栗崎 昇(くりさき のぼる、1937年6月3日 - 2020… 栗崎 昇(くりさき のぼる、1937年6月3日 - 2020年8月)は、日本の挿花家。華道家。 福岡県飯塚市出身。京都にて「飾花の会」、東京にて「花教室」を主宰。多くの後輩を輩出、弟子にフラワーアーティストの土屋宗良、ダニエル・オスト、又弟子に柿崎順一などがいる。表千家の茶人でもある。
福岡県:3,612人
栗崎 昇(くりさき のぼる、1937年6月3日 - 2020… 栗崎 昇(くりさき のぼる、1937年6月3日 - 2020年8月)は、日本の挿花家。華道家。 福岡県飯塚市出身。京都にて「飾花の会」、東京にて「花教室」を主宰。多くの後輩を輩出、弟子にフラワーアーティストの土屋宗良、ダニエル・オスト、又弟子に柿崎順一などがいる。表千家の茶人でもある。
牟田 泰三(むた たいぞう、1937年6月1日 - )は、日… 牟田 泰三(むた たいぞう、1937年6月1日 - )は、日本の物理学者である。理学博士。研究分野は、理論物理学素粒子論。 福岡県久留米市出身。福岡県立明善高等学校、九州大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院数物系研究科物理学専攻修了(理学博士)。京都大学理学部助手、同大学基礎物理学研究所助教授を経て、1982年から2001年まで広島大学理学部教授。2001年より2007年5月21日まで、広島大学学長。 2007年10月より2009年6月まで、福山大学学長。2011年から2015年まで、マツダ株式会社社外取締役。 広島大学学長在任中、同大相撲部をモデルとした映画「ちゃんこ」に学長役として特別出演した。
池田 英俊(いけだ ひでとし、1937年〈昭和12年〉5月1… 池田 英俊(いけだ ひでとし、1937年〈昭和12年〉5月13日 - 2023年〈令和5年〉1月16日)は、福岡県福岡市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 進学校・福岡高校では当初遊撃手であったが、1年次の1953年秋から投手に転向。2年次の1954年には夏の甲子園県予選で準決勝に進み、小倉高の畑隆幸と投げ合うが0-1で惜敗。その後も県予選で敗れ、甲子園出場はならなかった。 高校卒業後は西鉄の誘いを断り、1956年に兄が講師をしていた明治大学へ進学。1年次の同年秋季リーグから投手陣の主軸となり、東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、2年次の1957年秋季に7勝を記録。長嶋茂雄らのいた立大には及ばぬも2位躍進に貢献したが、冬休みのランニング中に肉離れを起こす。
加治 久典(かじ ひさのり、1937年4月18日 - 201… 加治 久典(かじ ひさのり、1937年4月18日 - 2014年4月6日)は、日本の実業家。ハローデイ創業者。同社元会長。福岡県出身。 1937年、福岡県苅田町の生まれ。福岡県立京都高等学校卒業。1958年、21歳の時、父親から15坪の食料品店である有限会社かじやを引き継ぎ、後のハローデイの礎を築く。2014年4月6日、癌性リンパ管症にて、76歳死去。 株式会社かじやが経営不振に陥るが、長男の加治敬通の入社により、危機を乗り越え、株式会社ハローデイ設立。同社社長に就任。2008年、同社会長。
光延 博愛(みつのぶ ひろよし、1937年4月1日 - 没年… 光延 博愛(みつのぶ ひろよし、1937年4月1日 - 没年不明)は、日本のアニメーション演出家、アニメーション監督、アニメーターである。土田プロダクションに所属していた。福岡県大牟田市出身。 妻はスタジオ雲雀会長である光延幸子、息子はスタジオ雲雀社長の光延青児。 子供の頃から好きな漫画のイラストを模写することが好きで、中学入学後に漫画雑誌への投稿を始める。本人は一度、雑誌『漫画少年』に自分の作品が載ったことがあると話している。 多摩美術大学を卒業後、1959年(昭和34年)に東映動画に入社。当時は特にCMに興味を持っていなかったが、「これからは宣伝の時代。宣伝界にしがみついていれば何とか食っていけそう」と自分なりに考えて望んで、退社してフリーになる1966年(昭和41年)までCM課に配属されて勤務。
渕上 貞雄(ふちがみ さだお、1937年3月19日 - 20… 渕上 貞雄(ふちがみ さだお、1937年3月19日 - 2023年10月13日)は、日本の政治家、労働運動家。位階は正四位。 西鉄労組書記長から私鉄九州地連委員長を務めた後、参議院議員(4期)、社会民主党幹事長(第3代)、社会民主党副党首、社会民主党選挙対策委員長などを歴任。
千々和 久幸(ちぢわ ひさゆき、1937年3月14日 - )… 千々和 久幸(ちぢわ ひさゆき、1937年3月14日 - )は、日本の歌人、詩人。 福岡県北九州市生まれ。福岡県立東筑高等学校、明治大学法学部英法科卒業。大学時代は、思想・評論を中心とした雑誌「駿台論潮」編集部に籍を置く。 1956年、作歌を始め、歌誌「香蘭」に入会、村野次郎に師事。1961年、詩誌「沙漠」に入会。1964年、山本哲也と詩誌「砦」を創刊。1965年、第一詩集『恋唄』を刊行。1975年、佃学と詩誌「アポクチファ」を創刊(1978年、「邯鄲」に改組)。1981年、第一歌集『壜と思慕』を刊行。1988年、「現代短歌を評論する会」に参加。 2001年、「香蘭」代表に就任。2010年、横浜歌人会代表委員に就任(2013年退任)。
山上 敏子(やまがみ としこ、1937年3月2日 - )は、… 山上 敏子(やまがみ としこ、1937年3月2日 - )は、日本の医学者、精神科医。専門は行動療法。福岡県生まれ。
岡本 登(おかもと のぼる、1937年2月19日 - )は、… 岡本 登(おかもと のぼる、1937年2月19日 - )は、日本のハンマー投選手。1950年代末から1960年代にかけて活躍、日本人選手として初めて60m台の記録を樹て、1960年ローマオリンピックと1964年東京オリンピックに出場した。 福岡県京都郡苅田町出身。福岡県立京都高等学校を卒業後、福岡大学に進む。 1958年(昭和33年)5月18日、九州学生陸上競技大会において、日本新記録(58m85)で優勝。9月4日には、日米交歓陸上競技横浜大会で60.0mを記録、これは日本人初の60m台であり、自己の持つ日本新記録を塗り替えた。1959年(昭和34年)、福岡大学を卒業し旭化成に入社。 1960年ローマオリンピックと1964年東京オリンピックに出場した。
柴 桂子(しば けいこ、1937年2月18日 - )は、日本… 柴 桂子(しば けいこ、1937年2月18日 - )は、日本の歴史学者。桂文庫主宰。専門は日本近世史・女性史。 福岡県北九州市生まれ。高校卒業後9年間のブランクを経て早稲田大学文学部入学、在学中に結婚。卒業論文『江戸時代の女たち 封建社会に生きた女性の精神生活』が単行本となる。 80歳を機に静岡県掛川市に転居、引き続き勉強会などを主宰している。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小林 千登勢(こばやし ちとせ、本名:山本 千登勢(やまもと… 小林 千登勢(こばやし ちとせ、本名:山本 千登勢(やまもと ちとせ)、1937年2月13日 - 2003年11月26日)は、日本の女優、タレント。夫は山本耕一。愛称は「おっかさん」。 朝鮮京畿道京城府(現:大韓民国ソウル特別市)生まれ。戦後に福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)に引き揚げ、のちに東京へ移る。 共立女子高等学校卒業後、文学座の研究生となり、1958年にNHKと専属契約を結ぶ。清純さの中にどこか哀愁を漂わせ、「鈴を張ったような」と形容された大きな目の美貌で人気を集め[要出典]、馬渕晴子と冨士眞奈美と合わせて「NHK三人娘」と呼ばれ、テレビ草創期のスターとなった。 1965年、俳優の山本耕一と結婚。
西尾 裕(にしお ゆたか、1937年2月1日 - 2009年… 西尾 裕(にしお ゆたか、1937年2月1日 - 2009年6月11日)は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。元八幡大学硬式野球部監督。 1955年に小倉南高から南海ホークスに入団。 宅和本司、皆川睦雄と肩を並べる実力のある新人投手として期待されたが、入団早々肩を壊してしまい、一軍での成績は0勝1敗に終わり、芽が出ないまま1957年に退団。 その後は、北九州市の企業に就職し社会人野球を経験。 1960年に八幡大学に入学し硬式野球部に入部。1961年の九州六大学野球春季リーグ初優勝に貢献。3学年時から選手兼監督を務める。 1964年に八幡大学を卒業。その後も同大の野球部監督を継続、後就職課長、学部事務長を務めた。
生原 昭宏(いくはら あきひろ、1937年1月20日 - 1… 生原 昭宏(いくはら あきひろ、1937年1月20日 - 1992年10月26日)は、日本の野球関係者。メジャーリーグ球団職員。 日米間の野球交流発展に尽力し、親身になって野球留学生を世話するなどして、山本昌などを初め、多くの野球人に慕われた。 福岡県田川郡香春町出身。アイク生原の愛称・通称で知られる。 福岡県立田川高校から早稲田大学へ進学し、野球部選手として活躍。1959年にはリッカーミシンに入社して社会人野球で活躍した。1961年には亜細亜大学硬式野球部監督(当時は東都大学リーグ3部)に就任し、1964年秋には同部を1部に昇格させるなど、アマチュア野球指導者として活動していた。 自身の指導法に疑問を抱き、野球を探求するため、1965年3月に当時読売ジャイアンツの顧問を務めていた鈴木惣太郎の紹介でアメリカ合衆国へ渡り、ウォルター・オマリー会長の指示を受けてロサンゼルス・ドジャース傘下のマイナーチームであるスポケーン・インディアンスで用具係になった。
上条 英男(かみじょう ひでお、本名:井上 英男 - いのう… 上条 英男(かみじょう ひでお、本名:井上 英男 - いのうえ ひでお、1937年1月10日 - 2025年7月13日)は、日本の実業家・芸能プロデューサー。 福岡県北九州市に出生。福岡県立八幡中央高等学校を卒業後関西大学文学部に進学するが、次第に音楽活動に傾倒し中退した。4・9・1(フォー・ナイン・エース)を結成して東北、北海道を巡業し、1966年には芸能プロデューサーに転向した。 芸能プロデューサーとしては4・9・1のボーカリストとしてジョー山中をスカウトしたのを皮切りに小山ルミ、吉沢京子、西城秀樹、安西マリア、田口久美、舘ひろし、川島なお美などを次々と発掘した。1960年代後半から1980年代初頭にかけて芸能界に重きをなした。
山内 豊徳(やまのうち とよのり、1937年1月9日 ‐ 1… 山内 豊徳(やまのうち とよのり、1937年1月9日 ‐ 1990年12月5日)は日本の官僚、元環境庁企画調整局長。
白川 正芳(しらかわ まさよし、1937年1月2日 - 20… 白川 正芳(しらかわ まさよし、1937年1月2日 - 2023年7月18日)は、日本の文芸評論家。 福岡県大川市生まれ。慶應義塾大学中退。慶應義塾大学・特選塾員。國學院大學非常勤講師、東京経済大学非常勤講師。埴谷雄高を中心に文芸評論を書き、第22回日本文芸大賞受賞。また文壇屈指の碁打ちとしても知られる。34期、36期、38期、39期文壇本因坊。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
高倉 やえ(たかくら やえ、1937年 - )は、日本の小説… 高倉 やえ(たかくら やえ、1937年 - )は、日本の小説家。 福岡県立小倉高等学校を経て、東京女子大学英米文学科卒業。1983年に通訳者・翻訳者養成学校ISS(現・ISSインスティチュート)を卒業後、会議通訳者として活躍しており、これまでに、アジア人口会議、北京女性会議、日・米・欧教科書会議、北方生物会議など多くの会議を担当。2004年より朝日カルチャーセンターの小説教室で根本昌男(元『海燕』編集長)の指導を受ける。2015年2月、投稿作「ものかげの雨」で第1回林芙美子文学賞佳作を受賞。
小川 規三郎(おがわ きさぶろう、1936年11月30日 -… 小川 規三郎(おがわ きさぶろう、1936年11月30日 - )は博多織職人。重要無形文化財「献上博多織」の保持者に認定されている(いわゆる人間国宝)。 1936年、福岡県福岡市博多区に生まれ、1951年より父であり後の人間国宝・小川善三郎に師事する。2003年重要無形文化財献上博多織技術保持者に認定。 博多織の機械化、分業化が進む中で、今なお製作過程の全てに関わり、手織りで仕上げる。
平井 雅英(ひらい まさひで、1936年11月27日 - 2… 平井 雅英(ひらい まさひで、1936年11月27日 - 2005年1月14日)は、日本の技術者、実業家。元ユニチカ代表取締役社長。高分子学会賞受賞。 福岡県福岡市出身。1961年九州大学工学部卒業、大日本紡績(のちのユニチカ)入社。新規キレート樹脂の開発とその利用技術に関する研究で昭和52年度高分子学会賞受賞。 1983年中央研究所第6研究室長。1986年スパンボンド生産開発部長。1991年取締役スパンボンド事業本部副本部長。1994年取締役中央研究所長。1996年常務取締役スパンボンド事業本部長。1999年常務取締役繊維事業本部長兼ユニチカファイバー代表取締役社長。 2000年から代表取締役社長を務め、建設部門からの撤退を行うなどした。
松本 惟子(まつもと ゆいこ、1936年10月1日 - )は… 松本 惟子(まつもと ゆいこ、1936年10月1日 - )は、日本の政治家、元民主党衆議院議員(1期)。戸籍名は村上 惟子。 福岡県行橋市出身。1955年京都高等学校卒。同年安川電機に入社。同社労組の中央執行委員を務めた。1979年から電機労連の青年・婦人対策専門部長に就任。1987年に発足した連合の副事務局長に就任し、同時に婦人部門を担当した。翌1988年に女性局長を兼務。1996年10月に行われた第41回総選挙において民主党の比例九州ブロック単独候補として立候補、当選した。2000年の第42回総選挙では、福岡県第5区から民主党候補として立候補したが、落選した。
常の松 寛(つねのまつ ひろし、1936年9月13日 - 没… 常の松 寛(つねのまつ ひろし、1936年9月13日 - 没年不明 )は、出羽海部屋に所属した元力士。本名は吉岡 寛(よしおか ひろし)(旧姓南口)。現在の福岡県嘉麻市(旧山田市)出身。178cm、102kg。最高位は西十両13枚目。得意技は左四つ、寄り。 1952年5月場所に初土俵、1960年7月場所に十両昇進。新十両の場所は8勝7敗と勝ち越したが、その後2場所連続で負け越し、わずか3場所で幕下陥落。1963年1月場所に26歳で廃業。
吉川 貴久(よしかわ よしひさ、1936年9月4日 - 20… 吉川 貴久(よしかわ よしひさ、1936年9月4日 - 2019年10月12日)は、日本の射撃競技(ピストル種目)選手。福岡県警察所属の警察官。1960年ローマオリンピック・1964年東京オリンピックの男子フリーピストル銅メダリスト。日本にオリンピック射撃競技初のメダルをもたらし、2大会連続のメダリストとなった。 オリンピックのほかアジア競技大会やISSF世界射撃選手権・アジア射撃選手権などの国際大会でも活躍、1966年アジア競技大会および1967年アジア射撃選手権大会で金メダルを獲得している。 福岡県出身。福岡県立戸畑中央高等学校卒業。 1960年ローマオリンピックに23歳で出場。男子フリーピストル種目(以下、吉川の国際大会出場はすべて同種目)マフムド・ウマロフ(英語版)と同点(552点)で並び、シュートオフの末に銅メダル。
古賀 新一(こが しんいち、本名:古賀 申策(こが しんさく… 古賀 新一(こが しんいち、本名:古賀 申策(こが しんさく)、1936年8月18日 - 2018年3月1日)は、日本の漫画家。福岡県大牟田市出身。本名や古賀 しんさく名義による作品もある。 主にホラー漫画を執筆する。代表作は「エコエコアザラク」。 大牟田市立平原小学校3年生の時、手塚治虫『ロストワールド』に憧れて漫画家志望となる。福岡市の中学を卒業後、菓子製造会社などで働きながら独学で漫画を習得。21歳で上京し、ひばり書房の貸本向け単行本「黒猫」(短編集)掲載の「影なき犯人」でデビュー。1964年、『週刊マーガレット』で「白ヘビ館」を連載。当時、少女向けホラー漫画家として楳図かずおと双璧を成す存在だった。
尾形 智矩(おがた ちえのり、1936年8月11日 - 20… 尾形 智矩(おがた ちえのり、1936年8月11日 - 2008年2月20日)は日本の政治家。衆議院議員(1期、自由民主党)。苅田町長(3期)。 福岡県京都郡苅田町出身。中央大学法学部卒業。 1972年、第33回衆議院議員総選挙に保守系無所属で福岡4区(定数4)から立候補し落選(9人中8位)。1976年、第34回衆議院議員総選挙に無所属で福岡4区から立候補し落選(7人中7位)。 1977年苅田町長選挙に無所属で立候補し初当選。1981年、1985年と再選する。町長時代は、戦前から北九州工業地帯の一角を占めていた苅田町の工業地域化、インフラ整備、都市化を更に進め、積極的な企業誘致を行い、北九州空港を開港した。
稲川 誠(いながわ まこと、1936年7月25日 - )は、… 稲川 誠(いながわ まこと、1936年7月25日 - )は、福岡県福岡市出身(満洲国新京生まれ)の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 父親が古河電工北京支店長で、満洲国新京で生まれ、小学3年までは中国北京で育った。少年時代は裕福であったが、9歳で終戦を迎え一変。中国軍に追い立てられて天津の収容所へ送られたが、そこで病に侵され生死をさまよった。父の背中から見た無数に横たわる病人の光景が強烈な記憶として残るが、その後は引揚船で佐世保に到着。初めて祖国の土を踏むが、引き揚げ後には母に「あなたを(中国に)置いていこうと思った」と告白されている。帰国後は父がサラリーマンであったため各地を回り、西南学院中学部時代には好投手として福岡県内で有名になった。
戸田 奈津子(とだ なつこ、1936年7月3日 - )は、日… 戸田 奈津子(とだ なつこ、1936年7月3日 - )は、日本の映画字幕翻訳家、通訳者、映画翻訳家協会元会長。神田外語大学客員教授・神田外語学院アカデミックアドバイザー。 福岡県戸畑市(現:北九州市戸畑区)に生まれる。戸田が1歳のときに銀行員であった父が日中戦争下の上海で戦死し、母の実家のある東京・世田谷に転居した。このため、出身地は東京都としている。第二次世界大戦中で娯楽の無かった子供時代を過ごしたため、終戦の翌年から解禁された外国映画を見て衝撃を受ける。中学生の後半からは一人で映画を見にいくようになり、高校生の頃から名画座などに通い詰める。 母が東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)卒業後、高校教諭をしていた関係でお茶の水女子大学附属幼稚園に入園。
横川 新(よこかわ あらた、1936年6月25日 - 200… 横川 新(よこかわ あらた、1936年6月25日 - 2009年1月4日)は、日本の法学者。専門は国際法。第12代成城大学学長。学位は法学博士。成城大学名誉教授。法務省難民審査参与員等も務めた。 福岡県久留米市生まれ。東京都立西高等学校を経て、1962年一橋大学法学部を卒業。1965年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、1968年同博士課程単位習得退学。指導教官は大平善梧。1985年、『国際投資法序説』により、一橋大学法学博士の学位を取得。審査員は皆川洸、細谷千博、秌場準一。 1968年成城大学法学部助手。同助教授、ロンドン大学留学を経て、1977年、成城大学法学部教授に昇格。法学部長を経て、1999年から南博方の後任として第12代成城大学学長を務めた。
内山田 洋(うちやまだ ひろし、本名:内山田 道生(みちお)… 内山田 洋(うちやまだ ひろし、本名:内山田 道生(みちお)、1936年(昭和11年)6月6日 - 2006年(平成18年)11月3日)は、日本の歌手・作曲家。血液型AB型。 福岡県柳川市出身。 父親は戦争中に松永伍一と同じ軍需工場に勤務していた。高校時代は水泳選手として活躍。水泳は後々まで趣味としており、営業には欠かさず水着を持参していた。また隠れマッチョ芸能人として知る人ぞ知る存在であり、晩年まで腕立て伏せ150回を日課としていた。 1957年ころから福岡県内のベースキャンプで音楽活動を開始。クラブやキャバレーでの営業を経て、1967年に小林正樹・岩城茂美・森本繁・宮本悦朗らと「内山田洋とクール・ファイブ」を結成、長崎市のキャバレー「銀馬車」の専属となる。
志村 正道(しむら まさみち、1936年(昭和11年)4月5… 志村 正道(しむら まさみち、1936年(昭和11年)4月5日-2017年(平成29年)7月23日)は、日本の情報工学者。位階は従四位。 情報工学、特に人工知能や機械学習の分野における研究の発展に貢献を果たした。 東京都世田谷区出身。東京工業大学名誉教授、東京都市大学名誉教授。人工知能学会第四代会長、全国理工系情報学科協議会会長、大学評価・学位授与機構審査会専門委員、文部省教科用図書検定調査審議会調査員、文部省私立大学研究設備費等補助金選定委員、日本学術会議情報工学研究連絡委員会委員、新エネルギー産業技術総合開発機構全国地熱資源総合調査委員等の要職を歴任。また情報通信分野において顕著な功績のあった者を顕彰する大川出版賞の審査委員を長年務めた(1992年 - 2017年)。
正野 寛治(しょうの かんじ、1936年3月1日 - 202… 正野 寛治(しょうの かんじ、1936年3月1日 - 2023年9月29日)は日本の実業家。三菱化学代表取締役社長や、同社代表取締役会長、化学工学会会長、石油化学工業協会会長などを務めた。 福岡県出身。福岡県立小倉高等学校を経て、1959年東京工業大学理工学部化学工学科卒業、三菱化成工業(のちの三菱化学、現三菱ケミカル)入社。1979年黒崎工場製造四部長。1989年取締役水島工場長。1992年常務生産技術本部長。1994年三菱化学常務機能化学品カンパニープレジデント。1997年専務医薬カンパニープレジデント。1999年から代表取締役社長を務め、ROA経営による収益改善を進めた。三菱化学生命科学研究所代表取締役、化学工学会会長、石油化学工業協会会長、日本プラスチック工業連盟会長、ダイヤ高齢社会研究財団理事長なども務めた。
國武 豊喜(くにたけ とよき、1936年(昭和11年)2月2… 國武 豊喜(くにたけ とよき、1936年(昭和11年)2月26日 - )は、日本の化学者・教育者・会社役員。理研ベンチャーである株式会社ナノメンブレン取締役および北九州産業学術推進機構の理事長。北九州市立大学元副学長。 福岡県久留米市に生まれ、久留米大学附設高等学校卒業後、九州大学工学部応用化学科に入学。大学4年時に秋吉三郎教授、麻生忠二助教授の高分子化学講座へと配属される。修士課程修了後、秋吉教授の「アメリカの大学院を範とする基礎研究重視の大学院教育システムの確立」のため、ペンシルベニア大学の博士課程へと進学する (Ph.D. Adviser, Charles. C. Price)。約2年半で博士学位を取得し、カリフォルニア工科大学のCarl G. Niemann Groupで博士研究員として研究を行う。
桑原 和男(くわばら かずお、1936年〈昭和11年〉2月2… 桑原 和男(くわばら かずお、1936年〈昭和11年〉2月23日 - 2023年〈令和5年〉8月10日)は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優。福岡県小倉市(現:北九州市)出身。本名:九原 一三(くはら かずみ)。吉本新喜劇の座員として吉本興業に所属し、一時は座長も務めた。座長退任後は専科や若手育成も兼ねた座長格の主演、重鎮クラスなどの形で出演し、生き字引のような存在で吉本新喜劇を支え続けた。 1955年に地元の常磐高等学校を卒業。教師を志望していたため福岡の教育大学を受験し、その後夢路いとし・喜味こいしに師事する。初舞台は1956年で、「原あち郎・こち郎」の芸名で漫才の舞台に立った。漫才脚本家秋田實が立ち上げた劇団「宝塚新芸座」に所属した後、漫才活動を経て、1961年、吉本新喜劇の前身「吉本ヴァラエティ」に入団する。
宮川 孝雄(みやがわ たかお、1936年1月31日 - 20… 宮川 孝雄(みやがわ たかお、1936年1月31日 - 2016年1月8日)は、福岡県出身のプロ野球選手(外野手)。晩年の姓は「村上」。 通算代打安打数の日本記録(186本)保持者で、引退後は30年以上に渡り、広島のスカウトを務めた。 豊国学園高校から門司鉄道管理局に進む。 1957年から右翼手、三番打者として2年連続で都市対抗に出場。 1959年オフに広島カープへ入団。広島入団に際しては、ノンプロでライバルであった八幡製鐵の加藤喜作監督が、「あいつがいたのでは、うちは都市対抗に出れん」と、広島に話を持ちかけた、といういきさつがある。 卓越した打撃技術を買われ、背番号は新人ながら「2」に決まったが、入団当時の広島には宮川と同じ左打ちの外野手が多かった。
明石 博義(あかし ひろよし、1936年1月7日 - 202… 明石 博義(あかし ひろよし、1936年1月7日 - 2022年9月25日)は、日本の実業家。元西日本鉄道社長・会長。 福岡県北九州市出身。福岡県立小倉高等学校を経て、1953年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、西日本鉄道に入社。1987年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1997年から2003年まで社長を務めた。2003年から2008年まで会長を務めた。 その他、福岡交通センター会長、RKB毎日放送取締役なども歴任。 2015年に旭日重光章を受章。 2022年9月25日、大腸がんで死去。86歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
山本 哲也(やまもと てつや、1936年 – 2008年)は… 山本 哲也(やまもと てつや、1936年 – 2008年)は、日本の詩人。 福岡市生まれ。元第一経済大学(現 日本経済大学)教授。國學院大學文学部卒業後、福岡県立修猷館高等学校、福岡県立福岡高等学校の教諭を経て、第一経済大学の教員になる。 1963年(昭和38年)第3回現代詩手帖賞受賞[要出典](選者は野間宏、清岡卓行、吉野弘、長谷川龍生)。同年、吉野弘、大滝安吉、菅谷規矩雄らの復刊詩誌「谺」に参加。翌年、千々和久幸らと詩誌「砦」創刊。西日本新聞の詩時評を1987年から9年間にわたって連載した。1990年、文学批評誌「敍説」創刊に編集同人として参加。1995年4月、テレビ西日本の『モーニングミント』水曜コメンテーター(1996年3月まで)。
田中 真澄(たなか ますみ、1936年 - )は、日本の社会… 田中 真澄(たなか ますみ、1936年 - )は、日本の社会教育家。 福岡県大牟田市出身。1959年、東京教育大学を卒業し、日本経済新聞社に入社する。販売の第一線を経験し、日米合弁会社「日経マグロウヒル社」に出向。「日経ビジネス」の創刊業務に従事。書店を経由せず、すべて直販。しかも「読者を選ぶ」という、それまで日本にはない販売方法を確立し、同誌を我が国の代表的雑誌に導く。1979年、同社を退社。ヒューマンスキル研究所を設立した。 日本初のモチベーショナル・スピーカーとして、全国の企業、商工会、学校で講演を行っており、その数は7,500回を超えている。全国に熱狂的な「田中ファン」がいて、リピート講演が絶えない。
左方 郁子(さかた ふみこ、1936年 - )は、日本の歴史… 左方 郁子(さかた ふみこ、1936年 - )は、日本の歴史作家。 福岡県北九州市生まれ。奈良女子大学文学部史学科卒業後、立命館大学大学院文学研究科修了。立命館大学元教授で歴史家の奈良本辰也に師事した[要出典]。
原 徹(はら とおる、1935年12月26日 - 2021年… 原 徹(はら とおる、1935年12月26日 - 2021年12月14日)は、日本の映画プロデューサー、実業家。 トップクラフト代表取締役社長、株式会社スタジオジブリ常務取締役、株式会社スタジオジブリ代表取締役社長などを歴任した。 福岡県北九州市出身。福岡県立八幡高等学校を経て、早稲田大学入学。在学中に、しとうきねお、園山俊二、東海林さだお、福地泡介らとともに早稲田大学漫画研究会を創設。「漫画サンデー」に4コマ漫画を描く。漫画家の道は断念し、1959年に大学を卒業すると同時に東映動画に入社。 企画制作の仕事をし、1965年のテレビアニメ『宇宙パトロールホッパ』を始めとして、『ひみつのアッコちゃん』『魔法のマコちゃん』『さるとびエッちゃん』等少女向けテレビアニメの製作を担当。
中野 三敏(なかの みつとし、1935年《昭和10年》11月… 中野 三敏(なかの みつとし、1935年《昭和10年》11月24日 - 2019年《令和元年》11月27日)は、日本の教育者・文学者(日本近世文学)。位階は従三位。学位は、文学博士(早稲田大学・1982年)。九州大学名誉教授。文化功労者。文化勲章受章。 正則高等学校教諭、愛知淑徳短期大学国文学科助教授、九州大学文学部教授、九州大学文学部長、福岡大学人文学部教授などを歴任。 福岡県生まれ佐賀県武雄市育ちの日本文学研究者である。江戸から明治期の近世文学を中心に研究する。九州大学文学部学部長などを務め、のちに名誉教授となった。 福岡県に生まれ佐賀県武雄市で育つ。父 中野敏雄は戦前、高額納税者で貴族院議員、戦時中は、海軍参与官で、戦後GHQにより公職追放にあったが、後1954年に合併によって誕生した佐賀県武雄市の初代市長に就任。
有町 昌昭(ありまち まさあき、1935年11月13日 - … 有町 昌昭(ありまち まさあき、1935年11月13日 - )は、福岡県京都郡行橋町(現:行橋市)出身の元プロ野球選手。
本村 和喜(もとむら かずき、1935年11月12日 - 1… 本村 和喜(もとむら かずき、1935年11月12日 - 1991年8月17日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。位階は正五位。勲等は勲三等。派閥は三塚派に所属した。 福岡県北九州市八幡東区生まれ。福岡県立八幡高等学校を経て、立命館大学法学部卒業。大学在学中は、ボクシング部と弁論部に所属し、大学代表として弁論大会に出場することもあった。 1964年、自民党衆議院議員小峰柳多の秘書。のちに参議院議員鬼丸勝之の秘書を経験。 1971年、福岡県議会議員選挙初当選。以後2期務める。 1980年の第12回参議院議員通常選挙と1983年の第13回参議院議員通常選挙に福岡県選挙区から自由民主党公認で立候補するも次点落選。
滝内 弥瑞生(たきうち やすお、1935年10月30日 - … 滝内 弥瑞生(たきうち やすお、1935年10月30日 - 2018年9月23日)は、福岡県出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。 戸畑高校ではエース・中島孝司(南海)を擁し、3年次の1953年に夏の甲子園県予選で決勝に進出するが、後にプロで同僚となる東筑高の仰木彬投手に抑えられ惜敗。卒業後の1954年に西鉄ライオンズへ入団。3年目の1956年に一軍に定着し、内野のユーティリティプレイヤーとして39試合に先発出場。また代走・守備要員としても起用され、同年からの3年連続リーグ優勝・日本一に貢献。1年先輩の正遊撃手であった豊田泰光が少し打撃不調になると、滝内はベンチの横に来て「あんたが打てんかったら何の取り柄もなか。
井上 忠行(いのうえ ただゆき、1935年10月25日 - … 井上 忠行(いのうえ ただゆき、1935年10月25日 - 2007年12月15日)は、福岡県出身のプロ野球選手、プロ野球審判員。セ・リーグ袖番号は2(1988年初採用から2001年退職まで、専任指導員に転じた1997年以降もつけていた。2004年以降は敷田直人がつけている。)。 八女工業高校卒業後、門司鉄道管理局に進み、1956年の都市対抗に出場。1957年に西鉄ライオンズに内野手として入団。1959年には一軍に定着、主に一塁手として起用される。1962年には、選手兼監督に就任した中西太の故障が悪化したこともあり、一塁手、三塁手として56試合に先発出場を果たす。しかし翌年にはジョージ・ウィルソン、ジム・バーマらが入団して出場機会が減り、1964年限りで現役引退。
種子島 経(たねがしま おさむ、1935年〈昭和10年〉10… 種子島 経(たねがしま おさむ、1935年〈昭和10年〉10月17日 - )は、日本の実業家。元BMW東京社長。「日本教育再生機構」代表委員。教科書改善の会賛同者。元新しい歴史教科書をつくる会会長。 実業界から退いた後、東大の同級生で当時、新しい歴史教科書をつくる会の会長だった西尾幹二から「財務を見てくれ」と頼まれ、1999年(平成11年)3月に理事に就任、一時は副会長を務めた。日露戦争について研究し、著書『くたばれ!リストラ―日露戦争に学ぶ経営・人生』を出版したり、学会に呼ばれるなどした。 明石への隠居を決めていた2006年(平成18年)2月、つくる会の内紛で八木秀次が会長を解任されたあおりで、会長に担ぎ出された。
松尾 博人(まつお ひろと、1935年10月6日 - 201… 松尾 博人(まつお ひろと、1935年10月6日 - 2019年4月19日)は、日本の経営者。クラレ社長を務めた。福岡県八女市出身。 1958年に早稲田大学商学部を卒業し、同年にクラレに入社した。 1988年6月に取締役に就任し、1991年6月には常務に就任し、1993年6月に社長に就任した。 2000年6月には会長に就任した。 2009年4月に旭日中綬章を受章した。 2019年4月19日呼吸不全のために死去。83歳没。
櫻井 哲雄(さくらい てつお、1935年(昭和10年)8月7… 櫻井 哲雄(さくらい てつお、1935年(昭和10年)8月7日 - 2021年(令和3年)12月3日)は、日本の政治家。宮崎県延岡市長(3期)。 福岡県北九州市生まれ、宮崎県川南町育ち。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
権藤 満(こんどう みのる、1935年7月7日 - )は、日… 権藤 満(こんどう みのる、1935年7月7日 - )は、日本の経営者。九州朝日放送の社長、会長を務めた。 福岡県久留米市出身。1965年に東京大学経済学部を卒業し、同年に朝日新聞社に入社。取締役、事業開発本部長、常務、専務を歴任した。 2003年から2010年まで九州朝日放送の社長を務め、2010年から2011年までに会長を務めた。2004年から2006年までは日本民間放送連盟副会長も務めた。 2018年から地元の久留米市で監査委員を務めている。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
重渕 雅敏(しげふち まさとし、1935年7月4日 - 20… 重渕 雅敏(しげふち まさとし、1935年7月4日 - 2017年5月3日)は、日本の技術者、実業家。東陶機器(現TOTO)代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本セラミックス協会会長、北九州商工会議所会頭などを務めた。正四位旭日重光章。 福岡県田川郡添田町生まれ。福岡県立田川高等学校を経て、1958年九州大学工学部卒業、東洋陶器(現TOTO)入社。1983年取締役。1987年常務取締役。1992年専務取締役。1994年代表取締役副社長。 1998年から東陶機器代表取締役社長を務め、人員削減などの経営改革にあたり、また、大建工業やYKK APと業務提携しリフォーム事業の確立を行った。2003年代表取締役会長。
崎山 克彦(さきやま かずひこ、1935年6月1日 - )は… 崎山 克彦(さきやま かずひこ、1935年6月1日 - )は、NGO「南の島から」代表。 福岡県出身。東京都立新宿高等学校(1954年卒)を経て慶應義塾大学法学部卒。 1959年に講談社へ入社し、1964年にカリフォルニア大学大学院においてジャーナリズムを専攻した後に講談社インターナショナル・アメリカ社にて勤務した。 1991年、フィリピン・セブ島沖にあるカオハガン島を1千万円で購入した。以来、島の教育・医療・産業などを整備し、小規模ながら島内にロッジや公共トイレなどの宿泊施設を設けることでグリーンツーリズムの精神に基づく観光を島民の収入源にするなど、積極的に行動を起こしている。 1995年、著書による紹介により増加した日本人観光客らが、島民の子供たちの教育環境の向上などの目的で、NGO「南の島から(from a southern island)」を設立、自身も代表を務める。
岩崎 吉一(いわさき よしかず、1935年5月13日 - 1… 岩崎 吉一(いわさき よしかず、1935年5月13日 - 1994年6月13日)は、日本の美術評論家。 福岡県北九州市八幡西区香月生まれ。1963年学習院大学大学院美学美術史博士課程修了。1961年より東京国立近代美術館勤務、企画資料課長、次長。1994年6月13日、在職中に肺癌のため死去。