石井 義信(いしい よしのぶ、1939年3月13日 - 20… 石井 義信(いしい よしのぶ、1939年3月13日 - 2018年4月26日)は広島県福山市出身の 元日本代表サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。 元フジタ工業(旧、藤和不動産/現、湘南ベルマーレ)監督、元日本代表監督。2001年よりFC東京アドバイザー。 福山市立西小学校–福山市立城北中学校–福山葦陽高等学校卒。石井らの時代に広島でサッカーが盛んだったのは広島市内だけで、福山の高校にサッカー部があったのは葦陽高校と広島大学福山分校の二校だけだった。当時の葦陽高校のグラウンドは福山城下にあり、野球、ラグビー、サッカー、陸上と共用で狭く、生徒総会で野球、ラグビー、サッカーのどのボールが一番危ないかの投票があり、断然野球が多く、野球部が潰れたという。
岡光 序治(おかみつ のぶはる、1939年(昭和14年)2月… 岡光 序治(おかみつ のぶはる、1939年(昭和14年)2月1日 - )は、日本の官僚。厚生事務次官を経て、収賄罪で懲役。出所後、ウィーティービーフーズ株式会社を設立し、同社社長や会長を務める。 広島県呉市出身。呉海軍工廠に勤務していた父親が、岡光1歳の時に亡くなり、親ひとり子ひとり、女手ひとつで育てられ、苦学して広島県立呉三津田高等学校に進学、東京大学法学部卒業後、1963年(昭和38年) 厚生省に入省した。社会局援護課に配属された。厚生省を選んだ理由は、子供の頃、呉の実家近くに岸信介らが設立した東洋パルプの工場があり、大量の汚水を瀬戸内海に流す光景が頭から離れず、豊かで美しい瀬戸内海を取り戻したいという思いからだという。
藤岡 康宏(ふじおか やすひろ、1939年1月11日 - )… 藤岡 康宏(ふじおか やすひろ、1939年1月11日 - )は、日本の法学者。専門は民法。北海道大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。学位は、法学博士(北海道大学・論文博士・1975年)(学位論文『自動車交通事故による損害の補償―交通災害保険化構想への総論的展望(1)~(2完)』)。広島県出身。 1979年3月から1981年3月にいたる2年間
福島 萬治(ふくしま まんじ、1939年または1940年 -… 福島 萬治(ふくしま まんじ、1939年または1940年 - )は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表としてアジア競技大会卓球競技で金メダルを獲得した。 広島県立因島高等学校在学時に全国高等学校卓球選手権で準優勝。 専修大学在学時の1960年度、全日本卓球選手権大会で江頭新生と出場した男子ダブルス決勝で山本義徳 / 石橋征組に0-2で敗れ準優勝。 1961年度、全日本選手権で栗田和代と出場した混合ダブルス決勝で星野展弥 / 伊藤和子組に0-2で敗れ準優勝。 1962年度、全日本学生卓球選手権大会で吉本忠義と出場した男子ダブルス優勝。 全日本選手権で吉本と出場した男子ダブルス決勝で三木圭一 / 瀬川栄次組を2-0で下し優勝。
丹羽 敏之(にわ としゆき、1939年 - )は、元国際連合… 丹羽 敏之(にわ としゆき、1939年 - )は、元国際連合職員。元国際連合事務局、国際連合開発計画事務局事務次長補、国際連合児童基金事務局次長。広島県福山市出身。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。タフツ大学フレッチャースクール修了(国際関係学修士)。
伊藤 利彦 (いとう としひこ、1939年または1940年… 伊藤 利彦 (いとう としひこ、1939年または1940年 - ) は、日本の地方公務員。広島市財政局長、同収入役、広島バスセンター社長を歴任。瑞宝小綬章受章。 1958年 (昭和33年) 広島県立廿日市高等学校卒業、1962年 立命館大学法学部卒業、広島市役所入庁、1995年 (平成7年) 4月 山岡俊英の後任として環境事業局長、1997年4月 同職を池原資實と交代し財政局長、1999年5月 千田淳と同職を交代し若狹武治の後任として広島市収入役、2003年3月 松浦洋二を後任として収入役を辞職。 市役所退職後に株式会社広島バスセンター代表取締役社長。
秋光純(あきみつ じゅん、1939年 - )は、日本の物理学… 秋光純(あきみつ じゅん、1939年 - )は、日本の物理学者。学位は理学博士(東京大学・1970年)。青山学院大学理工学部名誉教授。2001年紫綬褒章、2014年瑞宝中綬章を受章。
古城 武司(こしろ たけし、1938年〈昭和13年〉12月1… 古城 武司(こしろ たけし、1938年〈昭和13年〉12月10日 - 2006年〈平成18年〉2月8日)は、日本の元漫画家。広島県呉市(旧・豊田郡)安浦町三津口出身。 1958年に上京。同年、講談社の雑誌『なかよし』夏の増刊号掲載『二つのうそ』でデビュー。1959年、同誌に『ぶどう園の歌』を発表。1960年、『なかよし』で『花の子マリ』連載。吉田竜夫のアシスタントも務めていた。 1966年に妹が結婚して、漫画家の望月三起也と姻戚になる。 1970年代には『超人バロム・1』、『流星人間ゾーン』、『勇者ライディーン』、『伝説巨神イデオン』などのコミカライズで活躍。集英社の伝記物の学習漫画も手掛けた。
倉田 侃司(くらた かんじ、1938年11月26日 - )は… 倉田 侃司(くらた かんじ、1938年11月26日 - )は、日本の教育学者。 広島県呉市生まれ。1961年広島大学教育学部小学校教育専攻卒、1963年同大学院教育行政学修士課程修了。広島大学教育学部附属三原小学校教諭、鈴峯女子短期大学講師、助教授、広島文教女子大学教授、広島経済大学教授。2007年退任。
和崎 俊哉(わざき しゅんや、1938年11月14日 - 2… 和崎 俊哉(わざき しゅんや、1938年11月14日 - 2011年)は、日本の俳優。本名同じ。旧芸名は和崎 俊也(読み同じ)、和崎 隆太郎。広島県呉市出身。 広島県立呉宮原高等学校卒。1957年に東映へ入社し、京都撮影所製作の時代劇映画に数多く出演。1966年に松竹に移籍するが1969年にフリーとなり、以降はテレビドラマや舞台を中心に活動。 時代劇作品における凄腕の用心棒や剣客などの武闘派役から悲運な善人役、冷酷非情な悪役、若いメンバーをまとめる頼もしい司令塔役まで、叩き上げの役者として幅広い演技力を発揮した。2011年、大腸癌により死去。
菅川 健二(すげかわ けんじ、1938年11月13日 - )… 菅川 健二(すげかわ けんじ、1938年11月13日 - )は、日本の政治家・官僚。元参議院議員(1期)。 広島県東広島市出身。東広島市立西条中学校卒業。広島県立賀茂高等学校卒業後、1962年東京大学法学部卒業。同年、自治省に入省。消防庁防災管理課長補佐、自治省公営企業一課長補佐、同財政局課長、兵庫県教育次長、1980年広島県企画部長、1986年同総務部長、広島県立美術館長、広島県教育委員会教育長を経て、1993年に広島県知事選に出馬するも落選。1994年広島大学教育学部客員講師(教育政策担当)。1995年新進党から公認を受けて、第17回参議院議員通常選挙で参議院議員に初当選し、1期務めた。 1998年新進党解党に伴い、改革クラブ結党に参画し、同党参議院政策審議会長に就く。
川西 武彦(かわにし たけひこ、1938年10月9日 - 2… 川西 武彦(かわにし たけひこ、1938年10月9日 - 2026年3月22日)は広島県出身の元サッカー選手(FW/MF)。 東洋工業に所属し、日本代表としてもワールドカップチリ大会予選など、国際Aマッチ8試合に出場した。 選手引退後も東洋工業・マツダに勤務した。
宗国 旨英(むねくに よしひで、1938年(昭和13年)9月… 宗国 旨英(むねくに よしひで、1938年(昭和13年)9月21日 - )は、日本の実業家。元本田技研工業会長、元日本自動車工業会会長。 広島県庄原市出身。1961年に法政大学経済学部を卒業し、1966年に本田技研工業に入社する。米国法人アメリカンホンダモーター社長などを経て、1984年に取締役、1987年に常務、1989年に代表取締役専務、1990年に代表取締役副社長に就任する。1997年6月から代表取締役会長に就任し、退任後、特別顧問を務める。2002年5月、ホンダ出身者で初めて日本自動車工業会会長に就任する。同年、日本自動車研究所理事長。 北米におけるホンダブランドを確立し、また早くから中国市場開拓を強力に推進した。
水越 浩士(みずこし こうし、1938年(昭和13年)9月1… 水越 浩士(みずこし こうし、1938年(昭和13年)9月1日 - )は、日本の実業家。神戸製鋼会長。朝鮮京城府の生まれで、1945年引き揚げ後中学校まで父の郷里広島県豊田郡大崎上島で育つ。東京教育大学附属駒場高等学校を経て1961年3月に東京大学経済学部を卒業し、同年に神戸製鋼入社。
山本 兵吾(やまもと ひょうご、1938年8月31日 - 1… 山本 兵吾(やまもと ひょうご、1938年8月31日 - 1999年9月16日)は、広島県出身のプロ野球選手(投手)。 福山誠之館高校、備後通運から専修大学へ進学。東都大学リーグでは在学中4回優勝。同期のエース坂井勝二の陰に隠れがちだったが、坂井は3年で中退しプロ入り。その後はエースの座を引き継ぎ、4年生時は1960年春季リーグで8勝2敗を記録。チームは2位に終わるが最優秀投手、ベストナインに選出される。同年秋季リーグでは8勝3敗を挙げて優勝に貢献、最高殊勲選手とベストナインを受賞。リーグ通算36試合登板し18勝6敗、防御率1.59、141奪三振。坂井以外の大学同期に小池兼司、1年下に堀込基明がいる。
山本 一義(やまもと かずよし、1938年7月22日 - 2… 山本 一義(やまもと かずよし、1938年7月22日 - 2016年9月17日)は、広島県広島市出身のプロ野球選手(外野手)・監督、野球評論家。
花岡 永子(はなおか えいこ、1938年5月5日 - )は、… 花岡 永子(はなおか えいこ、1938年5月5日 - )は、日本の宗教哲学者、大阪府立大学名誉教授。 広島県生まれ。1957年広島国泰寺高等学校卒、1963年京都大学文学部哲学科卒、同大学院に学び、1965年より西独ハンブルク大学留学、1968年京大博士課程中退、1973年ハンブルク大学神学博士。1981年花園大学助教授、1986年教授、1992年大阪府立大学教授、1994年「心の宗教哲学 -心の自然な構造に即して」で京大文学博士。2002年定年退官、名誉教授、奈良産業大学教授、2009年退任、名誉教授。別に亡夫の姓である川村永子名義の著作もある。西田幾多郎の影響が強い。
三宅 一生(みやけ いっせい、Issey Miyake、19… 三宅 一生(みやけ いっせい、Issey Miyake、1938年〈昭和13年〉4月22日 - 2022年〈令和4年〉8月5日)は、日本のファッションデザイナー。広島県広島市東蟹屋町(現在の同市東区)出身。 広島市立尾長小学校在学中7歳のとき被爆。広島大学附属東雲中学校~広島県立広島国泰寺高等学校卒業。小学校高学年のときの担任が絵の先生で、絵を描く楽しさを教えてもらう。広島の美術館や岡山県倉敷の大原美術館にもよく通った。ルオーが好きだったという。周囲から「将来は絵描きになるの?」とよく聞かれたが、絵描きは貧乏イメージがあったから、大人になってからの職業にしようとは考えなかった。また当時は被爆都市を励ますという意味での宝塚の広島公演がよくあり、5歳上の姉に連れて行ってもらった。
天野 正子(あまの まさこ、1938年3月10日 - 201… 天野 正子(あまの まさこ、1938年3月10日 - 2015年5月1日)は、日本の社会学者。お茶の水女子大学名誉教授。前東京家政学院大学・大学院学長。専攻はジェンダー社会学、歴史社会学、新しい社会運動論。現代生活者論。教育社会学者の天野郁夫(東京大学名誉教授)は夫。政治学者の天野拓(熊本県立大学准教授)は長男。 1938年、広島市生まれ。1961年、お茶の水女子大学文教育学部(教育社会学専攻)卒業、1970年、東京教育大学文学研究科社会学専攻(修士課程)修了(社会学修士)、1973年、東京教育大学文学研究科(博士課程)中途退学。1973年、南山短期大学専任講師、1978年、金城学院大学文学部助教授、1983年、金城学院大学文学部教授。
細谷 四方洋(ほそや しほみ、1938年3月8日 - 202… 細谷 四方洋(ほそや しほみ、1938年3月8日 - 2024年1月22日)は、日本の元レーシングドライバー。 トヨタ純血ワークスチームであった「チーム・トヨタ」のキャプテンを務めた。 広島県尾道市で生まれ育つ。父親は警察官だったが広島市で原爆に遭い殉職したという。 広島県立尾道商業高校卒業。1963年に開催された第1回日本グランプリのC-IIクラス(400〜700cc)に、完全ノーマルのトヨタ・パブリカ700でプライベーター(個人)として出場し3位。 その技術を見込まれ1964年、トヨタのワークスドライバーになる。当時のトヨタは、開発を行うトヨタ自工と販売を行うトヨタ自販が別々だったが(後に合併)、細谷はプロとしてトヨタ自工と契約し技術部に所属。
上田 由美子(うえだ ゆみこ、1938年1月23日 - )は… 上田 由美子(うえだ ゆみこ、1938年1月23日 - )は、日本の詩人、エッセイスト、画家。 広島県広島市に生まれる。1945年、原爆投下の数日後に広島市内を横切り入市被曝。詩「一枚のハガキ」で第7回白鳥省吾賞の最優秀賞受賞。詩集『八月の夕凪』の著者。 2017年 戦争や災害による犠牲者を追悼する「レクイエム・プロジェクト」の混声合唱曲「生きとし、生けるものへ」の作詞を手がける。作曲は、上田益。同曲は、3月5日に広島県民文化センターで、また8月6日に長崎市民会館文化ホールで公演された。8月6日、上田由美子は詩朗読と講演を1000に近い参加者の前で行った。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
源氏田 重義(げんじだ しげよし、1938年1月17日 -… 源氏田 重義(げんじだ しげよし、1938年1月17日 - 2002年5月14日)は日本の大蔵官僚。大臣官房審議官(関税局担当)、印刷局長、大和銀行副頭取などを歴任。血液型はA型。 広島県広島市出身(父母も広島県)。広島大学附属高等学校、東京大学法学部卒業。1961年4月 大蔵省入省(主税局調査課)。イリノイ大学留学。1967年7月 山口税務署長。その後は国税庁直税部資産税課長補佐、派遣職員(アジア開発銀行)、主計局主計官補佐(司法・警察係主査)、大阪税関総務部長、内閣官房長官秘書官(事務担当)などを務める。1978年12月 大臣官房企画官。1979年4月 大臣官房参事官。同年7月 主税局国際租税課長。
大林 宣彦(おおばやし のぶひこ、1938年(昭和13年)1… 大林 宣彦(おおばやし のぶひこ、1938年(昭和13年)1月9日 - 2020年(令和2年)4月10日)は、日本の映画監督。従四位、旭日中綬章。 倉敷芸術科学大学客員教授、長岡造形大学造形学部客員教授、尚美学園大学名誉教授、文化功労者。 広島県尾道市東土堂町生まれ。尾道市立土堂小学校、尾道北高校卒業、成城大学文芸学部中退。2006年(平成18年)4月から尚美学園大学大学院芸術情報学部情報表現学科名誉教授。2007年(平成19年)4月から倉敷芸術科学大学芸術学部メディア映像学科客員教授。2014年(平成26年)4月から長岡造形大学客員教授。 妻は映画プロデューサーの大林恭子。長女の大林千茱萸は「映画感想家」と称して執筆活動をする一方で映画製作にも参加しており(映画「ハウス」の発案者である他、出演もしている)、その夫は漫画家の森泉岳土。
正木 晴彦(まさき はるひこ、1938年 - )は、日本の仏… 正木 晴彦(まさき はるひこ、1938年 - )は、日本の仏教学者、哲学者。長崎大学名誉教授、元副学長。光永寺(長崎市)住職。 1938年、広島県広島市生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1961年に学習院大学文学部哲学科卒業。1964年に東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、1967年に同博士課程を単位修得退学後、長崎大学に着任。1967年4月教養部助手、同年11月講師、1972年8月助教授、1977年3月教授、1997年10月環境科学部教授を経て、2004年3月に定年退官、名誉教授。1988年から1990年にかけて同大学評議員、2003年から退官まで副学長を務めた。 大学退官後は光永寺住職となったほか、地球システム・倫理学会の設立発起人となり、2016年現在も同学会理事を務めている。
天野 守信(あまの もりのぶ、昭和13年〈1938年〉 - … 天野 守信(あまの もりのぶ、昭和13年〈1938年〉 - 平成16年〈2004年〉7月16日)は、日本の合唱指揮者。広島県廿日市町(現廿日市市)出身。崇徳高校グリークラブの創立者、初代指揮者・音楽監督を務めた。 広島県立国泰寺高校在学中に合唱をはじめ、同志社大学ではグリークラブに所属。当時同志社グリークラブ常任指揮者だった福永陽一郎に師事。多田武彦とも親交が生まれた。 卒業後、旧丸善石油に就職。この頃から母校国泰寺高校合唱部で合唱を教え始め、その後、山陽女子高校音楽部や九州産業大学グリークラブでも合唱指導を行う。昭和43年(1968年)に崇徳学園の英語教師として就職。すぐにグリークラブを創立し、その指導に当たる。
大国 和江(おおくに かずえ、1938年 - )は、日本の法… 大国 和江(おおくに かずえ、1938年 - )は、日本の法律家、弁護士。和法律総合事務所代表。 1938年生まれ。広島女学院中学校・高等学校、中央大学卒業。1968年弁護士登録。広島弁護士会所属。1986年から1987年広島弁護士会副会長、1996年から1997年には広島弁護士会会長、中国地方弁護士連合会理事長を歴任。2003年から2004年には日本弁護士連合会副会長をつとめた。女性で同会副会長に選任されたのは1949年発足以来初。法務局人権擁護委員会、広島県人権擁護委員連合会会長、中国人権擁護委員連合会会長、全国人権擁護委員連合会副会長、財団法人広島市母子寡婦福祉連合会顧問など委員も歴任。ひろしま女性大学、エソールひろしま大学法律講座講師。
岩永嘉弘(いわなが よしひろ、1938年 - )は、日本のコ… 岩永嘉弘(いわなが よしひろ、1938年 - )は、日本のコピーライター。広島県呉市出身。 1938年、広島県呉市に生まれる。父は海軍大尉(終戦退役時)。 少年時代を山口県宇部市で過ごし、東京渋谷の松濤中学校、東京都立新宿高等学校を経て、早稲田大学第一政治経済学部新聞学科に入学。高校時代の同級生に作家の安土敏と朝日新聞元論説委員の早房長治、早稲田大学同学部の同級生に写真家の浅井慎平、脚本家の鎌田敏夫、作家の尾高修也、朝日新聞元論説委員の高山智がいた。大学卒業後、光文社に編集記者として務めたのち、明治製菓宣伝部でコピーライターとなる。その後、広告作家の土屋耕一に師事。一番弟子を自称している。 1971年、独立して株式会社岩永事務所(現・株式会社ロックスカンパニー)を設立。
麻生 実男(あそう じつお、1937年12月17日 - 19… 麻生 実男(あそう じつお、1937年12月17日 - 1991年11月22日)は、広島県福山市出身のプロ野球選手(内野手)。右投げ右打ち。1960年大洋V1戦士の一人で、勝負どころで快打を連発し大洋初優勝に貢献した。
田邊 雅章(たなべ まさあき、1937年12月13日 - )… 田邊 雅章(たなべ まさあき、1937年12月13日 - )は、日本の映像作家。(株)ナック映像センター代表取締役。本名・俊彦(としひこ)。 広島市生まれで父は軍人。市内猿楽町(現・中区大手町)・産業奨励館(原爆ドーム)東隣の生家で育つ。山口県の母の実家に縁故疎開中の1945年、原爆投下により実家に残っていた父・母・弟を失う。自らも家族を捜すため入市し二次被爆した。 原爆投下から9日後の8月15日、終戦となったこの日に父親が死去(敗戦に伴う自害ではなく、原爆の影響による戦傷死)。軍人であった父親は自らが被爆したこともあり、米軍に対して拭いきれない憎しみを抱きながら軍刀を傍に置いたまま亡くなったという。
石川 恵也(いしかわ けいや、1937年12月8日 - )は… 石川 恵也(いしかわ けいや、1937年12月8日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。
山本 文男(やまもと ふみお、1937年9月20日 - )は… 山本 文男(やまもと ふみお、1937年9月20日 - )は、広島県広島市観音(現西区観音)出身のプロ野球選手、プロ野球審判員で、元セントラル・リーグ審判部長。審判員袖番号は28(1988年初採用から1996年引退まで、2001年以降牧田匡平がつけている。)。
熊野 英昭(くまの ひであき、1937年(昭和12年)9月3… 熊野 英昭(くまの ひであき、1937年(昭和12年)9月3日 - 2004年(平成16年)12月30日)は、日本の官僚。元通商産業事務次官。広島県出身。正四位瑞宝重光章受章。 東京大学経済学部経済学科をトップで卒業。通商産業省入省。貿易局長、大臣官房長、機械情報産業局長、産業政策局長を歴任し、1993年(平成5年)6月から1994年(平成6年)12月まで通商産業事務次官を務める。次官在任中には日米構造協議を受けて、引き続き新社会資本整備たる公共事業政策を推進した。小沢一郎や熊谷弘通産大臣の下で次期次官最有力だった内藤正久を退官させたが、これは巷間「通産省4人組事件」などとマスメディアで報じられた。
中本環(なかもと たまき、男性、1937年8月15日- )は… 中本環(なかもと たまき、男性、1937年8月15日- )は、日本文学研究者。 広島県呉市生まれ。広島大学文学部国文科卒、同大学院博士課程満期退学、尾道短期大学講師、比治山女子短期大学助教授、熊本大学教育学部助教授、教授、2003年定年退官。文学雑誌『町塾』を刊行する。光村図書の小中学校国語教科書の編纂にも携わった。
森 健兒(もり けんじ、1937年8月13日 - )は、広島… 森 健兒(もり けんじ、1937年8月13日 - )は、広島県福山市生まれ、広島市育ちの元サッカー選手。木之本興三と共にJリーグを創設した最大の功労者である[3][4][5][6][7][8][9]。
小川 薫(おがわ かおる、1937年8月8日 - 2009年… 小川 薫(おがわ かおる、1937年8月8日 - 2009年4月27日)は、日本の実業家。総会屋。「最後の総会屋」と呼ばれた。 広島市の歓楽街・弥生町の入口、下柳町(現中区銀山町)生まれ。当地は証券街で、かつ遊郭もあり、ヤクザの多い街でもあった。1945年、7歳国民学校二年の夏、爆心地から1.1キロの自宅で被爆。薫は釣りに行くため自宅を出る直前だった。幸い家族もみな軽傷で済んだ。1946年、戦場から父親が復員。戦前から経営していた電器店を再開したが、父は博徒岡組(のちの共政会)組長・岡敏夫と親しく野球賭博を始め店を潰し、その後は食堂を営んだ。 小川の兄・義夫と弟・明男の三人は喧嘩が滅法強く「小川三兄弟」と恐れられたが、叔父の田部武雄がプロ野球選手だったこともあり、野球もうまく、みな野球強豪高校でレギュラーとなった。
小倉 桂子(おぐら けいこ、1937年8月4日 - )は、日… 小倉 桂子(おぐら けいこ、1937年8月4日 - )は、日本の被爆体験証言者、通訳。平和のためのヒロシマ通訳者グループ代表。 被爆体験を英語で証言できる数少ない被爆者として年間およそ2,000人に自らの体験を伝え続けている。夫は小倉馨(広島平和記念資料館第3代館長)。 広島市生まれ。 1945年8月6日、8才の時に爆心地より2.4キロの広島市牛田町で被爆。1959年、広島女学院大学英文学部卒業。 1962年、広島市役所勤務の小倉馨(米国生まれで17歳年上)と結婚。 1979年8月、夫の小倉馨が平和宣言を書いている途中で、くも膜下出血で亡くなる(妻・桂子が42歳、長男が12歳、長女が15歳の時)。
池田 行彦(いけだ ゆきひこ、1937年〈昭和12年〉5月1… 池田 行彦(いけだ ゆきひこ、1937年〈昭和12年〉5月13日 - 2004年〈平成16年〉1月28日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正三位、勲章は旭日大綬章。旧姓は粟根。 衆議院議員(10期)、内閣官房副長官(政務担当)、総務庁長官(第7代)、防衛庁長官(第50代)、外務大臣(第119、120代)、自由民主党政務調査会長(第42代)、自由民主党総務会長(第40代)等を歴任した。 妻・紀子の父は内閣総理大臣を務めた池田勇人。妻の姪・慶子の夫は衆議院議員の寺田稔。 兵庫県神戸市生まれ。父・粟根信行は行彦の7歳時に死去し、その後、父の郷里である広島市中島本町(現在の平和記念公園内)へ移る。1945年8月6日の原爆投下時は母の妹宅近くの豊田郡(現三原市)本郷町(現在の広島空港周辺)に疎開していたので、被爆を免れた。
佐木 隆三(さき りゅうぞう、本名:小先 良三〈こさき りょ… 佐木 隆三(さき りゅうぞう、本名:小先 良三〈こさき りょうぞう〉、1937年〈昭和12年〉4月15日 - 2015年〈平成27年〉10月31日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家で、北九州市立文学館名誉館長、九州国際大学元客員教授。当初は純文学作家として活動したが、直木賞受賞の『復讐するは我にあり』以降は犯罪ノンフィクションで人気を博し、後年は法廷のルポルタージュでも広く知られる。旧朝鮮咸鏡北道穏城郡生まれ。 両親とも広島県出身で、父親は農家。一旗あげようと田畑を売り払って朝鮮に渡り、良三は朝鮮で生まれる。1941年(昭和16年)、銀山の所長をしていた父が呉の海軍に召集されたため、一家で日本に引き揚げた。
山下 明生(やました はるお、1937年3月11日 - )は… 山下 明生(やました はるお、1937年3月11日 - )は、日本の児童文学作家、翻訳家。 東京生まれ、瀬戸内海の広島県能美島で育つ。 広島県立大柿高等学校を経て京都大学文学部仏文学科卒業後、上京してあかね書房へ入社。同社の児童書編集の傍ら、乙骨淑子、奥田継夫、掛川恭子、八木田宜子とともに同人誌「こだま」に参加した事を機に創作活動に専念。 1973年『うみのしろうま』で野間児童文芸推奨作品賞、1975年『はんぶんちょうだい』で小学館文学賞、1983年『まつげの海のひこうせん』で絵本にっぽん大賞、1986年『海のコウモリ』で赤い鳥文学賞、1992年『カモメの家』で野間児童文芸賞、日本児童文学者協会賞、1993年同作で路傍の石文学賞受賞、『バーバパパ』シリーズの翻訳でも有名。
伊藤 修令(、1937年3月7日 - )は、日本の技術者。広… 伊藤 修令(、1937年3月7日 - )は、日本の技術者。広島県竹原市出身。 1959年、広島大学工学部機械工学科卒業。同年4月、プリンス自動車の前身の富士精密工業に入社。 主にスカイライン(ALSID II型 - S50型系)のシャーシ設計を担当。日産自動車との合併後も、スカイライン、ローレル、レパード(F30型、F31型)の開発に参画。1982年1月からはプレーリー(主管)、マーチK10型(主管)などの開発を担当。 1984年には、初代からスカイラインの開発に携わり、2代目から同車の開発主管を一貫して務めていた桜井眞一郎が病に倒れて入院したことにより、旧・プリンス時代からの桜井の後輩で一番弟子であり、共に車両開発に携わっていた伊藤が、急遽、他車種の開発主管から異動してスカイラインの開発主管を引き継ぐことになった。
松田 欣也(まつだ きんや、1937年1月10日 - )は、… 松田 欣也(まつだ きんや、1937年1月10日 - )は、広島県広島市出身の実業家。広島マツダ社長などを務めた。
川原 政数(かわはら まさかず、1937年1月5日 - )は… 川原 政数(かわはら まさかず、1937年1月5日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
永谷 敬三(ながたに けいぞう、1937年 - 2020年)… 永谷 敬三(ながたに けいぞう、1937年 - 2020年)は、日本出身の経済学者。経済学博士(ブラウン大学・1968年)。ブリティッシュコロンビア大学名誉教授、神戸大学名誉教授。元カナダ経済学会副会長。カナダ国籍。 福岡県福岡市博多生まれ。広島県立廿日市高等学校を経て、1959年一橋大学経済学部卒業。中山伊知郎ゼミ出身。大蔵省入省後、1963年からハワイのイースト・ウエスト・センター給費生となり佐藤隆三に師事して新古典派経済学を学ぶ。1965年からフルブライト奨学生としてブラウン大学に留学し、1968年6月に修了。最短記録で経済学博士の学位を取得した。指導教授はジェローム・ステイン。 1968年からブリティッシュコロンビア大学教授。
橋本 宗利(はしもと むねとし、1936年12月9日 - )… 橋本 宗利(はしもと むねとし、1936年12月9日 - )は、日本の経営者。広島ホームテレビ社長、会長を務めた。 広島県尾道市出身。1959年に一橋大学経済学部を卒業し、日本興業銀行に入行し、本店営業部で勤務していた。1965年5月に広島銀行監査役に就任し、取締役、常務、総務部長、専務、副頭取を歴任した。1989年6月から2008年6月までに広島ホームテレビの社長を務め、2008年6月から会長に就任した。。日本青年会議所副頭取、広島県選挙管理委員会委員長、朝日放送監査役も務めた。 1998年から2000年までに日本民間放送連盟副会長を務めた。
中尾 義孝(なかお よしたか、1936年〈昭和11年〉11月… 中尾 義孝(なかお よしたか、1936年〈昭和11年〉11月25日 - 2008年〈平成20年〉6月4日)は、日本の政治家。広島県竹原市長(3期)。 広島県竹原市出身。明治大学法学部卒業。中尾醸造に入社し、同社専務、社長となる。1987年(昭和62年)竹原商工会議所会頭に就任した。 1990年(平成2年)1月14日の竹原市長選挙に立候補して、新人1人を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:80.73%(前回比:-pts) 同月、第4代市長に就任した。市長を3期務めた。2002年(平成14年)1月13日に退任した。2008年に死去した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
瀧 光夫(たき みつお、1936年11月19日 - 2016… 瀧 光夫(たき みつお、1936年11月19日 - 2016年12月8日 )は日本の建築家。広島県尾道市出身。1961年に京都大学大学院修士課程修了、1963年にコロンビア大学大学院を修了。国際万国博覧会・EXPO’70のワーキングスタッフを経て、1972年に東京にて瀧光夫建築・都市設計事務所を設立。1993年から2009年までは福山大学工学部建築学科教授を務めた。1998年に千里山第1噴水再整備計画に携わり、2005年からは阪急千里山駅周辺再開発計画に吹田市のアドバイザーとして携わった。 植物園や園芸建築など自然と人工物の造形を活かした建築設計で知られ、建築業協会賞や日本建築学会賞、公共建築賞などを受賞した。
豊田 隆謙(とよた たかよし、1936年11月4日 - )は… 豊田 隆謙(とよた たかよし、1936年11月4日 - )は、日本の内科医。専門は、糖尿病学。医学博士。
亀井 靜香(かめい しずか、1936年11月1日 - )は、… 亀井 靜香(かめい しずか、1936年11月1日 - )は、日本の警察官僚、政治家。階級は警視正(警察庁退官時)。衆議院議員(13期)。通常は新字体で亀井静香と表記。 運輸大臣(第69代)、建設大臣(第64代)、自由民主党政務調査会長(第43代)、国民新党代表(第2代)、内閣府特命担当大臣(金融担当)などを歴任。
亀井 靜香(かめい しずか、1936年11月1日 - )は、… 亀井 靜香(かめい しずか、1936年11月1日 - )は、日本の警察官僚、政治家。階級は警視正(警察庁退官時)。衆議院議員(13期)。通常は新字体で亀井静香と表記。 運輸大臣(第69代)、建設大臣(第64代)、自由民主党政務調査会長(第43代)、国民新党代表(第2代)、内閣府特命担当大臣(金融担当)などを歴任。
成宮 雄三(なるみや ゆうぞう、1936年10月12日 - … 成宮 雄三(なるみや ゆうぞう、1936年10月12日 - )は、日本の実業家。ナルミヤ・インターナショナル創業者・社長。広島県広島市出身。 家業は明治期の1899年、広島市の元柳町(現在の広島平和記念公園)に創業した呉服問屋の老舗。その後広島市中心部鉄砲町に移転。戦時中は軍服製造などを手がけ戦後の1952年、成宮織物株式会社、1979年ナルミヤと改称して婦人服・洋品部門を拡張させた。成宮は三兄弟の末っ子として生まれ、広島大学附属高校を経て1959年慶應義塾大学法学部を卒業。大学卒業後、髙島屋に入社。ニューヨーク店などに勤務。父の病気で1975年退職し、二番目の兄が東京青山でやっていた洋服卸部門を引き継ぐ。