今西 祐一郎(いまにし ゆういちろう、1946年8月6日 -… 今西 祐一郎(いまにし ゆういちろう、1946年8月6日 - )は、日本の国文学者。国文学研究資料館名誉教授・元館長。九州大学名誉教授。文学博士。日本学術会議会員。児童文学作家の今西祐行は叔父。 福岡県北九州市生まれ。1969年京都大学文学部国文科卒、1972年同大学院修士課程修了、1974年静岡県立静岡女子大学講師、のち助教授、1978年京都府立大学助教授、1985年九州大学助教授、教授、文学部学部長を経て、九州大学副学長・理事。2009年3月、九州大学退職。同4月、総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻教授、国文学研究資料館館長に就任。2017年3月末をもって、退職。 『蜻蛉日記』が専門で、同書は藤原兼家の協力を得て書かれた、兼家家集の宣伝のためのものだという説を唱えている。
中村 順司(なかむら じゅんじ、1946年8月5日 - )は… 中村 順司(なかむら じゅんじ、1946年8月5日 - )は、アマチュア野球指導者。元PL学園野球部監督であり、現在は名古屋商科大学硬式野球部監督。福岡県中間市出身。長男は日本大学東北高等学校野球部監督の中村猛安。
古賀 成治(こが せいじ、1946年7月22日 - )は、元… 古賀 成治(こが せいじ、1946年7月22日 - )は、元NHKアナウンサー。語り芸アドバイザー・サポーター。大妻女子大学文学部コミュニケーション学科非常勤講師、企業対象「話し方教室」主宰。東京福中・福高同窓会常任幹事。東京落語会会員。 1965年に福岡県立福岡高等学校卒業、高校では弁論部を創設。1970年に九州大学教育学部を卒業後、NHK入局。アナウンサー、編成、事業、広報、営業を歴任。現在は上記に加え、平野啓子、古今亭菊丸、三門柳、富士路子、玉川奈々福、藤間紫恵乃、千花有黄を支援。
井上 修(いのうえ おさむ、1946年7月20日 - )は、… 井上 修(いのうえ おさむ、1946年7月20日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ。
中島 義道(なかじま よしみち、1946年7月9日 - )は… 中島 義道(なかじま よしみち、1946年7月9日 - )は、作家。元電気通信大学教授。専攻はドイツ哲学、時間論、自我論。イマヌエル・カントが専門。 1946年、福岡県門司市生まれ。1965年、神奈川県立川崎高等学校を卒業。東京大学文科I類に入学した。1971年、東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業。その後は同大学大学院人文科学研究科に進んだ。1973年、東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程を退学。東京大学法学部に移って1976年に卒業した。1977年、 東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程を修了し、文学修士号を取得。その後、オーストリアに渡り、1983年にウィーン大学基礎総合学部哲学科を修了し、ウィーン大学に学位論文『カントの時間構成の理論』を提出して哲学博士号を取得。
津曲 義光(つまがり よしみつ、1946年(昭和21年)7月… 津曲 義光(つまがり よしみつ、1946年(昭和21年)7月8日 - 2011年(平成23年)11月27日)は、日本の元航空自衛官である。福岡県出身。第27代航空幕僚長。位階は従三位。戦後生まれ最初の航空幕僚長であった。
宮本 雄二(みやもと ゆうじ、1946年(昭和21年)7月3… 宮本 雄二(みやもと ゆうじ、1946年(昭和21年)7月3日 - )は日本の外交官。外務大臣秘書官、外務省軍備管理・科学審議官等を経て、在中華人民共和国特命全権大使などを歴任。現在は宮本アジア研究所代表、外務省顧問、日本日中関係学会会長、一般社団法人外国語通訳検定協会(FLICA)理事、財団法人日本漢字能力検定協会理事、日本凸版印刷株式会社顧問、公益財団法人日中友好会館副会長。
橋本 孝志(はしもと たかし、1946年6月21日 - )は… 橋本 孝志(はしもと たかし、1946年6月21日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 博多工では1963年、2年の時に控え投手、外野手として春の選抜に出場、1回戦で海南高のエース山下慶徳に抑えられ敗退、橋本の登板はなかった。同年夏の甲子園県予選でも決勝に進みリリーフとして登板するが、柳川商に完封負けを喫する。翌1964年はエースとして選抜に連続出場。2回戦で池永正明を擁する下関商を降し準決勝まで進出するが、尾道商の小川邦和投手に0-4で完封負け。しかし同年6月の新潟国体では、決勝で尾道商を2-0で完封し初優勝、一躍注目を集めた。同年夏は県予選準々決勝で、末永吉幸のいた小倉工に日没引き分け再試合の末に敗退。
中尾 ミエ(なかお ミエ、1946年〈昭和21年〉6月6日 … 中尾 ミエ(なかお ミエ、1946年〈昭和21年〉6月6日 - )は、日本の女性歌手、女優。本名は中尾 美禰子(なかお みねこ)。名前は中尾ミヱと表記されていた時期もある。 福岡県小倉市(現:北九州市小倉北区)出身。身長156cm。 6人兄弟。実家は書店を経営していた。 父親が事業に失敗し、1958年に一家で上京、以降は千葉県市川市で育った。福岡学芸大学附属小倉小学校から市川市立真間小学校に転校。精華学園中学校時代に東宝の募集に行くが、背が小さいからダメと渡辺プロダクションを紹介される。しかし、すぐには契約してもらえず毎日通って粘り、平岡精二のバンドに預けられ、代々木のキャンプなどで歌った。当時はスタンダード・ナンバーを歌っていた。
青木 勝男(あおき かつお、1946年5月7日 - 2019… 青木 勝男(あおき かつお、1946年5月7日 - 2019年5月16日)は、福岡県飯塚市出身のプロ野球選手(捕手)。 飯塚商業高校から社会人野球の山門鉄工所を経て、1965年に広島カープに入団。1971年に引退。 引退後は、地元福岡で焼肉店を経営していた。 2019年5月16日、パーキンソン病による誤嚥性肺炎のため、飯塚市の病院で死去。73歳没。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
木村 一信(きむら かずあき、1946年4月24日 - 20… 木村 一信(きむら かずあき、1946年4月24日 - 2015年9月26日)は、日本近代文学研究者。学位は、文学博士(立命館大学・論文博士・2000年)。熊本県立熊本女子大学助教授・立命館大学教授などを経て、立命館大学名誉教授。 福岡市生まれ。関西学院大学文学部日本文学科卒、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。2010年4月にプール学院大学・プール学院大学短期大学部学長に就任。2015年4月からは大阪成蹊短期大学学長。現職のまま、2015年9月26日午後11時34分大阪府の高槻赤十字病院にて、すい臓癌のため逝去。 主として中島敦を研究し、昭和初期の南方における文学について考究した。
松木 路子(まつき みちこ、1946年3月18日 - )は、… 松木 路子(まつき みちこ、1946年3月18日 - )は、日本の女優。福岡県出身。本名も同じ。別名は永野路子、聖みち子。アーバンズエンターテイメント所属。夫はテレビドラマ監督の永野靖忠。息子(次男)はプロゴルファーの永野敦朗。妹は元女優の松木聖。姉も松木浩美の名で芸能活動を行なっていた。 主にテレビドラマ、映画などで活躍する。昼ドラマに数多く主演した。 筑紫女学園高等学校卒業。実家の寿司屋に客として訪れていたRKB毎日放送の社員に勧められ女優を目指して上京、東宝芸能養成所在籍時に東宝の社員に声をかけられ1968年に東宝へ入社した。しかし、主役をやりたいと思うも映画では端役からスターにはなれないと考え、東宝を退社しテレビドラマへ転向した。
永野 路子(ながの みちこ、1946年3月18日 - )は、… 永野 路子(ながの みちこ、1946年3月18日 - )は、日本の女優。福岡県出身。本名も同じ。別名は松木路子、聖みち子。アーバンズエンターテイメント所属。夫はテレビドラマ監督の永野靖忠。息子(次男)はプロゴルファーの永野敦朗。妹は元女優の松木聖。姉も松木浩美の名で芸能活動を行なっていた。
福田 仁一(ふくだ じんいち、1946年3月2日 - )は、… 福田 仁一(ふくだ じんいち、1946年3月2日 - )は、日本の歯学博士、九州歯科大学元理事長(元学長)。 福岡県小倉市(現・北九州市)出身。福岡県立小倉西高等学校から九州歯科大学に進み、同大学院歯学研究科(口腔外科学専攻)修了。1975年歯学博士。学位論文の題は 「幼若犬永久歯歯胚および周囲組織に対するBetatron電子線限局照射の影響に関する実験的研究 」。九州歯科大学助手、スイス・バーゼル大学在外研究員、福岡大学医学部助教授を経て九州歯科大学教授。1999年附属病院長、2002年学長に就任。専門は口腔外科で、文部科学省、厚生労働省の各種委員を務めるほか、九州歯科学会会長、日本口腔外科学会理事長などの要職にある。
有吉 哲信(ありよし てつのぶ、1946年(昭和21年)2月… 有吉 哲信(ありよし てつのぶ、1946年(昭和21年)2月24日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日小綬章。元福岡県宮若市長(4期)。 福岡県宮若市出身。1964年(昭和39年)3月、福岡県立鞍手高等学校卒業。1969年(昭和44年)3月、福岡大学法学部法律科卒業。同年6月、宮田町役場に採用される。役場在職時、1982年(昭和57年)6月に自治大学校を修了している。1999年(平成11年)4月、役場を退職すると共に宮田町教育委員会の教育長に就任。2005年(平成17年)10月、教育長を辞職。 2006年(平成18年)2月11日、宮田町と若宮町が合併し宮若市が誕生。これに伴って同年3月19日に行われた宮若市長選挙に出馬。
山田 登世子(やまだ とよこ、1946年2月1日 - 201… 山田 登世子(やまだ とよこ、1946年2月1日 - 2016年8月8日)は、日本のフランス文学者、エッセイスト。愛知淑徳大学名誉教授。 福岡県田川市生まれ。旧姓・青柳(父は弁護士)。福岡県立西田川高等学校卒、名古屋大学文学部仏文科卒、1974年同大学院博士課程満期退学。1975年愛知淑徳大学専任講師、1979年助教授、1987年教授、1995年現代社会学部教授、メディアプロデュース学部教授。2015年退任、名誉教授。 オノレ・ド・バルザックが専門だが、フランスのファッション、恋愛に関する評論、エッセイで知られ、与謝野晶子について書いたり、小説も書いた。 2016年8月8日、肺癌のため死去。70歳没。
池田 善吾(いけだ ぜんご、1946年 - )は、福岡県出身… 池田 善吾(いけだ ぜんご、1946年 - )は、福岡県出身の元アマチュア野球選手(投手)日本で初めてキューバを抑えた投手。 博多工業高等学校では、同期にエース橋本孝志がおり、主に一塁手として起用される。投手としても1963年秋季九州大会決勝で日南高に完封勝ちを記録している。1964年春の選抜に出場。2回戦で池永正明を擁する下関商を降し準決勝まで進出するが、尾道商の小川邦和に0-4で完封負け。しかし同年6月の新潟国体では、決勝で尾道商を降し初優勝。同年夏は県予選準々決勝で、末永吉幸のいた小倉工に日没引き分け再試合の末に敗退。1学年下に遊撃手の倉田晃がいる。 芝浦工業大学に進学。東都大学野球リーグでは、エースとして1968年秋季リーグで7年振りに優勝。
藤好 建史(ふじよし たてし、1946年 - )は熊本の大腸… 藤好 建史(ふじよし たてし、1946年 - )は熊本の大腸肛門病専門の医師。熊本県で大腸肛門病専門施設である藤好クリニックの院長を務める。日本大腸肛門病学会指導医(評議会)に専門医として所属。患者の食事療法も含め指導をしており、クリニックでは玄米菜食を基本とした食材も売っている。NPO法人さくらねうねうの理事長も務めており、野良猫などの動物の保護活動にも従事する。 1946年、熊本県玉名郡大野下村に生まれる。 父の三井太牟田病院勤務により大牟田の小・中学校に通学。 久留米大学付設高等学校より熊本大学医学部入学。研究テーマは「胃癌の生化学」、ヨット部に在籍。 1972年、熊本大学第二外科入局、消化器癌の研究に励む。
吉田 彩子(よしだ さいこ、1946年 - )は、日本のスペ… 吉田 彩子(よしだ さいこ、1946年 - )は、日本のスペイン文学者、清泉女子大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。清泉女子大学文学部スペイン語スペイン文学科卒業、上智大学大学院外国語学研究科言語学専攻博士課程満期退学。清泉女子大学助教授、教授を務めた。2017年定年、名誉教授。若いころ児童文学『月が死んだ日』を書いている。
田中 実(たなか みのる、1946年 - )は、日本の日本近… 田中 実(たなか みのる、1946年 - )は、日本の日本近代文学研究者。都留文科大学名誉教授。 福岡県柳川市生まれ。1969年立教大学文学部日本文学科卒、1976年同大学院博士課程満期退学、攻玉社高等学校教諭、武蔵高等学校教諭、1978年都留文科大学講師、助教授、1987年教授、2012年定年退任、名誉教授。
古賀 光雄(こが みつお、1946年 - )は福岡県久留米市… 古賀 光雄(こが みつお、1946年 - )は福岡県久留米市出身の公認会計士。古賀マネージメント総研株式会社 代表取締役を務める。 1969年 - 伏見公認会計士事務所に入所。 1975年 - アーンスト・アンド・ウィニー会計事務所に入所。 1978年 - 等松・青木監査法人(現有限責任監査法人トーマツ)に入所。 1995年 - トーマツ コンサルティング株式会社の代表取締役に就任。 1997年 - 10月トーマツ・ベンチャーサポート株式会社の設立に伴って代表取締役に就任。 2011年 - 12月トーマツ・ベンチャーサポート株式会社を退職。 2012年 - 2月古賀マネージメント総研株式会社を設立して代表取締役に就任。
田島 信元(たじま のぶもと、1946年 - )は、日本の心… 田島 信元(たじま のぶもと、1946年 - )は、日本の心理学者。白百合女子大学文学部児童文化学科発達心理学専攻教授。ご専門領域は、発達心理学と文化心理学など。博士(人間科学)。福岡県福岡市出身。
溝下 秀男(みぞした ひでお、1946年〈昭和21年〉 - … 溝下 秀男(みぞした ひでお、1946年〈昭和21年〉 - 2008年〈平成20年〉7月1日)は、福岡県北九州市を本拠地とする指定暴力団・工藤會の三代目会長、四代目総裁ならびに四代目名誉顧問。『極道一番搾り』や『愛嬌一本締め』などの自著を世に出したことからも知られた。 1946年(昭和21年)、福岡県嘉穂郡頴田村小峠(現:飯塚市)に出生。実家は極貧の母子家庭だった。 24歳で溝下組を結成し、同組織を率いて1979年(昭和54年)に草野一家へ合流。当時、草野一家と対立関係にあった工藤会傘下の「田中組」の組長・田中新太郎が射殺された1979年12月23日時点で、溝下は草野一家傘下の「極政会」初代組長だった。
広渡 清吾(ひろわたり せいご、1945年12月4日 - )… 広渡 清吾(ひろわたり せいご、1945年12月4日 - )は、日本の法学者。専門は、ドイツ法・比較法・法社会学。東京大学名誉教授。 ドイツ法、比較法、法社会学を専攻する福岡県出身の法学者である。 京都大学法学部助手、東京大学社会科学研究所教授、同所長、同大学副学長、専修大学法学部教授、大学共同利用機関法人人間文化研究機構監事、日本学術会議会長、民主主義科学者協会法律部会理事などを歴任。また、ベルリン自由大学やルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘンでも客員として教鞭を執った。東京大学より名誉教授の称号を受けている。 日本による対韓輸出優遇撤廃に反対する、<声明>「韓国は「敵」なのか」呼びかけ人の1人。
桂口 力(かつらぐち ちから、1945年11月27日 - )… 桂口 力(かつらぐち ちから、1945年11月27日 - )は、日本の元ラグビー選手。 小倉工高を経て法政大学でプレー。 卒業後は九州電力に入社した。中学時代はサッカーの経験があり、キック力のある選手だった。 1967年のニュージーランド戦で日本代表初キャップを獲得。 1968年に、ジュニア・オールブラックスを破った時の司令塔として有名。 現在は法大ラグビー部OB会九州支部長を務める。
藤間 紀子(ふじま のりこ、1945年11月11日 - )は… 藤間 紀子(ふじま のりこ、1945年11月11日 - )は、日本の女性実業家。福岡県福岡市出身。福岡女学院中学校・高等学校、慶應義塾大学文学部卒業。 高麗屋を陰で支え、株式会社松本幸四郎事務所の社長も務める。
自見 庄三郎(じみ しょうざぶろう、1945年〈昭和20年〉… 自見 庄三郎(じみ しょうざぶろう、1945年〈昭和20年〉11月5日 ‐ )は、日本の政治家、医師。 ハーバード大学公衆衛生学部主任研究員、九州大学医学部講師、衆議院議員(7期)、参議院議員(1期)、郵政大臣(第63代)、内閣府特命担当大臣(金融担当)・郵政改革担当大臣(菅直人内閣、野田内閣)、国民新党代表(第3代)、同幹事長(第2代)などを歴任した。 福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)生まれ。1958年に小倉市立堺町小学校(現・北九州市立小倉中央小学校)、1961年に福岡学芸大学附属小倉中学校(現・福岡教育大学附属小倉中学校)、1964年に福岡県立小倉高等学校を卒業し、九州大学医学部へ入学。
太田 誠一(おおた せいいち、1945年〈昭和20年〉10月… 太田 誠一(おおた せいいち、1945年〈昭和20年〉10月30日 - 2024年〈令和6年〉12月4日)は、日本の政治家、経済学者。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。自由民主党所属で衆議院議員(8期)を務め、小渕内閣で総務庁長官、福田康夫改造内閣で農林水産大臣をそれぞれ歴任した。 財務行政に詳しく、大蔵政務次官(竹下改造内閣)、衆議院大蔵委員長、自民党財政部会長などを務めたほか、宏池会会長代行、自民党人権問題調査会会長なども歴任した。 福岡県福岡市出身(広島県生まれ)。父は元博多大丸会長の太田清之助。 太田家は、江戸期に遠賀から博多に出て、油屋で財を築いた初代清蔵以来、当主は清蔵を襲名している。
鬼木 和夫(おにき かずお、1945年10月20日 - )は… 鬼木 和夫(おにき かずお、1945年10月20日 - )は、実業家。親和銀行頭取、ふくおかフィナンシャルグループ取締役。福岡県出身。 1945年10月20日、福岡県生まれ。福岡県立修猷館高等学校を経て、1969年3月、山口大学経済学部卒業。同年4月、福岡銀行に入行。1996年(平成8年)7月同公務部長。1997年(平成9年)6月、取締役公務法人部長。1999年(平成11年)6月、常務取締役。2002年(平成14年)4月、常務取締役福岡地区本部長。2003年(平成15年)4月、専務取締役。2005年(平成17年)5月、代表取締役副頭取。2006年(平成18年)6月、代表取締役副頭取(執行役員兼務)に就任。
塩川 徹也(しおかわ てつや、1945年10月19日 - )… 塩川 徹也(しおかわ てつや、1945年10月19日 - )は、日本のフランス文学者、東京大学名誉教授、日本学士院会員。パスカルを専門とする。
吉廣 啓子(よしひろ けいこ、1945年9月15日 - )は… 吉廣 啓子(よしひろ けいこ、1945年9月15日 - )は、日本の政治家。福岡県苅田町長を3期務めた。 福岡県苅田町出身。九州大学文学部英文学科卒業。福岡県の県立高校の英語講師となる。その傍ら、40代で朗読ボランティアとなり、町報や書籍を朗読・録音。聴覚障害者や高齢者にテープを届けた。1987年(昭和62年)、苅田町教育委員に就任。2002年(平成14年)、苅田町ボランティア連絡協議会を立ち上げ会長に就任。 2005年(平成17年)10月5日、苅田町長の伊塚工が死去。これに伴って11月13日に行われた町長選挙に立候補。元苅田町長・元衆議院議員の尾形智矩を小差で破り初当選した(吉廣:5,943票、尾形:5,864票)。
長谷川 法世(はせがわ ほうせい、1945年9月6日 - )… 長谷川 法世(はせがわ ほうせい、1945年9月6日 - )は、日本の漫画家。福岡県福岡市博多区出身。 福岡県立福岡高等学校を卒業後、大学受験のため上京するが、1968年に『正午の教会へ』(COM)が月例新人賞受賞。その後1972年の『痴連』で本格的デビュー。 代表作に『博多っ子純情』(双葉社『漫画アクション』に1976年から1983年まで連載)がある。『博多っ子 - 』は、福岡・博多に住む中学生の男女の青春群像を描いた作品として人気を集め、ハウス食品のインスタントラーメン『うまかっちゃん』のCMキャラクターにもなった。これまで発表された作品の殆どは、故郷の福岡市を舞台にした作品が多い。 漫画家の活動の他、テレビ番組の司会者としても活躍し、『ニュースやきたてマドレーヌ』(テレビ朝日)や『長谷川法世ときめきポテト』(九州朝日放送)では総合司会を担当した。
園田 義男(そのだ よしお、1945年8月30日 - 201… 園田 義男(そのだ よしお、1945年8月30日 - 2018年1月29日)は、日本の柔道家(講道館9段)。弟はモントリオール五輪金メダリストの園田勇。 福岡工業大学在学中に全日本学生選手権大会や世界学生選手権大会、ユニバーシアード等で優勝を果たし、社会人になってからはメキシコシティで開催の世界選手権大会で弟の勇とともに兄弟同時優勝を成し遂げた。引退後は指導者として、福岡工大付属城東高校で谷亮子や日下部基栄等を育てた事でも有名。のち同校の校長を務めた。身長167cm。得意技は大外刈。 終戦直後の1945年8月、福岡県山門郡三橋町(現:柳川市)にて5人兄姉(4男1女)の3男として生まれる。実家は農業・養豚を営む家柄、父親は厳格で典型的な亭主関白であった。
大迫 忍(おおさこ しのぶ、1945年8月13日 - 200… 大迫 忍(おおさこ しのぶ、1945年8月13日 - 2005年6月18日)は、日本の実業家、馬主。 中国・北京市生まれ、大分県宇佐市出身。1968年に中央大学文学部を卒業、すぐに父・大迫正冨が創業した善隣出版社(のちの株式会社ゼンリン)に入社。父が1980年に在職のまま亡くなり、同年に後を継いで代表取締役社長に就任。実地調査を元に地図情報のデータベース化を推し進め、電子地図やカーナビゲーションなど時代を先取りした事業展開を行い住宅地図業界で売り上げ日本一を達成し、カーナビゲーションソフト業界の大手にも育てて国外進出も果たした。1994年に福証、次いで1996年に東証・大証の各2部に株式上場を果たした。
矢野 晃(やの あきら、1945年8月4日 - )は、福岡県… 矢野 晃(やの あきら、1945年8月4日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。右投右打。 1963年にテスト生で八女高校から中日ドラゴンズに入団も4年間で1試合しか登板できず、1967年に近鉄バファローズに移籍。 しかしここでも移籍1年目こそ4試合登板したが、その後は一軍で登板することなく、1970年限りで引退した。 プロでは0勝に終わったが、惜しかったのは1967年8月12日の対東映戦で、先発し5点のリードをもらいながら、3点を返されて5回途中で降板、その後牧野伸から川内八洲男とリレーされ、川内が勝利投手となったが、これが川内にとってもプロ初勝利であった。この勝利をきっかけに川内はプロ通算12勝をマークしたが、矢野は未勝利に終わった。
佐藤 玖光(さとう くにみつ、1945年7月11日 - )は… 佐藤 玖光(さとう くにみつ、1945年7月11日 - )は、福岡県福岡市西区出身の元プロ野球選手(投手)。 中学生の時に本格的に野球を始める。九州工業高では2年生からエースとなる。1963年春季九州大会県予選北部決勝に進むが、嘉穂高に延長15回敗退。同年夏は県予選準々決勝で橋本孝志のいた博多工業高に惜敗、甲子園には届かなかった。 高校卒業後は社会人野球の丸井に入社するもチームが1年で解散し、翌年から林建設でプレーした。 1969年秋に入団テストに合格し、ドラフト外で西鉄ライオンズに入団。 1971年には25試合に登板、6月からは3試合に先発としても起用される。スリークォーターが基本だが、スライダー、カーブ、シンカー、シュートを武器に、横手、下手からの変則投法が特徴だった。
杵屋 勝国(きねや かつくに、1945年(昭和20年)3月2… 杵屋 勝国(きねや かつくに、1945年(昭和20年)3月28日 - 2023年(令和5年)2月9日)は、日本の長唄三味線奏者。位階は正五位。人間国宝。2020年(令和2年)、日本芸術院賞・恩賜賞受賞。本名は牟田口 照國(むたぐち てるくに)。福岡県みやま市出身。 実家は料理屋を営んでおり、父は長唄を唄い、母は三味線を弾く家庭に育ち、幼い頃から長唄に親しんだ。6歳の6月6日に隣に住む杵屋寿太郎に入門し、三味線を始める。14歳で七代目家元、杵屋勝三郎から名取を認められ、杵屋勝国を名乗るようになる。その後東京藝術大学邦楽科に進学、1967年(昭和42年)に卒業。1980年(昭和55年)には坂東玉三郎が踊る「鷺娘」、5世中村勘九郎(後の18世中村勘三郎)が踊る「供奴」で、歌舞伎公演での立三味線を初めて務めた。
苑田 聡彦(そのだ としひこ、1945年2月23日 - )は… 苑田 聡彦(そのだ としひこ、1945年2月23日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。 三池工高では原貢の指導を受ける。三池工高には一般入試不合格後、定時制で入学。その際に尽力してくれた原貢監督へのお礼にと、貢の長男原辰徳とよく遊んであげたという。九州一のスラッガーとして名を馳せ「中西二世」とも呼ばれ期待されていた。1962年秋季九州大会準決勝に進むが、小倉工に敗退。翌1963年夏の甲子園県予選は準々決勝で嘉穂東高に敗れる。 1964年にプロ入り。地元の西鉄ライオンズをはじめ9球団が獲得に乗り出したが、苑田が選んだのは一番条件の低かった広島カープだった。広島入団の決め手となったのは担当だった久野久夫スカウトの人柄であり、「久野さんの熱心さにひかれた。
江頭 和彦(えがしら かずひこ、1945年2月23日 - )… 江頭 和彦(えがしら かずひこ、1945年2月23日 - )は、日本の農芸化学者。専門は土壌学。九州大学名誉教授。農学博士(九州大学・1974年)。ベトナム農業への貢献があったとして、2016年にベトナム農業農村開発大臣より友好勲章を受けた。九州大学においては大学院農学研究院長、農学部長などを歴任した。2023年、瑞宝中綬章受章。 福岡県柳川市出身。長崎県立長崎東高等学校を経て、1967年九州大学農学部農芸化学科卒業後、1969年同大学院農学研究科修士課程修了。1971年に同大学農学部農芸化学科土壌学講座助手となり、1975年助教授、1992年教授。2000年同大学院農学研究院教授、2003年大学院農学研究院長。
田中 忠道(たなか ただみち、1945年2月22日 - 20… 田中 忠道(たなか ただみち、1945年2月22日 - 2013年4月3日)は、福岡県出身のフリースタイルのレスリング選手である。階級は57kg級。 福岡県大牟田市出身。大牟田高校から法政大学に進んで、1966年の全日本選手権バンタム級(55kg級)で2位となった。アジア大会では優勝を飾った。卒業後に福岡大学の教員となると、1967年の世界選手権では4位だった。しかし、1968年のメキシコオリンピックには出場できなかった。1969年の世界選手権では57kg級で優勝を飾った。しかし、1972年の全日本選手権では2位となり、ミュンヘンオリンピック出場はならなかった。その後は福岡大学レスリング部部長として、後進の指導に当たった。
末吉 紀雄(すえよし のりお、1945年2月18日 - 20… 末吉 紀雄(すえよし のりお、1945年2月18日 - 2016年3月5日)は、日本の実業家。コカ・コーラウエスト元会長。福岡商工会議所元会頭。 福岡県中間市出身。福岡県立東筑高等学校を経て[要出典]、1967年3月に西南学院大学商学部[要出典]を卒業し、日米コカ・コーラボトリングに入社する。 1991年3月、北九州コカ・コーラボトリング(のちコカ・コーラウエストジャパン、コカ・コーラウエストホールディングスを経てコカ・コーラウエスト)取締役に就任する。以後、常務取締役(1995年3月)、専務取締役(1997年8月)、取締役副社長(1999年3月)を経て[要出典]、2002年3月に代表取締役社長兼CEOとなる。
わたせ せいぞう(本名:渡瀬 政造、1945年2月15日 -… わたせ せいぞう(本名:渡瀬 政造、1945年2月15日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。福岡県北九州市出身。 兵庫県神戸市で生まれ、生後まもなく小倉市(現北九州市)に転出し、高校まで同地で過ごした。 小倉市立堺町小学校(現北九州市立小倉中央小学校)、明治学園中学校、福岡県立小倉高等学校、早稲田大学法学部卒業。 大学卒業後は、同和火災海上保険(現あいおいニッセイ同和損害保険)の総合職として勤務。 入社して3年目に作家の永井路子の講演会を聞きに行き、直接話す機会を得る。この時自作の4コマ漫画を持っていったところ、「渡瀬さん、漫画家になりたいんだ!」と言われ、漫画家になることを意識する。永井から『週刊漫画サンデー』の編集長を紹介され、園山俊二に師事する。
隈部 崇之(くまべ たかゆき、1945年2月13日 - )は… 隈部 崇之(くまべ たかゆき、1945年2月13日 - )は、元RKB毎日放送アナウンサーで、現在も福岡県を拠点に活動するフリーのスポーツアナウンサーである。 福岡県北九州市出身。中央大学卒業後1967年、RKBに入り、プロ野球やマラソンなど、数多くのスポーツ中継にかかわった。2001年頃に早期退職してフリーとなってからも、引き続き地元に拠点を置いて野球中継などに携わる。 息子が2人いるが、ともにラグビーをやっており、全国高校ラグビーの福岡県大会において2人が出た試合の実況を行ったという。そのことで隈部は当時スポーツニッポン西部版の取材を受けた。また隈部本人も、ラグビー経験があった。花園ラグビー場からの中継では、メイン制作局のMBSやTBSのアナウンサーとともに実況していた。
大隅 良典(おおすみ よしのり、1945年(昭和20年)2月… 大隅 良典(おおすみ よしのり、1945年(昭和20年)2月9日 - )は、日本の生物学者(分子細胞生物学)。学位は、理学博士(東京大学・1974年)。東京科学大学科学技術創成研究院特任教授・栄誉教授、自然科学研究機構特別栄誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、基礎生物学研究所名誉教授、東京大学特別栄誉教授。福岡市名誉市民、大磯町名誉町民、京都大学名誉博士、大隅基礎科学創成財団理事長。 自然科学研究機構基礎生物学研究所教授兼総合研究大学院大学生命科学研究科教授、東京工業大学フロンティア研究機構特任教授などを歴任した。「オートファジーの仕組みの解明」により2016年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。
貫 正義(ぬき まさよし、1945年1月27日 - )は、日… 貫 正義(ぬき まさよし、1945年1月27日 - )は、日本の実業家。元九州電力会長。日本電気協会会長。福岡県北九州市出身。 福岡出身。福岡県立八幡中央高等学校を経て、1968年3月、九州大学経済学部を卒業。高木暢哉ゼミ出身。同年4月、九州電力株式会社入社。 九州電力では社長を経験しない初めての会長となった。福岡県文化団体連合会会長、福岡経済同友会代表幹事なども務める。 眞部利應とは同期入社の盟友と言われ、やらせメール事件が発覚した当時は副社長の1人であった。
中川 八洋(なかがわ やつひろ、1945年1月20日 - )… 中川 八洋(なかがわ やつひろ、1945年1月20日 - )は、日本の政治学者、保守主義者。筑波大学名誉教授。外交史・戦史を含む国際政治学、英米系政治哲学および憲法思想、“皇位継承学”など。
森本 俊治(もりもと としはる、1945年1月14日 - )… 森本 俊治(もりもと としはる、1945年1月14日 - )は、福岡県北九州市出身のプロゴルファー。 息子の森本真祐はエースキャディ。 福岡県立小倉商業高等学校出身。 21歳でゴルフを始め、1973年にプロ入りする。 1974年の中部オープンでは初日に69をマークして首位でスタートし、最終日には優勝した橘田規から7打差2位に入った。 1975年のKBCオーガスタでは初日を許勝三(中華民国)・川上実・西田升平・小林富士夫と並んでの11位タイでスタートし、2日目には69をマークして草壁政治・前田新作と並んでの4位タイに浮上。3日目は前田と共に73とスコアを伸ばせず、青木功・石井裕士と並んでの4位タイに留まった。
西原 篤夫(にしはら あつお、1945年1月9日 - )は、… 西原 篤夫(にしはら あつお、1945年1月9日 - )は、日本の大蔵官僚。 国際復興開発銀行理事、東京証券取引所常務理事、東京証券取引所常務、造幣局理事長などを務めた。 妻は吉瀬維哉の長女。福岡県大牟田市出身(父母も福岡県)。血液型はA型。 1963年3月:東京都立日比谷高等学校卒業。1967年3月:東京大学法学部卒業。 1967年4月:大蔵省入省(国有財産局総務課)。1968年6月15日:主税局国際租税課。 1969年4月:主税局付(ハンブルク大学留学)。1971年7月:主税局税制第二課調査係長。 1972年7月:大月税務署長。1973年7月:銀行局金融制度調査官付課長補佐(金融制度調査会資料)。
古屋 哲美(ふるや てつみ、1945年1月7日 - )は、福… 古屋 哲美(ふるや てつみ、1945年1月7日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 博多工業高では1964年、2年生の時にエース橋本孝志の控えとして春の甲子園に出場。準決勝まで進出するが、尾道商の小川邦和に抑えられ完封負け。同年6月の新潟国体では、決勝で尾道商を降し初優勝を飾る。いずれも自らの登板はなかった。高校同期に倉田晃がいる。 卒業後は九州産業大学に進学。九州地区大学野球選手権大会では福岡工大の後塵を拝し、優勝には届かなかった。 1969年にドラフト外で西鉄ライオンズへテスト入団。1年目の1970年には8試合に中継ぎとして登板。5月10日には乗替寿好をリリーフし3回から登板するが、5回に打ち込まれ敗戦投手となる。
重岡 孝文(しげおか たかふみ、1945年1月2日 - )は… 重岡 孝文(しげおか たかふみ、1945年1月2日 - )は福岡県出身の日本の柔道家。階級は軽量級。身長160cm。得意技は小内刈、掬投、飛びつきの腕挫十字固。 小学校5年の時に柔道を始めた。久留米商業高校時代は「小内刈の重岡」との異名をとり、地区大会では重量級の坂口征二にもその小内刈で一本勝ちしたことがあるという。その後、東京教育大学に進学すると、1963年にはプレオリンピックとなる東京国際スポーツ大会の軽量級で優勝した。しかし、翌年の1964年東京オリンピック代表にはなれなかった。卒業後は大分県で高校の教員になると、1967年の世界選手権では決勝で松田博文に優勢勝ちして優勝を果たした。また、軽量級の選手ながら全日本選手権にも出場したことがある。