杉田 弘生(すぎた ひろお、1945年9月9日 - )は、日… 杉田 弘生(すぎた ひろお、1945年9月9日 - )は、日本の経営者。カノークス元代表取締役社長である。 1945年生まれ。1963年3月に広島大学附属福山高等学校を卒業。1968年(昭和43年)3月に山口大学経済学部を卒業。同年4月に日商岩井(現双日)に入社。1999年(平成11年)4月に同社金属部門統括室長、2000年(平成12年)6月に同社常務取締役管理管掌 兼 管理本部長、2001年(平成13年)6月に同社代表取締役常務取締役管理管 兼 管理本部長、2002年(平成14年)6月に同社代表取締役専務取締役管理管掌 兼 管理本部長を歴任する。 2003年(平成15年)6月にカノークス代表取締役社長に就任。
本蔵 義守(ほんくら よしもり、1945年9月6日 - )は… 本蔵 義守(ほんくら よしもり、1945年9月6日 - )は、日本の地球物理学者。東京工業大学名誉教授。理学博士。 地球電磁気学、特に地球内部・地震関連電磁気現象分野の研究において貢献した。
門田 守人(もんでん もりと、1945年〈昭和20年〉8月8… 門田 守人(もんでん もりと、1945年〈昭和20年〉8月8日 - 2023年〈令和5年〉9月7日)は、日本の医学者。大阪大学名誉教授。 広島県福山市出身、広島大学附属福山高等学校を経て大阪大学医学部卒業。大阪大学第二外科教授に就任し、肝臓癌や肝臓移植の手術を多く手掛けた。教授退官後は、日本癌学会会長、厚生労働省のがん対策推進協議会の会長を務め、臓器移植医療の普及やがん対策の推進などに取り組んだ。2015年から日本臓器移植ネットワーク理事長、2017年には日本医学会会長に就任。日本外科学会名誉会長、大阪大学理事・副学長なども歴任した。 2023年9月7日、死去。78歳没。死没日付をもって従四位に叙され、瑞宝小綬章を追贈された。
坂井 義則(さかい よしのり、1945年(昭和20年)8月6… 坂井 義則(さかい よしのり、1945年(昭和20年)8月6日 - 2014年(平成26年)9月10日)は、日本の元陸上競技選手。元フジテレビ社員。1964年東京オリンピックの開会式で聖火リレーの最終ランナーを務めた。 坂井は広島市に原子爆弾が投下された1時間半後に、現在の広島県三次市(当時は双三郡三次町)にて出生した。坂井自身は被爆者ではないが、電力会社に勤務していた父は被爆者健康手帳の保有者である。 広島県立三次高等学校在学中の1963年(昭和38年)、第19回国民体育大会400mで優勝、東京オリンピックへの出場を目指し、1964年(昭和39年)早稲田大学に入学した。当初、関西学院大学を目指していたが、同じ広島県出身で早稲田OBの小掛照二の勧誘により、進路を変更したという。
阪本 昌成(さかもと まさなり、1945年8月2日 - )は… 阪本 昌成(さかもと まさなり、1945年8月2日 - )は、日本の憲法学者、弁護士。古典的自由主義者。オーストリア学派やリバタリアニズムに近い憲法学説で知られる。 学位は法学博士(京都大学・論文博士)。広島弁護士会所属。広島大学教授、広島大学法学部長、九州大学教授、立教大学教授・近畿大学教授を歴任。 広島市出身。原爆投下の4日前に生まれたが、母親が県北へ疎開していたため、被災は免れた[要出典]。1964年3月、広島大学教育学部附属高校卒業。同じく憲法学者の辻村みよ子と長谷部恭男は、広島大学附属高校の後輩である。 1968年3月、広島大学政経学部(現・法学部)卒業。1970年3月、神戸大学大学院法学研究科修士課程修了。
川辺信雄(川邉信雄、かわべ のぶお、1945年7月24日- … 川辺信雄(川邉信雄、かわべ のぶお、1945年7月24日- )は、日本の経営学者、経営史家。早稲田大学名誉教授。 広島県生まれ。1969年早稲田大学第一商学部卒業、1976年同大学院商学研究科単位取得満期退学。フルブライト奨学生としてオハイオ州立大学大学院に学び、1980年Ph.D.。1994年「セブン-イレブンの経営史 組織能力の逆転に関する事例研究」で早大商学博士。1982年広島大学総合科学部専任講師、84年助教授、1990年早稲田大学商学部助教授、1992年教授、2011年名誉教授、文京学院大学・文京学院短期大学学長。2021年、瑞宝中綬章受章。
今井 絵美子(いまい えみこ、1945年7月2日 - 201… 今井 絵美子(いまい えみこ、1945年7月2日 - 2017年10月8日)は、日本の小説家、時代小説作家。 広島県福山市生まれ。成城大学文芸学部卒業。画廊経営、テレビプロデューサーを経て、執筆活動を開始。 1998年、「もぐら」が第16回大阪女性文芸賞で佳作に選ばれる。 2000年、「母の背中」が第34回北日本文学賞で選奨に選ばれる。 2002年、『蘇鉄のひと 玉蘊』が第2回中・近世文学大賞の最終候補作となり、同作を刊行、小説家デビューを果たす。 2003年、「小日向源伍の終わらない夏」が第10回九州さが大衆文学賞大賞・笹沢左保賞を受賞。2015年、「立場茶屋おりき」シリーズが第4回歴史時代作家クラブ賞(シリーズ賞)を受賞。
重家 俊範(しげいえ としのり、1945年6月3日 - )は… 重家 俊範(しげいえ としのり、1945年6月3日 - )は、日本の外交官。中東アフリカ局長や、在大韓民国特命全権大使等を歴任した。
新保 生二(しんぽ せいじ、1945年〈昭和20年〉6月2日… 新保 生二(しんぽ せいじ、1945年〈昭和20年〉6月2日 - 2004年〈平成16年〉10月26日)は、日本の官僚。元経済企画審議官。広島市出身。
増原 義剛(ますはら よしたけ、1945年6月1日 - )は… 増原 義剛(ますはら よしたけ、1945年6月1日 - )は、日本の元政治家。自由民主党所属の元衆議院議員。広島県広島市出身。現在、広島経済大学経済学部教授。座右の銘は「人間至る所に青山あり」。
田中 保昭(たなか やすあき、1945年5月16日 - 20… 田中 保昭(たなか やすあき、1945年5月16日 - 2024年1月20日)は、日本の実業家。 広島県出身。広島大学附属高等学校、武蔵大学経済学部経営学科卒業。1968年、広島銀行入行。1974年に大和重工に入社し、取締役、住宅機器営業本部営業部長を経て、1983年に代表取締役社長。広島運輸代表取締役社長、バスストップ代表取締役社長も兼任。2019年に取締役会長。 2024年1月20日死去。78歳没。
宮前 省三(みやまえ しょうぞう、1945年2月26日 - … 宮前 省三(みやまえ しょうぞう、1945年2月26日 - 2017年12月11日)は、日本の経営者。青山商事社長、会長を務めた。 広島県出身。1963年に広島県立府中高校を卒業し、1964年に青山商事に入社。1987年12月に専務に就任し、1997年6月には社長に昇格。2005年に理に社長を譲り副会長を経て、2009年6月から会長を務めた。 2017年12月11日、死去。72歳没。
坂田 明(さかた あきら、1945年2月21日 - )は、日… 坂田 明(さかた あきら、1945年2月21日 - )は、日本のジャズ・サクソフォーン奏者、タレント、俳優。ミジンコ研究家としても知られている。 息子もミュージシャンで、元・バンド「Polaris」のドラマー坂田学。 広島県呉市広長浜生まれ。広島県立広高等学校を経て、広島大学水畜産学部水産学科に進学し、井上敬三に師事。ジャズ研でアルトを吹く。大学卒業後、1969年4月に上京し、「細胞分裂」を結成。「ピットイン」「プルチネラ」等で活動。1972年から1979年末まで山下洋輔トリオに在籍。激しいサックス演奏で知られるようになる。同トリオを脱退後は、さまざまなグループの結成・解体を繰り返し、2000年から「坂田明mii(みい)」を中心に活動。
脇田 義信(わきた よしのぶ、1945年1月27日 - 20… 脇田 義信(わきた よしのぶ、1945年1月27日 - 2005年3月29日)は、広島テレビの元アナウンサー。後に報道担当取締役を務めた。 広島県広島市出身。生後8ケ月足らずで原子爆弾によって被爆(後述)。 広島観音高等学校、広島商科大学(現在の広島修道大学)商学部では演劇活動に打ち込む。同大学を卒業後の1968年、広島テレビに入社。翌年アナウンス部に配属され、アナウンサーとして『ズームイン!!朝!』(以下『ズームイン!!SUPER』も含め、「ズームイン」と記す)など広島の朝の顔として親しまれる。 熱狂的な広島東洋カープのファンとして知られ、実況中継だけでなく『ミユキ野球教室』(全国送出)、あるいは広島情報番組にも出演したこともある。
白井 寿昭(しらい としあき、1945年1月13日 - )は… 白井 寿昭(しらい としあき、1945年1月13日 - )は、日本の競馬評論家。日本中央競馬会(JRA)の元調教師。所属は栗東トレーニングセンター。 戸籍上の表記は白井 壽昭だが、JRAでは旧字体等の登録が認められていない為、「寿昭」に修正して登録、引退後の活動名も修正表記で行う。 広島県呉市生まれ、大阪府育ち。立命館大学経営学部在学中はマンドリンクラブに所属していた。大学卒業後、1968年に京都・上田武司厩舎で厩務員となる。1973年には同厩舎の調教助手となり、1978年に調教師免許取得。 初出走は1979年10月6日の中京競馬第9競走のハルカボシで14着、初勝利は1980年3月23日の阪神競馬第8競走のスズカセイコーで、延べ46頭目であった。
山内 孝(やまのうち たかし、1945年1月10日 - )は… 山内 孝(やまのうち たかし、1945年1月10日 - )は、日本の実業家。マツダ株式会社相談役。 広島県出身。1967年に東洋工業(現:マツダ)に入社。入社の理由をロータリーエンジンへの憧れと語っている。2008年11月19日に井巻久一の後任として社長兼CEOに就任し、2010年からは会長も兼務した。2013年6月に社長兼CEOを退き、代表取締役会長専任となった。2014年6月、代表取締役会長を退任し、相談役に就任した。
中川 正之(なかがわ まさゆき、1945年 - )は、日本の… 中川 正之(なかがわ まさゆき、1945年 - )は、日本の中国語学者。神戸大学名誉教授、立命館大学特別招聘教授。 広島県尾道市生まれ。1973年、大阪外国語大学大学院修士課程修了。広島大学総合科学部助教授、神戸大学教養部助教授から国際文化学部教授に進み、2009年に定年退任して名誉教授となる。神戸大学退官後は立命館大学特別招聘教授、立命館孔子学院院長を務める。2008年「日中漢字語の記述的研究 とくに日中同形語をめぐって」で神戸大学学術博士。
井上 元(いのうえ げん、1945年 - )は化学者、名古屋… 井上 元(いのうえ げん、1945年 - )は化学者、名古屋大学教授。
檜山 俊宏(ひやま としひろ、1944年(昭和19年)12月… 檜山 俊宏(ひやま としひろ、1944年(昭和19年)12月7日 - )は、日本の実業家、政治家。平和広告代表取締役。広島県議会議員(自由民主党所属)。第58、59、60代広島県議会議長。 広島県広島市出身。慶應義塾大学法学部卒業。南カリフォルニア大学を経て1970年に日本教育テレビ(通称NETテレビ。現:テレビ朝日)に入社。翌年に広島ホームテレビに入社。1973年に平和広告を設立し代表取締役社長、鴻治組監査役を兼任する。 1979年4月、広島県議会議員に初当選。1984年6月から1986年6月まで新空港建設特別委員会副委員長。1986年6月から1987年4月まで行財政改革特別委員会委員長。1987年7月から1988年7月まで交通対策特別委員会委員長。
芦原 英幸(あしはら ひでゆき、1944年〈昭和19年〉12… 芦原 英幸(あしはら ひでゆき、1944年〈昭和19年〉12月4日 - 1995年〈平成7年〉4月24日)は、日本の空手家。極真会館出身で芦原会館創始者・初代館長。 広島県佐伯郡能美町出身。少年時代は、本人によればごく平凡な普通の子供だったが、他人に頭を下げる事が異常に嫌いでプライドが高く、強情な子供だったためつまらない事でケンカになる事が多く、「ワル」とレッテルを貼られ、何か問題が起こると必ず芦原が悪者にされたという。もっとも、実際の自分がやった悪さと濡れ衣の比率は7対3ほどだったため、悪ガキだったのは事実と本人も認めている。空手との出会いは五年生の頃、隣家の息子が関西の大学の空手部に入っており、帰省していた時に自宅の庭で稽古をしているのを見たのが初めてだが、当時はいたずらやケンカに忙しく、夢中になる事はなかった。
大下 剛史(おおした つよし、1944年11月29日 - )… 大下 剛史(おおした つよし、1944年11月29日 - )は、広島県安芸郡海田町出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球指導者、野球解説者。
峰崎 直樹(みねざき なおき、1944年(昭和19年)10月… 峰崎 直樹(みねざき なおき、1944年(昭和19年)10月14日 - )は、日本の元政治家。
采谷 義秋(うねたに よしあき、1944年10月6日 - 2… 采谷 義秋(うねたに よしあき、1944年10月6日 - 2022年11月5日)は、日本のマラソン選手。"元祖"市民ランナー。 広島県呉市広長浜生まれ。広島電機大学附属高校(現広島国際学院高校)機械科卒業。高校2年時の1962年全国高校駅伝では、4区区間賞で全国3位に貢献した。 1963年、体育教師になるため日本体育大学健康学科に進学。日体大は当時、長距離・マラソンの一級選手は出ておらず、采谷は特定のコーチにつかず独自のプログラムを作り練習した。健康学科の授業を通して、自身の体調を科学的に分析し、また力学から足の運び、重心の置き方を研究するなど、つねに科学的なトレーニングを消化することに務める。
国枝 強(くにえだ つよし、1944年9月18日 - )は、… 国枝 強(くにえだ つよし、1944年9月18日 - )は、広島県出身の元サッカー日本代表選手(DF)。 高校時代は山陽高等学校へ入学し、渡部英麿から厳しい指導を受けた。 1960年代後期~1970年代東洋工業(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)に所属、60年代後期の東洋工業黄金期を支えたフルバック。1969年、1970年の2年連続天皇杯決勝進出に貢献している。 また日本代表としてもワールドカップメキシコ大会予選など、国際Aマッチ2試合に出場した。
岡野 昌弘(おかの まさひろ、1944年7月31日 - )は… 岡野 昌弘(おかの まさひろ、1944年7月31日 - )は、広島県呉市出身の元バレーボール選手。サントリー(現サントリーサンバーズ)初代監督。第4回から第11回Vリーグ実行委員長。 私立呉港高校時代からセッターとして活躍する。家庭の事情で大学進学を断念し1963年富士フイルムに入社。チームは1969年、実業団リーグに降格したが、主将として翌1970年、日本リーグ復帰に導いた。1973年、空前のバレーボール人気に目を付け、チームが創設されたサントリーへ新チーム作りを請われ移籍。選手の引き抜きでバレー界は大揺れしたが、初代監督兼選手として大古誠司らと共に奔走。自ら全国を駈けずり選手を集めるなどで1974年、全日本実業団大会優勝、翌1975年、結成2年目の超スピードでチームを日本リーグ入りさせた。
羽田 皓(はだ あきら、1944年(昭和19年)7月27日 … 羽田 皓(はだ あきら、1944年(昭和19年)7月27日 - )は、日本の政治家。第12代福山市長(3期)。 広島県福山市鞆町出身。青山学院大学法学部卒業。1968年、福山市職員になり、2001年に総務部長、2004年助役に就任。 第11代市長三好章が4期目途中の2004年8月9日付で病気により辞職。それに伴い行われた9月5日の市長選挙で鞆の浦埋立て架橋計画推進を訴えて当選。2003年に一旦凍結された埋立て架橋計画を市長就任後に推進した。広島県が2007年に鞆の浦埋め立て免許差し止め訴訟を提訴され、2009年に広島地方裁判所が免許差し止めを認める判決が出たが、福山市は計画を推進する立場を取り続けた。
赤堀 侃司(あかほり かんじ、1944年7月21日 - )は… 赤堀 侃司(あかほり かんじ、1944年7月21日 - )は、日本の教育工学者。東京工業大学名誉教授。日本教育情報化振興会名誉会長。元日本教育工学会会長。 広島県呉市生まれ。1967年静岡大学理学部物理学科卒業。1969年東京工業大学大学院理工学研究科物理学専攻修了、理学修士。1989年東京工業大学工学博士。 静岡県立清水南高等学校教諭、東京学芸大学講師、同助教授、東京工業大学助教授、同教授、同名誉教授、白鷗大学理事・教授・教育学部長、国連大学高等研究所客員教授、コンピュータ教育開発センター理事長等を歴任。 2005年日本教育工学会会長。2012年日本教育情報化振興会会長。2015年ICT CONNECT21(みらいのまなび共創会議)会長。
水口 洋次(みずぐち ようじ、1944年7月20日 - 20… 水口 洋次(みずぐち ようじ、1944年7月20日 - 2022年4月10日)は、広島県広島市出身のサッカー選手、サッカー指導者。 選手時代は、後のセレッソ大阪であるヤンマーディーゼルサッカー部の主力選手として活躍した。ガンバ大阪の前身・松下電器産業サッカー部の創設者で、ガンバ大阪の発足に向けた立ち上げに携わり、同クラブの基礎作りに尽力した。 広島県広島市出身。広島国泰寺高校から、中央大学法学部政治学科を経て1967年、ヤンマーディーゼル株式会社入社。小柄ながらボール扱いのうまさは日本最高ともいわれ、同社サッカー部の主力選手として活躍した。同い年で同期就職で親友の釜本邦茂のデビュー初得点のアシストを決めている。
大倉 英貴(おおくら ひでたか、1944年7月1日 - )は… 大倉 英貴(おおくら ひでたか、1944年7月1日 - )は日本の元プロ野球選手(内野手)。
上垣内 誠(かみごうち まこと、1944年6月30日 - )… 上垣内 誠(かみごうち まこと、1944年6月30日 - )は、広島市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手)。
大下 英治(おおした えいじ、本名:ひではる、1944年6月… 大下 英治(おおした えいじ、本名:ひではる、1944年6月7日 - )は、日本のルポライター・作家。 広島県安芸郡府中町生まれ。広島大学文学部仏文科卒業。 父親を原爆で失い、自身も被爆者健康手帳を所持。中学卒業後、一旦は三菱造船所の養成工となり就職するが退職し、高卒資格を得るため広島県瀬戸内高等学校に通いながら予備校にも通学。大学卒業後は電波新聞社に就職するが、後に退職し1968年に大宅マスコミ塾第7期生となる。同じく広島育ちの作家・梶山季之のスタッフライターであった時期もあり、その時の先輩には恩田貢や岩川隆などがいる。 1970年に週刊文春特派記者となって以降、1982年まで13年間在籍。在籍中の1981年に『小説電通』(三一書房)により作家デビューする。
村上 武則(むらかみ たけのり、1944年6月5日 - )は… 村上 武則(むらかみ たけのり、1944年6月5日 - )は、日本の法学者。専門は行政法。ドイツ行政法学、特に給付行政理論が主な研究対象。学位は、博士(法学)(京都大学・論文博士・2005年)。大阪大学名誉教授(大学院高等司法研究科)。元近畿大学法科大学院教授。2003年以降、国家公務員採用I種試験(行政法)の考査委員。杉村敏正門下。広島県出身。
株本 義久(かぶもと よしひさ、1944年4月23日 - 没… 株本 義久(かぶもと よしひさ、1944年4月23日 - 没年不明 )は、広島県福山市出身で朝日山部屋に所属した元大相撲力士。本名は株本 義輝。179cm、108kg。最高位は西十両9枚目。得意技は突き、押し。 1965年7月場所に21歳で初土俵。出世は早く、1970年1月場所に十両昇進を果たす。1971年5月場所に十両で4勝11敗と幕下陥落濃厚の成績となり、この場所限りで廃業した。
泉 政伸(いずみ まさのぶ、1944年4月8日 - )は、広… 泉 政伸(いずみ まさのぶ、1944年4月8日 - )は、広島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 ボールコントロールに優れ、技術、戦術眼に優れたゲームメーカー。トヨタ自動車工業の中心選手として1972年の日本サッカーリーグ2部、初代アシスト王となり2部優勝、翌1973年の1部昇格に貢献した。明治大学時代の1965年に日本代表入りし、同年3月25日のシンガポール代表戦で代表デビューを飾り、国際Aマッチ1試合に出場した。しかし日本リーグに加盟していなかったトヨタに進んだため、その後は代表には定着できなかった。 引退後は指導者の道へ進み、1987年に古巣のトヨタ自動車の監督を務めた。 日本サッカーリーグ1部成績
三浦 惺(みうら さとし、1944年4月3日 - )は、日本… 三浦 惺(みうら さとし、1944年4月3日 - )は、日本の実業家。前(第6代)日本電信電話(NTT)代表取締役社長。現同社取締役会長。広島県尾道市出身。
田中 英夫(たなか ひでお、1944年(昭和19年)3月19… 田中 英夫(たなか ひでお、1944年(昭和19年)3月19日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の京都府議会議員(通算7期)。衆議院議員(1期)、京都府亀岡市長(2期)を務めた。 広島県広島市生まれ。1945年8月6日、広島市への原爆投下により被爆を経験する。修道中学校、1962年洛星高等学校、1966年京都大学経済学部卒業。1975年、田中石油株式会社代表取締役に就任。1982年、亀岡青年会議所理事長に就任した。1983年、谷口義久亀岡市長の下で亀岡市助役に起用される。 1991年、京都府議会の保守系会派である新政会の公認を受けて京都府議会議員選挙に亀岡市選挙区から出馬し、初当選した。1995年、再選。
松本 紀彦(まつもと のりひこ、1944年(昭和19年)3月… 松本 紀彦(まつもと のりひこ、1944年(昭和19年)3月5日 - )は、日本のフィールドホッケー選手、プロゴルファー。 広島県広島市出身。明治大学卒。1968年メキシコシティーオリンピックで男子トーナメントに出場した。その後、プロゴルファーに転じ、阿山カンツリー倶楽部に所属した。 井出信夫 | 大塚智万 | 恩田昌史 | 加奥成雄 | 上村幸夫 | 河村一夫 | 工藤明朗 | 高島昭男 | 田中博司 | 長屋恭一 | 松本紀彦 | 安田善治郎 | 勇崎勝弘 | 勇崎恒也 | 西村省三 | 吉村実 | 和田明仁 | 監督: 市川日出男 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
北藤 勇(きたふじ いさむ、1944年2月16日 - )は、… 北藤 勇(きたふじ いさむ、1944年2月16日 - )は、日本のビデオジャーナリスト。現在は千葉県富里市に本社を置く株式会社メニーガ所属のカメラマンを退職しフリーの、火山ジャーナリストとして活躍している。活火山の脅威を伝えるため世界中の活火山を撮影し続けるボルケーノ・チェイサー(火山追跡者)。世界中の火山動画を40年に渡り収集。幼少時代から、火山活動に興味を持っていた。火山と共に大自然にも関心を持ち、滝や 世界遺産、海洋生物などの映像も収録。 2013年5月作成。 著書:https://isamukitafuji.wixsite.com/revised
猫田 勝敏(ねこだ かつとし、1944年2月1日 - 198… 猫田 勝敏(ねこだ かつとし、1944年2月1日 - 1983年9月4日)は、日本の元男子バレーボール選手。広島県広島市安佐南区古市(旧・安佐郡古市町)出身。 1964年東京オリンピックから1976年モントリオールオリンピックまで、4大会連続でオリンピック出場(日本のバレー男子選手で最多)を果たし、金・銀・銅の3個のメダルを獲得、「世界一のセッター」と称された。また、そのトスの正確さから、当時世に知られ始めたばかりのコンピュータから名を取って「日本のコンピュータ猫田」とも呼ばれた。 情報誌『imidas2001』(集英社)の「20世紀を創った人々550」では、バレーボールの分野で前田豊、大松博文と並んで3人のうちの1人に数えられた。
山本 裕洋(やまもと やすひろ、1944年(昭和19年)1月… 山本 裕洋(やまもと やすひろ、1944年(昭和19年)1月31日 - )は、日本の柔道家、段位は8段、全日本実業柔道連盟副理事長、西日本実業柔道連盟理事長、宮崎県延岡市に在住。 広島県出身。広島市の中学校から柔道を始め、広島県立広島商業高等学校に進学して山肩敏美と出会い、崇徳高等学校に転校し学校と道場での練習を積み、3年のとき主将として全国大会初出場を果たした。 明治大学に進学後は曽根康治、神永昭夫の両指導者の下で厳しい指導を受け、全日本学生柔道選手権大会無差別級で2年連続優勝を果たした。 1967年 旭化成工業(現 旭化成)に入社し、当時衰退していた柔道部の監督に入社3年目で就任。「他社に無い練習を」をスローガンに早朝5時30分からのトレーニングを率先励行したことで徐々に部員の意欲が高揚し、会社の理解もあって、好成績が続き社内外で認められるようになり、各地から名選手が入社するようになって現在の強い柔道部が出来上がった。
宮内 正喜(みやうち まさき、1944年(昭和19年)1月2… 宮内 正喜(みやうち まさき、1944年(昭和19年)1月28日 - )は、日本の実業家、篤志家。公益財団法人日本美術協会理事、上野の森美術館館長。 岡山放送株式会社代表取締役社長、株式会社ビーエスフジ代表取締役社長、株式会社フジ・メディア・ホールディングス代表取締役会長、株式会社フジテレビジョン代表取締役会長などを歴任した。 1944年(昭和19年)1月28日、山口県生まれ。広島県立広島国泰寺高等学校、慶應義塾大学法学部卒業。高校時代はダイソー創業者の矢野博丈と同級生だった。 1967年4月1日、フジテレビジョン(現:フジ・メディア・ホールディングス)入社。同期入社は杉田成道、石田弘、竹内次也、松本寛、北林由孝。
柏村 武昭(かしむら たけあき、1944年〈昭和19年〉1月… 柏村 武昭(かしむら たけあき、1944年〈昭和19年〉1月1日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、政治家。自由民主党所属の元参議院議員(1期)。「木へんにホワイト、柏村武昭です」のキャッチフレーズで知られている。 婚姻歴は2回で、現在の妻は、元「はしだのりひことエンドレス」のヴォーカル・林竹洋子。洋子との間に授かった娘の柏村星良も、タレントとして活動している。 広島県三次市出身。広島県立三次高等学校(演劇部に所属)を経て、早稲田大学第一文学部演劇学科に入学。在学中は露木茂(のちのフジテレビアナウンサー)などが所属していた早稲田大学放送研究会に所属。ナレオハワイアンズの司会などで活動。
国貞 泰汎(くにさだ やすひろ、1944年1月1日 - )は… 国貞 泰汎(くにさだ やすひろ、1944年1月1日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(内野手)。愛称は「ゴリ」。
藤井 信吾(ふじい しんご、1944年 - )は、日本の医学… 藤井 信吾(ふじい しんご、1944年 - )は、日本の医学者。医学博士(京都大学・1981年)。京都大学名誉教授(医学)。社会医療法人岡本病院(財団)理事長。 1963年広島大学附属福山中学校・高等学校卒業。1971年に京都大学医学部を卒業して、1985年京都大学医学部講師となる。その後、ジョンズ・ホプキンズ大学に留学し、1991年信州大学医学部教授、1997年には京都大学医学部婦人科学産科学教室教授に着任する。2004年には、日本産科婦人科学会会長となり、また、国際婦人科腫瘍学会の理事も歴任した。その後、国立病院機構京都医療センター院長を経て、公益財団法人田附興風会医学研究所北野病院院長となった。
結城 忠(ゆうき まこと、1944年- )は、日本の教育行政… 結城 忠(ゆうき まこと、1944年- )は、日本の教育行政学者。国立教育政策研究所名誉所員、元白鷗大学教授、元日本教育行政学会会長。 広島市生まれ。広島大学政経学部卒業。大阪市立大学法学部を経て、広島大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。国立教育研究所研究員・主任研究官・室長、ドイツ国際教育研究所客員研究員、国立教育政策研究所総括研究官を経て、2009年上越教育大学教職大学院教授、白鷗大学教授。 2007年「生徒の法的地位に関する学校法学的研究」で広島大学より博士(教育学)の学位を取得。
山野井 敦徳(やまのい あつのり、1944年- )は、日本の… 山野井 敦徳(やまのい あつのり、1944年- )は、日本の教育学者。川崎医療福祉大学福祉技術学部健康体育学科(教職課程センター)特任教授。 大学教授の移動研究で教育学博士号を取得(広島大学 1985年)。富山大学教育学部教授・広島大学大学教育研究センター・高等教育研究開発センター・教育学研究科高等教育開発教授・専攻長・くらしき作陽大学音楽学部教授・子ども教育学部教授・同学部長を経て、現在、川崎医療福祉大学医療福祉学部特任教授及び広島大学名誉教授・くらしき作陽大学名誉教授。 広島県江田島市生まれ。1967年広島大学教育学部教育学科卒業。73年同大学院教育学研究科博士課程満期退学。1985年「大学教授の社会移動に関する研究」で教育学博士(広島大学)。
田中 晋(たなか すすむ、1944年 - 2026年2月21… 田中 晋(たなか すすむ、1944年 - 2026年2月21日)は、英文学者。山口大学名誉教授、山口学芸大学名誉教授。エドマンド・スペンサーが専門。 広島市出身。九州大学文学部英文科卒、同大学院修士課程修了。京都大学助手、九州大学助教授、京都大学助教授を経て山口大学教授・人文学部長・大学院人文科学研究科長。2006年定年退官、名誉教授。山口学芸大学教授。 2026年2月21日、心不全のため山口市内の自宅で死去。81歳没。
吉津 宜英(よしづ よしひで、1943年12月17日 - 2… 吉津 宜英(よしづ よしひで、1943年12月17日 - 2014年1月5日)は、日本の仏教学者・曹洞宗僧侶。専門は華厳、東アジア仏教思想。学位は、博士(仏教学)(駒澤大学・乙種)。駒澤大学教授。駒澤大学仏教経済研究所所長を務めた。広島県府中市出身。 1943年、広島県府中市の曹洞宗松林寺に生まれる。広島県立府中高等学校卒業後、駒澤大学仏教学部に進学。1966年に卒業。同級生の石井修道(同大教授)・袴谷憲昭(同大教授)と共に三羽烏と称された。同大学院進学、鎌田茂雄・宮本正尊の両師に師事、1971年に同大学院博士課程満期退学。1980年に『阿毘達磨倶舎論索引』(平川彰らとの共同研究)で日本学士院賞受賞、日本印度学仏教学会賞も受賞。
森 孝慈(もり たかじ、1943年11月24日 - 2011… 森 孝慈(もり たかじ、1943年11月24日 - 2011年7月17日)は、広島県福山市出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィルダー。サッカー日本代表として56試合に出場し、1968年のメキシコシティオリンピックで銅メダルを獲得した。
世良 洋子(せら ようこ、1943年10月24日 - 202… 世良 洋子(せら ようこ、1943年10月24日 - 2025年7月4日)は、元中国放送アナウンサー、フリーアナウンサー。広島県賀茂郡河内町(現・東広島市)出身。血液型はA型。 広島県賀茂郡河内町(現・東広島市)で5人兄弟の末っ子として誕生、その後広島市東雲(現・南区東雲)に転居。 広島大学附属東雲小学校、中学校、比治山女子高校を経て、昭和女子大学文学部日本文学科に入学。 大学入学当初は教師を目指していた。高校時代から継続して演劇部に所属。一時期は新劇女優を目指していた時期もある。大学4年次に同じゼミに通う同郷の友人に誘われて中国放送を受験。1000人近くいた受験者から合格。合格通知を受け取ったときには、比治山女子高校で教育実習中だった。