入江 正登(いりえ まさと、1988年7月15日 - )は、… 入江 正登(いりえ まさと、1988年7月15日 - )は、福岡県遠賀郡水巻町出身で玉ノ井部屋に所属した元大相撲力士。身長180cm、体重170kg。本名同じ。最高位は西幕下3枚目(2013年11月場所)。希望が丘高等学校、九州情報大学出身。 子供のころから食べるのが大好きで体も大きく、親の勧めもあって水巻町立伊左座小1年のときから、隣町の遠賀柔道クラブに通うようになり、小3の頃に柔道の先生から遠賀相撲教室を紹介されて相撲を始める。少年時代は相撲と柔道を掛け持ちしていたが、希望が丘高校時代から相撲に専念する。高校卒業後、唯一特待生として受け入れてくれた九州情報大学へ進学した。日大を頂点とした圧倒的な東高西低の学生相撲界の中でもキャプテンに就任した大学4年生の頃に頭角を現して意地を見せた。
松鳳山 裕也(しょうほうざん ゆうや、1984年2月9日 -… 松鳳山 裕也(しょうほうざん ゆうや、1984年2月9日 - )は、福岡県築上郡築上町(旧:椎田町)出身で放駒部屋(入門時は松ヶ根部屋、一時二所ノ関部屋)に所属した元大相撲力士。本名は松谷 裕也(まつたに ゆうや)、愛称はマツタニ。身長176cm、体重133kg、血液型はA型。最高位は東小結(2013年7月場所、11月場所)。趣味はビリヤード・自転車。好物はチャーハン、火鍋。嫌いなものはセロリ。 幼稚園時代に空手や水泳などを習ったが、この頃はどれも中途半端であったといい、岩丸小学校時代には相撲1本に絞り県大会にも出ていたものの稽古は大会前に行う程度であったという。幼少期の松谷はお菓子よりご飯を食べる子であったといい、小学校高学年の頃からチャーハンなどを自炊して食べることが多く、このころから体が大きくなったとのことである。
琴奨菊 和弘(ことしょうぎく かずひろ 1984年1月30日… 琴奨菊 和弘(ことしょうぎく かずひろ 1984年1月30日 - )は、福岡県柳川市出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の現役大相撲力士。本名は、菊次 一弘(きくつぎ かずひろ)。身長180cm、体重182kg、血液型はO型。得意手は左四つ、がぶり寄り。最高位は東大関(2014年9月場所〜11月場所、2016年3月場所)。愛称はキク。好物は米、しゃぶしゃぶ、プリン。既婚。左利き。締め込みの色は2017年現在青色。
大雷童 太郎(だいらいどう たろう、1980年4月17日 -… 大雷童 太郎(だいらいどう たろう、1980年4月17日 - )は、福岡県大野城市出身で高田川部屋所属の現役大相撲力士。本名は山口 智史(やまぐち さとし)。身長173.2cm、体重149.3kg。得意技は、突き、押し。最高位は東十両2枚目(2006年1月場所)、血液型はA型。 1996年3月場所初土俵。初めて番付に載った翌5月場所では、7戦全勝で序ノ口優勝を果たした。突き押し相撲で、幕下中位までは順調に番付を上げ周囲から期待されたが、立合いが遅く、引いて押し出させる相撲が多かったため幕下上位に上がっても大負けすることが多く、定着するまで時間が掛かった。 2004年後半から幕下上位に定着し、2005年7月場所では4勝3敗と勝ち越し、4場所連続勝ち越しを決めた。
皇牙 篤(おうが あつし、1977年10月22日 - )は、… 皇牙 篤(おうが あつし、1977年10月22日 - )は、福岡県直方市出身で高砂部屋所属の元大相撲力士、本名は森安 篤(もりやす あつし)。大相撲時代は、身長180cm、体重123kg。得意手は右四つ、食い下がり。趣味は、映画鑑賞。最高位は東十両6枚目(2006年11月場所)、血液型B型、星座は天秤座。 「皇牙」という四股名は、同じ直方市立直方第二中学校出身の魁皇と、長年付き人を務めていた闘牙の両関取から一字ずつ取って闘牙が名付けた。 朝青龍の横綱昇進後、2004年1月場所から2007年3月場所まで弓取式を務めていた。 2006年3月場所では、自己最高位となった東幕下4枚目で5勝2敗という成績を上げ、同年3月29日の番付編成会議において翌場所の十両昇進が決定した。
琴春日 桂吾(ことかすが けいご、1977年8月25日 - … 琴春日 桂吾(ことかすが けいご、1977年8月25日 - )は、福岡県春日市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は山田 桂吾(やまだ けいご)、愛称はケイゴ。身長182cm、体重150kg、血液型はB型。得意手は左四つ、寄り、投げ。趣味はテレビゲーム。最高位は、東前頭7枚目(2010年11月場所)。2011年の大相撲八百長問題にて引退勧告処分を受け、引退した。 春日市立須玖小学校時代はソフトボールの選手であり、春日市立春日中学校時代は野球部のエースだった。中学卒業後佐渡ヶ嶽部屋に入門し、1993年3月場所に初土俵を踏んだ。当時の四股名は琴ノ山。序ノ口時代は現安田大サーカスのHIROにも敗れるなど苦戦し、軽量なため幕下以下で長期にわたり低迷していた。
魁皇 博之(かいおう ひろゆき、1972年(昭和47年)7月… 魁皇 博之(かいおう ひろゆき、1972年(昭和47年)7月24日 - )は、福岡県直方市出身で友綱部屋に所属した元大相撲力士。本名は古賀 博之(こが ひろゆき)。最高位は東大関。愛称はキンタ、ゴリラ、ゴリライモ。血液型はA型。 得意手は左四つ、寄り、上手投げ、小手投げ。好物はステーキ。 引退後は年寄・浅香山を襲名し、浅香山部屋を設立している。 3人兄弟の末っ子として生を受けた。出生時の体重が4250グラムの巨体であった。直方市立直方東小学校時代は空手を習っていて、小学4年のころから福岡県の相撲大会に出場していた。直方市立第二中学校2年生の時に、友人からの誘いで柔道をはじめ、中学3年生時点で握力は85キロあったという。
栃乃藤 達之(とちのふじ たつゆき、1969年11月15日 … 栃乃藤 達之(とちのふじ たつゆき、1969年11月15日 - )は福岡県糸島郡志摩町(現・糸島市)出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は草野 達之(くさの たつゆき)。身長180cm、体重199kg。得意手は突き押し。最高位は東前頭11枚目(1993年5月場所)。現在は若者頭。 中学時代は柔道などをやり体が大きかったため、知人の紹介で春日野部屋に入門し、1985年3月場所で初土俵を踏んだ。幕下までは順調に番付を上げて行ったが、右肘の故障のため三段目で低迷した時期もあった。しかし、1991年1月場所から十両昇進を決めるまでの9場所中8場所勝ち越して、1992年7月場所には十両に昇進した。
豊ノ海 真二(とよのうみ しんじ、1965年9月22日 - … 豊ノ海 真二(とよのうみ しんじ、1965年9月22日 - 2021年11月20日)は、福岡県豊前市大字松江出身で、二子山部屋と藤島部屋に所属した大相撲力士。本名は濱田 真二(はまだ しんじ)。最高位は西前頭筆頭(1992年9月場所)。現役時代の体格は190cm、225kg(最重量時は228kgで歴代10位、タイは春日山部屋に所属していた萬華城)で、藤島部屋・二子山部屋一の巨漢だった。得意手は左四つ、寄り、閂。 新十両昇進時から1990年7月場所までは、貴ノ浜真二の四股名であったが、翌9月場所より「豊ノ海真二(豊前の海に因む)」に改名した。 漁業を営む家庭に生まれた。家族の仕事柄上普段から魚を食べて育ち、太い骨格と丈夫な内臓を養った。
益荒雄 広生(ますらお ひろお、1961年6月27日 - )… 益荒雄 広生(ますらお ひろお、1961年6月27日 - )は、福岡県田川郡糸田町出身で押尾川部屋(現在廃止)に所属していた元大相撲力士。最高位は西関脇(1987年7月場所)。現役時代の体格は188cm、127kg。本名は手島 広生(てしま ひろお)。得意手は右四つ、寄り、下手投げ。血液型はB型。現在は年寄・阿武松。夫人は、元プロゴルファーの奥村久子。
前乃臻 康夫(まえのしん やすお、1961年4月17日 - … 前乃臻 康夫(まえのしん やすお、1961年4月17日 - )は、福岡県嘉穂郡筑穂町(現役当時、現・同県飯塚市)出身で高田川部屋に所属した元大相撲力士。本名は沢辺 康夫(さわべ やすお)。最高位は東小結(1987年9月場所)。得意手は左四つ、寄り、上手投げなど。現役時代の体格は185cm、137kg、血液型はB型。 引退後、年寄・山響を借株で襲名するも1996年11月場所後に失踪状態になり(正式に失踪宣告を受けていたかは不明)、翌1997年1月31日に日本相撲協会から解雇された。 高田川親方(元大関・前の山)が育てた、初めての十両・幕内・三役力士である。力士から親方を経てタレントに転向した、元小結・龍虎を思わせるハンサム力士であった。
輪鵬 和久(りんほう かずひさ、1960年1月22日 - )… 輪鵬 和久(りんほう かずひさ、1960年1月22日 - )は、福岡県大川市出身で花籠部屋(入門後に放駒部屋に移籍)に所属した元大相撲力士。本名は志岐 和久(しき かずひさ)。身長178cm、体重195kg。最高位は西十両11枚目。得意技は突き、押し。 家具製造業を営む実家に生まれ、中学生の時はランニングを得意としていた。高校時代は柔道に打ち込んでおり、九州高校柔道大会で3位に入った。その活躍から多くの相撲部屋の勧誘を受けたが、花籠部屋に入門した。1977年3月場所に玄海鵬の四股名で初土俵を踏む。玄界鵬の四股名は郷土の玄界灘と横綱・大鵬に因んだ。入門直後から期待され、順調に番付を上げていった。兄弟子の横綱・輪島と共にランニングを行って調整していたことで知られ、その様子を収めた写真も現存している。
福龍岳 茂生(ふくりゅうだけ しげお、1959年5月8日 -… 福龍岳 茂生(ふくりゅうだけ しげお、1959年5月8日 - )は、福岡県嘉穂郡嘉穂町(現・嘉麻市)出身、出羽海部屋所属の元大相撲力士。本名は中尾 茂生(なかお しげお)。身長177cm、体重139kg。得意手は右四つ、下手投げ。最高位は東十両12枚目(1987年11月場所)。 中学生の時はバレーボール部に所属し、アタッカーとして活躍したが、相撲大会にも駆り出され、中学2 - 3年生の福岡県大会で3位に入賞した。高校へ進学して相撲部に所属する事が内定し、中学校卒業を間近に控えたときに勧誘され、本人も相撲が好きだったので高校の内定を断り入門を決意した。中学卒業と同時に出羽海部屋に入門し、1975年3月場所に初土俵を踏んだ。
富士の岩 秀之(ふじのいわ ひでゆき、1958年7月18日 … 富士の岩 秀之(ふじのいわ ひでゆき、1958年7月18日 - )は、九重部屋から井筒部屋、再度九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は岩木 秀之(いわき ひでゆき)。福岡県柳川市出身。182cm・148kg。最高位は西十両13枚目。得意技は右四つ、寄り。 後述の通り、廃業時点では嵐富士 裕紀(あらしふじ ひろゆき)を名乗っていたが、本項では十両在位時に名乗っていた富士の岩に統一して記述する。 小学校では野球をやっており、ポジションは三塁手や二塁手を務めた。小学5年生からは柔道も始めた他、地元の相撲大会にも駆り出されて出場し、毎回のように優勝したと言う。神社の奉納相撲中学生の相撲大会で優勝した際に、有望な中学生2人の存在を耳にして同大会を訪れていた年寄九重(第41代横綱・千代の山)に素質を見出され、会って話していくうちに九重は岩木少年の非常に礼儀正しい点を一遍に気に入り、岩木少年も九重の熱心な勧誘を受けて中学校卒業直後に入門した。
竹葉山 真邦(ちくばやま まさくに、1957年8月21日 -… 竹葉山 真邦(ちくばやま まさくに、1957年8月21日 - )は、福岡県浮羽郡浮羽町(現:同県うきは市、出生地は同県八幡市)出身で、宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は田崎 誠(たざき まこと)。現役時代の体格は176cm、121kg。得意手は突き、押し。最高位は東前頭13枚目(1986年9月場所)。 現役引退後は、1989年6月から2004年8月までと、2010年12月から2022年7月までの2度にわたり宮城野部屋の師匠となり、横綱白鵬らを育成した。 幼い頃から相撲を始め、北九州市立黒崎中学校では相撲部がなかったため、野球部に所属した。 中学2年時に父の知人から勧誘され、中学卒業と同時に宮城野部屋へ入門し、1973年3月場所にて初土俵を踏んだ。
玉輝山 正則(たまきやま まさのり、1951年4月29日 -… 玉輝山 正則(たまきやま まさのり、1951年4月29日 - )は、福岡県糸島郡前原町(現役当時、現在の同県糸島市)出身で片男波部屋に所属した元大相撲力士。本名は萩尾 正則(はぎお まさのり)。現役時代の体格は182cm、141kg。 最高位は西小結(1979年7月場所)。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 片男波親方(元関脇・玉乃海)の知人の紹介で、1963年1月、小学校在学中に片男波部屋へと入門。翌年5月場所に於いて、13歳で初土俵を踏んだ。 序ノ口当初から、「玉輝山」の四股名で相撲を取った。兄弟子の玉の海に稽古を付けてもらい、右四つの相撲ぶりや体格が玉の海に似ていたことから、周囲から「玉の海二世」と期待をかけられた。
大潮 憲司(おおしお けんじ、1948年(昭和23年)1月4… 大潮 憲司(おおしお けんじ、1948年(昭和23年)1月4日 - 2024年(令和6年)5月25日)は、福岡県八幡市(現・同県北九州市八幡東区)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は波多野 兼二(はたの けんじ)。最高位は東小結(1978年1月場所)。現役当時の体格は186cm、143kg。得意手は左四つ、寄り、突き。 大相撲で通算1891回出場の史上1位記録を持つ。 引退後は年寄・式守秀五郎(通称・式秀)を襲名し、1992年(平成4年)から日本相撲協会を停年(定年。以下同)退職する2013年(平成25年)1月まで式秀部屋の師匠を務めた。 幼いころに両親が離婚し下宿屋で貧乏しながら育ち、いわゆる「おばあちゃん子」であった。
大蛇川 覚(おろちがわ さとる、1938年4月10日 - 1… 大蛇川 覚(おろちがわ さとる、1938年4月10日 - 1985年12月2日)は、福岡県柳川市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は岡 覚(おか さとる)。183cm、124kg。最高位は西十両4枚目。得意技は左四つ、寄り。 1955年5月場所に初土俵。右肘関節を手術したり膝の怪我もあって三段目で苦戦するなど、出世は早いほうではなかったが、本来の右四つ相撲から左四つで右上手を浅く取って前に出る取り口にモデルチェンジしてからは、幕下へ定着していき、1963年3月場所に十両昇進。十両を25場所務めるも入幕はならず、1967年9月場所に廃業した。
常の松 寛(つねのまつ ひろし、1936年9月13日 - 没… 常の松 寛(つねのまつ ひろし、1936年9月13日 - 没年不明 )は、出羽海部屋に所属した元力士。本名は吉岡 寛(よしおか ひろし)(旧姓南口)。現在の福岡県嘉麻市(旧山田市)出身。178cm、102kg。最高位は西十両13枚目。得意技は左四つ、寄り。 1952年5月場所に初土俵、1960年7月場所に十両昇進。新十両の場所は8勝7敗と勝ち越したが、その後2場所連続で負け越し、わずか3場所で幕下陥落。1963年1月場所に26歳で廃業。
劍龍 猛虎(けんりゅう たけとら、1932年1月15日 - … 劍龍 猛虎(けんりゅう たけとら、1932年1月15日 - 1998年1月25日)は、時津風部屋に所属した元力士。元関脇・巨砲丈士の実父。本名は松本 隆一(まつもと りゅういち)。現在の福岡県嘉麻市出身。168cm、81kg。最高位は東十両筆頭。得意技は左四つ、下手投げ。 1947年6月場所に初土俵。1953年3月場所に十両昇進。1955年5月場所は東十両筆頭まで躍進したが5勝10敗と負け越し、ついに入幕はならず、右膝の負傷で途中休場した1957年5月場所限りで廃業した。
大潮 英雄(おおしお えいお、1930年3月11日 - 没年… 大潮 英雄(おおしお えいお、1930年3月11日 - 没年不明)は、陸奥部屋に所属した元力士。本名は廣松 英夫(ひろまつ えいお)。現在の福岡県柳川市出身。176cm、79kg。最高位は東十両9枚目。得意技は左四つ、上手投げ。 1948年5月場所に初土俵、1956年3月場所に十両昇進し連続8場所務めた。1958年1月場所限りで廃業。
筑後山 一政(ちくごやま かずまさ、1926年1月8日 - … 筑後山 一政(ちくごやま かずまさ、1926年1月8日 - 1978年3月12日)は、福岡県柳川市(旧福岡県山門郡)出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は石橋 一政(いしばし かずまさ)。185cm、106kg。最高位は東十両2枚目。得意技は右四つ、寄り。 福岡県柳川市の中學伝習館(現在の福岡県立伝習館高等学校)から中央大学法学部に進み、卒業直前に召集、大きな体に合う軍服が無かったため、陸軍気象部に配属され終戦を迎えた。卒業後は農林省に入省。 官僚時代に横綱・羽黒山政司一行が巡業で柳川に来た際に勧誘されて立浪部屋に入門することになり、その翌年1948年5月場所に初土俵を踏む。1954年3月場所に十両に昇進。
吉井山 朋一郎(よしいやま ともいちろう、1924年3月3日… 吉井山 朋一郎(よしいやま ともいちろう、1924年3月3日 - 没年不明)は、福岡県田川郡糸田町出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は吉井 朋一郎(よしい ともいちろう)。最高位は西前頭11枚目(1951年5月場所、1953年3月場所)。現役時代の体格は182cm、92kg。得意手は右四つ、突っ張り、叩き込み。 旧制田川中学時代から相撲で鳴らしており、興亜専門学校(現在の亜細亜大学)から紅陵大学(現在の拓殖大学)へと進んだ。紅陵大時代には1947年の第2回石川国体や全国学生相撲選手権大会で優勝を飾るなど活躍した。卒業と同時に出羽海部屋へ入門し、1948年5月場所にて幕下14枚目格付出で初土俵を踏んだ。
藤田山 忠義(ふじたやま ただよし、1924年2月11日 -… 藤田山 忠義(ふじたやま ただよし、1924年2月11日 - 1969年5月9日)は、福岡県田川郡(現在の田川市)出身で高砂部屋(入門時は片男波部屋)に所属した元大相撲力士、日本プロレス所属のプロレスラー。大相撲時代は1950年前後に活躍し、最高位は西前頭12枚目(1950年1月場所)。大相撲時代の体格は身長167cm、体重113kg。得意手は押し。本名は藤田 忠義(ふじた ただよし)。 元幕内・開月の片男波部屋に入門、1939年(昭和14年)1月場所に本名の藤田の四股名で初土俵を踏んだ。順調に出世して、1944年(昭和19年)5月場所で新十両へ昇進を果たした。入門以来1945年6月場所までは連続して勝ち越しを収めていた。
大起 男右エ門(おおだち だんえもん、1923年10月6日 … 大起 男右エ門(おおだち だんえもん、1923年10月6日 - 1970年1月31日)は、福岡県嘉穂郡穂波町(現在の同県飯塚市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は山本 男次郎(やまもと だんじろう)→石田 男次郎(いしだ -)。現役時代の体格は194cm、180kg。最高位は東小結(1955年3月場所)。得意手は左四つ、寄り、鯖折り。 引退後は、年寄・境川を襲名した。 小学生の頃、嘉穂郡内の相撲大会で優勝した事が評判となり、6代目出羽海(元小結・両國)の命を受けた九州山が勧誘して出羽海部屋へ入門した。 1938年5月場所、14歳で初土俵を踏む。当初の四股名は本名の「山本」であったが、故郷に因んだ「穂波山」と改名して1945年6月場所で十両に昇進、1946年11月場所で入幕を果たした。
福知海 勝美(ふくちうみ かつみ、1915年1月1日 - 没… 福知海 勝美(ふくちうみ かつみ、1915年1月1日 - 没年不明)は、昭和時代の元大相撲力士。若藤部屋所属。本名は水上 勝美。最高位は十両9枚目。 福岡県宗像郡福間町(現福津市)出身。若藤部屋に入門し、1932年2月「西郷」の四股名で初土俵を踏む。1936年5月十両昇進、この間四股名を「福知海」に改めた。十両で5勝6敗と負け越し、幕下に落ちた。1937年5月に廃業した。
九州山 義雄(きゅうしゅうざん よしお、1913年10月20… 九州山 義雄(きゅうしゅうざん よしお、1913年10月20日 - 1990年5月30日)は、福岡県山田市(現嘉麻市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は大坪 義雄。最高位は西小結。現役時代の体格は身長176cm、体重88kg。 昭和5年(1930年)1月場所で初土俵を踏み、負け越しなしで昭和7年(1932年)5月場所に十両昇進、春秋園事件からの帰還組との対戦でもまれたために十両では時間がかかったが、昭和9年(1934年)1月場所、大正生まれとして初の幕内力士となった。激しく動き回る相撲で相手を撹乱するのが得意であった。昭和13年(1938年)1月場所には小結昇進、その場所大負けはしたものの、横綱玉錦を素首落としで破る殊勲の星を挙げた。
沖ツ海 福雄(おきつうみ ふくお、1910年5月28日 - … 沖ツ海 福雄(おきつうみ ふくお、1910年5月28日 - 1933年9月30日)は、福岡県宗像郡(現:福岡県宗像市)出身で若藤部屋に所属した大相撲力士。本名は北城戸 福松(きたじょうと ふくまつ)。最高位は東関脇。 1910年5月28日に福岡県宗像郡(現:福岡県宗像市)で生まれる。千田川部屋(大坂相撲)に入門するが龍神事件で師匠が廃業したため、1924年5月場所から東京市内の若藤部屋に移籍した。当初は上ヶ汐の四股名だったが、1926年5月場所より沖ツ海と改名した。1931年1月場所で新入幕を果たすと、この年は1月と5月の東京場所で5勝6敗と負け越したが、3月場所は8勝3敗、10月場所は7勝4敗と勝ち越して番付を上げた。
龍王山 光(りゅうおうざん ひかる、1910年3月25日 -… 龍王山 光(りゅうおうざん ひかる、1910年3月25日 - 1948年2月18日)は、福岡県飯塚市出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は高鍋 光。最高位は東前頭2枚目(1941年1月場所)。得意手は突っ張り、叩き。現役時代の体格は180cm、113kg。 1930年3月場所、出羽海部屋から初土俵を踏む。入門が遅かったわりには出世もあまり早くはなく、十両昇進は1936年1月場所だった。その後は上昇気流に乗り、1938年1月場所で十両優勝して5月場所には新入幕、そこでも勝ち越しを続け、入幕3場所目となる1939年5月場所8日目には初日から勝ちっ放しの横綱男女ノ川から金星を挙げる活躍をした。翌1940年1月場所8日目、横綱双葉山に、仕切り1回で立ち合うという奇襲を仕掛けたが、あっさりと上手投げで退けられた。
生汐 左衛門(いくしお さえもん、1904年4月26日 - … 生汐 左衛門(いくしお さえもん、1904年4月26日 - 没年不明)は、福岡県柳川市出身で、陸奥部屋に所属した元大相撲力士。本名は近藤 儀一郎。最高位は十両6枚目。 陸奥部屋に入門し、1923年1月序ノ口に就く。1932年5月十両に昇進。十両は2場所とも負け越しに終わった。1935年5月廃業。
三池山 大五郎(みいけやま だいごろう、1903年8月8日 … 三池山 大五郎(みいけやま だいごろう、1903年8月8日 - 1951年3月22日)は、昭和時代の大相撲力士。陸奥部屋所属。本名は松井 善次。最高位は十両9枚目。 福岡県大牟田市出身。陸奥部屋に入門し、1922年5月、「葉颪」の四股名で初土俵を踏む(のち「三池山」に改名)。1928年1月十両に昇進。この場所は2勝8敗1分と負け越した。昭和初期は東京場所と地方場所とで別々に番付が作成されたため、三池山の場合、東京場所では成績が良い反面、地方場所では不振となり、十両に昇進した次の場所の1928年3月では三段目の地位にあった。十両は在位1場所で終わり、復帰することはなかった。1930年10月に廃業。
大潮 清治郎(おおしお せいじろう、1900年8月11日 -… 大潮 清治郎(おおしお せいじろう、1900年8月11日 - 1979年3月29日)は、福岡県三潴郡(現在の大川市)出身で陸奥部屋に所属した大相撲力士。本名は石橋 清治郎(いしばし せいじろう)。現役時代の体格は身長184cm、体重116kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東関脇。二枚鑑札で年寄・陸奥を襲名。 陸奥部屋に入門、1919年1月場所に初土俵を踏む。入門も遅かったこともあって、昇進もゆっくりで、新十両が1928年3月、新入幕は1932年1月場所で、すでに30歳を超えていた。その新入幕の場所に春秋園事件が起こり、多くの力士が脱退したが、彼は残留し、その結果いきなり東前頭2枚目と幕内上位に進出することになった(事件前の番付は東前頭12枚目だった)。
開月 勘太郎(かいげつ かんたろう、1899年2月2日 - … 開月 勘太郎(かいげつ かんたろう、1899年2月2日 - 1966年7月16日)は、福岡県鞍手郡若宮町(現在の宮若市)出身で花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は花田 勘太郎(はなだ かんたろう)。身長169cm、体重90kg。引退後は年寄として弟子を育てたこともあった。 1916年に当時の尾車部屋に入門する。その後、兄弟子の三杦磯善七に従って、所属部屋はしばしば変った(尾車→峰崎→片男浪→伊勢ノ海→花籠)。幕内在位時の所属部屋は伊勢ノ海部屋であったが、三杦磯の引退とともに興した花籠部屋に移籍し、そこで現役を終えた。 169cmという小柄で、体重も90kgという軽量で、右四つから食い下がる相撲を得意とした。
大潮 又吉(おおしお またきち、1893年2月24日 - 1… 大潮 又吉(おおしお またきち、1893年2月24日 - 1964年4月16日)は、福岡県山門郡大和町(現在の柳川市)出身で陸奥部屋に所属した大相撲力士。本名は塩塚 又吉。最高位は東関脇。現役時代の体格は182cm、90kg。得意手は右四つ、吊り、寄り、上手投げ、突っ張り。 1911年(明治44年)6月場所、序ノ口で初土俵を踏んだ。5年後の1916年(大正5年)5月場所に十両昇進、その翌年、1917年(大正6年)5月場所には入幕を果たした。この場所、初日から勝ち続けて9連勝、千秋楽こそ預りとなったものの9勝1預無敗の堂々たる成績で優勝旗手となった(この場所、優勝は同成績の大関栃木山)。新入幕力士の無敗は1914年(大正3年)5月場所の前頭14枚目両國以来の快挙で、その後も1945年(昭和20年)11月場所の前頭10枚目千代ノ山を最後に出ていない。
大門岩 嘉右エ門(おおといわ かえもん、1890年4月13日… 大門岩 嘉右エ門(おおといわ かえもん、1890年4月13日 - 1950年4月5日)は、現在の福岡県糸島市出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は吉村 嘉右衛門。最高位は東関脇(1922年1月場所)。現役時代の体格は175cm、101kg。得意技はもろ差し、右四つ、寄り、上手出し投げ。非力ながら出足は鋭かった。 福岡県志摩郡芥屋村(のち糸島郡芥屋村→同志摩村→同志摩町、現在の糸島市)出身。1909年1月山分部屋から初土俵を踏む。後に出羽海部屋に移籍する。四股名は故郷の名勝「芥屋の大門」に因んだ。順調に昇進し1914年1月十両、1917年1月入幕した。175cm、101kgの体でもろ差し、右四つを得意とし、上手出し投げも得意とするなど技巧派。
瀬戸山 要藏(せとやま ようぞう、1890年(明治23年)2… 瀬戸山 要藏(せとやま ようぞう、1890年(明治23年)2月11日 - 没年不詳)は、福岡県三池郡大牟田町(現・大牟田市)出身の大相撲力士。本名は安永 要藏。身長176cm、体重105kg。大阪相撲では関脇を務めたが東西合併で十両に編入されその後は入幕できなかった。 当初は東京相撲の雷(元初代梅ヶ谷)の門に入り1910年(明治43年)6月序ノ口についた。その後大阪相撲に移り藤嶋部屋から陣幕部屋の所属となった。1919年(大正8年)1月新入幕、その場所8勝2預で優勝を飾った。1920年(大正9年)1月には関脇に進むが大きく負け越しその後は平幕に低迷した。1923年(大正12年)1月関脇に返り咲き勝ち越し。
佐賀ノ海 初太郎(さがのうみ はつたろう、1884年2月4日… 佐賀ノ海 初太郎(さがのうみ はつたろう、1884年2月4日 - 1937年3月24日)は、現在の福岡県柳川市出身で湊部屋、出羽海部屋に所属した力士。本名は松永 初太郎。7代二子山。170cm、90kg。最高位は西前頭6枚目。 生まれは福岡県三潴郡蒲池村(現在の柳川市)だが、その後佐賀市唐人町に移住。このことが、のち四股名の由来となった。 大坂相撲に在籍したが、1906年に東上。常陸山谷右エ門の弟子になり、5月に幕下付出で初土俵。1908年5月に十両昇進。1911年2月に入幕した。左四つからの上手投げ、立ち合いからの叩き込みを得意とした。1916年1月に引退し、先代師匠の未亡人と婚姻し二子山を襲名したが、常陸山の逆鱗に触れ1918年5月に廃業した。
陣幕 徳太郎(じんまく とくたろう、1874年(明治7年) … 陣幕 徳太郎(じんまく とくたろう、1874年(明治7年) - 1937年(昭和12年)11月15日)は福岡県怡土郡雷山村(現・糸島市)出身の大相撲力士。本名は村里(村尾説あり)徳太郎。大阪相撲で活躍し最高位は大関。 湊に入門し、荒木山 徳蔵の名で1894年(明治27年)4月四段目が初見。1895年(明治28年)10月雷山 徳太郎と改名。1903年(明治36年)1月入幕。171cm108kgの体格で左四つ寄り、上手投げを得意とし食い下がって粘る取り口も見せた。 1906年(明治39年)2月小結、1907年(明治40年)1月関脇に昇進。1908年(明治41年)1月二枚鑑札で11代陣幕 徳太郎を襲名、この場所8勝1敗と優勝相当成績を上げ気を吐いた。
唐辛 多喜弥(とうがらし たきや、1864年6月2日 - 1… 唐辛 多喜弥(とうがらし たきや、1864年6月2日 - 1944年6月27日)は、福岡県行橋市出身で雷部屋に所属した大相撲力士。本名は奥村 多喜弥(旧姓:宮原)。最高位は西前頭11枚目(1896年1月場所)。現役時代の体格は164cm、81kg。 唐辛という非常に珍しい四股名の持ち主だが、これは「小粒でもピリリと辛い」という意味が込められていたという。名付け親は彼を贔屓にしていた伊藤博文とも、黒田清隆とも伝わる。 当初は大坂相撲で取っていたが上京し、15代横綱梅ヶ谷に入門、1883年(明治16年)1月場所序二段付出で東京相撲の初土俵を踏んだ。十両には1889年(明治22年)1月場所に昇進、入幕は1894年(明治27年)5月場所のことだった。
梅ヶ谷 藤太郎(うめがたに とうたろう、1845年3月16日… 梅ヶ谷 藤太郎(うめがたに とうたろう、1845年3月16日(弘化2年2月9日) - 1928年(昭和3年)6月15日)は、筑前国上座郡志波村梅ヶ谷(現・福岡県朝倉市)出身で玉垣部屋(入門時は大坂相撲の湊部屋)に所属した大相撲力士。第15代横綱。本名は小江 藤太郎(おえ とうたろう)。 明治時代前期の角界の第一人者であり、「古今十傑」「明治以後の五大力士」等、相撲史上でも特筆される存在となっている。 1845年3月16日(弘化2年2月9日)に、筑前国上座郡志波村梅ヶ谷で生まれる。にわかには信じがたいが赤子の頃から石臼を引き摺るほどの怪童で、母乳や菓子より酒を欲しがったため、酒で育てられたという。
雲龍 久吉(うんりゅう きゅうきち(ひさきち)、1823年 … 雲龍 久吉(うんりゅう きゅうきち(ひさきち)、1823年 - 1890年6月15日)は、筑後国山門郡大和村(現:福岡県柳川市)出身で追手風部屋(入門時は陣幕部屋)に所属した大相撲力士。第10代横綱。本名は塩塚 久吉で、のちに佐藤 喜太郎と名乗る。 1823年に筑後国山門郡で半農半漁を営む家の長男として生まれたが、1835年に大流行した疫病で両親・祖母を相次いで失ったため、生来の怪力を活かして力仕事をこなし、幼い弟と妹を養った。やがて力仕事だけでは養っていけなくなり、土地相撲で頭取を務めていた小櫻(京都相撲の元力士だったと伝わる)、箕嶋に指導を受けた。 やがて、土地相撲から陣幕部屋(大坂相撲)に入門したが、1846年に江戸へ出て江戸相撲・追手風の弟子となり、1848年11月場所において幕下二段目付け出しで初土俵を踏むと同時に、柳川藩の抱え力士となる。