平戸海 雄貴(ひらどうみ ゆうき、2000年4月20日 - … 平戸海 雄貴(ひらどうみ ゆうき、2000年4月20日 - )は、長崎県平戸市出身で、境川部屋所属の現役大相撲力士。本名は坂口 雄貴(さかぐち ゆうき)。身長178cm、体重140.0kg、血液型はB型。得意技は寄り。最高位は西小結(2024年7月場所 - 9月場所)。 平戸市立紐差小学校1年次から地元の紐差相撲クラブで相撲を始めた。小学校4年次から6年次にわんぱく相撲全国大会に3年連続で出場している。他のスポーツも嗜んでおり、小学校時代は野球とバレーボールにも取り組んだ。平戸市立中部中学校在学中は2年次と3年次に全国中学校相撲選手権大会(全中)と全国都道府県中学生相撲選手権大会に出場し、3年次に全中でベスト8まで勝ち上がっている。
上戸 大輝(かみと だいき、1995年8月19日 - )は、… 上戸 大輝(かみと だいき、1995年8月19日 - )は、長崎県大村市出身で、立浪部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長178.8cm、体重148.2kg。最高位は東幕下3枚目(2024年11月場所)。 幼少期から空手や剣道、バスケットボールなど多くのスポーツに取り組んでいたが、大村市立大村小学校5年次に地元ラグビースクールのコーチに誘われ、ラグビーを始めた。ラグビーと並行して大村市立玖島中学校では水泳部に所属していた。大村工業高校進学後は10人制ラグビーで九州大会を制覇し、7人制ラグビーでは九州選抜チームの主将として全国制覇を達成している。2年次には大相撲の7代立浪(元小結・旭豊)から勧誘を受けたが、その時はラグビーを続けるつもりであったため断っている。
對馬洋 勝満(つしまなだ まさみつ、1993年6月27日 -… 對馬洋 勝満(つしまなだ まさみつ、1993年6月27日 - )は、長崎県諫早市出身で、境川部屋所属の現役大相撲力士。本名は梅野 勝満(うめの まさみつ)。身長185.0cm、体重143.0kg、血液型はA型。最高位は東十両9枚目(2023年3月場所)。 諫早市立湯江小学校4年次に、地元の相撲道場(両国少年相撲クラブ)で相撲を始めた。諫早市立高来中学校時代はバスケットボール部に所属したが、部活引退後に相撲の大会に出場したところ、勝ち進んで全中に出場したことで高校の相撲部から勧誘され、諫早農業高校農業土木科に進学した。同校在学中は、高校総体や国体少年の部に出場した経験を持つ。日本大学文理学部体育学科に進学し相撲部へ入部すると、1年次に東日本学生相撲個人体重別選手権大会100kg未満級優勝、2年次に東日本学生相撲競技会優勝、3年次に東日本学生相撲個人体重別選手権大会115kg未満級優勝の実績を残した。
諫誠 章道(かんせい あきみち、1989年8月25日 - )… 諫誠 章道(かんせい あきみち、1989年8月25日 - )は、長崎県諫早市出身で境川部屋に所属した元大相撲力士。本名は三木 章道(みき あきみち)。現役時代の体格は身長183cm、体重173.7kg、血液型はA型。最高位は東幕下3枚目(2014年1月場所)。 憧れの力士は同部屋の豊響であり、「一気に持っていく相撲を取りたい。」と話している。 相撲を始めたのは長崎県雲仙市立南串第二小学校の1年生の時であり、両親と共によく食事に行っていた近所のちゃんこ屋の主人の勧めで長崎県立諫早農業高等学校の相撲道場に通うことになった。一方で小学4年生からは空手を始めた。わんぱく相撲では5年、6年時に全国大会へ出場した経験を持つ。
佐田の富士 哲博(さだのふじ あきひろ、本名:山本 哲博(や… 佐田の富士 哲博(さだのふじ あきひろ、本名:山本 哲博(やまもと あきひろ)、1984年12月25日 - )は、長崎県南高来郡加津佐町(現在の南島原市)出身で境川部屋所属(入門時は中立部屋)の現役大相撲力士。愛称はコテツ。好物は刺身、ビール。
下田 圭将(しもだ けいしょう、1984年1月28日 - )… 下田 圭将(しもだ けいしょう、1984年1月28日 - )は、長崎県島原市出身で追手風部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。得意は押し。現役時代の体格は身長174cm、体重138kg。最高位は西幕下筆頭(2006年7月場所)。 島原三小4年生の時に相撲を始め、島原二中を経て諫早農高相撲部へと進み、高校3年の時にインターハイ個人戦準優勝、世界ジュニア相撲選手権大会重量級優勝。その後日本大学へ進学し、大学1年で東日本学生相撲新人選手権大会優勝、2年で全国学生相撲選手権大会3位、3年で世界相撲選手権大会無差別級で優勝した。4年の時には主将を務め、国民体育大会秋季大会相撲競技・成年Aと全国学生相撲選手権大会で優勝し、大相撲の幕下付出新制度導入後初の幕下10枚目格付け出しが期待されたが、全日本相撲選手権大会では準決勝で敗れ3位に終わった。
政風 基嗣(まさかぜ もとつぐ、1983年4月28日 - )… 政風 基嗣(まさかぜ もとつぐ、1983年4月28日 - )は、長崎県長崎市出身で尾車部屋所属の現役大相撲力士。本名は北園基嗣(きたぞの - )。身長183cm、体重191kg。得意技は右四つ、寄り。最高位は東十両12枚目(2012年5月場所)。好物は肉類。嫌いなものは魚介類。趣味は音楽鑑賞(特に洋楽)。
出羽乃富士 智章(でわのふじ ともあき、1976年12月4日… 出羽乃富士 智章(でわのふじ ともあき、1976年12月4日 - )は、長崎県大村市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は冨永 友和(とみなが ともかず)。身長184cm、体重138kg。最高位は西十両9枚目(2003年3月場所)。得意技は右四つ、寄り、投げ。血液型B型、星座は射手座、干支は辰年。 中学時代(大村市立郡中学校)は柔道部に所属していた。同じ市内の大村市立大村中学校で1学年先輩の金(金開山)が出羽海部屋に入門する際に出羽海(元横綱・佐田の山)に紹介された。中学卒業後に出羽海部屋に入門し、1992年3月場所に初土俵を踏んだ。相撲経験は無かったが着実に番付を上げ、初土俵から僅か2年半で幕下に昇進した。
隆乃若 勇紀(たかのわか ゆうき、1976年4月2日 - )… 隆乃若 勇紀(たかのわか ゆうき、1976年4月2日 - )は、長崎県北松浦郡生月町(現在の平戸市)出身で、鳴戸部屋に所属した元大相撲力士。本名は尾崎 勇記(おざき ゆうき)。最高位は東関脇(2003年1月場所、2003年3月場所)。身長190cm、体重152kg、血液型はA型。得意手は右四つ・上手投げ。父は元プロ野球選手の尾崎亀重。 小学校、中学校と父には野球を強要されたが、反発していた尾崎は頑なに野球をやらなかった。運動神経が良く中学時代はバスケットボール部で活躍した。生月島の宮相撲を視察していた鳴戸親方(元横綱・隆の里)に勧誘され、1992年(平成4年)3月場所初土俵。関脇若の里、元幕内隆の鶴は同部屋で同期生である。
金開山 龍(きんかいやま りゅう、1976年1月7日 - )… 金開山 龍(きんかいやま りゅう、1976年1月7日 - )は、長崎県大村市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は松山 龍水(まつやま りゅうすい)。旧名は金 龍水(キム・ヨンス)。現役時体格は身長183cm、体重163kg。最高位は東前頭6枚目(2003年11月場所)。得意手は右四つ、寄り。現在は年寄・高崎。 1991年3月場所初土俵。同期に千代天山、春日錦らがいる。 早くから期待され、1998年1月場所には十両に昇進した。新十両の場所で12勝3敗の成績で十両優勝。その勢いで勝ち越しを続け同年7月場所新入幕を果たした。しかし、立合いが遅く相手に組まれる相撲が多く幕内に定着することが出来ず、長く十両と幕内を往復した(6回)。
3代 木村 光之助(さんだい きむら みつのすけ、1975年… 3代 木村 光之助(さんだい きむら みつのすけ、1975年(昭和50年)12月30日 - )は、大相撲の幕内格行司である。本名は川原 誠(かわはら まこと)。二子山部屋→花籠部屋→峰崎部屋→高田川部屋所属。血液型はA型。 長崎県雲仙市吾妻町出身。元関脇の太寿山忠明(15代花籠親方)と遠縁の親戚であったことから「床山にならないか」と誘われ、太寿山が当時所属していた二子山部屋に入門。 入門当初、日本相撲協会所属の床山の定員が満杯であったため、枠に空きが出るのを待ちながら当時の二子山部屋師匠だった初代若乃花幹士(10代二子山)の小間使などをしていたが、NHK BSの相撲中継で行司のかっこ良さに憧れるようになり、その時に行司の定員枠に空きが出来たことから行司になることを決めて太寿山の花籠親方に申し出て行司として協会構成員になった。
時津海 正博(ときつうみ まさひろ、1973年11月8日 -… 時津海 正博(ときつうみ まさひろ、1973年11月8日 - )は、長崎県福江市(現・五島市)の出身で時津風部屋所属の元大相撲力士。本名は坂本 正博(さかもと まさひろ)。東京農業大学卒業。最高位は東前頭3枚目(2001年11月場所)。身長184cm、体重137kg。得意手は右四つ・寄り。趣味は釣り。現在は年寄・時津風、血液型はA型、星座は蠍座。
出羽嵐 大輔(でわあらし だいすけ、1970年(昭和45年)… 出羽嵐 大輔(でわあらし だいすけ、1970年(昭和45年)7月28日 - 2010年(平成22年)3月30日)は、長崎県対馬市(旧上県郡上県町)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は須川 清(すがわ きよし)。身長184cm、体重186kg。得意手は突き、押し、右四つ、寄り。最高位は西前頭14枚目(1998年(平成10年)7月場所)、血液型はO型、趣味は映画鑑賞。 本場所の場内アナウンスにおいては「長崎県上県郡上県町出身」ではなく「長崎県対馬出身」と紹介されていた。 地方公務員の二男として誕生し、上県町立佐護中学校ではバレーボールと柔道で活躍し、体格と運動神経を見出されて中学卒業後の角界入りを勧められたが、気が進まず断り長崎県立対馬高等学校に入学。
両国 梶之助(りょうごく かじのすけ、1962年7月30日 … 両国 梶之助(りょうごく かじのすけ、1962年7月30日 - )は、長崎県長崎市出身の元大相撲力士。本名は小林 秀昭(こばやし ひであき)。出羽海部屋伝統の四股名である両國(兩國)梶之助を襲名した者は9人存在するが新字体の両国表記のみの者は当人だけである。学生相撲の経験を有する影響で、両国梶之助 (小林)とも表記される場合がある。現在は年寄・境川(13代)として境川部屋師匠を務めている。
嗣子鵬 慶昌(ししほう よしまさ、1955年(昭和30年)8… 嗣子鵬 慶昌(ししほう よしまさ、1955年(昭和30年)8月14日 - 2006年(平成18年)10月7日)は、長崎県北高来郡森山町(現在の諫早市)大字森山慶師野名出身で大鵬部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。本名は田中 修(たなか おさむ)。現役時代の体格は190cm、122kg。最高位は西前頭2枚目(1983年(昭和58年)7月場所)。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 横綱・大鵬の内弟子として森山町立森山中学校卒業直前に二所ノ関部屋へ入門し、1971年(昭和46年)1月場所にて、15歳で初土俵を踏んだ。翌年1月には、引退後「一代年寄」となった大鵬親方が二所ノ関部屋から分家独立したのに伴い、大鵬部屋へ移籍。
玉龍 大蔵(たまりゅう だいぞう、1954年7月22日- )… 玉龍 大蔵(たまりゅう だいぞう、1954年7月22日- )は、長崎県長崎市出身で片男波部屋に所属した元大相撲力士。本名は永田 大蔵(ながた だいぞう)。最高位は西小結(1987年11月場所)。現役時代は身長191cm・体重125kg。得意手は右四つ・吊り・上手投げ・足癖など。趣味は音楽鑑賞。血液型はA型。 林業を営む一家の次男として生まれ、長崎市立東長崎中学校では、柔道を経験した。 中学3年生の時、元関脇・玉乃海の片男波親方の勧誘を受けて、片男波部屋に入門。初めは勧誘を断ったが、自身がNHK相撲解説者の玉ノ海梅吉(元関脇)と同郷であると教えられ、その縁で見学だけならというつもりで部屋を訪れたらそのまま入門が決定したという。
吉の谷 彰俊(よしのたに あきとし、1949年4月23日 -… 吉の谷 彰俊(よしのたに あきとし、1949年4月23日 - 2000年1月14日)は、長崎県南松浦郡三井楽町(現・同県五島市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は吉谷 作利(よしたに さくとし)。最高位は西前頭4枚目(1974年9月場所)。現役時代の体格は177cm、104kg。得意手は右四つ、足取り、下手投げ。 五島列島の福江島出身で、同郷の横綱・佐田の山に憧れて、中学校卒業後に彼が所属する出羽海部屋へ入門。1965年5月場所に於いて、16歳で初土俵を踏んだ。 当初の四股名は、本名でもある「吉谷」。 三段目で3年半ほど苦労し、途中「宇戸の山」と改名したが1年ほどで本名に「の」の字を挟んだ「吉の谷」と四股名を改めた。
隆昌山 勝茂(りゅうしょうやま かつしげ、1942年10月2… 隆昌山 勝茂(りゅうしょうやま かつしげ、1942年10月20日-没年不明)は、小野川部屋、出羽海部屋に所属した元力士。本名は平戸 茂(ひらと しげる)。現在の長崎県西海市出身。177cm、98kg。最高位は西十両7枚目。得意技は左四つ、寄り。 大工の子として生まれ、中学校2年生だった1956年に出羽海部屋の一行が巡業に来た時に小結・成山が親戚の家に宿泊した。翌1957年に父親と一緒に11月場所を観戦して成山を訪ねると勧誘され、自分の力を試してみたかったので進学させる予定だった父親を説得して、中学校卒業後に小野川部屋へ入門した。1958年3月場所に初土俵。序二段を通過するのに約2年の年月を費やしたが、それ以降は順調に出世し、1964年9月場所に十両に昇進(この時の四股名は「宝満山 茂」)。
木村 一童(きむら いちどう、本名:入枝 政次、1941年3… 木村 一童(きむら いちどう、本名:入枝 政次、1941年3月3日 -没年不詳)は大相撲の元三役格行司。春日野部屋→北の湖部屋所属。長崎県五島市出身。血液型O型。 1958年5月場所に木村 真佐也の名で初土俵。1972年3月場所に木村 孔一と改名。以後三役格まで進み、2005年11月場所よりに木村一童と改名する。 能の研究家でもあったため、それゆえ所作は非常に凝っていた。また、掛け声や呼び上げ、口上にもその影響が見られ、美声には定評があった。一童の行司ぶりだけを見に来る客もいたと言う。 三段目格時代の1963年1月場所では木村浩士(のち幕下格)を、幕下格行司時代の1974年1月場所(当時の武藏川理事長よって行司選抜制度が導入された場所)では木村忠雄(のちの三役格・10代式守錦太夫)を抜いたが、いずれも年齢差調整や相手の差し違え数によるものであり、1975年3月場所では式守勝治(のちの11代式守与太夫→34代木村庄之助)及び再び忠雄に序列で抜かれている。
吉ノ岩 義行(よしのいわ よしゆき、1938年10月29日 … 吉ノ岩 義行(よしのいわ よしゆき、1938年10月29日 -没年不明 )は、二所ノ関部屋に所属した元力士。本名は中村 義行(なかむら よしゆき)(旧姓吉村)。現在の長崎県大村市出身。168cm、79kg。最高位は東十両7枚目。得意技は左四つ、寄り。 長崎県立大村高等学校では野球部に所属し、ポジションは捕手を務めたが、毎年行われていた花相撲を観戦して力士を志し、元二所ノ関部屋の幕下小海山に紹介されて二所ノ関部屋に入門した。入門して約半年間は同郷で相撲解説者の玉の海が住む兵庫県尼崎市の家に住み込んで世話を受けた。1956年1月場所に初土俵。1962年5月場所に十両昇進。非常に軽量ながら7場所連続で十両を務めたが、幕下に陥落した1963年7月場所に24歳で廃業した。
佐田の山 晋松(さだのやま しんまつ、1938年2月18日 … 佐田の山 晋松(さだのやま しんまつ、1938年2月18日 - 2017年4月27日)は、長崎県南松浦郡有川町(現・新上五島町)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。第50代横綱。本名は市川(旧姓:佐々田)晋松(いちかわ しんまつ)。 南松浦郡有川町(現:長崎県南松浦郡新上五島町)で船大工を営む家に生まれる。子どもの頃から材木を運んだり、カンナをかけたりして体を作っていた。幼少期に大の相撲好きだった父親から、郷土の英雄とされている五ツ嶋奈良男の話を聞かされ、土地相撲に連れて行かれる内に相撲に憧れを抱き、角界入りを希望するが母親からは猛反対された。長崎県立上五島高等学校に進学後は相撲部に所属し、3年生で長崎県大会に参加を勧誘されて一度は辞退したものの、強引な説得に根負けして補欠選手として出場するが、いざ対戦してみるとほとんど負けなかったことから自信が付き、角界入りを強く望むようになった。
福田山 幸雄(ふくだやま ゆきお、1931年7月18日 - … 福田山 幸雄(ふくだやま ゆきお、1931年7月18日 - 没年不明 )は、長崎県諫早市川床町出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は福田 幸雄(ふくだ ゆきお)。得意手は右四つ、上手投げ。最高位は西前頭4枚目(1961年7月場所)。現役時代の体格は181cm、94kg。 少年時代は大変な悪童として地元でもよく知られ、諫早農業高校を濡れ衣の暴力事件絡みで中退後は、福岡市でトヨタ自動車の見習工として働いていた。だが、ほどなく退職。 その後、「相撲取りになってはどうか」と、父の知人から出羽海部屋付きの待乳山親方(元関脇・両國)を紹介された。 1949年春、上京して出羽海部屋に入門し、同年5月場所で初土俵。
平ノ戸 千代蔵(ひらのと ちよぞう、1921年12月10日 … 平ノ戸 千代蔵(ひらのと ちよぞう、1921年12月10日 - 2009年1月2日[要出典])は、長崎県佐世保市東浜町出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は磯本 千代一(いそもと ちよいち)。最高位は東前頭17枚目(1955年3月場所)。現役時代の体格は174cm、97kg。得意手は右四つ、寄り。 1940年に上京し、同じ佐世保市出身の肥州山の伝で、出羽海部屋へ入門。同年5月場所で初土俵を踏んだ。 当初の四股名は本名と同じ「磯本」だったが、「磯ノ海」「大湊」を経て、1951年1月より故郷に程近い北松浦郡平戸町(現在の平戸市)と同郷の先輩でもある「平ノ戸三之助」に因んだ「平ノ戸」に改名。 三段目時代の1943年5月、応召され、1946年11月場所の直前まで復帰が叶わなかった。
雲仙嶽 光徳(うんぜんだけ みつのり、1913年2月15日 … 雲仙嶽 光徳(うんぜんだけ みつのり、1913年2月15日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。出羽海部屋所属。本名は福本 光徳。最高位は十両3枚目。 長崎県佐世保市出身。出羽海部屋に入門し、1930年10月に本名の「福本」で初土俵を踏む。1938年1月十両に昇進。1939年1月から2年間応召され、1941年1月に復帰した。1942年5月自己最高位となる東十両3枚目まで上がるが、この場所3勝12敗と大きく負け越し廃業した。身長184cmと当時としては長身だったが、兵役に取られていたのと、腰を痛めたため大成できなかった。
玉ノ海 梅吉(たまのうみ うめきち、1912年11月30日 … 玉ノ海 梅吉(たまのうみ うめきち、1912年11月30日 - 1988年10月23日)は、長崎県東彼杵郡(現:長崎県大村市)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は蔭平 梅吉(かげひら うめきち)。最高位は東関脇。 当初から近眼だったため、家業である真珠の養殖作業を継ぐことが出来ず、既に立派な体格をしていたことから宮相撲で活躍し、力士を志すようになる。1930年に同郷の肥州山栄を頼って上京したものの、既に巡業へ出発した後だったために入門は叶わなかったが、偶然そばを通りかかった玉錦三右エ門から見出され、二所ノ関部屋へ入門した。四股名は故郷・長崎県の名産である真珠をイメージして「海ノ玉」または「玉ノ海」で迷ったが、後者を選択したと後年になって語った。
常盤野 藤兵衛(ときわの とうべえ、1907年1月27日 -… 常盤野 藤兵衛(ときわの とうべえ、1907年1月27日 - 1974年12月10日)は、長崎県長崎市出身で出羽海部屋に所属した力士。本名は鳥越 藤兵衛。174cm、94kg。最高位は東前頭8枚目。 草相撲で鳴らし、同郷の6代出羽ノ海(元小結両國)にスカウトされ入門。1925年5月初土俵、1929年5月十両昇進。1931年1月新入幕。やせ型だが、肩幅が広く、若さあふれる突っ張りを得意とした。四つは左四つで、非力だが動きが速く、活気があった。春秋園事件に加担し、1932年1月脱退(実質的最終場所は1931年10月)し、新興力士団に加わり、そのまま復帰しなかった。廃業後は常陸嶌朝次郎と運送業を起こした。
肥州山 栄(ひしゅうざん さかえ、1906年8月25日 - … 肥州山 栄(ひしゅうざん さかえ、1906年8月25日 - 1980年9月11日)は、長崎県佐世保市東浜町出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は松本 栄(まつもと さかえ)。最高位は東関脇(1941年1月場所、同年5月場所)。得意手は左四つ、吊り、突っ張りなど。現役時代の体格は180cm、109kg。 1906年8月25日、長崎県佐世保市東浜町で漁師を営む家に生まれる。1926年の秋に上京し、明治神宮競技大会の相撲部門に青年団の部の長崎県代表として出場したところ、出羽海親方から見い出されて勧誘されたため、同年の年末に出羽海部屋へ入門した。 1927年1月場所で初土俵を踏むと序ノ口で2場所続けて全勝優勝したことで自信を付け、1929年9月場所では西幕下14枚目でありながら6勝0敗で全勝優勝を果たし、1930年1月場所では新十両昇進を果たした。
對馬洋 弥吉(つしまなだ やきち、1887年8月19日 - … 對馬洋 弥吉(つしまなだ やきち、1887年8月19日 - 1933年2月16日)は、長崎県下県郡久和村(のち厳原町、現対馬市)出身で出羽海部屋(当時は出羽ノ海部屋)に所属した大相撲力士。本名は川上 弥吉(かわかみ やきち)。最高位は東大関。現役時代の体格は190cm、105kg。得意手は左四つ、吊り、上手投げ、小手投げ。 対馬の生まれで幼少時より背が高く、「半鐘泥棒」と言われてはからかわれていた。成人して地元の重砲隊に入隊したが体の大きさを見込んだ師団長が力士になることを勧め、除隊させてくれた。師団長の紹介状を手に角聖・常陸山を訪ね入門した。常陸山からは「タイシュウ(対州)」の愛称で呼ばれていた。
有明 吾郎(ありあけ ごろう、1875年3月23日 - 19… 有明 吾郎(ありあけ ごろう、1875年3月23日 - 1943年2月19日)は、現在の長崎県島原市出身で伊勢ノ海部屋に所属した大相撲力士。本名は大家 八五郎(旧姓山中)。最高位は東小結。5代式秀。165cm、123kg。 1894年5月序ノ口。1899年5月十両昇進、1800年代最後の関取のひとりである。1900年5月場所、7勝2敗1休で現在でいう十両優勝にあたる成績をあげる。翌1901年1月場所は番付運なく十両筆頭にとどまるが、翌5場所月に新入幕。1904年1月場所では東8枚目で7勝2敗1休、9日目に駒ヶ嶽に敗れるまで梅ヶ谷、常陸山の両横綱と並走した。1909年小結昇進。三役は結局この一場所ですぐ平幕に落ち、その後は幕内中位をエレベーターしていたが、1913年1月場所十両落ち、翌5月場所で幕下陥落を機に引退、式秀を襲名した。
両國 梶之助(りょうごく かじのすけ、1874年3月25日 … 両國 梶之助(りょうごく かじのすけ、1874年3月25日 - 1949年1月11日)は、長崎県北高来郡(現:長崎県諫早市)出身の元大相撲力士。本名は古川 九八(ふるかわ きゅうはち)。 1874年(明治7年)3月25日に長崎県北高来郡(現・諫早市)で農家を営む家に生まれる。家業に従事しながら土地相撲では「若木野」という四股名で活躍したが、顔役の楠という人物に才能を見出されて不知火部屋(大坂相撲)へ連れて行かれた。しかし、ここでは入門を快諾してもらえなかったことから時津風部屋(大坂相撲)へ入門したが、入門後は順調に出世したことで不知火に懇望され、不知火部屋に転属した。四股名は本名から取った「九(いちじく)」で、後に「一軸(読みは同じ)」、「國岩」と改めて活躍した。
西郷 市之助(さいごう いちのすけ、1869年5月15日(明… 西郷 市之助(さいごう いちのすけ、1869年5月15日(明治2年4月4日)- 1944年7月17日)は、長崎県南高来郡西郷村(のち瑞穂村→瑞穂町、現・雲仙市)出身で伊勢ノ海部屋に所属した明治時代の元大相撲力士。本名は森崎 常太郎。年寄3代陸奥。175cm、100kg前後。 伊勢ノ海部屋に入門し、1894年5月序ノ口。1895年1月序二段、1896年5月三段目、1897年5月幕下と順調に昇進し、その後病気により一時低迷するが、1901年5月新十両。連続15場所十両を務め、十両筆頭まで進むも入幕はならず、1909年1月幕下に陥落し引退。年寄陸奥となる。 立派な体格で、力量もあり、鳳凰などの薫陶を受けたが、小心のため土俵で不覚をとることが多く、幕内に昇進できなかった。
平ノ戸 三之助(ひらのと さんのすけ、1857年7月(安政4… 平ノ戸 三之助(ひらのと さんのすけ、1857年7月(安政4年) - 没年不詳)は、肥前国松浦郡(現長崎県佐世保市)出身で湊部屋、中村部屋、雷部屋に所属した元力士。元世話人。本名は岡本 三之助。最高位は前頭2枚目。身長体重不明。 初めは大坂相撲に所属する力士であったが、25歳であった1883年1月に上京、湊部屋出身の梅ヶ谷藤太郎の門弟となり、東京相撲に加入し、二枚目格からの始まりとなった。1888年5月、30歳の時にようやく入幕を果たし、以後実力を発揮。1891年5月には、西ノ海嘉治郎から2度目の金星を上げ、翌1892年1月は自己最高位の西前頭2枚目に躍進した。なお、平ノ戸が獲得した3つの金星はすべて、西ノ海からのものである。
追手風 常吉(おいてかぜ つねきち、1854年(嘉永7年) … 追手風 常吉(おいてかぜ つねきち、1854年(嘉永7年) - 1919年(大正8年)8月8日)は肥前国彼杵郡三重村(現・長崎県長崎市三重町)出身の大相撲力士。本名は林(のち浜本)常吉。大阪相撲で活躍し最高位は大関。 7代陣幕(陣浪)の弟子となり追手風 順吉の名で1878年(明治11年)9月脱走組番付の四段目が初見。1881年(明治14年)7月鯱鉾と改めるが1882年(明治15年)8月元の追手風に戻す。1885年(明治18年)10月入幕、1888年(明治21年)9月関脇に登り下の名を常吉と改める。1889年(明治22年)9月大関昇進。1891年(明治24年)9月二枚鑑札で10代陣幕 常重を襲名、頭取(年寄)兼務となる。
常盤山 小平治(ときわやま こへいじ、1826年〈文政9年〉… 常盤山 小平治(ときわやま こへいじ、1826年〈文政9年〉 - 1869年10月2日〈明治2年8月27日〉)は、現在の長崎県南島原市(旧・肥前国高来郡)出身の大相撲力士。本名、身長、体重は不明。最高位は西関脇。常盤山部屋及び玉垣部屋に所属した。鷲ヶ濱音右エ門の岳父に当たる。 1851年4月から1852年閏2月までは八戸藩、1852年11月以降は島原藩のお抱えだった。岳父が自殺して嫌疑を受けたので脱藩したが、途中で参勤行列と出合い、運良く同郷の者が居たので一行に加えてくれるように頼み、怪力を買われて駕籠担ぎとして加わった。江戸に出てからは仲間として働いていたが怪力を見出され、勧誘されて入門した。
玉垣 額之助(たまがき がくのすけ、1784年(天明4年) … 玉垣 額之助(たまがき がくのすけ、1784年(天明4年) - 1824年8月28日(文政7年8月5日))は、肥前国高来郡(現:長崎県雲仙市)出身の元大相撲力士。本名は田中 喜作(たなか きさく)(旧姓:岡田)。 最高位は西大関。 1784年(天明4年)に肥前国高来郡(現:長崎県雲仙市)で生まれる。当初は大坂相撲に加入していたが、後に江戸相撲・玉垣部屋へ移籍している。初土俵から間もない幕下二段目の時に徳島藩が抱え力士としようとするが、「阿波の稲は 島原の梁(よい米)に如かず」として拒否、これに感激した島原藩主・松平忠憑から1813年に徒士として召し抱えられた。 柏戸利助の良き好敵手で、当時の川柳には「(玉)垣と(柏)戸を 西と東の関に据え」「玉垣も 柏(戸)も地から 生えたよう」とあるように、東西の大関に玉垣と柏戸が並び、両者とも重い腰で熱戦を繰り広げ、なかなか土俵を割らない様子が歌われている。