丸本 明(まるもと あきら、1957年8月18日 - )は、… 丸本 明(まるもと あきら、1957年8月18日 - )は、日本の自動車技術者・実業家。マツダ株式会社相談役。 広島県呉市出身。1980年に慶應義塾大学工学部を卒業し、東洋工業(現在のマツダ)に入社。シャシー設計のエンジニアとして開発部門を歩み、3代目ボンゴ、4代目-5代目カペラ、クロノス、ボンゴフレンディのシャシー開発に携わった。その後2代目MPVでは開発主査を務めた。2代目MPV発売直後の1999年6月、マツダ創業以来最年少の41才で取締役に就任し、品質部門や欧州でのフォードとの共同事業を担当。その後は経営企画や米国部門を担当し、2017年に発表したトヨタとの業務資本提携では副社長として実務を担った。
金井 誠太(かない せいた、1950年1月17日 - )は、… 金井 誠太(かない せいた、1950年1月17日 - )は、日本の自動車技術者、実業家。マツダ株式会社相談役。在広島メキシコ合衆国名誉領事。 広島県出身。広島大学附属高等学校を経て、東京工業大学工学部卒業後、1974年に東洋工業(現在のマツダ)に入社。一貫して開発畑を歩み、チーフエンジニアを務め2002年に発売された初代アテンザは132の賞を受賞し、世界的に高い評価を得た。2010年に発表されたSKYACTIV TECHNOLOGYの開発も指揮し、マツダ車の全ての要素を刷新した。2014年に代表取締役会長に就任し、2018年に退任。座右の銘は「敬天愛人」。マツダ財団理事長、中国経済連合会副会長、蔵前工業会広島県支部長なども務めた。
中嶋 成博(なかじま しげひろ、1948年10月2日 - )… 中嶋 成博(なかじま しげひろ、1948年10月2日 - )は、日本の技術者、実業家。富士フイルムホールディングス代表取締役社長や、日本化学工業協会副会長を務めた。 広島県呉市出身。父は元大日本帝国海軍の技術者。聖光学院高等学校を経て、1971年に東京工業大学理学部化学科卒業後、同大学大学院理工学研究科化学専攻修士課程で光化学スモッグの研究に従事。 博士課程進学も考えたが進学希望者が多かったため、1973年に大学院修了後は、先輩の勧めで富士写真フイルム(現富士フイルム)に入社した。入社後は、企業の研究は自由度が低いと考えて工場勤務を志望し、足柄工場技術課に配属され薬剤設計を担当。1979年係長に昇格。
今川 憲英(いまがわ のりひで、1947年4月1日 - )は… 今川 憲英(いまがわ のりひで、1947年4月1日 - )は、日本の外科医的建築家、日本を代表する構造家の一人、構造エンジニア、構造デザイナー、構造設計家、構造的建築家。 広島県尾道市生まれ。1962年に三原工業高等学校付属中学校、1965年に三原工業高等学校機械科を卒業し1969年日本大学理工学部建築学科を卒業。大学時代は坪井善勝研究室に所属。その後東京大学生産技術研究所川股研究室、渡辺邦夫擁する構造設計集団(S.D.G)を経て1978年に構造設計事務所T.I.S. & PARTNERSを設立。 職業能力開発大学校(現・職業能力開発総合大学校)、武蔵野美術大学、女子美術大学、明治大学、東海大学、近畿大学、京都工芸繊維大学非常勤講師を経て、2000年から東京電機大学工学部建築学科教授。
伊藤 修令(、1937年3月7日 - )は、日本の技術者。広… 伊藤 修令(、1937年3月7日 - )は、日本の技術者。広島県竹原市出身。 1959年、広島大学工学部機械工学科卒業。同年4月、プリンス自動車の前身の富士精密工業に入社。 主にスカイライン(ALSID II型 - S50型系)のシャーシ設計を担当。日産自動車との合併後も、スカイライン、ローレル、レパード(F30型、F31型)の開発に参画。1982年1月からはプレーリー(主管)、マーチK10型(主管)などの開発を担当。 1984年には、初代からスカイラインの開発に携わり、2代目から同車の開発主管を一貫して務めていた桜井眞一郎が病に倒れて入院したことにより、旧・プリンス時代からの桜井の後輩で一番弟子であり、共に車両開発に携わっていた伊藤が、急遽、他車種の開発主管から異動してスカイラインの開発主管を引き継ぐことになった。
石井 幸孝(いしい よしたか、1932年10月12日 - )… 石井 幸孝(いしい よしたか、1932年10月12日 - )は、日本の鉄道技術者。実業家、九州旅客鉄道(JR九州)初代社長。広島県呉市出身。本籍は京都府宮津市漁師町。 東京都立新宿高等学校、東京大学工学部機械工学科卒業。1955年日本国有鉄道(国鉄)に入社。蒸気機関車の補修を皮切りに、油まみれの工場勤務からスタート。1959年、本社臨時車両設計事務所でディーゼル車両の担当技師として車両設計・開発を担当。キハ81系「はつかり」、キハ82系、キハ58系、DD51形、DE10形などディーゼル車両開発最盛期の仕事に携わった。ディーゼル特急「はつかり」を東北本線に導入した当時は故障に泣かされ、毎晩徹夜で修理作業に当たったという。
京谷 好泰(きょうたに よしひろ、1926年1月24日 - … 京谷 好泰(きょうたに よしひろ、1926年1月24日 - )は、鉄道技術者、元日本国有鉄道浮上式鉄道技術開発推進本部長。リニアモーターカーの開発者で、リニア技術の今日的な基礎を築いた技術者、「リニアの父」。 広島県福山市生まれ。子供の頃から家族の時計をばらしてはまた組み立てたり、理科の実験に熱中した。戦時中は高校生ながら学業を休み、三井造船の艦艇電気工場で潜水艦に関する仕事に従事した。第六高等学校を経て1948年、京都大学工学部(旧制)卒業。最初は船の仕事を希望したが、母親に「船に乗ったらどこかへ行ってしまう」と泣きつかれ運輸省に入省。1年後国鉄が出来たので国鉄に移籍。戦争でやられた機関車を日本の復興のためにと徹夜で修理した。
竹鶴 威(たけつる たけし、1924年〈大正13年〉3月6日… 竹鶴 威(たけつる たけし、1924年〈大正13年〉3月6日 - 2014年〈平成26年〉12月17日)は、広島県福山市出身の日本の実業家で、ウイスキー製造者、技術者、会社経営者。ニッカウヰスキー(アサヒビールグループ)の元社長であり、同社の2代目マスターブレンダー。 叔父、後に養父は竹鶴政孝。息子はブランディングコンサルタントの竹鶴孝太郎。従妹は竹鶴リマ。
永野 治(ながの おさむ、1911年(明治44年)10月9日… 永野 治(ながの おさむ、1911年(明治44年)10月9日 - 1998年(平成10年))は、日本の航空技術者、実業家。元海軍技術少佐、元石川島播磨重工業(IHI)副社長。国産のジェットエンジンを開発した技術者。
佐竹 利彦(さたけ としひこ、1910年(明治43年) - … 佐竹 利彦(さたけ としひこ、1910年(明治43年) - 1998年(平成10年)7月24日)は、日本の技術者・実業家。広島県東広島市出身。 サタケ二代目社長。おいしくて光沢のある白米ができる精米機を発明し、精米理論を体系化した。またヤシ・ソテツ類植物の収集・分類において権威であった。東京大学で農学博士号を取得(近代精米技術に関する研究)、東京農業大学名誉博士(ヤシの研究)、広島大学名誉博士(近代精米およびヤシの研究)。 1910年(明治43年)、佐竹利市の長男として生まれる。旧制山陽中学校(現・山陽高等学校)で優秀な成績を収め、旧制広島高等工業学校(現・広島大学工学部)への推薦入学が決まっていた。
小早川 元治(こばやかわ もとはる、明治40年(1907年)… 小早川 元治(こばやかわ もとはる、明治40年(1907年)6月27日 - ?)は、日本の自動車技術者。 男爵小早川家の当主。位階は正五位。旧姓名は毛利元治。 東京府出身。明治40年(1907年)、第29代毛利宗家当主の毛利元昭の次男として生まれる。その後、叔父にあたる男爵・小早川四郎の養子となる。広島の旧制崇徳中学校、日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)を卒業。崇徳中学校時代には弁論部で活躍、大学時代にはディーゼル機関の研究を行っていた。卒業後は日産自動車の技術者となる。また、ジェントルマンドライバー (アマチュアドライバー) としても活動し、イギリスからMG・K3マグネットを入手して多摩川スピードウェイに参戦するなどしたという。
八谷 泰造(やたがい たいぞう、1906年12月14日 - … 八谷 泰造(やたがい たいぞう、1906年12月14日 - 1970年3月23日)は、日本の技術者、実業家。日本触媒化学工業(現・日本触媒)第2代社長(実質の創業者)。高杉良の経済小説『炎の経営者』の主人公として実名で登場する日本の石油化学工業のパイオニア。 広島県比婆郡山内東村(現・庄原市)出身。三次中学(現三次高等学校)卒業。代用教員を経験した後、大阪高等工業学校を経て一旦就職し、働きながら苦学して1932年、大阪帝国大学工学部応用化学科を卒業。由良染料を経て。1935年にヲサメ硫酸工業事務所へ入社。研究責任者としてバナジウム触媒の開発を行う。 1941年にヲサメ硫酸工業事務所から、大阪桃谷(現在の大阪市生野区桃谷)の長屋の2階にヲサメ合成化學工業株式會社が設立。
松井 義男(まつい よしお、1906年4月1日 - 1983… 松井 義男(まつい よしお、1906年4月1日 - 1983年2月26日)は、広島県呉市出身の技術者、実業家。ダイワ精工創業者。 1923年山陽中学校卒。広島でカメラ店を経営するが上京し1953年、カメラの距離計の製造を主とする「松井製作所」を創業。1955年からは釣り具のリールの製造を開始、釣り用品の需要増大に伴い、リールを本格的に生産するため1958年、東京都中野区に資本金200万円で「大和精工」を設立した。さらにスポーツ用品の製造も開始。1960年、リール生産工場を東京都東久留米市前沢に新設、1962年本社もここへ移転した。 1964年、グラスロッド(ガラス繊維強化プラスチック製の釣り竿)の生産工場を新設、1965年にはオリジナル仕様のダイワブランド・リールを開発、販売を開始した。
佐藤 一男(さとう かずお、1892年5月23日 - 195… 佐藤 一男(さとう かずお、1892年5月23日 - 1959年10月29日)は、日本の鉄道技術者、実業家。 広島県福山市出身。1918年に京都帝国大学工学部電気工学科を卒業し、京阪電気鉄道に入社。 車両技術部門で活躍し、全鋼製ロマンスカー京阪1550型電車の設計、製作に携わり、欧米での留学で得た知識を生かして、日本最初の連接車である京阪60型電車(びわこ号)を立案、建造した。 取締役、常務、専務を経て、1943年に陸上交通事業調整法による阪神急行電鉄との統合により、京阪神急行電鉄副社長に就任した。 1946年11月に公職追放を受け、副社長を辞任し、相談役に就任した。 1959年10月29日死去。
鈴川 貫一(すずかわ かんいち、1883年(明治16年)11… 鈴川 貫一(すずかわ かんいち、1883年(明治16年)11月24日 - 1963年(昭和38年)1月22日)は、日本の電気技術者、実業家。中国配電(現・中国電力)社長。鈴川合資会社代表社員。 広島県・鈴川源三郎の男。段原村(のちの段原町)生まれ。1885年、家督を相続する。広島一中から1902年に岡山第六高等学校に入学、1906年に二部甲類を卒業。1909年、京都帝国大学工科大学電気工学科卒業。 旧鹿児島藩の島津家が経営する芹ヶ野金山に赴任、島津公爵家電気事業主任技師となる。1912年、広島呉電力技師長、支配人、取締役、広島電気取締役、技師長、支配人、常務取締役を経て副社長。 また木ノ江電気、境電気、東洋合成化学工業、瀬戸内海横断電力、広電証券、中国塗料、太田川水力各取締役、白石工業、日本電熱器製造各監査役等を務めた。
佐竹 利市(さたけ りいち、1863年4月20日〈文久3年3… 佐竹 利市(さたけ りいち、1863年4月20日〈文久3年3月3日〉 - 1958年〈昭和33年〉9月25日)は、日本の技術者・実業家。広島県東広島市出身。 サタケ創業者。日本で初めて動力式精米機を開発する。また竪型精米機も開発しこれが吟醸酒誕生につながるなど、日本の酒造りに貢献した。 1863年(文久3年)、安芸国賀茂郡寺家村(現・広島県東広島市西条町)で代々農業を営む家系の長男として生まれる。5歳のときに叔父から算数を学び、のち独学で進め、幼少期より神童と謳われた。10歳のとき、父親を亡くす。1875年(明治8年)13歳のとき寺家村長と地区の名士だった木村和平(のちの賀茂鶴酒造)から任され地租改正に伴う測量業務・地積計算に2年間従事した。
NORO(のろ)は、日本のシンガーソングライター、レコーディ… NORO(のろ)は、日本のシンガーソングライター、レコーディング・エンジニア、マスタリング・エンジニア、マニピュレーター。広島県広島市出身。WEBデザイナーや女優としても活動している。 自ら打ち込み、録音、ミキシング、マスタリングも行うシンガーソングライターである。2007年に牧村憲一エグゼクティブ・プロデューサーの下、自身で打ち込みやミキシングも行った渋谷系ポップスの流れを継いだ1stアルバム『LOVE SWEET DREAM』をリリース。その後アメリカ合衆国フィラデルフィアの女性ラッパーSteph Pocketsとの共同プロデュースなどインターナショナルな活動をしながら、2011年ドリーミーポップな2ndミニアルバム『FREEWHEELin’ e.p.』、2014年電子雑誌トルタルでの音楽連載をまとめた3rdミニアルバム『theRoom1058』、1stシングル『DREAM in RUINS(廃墟の夢)』、2016年に4枚目のアルバム『Je T’aime(ジュテーム)』をリリース。