真鍋 博(まなべ ひろし、1932年7月3日 - 2000年… 真鍋 博(まなべ ひろし、1932年7月3日 - 2000年10月31日)は、日本のイラストレーター、アニメーター、エッセイスト。日本SF作家クラブ会員。 愛媛県宇摩郡別子山村(現・新居浜市)にて村の助役の家庭に生まれ、3歳のとき父の住友金属鉱山入社に伴い新居郡中萩村(現・新居浜市)に転居。 愛媛県立新居浜西高等学校を経て、1954年、多摩美術大学油画科卒業後、東京都の教員(地方公務員)として採用され港区立赤坂中学校に美術教師として勤務。多摩美術大学大学院美術研究科修了。 当初は油彩画が活動の中心であった。抽象的で洗練された画風を得意とし、星新一、筒井康隆などのSF小説の挿絵を多く描いた。特に、星新一については名コンビと称され、『悪魔のいる天国』のように、版が変わるごとに新たに多数のイラストを書きおろすようなこともやっている。
池西 増夫(いけにし ますお、1932年5月12日 - )は… 池西 増夫(いけにし ますお、1932年5月12日 - )は、愛媛県西条市出身の元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは捕手。 西条高校では、3番捕手として活躍し、藤田元司とバッテリーを組むが、甲子園への出場を果たすことはできなかった。卒業後には関西大学に入学する。 大学卒業後は社会人野球の電電近畿チームに入団する。1959年から監督を務め、1965年の都市対抗野球では決勝で住友金属を破り、チームを優勝に導いた。同年の中南米遠征の全日本メンバーの監督も務めた。 佐伯達夫の勧めにより、1967年から1988年まで日本放送協会で高校野球解説者を務めた。 現在は実家の和菓子屋の店主を務めている。
浜田泰介(はまだたいすけ、1932年〈昭和7年〉3月28日 … 浜田泰介(はまだたいすけ、1932年〈昭和7年〉3月28日 - )は愛媛県宇和島市出身の画家。 1985年(昭和60年) ART GRAPH 9月号に巻頭特集
佐藤 陽三(さとう ようぞう、1932年(昭和7年)3月12… 佐藤 陽三(さとう ようぞう、1932年(昭和7年)3月12日 - )は、日本の教育学者。合唱指揮者。愛媛大学名誉教授。 全日本合唱連盟名誉会長。国際合唱連合顧問。四国二期会顧問。愛媛県文化協会名誉会長。東京芸術大学音楽学部卒業。愛媛県松山市出身。 愛媛県松山市出身。東京芸術大学音楽学部卒業。大学卒業後は愛媛大学教育学部で講師となり、合唱の指導者として全国的に評さた。愛媛大学では助教授・教授を経て、退官後に名誉教授に就任。 またこれまでに四国二期会顧問・全日本合唱連盟名誉会長・国際合唱連合顧問・愛媛県文化協会名誉会長などを歴任。 2017年(平成29年)4月に瑞宝中綬章を受章した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
池田 治(いけだ おさむ、1931年12月15日 - 200… 池田 治(いけだ おさむ、1931年12月15日 - 2006年5月25日)は、日本の弁護士、元政治家。参議院議員(1期)。 愛媛県東宇和郡野村町(現・西予市)出身。1956年中央大学法学部卒業。法政大学の講師などを経て、1969年弁護士登録。1984年法曹政治連盟会長に就任する。1989年の第15回参議院議員通常選挙に愛媛県選挙区から連合推薦で立候補し、自由民主党公認で現職の檜垣徳太郎元郵政大臣を破って初当選。連合参議院(後の民主改革連合)の結成に参加。民主改革連合の幹事長などを務めた。1995年の第17回参議院議員通常選挙で再選を目指したが自由民主党公認の塩崎恭久に敗れて落選、政界から引退した。
武内 和男(たけうち かずお、1931年11月29日 - )… 武内 和男(たけうち かずお、1931年11月29日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
青野 照雄(あおの てるお、1931年(昭和6年)10月24… 青野 照雄(あおの てるお、1931年(昭和6年)10月24日 - 2014年(平成26年)6月26日)は、平成時代の政治家。愛媛県東予市長。 東予市出身。1949年(昭和24年)愛媛県立西条農業高等学校卒業。愛媛県庁に入庁し、1979年(昭和54年)愛媛県人事課長、1982年(昭和57年)調整監、1983年(昭和58年)総務部次長、1984年(昭和59年)議会事務局長を経て、1986年(昭和61年)公営企業管理局長、1987年(昭和62年)出納長に就任した。 1989年(平成元年)3月に退職し、1991年(平成3年)東予市長に当選。1期務めた。
眞鍋 淑郞(まなべ しゅくろう、新字体:真鍋 淑郎、英語: … 眞鍋 淑郞(まなべ しゅくろう、新字体:真鍋 淑郎、英語: Syukuro "Suki" Manabe、1931年(昭和6年)9月21日 - )は、日系アメリカ人一世の地球科学者(気象学・気候学)。プリンストン大学上席研究員。国立研究開発法人海洋研究開発機構フェロー。米国科学アカデミー会員。2021年ノーベル物理学賞受賞。 理学博士(東京大学、1958年)。アメリカ国立気象局大循環研究部門の研究員、アメリカ海洋大気庁地球流体力学研究所の上級研究員、プリンストン大学大気海洋科学プログラムの上級研究員などを歴任した。 国際的には専ら Suki Manabe(スーキー・マナベ)として知られる。 気候モデルの研究者であり、地球科学分野でコンピュータでシミュレーションを行うための数値モデルの開発の先駆者の一人として知られる。
藤田 元司(ふじた もとし、1931年8月7日 - 2006… 藤田 元司(ふじた もとし、1931年8月7日 - 2006年2月9日)は、愛媛県新居浜市出身(越智郡宮窪村四阪島生まれ)の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
前ノ山 政三(まえのやま まさぞう、1931年7月2日 - … 前ノ山 政三(まえのやま まさぞう、1931年7月2日 - 1973年4月8日)は、愛媛県八幡浜市堀川町出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は菊池 秀介(きくち ひですけ)。最高位は東前頭14枚目(1958年5月場所)。現役時代の体格は176cm、102kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 1931年、中国北東部の奉天市(現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽市、当時は満洲国の統治下にあった)附近で生まれ、第二次世界大戦の終結とともに愛媛県八幡浜市に引き揚げて来た。 15歳の時に高砂部屋へ入門し、1947年6月場所(※現在の5月場所に相当)で初土俵。翌11月場所、「前ノ川」の四股名で序ノ口に付いた。
大亀 孝裕(おおがめ たかひろ、1931年6月13日 - 2… 大亀 孝裕(おおがめ たかひろ、1931年6月13日 - 2021年3月14日)は、日本の実業家。 ホームセンターを展開するダイキ(現:DCM)の創業者である。 1931年に愛媛県丹原町(現:西条市丹原町)において生誕。 愛媛県立西条南高等学校(愛媛県立西条農業高等学校)卒業後、1952年に愛媛県庁に入庁。1958年に愛媛県庁を退職し、大亀商事を創業。1962年には株式会社大亀商事を設立し、水まわり商品群の卸販売業タイルと衛生陶器の施工・改修工事を手掛けた。 大亀は住環境の中でもトイレの環境改善に強いこだわりを持っており、コンクリート便槽、無臭便槽などの販売を開始。その後浄化槽の開発・製造に乗り出し、1963年には業界初のFRP製浄化槽の開発に成功し、翌1964年に旧ダイキの前身である「ダイキ株式会社(元ダイキ)」を設立。
坂野 義光(ばんの よしみつ、1931年3月30日 - )は… 坂野 義光(ばんの よしみつ、1931年3月30日 - )は、日本の映画監督、先端映像研究所代表取締役社長。愛媛県越智郡桜井町(現・今治市)出身。
青野 暉(あおの・あきら、1931年2月21日 - 2020… 青野 暉(あおの・あきら、1931年2月21日 - 2020年7月2日)は、日本の映画監督、演出家、脚本家。 愛媛県宇和島市出身。早稲田大学文学部仏文科卒業。就職に際しては大学の同級生だった今崎暁巳(ドキュメンタリー作家)と共にラジオ東京(後の東京放送)を受験するも、青野と今崎のふたりとも不合格であったという逸話が残る。 1954年に新東宝に入社。当初は企画部配属だったが、演出部へ異動となり石井輝男の下で宇津井健主演の『スーパージャイアンツ』シリーズの助監督を務める。 1961年に新東宝が倒産した後、国際放映へ移籍し、1964年放映のテレビドラマ『いまに見ておれ』(東京放送)で監督デビュー。 これ以後、青島幸男主演版の『意地悪ばあさん』第1作(1968年、よみうりテレビ)と第3作(1981年、フジテレビジョン)で演出と脚本を担当する。
矢野 祐弘(やの すけひろ、1931年1月6日 - 1993… 矢野 祐弘(やの すけひろ、1931年1月6日 - 1993年6月11日)は、愛媛県出身のアマチュア野球の野球指導者。 西条高校(旧制西条中学校)を経て、立教大学に進学し野球部に属したが、2年で中退。1950年3月に母校の西条高校の監督に就任した。1956年の選抜高校野球で初めて甲子園への出場を果たし、1959年の全国高校野球では、エースの金子哲夫を擁し、初めて全国制覇を果たした。1962年の岡山国体でも優勝を果たした。 実績を買われて、1965年から1977年までの間、亜細亜大学の監督を務めた。山本和行投手を擁し1971年春に東都大学野球リーグで亜大3回目の優勝を果たすと、全日本大学野球選手権大会で法政大学を破り亜大を全国大会初優勝に導いた。
重松 一義(しげまつ かずよし、1931年 - )は、日本の… 重松 一義(しげまつ かずよし、1931年 - )は、日本の法制史研究者、犯罪学者。 愛媛県松山市生まれ。中央大学法学部卒業。 矯正研修所教官(行刑史・少年保護史)、中央学院大学法学部教授(刑事政策・日本法制史・法学)、同比較文化研究所長、2002年定年退任。 犯罪と非行に関する全国協議会常任理事・福岡県警察史編纂顧問・網走監獄保存財団顧問・東京家庭裁判所調停委員。
石川 喬司(いしかわ たかし、1930年9月17日 - 20… 石川 喬司(いしかわ たかし、1930年9月17日 - 2023年7月9日)は日本の作家、評論家。愛媛県出身。 愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)出身。曾祖父は松山藩主の剣道御指南番。幼稚園から中学時代までを新居浜市で過ごす。戦時中は、住友の化学工場に学徒動員していた。旧制愛媛県立松山中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)を経て旧制第六高等学校に進み、旧制高校時代は織田作之助や太宰治に傾倒し、詩やエッセイを発表。東京大学文学部仏文学科に進み、渡辺一夫や鈴木信太郎に師事し、飯島耕一や東野芳明、村松剛、栗田勇らと同人誌『カイエ』を作る。 1953年大学を卒業し、同年、毎日新聞社に入社。新聞記者・『サンデー毎日』編集者の傍ら文筆生活に入る。
村上 哲見(むらかみ てつみ、1930年7月18日 - 20… 村上 哲見(むらかみ てつみ、1930年7月18日 - 2022年3月12日)は、古典中国文学者。文学博士(京都大学・論文博士・1974年)。東北大学名誉教授。専攻は唐代から宋代にかけての詩人たちの研究。 中国・大連生まれ。愛媛県松山市出身。1953年京都大学文学部中国文学科卒業。 京都学芸大学講師、助教授、東北大学教養部助教授、教授、1975年奈良女子大学文学部教授、85年東北大学文学部教授、1994年定年退官、名誉教授、奥羽大学教授、1999年近畿福祉大学教授、2007年退職。 1972年日本中国学会賞、1974年「北宋詞研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。2009年「宋詞に関する研究」により日本学士院賞恩賜賞受賞。
石黒 忠(いしぐろ ただし、1930年7月10日 - )は、… 石黒 忠(いしぐろ ただし、1930年7月10日 - )は、愛媛県伊予三島市出身の元プロ野球選手(投手)。 三島高校から1951年に広島カープへ入団。1952年に引退。
高田 がん(たかだ がん、1930年〈昭和5年〉5月23日 … 高田 がん(たかだ がん、1930年〈昭和5年〉5月23日 - 2021年〈令和3年〉12月25日)は、日本の政治運動家、特殊株主。「反共全国遊説隊」隊長、元自称「参議院比例代表研究家」。広義の街宣右翼に該当するが任侠系人士ではない。愛媛県八幡浜市出身。 17歳で中学校代用教員に採用される。敗戦直後の動乱期に新聞配達から日雇労働まで多彩な職業を変転し、その中でアプレゲール的信念としての反共主義に基づく「赤狩り」志向が醸成された模様[要出典]。 1960年前後の安保闘争期に翼賛院外団活動を本格化させ、1963年4月の統一地方選挙で注目された東京都知事選挙に、「(誇り高き)選挙屋」と嘯き無差別大量立候補で社会的批判を浴びていた、肥後亨グループの公認(この時は団体名が『肥後亨』)で初立候補。
澤田 駿吾(さわだ・しゅんご、本名:澤田駿五、1930年2月… 澤田 駿吾(さわだ・しゅんご、本名:澤田駿五、1930年2月10日 - 2006年8月28日)は、日本のジャズ・ギタリスト。 1930年2月10日、愛媛県西宇和郡八幡浜町出身。少年時代に『姉妹と水兵』(1944年アメリカ映画)を見て、劇中のギター演奏に魅せられたのがギターを始めるきっかけになったと言う。 第二次世界大戦後に東京へ出て、本格的にジャズギターを始めると共に、米軍キャンプを回るようになる。 1954年に神奈川県横浜市の伊勢佐木町にあったクラブ:モカンボで行われた『モカンボ・セッション』では、ハナ肇、植木等、守安祥太郎らと共に参加している。 1957年にチコ・ハミルトン楽団のギタリストだったデンプシー・ライトに弟子入りし、本格的なジャズギターテクニックの伝授を受けた。
鯉ノ勢 寅雄(こいのせ とらお、1930年1月21日 - 没… 鯉ノ勢 寅雄(こいのせ とらお、1930年1月21日 - 没年不明)は、愛媛県越智郡乃万村(現・同県今治市)出身で朝日山部屋に所属した大相撲力士。本名は小沢 寅雄(おざわ とらお)。最高位は東前頭12枚目(1958年1月場所)。得意手は左四つ、押し、寄りなど。現役時代の体格は170cm、105kg。 19歳の時、元関脇・二瀬川が率いる朝日山部屋に入門し、1950年1月場所で初土俵を踏んだ。 同場所では番付外と新序で共に好成績を残したため、翌場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 当初より「鯉ノ勢」の四股名を名乗り、一時「鯉ノ瀬」に改名するも、1場所で「鯉ノ勢」に戻している。 出世は早く、番付に付いてから4年半弱の1954年9月場所で十両に昇進。
御木 白日(みき しらひ、1929年12月1日 - )は、日… 御木 白日(みき しらひ、1929年12月1日 - )は、日本の歌人。父、御木徳近はパーフェクト リバティー教団(PL教団)第2代教主。 愛媛県松山市生まれ。1956年(昭和31年)学習院大学文学部仏文科卒、ソルボンヌ大学に学ぶ。1959年(昭和34年)大正大学大学院文学研究科修了。1965年(昭和40年)短歌芸術賞受賞。1985年(昭和60年)、「日本近代史とリズム」により、大正大学より文学博士を取得。PL学園高等学校の校長、PL学園女子短期大学の学長も歴任した。
河野 昭(こうの あきら、1929年9月11日 - 1995… 河野 昭(こうの あきら、1929年9月11日 - 1995年12月25日)は、愛媛県出身の体操選手、体操指導者。1956年メルボルンオリンピック体操男子団体銀メダリスト。得意種目はあん馬。 宇和島市生まれ。旧制宇和島中(現・宇和島東高)、日本体育専門学校(現・日本体育大学)卒業。竹本正男に師事する。 1952年、1953年、1957年の全日本体操競技選手権大会個人種目別あん馬で優勝。1956年、メルボルン五輪体操男子団体2位、同個人総合16位。1958年、世界体操競技選手権個人種目別あん馬4位。 愛媛大学教授・愛媛大学教育学部附属中学校校長、日本体操協会理事、愛媛県体操協会会長などを歴任した。
塔 和子(とう かずこ、本名・井土 ヤツ子(いづち やつこ)… 塔 和子(とう かずこ、本名・井土 ヤツ子(いづち やつこ)1929年8月31日 - 2013年8月28日)は、日本の詩人。11歳でハンセン病を発病し、国立療養所大島青松園に入所するかたわら、多くの詩を書いた。 1929年8月31日、愛媛県東宇和郡(現西予市)明浜町田之浜にて、8人きょうだいの3番目の次女として生まれる。1941年、田之浜国民学校初等科6年生の春、11歳の時(と思われる)にハンセン病を発病。1943年6月21日、13歳の時に、ハンセン病により国立療養所大島青松園(おおしませいしょうえん)に入所。1951年9月、同園の赤沢正美と結婚。1952年頃に、特効薬プロミンによりハンセン病が完治。
早坂 暁(はやさか あきら、1929年〈昭和4年〉8月11日… 早坂 暁(はやさか あきら、1929年〈昭和4年〉8月11日 - 2017年〈平成29年〉12月16日)は、日本の脚本家、小説家。 本名、富田 祥資(とみた よしすけ)。 愛媛県温泉郡北条町(現松山市)生まれ。日本大学芸術学部演劇学科卒業。 戦後の日本を代表する脚本家のひとりである。 愛媛県温泉郡北条町(後の愛媛県北条市、現在の松山市北条)で、遍路道の大商家に生まれ育ち、幼少の頃からお遍路さんに接した。 旧制松山中学校(現在の愛媛県立松山東高等学校)を経て、海軍兵学校在学中に終戦。海軍兵学校からの復員途中に広島で一夜を明かし、被爆直後の広島の惨状を目撃した。旧制松山高等学校(現在の愛媛大学文理学部の構成母体)卒業後、東京大学医学部に合格するも、医業に疑問を持ち入学せず[信頼性要検証]、日本大学芸術学部演劇学科に進学し同校卒業。
藤田 潔(ふじた きよし、1929年7月11日 - 2021… 藤田 潔(ふじた きよし、1929年7月11日 - 2021年3月9日)は、日本のテレビプロデューサー、実業家。株式会社ビデオプロモーション取締役名誉会長。 愛媛県新居浜市出身。早稲田大学商学部卒業。 「世界遺産」や「美の巨人たち」といった数々の名番組も企画している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
西原 儀一(にしはら ぎいち、1929年2月28日 - 20… 西原 儀一(にしはら ぎいち、1929年2月28日 - 2009年8月16日)は、日本の映画監督、脚本家、プロデューサー、俳優。別名義に関谷四郎、千葉隆志などがある。 1960年代から1970年代にかけて制作された、葵映画での低予算、扇情主義のピンク映画で知られる。「日本で最も低俗な映画作家」、「ヤクザ映画ファンの間でカルト的人気者」と呼ばれた。 1929年2月28日大阪府大阪市に生まれ、愛媛県新居浜市で育つ。1945年に野口拳闘クラブに入門。プロボクサーとして活躍し、1946年には日本フェザー級西日本チャンピオンになる。1947年の佐伯幸三監督の大映映画『鉄拳の街』でボクサー役を演じたこのことがきっかけで1949年大映東京撮影所の助監督試験を受けて合格。
蝶野 照正 (ちょうの てるまさ、1929年(昭和4年)1月… 蝶野 照正 (ちょうの てるまさ、1929年(昭和4年)1月8日 - 1994年(平成6年))は、日本の実業家。 山陽国策パルプ(現:日本製紙)元専務取締役。山陽国策産業(現:日本製紙総合開発)元社長。 愛媛県新居浜市出身。蝶野勝四郎・ヒロの次男に生まれる。1952年(昭和27年)九州大学農学部林学科を卒業し、同年4月山陽パルプ(現:日本製紙)に入社。1972年(昭和47年)3月31日に山陽パルプと国策パルプ工業が合併し、山陽国策パルプ発足後、1981年(昭和56年)6月取締役に就任。 1985年(昭和60年)常務、1989年(平成元年)6月専務を経て、1991年(平成3年)6月退任。山陽国策パルプ(現:日本製紙総合開発)に就任した。
三浦 保(みうら たもつ、1928年12月13日 - 199… 三浦 保(みうら たもつ、1928年12月13日 - 1996年9月9日)は、日本の実業家、芸術家、三浦工業の創始者。愛媛県松山市生まれ。 三浦工業創業と前後して、趣味として陶芸や能楽を始めた。 能楽においては、松山と縁の深い観世流職分藤井久雄主宰の観謳会で研鑽を積み、1981年、松山市内能楽堂にて大曲「安宅」を披いた。その後、1987年には東京・国立能楽堂にて「安宅」再演。これらの功績により、観世流名誉師範の称を得た。また、狂言にも親しみ、地元公演会などに出演した。 本社玄関に飾るべく、三浦が技法を開発した陶板画「Miurart(ミウラート)」は、本社隣接のMiurart Village(長谷川逸子設計)に多数展示されている他、県内各所に寄贈されている。
綿井 永寿(わたい えいじゅ、1928年11月20日 - 1… 綿井 永寿(わたい えいじゅ、1928年11月20日 - 1998年5月30日)は、愛媛県出身の元ラグビー選手及び同指導者で、日本体育大学第6代学長。 現役時代のポジションは、フランカー(FL)。 旧制北予中学、中央大学出身。 後に、日本体育大学ラグビー部の監督に就任。いわゆる、「早慶明」の伝統校に打ち勝つためには、走り勝たねばならないという信条の下、『ランニングラグビー』を確立した。 1969年度、有賀健らを擁して関東大学ラグビー対抗戦グループで初優勝をもたらすと、続く第6回全国大学ラグビーフットボール選手権大会でも決勝で早稲田大学(以下、早稲田)を11-9で下し初優勝。そして続く第7回日本ラグビーフットボール選手権大会では、社会人代表がなかなか決まらず、すったもんだの末、富士鐵釜石(後の新日本製鐵釜石ラグビー部、現 釜石シーウェイブス)が出場することになったが、29-13でこれを撃破し、早稲田に続いて、大学チームとしては史上3校目となるラグビー日本一を果たした。
高橋 光子(たかはし みつこ、1928年8月15日 - 20… 高橋 光子(たかはし みつこ、1928年8月15日 - 2026年1月24日)は、日本の小説家。上条由紀名義で70年代から80年代にかけて少女小説も手掛けた。東京都武蔵野市在住。日本文藝家協会会員。 愛媛県川之江町(現・四国中央市)生まれ。川之江高等女学校在学中は勤労動員で日本陸軍の秘密兵器「風船爆弾」を作っていた。 卒業後はテレビ、ラジオの脚本の仕事を経て、1965年「蝶の季節」で文學界新人賞受賞、同作で芥川賞候補、1972年「遺る罪は在らじと」で二度目の候補。また上条由紀の名で 集英社コバルト文庫を中心に少女小説を執筆、1993年『高畠華宵とその兄』で潮賞ノンフィクション部門優秀賞受賞。 日本文藝家協会会員、「群青」同人。
檜垣 俊幸(ひがき としゆき、1928年7月18日 - )は… 檜垣 俊幸(ひがき としゆき、1928年7月18日 - )は、日本の実業家。今治造船のグループ社主。 1928年7月18日に造船業を営む檜垣正一の3男として誕生した。1943年3月に今治市立近見尋常高等小学校高等科を卒業後、今治造船に入社。今治造船は父親の檜垣正一の経営していた造船会社などが合併して誕生した造船会社であった。 戦後の1945年には今治造船を退社して檜垣造船有限会社を設立していたが、1955年に愛媛汽船の赤尾柳吉らと共に休業に陥っていた今治造船を再スタートさせた。1959年2月には今治造船の全株式を檜垣家が取得。以後、今治造船の専務取締役、副社長、代表取締役社長、代表取締役会長などを歴任し、2017年4月にグループ社主に就任。
中元 清吉(なかもと きよきち、1928年〈昭和3年〉5月3… 中元 清吉(なかもと きよきち、1928年〈昭和3年〉5月3日 - 2024年〈令和6年〉3月8日)は、日本の政治家・実業家。元西宇和郡伊方町議会議員、元伊方町長。伊方町出身。 伊方町商工業協同組合理事長、伊方町商工会長、愛媛県商工会連合会会長、伊方町社会福祉協議会会長などの公職を務めた。
黒田 義之(くろだ よしゆき、1928年〈昭和3年〉3月4日… 黒田 義之(くろだ よしゆき、1928年〈昭和3年〉3月4日 - 2015年〈平成27年〉1月22日)は、日本の映画監督、特撮監督。 1928年(昭和3年)、愛媛県松山市生まれ。京都市立太秦小学校の同級生には、森田富士郎がいた。子供の頃、映画の子役を務めていた関係で、京都太秦にあった新興キネマ撮影所や、片岡千恵蔵が主宰した千恵プロの映画作品に多数出演した。 立命館大学理工学部数学科卒業。この時は子役時代の経験もあって「撮影所には入らないで、教員になろう」と思っていたことから、しばらく京都府立嵯峨野高等学校(当時は女学校だった)で数学教師を務めた。 1950年(昭和25年)、レッドパージの影響で大映京都撮影所の助監督が7人も退社して急遽助監督を募集していたこともあり、また叔父が伊藤大輔と稲垣浩で、また父親が映画会社大映で製作主任を務め、母親の弟がカメラマンの牧浦地志であるということもあって、大映の入社試験を受け合格。
堀内 雄之(ほりうち ゆうし、1928年〈昭和3年〉 - 1… 堀内 雄之(ほりうち ゆうし、1928年〈昭和3年〉 - 1992年〈平成4年〉)は日本の俳人。妻は俳人の堀内律子。愛媛県松山市出身。 愛媛県松山市にて生まれる。愛媛県立松山中学校(現在の愛媛県立松山東高等学校)卒業。 愛媛県庁の職員として勤務。1953年には、俳人の堀内律子と結婚。 1984年(昭和59年)、松山市を本拠地とする俳句の結社・俳誌 初花を創設。初代主宰に就任。 1992年(平成4年)、死去。 「子規堂の 小窓開けあり 葉鶏頭」の句碑が愛媛県松山市に建立されている。 妻は俳人の堀内律子。律子は2002年に、俳誌 初花の4代目主宰へ就任した。俳人の大本あきらの娘は、律子の生家へ嫁いでいる。
菊池 瑞穂(きくち みずほ、男性、1927年12月11日 -… 菊池 瑞穂(きくち みずほ、男性、1927年12月11日 - 2022年4月16日)は、日本の実業家。富士シティオ及びスリーエフ創業者。 愛媛県西宇和郡宮内村(後の保内町、現在の八幡浜市)の農家出身。日本の降伏後復員して上京し、富士スーパーを創業。1979年富士スーパーのコンビニエンス事業部としてスリーエフを創業し、チェーン展開を開始し、1981年スリーエフを設立。2007年に郷里八幡浜市立宮内小学校と、八幡浜市立保内中学校に本を寄贈し、図書館内に菊池瑞穂・早苗文庫が設けられた。のちにスリーエフ代表取締役社長を務めた中居勝利は娘婿。 2022年死去、94歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
古田 足日(ふるた たるひ、男性、1927年〈昭和2年〉11… 古田 足日(ふるた たるひ、男性、1927年〈昭和2年〉11月29日 - 2014年〈平成26年〉6月8日)は、日本の評論家、児童文学作家。本名同じ。 父は国文学者の古田拡、東京大学教授を務めた国文学者・古田東朔は兄。早稲田大学第一文学部露文科在学中、早大童話会にて鳥越信らと『少年文学宣言』を草案・発表。その後中退。児童文学の評論、創作など多様な活動を続けた。 1960年(昭和35年)『現代児童文学論』第9回日本児童文学者協会新人賞。1967年(昭和42年)『宿題ひきうけ株式会社』第7回日本児童文学者協会賞。 愛媛県川之江町(現:四国中央市)にて、1927年(昭和2年)八人兄弟の三男として生まれる。
藤田 省三(ふじた しょうぞう、1927年9月17日 - 2… 藤田 省三(ふじた しょうぞう、1927年9月17日 - 2003年5月28日)は、日本の政治学者(日本政治思想史)、法政大学名誉教授。戦後、丸山学派を代表する左派系の思想史家。 丸山眞男の弟子で、寡作ではあるが丸山学派を代表する。天皇制国家の構造分析は戦後思想史において画期的意味をもちつづける。鶴見俊輔らとともに行った『共同研究 転向』では中心的役割を果す。晩年に『藤田省三著作集』(みすず書房)が刊行されている。 愛媛県今治市出身。父藤作は大三島出身の小学校代用教員。兄2人姉2人の5人兄弟の末っ子だが、2人の兄はともに太平洋戦争で戦死した。今治中学校(現・愛媛県立今治西高等学校)を経て、陸軍予科士官学校に入学(当時の校長は牟田口廉也)。
篠永 善雄(しのなが よしお、1927年〈昭和2年〉9月9日… 篠永 善雄(しのなが よしお、1927年〈昭和2年〉9月9日 - 2012年〈平成24年〉2月23日)は、日本の政治家。愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)長。 愛媛県宇摩郡三島町(のち伊予三島市、現・四国中央市)出身。旧制愛媛県立三島中学校(現・愛媛県立三島高等学校)を経て、明治学院大学経済学部に入学するが、中退する。帰郷後は伊予三島市議会議員、同第25代副議長(1977年12月14日から1978年12月5日まで)、同第26代議長(1978年12月6日から1979年7月27日)となった。 1979年、森川孝夫の急死に伴い行われた市長選で伊予三島市長に自民党公認で立候補して、社会党・共産党推薦の新人ら2人を破って当選し、同年8月20日に就任した。
田中 健一(たなか けんいち、1927年8月31日 - 20… 田中 健一(たなか けんいち、1927年8月31日 - 2021年7月29日)は、日本のカトリック司教。洗礼名はライムンド。カトリック高松教区の教区長であった田中英吉司教の甥にあたる。 1927年8月31日、愛媛県宇和島市に生まれる。泰星中学校(福岡市・現上智福岡中学校)を経て1944年に長崎公教神学校、1946年に大阪関目仮神学校、1948年に東京神学院に入学した。1951年12月21日に高松教区にて司祭叙階。1952年から58年まで、ローマなどに留学した。帰国後は、大阪教区の甲陽園と園田、1964年から高松教区の桜町、三本松、長尾、大島の各小教区で働く。1976年7月8日、ローマ教皇パウロ6世により京都教区司教に任命、同年9月23日、司教に叙階された。
岩村 昇(いわむら のぼる、1927年5月26日 - 200… 岩村 昇(いわむら のぼる、1927年5月26日 - 2005年11月27日)は、日本の医学者、医師。愛媛県宇和島市出身。
武内 亨(たけうち とおる、1927年5月16日 - 200… 武内 亨(たけうち とおる、1927年5月16日 - 2006年8月4日)は、日本の俳優。本名:武内 享。 愛媛県今治市出身。明治大学予科中退。劇団俳優座養成所第2期生を経て、劇団俳優座に所属していた。 テレビ時代劇『水戸黄門』では、徳川綱吉・大名・商人・梅小路大納言などを演じた。 2006年8月4日、肝内胆管癌のため神奈川県川崎市の病院で死去。79歳没。
北川 忠彦(きたがわ ただひこ、1927年1月27日 - 1… 北川 忠彦(きたがわ ただひこ、1927年1月27日 - 1994年4月3日)は、日本の国文学者。専攻は能・狂言研究。 愛媛県松山市出身。京都大学文学部卒業。愛媛大学助教授、立命館大学助教授、天理大学教授、京都女子大学教授、龍谷大学教授を歴任。1994年4月3日、膵臓癌のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
中野 道義(なかの みちよし、1926年8月20日 - 19… 中野 道義(なかの みちよし、1926年8月20日 - 1996年1月25日)は、愛媛県出身のプロ野球選手。
砂田量爾(すなだ りょうじ、1926年5月21日 - 201… 砂田量爾(すなだ りょうじ、1926年5月21日 - 2015年3月23日)は、日本のシナリオ作家。 愛媛県今治市出身。旧制松山高校から大阪帝国大学(現・大阪大学)理学部化学科卒。理学部へ進んだのは「一種の徴兵拒否」が目的と話したことがある。教師になるが一年で上京、欧文のタイピング、翻訳、オーディオの製造販売から物作りが得意なことを活かして闇市で売るなどさまざまな職を転々とする。初めて書いた脚本は、岩波映画の子供向け科学映画。友人にTBSの「七人の刑事」のスタッフに紹介されて脚本を1本書いたら採用され、1962年から「七人の刑事」のシナリオに参加、以後テレビドラマ、演劇台本などを多く書いた。「風の色」「風の町」「娘たちの四季」などがある。
田中 誠一(たなか せいいち、1926年(大正15年)4月1… 田中 誠一(たなか せいいち、1926年(大正15年)4月11日 - 2003年(平成15年)4月8日)は、日本の政治家、第25・26代松山市長。 松山市出身。旧制愛媛県立松山商業学校(現 愛媛県立松山商業高等学校)を卒業後、1945年、第11師団(香川県善通寺市)に入隊。 終戦後の1946年、松山市役所職員に採用される。市民課長、企画管理部長を歴任し、助役を3回にわたり(1979年6月25日-1979年7月9日、1983年6月25日-1984年12月25日、1987年6月25日-1989年10月10日)務める。 1991年、5選を狙う当時の現職市長中村時雄に対抗して出馬し初当選。「しあわせひろがるまち松山」をスローガンに、その後2期8年間にわたって松山市長を務めた。
高城 申一郎(たかぎ しんいちろう、1926年(大正15年)… 高城 申一郎(たかぎ しんいちろう、1926年(大正15年)1月27日 - 2009年(平成21年)4月19日)は、日本の実業家。住友不動産社長・会長を務めた。愛媛県松山市出身。
松本 奉山(まつもと ほうざん、1925年9月2日 - 20… 松本 奉山(まつもと ほうざん、1925年9月2日 - 2010年1月5日)は、日本の水墨画家。愛媛県今治市生まれ。本名は松本 由美子(まつもと ゆみこ)。 1942年、松本尚山に入門。1963年に渡米し、海外でも活躍した。外務省文化使節や国際交流基金文化使節として海外で多くの活動を行った。シアトルにあるコーニッシュ芸術大学の講師を務めたこともある。 2010年1月5日、大阪市福島区の病院で肝臓がんにより84歳で死去した。 国内だけでなく、欧米や南米の風景を描いた作品も描いて個展を開き、高い評価を得た。 1999年のしまなみ海道開通時には、橋と島を組み合わせた作品を多数描いた。 2000-2001年には、琵琶湖と淀川の風景を描いた「みず紀行」を、毎日新聞夕刊(大阪本社発行版)に連載した。
武智 修(たけち おさむ、1925年8月29日 - 1985… 武智 修(たけち おさむ、1925年8月29日 - 1985年11月20日)は愛媛県出身のプロ野球選手。
大黒 繁男(おおぐろ しげお、1925年(大正14年)5月2… 大黒 繁男(おおぐろ しげお、1925年(大正14年)5月20日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本海軍の戦闘機パイロット。初の神風特別攻撃隊の一隊である「敷島隊」に五番機として参加し、死後「敷島隊五軍神」の1人として顕彰された。このときの敷島隊の攻撃でアメリカ海軍の護衛空母セント・ローを撃沈した。 小学校の頃は何度も級長を務め、成績は一番であった。だが彼は、学業成績のことを両親には絶対言わず、通信簿も隠していた。貧しくて兄弟姉妹も多い家庭のため、進学は経済的に厳しく、両親を悩ませたくなかったからだという。教師の説得と父親の配慮で1年だけ新居浜工業学校に通い、住友機械工業に就職した。