今坂 幸暉(いまさか ともき、2006年10月19日- )は… 今坂 幸暉(いまさか ともき、2006年10月19日- )は、山口県下関市出身のオリックス・バファローズ所属のプロ野球選手(内野手)。 大阪学院大学高等学校時代には1年生には背番号19でベンチ入りを果たした。1年生の秋から遊撃手として先発出場を果たした。2年生の夏は大阪府大会4回戦敗退で2年生の秋から主将になり府大会3回戦敗退。3年春には、大阪桐蔭、履正社を倒し、府大会を優勝した。その後、近畿大会で1回戦敗退。その後、2024年度新人選手選択会議にてオリックス・バファローズが育成1位で指名した。 支度金300万円、年棒240万という契約となった。背番号は051。 2025年はウエスタン・リーグで18試合の出場で打率.140、1本塁打という成績を残した。
古賀 康誠(こが こうせい、2004年9月3日 - )は、福… 古賀 康誠(こが こうせい、2004年9月3日 - )は、福岡県北九州市若松区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 下関国際高等学校では、1年生の夏から背番号11でベンチ入り。同年秋からは背番号1でベンチ入りし、2年生エースとしてチームを第93回選抜高等学校野球大会に導く。3年生の夏には、エースとして第104回全国高等学校野球選手権大会に出場し、チームを甲子園準優勝に導いた。 2022年のドラフト会議にて、東北楽天ゴールデンイーグルスから育成2位指名を受けた。11月10日に山口県内のホテルで契約交渉に臨み、支度金300万円、年俸230万円(金額はいずれも推定)で入団に合意した。
稲川 竜汰(いながわ りゅうた、2004年2月25日 - )… 稲川 竜汰(いながわ りゅうた、2004年2月25日 - )は、山口県周南市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 折尾愛真高校から九州共立大学に進学して、2025年ドラフト会議で2位指名を受けた。12月3日、契約金7000万円、年俸1200万円で入団に合意した(金額は推定)。背番号は13に決定した。 2026年は開幕一軍となり、4月1日、開幕5戦目の対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(楽天モバイル)6-0とリードした9回裏先頭打者から4番手としてプロ初登板を果たしたものの、先頭の辰己涼介を四球で出すと、2度の暴投などで失点し、更に小郷裕哉にこの回2つ目の四球を与え二死一塁としたところで上茶谷大河と交代し降板、2/3回を2四球1失点に終わり、試合後、小久保裕紀監督は「稲川は抹消します。
立石 正広(たていし まさひろ、2003年11月1日 - )… 立石 正広(たていし まさひろ、2003年11月1日 - )は、山口県防府市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。阪神タイガース所属。 華浦小学校1年の時に華浦スポーツ少年団に入団して野球を始め、中高一貫の高川学園高等学校・中学校に進学。高等部では1年春からベンチ入り。2年秋からは主力で、3年の夏は山口県大会で優勝し、第103回全国高等学校野球選手権大会に出場。1回戦の小松大谷高等学校戦ではバックスクリーンへの2ラン本塁打を打ちチームのサヨナラ勝ちに貢献したが、2回戦の神戸国際大学附属高等学校戦では4打席凡退で逆転負けを喫した。 創価大学に進学すると東京新大学野球連盟に所属する硬式野球部に入部。
椋木 蓮(むくのき れん、2000年1月22日 - )は、山… 椋木 蓮(むくのき れん、2000年1月22日 - )は、山口県山陽小野田市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 山陽小野田市立本山小学校1年の時に本山ベアーズで野球を始め、高川学園中学校では高川学園リトルシニアに所属。 高川学園高等学校では2年夏に控え投手としてベンチ入りし、第98回全国高等学校野球選手権大会に出場したが登板はなく、チームも1回戦で敗れた。同年秋からはエースを務めたが、3年夏は山口県大会準々決勝で下関国際に敗れた。1学年上に山野太一がいた。 その後、山野と同じ東北福祉大学に進学。同大学出身の元プロ野球選手である大塚光二が監督を務め、4年間指導を受けていた。
正木 雄大(まさき ゆうた、1999年6月15日 - )は、… 正木 雄大(まさき ゆうた、1999年6月15日 - )は、山口県宇部市出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は17。 宇部市立西岐波中学校を経て進学した宇部鴻城高等学校時代には捕手として活躍。2年時には3投手を巧みにリードし、中国大会を制覇。2017年には春の高校野球で正捕手として出場した。同年夏は県大会で打率4割と好調だったものの、決勝で下関国際高に敗れた。卒業後は県高野連審判部で裏方を務めた。 2018年12月に開催された第6回NPBアンパイア・スクールにおいて研修審判員として採用され、2019年は独立リーグ・四国アイランドリーグplusにおいて経験を積んだ。 2019年12月11日、日本野球機構より育成審判員として契約することが発表され、翌2020年1月1日に日本野球機構審判部に入局。
山野 太一(やまの たいち、1999年3月24日 - )は、… 山野 太一(やまの たいち、1999年3月24日 - )は、山口県吉敷郡小郡町(現:山口市)出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 小学1年生の時に地元の野球チーム、小郡少年野球団に入り野球を始めた。高川学園中学校では高川学園リトルシニアに所属していたが、同級生に比べても体が小さく、投手志望だったがセンターを守っていた。高川学園高等学校に進学してからは1年生の時には160cmしかなかった身長が3年生になると170cmまで伸び、野球の実力も伸びていった。エースとして3年夏の山口県大会で優勝し、創部初の甲子園出場を決めた。しかし初戦の履正社高等学校戦で敗れた。対戦投手の寺島成輝との実力の差を痛感し、寺島がドラフト1位でヤクルトにプロ入りしたのを見て、いつか投げ勝ちたいとプロ入りを意識するようになった。
清水 優心(しみず ゆうし、1996年5月22日 - )は、… 清水 優心(しみず ゆうし、1996年5月22日 - )は、山口県大島郡周防大島町出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。
藤谷 洸介(ふじたに こうすけ、1996年2月12日 - )… 藤谷 洸介(ふじたに こうすけ、1996年2月12日 - )は、山口県周南市出身の元プロ野球選手(投手、内野手)。右投右打。 周南市立福川中学校在学中に、校内の軟式野球で投手を中心にプレー。山口県立周防大島高等学校への進学後は二塁も守っていたが、2年時の夏からエースの座を確保した。打者としては、在学中の対外試合で15本塁打を記録。投手としては、長身から速球を投げ下ろす投球スタイルから「離島のダルビッシュ」と称された。3年夏の全国高等学校野球選手権山口大会では、山口県立新南陽高等学校との1回戦にNPB5球団のスカウトが集結していたが、先発で15球を投げたところで右肘を骨折したため降板。病院での応急措置を経て、右腕を包帯で吊った姿で球場へ戻ったものの、チームは初戦敗退を喫した。
児玉 龍也(こだま りゅうや、1993年10月9日 - )は… 児玉 龍也(こだま りゅうや、1993年10月9日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属しているプロ野球選手(投手・育成選手)。
宮﨑 敦次(みやざき あつし、1992年12月8日 - )は… 宮﨑 敦次(みやざき あつし、1992年12月8日 - )は、山口県下関市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 勝山小学校4年生の時に地元のソフトボールチームに入り、勝山中学校に進むと野球部に入部する。当時は控えの一塁手で目立つ選手ではなかった。 進学した下関国際高校では、宮﨑自身野球を続ける気は全くなかったものの、ある日同校の野球部監督だった坂原秀尚から宮﨑の自宅に電話が入る。当時の野球部は部員がベンチ入り人数に満たず、毎年4月に監督の坂原秀尚が野球経験のある新入生に片っ端から電話を入れていたという。宮﨑は坂原の熱心な勧誘に応えて野球部に入部したが、同級生の野球部員は3人だった。なお左投げであることもあり、高校進学と同時に坂原の勧めで投手に転向。
宮﨑 敦次(みやざき あつし、1992年12月8日 - )は… 宮﨑 敦次(みやざき あつし、1992年12月8日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(投手)。
岩本 輝(いわもと あきら、1992年10月21日 - )は… 岩本 輝(いわもと あきら、1992年10月21日 - )は、山口県防府市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投左打。現在は阪神の球団職員(アカデミーコーチ)。 小学校3年生から野球を始める。防府市立桑山中学校への在学時には、野球部のエースとして、山口県大会優勝・中国大会準優勝を経験した。 山口県立南陽工業高等学校では、1年生の秋から投手を務め、2年生春のセンバツでは2試合連続完投勝利でベスト8に進出、3年生夏の甲子園では中京大中京高との1回戦で99球無四球完投したが1-2で敗れる。 2010年のNPBドラフトで、阪神が4巡目指名し、契約金4,000万円、年俸600万円(金額は推定)で入団する。
平田 真吾(ひらた しんご、1989年8月29日 - )は、… 平田 真吾(ひらた しんご、1989年8月29日 - )は、山口県下関市出身のプロ野球選手(投手)。横浜DeNAベイスターズ所属。
中村 恵吾(なかむら けいご、1989年3月23日 - )は… 中村 恵吾(なかむら けいご、1989年3月23日 - )は、山口県山陽小野田市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。NPBでは育成選手であった。 宇部鴻城高校を経て、神奈川大学に進学。高校時代には、3年時に主将を務めたが、春夏とも全国大会に出場できなかった。大学時代にも、ケガの影響で神奈川大学リーグ公式戦への登板が1試合にとどまった。 大学4年生の秋には、リーグ戦へのベンチ登録を果たせなかった。しかし、野球を諦められなかったことから、独立リーグであるBCリーグのトライアウトを受験。その結果、トライアウト後の2012年ドラフト会議で、富山サンダーバーズからの指名を受けて入団に至った。 2013年には、リーグ戦12試合に登板。
好永 貴雄(よしなが たかお、1987年9月18日 - )は… 好永 貴雄(よしなが たかお、1987年9月18日 - )は元社会人野球の選手(投手)である。山口県長門市(旧・大津郡日置町)出身。
三輪 正義(みわ まさよし、1984年1月23日 - )は、… 三輪 正義(みわ まさよし、1984年1月23日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(外野手、内野手)。
宇多村 典明(うたむら のりあき、1982年2月5日 - )… 宇多村 典明(うたむら のりあき、1982年2月5日 - )は、山口県防府市出身の元社会人野球選手(一塁手)である。 防府市立富海中学校から南陽工業高校へ進む。南陽工時代は一塁手を務めチームの主砲として活躍したが、甲子園出場はならなかった。その後九州国際大学に進学し、同級生に嶋村一輝がいた。3年次の2002年春季の九州六大学リーグで打点王に輝く活躍で優勝に貢献し、敢闘賞を受賞するとともに指名打者としてベストナインにも選ばれた。同年秋には主将を務めて九州大学野球選手権で優勝し、明治神宮野球大会にも出場している。神宮大会では三番・三塁手を務め、初戦で久保裕也を擁する東海大学に勝利。しかし準決勝の対亜細亜大戦で永川勝浩に完封負けを喫し、自身も無安打だった。
金子 洋平(かねこ ようへい、1981年12月4日 - )は… 金子 洋平(かねこ ようへい、1981年12月4日 - )は、山口県山口市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。右投右打。 中学時代はボーイズリーグ・多摩ファイターズボーイズ(現・武蔵多摩ボーイズ)でプレー。国士舘高校では2年春の選抜大会に控え野手として出場。主将として臨んだ3年夏の東東京大会では一番を任され、3本塁打を記録するもベスト8で世田谷学園に敗れた。高校卒業後は青山学院大学へ進学。東都リーグでは2年春にリーグ6位の打率.353を記録しベストナインに選ばれている。4年秋には五番打者として3本塁打を放ち、8季ぶりのリーグ優勝に貢献した。大学4年間の通算成績は76試合出場、224打数56安打、打率.250、7本塁打、45打点。
嶋村 一輝(しまむら いっき、1981年10月13日 - )… 嶋村 一輝(しまむら いっき、1981年10月13日 - )は、山口県下関市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、プロ野球コーチ。
上本 達之(うえもと たつゆき、1980年11月8日 - )… 上本 達之(うえもと たつゆき、1980年11月8日 - )は、山口県宇部市出身のプロ野球選手(捕手、内野手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。
飯田 宏行(いいだ ひろゆき、1980年8月19日 - )は… 飯田 宏行(いいだ ひろゆき、1980年8月19日 - )は、山口県熊毛郡田布施町出身の元プロ野球選手(投手)、整体師、元大学野球監督。右投右打。 下松工業高校では2年秋の県大会で8強に入る。 徳山大学に進学し、2年春には岡山大戦で7回参考記録ながらノーヒットノーランを達成。2、3年と明治神宮大会に出場し、いずれも先発したが2年時は優勝した慶大・長田秀一郎、中村泰広と投げ合うも9回サヨナラ本塁打を浴びる、3年時も初戦コールド負け。在学中には日本代表候補として阪神タイガースの春季キャンプ(2002年)に派遣された。大学通算成績は5勝6敗、防御率2.08、113奪三振。細身ながら長身から繰り出される速球は魅力十分で、日本の8球団が獲得に動いていたが、本人はメジャーリーグ志向から誘いを断り、ドラフトには指名されなかった。
三上 真司(みかみ しんじ、1979年9月1日 - )は、京… 三上 真司(みかみ しんじ、1979年9月1日 - )は、京都府城陽市出身の元プロ野球選手(投手)。
坂原 秀尚(さかはら ひでなお、1976年10月11日 - … 坂原 秀尚(さかはら ひでなお、1976年10月11日 - )は、山口県下関市生まれ、広島県広島市出身の日本の高校野球指導者、及び保健体育科教諭。 下関市で生まれ、物心つく前に広島市に引越しした。五日市東小のスポーツ少年団で野球を始める。中学時代は、元社会人選手の顧問に鍛えられ100人を超える部員の競争を勝ち抜きレギュラーの座をつかんだ。広島電機大学附属高校では投手で、最後の大会は4回戦敗退。広島電機大学を経て、実業団のワイテックで27歳までプレー、スライダーを武器に活躍した。その後母校の広島国際学院大学で2年間コーチを務めた後、高校野球指導者を志し、教員免許取得のため、東亜大学に編入学する。その近くの下関国際高が、夏の県大会の組み合わせ抽選会直前に、選手たちが集団万引をして3カ月間の対外試合禁止を受けた不祥事の影響で、指導者がいない、校長がひとりで指導しているという話を聞き、2年時編入で3年間は下関にいるので、「給料はいりませんから、野球の指導をさせてください」と手紙を書いた。
玉峰 伸典(たまみね のぶのり、1975年12月8日 - )… 玉峰 伸典(たまみね のぶのり、1975年12月8日 - )は、山口県下関市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、読売ジャイアンツで打撃投手を務める。
片山 大樹(かたやま だいき、1975年2月24日 - )は… 片山 大樹(かたやま だいき、1975年2月24日 - )は、山口県徳山市(現:周南市)出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球コーチ。 徳山商業高時代の2年春から捕手を務めつつ、外野手や投手も行う。遠投110m。高校通算36本塁打。 1992年のドラフト4位で阪神に入団。背番号は63。ウエスタン・リーグでは捕手のほか一塁手でも出場する。1997年ごろ長女が誕生。一軍経験がないまま2000年に引退した後、阪神でブルペン捕手を務める。 2022年5月1日、阪神一筋30年の人物として、NHK総合『サンデースポーツ』で特集された。 2025年からはブルペン捕手を兼任しながら一軍ブルペンコーチを務める。背番号は93。
森 慎二(もり しんじ、1974年〈昭和49年〉9月12日 … 森 慎二(もり しんじ、1974年〈昭和49年〉9月12日 - 2017年〈平成29年〉6月28日)は、山口県岩国市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督。 山口県立岩国工業高等学校卒業後、新日鐵光に入るが新日鐵グループ野球部の再編にともない、新日鐵君津へ転籍した。1996年の第67回都市対抗野球大会では優秀選手賞を受賞した。同年のドラフト会議で西武ライオンズから2位指名を受け、入団した。同期入団には和田一浩がいた。 プロ1年目の1997年シーズンは、プロ初登板が先発だった。先発としては結果を残せなかったものの中継ぎで好投したことからリリーフへ転向した。後半には石井貴と入れ替わる形で抑えに抜擢され、最終的に38試合に登板し、6勝2敗9セーブを記録成績でチームの優勝に貢献した。
杉本 潔彦(すぎもと きよひこ、1974年7月9日 - )は… 杉本 潔彦(すぎもと きよひこ、1974年7月9日 - )は、山口県萩市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、オリックス・バファローズの打撃投手、スコアラー。 小学4年の時に野球を始め、当時は外野手だった。萩商業高では1年生から投手を務め、3年夏は4番投手として出場するが県大会2回戦で敗退した。 日産自動車九州では右膝半月板故障の影響であまり投げる事ができなかった。 1997年度ドラフト会議にてオリックス・ブルーウェーブから4位指名を受け、入団。登録名を「キヨ」とした。同期入団の前田浩継(ヒロ)・前田和之(カズ)と共に登録名を変更した事で話題となる。 イニング数を上回る四死球を記録するなど、制球面の課題があったが克服できず2001年シーズンオフに戦力外通告を受け現役を引退。
米 正秀(よね まさひで、1972年6月11日 - )は、山… 米 正秀(よね まさひで、1972年6月11日 - )は、山口県山口市出身の元プロ野球選手(投手)。 広島県に生まれ、その後山口県に引っ越し、小学5年生の時に地元の少年野球チームに所属する。西京高では野球部1期生として3年春には県大会優勝、1990年のプロ野球ドラフト会議で、横浜大洋ホエールズ(セントラル・リーグ)から5位指名されたが「まだ自信がない」と入団拒否した。野球部最初の卒業生であったことなどから、周囲の勧めを受け、社会人野球チームの神戸製鋼へ入社した。 社会人時代は三輪隆ともバッテリーを組み、都市対抗野球には補強選手を含めて3年連続で登板。その後、1993年のプロ野球ドラフト会議前にはNPBの8球団から勧誘を受けたが、指名予定順位が3位以下と低かった上、健康面の不安から、また三輪のプロ入りが決まっていたため会社の慰留でドラフト会議前日にプロ入りを拒否した。
椎木 匠(しいぎ たくみ、1971年7月25日 - )は、山… 椎木 匠(しいぎ たくみ、1971年7月25日 - )は、山口県徳山市(現:周南市)出身の元プロ野球選手(捕手、右投左打)、野球指導者。 中学時代は投手で山口県大会で優勝している。 南陽工業高校では2年間は内野手で出場し、3年の時に捕手へ転向する。1989年春季県大会決勝に進むが、桜ケ丘高に延長10回サヨナラ負け。 同年オフにドラフト外で中日ドラゴンズに入団。1995年に一軍に上がり、中村武志の控えではあるが、11試合に先発マスクを被る。1997年オフに無償トレードで千葉ロッテマリーンズへ移籍。1998年には吉鶴憲治、清水将海と正捕手を争い、23試合に先発出場。その後も一軍で起用されるが、打撃面の弱さもあってレギュラーには届かなかった。
高村 良嘉(こうむら よしかず、1971年2月10日 - )… 高村 良嘉(こうむら よしかず、1971年2月10日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 小学3年の時に野球を始める。下松工業高に進み、3年の夏は3回戦で敗退。卒業後に新日本製鐵光に入社。都市対抗野球には補強選手も含めて出場した。チームが休部したため、1994年に読売ジャイアンツの入団テストを受け合格し、同年ドラフト5位で入団した。50メートル走を5秒6で走る俊足が持ち味であった。 1年目の1995年に一軍に昇格し、8月には2番セカンドでのスタメン出場が多くなり注目を集め、それまで下位に沈んでいたチーム浮上に貢献した。徹底して叩きつける打撃が持ち味で、この年19安打を放ったがうち12本が内野安打だった。
松本 隆(まつもと たかし、1970年2月19日 - )は、… 松本 隆(まつもと たかし、1970年2月19日 - )は、山口県厚狭郡山陽町(現:山陽小野田市)出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。現役時代より広島東洋カープに所属し、現在はブルペン捕手を務めている。
藤島 誠剛(ふじしま せいごう、1969年10月3日 - )… 藤島 誠剛(ふじしま せいごう、1969年10月3日 - )は、山口県岩国市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。 岩陽高では3年夏の県大会準決勝で延長10回サヨナラ負け。高校通算68本塁打を放つなど活躍。これは同期の鈴木健に次ぐ当時の2位の記録であった。 1987年のプロ野球ドラフト会議において、日本ハムファイターズから3位指名を受け入団した。 1992年は、一軍にプロ入り初出場を開幕スタメンで果たす。 1994年にイースタン・リーグで打率.318(首位打者)、少ない打席ながらも19本塁打(2位)、60打点(3位)を記録するが、一軍では1安打しか打てず、後半は二軍暮らしだった。 1995年は、4月2日にプロ入り初本塁打を記録するなど、8月末まで一軍に帯同した。
河本 育之(かわもと やすゆき、1967年10月21日 - … 河本 育之(かわもと やすゆき、1967年10月21日 - )は、山口県熊毛郡田布施町 出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ。現役時代の愛称は「ヤス」「カワホン」。 幼少時は『巨人の星』に憧れ、田布施町立田布施西小学校野球部に入った。小学・中学時代は松村邦洋と同級生で、松村とバッテリーを組んでいたと言われることもあるが、松村が野球部に入ったのは、河本とは別の進学先となった高校時代であるため、真実ではない。当初は高校から硬式を始めるつもりだったが、学業成績上の理由により進学した田布施工高では軟式野球の投手を務め、2年時の1984年秋の周防地区大会では準々決勝から決勝まで3試合連続でノーヒットノーランを記録。
嶋田 哲也(しまた てつや、1967年5月13日 - )は、… 嶋田 哲也(しまた てつや、1967年5月13日 - )は、山口県山陽小野田市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、現プロ野球審判員。審判員袖番号は「24」。 中学から野球を始める。柳井商業高では2番手ながら3年春の県大会で優勝、中国地区大会の準決勝で登板した。卒業後、社会人野球の王子製紙米子に進むが、全国大会は未経験であった。 1990年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから5位指名を受け入団。 プロ1年目の1991年から一軍初登板を果たし、1993年にはプロ初勝利を挙げるが、これが最初で最後の勝利であった。同年6月27日、この年優勝したヤクルトスワローズを相手に先発すると、新人の伊藤智仁と投げ合って8回1失点と好投するが降板し結局延長15回引き分けとなった。
秋村 謙宏(あきむら のりひろ、1966年2月26日 - )… 秋村 謙宏(あきむら のりひろ、1966年2月26日 - )は、山口県宇部市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球審判員。
廣田 浩章(ひろた ひろあき、1964年2月26日 - )は… 廣田 浩章(ひろた ひろあき、1964年2月26日 - )は、山口県萩市出身の元プロ野球選手(投手)。1993年までの登録名は広田 浩章。 萩商業高から、社会人野球の電電中国に進む。1983年の都市対抗野球に日本鋼管福山の補強選手として出場。翌1984年の都市対抗野球も川崎製鉄水島に補強され、岩手銀行との1回戦ではリリーフで好投、初勝利を飾る。しかし、2回戦では北海道拓殖銀行に打ち込まれ敗戦投手となった。翌1985年は自チームで都市対抗野球出場を果たし、リリーフエースとして自身としては3年連続の出場となった。 1985年のプロ野球ドラフト会議にて読売ジャイアンツ(巨人)から2位指名を受けて入団。
村上 文敏(むらかみ ふみとし、1962年11月27日 - … 村上 文敏(むらかみ ふみとし、1962年11月27日 - )は、山口県岩国市出身の元アマチュア野球選手(内野手)、野球指導者。 元グラビアアイドルの村上友梨は娘。 岩国商では1番・遊撃手として2年秋に県大会優勝で中国大会へ進むと、倉吉北高との初戦は9回日没引分けとなって再試合では延長18回の末に惜敗し選抜出場は逃した。3年夏の甲子園には出場したが初戦で美濃加茂高に敗退。駒澤大学に入学し、広瀬哲朗の後を受けて遊撃手として1学年上の白井一幸と二遊間を組むと4年では主将も務め、春はベストナインで1984年の第13回日米大学野球選手権の日本代表に選ばれた。4年秋の明治神宮大会では同期の河野博文、横田真之らのメンバーで優勝。
松林 和雄(まつばやし かずお、1962年6月28日 - )… 松林 和雄(まつばやし かずお、1962年6月28日 - )は、山口県玖珂郡玖珂町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投げ両打ち。 柳井商業高から、1980年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け入団。プロ入り後にスイッチヒッターに転向する。 プロ8年目の1988年に一軍初出場を果たし、6月には左翼手として2試合に先発出場。この年はウエスタンリーグで盗塁王を獲得。 1990年に福岡ダイエーホークスに移籍。6月にはチャンスメーカーとして9試合に先発、一番打者としても2試合に起用され、6月5日のオリックス戦で松永浩美とともに両軍先頭打者本塁打を記録したが以降は打撃面で結果を残せず同年限りで引退した。
小林 敦美(こばやし あつみ、1961年9月27日 - )は… 小林 敦美(こばやし あつみ、1961年9月27日 - )は、山口県宇部市出身の元プロ野球選手(投手)。 宇部鴻城高から社会人野球のリッカーを経て、1983年のプロ野球ドラフト会議で阪急ブレーブスから2位指名を受け入団。 1984年5月28日の日本ハム戦(阪急西宮球場)で初完封初勝利を記録するも、プロでの勝ち星はこの1勝に終わった。球団名が「オリックス・ブレーブス」に変更された1989年限りで現役を引退。その後は三菱樹脂美祢工場に勤務しながらマスターズリーグ・福岡ドンタクズでもプレーした。
津田 恒実(つだ つねみ、1960年8月1日 - 1993年… 津田 恒実(つだ つねみ、1960年8月1日 - 1993年7月20日)は、山口県都濃郡南陽町(後に新南陽市を経て、現:周南市)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。愛称は「ツネ」「炎のストッパー」。旧名「恒美」(読み同じ)。 山口県都濃郡南陽町(現:周南市)の山間部・和田地区(旧和田村)出身。南陽工高では、1年時からエース投手として活躍していた。 1978年の第50回選抜高等学校野球大会に出場、準々決勝に進むが福井商に敗退。同年の第60回全国高等学校野球選手権大会では2回戦まで駒を進めるが天理高に0-1で惜敗。 卒業後は防府市に本拠を置いていた社会人野球の協和発酵に入社。 1981年の都市対抗に電電中国の補強選手として出場。
高木 豊(たかぎ ゆたか、1958年〈昭和33年〉10月22… 高木 豊(たかぎ ゆたか、1958年〈昭和33年〉10月22日 - )は、山口県防府市出身(山口市生まれ)の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ、解説者・評論家、YouTuber、タレント。 山口県山口市で生まれる。父親の仕事の都合で転居が多く、福岡県→鹿児島県→愛媛県大洲市→福岡県→北海道帯広市へと転居を繰り返すが、中学3年の2学期に母方の郷里である山口県防府市へ単身で移り住む。転勤族のため、せめて高校時代は転校なしで済ませたいという両親の配慮であった。 野球では中学3年時に北北海道地区で頭角を現し、多々良学園高校に進学。1974年には1年生ながらエース、三番打者として秋季中国大会まで進む。
西本 和美(にしもと かずみ、1958年8月19日 - )は… 西本 和美(にしもと かずみ、1958年8月19日 - )は、山口県防府市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投両打。 防府高から筑波大学に進学。首都大学野球リーグでは1980年秋季リーグから一部リーグに復帰。優勝には届かなかったが、1981年春季リーグでは3位と健闘した。1年下のチームメートに外野手の松本稔がいた。 1981年オフに、ドラフト外で読売ジャイアンツに入団。チーム初の国立大学出身選手として注目を集めた。俊足好打の内野手と期待され、1984年には終盤の2試合に遊撃手として先発。 1985年3月、山本勝哉との交換トレードで日本ハムファイターズに移籍。同年は遊撃手、二番打者として9試合に先発出場を果たす。
和田 博盛(わだ ひろもり、1957年8月12日 - )は、… 和田 博盛(わだ ひろもり、1957年8月12日 - )は、山口県萩市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 山口水産高では投手。久留米大学に進学し外野手に転向。九州六大学野球リーグでは在学中2回の優勝を経験。 1979年オフにドラフト外で日本ハムファイターズに入団。1982年に一軍に上がり、10月3日にはロッテを相手に右翼手として初先発出場。翌1983年にも4試合に先発するが、1984年には出場機会がなく、同年限りで現役を引退。引退後は、印刷会社の営業に転身。
田村 勲(たむら いさお、1957年3月22日 - 2000… 田村 勲(たむら いさお、1957年3月22日 - 2000年12月25日)は、山口県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 岩国工業高では、1974年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、宇部工業高に延長12回敗退した。同年オフにドラフト外で読売ジャイアンツに入団する。 1年目の1975年は同期入団の定岡正二、西本聖とともにオープン戦に登板するが、一軍での登板には恵まれなかった。1976年に一軍初登板、翌1977年には定岡、西本に先駆けて初勝利を果たし、1978年には中継ぎとして16試合に登板する。 サイドスローからコーナーをつく揺さぶり投法で、得意球は外角のスライダー。カーブ、シュート、シンカーも投げたが、左打者にはボールのキレが半減し、巨人ではなかなか一軍に踏みとどまれない原因となった。
吉本 博(よしもと ひろし、1956年10月15日 - )は… 吉本 博(よしもと ひろし、1956年10月15日 - )は、山口県徳山市出身の元プロ野球選手(捕手、内野手、外野手)・コーチ。 在日韓国人であり、本名および韓国プロ野球(KBO)での登録名は、宋 才博(ソン・ジェバク、송재박)。 南陽工業高校では大型捕手として注目を集め、1974年のドラフト3位で太平洋クラブライオンズに入団。膝の故障で長く一軍に定着できなかった。 1979年には長打力を買われフロリダキャンプに選抜され、4月21日のロッテ戦(川崎)でシーズン初出場。この試合は終盤までに山村善則・伊原春樹と三塁を守れる選手を使い果たしてしまった為、本来捕手である吉本が途中から三塁の守備に就いたが、吉本が現役時代に三塁を守ったのは後にも先にもこの試合だけである。
松井 満(まつい みつる、1956年5月21日 - )は、山… 松井 満(まつい みつる、1956年5月21日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
岡村 隆則(おかむら たかのり、1954年10月2日 - )… 岡村 隆則(おかむら たかのり、1954年10月2日 - )は、西武ライオンズに所属した元プロ野球選手である。ポジションは外野手。
松永 美隆(まつなが よしたか、1954年5月16日 - )… 松永 美隆(まつなが よしたか、1954年5月16日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
木本 茂美(きもと しげみ、本名:金 茂美(キム・ムミ、ハン… 木本 茂美(きもと しげみ、本名:金 茂美(キム・ムミ、ハングル:김무미)、1954年4月7日 - )は、山口県徳山市櫛ヶ浜出身の元プロ野球選手(捕手)。在日韓国人。 山口桜ケ丘高から1972年ドラフト8位で広島入団。プロ10年目の1982年に1軍初本塁打を記録。 1983年1月、宇田東植と共に韓国のヘテ・タイガースに移籍。韓国での登録名は金 茂宗(キム・ムジョン、김무종)。 韓国ではシリーズ出場3回、球宴出場5回を果たし、1986年には同MVPに選出されるなどの成績を残した。 また、1983年の韓国シリーズで優勝した際の表彰式には、広島時代の同僚で三美スーパースターズに移籍し活躍していた福士敬章が駆けつけ「良かった」「来た甲斐があった」と声をかけ、宇田を交えた3人で泣いたという逸話がある。