金子 堅太郎(かねこ けんたろう、嘉永6年2月4日〈1853… 金子 堅太郎(かねこ けんたろう、嘉永6年2月4日〈1853年3月13日〉- 1942年〈昭和17年〉5月16日)は、日本の官僚、政治家。大日本帝国憲法起草者の一人。栄典は従一位大勲位伯爵。 大日本帝国憲法、皇室典範を筆頭に近代日本の諸法典を整備した。明治の元勲として、司法大臣、農商務大臣、枢密顧問官、日本大博覧会会長、日本速記会会長、語学協会総裁、東京大博覧会会長などを歴任。後の維新史編纂会の発足に関わり、臨時帝室編修局総裁、『明治天皇紀』編纂局総裁、維新史料編纂会総裁を経て、帝室編纂局総裁。『明治天皇紀』完成の功により伯爵を叙爵。教育者としては帝国大学法科大学や慶應義塾で法学を講じ、日本法律学校(現:日本大学)初代校長、二松學舍舎長などを務めた。
石田 平吉(いしだ へいきち、1853年1月24日(嘉永5年… 石田 平吉(いしだ へいきち、1853年1月24日(嘉永5年12月15日)- 1929年(昭和4年)11月18日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・元満。 筑前国福岡城下(現福岡市)で、福岡藩陪臣・元満元二の長男として生まれる。漢学を修めた。 維新後に商売を営むが成功せず、1874年(明治7年)博多に移転し回漕業を営む。郵便汽船三菱会社の岩崎弥太郎と面談して同社保有船の博多寄港の約束を取り付けた。1877年(明治10年)10月、先代石田平吉の養子となり家督を相続し旅人宿業を営む。西南戦争では陸軍物資の輸送に従事。1889年(明治22年)九州鉄道の敷設に際して建築資材の運搬を担った。
浅野 一摩(あさの かずま、1852年5月26日〈嘉永5年4… 浅野 一摩(あさの かずま、1852年5月26日〈嘉永5年4月8日〉 - 1934年〈昭和9年〉10月30日)は、日本の剣道家。流派は津田一伝流。称号は大日本武徳会剣道範士。 一伝流浅野庄太夫重賢の二男として、現在の福岡県久留米市荘島町に生まれる。重賢が若くして病没後、一門とともに津田一左衛門正之に合流、津田一伝流の極意印可巻を授かる。 1883年(明治16年)、福岡県警察本部教習所の剣道教授となる。 1894年(明治27年)、日清戦争中の広島大本営で開かれた天覧試合に出場する。 1896年(明治29年)、第2回武徳祭大演武会に出場。高野佐三郎に敗れる。 1897年(明治30年)、大日本武徳会から精錬証を授与される。
松村 雄之進(まつむら ゆうのしん、1852年3月11日(嘉… 松村 雄之進(まつむら ゆうのしん、1852年3月11日(嘉永5年2月21日) - 1921年(大正10年)2月22日)は、明治・大正期の政治家。衆議院議員(1期)。 筑後国久留米鍛冶屋町(現福岡県久留米市中央町)で神官の家に生まれる。17歳で故郷を離れて京都、摂津で諸藩の名士と親交を持ち国事に奔走した。1872年(明治4年)大楽源太郎が久留米藩に逃れたことにより藩主が政府の嫌疑を受けたため、同志と大楽を暗殺して禁獄7年の刑に処せられた(久留米藩難事件)。 1878年(明治11年)に出獄。1880年(明治13年)3月、旧久留米藩士を集めて福島県に移住して安積原野開拓を開始し、久留米開墾社を設立して副社長、社長を歴任した。
大藪 房次郎(おおやぶ ふさじろう、1852年2月9日(嘉永… 大藪 房次郎(おおやぶ ふさじろう、1852年2月9日(嘉永5年1月20日)- 1927年(昭和2年)5月2日)は、明治から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員。 筑後国御井郡久留米城下苧扱川町(現福岡県久留米市本町)で、富豪・大藪萬蔵の長男として生まれる。1900年(明治33年)8月に分家した。 第六十一国立銀行取締役、久留米紡績会社社長、筑後水力電気顧問、大川鉄道顧問などを務め、市営瓦斯事業の開始などに尽力し、貧困層への義捐などを行った。 政界では、1889年(明治22年)4月の市制施行の際に久留米市会議員に選出されたが数ヶ月で辞職。その後、市参事会員に就任。1889年(明治22年)4月から1914年(大正3年)まで久留米市会議員に選出され、その他、所得税調査委員会会長、宅地価修正委員会会長などを務めた。
栗野 慎一郎(くりの しんいちろう、嘉永4年11月7日(18… 栗野 慎一郎(くりの しんいちろう、嘉永4年11月7日(1851年11月29日) - 昭和12年(1937年)11月15日)は、明治・大正期の日本の外交官。初代駐フランス特命全権大使。
倉田 雲平(くらた うんぺい、嘉永4年4月〈1851年5月〉… 倉田 雲平(くらた うんぺい、嘉永4年4月〈1851年5月〉 - 大正6年〈1917年〉6月)は、日本の実業家、足袋職人。主として明治時代から大正時代にかけて活動した人物であり、ムーンスターの創業者である。足袋王、九州の足袋王あるいは久留米の足袋王と異名される。大正3年(1914年)に緑綬褒章を受章している。 倉田家の祖先は武士であり、江戸時代に久留米藩に出仕して御先手物頭を務めたこともあったとされる。やがて町人に転向してからは、両替商や呉服商、米穀商を営む豪商となったが、水難事故や火災などに相次いで遭遇したために、家の経済力は徐々に衰退していき、雲平が生まれる頃には煎餅屋を経営していた。 雲平は、嘉永4年4月(1851年5月)、筑後国御井郡(現在の福岡県久留米市)の米屋町に五男一女の末子として出生した。
鹿毛 信盛(かげ のぶもり、1850年2月26日(嘉永3年1… 鹿毛 信盛(かげ のぶもり、1850年2月26日(嘉永3年1月15日)- 1914年(大正3年)9月9日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 筑後国御井郡、後の金島村(現福岡県久留米市)で、鹿毛佐金次の長男として生まれる。嘉永6年(1853年)に家督を相続した。 1878年(明治11年)以降、福岡第十七国立銀行(現福岡銀行)取締役、甘泉社社長、金島銀行頭取、福岡県御井郡農業組合長、両筑十二郡精藍組組長、久留米絣同業組合組長、久留米絣株式会社代表などを務めた。 政界では、福岡県会議員となり、また、1890年(明治23年)9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられ、1897年(明治30年)9月28日の任期満了まで1期在任した。
由布 惟義(ゆふ これよし、1850年1月9日(嘉永2年11… 由布 惟義(ゆふ これよし、1850年1月9日(嘉永2年11月26日)- 1925年(大正14年)7月22日)は、幕末の柳河藩士、明治から大正期の政治家。衆議院議員、福岡県会議長。 筑後国山門郡柳川城下奥州小路(福岡県山門郡城内村字奥州町、柳川町を経て現柳川市奥州町)で、柳河藩士の家に生まれた。1861年(文久元年9月)家督を相続した。藩校伝習館(現福岡県立伝習館高等学校)で学んだ。戊辰戦争に従軍し、二等小隊長に就任。東京市中取締に従事。1870年(明治3年10月)に帰藩した。以後、柳河藩二等隊長、三潴県凖等外戸長、福岡県9等属などを歴任した。 1878年(明治11年)12月、福岡県会議員に選出され、8期在任し、同常置委員、同議長も務めた。
安川 敬一郎(やすかわ けいいちろう、嘉永2年4月17日(1… 安川 敬一郎(やすかわ けいいちろう、嘉永2年4月17日(1849年5月9日) - 昭和9年(1934年)11月30日)は日本の武士(福岡藩士)、戦前の政治家、実業家。貴族院議員、衆議院議員。大正9年(1920年)1月13日、男爵授爵。勲三等瑞宝章。地方財閥・安川財閥の創始者であり、国士的な実業家として知られる。号は撫松。
不知火 光五郎(しらぬい こうごろう、1847年10月15日… 不知火 光五郎(しらぬい こうごろう、1847年10月15日〈弘化4年9月7日〉 - 1882年〈明治15年〉7月11日)は、大坂相撲で活躍した元力士。湊部屋(大阪相撲)に所属していた。 本名は佐藤 幸五郎(後に佐藤 光五郎に改名)。身長,体重は不明。出身地は筑前国嘉麻郡下山田(現在の福岡県嘉麻市下山田)。 最高位は大関(大阪相撲)。横綱を締めた錦絵が残るが、図柄は他力士の流用であり、土俵入りを行った記録はない。「山響改 不知火光右衛門」とあり改名の記念品との見方もある。 筑前国嘉麻郡下山田で佐藤利平の次男として出生。幼少の頃から力持ちとの評判で、巡業で訪れた、同じ筑前国出身の梅ヶ谷藤太郎(後の第15代横綱)に見初められ、相撲界に入門。
月形 潔(つきがた きよし、弘化4年6月27日(1847年8… 月形 潔(つきがた きよし、弘化4年6月27日(1847年8月7日) - 明治27年(1894年)1月8日)は、江戸時代末期の福岡藩士、明治時代の官僚。北海道樺戸集治監典獄、樺戸・雨竜・上川三郡郡長として北海道開拓に携わる。樺戸郡月形町の町名は彼の姓に由来している。 弘化4年(1847年)、筑前国遠賀郡中底井野村(現福岡県中間市中底井野)で旭迎堂を開いていた儒学者でもある福岡藩士月形健(春耕)と伊藤常足の門人の宮崎省庵の娘の竹との間に生まれ、直吉と名付けられる。 嘉永3年(1850年)鞍手郡植木村(現福岡県直方市)に伯父(父の長兄)の月形深蔵(漪嵐)が隠居して教授所を開き、直吉は深蔵の元に足しげく通い、朱子学や剣術を学ぶ。
笠間 広盾(かさま ひろたて、弘化2年(1845年)12月 … 笠間 広盾(かさま ひろたて、弘化2年(1845年)12月 – 明治16年(1883年)11月25日)は柳河藩出身の海軍軍人。名は楯雄とも。のち海軍大佐に進み、従五位・勲四等。 柳河藩士として生まれ、旧筑後柳河藩士・笠間直の伯父にあたる。慶応4年4月には兵庫海軍出張所への出仕を命じられ、明治4年ごろに大尉となった。明治7年の佐賀の乱では江藤新平の行方探索のため肥前海上を捜索し、その功により正七位に叙された。同年10月ごろに少佐へ進み正六位となる 。 明治10年の西南戦争では孟春艦長として従軍して功を挙げ、明治11年1月4日に勲四等旭日小綬章を授与された。明治14年には中佐に進み、筑波艦長として明治15年にはオーストラリアへ派遣され、その卓越した手腕により川村純義四天王の一人と称された。
梅ヶ谷 藤太郎(うめがたに とうたろう、1845年3月16日… 梅ヶ谷 藤太郎(うめがたに とうたろう、1845年3月16日(弘化2年2月9日) - 1928年(昭和3年)6月15日)は、筑前国上座郡志波村梅ヶ谷(現・福岡県朝倉市)出身で玉垣部屋(入門時は大坂相撲の湊部屋)に所属した大相撲力士。第15代横綱。本名は小江 藤太郎(おえ とうたろう)。 明治時代前期の角界の第一人者であり、「古今十傑」「明治以後の五大力士」等、相撲史上でも特筆される存在となっている。 1845年3月16日(弘化2年2月9日)に、筑前国上座郡志波村梅ヶ谷で生まれる。にわかには信じがたいが赤子の頃から石臼を引き摺るほどの怪童で、母乳や菓子より酒を欲しがったため、酒で育てられたという。
貝島 太助(かいじま たすけ、弘化2年1月11日(1845年… 貝島 太助(かいじま たすけ、弘化2年1月11日(1845年2月17日)- 大正5年(1916年)11月1日)は、日本の実業家。筑豊御三家の一つである貝島財閥の創始者であり、筑豊炭田のうち貝島炭鉱を開発して「筑豊の炭坑王」「筑豊の石炭王」の異名を取った。 筑前国鞍手郡直方町(現・福岡県直方市)の、行商もする貧農の家に生まれた。時は幕末動乱の真っ只中で、太助の幼少時代は黒船来航、大老・井伊直弼の暗殺(桜田門外の変)、尊王攘夷思想の広まりとさまざまな出来事が相次いで起こり、激動の時代を迎えていた。8歳の頃から、生活のために父とともに石炭掘りの仕事を始めた。炭鉱夫として稼いだ資金を元手に、明治3年(1870年)から炭鉱経営に従事した。
立花 親信(たちばな ちかのぶ、1845年(弘化2年4月)-… 立花 親信(たちばな ちかのぶ、1845年(弘化2年4月)- 1916年(大正5年)9月29日)は、幕末の柳河藩士、明治期の公吏・実業家・政治家。衆議院議員、福岡県会議長。 筑後国山門郡柳川城下(柳河県、三潴県、福岡県山門郡城内村、柳川町を経て現柳川市)で、柳河藩で中老を務めた立花家(家禄350石)に生まれた。1863年(文久3年6月)家督を相続した。1868年(慶応4年)侍頭となる。藩の軍政改革で断隊が設けられ、同年4月17日(旧暦3月25日)後断隊の隊長に就任。戊辰戦争で断隊に東京警固が命ぜられ藩主立花鑑寛と共に同年7月31日(旧暦6月12日)大坂を出発し、1869年2月3日(慶応4年12月22日)に帰藩した。
曾我 祐準(そが すけのり、「すけゆき」とも、天保14年12… 曾我 祐準(そが すけのり、「すけゆき」とも、天保14年12月25日〈1844年2月13日〉- 昭和10年〈1935年〉11月30日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸軍中将勲一等子爵。憲仁親王妃久子は玄孫にあたる。 家禄は120石の柳河藩士・曾我祐興(七郎左衛門)の次男として生まれる。兄は曽我祐正。母は国学者の西原晁樹の次女の民子。元治2年(1865年)に長崎へ出て洋学を学ぶ。学問や武道を好み、長崎では砲術も学び、イギリス商人のトーマス・ブレーク・グラバーの援助で上海・香港・シンガポールを航海し、航海術を学んだ。また同じく長崎で、西坂にあった瓜生寅の仮塾や榎津町にあった柴田昌吉の柴田塾に学び、関沢明清らと懇意にした。
赤星 研造(あかぼし けんぞう、1844年(弘化元年)2月5… 赤星 研造(あかぼし けんぞう、1844年(弘化元年)2月5日または25日 - 1904年(明治37年)1月6日)は明治時代の医師。 福岡藩オランダ留学生として渡欧し、ドイツハイデルベルク大学在学中、新政府に呼び戻された。台湾出兵に従軍し、東京医学校、東京大学教授を務めた後、仙台市県立宮城病院長に招かれた。一時久留米市整理堂病院教師を務め、仙台に戻り、七ヶ浜村赤星自治院を拠点に仙台や周辺各地で診療活動を行った。 1844年(弘化元年)2月5日または25日、筑前国鞍手郡金生村医師赤星見竜の長男として生まれた。 1857年(安政4年)父見竜の師武谷元立の子武谷椋亭に入門し、1865年(慶応元年)藩遊学生として長崎に派遣され、精得館でアントニウス・ボードウィンに語学を学んだ。
香月 恕経(かつき じょけい / ゆきつね、1842年7月2… 香月 恕経(かつき じょけい / ゆきつね、1842年7月21日(天保13年6月14日)- 1894年(明治27年)5月18日)は、幕末の医師、明治期の政治家、教育者。衆議院議員。玄洋社社員。幼名・恕吉郎、字・子貫。号・晦処、晦洞。 筑前国夜須郡下浦村(現福岡県朝倉市下浦)で、医師・香月春庵の長男として生まれる。佐野東庵(甘木高原町)の私塾梅西舎で漢籍を、医師・深水玄門(熊本)に漢方内科医術を、玉井養純(筑後国生葉郡)に漢学・医術をそれぞれ師事した。文久2年(1862年)父の死去により家督を相続し医業を開業し、幕末には国事に奔走した。 明治2年3月13日(1869年4月24日)秋月藩に同藩の情報を久留米藩に提供したとして捕らえられたが、同月17日に釈放された。
石井 省一郎(いしい しょういちろう、1842年2月8日(天… 石井 省一郎(いしい しょういちろう、1842年2月8日(天保12年12月28日) - 1930年(昭和5年)10月20日)は、幕末の小倉藩士、明治期の内務官僚、政治家。官選県知事、貴族院勅選議員。錦鶏間祗候。 豊前国企救郡(現・福岡県北九州市)において小倉藩士の家に生まれる。第二次長州征討において長州藩との停戦に尽力した。 明治2年(1869年)、明治政府に出仕し民部官書記となる。以後、民部兼大蔵大録、監督大佑、庶務大佑、土木権正、土木権頭、内務権大書記官などを歴任し、1877年、初代の内務省土木局長に就任。「土木の石井」と称された。その後、西南戦争時に熊本県権令心得として務めた。 1884年2月に岩手県令に就任。
建野 郷三(たての ごうぞう、1842年1月12日(天保12… 建野 郷三(たての ごうぞう、1842年1月12日(天保12年12月1日) - 1908年(明治41年)2月16日)は、幕末の小倉藩士、明治期の官僚・外交官・実業家。大阪府知事、元老院議官。旧名・牧野弥次左衛門。 豊前国京都郡延永村(現:行橋市延永)に生まれる。小倉藩士・建野建三の養子となり「郷三」と改名。第二次長州征討において長州藩との戦いに従軍した。明治3年(1870年)、イギリスに留学し法律学を学んだ。 1877年(明治10年)11月、宮内省御用掛三等侍補心得となる。以後宮内権大書記官、兼太政官権大書記官を歴任。1879年(明治12年)、グラント前米国大統領の来日に当たり接伴掛を務めた。 1880年(明治13年)5月、大阪府知事に就任し約9年間在任、在任中に大阪府と堺県の合併を実現させた。
内藤 新吾(ないとう しんご、天保12年10月11日(184… 内藤 新吾(ないとう しんご、天保12年10月11日(1841年11月23日) - 大正6年(1917年)8月2日)は、初代久留米市長、衆議院議員。諱は敏樹、字は子敏、号は寒山。 久留米藩国家老有馬氏の臣下の家に生まれ、藩校明善堂で学んだ。真木和泉・水野正名らの尊王攘夷論に傾倒し、福岡藩の平野国臣と交わった。1862年(文久2年)、江戸に出て安井息軒の門に学んだ。翌年に帰郷すると、同志とともに藩の執政有馬監物に尊王攘夷を藩論とするように説いたが、八月十八日の政変で公武合体が藩論となると、幽囚の身となった。 1867年(慶応3年)、5年に及んだ幽囚を解かれた。1868年(明治元年)、明善堂寮長に起用され、翌年には民政判事となった。
中村 彦次(なかむら ひこじ、1840年(天保11年1月)-… 中村 彦次(なかむら ひこじ、1840年(天保11年1月)- 1911年(明治44年)11月18日)は、明治期の教育者、政治家。衆議院議員、官選島根県知事。名・庸、字・和叔、号・桐蔭、旧姓・鶴田。 筑後国上妻郡前津村(現筑後市前津)で、庄屋・鶴田良右衛門の二男として生まれ、後に中村氏を称した。地元の私塾・継志堂で学ぶ。安政4年(1857年)に師・牛島栗斎に随行し8カ月間にわたり山陽から奥羽まで遊歴し見聞を広めた。その後、咸宜園で学んだ。 王政復古後、国事に奔走するなかで、久留米藩に逃れてきた大楽源太郎に同調したため、久留米藩難事件に連座し明治4年(1871年)に禁獄一年の刑を受け名古屋の監獄に収監された。
小野 隆助(おの りゅうすけ、天保10年4月(1839年) … 小野 隆助(おの りゅうすけ、天保10年4月(1839年) - 1923年(大正12年)9月4日)は、日本の幕末から明治にかけての武士・政治家。筑前共愛公衆会会長。旧姓から三木隆助とも。 筑前国御笠郡、のちの福岡県筑紫郡太宰府町(現太宰府市)で、安楽寺天満宮(神仏分離令前の太宰府天満宮の旧名称)の社家のひとつである小野加賀家に生まれる。父親は小野氏伸、伯父は幕末の勤皇家真木保臣であるところから、和漢、尊王思想を修める。三条実美をはじめとする公卿五名が小野加賀家の邸に隣接する延寿王院に3年余滞在し、その間、小野加賀家も三条実美等の警護の士の宿舎となる。この延寿王院には公卿5名が滞在したことを示す碑があり、門前には西郷隆盛、坂本龍馬が訪れたと記す案内看板がある。
青木善平(あおき ぜんぺい、天保10年〈1839年〉 - 明… 青木善平(あおき ぜんぺい、天保10年〈1839年〉 - 明治4年1月6日〈1871年2月24日〉)は、江戸時代末期(幕末)の福岡藩士。英学者。教育者。 福岡藩士藤井宅之進の子として筑前国博多に生まれ、福岡藩の蘭学者安部龍平の養子となる。幼名は菊次郎。 安政2年(1855年)養父龍平の跡目を継ぎ、龍平を名乗り、福岡藩合薬製作所手伝となる。万延元年(1860年)安部家が断絶し、青木善平と改名。 文久2年(1862年)松下直美らと長崎遊学を果たし、さらに慶応3年(1867年)藩の留学生として、同じ福岡藩の平賀義質、本間岩吉、井上良一、船越慶次、松下直美らとともに、アメリカ船コロラド号で渡米し、ハーバード大学に学んだ。
内田 良五郎(うちだ りょうごろう、1837年5月13日(天… 内田 良五郎(うちだ りょうごろう、1837年5月13日(天保8年4月9日) - 1921年(大正10年)9月22日)は、日本の武術家である。玄洋社社員。内田流短杖術の祖(神道夢想流)。 天保8年(1837年)4月9日に筑前国福岡地行五番丁で黒田藩(福岡藩)藩士の平岡仁三郎の子として生まれる。 剣術は小野派一刀流の幾岡平太郎の門に入り免許を得て中西忠太の皆伝を許された。 柔術は扱心流を藩の師範石川雄兵衛に、天真正伝神道夢想流杖術、及び一角流捕手は平野吉右衛門に、砲術は津田武右衛門に学び、鎗術と共にその師から免許を受けた。 晩年に洋杖術を創案し、内田流短杖術を創始した。 また、神道夢想流杖術の普及に尽力した。
岡田 孤鹿(おかだ ころく、1834年8月24日(天保5年7… 岡田 孤鹿(おかだ ころく、1834年8月24日(天保5年7月20日)- 1906年(明治39年)5月3日)は、日本の幕末から明治期の武士(柳河藩士)、政治家。衆議院議員。旧姓・橋爪、幼名・亀治、旧名・作蔵、種井。 筑後国山門郡柳川城下奥州小路(現柳川市奥州町)で、柳河藩士・橋爪新五郎の二男として生まれ、19歳で同藩士・岡田黙鴎の長女キヨと結婚し岡田家の養子となり、名を作蔵と改めた。藩では、御広間詰、聞次役(江戸藩邸)、普請役、三ノ丸蔵役、物成役、大坂蔵屋敷在勤、京都留守居役兼元締役、小荷駄奉行補助兼公用人元締役などを歴任。明治2年(1869年)藩から公議人に選出され東京の公議所での審議に加わる。
林遠里(はやし えんり、1831年3月8日(天保2年1月24… 林遠里(はやし えんり、1831年3月8日(天保2年1月24日(旧暦)) - 1906年(明治39年)1月30日)は、福岡県生まれの老農(篤農家)・農業技術指導者。私塾・興産社・勧農社の創始者としても知られる。
和泉要助(いずみ ようすけ、文政12年11月25日(1829… 和泉要助(いずみ ようすけ、文政12年11月25日(1829年12月20日) - 明治33年(1900年)9月30日)は明治時代の発明家。人力車の発明者の1人とされる。姓は「長谷川」とも表した。 筑前国鞍手郡中泉村(現・福岡県直方市)生まれ。筑前福岡藩の藩士出水要の養子となり、のち和泉要助と名を改めた。1870年(明治3年)に鈴木徳次郎、高山幸助と人力車の製作を行い、同年3月22日に東京府より製造と営業の許可を得た。翌年、和泉らは人力車総行事に任命されたが、1873(明治6年)の税制整備によって雑税が廃止され、人力車総行事の職は廃止された。第1回内国勧業博覧会で龍紋賞を受章した。 1871年(明治4年)「専売略規則」の制定時や1885年(明治18年)の「専売特許条例」の公布時に専売特許を出願したものの、すでに一般に普及していたことを理由に、人力車は発明品として特許を得ることはできなかった。
倉富 胤厚(くらとみ たねあつ、文政12年3月18日(182… 倉富 胤厚(くらとみ たねあつ、文政12年3月18日(1829年4月21日) - 明治23年(1890年)6月30日)は、筑後国久留米藩領出身の儒者・政治家。通称は八兵衛、字は士簡、号は篤堂(とくどう)。 文政12年(1829年)、筑後国三潴郡大隈村(現・福岡県久留米市梅満町)の庄屋・園田為右衛門の次男として生まれる。幼名は熊三郎。 はじめ田主丸の重富縄山に儒学を学び、16歳で豊後日田の咸宜園に入門して広瀬淡窓に学んだ。なお、重富縄山も広瀬淡窓門下である。 18歳のとき、親族である竹野郡徳童村(現・久留米市田主丸町)の庄屋・倉富又市の婿となり、その後を継ぐ。慶応3年(1867年)には藩命を受けて、当時大宰府に滞在していた三条実美ら五卿(七卿落ち参照)の警護にあたっている。
篠原 泰之進(しのはら たいのしん、文政11年11月16日〈… 篠原 泰之進(しのはら たいのしん、文政11年11月16日〈1828年12月22日〉 - 1911年〈明治44年〉6月13日)は、江戸時代後期の志士。新選組隊士(諸士調役兼監察方及び柔術師範)、御陵衛士。幼名は泰輔、変名を篠塚友平、秦河内(はた かわち)。維新後は、秦林親(はた しげちか)と改名。 筑後国生葉郡高見村(現在の福岡県うきは市浮羽町高見)の豪農および石工業者である篠原元助の長男として生まれる。幼時より武芸を好み、久留米藩の森兵右衛門や種田宝蔵院流槍術師範に槍術と剣術を学ぶ。弘化2年(1845年)、良移心倒流柔術師範の下坂五郎兵衛に柔術を学ぶ。 嘉永5年(1852年)、藩士・小倉一之進に仕えた後、家老・有馬右近の中間となる。
雲龍 久吉(うんりゅう きゅうきち(ひさきち)、1823年 … 雲龍 久吉(うんりゅう きゅうきち(ひさきち)、1823年 - 1890年6月15日)は、筑後国山門郡大和村(現:福岡県柳川市)出身で追手風部屋(入門時は陣幕部屋)に所属した大相撲力士。第10代横綱。本名は塩塚 久吉で、のちに佐藤 喜太郎と名乗る。 1823年に筑後国山門郡で半農半漁を営む家の長男として生まれたが、1835年に大流行した疫病で両親・祖母を相次いで失ったため、生来の怪力を活かして力仕事をこなし、幼い弟と妹を養った。やがて力仕事だけでは養っていけなくなり、土地相撲で頭取を務めていた小櫻(京都相撲の元力士だったと伝わる)、箕嶋に指導を受けた。 やがて、土地相撲から陣幕部屋(大坂相撲)に入門したが、1846年に江戸へ出て江戸相撲・追手風の弟子となり、1848年11月場所において幕下二段目付け出しで初土俵を踏むと同時に、柳川藩の抱え力士となる。
武谷 祐之(たけや ゆうし(「すけゆき」との記載もあり)、文… 武谷 祐之(たけや ゆうし(「すけゆき」との記載もあり)、文政3年4月2日〈1820年5月13日〉 - 明治27年(1894年)2月1日)は、江戸時代、明治時代の医学者(蘭方医)。福岡藩藩医。号は椋亭、澧蘭、鷗洲、三餘学人。字(あざな)は元吉。 蘭方医武谷元立の長男として、筑前国鞍手郡高野村(現・福岡県宮若市)に生まれる。月形鷦窠、天保7年(1836年)広瀬淡窓に儒学を学び、天保14年(1843年)大坂に出て、緒方洪庵の適塾に入り西洋医学、蘭学を修めた。弘化3年(1846年)種痘書『接痘瑣言』を翻訳した。 嘉永元年(1848年)福岡に帰り、郡の頭取医として、モーニッケがもたらした痘苗を入手し、藩内において種痘を実施した。
梅津 只圓(うめづ しえん、文化14年4月17日(1817年… 梅津 只圓(うめづ しえん、文化14年4月17日(1817年6月1日) - 明治43年(1910年)7月3日)は幕末明治の喜多流シテ方能楽師。福岡市出身。通称は源蔵、諱は利春。夢野久作『梅津只圓翁伝』の題材となった。 文化14年(1817年)4月17日、福岡藩召抱能楽師シテ方、梅津源蔵正武の長男として薬院中庄に生まれた。幼名は政之進、栄で、藩主黒田長溥の命で利春と改名した。 天保3年(1832年)春、喜多六平太能静と師弟関係を結び、「翁」の允可を受けた。弘化元年(1844年)春と嘉永元年(1848年)春の2度上京し、喜多六平太能静に直接指導を受けた。弘化3年(1846年)3月家督を継ぐ。 嘉永5年(1852年)3月自宅舞台で「翁」を初披露し、藩主黒田斉溥に御装束預を命じられた。
養鸕 徹定(うがい てつじょう、文化11年3月15日〈181… 養鸕 徹定(うがい てつじょう、文化11年3月15日〈1814年5月4日〉 - 1891年〈明治24年〉3月15日)は、幕末・明治期の浄土宗僧侶・仏教史家。 筑後国久留米にて久留米藩士鵜飼万五郎政善・久保氏の次男に生まれる。6歳で地元の西岸寺に入り、後に京都や江戸で修行する。21歳の時に増上寺にて宗脈を受ける。後に増上寺学寮を掌った。文久元年(1861年)に浄国寺住職となる。文久3年(1863年)自身の羅漢研究を纏めた『羅漢図讃集』を刊行する。これは今日から見ても高い学術的価値を持つ著作であり、徹定の優れた学識が窺える。また徹定は羅漢の知識を狩野一信に教え、増上寺に残る計100幅にも及ぶ一信の「五百羅漢図」制作にも役立った。
左 行秀(さの ゆきひで、1813年12月17日(文化10年… 左 行秀(さの ゆきひで、1813年12月17日(文化10年11月25日) - 1887年(明治20年)3月5日)は、日本の江戸時代末期の刀鍛冶。新々刀の名匠。土佐正宗の異名を持つ幕末の土佐藩を代表する名工。作刀期は1840年(天保11年)~1870年(明治3年)。士族。 文化10年11月25日(1813年12月17日)、伊藤五佐衛門の次男として、筑前国上座郡朝倉星丸村(現・福岡県朝倉市)に生まれる。次男であったため、伊藤姓ではなく母方の伯父の姓である豊永氏を名乗った。諱は「信国」のち「行秀」、字は初め「久兵衛」と称し土佐藩召抱ののち「久左衛門」と改める。号は「東虎」。遠祖は南北朝時代の筑前左文字派の刀工で、自ら「左文字三十九代末孫」と称した。
魚住 樂處(うおずみ らくしょ、文化6年9月(1809年) … 魚住 樂處(うおずみ らくしょ、文化6年9月(1809年) - 明治8年(1875年)2月)は、江戸時代後期の儒学者(朱子学派)。明治時代の教育者、政治家。名は明識(「名誠」との記載もあり)。字(あざな)は明晶。通称は三郎八。樂處はその号。福岡藩藩儒。 魚住明倫の子として筑前国に生まれる。藩校修猷館に学ぶ。 天保5年(1834年)修猷館指南加勢見習となり、天保14年(1843年)郡代となる。嘉永3年(1850年)致仕する。 慶応元年(1865年)勤王の国事に奔走したため、志士と共に禁錮せらること3年。明治2年(1869年)抜擢されて修猷館の文学教授兼伴読となり、明治4年(1871年)藩政に参画し、福岡藩権大参事に任ぜられる。
田中 久重(たなか ひさしげ、寛政11年9月18日(1799… 田中 久重(たなか ひさしげ、寛政11年9月18日(1799年10月16日) - 明治14年(1881年)11月7日)は、江戸時代後期から明治にかけての発明家。「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれた。芝浦製作所(後の東芝の重電部門)の基礎となる工場の創業者。 寛政11年9月18日(1799年10月16日)、筑後国久留米(現・福岡県久留米市)の鼈甲細工師・田中弥右衛門の長男として生まれた。幼名は儀右衛門。 幼い頃から才能を発揮し、15才の時久留米掠りの幾何学模様を布に織り込む機械を考案。五穀神社(久留米市通外町)の祭礼では当時流行していたからくり人形の新しい仕掛けを次々と考案して大評判となり、「からくり儀右衛門」と呼ばれるようになる。
出水守 真名(いずみもり まな、11月17日 - )は、日本… 出水守 真名(いずみもり まな、11月17日 - )は、日本の漫画家。女性。血液型はA型。福岡県福岡市出身・在住。 『漫画ばんがいち』(コアマガジン)でデビューするまで、18禁漫画を描いたことがなかったらしい。とあるロールプレイングゲームにはまり、その同人誌を一度だけ作成したところ、関心がわき、もう一本同人作品を作り、投稿したところ、採用されたのだという。デビューするまで、ネコ耳もメイドも萌えも知らなかった、という。かわいい女の子とおっさんを描くことにこだわりがあるようである。 『赤い海』という作品で、女性の生理とは何か、というテーマを作品化しており、政治家の演説と対比させて、女性の方が血を見慣れているという当然の主張を述べている。
絢斗 しおん(あやと しおん、11月9日 - )は、宝塚歌劇… 絢斗 しおん(あやと しおん、11月9日 - )は、宝塚歌劇団雪組に所属する男役。 福岡県福岡市、西南学院中学出身。身長168cm。愛称は「うっつー」。 2016年4月、宝塚音楽学校入学。 2018年4月、宝塚歌劇団に104期生として入団。入団時の成績は18番。星組宝塚大劇場公演『ANOTHER WORLD/Killer Rouge』で初舞台。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役) 秩父晴世 - 打吹美砂 - 楓茂美 - 玉野ひかり - 日下輝子 - 櫻野美也子 - 玉野ひか留 - 美山しぐれ - 桃山千歳 - 桂木ゆたか - 睦千賀&桂木ゆたか - 御幸沙智子&歌川波瑠美 - 歌川波瑠美 - 藤園さとみ - 銀あけみ - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 磯野千尋 - 一原けい - 梨花ますみ - 高翔みず希 - 悠真倫 - 紫峰七海 - 花野じゅりあ - 芽吹幸奈 - 冴月瑠那 - 美風舞良 - 航琉ひびき - 紫門ゆりや(現役) 紅羽真希(現役)
木本 景子(きもと けいこ、10月26日 - )は、日本の女… 木本 景子(きもと けいこ、10月26日 - )は、日本の女性声優、ナレーター。福岡県出身。シグマ・セブンe所属。 筑紫女学園高等学校卒業。部活は百人一首部に所属。ヒューマンアカデミー福岡校卒業。 趣味は食べ物の写真を撮ること。資格は全日本かるた協会四段/A級公認読手、漢字検定準2級。特技は百人一首。 テレビ番組のナレーションでの活動が多い。また特技と資格を活かし、競技かるた関連での出演が多数ある。
牛島 康介(うしじま こうすけ、9月30日 - )は、日本の… 牛島 康介(うしじま こうすけ、9月30日 - )は、日本のカメラマン。福岡県福岡市出身。MASH management所属。 モデルや俳優として活動したのち、東京写真学園へ入学。 現在は音楽とポートレート中心に、CDジャケットやライブ撮影、広告、エディトリアルなどで活動。 福岡大学法学部法律学科卒業。 公益社団法人日本広告写真家協会 APAアワード2016 広告作品部門入選。 2020年4月より学校法人原宿学園東京デザイン専門学校にて非常勤講師を務める。 モデル時代にはMr.Childrenのミュージックビデオに出演していた経歴がある。 CUBERSとは関わりが深く、デビュー前からずっと撮影を行っている。
赤井 里実(あかい さとみ、9月22日 - )は、日本の漫画… 赤井 里実(あかい さとみ、9月22日 - )は、日本の漫画家。福岡県福岡市出身。女性。 紗夢猫(シャムネコ)というペンネームでデビュー。2008年にペンネームを現在のものに変更した。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
きゅっきゅぽん(9月16日 - )は、日本の漫画家。福岡県田… きゅっきゅぽん(9月16日 - )は、日本の漫画家。福岡県田川郡福智町出身。武蔵野美術大学日本画学科卒業。 2012年、大学在学中にゲッサン新人賞準グランプリ(『ばさらか!吹部マーチ』)と新人コミック大賞入選(『タキさんちのスパイ』)を同時受賞しプロデビュー。 2014年、『ゲッサン』にて『BOY MEETS!~タヌキネコの国~』を連載開始。同年完結。 2016年、『ゲッサン』にて『星間ブリッジ』を連載開始。2018年完結。 2019年、『ゲッサン』にて『Bowing! ボウイング』を連載開始。2022年完結。 ペンネームは昔実家で手なずけていたノラ猫の名前からとった。
宮 ゆい(みや ゆい、8月20日 - )は、日本の女優。福岡… 宮 ゆい(みや ゆい、8月20日 - )は、日本の女優。福岡県福岡市出身。 筑紫女学園高等学校卒業、Corbett high school留学(米オレゴン州)、学習院大学文学部ドイツ文学科卒業。2013-2015イアラモデルスに所属。2016-2017アミューズに所属。現在フリー。2018年長男を出産。 趣味はロードバイク(anchorRFX8)、キックボクシング、映画鑑賞、バックパック海外旅行、温泉、銭湯。
瞳 ゆゆ(ひとみ ゆゆ、7月31日 - )は、ジョイスタッフ… 瞳 ゆゆ(ひとみ ゆゆ、7月31日 - )は、ジョイスタッフ所属のフリーアナウンサー。元宝塚歌劇団花組の娘役。身長162cm。
Avi(アヴィ 7月20日 - )は、日本の男性チェリスト、… Avi(アヴィ 7月20日 - )は、日本の男性チェリスト、ソングライター。福岡県北九州市出身。 TVに出演していたGACKTの歌を聴いて衝撃を受け、音楽に興味を持つ。14歳で母親に買ってもらったゲーム機を勝手に売り、エレクトリック・ギターを購入。同時に作詞作曲を始める。 20歳までGreenhill名義で活動。aviという名前は、家族とのカラオケでアヴリル・ラヴィーンを歌ったときの映像を見た母が「アヴィちゃんだ」と言ったことを思い出し、丁度以前の名前に飽きていたので名前を変えた。アマチュア時、東京・広島、他様々な旅先で路上ライブを行った。 ボイストレーニング教室に通っていたが授業料が払えず数回で退会。
ひびき 美都(ひびき みと、7月8日 - )は、宝塚歌劇団卒… ひびき 美都(ひびき みと、7月8日 - )は、宝塚歌劇団卒業生で、元宝塚歌劇団花組のトップ娘役。本名:花村かおる(はなむら・かおる,"花村"は旧姓)。福岡県福岡市、福岡女学院高等学校出身。身長160センチ、愛称キャル(本名の“かおる”に由来)。日舞名取・藤間勘翔。 * ※は阪急すみれ会パンジー賞のもの、それ以外は宝塚歌劇団年度賞のうちのもの
美海 そら(みうみ そら、6月29日 - )は、宝塚歌劇団月… 美海 そら(みうみ そら、6月29日 - )は、宝塚歌劇団月組に所属する娘役。 2016年4月、宝塚音楽学校入学。 2018年4月、宝塚歌劇団に104期生として入団。入団時の成績は8番。星組宝塚大劇場公演『ANOTHER WORLD/Killer Rouge』で初舞台。
中村理恵(なかむらりえ、6月26日 - )は、日本のピアニス… 中村理恵(なかむらりえ、6月26日 - )は、日本のピアニスト、クラシック音楽。福岡県那珂川市出身。血液型B型。 福岡県那珂川市出身。幼い頃よりクラシック音楽に興味を持ち、6歳の時にピアノを始め、15歳からヴァイオリンを始める。小学4年生の時に初めて挑戦した「大牟田ジュニアピアノコンクール」にて西日本新聞社賞を受賞。その後、数々のコンクールで入賞、優勝を果たす。福岡女学院高等学校音楽科卒業。桐朋学園大学短期大学部卒業。 現在、演奏家派遣、イベント制作を手がける株式会社Primoの代表取締役。 クラシックのみならず、さまざまなジャンルの分野で活躍中で、ソロCD『はじめまして』、ドラマの挿入曲でも使われた『Sail Away』、Soleilとして『Soleil』、Rayとして『Delicious』をリリース。