川人 伸二(かわひと しんじ、1945年(昭和20年)10月… 川人 伸二(かわひと しんじ、1945年(昭和20年)10月7日 - )は、日本のフルート奏者。指揮者。作曲家。徳島文理大学名誉教授。大阪健康福祉短期大学理事。 マンハイム音楽大学卒業。徳島県阿波市出身。父は作曲家の川人利夫。兄弟は同じくフルート奏者の川人洋二と川人昭夫。 徳島県阿波市出身。作曲家・川人利夫の三男として生まれ、徳島県立阿波高等学校を卒業後、1975年(昭和50年)よりドイツのマンハイム音楽大学ソリストコースに入学し、フルートをヨアヒム・シュタルケ、指揮をクラウディオ・サントロに師事する。またマルセル・モイーズのレッスンを受ける。 1976年(昭和51年)、マンハイム市立歌劇場管弦楽団の常任フルート奏者に就任。
三好 幸雄(みよし ゆきお、1945年9月24日- )は、徳… 三好 幸雄(みよし ゆきお、1945年9月24日- )は、徳島県出身の元プロ野球選手である。ポジションは投手。
井下 洋子(いのした ようこ、1945年(昭和20年)5月2… 井下 洋子(いのした ようこ、1945年(昭和20年)5月24日 - )は、日本のピアニスト。元広島文化学園大学学芸学部教授。元徳島文理大学音楽学部教授。 徳島県徳島市出身。東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻卒業。エッセンフォルクバンク芸術大学マイスタークラス卒業。 徳島県徳島市出身。東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校卒業。東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻を経てドイツのエッセンフォルクバンク芸術大学マイスタークラスを卒業。ピアノを野呂愛子、井口秋子、デートレフ・クラウスに師事。 中四国を中心に演奏活動を行い、sピアノソロリサイタル、2台のピアノデュオ、ヴァイオリンとのデュオ、トリオ、室内楽コンサート、徳島文理大学管弦楽団、徳島市民管弦楽団定期演奏会などでピアノコンツェルトを共演した。
小川 弘文(おがわ ひろふみ、1945年5月15日 - )は… 小川 弘文(おがわ ひろふみ、1945年5月15日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
稲田 米昭(いなだ よねあき、1945年(昭和20年)4月2… 稲田 米昭(いなだ よねあき、1945年(昭和20年)4月22日 - )は、日本の政治家。元小松島市長(2期)。旭日小綬章受章。 徳島県小松島市立江町出身。徳島県立徳島農業高等学校(現徳島県立城西高等学校)卒業。 1986年度、1987年度に小松島市立立江中学校PTA会長を務める。 1987年に小松島市議会議員に初当選。以後連続5期に渡って市議会議員を務め、2001年6月から2002年6月まで小松島市議会議長を務める。 2005年1月23日の小松島市長選に初当選した。2009年に無投票により再選し、2013年に任期満了に伴い退任した。
真鍋 順紀(まなべ よしとし、1945年(昭和20年)4月1… 真鍋 順紀(まなべ よしとし、1945年(昭和20年)4月13日 - )は、日本の作曲家。実業家。元徳島文理大学音楽学部助教授。 国立音楽大学音楽学部作曲科卒業。徳島県三好市出身。 徳島県三好郡池田町ウエノ(現:三好市池田町ウエノ)出身。1968年(昭和10年)に国立音楽大学音楽学部作曲科を卒業し、作曲を中村太郎、大橋幸夫に師事する。 大学を卒業後は徳島文理大学音楽学部の助教授となり、教鞭を執る傍ら、徳島県内で民謡や校歌などの作曲を多数手がけた。 また三好市の醬油製造会社である真鍋本家の社長を務めたほか、一般社団法人マナヅル文化ホール代表、三好市民第九合唱団団長、三次市教育委員会生涯学習講座講師などを歴任した。
浜六郎(はま ろくろう、1945年 - )は日本の医師・内科… 浜六郎(はま ろくろう、1945年 - )は日本の医師・内科医。専門は、治療学・薬剤疫学。2000年4月には医薬ビジランスセンターを特定非営利活動法人化し、研究調査、医療過誤相談部門についてはEBMビジランス研究所として独立させた。コクラン共同計画の特別顧問。 徳島県鳴門市生まれ。1969年に大阪大学医学部を卒業し、大阪府衛生部に勤務。すぐ1970年には、スモンによる薬害事件などを知り、自らの処方を正し、得た知識を発信するということを考えてきたとのことである。 1977年より阪南中央病院の内科に勤務する。1986年には、製薬会社から独立した医薬品の情報誌『TIP正しい治療と薬の情報』を、神経内科の別府宏圀とともに創刊し、副編集長となる。
秋元 国武(あきもと くにたけ、1945年 - )は、徳島県… 秋元 国武(あきもと くにたけ、1945年 - )は、徳島県鳴門市出身のアマチュア野球選手(一塁手、外野手)。 徳島県立撫養高等学校では長池徳士の2年後輩。 1963年夏の甲子園県予選準決勝に進むが海南高に敗退。卒業後は法政大学へ進学、一塁手として活躍する。東京六大学野球リーグでは在学中2回の優勝を経験。 1966年秋季リーグでは打率.375で首位打者となり、ベストナイン(一塁手)に選出される。 1967年秋季リーグでは、2年生エース山中正竹を擁し優勝に貢献。大学同期に鶴岡泰、1年下には田淵幸一らがいる。 大学卒業後は日本石油に入社。1968年から都市対抗に7年連続出場。同年の都市対抗では準決勝で河合楽器と対戦、8回に同点本塁打を放つが二塁を踏まなかったと判定され、放棄試合寸前となる「幻の本塁打」事件で知られる。
竹井 清(たけい きよし、1945年 - )は、日本の国際コ… 竹井 清(たけい きよし、1945年 - )は、日本の国際コミュニケーター、ガーナのアチュワの部族長(酋長)である。生涯学習振興財団評議員。 徳島県牟岐町出身。徳島県立城東高等学校、上智大学卒業。 1981年、竹井は海外青年協力隊の村落開発普及員としてガーナのアチュワ村に入った。僻地とされた地方の生活の向上が目的であった。 現地の人々は日本人の来訪に、学校、病院の建築、道路の整備など大規模な援助を期待していたが、竹井が課せられた条件は、金銭的援助は提供されず、方法は自由、資材は現地調達というものであったから、失望を与えた。 竹井がなしえたのは、隊員に支給された薬品で、救急所を設立すること、日本の古本の絵本で小型図書館を設立すること、現地の人々とともに耕作狩猟に従事することであった。
羽里 功(はり いさお、1944年7月26日 - )は、徳島… 羽里 功(はり いさお、1944年7月26日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手である。現役時代のポジションは、投手。 徳島県立海南高校では2年生時に、1961年秋季四国大会県予選決勝に進むが徳島商に敗退。翌1962年夏も県予選準々決勝で阿波高に敗れ、甲子園には出場できなかった。 1963年に広島カープへ入団。2年目の1964年に初登板。翌1965年には7月14日に大洋ホエールズから初勝利、同月25日に初先発を果たす。同年のジュニアオールスターにも選出された。しかしこれ以降は白星に恵まれず、1968年暮れ、金銭トレードで西鉄ライオンズへ移籍。ここでもそこそこ登板機会はあったが、1勝もできず、翌1969年のシーズンオフに引退した。
藤本 英男(ふじもと ひでお、1944年〈昭和19年〉6月2… 藤本 英男(ふじもと ひでお、1944年〈昭和19年〉6月24日 - )は、日本の元レスリング選手、日本体育大学名誉教授。徳島県美馬市美馬町出身。日本体育大学卒。1968年メキシコシティーオリンピック銀メダリスト。 徳島県立穴吹高等学校レスリング部で吉田廣一に師事する。 日本体育大学2年生の1964年に、東京オリンピックのレスリング会場となった駒沢体育館で得点板の掲示係を務める。 1967年、ルーマニアのブカレストで行われたレスリング世界選手権においてグレコローマン・フェザー級で3位となる。 1968年、メキシコオリンピックにレスリング日本代表として出場し、グレコローマン・フェザー級で銀メダルを獲得する。
白石 静生(しらいし しずお、1944年5月22日 - )は… 白石 静生(しらいし しずお、1944年5月22日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手(投手)、監督。
赤枝 恒雄(あかえだ つねお、1944年3月16日 - )は… 赤枝 恒雄(あかえだ つねお、1944年3月16日 - )は、日本の政治家、医師。自由民主党所属の元衆議院議員(2期)。医学博士。赤枝六本木診療所院長。 徳島県出身。徳島県立城南高等学校を経て、1968年に東京医科大学医学部を卒業。同年、産科・婦人科の診療所「赤枝六本木診療所」を東京・六本木に開設した。自身の診療所で産婦人科診療を行い、2000年には、バングラデシュ母子保健病院(ICMH)ダッカ内に赤枝桶谷乳房管理センターを設立した。2008年に死亡したAV女優出身のタレント、飯島愛のかかりつけ医だった。 2012年12月16日、第46回衆議院議員総選挙で自由民主党の比例東京ブロックから出馬し初当選した。
長池 徳士(ながいけ あつし、本名:長池 徳二〈ながいけ と… 長池 徳士(ながいけ あつし、本名:長池 徳二〈ながいけ とくじ〉、1944年2月21日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手(外野手・指名打者、右投右打)・コーチ、解説者・評論家。1979年に登録名を本名から変更している。 現役時代は阪急ブレーブス一筋で14シーズンにわたりプレーしたことから、不動の4番打者「ミスターブレーブス」として親しまれた。1967年から1975年にかけて阪急の不動の四番打者を務め、通算338本塁打は現在も球団記録である。本塁打王に3回輝き、9年連続で25本塁打以上を記録するなど、球界を代表する「右の大砲」として活躍した。パ・リーグ初のベストナイン(指名打者部門)を受賞している。
犬伏 泰夫(いぬぶし やすお、1944年2月10日 - )は… 犬伏 泰夫(いぬぶし やすお、1944年2月10日 - )は、日本の実業家。元神戸製鋼社長。 徳島県徳島市出身。城南高校を経て、1967年3月に大阪大学経済学部を卒業、同年に神戸製鋼入社。 鉄鋼輸出部、海外事業企画部長、営業総括部長など神戸製鋼の中核である鉄鋼事業の本流を歩み、ニューヨーク事務所など北米で8年間勤務するなど国際経験も豊富なことからUSスチールとの合弁事業、プロテックの設立に力を発揮。阪神・淡路大震災では営業総括部長として倒壊した製鉄所の状況把握、顧客対応に奔走した。2004年より2009年まで神戸製鋼社長。鋼材・アルミ価格上昇、建機需要増大などにより業績回復を果たすが、2006年に加古川製鉄所におけるばい煙データ改ざん事件が発生するなど、コンプライアンス面の問題点も浮き彫りとなった。
浜口 春好(はまぐち はるよし、1944年1月11日 - )… 浜口 春好(はまぐち はるよし、1944年1月11日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 徳島海南高校では1961年夏の甲子園予選南四国大会決勝に進むが、高知商のエース高橋善正に抑えられ9回裏0-1xでサヨナラ負け、甲子園出場を逸する。 卒業後は電電近畿へ入社。1965年の都市対抗に三塁手、四番打者として出場。小弓場保(日本生命から補強)の好投もあって勝ち進み、決勝で住友金属を降し電電公社の野球部として初優勝を飾る。この時のチームメートに井上弘昭がいた。この大会では優秀選手に選ばれ、大会後の全日本代表中南米遠征チームにも選出された。 1965年プロ野球ドラフト会議で東映フライヤーズに3位で指名され入団。
尾崎 浩司(おざき こうじ、1944年 - )は、日本のバー… 尾崎 浩司(おざき こうじ、1944年 - )は、日本のバーテンダー。「日本のバー文化を象徴する人物」と称される。 オーナー・バーテンダーを務める「バー・ラジオ」(東京都渋谷区神宮前)は、クリエイター、デザイナー、作家といったアーティストたちが夜ごと集う文化サロンとして名を馳せている。 1944年、徳島県徳島市の花街にある料亭の息子として生まれる。茶道、華道を習い、図書館に通い詰めてはロマン・ロラン、ヘルマン・ヘッセ、アンドレ・ジイド、明治から昭和にかけての日本の小説家の作品を読みふける中学、高校時代を過ごす。ただし、茶道の先生は芸者だった老女であり、煙管を吸いながら教える粋人でもあった。 地元で就職するも、数年で辞めて上京。
広野 功(ひろの いさお、1943年10月16日 - )は、… 広野 功(ひろの いさお、1943年10月16日 - )は、徳島県徳島市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。実兄は元プロ野球選手の広野翼。 徳島商業では2年次の1960年に左翼手として甲子園に春夏連続出場し、春の選抜では2回戦で滝川高に敗退。夏の選手権では2回戦で米子東高のエース・宮本洋二郎を打ち崩すなど順調に勝ち進むが、準決勝で静岡高に敗れた。3年次の1961年夏はエースの妹尾幸一(南海)を擁し南四国大会決勝に進むが、高知商の高橋善正に抑えられ、9回裏0-1のサヨナラ負けで甲子園には届かなかった。他のチームメイトに二塁手の多田勉(広島)がいた。 高校卒業後は1962年に慶應義塾大学へ入学し、同期外野手の鈴木義信と共に東京六大学リーグでは在学中3度の優勝を経験。
多田 勉(ただ つとむ、1943年10月9日 - )は、徳島… 多田 勉(ただ つとむ、1943年10月9日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
岡本 芳郎(おかもと よしろう、1943年10月5日 - )… 岡本 芳郎(おかもと よしろう、1943年10月5日 - )は、日本の農水官僚、政治家。学位は博士(農学)(東京大学・1997年)。自由民主党所属の元衆議院議員(2期)。 徳島県徳島市出身。徳島県立城南高等学校を経て、東京大学農学部農業工学科にて農学を修め農業工学科、1967年に卒業した。 大学卒業後、農林省に入省。徳島県庁耕地課長などを歴任し、1996年より農林水産省構造改善局次長を務めた。 2000年、第42回衆議院議員総選挙に徳島1区から出馬するも、仙谷由人に敗れた。2003年、第43回衆議院議員総選挙に比例四国ブロックより立候補し初当選。自由民主党内では平成研究会に所属した。2005年9月、第44回衆議院議員総選挙に出馬し、徳島1区で再び仙谷に敗れるも、比例四国ブロックで復活当選。
赤松 則男(あかまつ のりお、1943年9月9日 - )は、… 赤松 則男(あかまつ のりお、1943年9月9日 - )は、日本の工学者。徳島大学名誉教授。徳島大学工学部卒業。京都大学大学院工学研究科博士課程電気工学専攻修了。所属学会は電子情報通信学会。 徳島県立城南高等学校を経て、1966年徳島大学工学部電気工学科卒業。大学では陸上競技部に所属し、1964年東京オリンピックで東大工町から徳島駅前まで聖火ランナーを務めた。大学卒業後、京都大学大学院工学研究科博士課程で電気工学を学び1971年に修了し、同年に徳島大学工学部助手に就任。その後、1975年に徳島大学工学部助教授就任、1987年に徳島大学工学部教授に就任。2009年に徳島大学工学部教授を退官し、徳島大学名誉教授の称号を受けた。
大田 正(おおた ただし、1943年〈昭和18年〉8月10日… 大田 正(おおた ただし、1943年〈昭和18年〉8月10日 - 2025年10月30日)は、日本の政治家。徳島県知事(1期)、徳島県議会議員(4期)、北島町議会議員(4期)を歴任した。 徳島県東祖谷山村(現・三好市)出身。1963年(昭和38年)3月、徳島県立池田高等学校祖谷分校卒業。同年4月、日本専売公社(現・日本たばこ産業)徳島工場に入社した。1968年(昭和43年)11月から北島町議会議員を4期務めた。1987年(昭和62年)4月から徳島県議会議員を4期務めた。その他、徳島県労評青年部長、日本社会党徳島県本部書記次長、社民党徳島県連合幹事長も務めた。 2001年(平成13年)7月31日に県議を辞職した。
佐川 眞人(さがわ まさと、1943年8月3日 - )は、日… 佐川 眞人(さがわ まさと、1943年8月3日 - )は、日本の研究者・実業家。ネオジム磁石の発明者として知られている。NDFEB株式会社代表取締役社長。インターメタリックス株式会社初代代表取締役社長。大同特殊鋼顧問。東北大学特別招聘プロフェッサー。大同大学特別客員教授。名城大学特任教授。眞は真の旧字であるため「佐川真人」と書かれることもある。 徳島県徳島市出身。 尼崎市立尼崎高等学校を経て、1966年神戸大学工学部電気工学科卒業、1968年神戸大学大学院修了、電気工学の分野で修士の学位、1972年東北大学大学院にて金属材料工学を研究し工学博士の学位を取得。博士論文が『金属表面皮膜のエピタクシャル歪に関する研究 』であるように、もともとは磁石を研究していたわけではなかったが、1972年富士通に入社し磁性材料の研究を命じられる。
亀井 俊明(かめい としあき、1943年(昭和18年)7月2… 亀井 俊明(かめい としあき、1943年(昭和18年)7月25日 - )は、日本の政治家。実業家。元鳴門市長(2期)、元徳島県議会議員。 徳島県鳴門市出身。1967年、徳島大学工学部卒業。同年に亀井組代表取締役に就任。1979年、鳴門土地開発代表取締役に就任。 1987年、徳島県議会議員に出馬し当選。1999年、鳴門市長選に出馬し当選、2007年まで務めた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
俵 徹太郎(たわら てつたろう、1943年〈昭和18年〉7月… 俵 徹太郎(たわら てつたろう、1943年〈昭和18年〉7月13日 - )は、日本の政治家。元三好市長(2期)、元池田町長(2期)、元徳島県議会議員(4期)。 徳島県三好郡東祖谷山村(現・三好市)生まれ。1963年(昭和38年)、徳島県立池田高等学校卒業。1969年(昭和44年)3月、早稲田大学文学部中退。同年4月に秋田大助の秘書となった。 1983年(昭和58年)に徳島県議会議員選挙に三好市選挙区から無所属で立候補したが、最下位で落選した。1985年(昭和60年)に徳島県議会議員に初当選した。1997年(平成9年)から2年間は徳島県議会議長を務めた。 4期目の1999年に辞職。同年4月の池田町長選で初当選。
谷 博之(たに ひろゆき、1943年7月6日 ‐ )は、日本… 谷 博之(たに ひろゆき、1943年7月6日 ‐ )は、日本の元政治家。 参議院議員(2期)、法務副大臣(野田第2次改造内閣)、栃木県議会議員(4期)、宇都宮市議会議員(2期)を務めた。 徳島県徳島市生まれ。宇都宮大学農学部卒業。 大学卒業後、民間企業に就職したものの10ヶ月ほどで退職し、日本社会党専属職員を経て、稲葉誠一衆議院議員の秘書として本格的に政治の道に入る。1979年に宇都宮市議会議員に初当選。宇都宮市議を2期8年務めた後、栃木県議会議員に当選。県議は4期14年務めた。 2001年、第19回参議院議員通常選挙に民主党公認で栃木県選挙区から出馬し、初当選。2007年の第21回参議院議員通常選挙では、国民新党の推薦も得て栃木県選挙区で再選。
圓藤 寿穂(えんどう としお、1943年(昭和18年)5月2… 圓藤 寿穂(えんどう としお、1943年(昭和18年)5月28日 - )は、日本の運輸官僚。政治家。元徳島県知事。 東京大学法学部卒業。徳島県板野町出身。父は香川大学名誉教授の圓藤眞一。 徳島県板野郡板野町出身。香川大学名誉教授である圓藤眞一の長男として生まれる。 東京大学法学部を卒業し運輸官僚になる。その後、1993年9月26日に自民党、社会党、公明党など7党推薦の無所属で徳島県知事に当選した。10月5日に、知事に就任した。 しかし、2002年3月4日に業際研事件に絡み、収賄容疑で逮捕される。同年3月15日に知事を辞職した。同年11月15日、懲役3年執行猶予4年追徴金800万円の有罪判決が確定した。
遠藤 和良(えんどう かずよし、1943年(昭和18年)5月… 遠藤 和良(えんどう かずよし、1943年(昭和18年)5月9日 - )は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(6期)。
宿谷 苑生(しゅくたに そのお、旧姓:鈴江、1943年(昭和… 宿谷 苑生(しゅくたに そのお、旧姓:鈴江、1943年(昭和18年)3月18日 - )は、日本のヴァイオリニスト。元徳島文理大学音楽学部助教授。 京都成安女子高等学校(現:京都産業大学附属高等学校)卒業。徳島県徳島市出身。 徳島県徳島市出身。京都成安女子高等学校(現:京都産業大学附属高等学校)を卒業。ヴァイオリンを辻吉之助と辻久子に師事し、NJBリサイタル賞や大阪府文化祭賞を受賞。また芦屋室内合奏団・津田沼ユニバーサル交響楽団と共演し、徳島文理大学音楽学部では助教授を務めた。 これまでに日本演奏連盟とアーティスト協会に所属し、日本音楽コンクール審査員・桜宮弦学塾塾長を歴任。
中村 博彦(なかむら ひろひこ、1943年1月29日 - 2… 中村 博彦(なかむら ひろひこ、1943年1月29日 - 2013年7月31日)は、日本の政治家。位階は従四位。 参議院議員(2期)、総務大臣政務官(福田康夫内閣)、自民党副幹事長、社会福祉法人健祥会理事長を歴任。
近藤 利一(こんどう りいち、1942年9月1日 - 201… 近藤 利一(こんどう りいち、1942年9月1日 - 2019年11月17日)は、日本の実業家、馬主。 日本中央競馬会(JRA)の馬主として「アドマイヤ」の冠名で知られ、死去までにJRAの重賞60勝(うちGI級競走13勝)を挙げた。前妻は近藤英子で、同じく馬主として著名。 代表を務めていた合建株式会社は、大阪府大阪市北区にあるはつり・建築解体工事会社。 1942年、徳島県出身。大阪府で出会った近藤英子と結婚し、夫婦で合建株式会社を立ち上げた。のちに英子とは離婚し、旬子を後妻に迎えている。 2019年夏にがんを罹患していることを公表し闘病していたが、同年11月17日早朝、大阪市内の病院で死去。77歳没。
野崎 國勝(のざき くにかつ、1942年(昭和17年)5月3… 野崎 國勝(のざき くにかつ、1942年(昭和17年)5月30日 - )は、日本の政治家。元阿波市長(2期)。徳島県阿波市出身。 旧阿波郡阿波町善地(現在の阿波市)で生まれる。日本獣医畜産大学卒業。 1966年(昭和41年)、徳島県庁に入庁。その後、脇町農林事務所長、農林水産部次長、農林水産部参事などを歴任し2002年(平成14年)3月に退職する。 2005年(平成17年)7月から2007年(平成19年)4月まで阿波市助役、2007年4月から2009年(平成21年)2月まで阿波市副市長を務める。同年、阿波市長選に出馬し初当選を果たした。 2013年(平成25年)4月7日に告示された阿波市長選挙で、無投票により再選。
西川 政善(にしかわ まさよし、1942年〈昭和17年〉5月… 西川 政善(にしかわ まさよし、1942年〈昭和17年〉5月22日 - )は、日本の政治家。小松島市長(4期)、徳島県議会議員、小松島市議会議員(1期)。徳島文理大学大学院総合政策研究科教授。 小松島市生まれ。1966年(昭和41年)に中央大学法学部法律学科を卒業し、1968年(昭和43年)に同政治学科を卒業した。大学卒業後は大東京火災海上勤務を経て、国会議員秘書となった。1971年(昭和46年)、28歳のときに小松島市議会議員に無所属で初当選。1975年(昭和50年)、32歳で徳島県議会議員選挙に小松島市選挙区から無所属で立候補して当選。1979年(昭和54年)、1983年(昭和58年)、1987年(昭和62年)にも当選している。
大久保 計雄(おおくぼ かずお、1942年1月7日 - )は… 大久保 計雄(おおくぼ かずお、1942年1月7日 - )は、徳島県麻植郡鴨島町(現・吉野川市)出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 阿波高校では1年次の1957年から正捕手としてチームを引っ張り、4番打者としてシャープな当たりと大物打ちで活躍。甲子園出場こそ無かったが、遠投100m以上の強肩ぶりに7球団が注目。加藤久幸スカウトや林義一監督代行の熱心な勧誘により、1960年に近鉄バファローへ入団。2年目の1961年に一軍初出場も腰椎分離症を発症し、以降は二軍の試合に出場することが多くなり、1967年限りで現役を引退。 引退後は近鉄で用具係(1968年 - 1970年)→二軍コーチ補佐(1971年)→一軍トレーニングコーチ(1972年 - 1983年)→一軍バッテリー兼トレーニングコーチ(1984年 - 1985年)→二軍トレーニングコーチ(1986年 - 1987年)→一軍バッテリーコーチ(1988年 - 1990年)を歴任し、2連覇を含む3度のリーグ優勝(1979年 - 1980年, 1989年)に貢献。
板東 里視(ばんどう さとみ、1942年1月1日 - 199… 板東 里視(ばんどう さとみ、1942年1月1日 - 1999年10月7日)は、徳島県板野郡板東町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督。
庄野 光昭(しょうの こうしょう 1942年 - )は、高野… 庄野 光昭(しょうの こうしょう 1942年 - )は、高野山真言宗の僧、学校法人理事長。 徳島県小松島市出身。 高野山大学文学部卒業。カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院専科修了。 1986年に立江寺の貫主に就任。 1992年に社会福祉法人勝寿会を創設して理事長に就任。 2004年に四国八十八箇所霊場会会長に就任。 2006年に高野山真言宗宗務総長に就任、2010年に再任。 学校法人高野山学園理事長を歴任。 宗務総長の任期中の2013年2月26日に始まった春の宗会で、資産運用の提出資料に粉飾があったことと、弁護士事務所を利用して自己の正当化を図ったことから宗務総長であった庄野光昭の不信任案が可決される。
大坂 雅彦(おおさか まさひこ、1941年11月28日 - … 大坂 雅彦(おおさか まさひこ、1941年11月28日 - )は、徳島県徳島市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手、外野手。
福永 哲夫(ふくなが てつお、1941年11月8日 - )は… 福永 哲夫(ふくなが てつお、1941年11月8日 - )は、徳島県出身の体育研究者。教育学博士(東京大学)。専門分野は運動生理学、バイオメカニクス、トレーニング科学。 東京大学名誉教授、早稲田大学名誉教授、鹿屋体育大学名誉教授、順天堂大学客員教授、日本ゴルフ学会会長、日本スポーツパフォーマンス学会会長、一般社団法人日本体育・スポーツ・健康学会名誉会員、一般社団法人日本体力医学会名誉会員。 1941年11月8日徳島県徳島市生まれ。学生時代はラグビー部に所属。1964年の第19回国民体育大会(新潟大会)ラグビー競技には徳島県代表として出場。 東京オリンピックが開催された同年に徳島大学学芸部保健体育科を卒業後、徳島県立小松島西高等学校の教諭に就任。
吉本 徹也(よしもと てつや 1941年9月5日 - )は、… 吉本 徹也(よしもと てつや 1941年9月5日 - )は、日本の裁判官。徳島県出身。京都大学卒業。東京高等裁判所部総括判事、横浜地方裁判所所長などを歴任。高松高等裁判所長官を最後に退官。
浅川 義範(あさかわ よしのり、1941年8月 - )は、日… 浅川 義範(あさかわ よしのり、1941年8月 - )は、日本の化学者。徳島文理大学薬学部教授。徳島大学学芸学部卒業。広島大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)。徳島県阿南市出身。 徳島大学学芸学部卒業後、広島大学大学院理学研究科へ進学し理学博士を取得。同大学理学部助手、フランスのルイ・パスツール大学博士研究員及びフランス化学研究所員、徳島文理大学薬学部教授、徳島大学、富山大学、岡山大学、東京薬科大学等で非常勤講師を歴任。 また、学会等においては日本蘚苔類学会会長、国際精油化学シンポジウム常任理事、日本生薬学会・日中韓生薬学合同シンポジウム組織委員長などを歴任したほか、2007年にはアジア植物化学協会の初代会長に就任した。
成川 豊彦(なりかわ とよひこ、男性、1941年1月28日 … 成川 豊彦(なりかわ とよひこ、男性、1941年1月28日 - )は、日本の実業家。司法試験予備校講師(憲法)。「早稲田セミナー」創設者・元代表取締役。 株式会社スクール東京最高名誉顧問。 西南政法大学(重慶)客員教授。公認会計士二次試験合格。 1941年1月28日、徳島県に生まれる。1959年、徳島県立城南高等学校卒業、1964年、早稲田大学政治経済学部卒業。 1974年、早稲田セミナー開業、1980年、早稲田経営出版設立、1981年、早稲田行動科学研究所設立。 2007年、早稲田セミナーのセミナー部門を売却、2009年、同年11月設立の株式会社スクール東京の最高名誉顧問に就任。 2019年1月28日 78歳の誕生日より、youtubeでのチャンネル「スクール東京チャンネル」を開始した。
林 伸豪(はやし のぶひで、1941年 - )は、日本の弁護… 林 伸豪(はやし のぶひで、1941年 - )は、日本の弁護士。日本弁護士連合会副会長や四国弁護士会連合会理事長などを歴任した。信州大学文理学部社会科学科中退(1966年)。同年司法試験合格。司法修習20期(同期に明治大学総長納谷廣美や検事総長松尾邦弘)を経て1968年弁護士登録。徳島ラジオ商殺人事件やトンネルじん肺訴訟などを担当した。九条の会徳島呼びかけ人、日本国民救援会徳島県本部会長、日本共産党徳島後援会会長。徳島県徳島市出身。
大野 守(おおの まもる、1940年12月22日 - )は、… 大野 守(おおの まもる、1940年12月22日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手。
広野 翼(ひろの まもる、1940年11月21日 - )は、… 広野 翼(ひろの まもる、1940年11月21日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手(外野手)。実弟は元プロ野球選手(中日,西鉄,巨人でプレー)の広野功。
梅津 龍太郎(うめづ りゅうたろう、1940年11月19日 … 梅津 龍太郎(うめづ りゅうたろう、1940年11月19日 - )は、徳島県徳島市出身のラジオパーソナリティ。オフィス・ユー・アイ代表取締役。愛称は龍ちゃん。 高校卒業後に、東京都の栄養専門学校に進学した。 21歳で徳島県に戻った。 関西テレビ・テレビ愛媛の記者、カメラマンを経てフリーとなる。その後、四国放送「おはようとくしま」のキャスターを昭和58年(1983年)4月から平成3年(1991年)3月の8年間にわたり務める。キャスターの退任後は朝日放送や西日本放送のラジオ番組に出演。また、特定非営利活動法人徳島フィルムコミッションの代表を務め、山田洋次監督「虹をつかむ男」、藤竜也主演「村の写真集」、渡辺謙主演「沈まぬ太陽」、マシュー・バーニー監督で世界の歌姫ビョーク主演「拘束のドローイング」の映画4本と「土曜ワイド劇場」、「女と愛とミステリー」など15本のテレビドラマを徳島に誘致し、撮影協力する他、山田洋次映画祭、脇町映画祭を企画、運営。
森 詳介(もり しょうすけ、1940年〈昭和15年〉8月6日… 森 詳介(もり しょうすけ、1940年〈昭和15年〉8月6日- )は、日本の実業家。関西電力取締役会長を退任後に相談役となったが、森山栄治元福井県高浜町助役との間の金品受領・便宜供与問題で、八木誠、岩根茂樹と謀り隠蔽を主導したとして、特に大きな責任があると第三者委員会から指弾され辞任し、関西電力から1億7000万円の損害賠償請求訴訟を受けた。 1959年(昭和34年)大阪府立大手前高等学校を卒業。大手前高校では柔道の部活動を3年生の夏休みまで続けており、部活に指導に来た先輩が京都大学の柔道部員であり、京大に入学したいというよりも京大柔道部へ入りたくて京大へ進学した。 1963年3月に京都大学工学部電気工学科を卒業し、同年4月に関西電力株式会社に入社。
別部 捷夫(わけべ よしお、1940年7月28日 - )は、… 別部 捷夫(わけべ よしお、1940年7月28日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手、捕手。
板東 英二(ばんどう えいじ、1940年4月5日 - )は、… 板東 英二(ばんどう えいじ、1940年4月5日 - )は、日本の元プロ野球選手・野球解説者・タレント・司会者・俳優・実業家・YouTuber。愛称は板ちゃん(ばんちゃん)で、「坂東英二」は誤記である。
小堀 啓爾(こぼり けいじ、1940年 - 2003年9月1… 小堀 啓爾(こぼり けいじ、1940年 - 2003年9月10日)は、囲碁の観戦記者、ライター。 徳島県徳島市出身。1969年から日本棋院職員として勤務し、のち退社してフリー。1981年から約22年にわたり、毎日新聞の囲碁本因坊戦の観戦記を担当した。 2003年9月10日、間質性肺炎のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
大西 満(おおにし まん、1939年12月25日[要出典] … 大西 満(おおにし まん、1939年12月25日[要出典] - 2023年6月29日)は、日本の釣り師。 1980年代には「鮎釣り名人」として著名となった。泳がせ釣りの祖と言われている永井茂に師事し、報知アユ釣り選手権にて、第5〜9期名人となる。大阪府寝屋川市在住。 徳島県三好市池田町出身。 社会人となり大阪市職員として勤務する傍ら、釣りに傾倒し1974年(昭和49年)開催の報知アユ釣り選手権では第5期名人を獲得する。以降、1978年(昭和53年)開催の同大会で第9期名人を獲得まで毎年名人を獲得し続けた。 1979年(昭和54年)には初の著書『新しい友釣り』を出版。翌年おおよそ1000人の前で大阪市中央公会堂にてアユ釣り講演会を実施し盛況を得る。