動物学専攻博士課程満期退学。1979年「中部日本人の3隔離集団間における血液多型性形質の遺伝的分化」で理学博士の学位を取得。1974年に大阪医科大学助手、1980年に大分医科大学講師となり、1982年に京都大学理学部助教授となって、後には、京都大学霊長類研究所教授、京都大学理学研究科教授を歴任した。
河原 さぶ(かわはら さぶ、1945年11月10日 - )は… 河原 さぶ(かわはら さぶ、1945年11月10日 - )は、日本の俳優、タレント。広島県呉市出身。旧芸名は河原 裕昌(かわはら ひろまさ)。1982年に現在の芸名に改名。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。 呉市立五番町小学校から、父の転勤で東京に移り、板橋区立上板橋第二小学校、板橋区立上板橋第二中学校を経て、広島市に転居し、広島市立国泰寺中学校、広島県広島国泰寺高等学校を卒業。兄は1960年代に活動した男性コーラス・グループ、「フォー・メイツ」の河原茂樹(河原たけし)で、兄に憧れ上京した。 1965年、東映演技研修所(第一期生)に入所。2年間大部屋俳優として活動するが、「スターにしてくれ」と東映本社に直談判に行き東映をクビになる。
後原 富(せどはら ひさし、1945年11月9日 - 202… 後原 富(せどはら ひさし、1945年11月9日 - 2023年3月14日)は、広島県出身のプロ野球選手(外野手)、高校野球指導者。 広島県安芸郡海田町生まれ。海田高校時代に広島カープの入団テストを受け、参加した69人中唯一合格したが入団せずに駒澤大学へ進学した。東都大学リーグでは、入学直後の1964年春季リーグで優勝を経験するが、その後は優勝に届かなかった。俊足強肩の外野手として活躍し、リーグ通算66試合に出場、182打数43安打、打率.236、2本塁打、9打点。大学同期に当銀秀崇、佐野勝稔がいた。 1967年のドラフト会議で東映フライヤーズに7位指名され入団、1年目から一軍で起用される。1969年10月には一番打者、中堅手として、11試合連続の先発出場を果たし、同年は打率.370の好成績を残す。
弘中 惇一郎(ひろなか じゅんいちろう、1945年10月16… 弘中 惇一郎(ひろなか じゅんいちろう、1945年10月16日 - )は、日本の弁護士。元自由人権協会代表理事。東京大学法学部卒業(1968年)。1967年司法試験合格。司法修習22期(同期に木村晋介や筒井信隆)を経て1970年弁護士登録。