寺園 敦史(てらぞの あつし、1961年 - )は、日本のジ… 寺園 敦史(てらぞの あつし、1961年 - )は、日本のジャーナリスト。市民ウォッチャー・京都所属。 鹿児島県鹿児島市出身。大阪府立摂津高等学校を経て関西大学経済学部卒業。日本共産党系の京都民報記者、かもがわ出版編集者を経て、フリーライターとして活動。 被差別部落問題、同和利権問題を主なテーマに取材、執筆活動を行い、1997年から2002年にかけて『だれも書かなかった「部落」』三冊を出版し、部落解放同盟京都府連や京都府部落解放運動連合会と京都市行政との癒着を現在進行形で雑誌などで告発した。 同書の取材を下敷きに2002年から宝島社から刊行されている『同和利権の真相』シリーズ(別冊宝島Realシリーズ)に編集、メインライターとして携わっている。
潟永 秀一郎(がたなが しゅういちろう、1961年 - )は… 潟永 秀一郎(がたなが しゅういちろう、1961年 - )は日本のジャーナリスト。サンデー毎日・元編集長。 鹿児島県鹿児島市にて1961年に出生。鹿児島県立甲南高等学校を卒業して青山学院大学文学部英米文学科中退。毎日新聞社へ1985年に入社して記者になる。筑豊支局、鹿児島支局、長崎支局、西部本社報道部、東京本社生活家庭部などを経て、2008年4月に福岡本部報道部副部長に就任。2012年4月1日付にて、サンデー毎日編集長に就任し、2012年4月10日号から担当。2015年10月1日付け人事にて毎日新聞出版営業本部長兼雑誌本部長に就任。また、東京本社編集委員も兼任。
松富 かおり(まつとみ かおり、1959年2月17日 - )… 松富 かおり(まつとみ かおり、1959年2月17日 - )は、日本のキャスター、ジャーナリスト、作家で、元駐ポーランド日本大使松富重夫の夫人である。旧姓、有村(ありむら)。身長158センチメートル。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立鶴丸高等学校、東京大学文学部卒業後、アメリカ合衆国・マカレスター・カレッジに1年間留学。ニュージーランド・ヴィクトリア大学ウェリントン国際関係学修士号取得。 1983年4月、TBSにアナウンサーとして入社。1999年3月、TBSを退社。2011年、松富 かおりに改名。 1983年4月にアナウンサー第20期生としてTBSに入社(同期には浦口直樹・野口雅子・牧嶋博子)。
三反園 訓(みたぞの さとし、1958年〈昭和33年〉2月1… 三反園 訓(みたぞの さとし、1958年〈昭和33年〉2月13日 - )は、日本のジャーナリスト、政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)、財務大臣政務官。 早稲田大学教育学部卒業後、テレビ朝日に入社し、政治記者やコメンテーターを務めた。テレビ朝日退社後は鹿児島県知事(第19代)を務めた。 鹿児島県指宿市生まれ。鹿児島県立指宿高等学校、早稲田大学教育学部卒業。1980年、全国朝日放送(2003年、テレビ朝日に改名)に入社し、政治部に配属。日本社会党担当を皮切りに首相官邸や自由民主党を担当し、自民党担当時代は金丸信や安倍晋太郎の番記者を務めた。その後は首相官邸や自民党、大蔵省や外務省、防衛庁担当のキャップを歴任し、その後はテレビ朝日コメンテーター(解説委員)に就任。
溝上 憲文(みぞうえ のりふみ、1958年 - )は、日本の… 溝上 憲文(みぞうえ のりふみ、1958年 - )は、日本の人事ジャーナリスト。 鹿児島県阿久根市出身。明治大学政治経済学部政治学科卒業。月刊誌や週刊誌の記者などのキャリアを経て、独立する。主に新聞や雑誌・Webメディアなどで、経営・人事・雇用・賃金・年金問題などを中心としたテーマを執筆している。また、日本労働ペンクラブ会員・事務局長を務め、『非情の常時リストラ』(文春新書)で2013年度日本労働ペンクラブ賞を受賞した。
佐潟 隆一(さがた りゅういち、1956年3月17日 - )… 佐潟 隆一(さがた りゅういち、1956年3月17日 - )は、日本のジャーナリスト、新聞経営者。南日本新聞社社長を務めた。 鹿児島県阿久根市生まれ。鹿児島県立出水高等学校を経て、1980年に鹿児島大学法文学部を卒業し、同年に南日本新聞社に入社した。2007年に取締役に就任し、2010年に常務を経て、2017年12月から2025年12月までに社長を務めた。
下川 正晴(しもかわ まさはる、1949年7月28日 - )… 下川 正晴(しもかわ まさはる、1949年7月28日 - )は、日本のジャーナリスト。元大分県立芸術文化短期大学教授。 鹿児島県霧島市出身。1968年、鹿児島県立国分高等学校卒業。大阪大学法学部卒業後、毎日新聞社へ入社。山口支局、佐世保支局、西部本社報道部を経て、ソウル支局長、バンコク支局長、論説委員を歴任。 2004年に毎日新聞社を退社。2005年に韓国外国語大学校客員教授。2007年4月から大分県立芸術文化短期大学教授。マスメディア論・現代韓国論を担当。研究テーマは、「日韓の相互認識とメディア」「慰安婦報道検証」。2015年3月定年退職し、東京でフリージャーナリスト。主に近現代日本史、韓国、台湾、映画をルポルタージュ取材し、執筆する。
岡留 安則(おかどめ やすのり、1947年11月23日 - … 岡留 安則(おかどめ やすのり、1947年11月23日 - 2019年1月31日)は、日本のジャーナリスト、元『噂の眞相』編集長・発行人。 鹿児島県曽於郡末吉町(現在の曽於市)生まれ。宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校(県をまたいで越境入学した)では野球部に所属。法政大学社会学部入学後、学生運動の闘士となり、大学3年のとき構造改革左派のプロレタリア学生同盟に参加。1970年に卒業後、70年安保を境に学生運動から脱落。同法学部に学士入学し、在学中は高田馬場で土方のアルバイトを経験。1972年卒業。 赤石憲彦率いる東京アドエージに入社し、以後2年半、業界紙の編集に携わる。1975年に退社し、新島史と共同で『マスコミ評論』を創刊、編集長となる。
瀬下 恵介(せした けいすけ、1938年 -2021年8月9… 瀬下 恵介(せした けいすけ、1938年 -2021年8月9日)は、日本のジャーナリスト。
広田 亮一(ひろた りょういち、1935年12月27日 - … 広田 亮一(ひろた りょういち、1935年12月27日 - 2024年1月3日)は、日本のジャーナリスト、新聞経営者。南日本新聞社社長を務めた。鹿児島県鹿児島市出身。 1958年に鹿児島大学文学部国文学科を卒業し、南日本新聞社に入社。1990年2月に取締役に就任し、1991年12月に常務、1993年12月に専務を経て、1995年12月から1999年12月までに社長を務めた。 2024年1月3日、特発性間質性肺炎のために死去。88歳没。
中馬 清福(ちゅうま きよふく、1935年8月22日 - 2… 中馬 清福(ちゅうま きよふく、1935年8月22日 - 2014年11月1日)は、ジャーナリスト。 鹿児島市生まれ。1960年旧・東京都立大学卒業、朝日新聞社入社。秋田・横浜支局を経て63年政治部員、1978年同部次長、1982年調査研究所主任、1984年編集委員、1986年論説委員、1990年大阪本社論説副主幹、1991年東京本社論説副主幹、1992年論説主幹代理、1994年論説主幹、1995年取締役、1996年常務大阪本社代表、1998年専務、2000年西部本社代表兼務、代表取締役専務・編集担当など。2001年退任。1983-84年マサチューセッツ工科大学・国際問題研究所客員研究員。朝日新聞社顧問、同アジア・ネットワーク会長。
迫田 太(さこだ ふとし、1932年3月12日 - 2025… 迫田 太(さこだ ふとし、1932年3月12日 - 2025年10月28日)は、日本のジャーナリスト、実業家。毎日新聞社顧問。同社元副社長・大阪本社代表。関西プレスクラブ名誉会員。福岡県または鹿児島市出身。2017年現在、兵庫県神戸市在住。 学制改革により新制高等学校となった鹿児島県立甲南高等学校を1期生として卒業。 1954年、鹿児島大学農学部農芸化学科卒業。同年4月に毎日新聞社に入社。1985年5月、大阪本社編集局長。1986年5月、本社販売局長。1987年6月、取締役西部本社代表。1991年6月、常務取締役大阪本社代表。以後、専務取締役大阪本社代表を経て、副社長大阪本社代表に就任。2000年6月に退任し、相談役となる。
柳田 邦夫(やなぎだ くにお、1932年3月7日 - 198… 柳田 邦夫(やなぎだ くにお、1932年3月7日 - 1988年3月1日)は、日本の編集者・ジャーナリスト。筆名に小川晴夏(春香)、小原壮八。日本ジャーナリストクラブ会員。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)、ラ・サール高等学校卒業。1959年、学習院大学政経学部政治学科卒業。大学時代には囲碁部に所属し、のちに囲碁アマ四段、将棋アマ二段となる。 中央公論社に入社。「中央公論」「週刊公論」「暮しの設計」「経営問題」「小説中央公論」の雑誌編集に携わったあと、1962年「思想の科学」天皇制特集号事件で労組委員長として闘争し。1972年に退職。のちフリーのジャーナリスト、編集者として活躍した。
木原 啓吉(きはら けいきち、1931年1月4日 - 201… 木原 啓吉(きはら けいきち、1931年1月4日 - 2014年)は、日本のジャーナリスト、環境学者。千葉大学名誉教授 鹿児島県鹿児島市生まれ、出身。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て、1950年第七高等学校文科卒業。1953年東京大学法学部卒。朝日新聞社に入り、盛岡支局勤務から始め、小繋事件を取材、のち公害キャンペーンと環境問題を担当、編集委員をへて、1981年千葉大学教養部教授となる。1996年定年退官、江戸川大学教授。環境庁の自然環境保全審議会委員、ナショナル・トラストを進める全国の会幹事長。
日高 旺(ひだか うまし、1929年(昭和4年)5月9日 -… 日高 旺(ひだか うまし、1929年(昭和4年)5月9日 - 2022年(令和4年)6月17日)は、日本のジャーナリスト、新聞経営者。南日本新聞社社長、鹿児島テレビ放送(KTS)社長を歴任したほか、民俗ジャーナリストとしても知られた。 父は種子島にある鹿児島県西之表町出身の小学校教師で、彼の赴任先である屋久島の上屋久村にて生誕。2歳の頃より母方の祖父である三浦安能西之表町長(元上屋久村長)のもとに預けられて幼少期を過ごす。小学校より鹿児島市に移り、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)卒業。文化学院中退の後、鹿児島県立大学短期大学部国文科を1952年に卒業。 アルバイトをしていた南日本新聞社へ1951年に入社し、新聞記者となる。
川越 政則(かわごえ まさのり、1916年2月20日 - 1… 川越 政則(かわごえ まさのり、1916年2月20日 - 1998年9月6日)は、日本のジャーナリスト、新聞経営者、郷土史家。南日本新聞社社長を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。1939年に早稲田大学法学部法律学科を卒業。佐世保海軍経理部調達係での勤務を経て、1943年4月に鹿児島日報社、後の南日本新聞社に入社し、1961年12月に取締役に就任し、1962年12月に常務、1968年3月に鹿児島テレビ放送専務を経て、1972年11月から1981年12月までに南日本新聞社社長を務めた。 1986年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 郷土史家、民芸品収集家としても知られ、鹿児島県文化財専門委員等も務めた。著書に『南日本文化史』『南日本風土記』『鹿児島の旅』『鹿児島県史概説』『鹿児島民芸風土記』『鹿児島の美 南日本民芸図説』『焼酎文化図譜』など。
執印テル(しゅういん てる、1915年(大正4年)3月10日… 執印テル(しゅういん てる、1915年(大正4年)3月10日 - 2007年(平成19年)9月25日)は、昭和時代の日本のジャーナリスト、政治家。出水市出身(旧高尾野町・執印氏9人兄弟の7番目・次女)。
古垣 鉄郎(ふるかき てつろう、1900年(明治33年)9月… 古垣 鉄郎(ふるかき てつろう、1900年(明治33年)9月20日 - 1987年(昭和62年)3月8日)は、日本のジャーナリスト、外交官。筆名は中馬 藤十郎。 1900年(明治33年)に鹿児島県日置郡日置村大字日置(現在の日置市日吉町日置)に生まれる。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校を経て、第一高等学校を卒業したのち、島津奨学資金の援助でフランス共和国のリヨン大学法学部へ留学し同校を卒業した。1923年(大正12年)からジュネーブに駐在し国際連盟事務局情報部に勤務した。同部ではロックフェラー3世(英語版)が連盟を学ぶために配属されており、古垣は彼と同室で過ごして面倒を見ている。1929年(昭和4年)に国際連盟事務局を退職し、同年に朝日新聞社に入社してロンドンとパリに在住し、論説委員としてロンドン支局長、欧米部長、ヨーロッパ支局長などを務めた。
本田 親男(ほんだ ちかお、1899年11月21日 - 19… 本田 親男(ほんだ ちかお、1899年11月21日 - 1980年7月30日)は、鹿児島県出身のジャーナリスト、実業家。毎日新聞社社長、会長、最高顧問、毎日放送会長、相談役を歴任した他、日本新聞協会会長を2期務めた。 本田の祖先は、武蔵国本田郷の領主・本田左衛門尉貞親で、島津忠久夫人の父。 1899年11月21日、鹿児島市下荒田町生まれ。鹿児島師範学校附属幼稚園を経て、1906年に鹿児島市立八幡小学校へ入学。このころ本田の人間形成に与えた訓育がある。旧薩摩藩独自の教育制度・郷中制度の精神を受け継いだ学舎「研明舎」での教育がそれで、本田は5歳ごろより小学校の放課後にここへ通い、先輩舎生の監督下で諸学科の復習や予習をした。
山本 実彦(やまもと さねひこ、1885年〈明治18年〉1月… 山本 実彦(やまもと さねひこ、1885年〈明治18年〉1月5日 - 1952年〈昭和27年〉7月1日)は、日本のジャーナリスト。改造社社長。雅号は亀城。 鹿児島県高城郡水引郷大小路村(現在の鹿児島県薩摩川内市大小路町)出身。1885年(明治18年)1月、にて鍛冶屋山本庄之助の長男として出生する。実彦が小学生の頃に生家の経済状況が悪化、困窮を極めたことから旧制鹿児島県立川内中学校を自主退学。自ら働くことを決意して沖縄に渡り、離島にて1902年(明治35年)に代用教員の職を得る。 1904年に19歳で上京、郵便及び筆耕屋の仕事の傍ら日本大学法律科を卒業。『門司新報』『やまと新聞』記者を経て、1915年(大正4年)に東京毎日新聞社(現在の毎日新聞とは資本関係はない)社長に就任。
川原 リウ(かわはら リウ)は、日本の地方自治ジャーナリスト… 川原 リウ(かわはら リウ)は、日本の地方自治ジャーナリスト・フォトグラファー。 鹿児島県阿久根市出身。法政大学文学部日本文学科卒業。大学在学中からフリーライターとして活動していた。 大学3年の時に地産グループ会長竹井博友氏が設立した出版社「心泉社」と契約し、月刊『心泉』の編集に携わる。同誌では主に、国会議員、経営者、研究者のインタビュー記事、書評を担当した。 2003年7月、竹井氏死去により心泉社が解散。これを機に一度ライターを廃業。その後はAIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)Japanの生命保険会社コンプライアンス本部に10年間在籍した。 2022年7月、東京都渋谷区から神奈川県逗子市のリゾート地に移住。