桑原 正紀(くわはら まさき、1948年8月12日 - )… 桑原 正紀(くわはら まさき、1948年8月12日 - )は歌人。 広島県双三郡君田村大字泉吉田(現・三次市君田町)に生まれる。君田小学校、君田中学校を経て、広島県立三次高等学校卒業。中学時代は野球を始め、スポーツに親しむと同時に、芥川龍之介や太宰治などを読む。高校時代は、読書をよくするとともに、サッカー部と卓球部を兼部。高校一年のとき、授業で初めて短歌を制作する。 國學院大學文学部卒業、同大学院修士課程・博士課程修了。卒業論文は催馬楽の研究、修士論文は古代歌謡の研究。大学院修了後、立教高等学校の教諭となる。野球部の顧問を務め、教え子に長嶋一茂がいる。 1973年、歌誌「コスモス」に入会、宮柊二に師事。
赤松 蕙子(あかまつ けいこ、1931年1月18日 - 20… 赤松 蕙子(あかまつ けいこ、1931年1月18日 - 2012年5月7日)は、広島県出身の俳人。本名蕙。 大柿町(現江田島市)生。旧制広島県立広島第一高等女学校を経て広島県広島有朋高等学校卒業。1947年、俳誌「雪解」に入会、皆吉爽雨に師事。1953年、山口県徳応寺に嫁ぐ。「鶴啼いて月に一滴づつの金」「眠りみなこの世にさめて櫻どき」など、宗教性を持ちつつ着想に富む句風。1975年、『白亳』により第15回俳人協会賞受賞。1994年、山口県選奨(芸術文化功労)受賞。 句集に『子菩薩』『白亳』『天衣』『散華』『月幽』『海戀』『佩香』。また、俳人協会の「自註現代俳句シリーズ(3期)」に『赤松蕙子集』がある。
川崎 展宏(かわさき てんこう、本名ではのぶひろ、1927年… 川崎 展宏(かわさき てんこう、本名ではのぶひろ、1927年1月16日 - 2009年11月29日)は、日本の俳人・国文学者。広島県出身。 呉市生まれ。父は海軍士官。1953年、東京大学文学部国文学科卒業。1958年、同大学院満期退学。米沢女子大学、共立女子大学を経て、明治大学法学部教授。 東京府立第八中学校(現・東京都立小山台高等学校)で加藤楸邨に教わり、のちに俳句を楸邨に師事、「寒雷」に参加する。1970年、森澄雄の「杉」創刊に参加、編集を務める。1980年、超結社の同人誌「貂」を創刊、2003年まで代表を務め、2004年より名誉代表となる。1991年、句集『夏』で読売文学賞受賞。1998年、句集『秋』で詩歌文学館賞、評論『俳句初心』で俳人協会評論賞受賞。
葛原 繁(くずはら しげる、1919年(大正8年)8月25日… 葛原 繁(くずはら しげる、1919年(大正8年)8月25日 - 1993年(平成5年)1月7日)は、日本の歌人・実業家。 広島県呉市出身。東京工業大学電気工学科卒。1938年(昭和13年)、『多磨』に入会し、北原白秋に師事。1950年(昭和25年)、岡部桂一郎、金子一秋、三木あや、山崎一郎らとともに「泥の会」の活動を開始。翌年、伊藤麟、片山貞美、草柳繁一、杉本二木雄、深作光貞、森比左志、山崎方代らが加わる。1953年(昭和28年)、宮柊二の『コスモス』創刊に参加、のち編集人。1981年(昭和56年)、歌集『玄』で第32回読売文学賞受賞。日新運輸倉庫(現・日新)取締役を務めた。
木下 夕爾(きのした ゆうじ、1914年(大正3年)10月2… 木下 夕爾(きのした ゆうじ、1914年(大正3年)10月27日 - 1965年(昭和40年)8月4日)は、日本の詩人、俳人。本名・優二。 広島県福山市御幸町に生まれる。広島県立府中中学(現・広島県立府中高等学校)を卒業後、1933年にいったんは第一早稲田高等学院文科(仏文科)に入学するが、養父の結核発病に伴い家業を継ぐために転学した。1938年に名古屋薬学専門学校(現・名古屋市立大学)を卒業し、広島県福山市の実家で薬局を営む。以後、終生郷里を離れなかった。この間堀口大学に傾倒し影響を受けており、13歳のときには堀口の詩誌「若草」で特選を取っている。1940年、第一詩集『田舎の食卓』を刊行、第6回文芸汎論賞を受賞。
田淵 実夫(たぶち じつお、1909年1月25日 - 199… 田淵 実夫(たぶち じつお、1909年1月25日 - 1991年3月8日)は、日本の俳人、政治家、民俗学者。 俳号・十風子。広島県三次市生まれ。関西大学卒、京都大学大学院言語学専攻博士課程満期退学。中学、高校、大学教師ののち、1947年、第23回衆議院議員総選挙に旧広島3区から日本社会党公認で出馬し初当選。1949年、落選。広島市立図書館長。広島市文化センター管理者。比治山女子短期大学教授、広島女学院大学教授。広島方言、石垣などを研究した。
渡辺 直己(わたなべ なおき、1908年(明治41年)6月4… 渡辺 直己(わたなべ なおき、1908年(明治41年)6月4日 - 1939年(昭和14年)8月21日)は、広島県呉市出身の歌人。 呉一中(現:広島県立呉三津田高等学校)、広島高等師範学校(現:広島大学)卒業。芥川龍之介に影響を受けた文学青年で、マルクス主義にも関心を持った。異父兄・高橋彰三の影響で短歌を始める。1935年(昭和10年)、伊藤左千夫を中心にして1908年(明治41年)に作られた短歌誌『アララギ』に入会し、土屋文明に師事した。しかし当初の渡辺の作品は牧歌的で、島木赤彦や文明の模倣でしかなかった。 呉市立高等女学校(現:呉三津田高等学校)の国語教師として奉職中だった1937年(昭和12年)、日中戦争に応召し、中国に第五師団歩兵第十一連隊陸軍少尉として送られる。
赤城 さかえ(あかぎ さかえ、1908年〈明治41年〉6月3… 赤城 さかえ(あかぎ さかえ、1908年〈明治41年〉6月3日 - 1967年〈昭和42年〉5月16日)は、俳人、俳論家。本名・藤村 昌(ふじむら さかえ)。 国文学者・藤村作の次男として広島県広島市に生まれる。二歳の時に父、作の東京帝国大学赴任に伴い上京、千駄ヶ谷尋常高等小学校(のちの渋谷区立渋谷小学校)、東京府立第五中学校(現・東京都立小石川中等教育学校)、旧制山形高校を経て東京帝国大学文学部中退。東大在学中に日本共産党(非常時共産党)に入党、山本健吉や亀井勝一郎、原民喜らと地下活動に入るも熱海事件に巻き込まれて知多半島に逃亡。のち転向し、1937年召集。1938年には昭和鉱業に勤務するが、1940年結核を発病して逗子湘南サナトリウムに入院。
高藤 武馬(たかとう たけま、1906年2月15日 - 19… 高藤 武馬(たかとう たけま、1906年2月15日 - 1990年8月19日)は、国文学者、俳人。 広島市生まれ。東京帝国大学文学部国文科卒。法政大学教授、1977年定年、名誉教授。柳田國男に師事して民俗学を学び「柳田全集」編さんに関わった、古典作品の現代語訳も多くおこなった。若き日は蓮田善明と交流があった。種田山頭火も研究し全集を編纂した。俳号・馬山人。
山下 陸奥(やました むつ、1895年(明治28年)12月2… 山下 陸奥(やました むつ、1895年(明治28年)12月24日 - 1967年(昭和42年)8月29日)は、日本の歌人。 広島県尾道市千光寺通りに生まれる。 尾道市立土堂小学校、広島県第一中学校(現広島県立広島国泰寺高校)を経て、東京高等商業学校(現一橋大学)中退。住友合資に入社し、愛媛県新居浜住友工業所に勤務。上司の川田順の勧めで佐佐木信綱の竹柏会に入り、新井洸、木下利玄に私淑。のち上京して信綱、石槫千亦を助けて「心の花」の編集を担当。信綱、久松潜一から国文学を学ぶ。 1930年(昭和5年)、歌誌「一路」を創刊、主宰した。「一路」には岡部桂一郎や山崎方代、塩野崎宏、角宮悦子などが参加したが、戦後に多く離反していった。
中村 憲吉(なかむら けんきち、1889年1月25日 - 1… 中村 憲吉(なかむら けんきち、1889年1月25日 - 1934年5月5日)は、広島県生まれの歌人。 1889年(明治22年)1月25日、広島県三次郡上布野村(現・三次市)に、後に三次銀行初代頭取を務めた他に多くの田畑・山林を所有し醸造業も営む地元名望家の父・修一の次男として生まれる。 1894年、布野尋常小学校に入学。1898年、布野尋常小学校卒業、同高等科に入学。1900年、祖母の異父妹で、三次で旅館業を営んでいた香川八重の養子となる。香川家へは後に弟で倉田百三と親交のあった三之助が入り、憲吉は中村姓に復する。9月、三次小学校高等科に転校。 1901年、三次中学に入学。四年時には倉田百三が一年生として入学。
正田 篠枝 は、日本の歌人、平和運動家。本名は正田シノエ。広… 正田 篠枝 は、日本の歌人、平和運動家。本名は正田シノエ。広島県安芸郡江田島村字秋月(後の江田島市)出身。広島市への原子爆弾投下による被爆者の1人。被爆経験を詠んだ多数の短歌により「原爆歌人」として知られており、中でも原爆批判に対する厳しい統制下で出版された歌集『さんげ』が、原爆文献中でも随一の稀覯本として知られている。弟に経済学者の正田誠一、又従兄弟に作家の小久保均がいる。