明瀬 諒介(みょうせ りょうすけ、2005年8月25日 - … 明瀬 諒介(みょうせ りょうすけ、2005年8月25日 - )は、大阪府堺市東区出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 堺市立日置荘西小学校4年生の時にソフトボールを始める。早くからプロ入りを見据え、進路を選ぶ際は「プロに教えてもらいたい」という基準を設けており、堺市立日置荘中学校在学時は元プロ野球選手の小川亨が監督を務める大阪挟山リトルシニアでプレーした。 小川と同じく元プロ野球選手の佐々木誠が監督を務める鹿児島城西高等学校へ進学。佐々木から「広角に長打を放つための秘訣」を授かり、長打力が開花した。1年秋から中軸を打ち、投手も兼任。2年秋は背番号1を背負った。
村山 源(むらやま げん、2005年6月27日 - )は、鹿… 村山 源(むらやま げん、2005年6月27日 - )は、鹿児島県鹿屋市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 鹿屋中央高等学校では遊撃手のレギュラーを務め、3年夏の鹿児島大会で決勝に進出したが神村学園に敗れ、3年間で甲子園大会出場はなかった。高校通算9本塁打。 2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、読売ジャイアンツから育成2位指名を受けた。11月13日に支度金290万円、年俸360万円で仮契約した。背番号は004。 2024年8月29日のオイシックス新潟戦で公式戦初本塁打を記録した。イースタン・リーグでは16試合に出場し、打率.208、1本塁打、1打点という成績だった。
大野 稼頭央(おおの かずお、2004年8月6日 - )は、… 大野 稼頭央(おおの かずお、2004年8月6日 - )は、鹿児島県大島郡龍郷町(奄美大島)出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 龍郷町立戸口小学校3年時から野球を始める。龍郷町立龍南中学校時代には離島甲子園で4強に進出した。 中学卒業後は本土の強豪私学の誘いを断り、島から甲子園を目指し、地元奄美大島の鹿児島県立大島高等学校に進学した。高校では1年秋からエースを務め、2年春に県大会4強、同年夏は8強。秋の鹿児島県大会に優勝して出場した秋の九州大会は興南高等学校を完封するなどの活躍で準優勝を果たし、8年ぶり2度目となるセンバツ出場に貢献した(1度目の出場は21世紀枠での出場であり、一般枠では初)。
泰 勝利(たい かつとし、2003年11月11日 - )は、… 泰 勝利(たい かつとし、2003年11月11日 - )は、鹿児島県大島郡瀬戸内町出身のプロ野球選手(投手)。左投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 小学校4年生の時から野球を始める。進学した瀬戸内町立阿木名中学校には野球部がなかったため、野球経験のない父と、ソフトボール経験者である母のサポートのもとで練習していた。 姉がかつて神村学園高等部の女子野球部に所属していた縁もあり、同校に進学。1年夏にチームは第101回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、自身はベンチ外であった。2年秋からベンチ入りしてエースとなる。3年夏は鹿児島県大会でベスト4まで勝ち上がり、準決勝で鹿児島実業と対戦。初回に自己最速を更新する150km/hを記録したが、1点リードの9回裏に追いつかれ、3点リードで迎えた延長10回裏に2失点しこの回途中で降板。
清水 武蔵(しみず むさし、2003年4月14日 - )は、… 清水 武蔵(しみず むさし、2003年4月14日 - )は、鹿児島県日置市出身のプロ野球選手(内野手、外野手、育成選手)。右投げ右打ち。オリックス・バファローズ所属。 小学校3年時から野球を始め、日置市立土橋中学校在学時は桜島ボーイズに所属。 高校は東京都の国士舘高等学校に進学し、1年夏からベンチ入りする。1年次にチームは第92回選抜高等学校野球大会に出場予定だったが同大会は中止となり、代替として開催された2020年甲子園高校野球交流試合にスタメン出場し、1安打1得点を記録した。3年夏は西東京大会3回戦で敗退しており、選抜高等学校野球大会および全国高等学校野球選手権大会への出場経験はない。 2021年12月、ベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)所属の栃木ゴールデンブレーブスに入団することが発表された。
小峯 新陸(こみね しんり、2001年12月1日 - )は、… 小峯 新陸(こみね しんり、2001年12月1日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 鹿児島市立東谷山中学校時代は硬式少年野球チームの鹿児島ヤングタイガーに所属。 鹿児島城西高等学校では2年春からエースとなるも、3年時は腰や右肩の故障のため背番号11となり、チームも県大会4回戦で敗れ甲子園出場はなかった。 2019年10月17日に行われたプロ野球ドラフト会議において東北楽天ゴールデンイーグルスから育成2位指名を受け、10月29日に支度金200万円、年俸230万円(推定)で仮契約を結んだ。背番号は138。 2020年は、体力作りに専念し、二軍でも試合出場はなかった。
鈴木 勇斗(すずき ゆうと、2000年3月17日 - )は、… 鈴木 勇斗(すずき ゆうと、2000年3月17日 - )は、鹿児島県日置市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 日置市立吉利小学校4年生から野球を始める。日置市立日吉中学校時代は串木野黒潮に所属。 鹿屋中央高校では2年秋からエース。3年夏の鹿児島県大会では準々決勝の鹿児島城西高校戦で3安打完封勝利を挙げた。準決勝の鹿児島高校戦では延長サヨナラ負けを喫しベスト4で敗退。甲子園出場はなし。 創価大学では2年春からリーグ戦に登板。3年秋には防御率1.72、4勝を記録しMVP、最優秀投手、ベストナインの3冠を獲得した。同年の関東地区大学野球選手権大会では2回戦の国際武道大学戦で3失点完投勝利を挙げるなどの活躍で準優勝に貢献。
浜屋 将太 (はまや しょうた、1999年1月26日 - )… 浜屋 将太 (はまや しょうた、1999年1月26日 - )は、鹿児島県曽於郡大崎町出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 大崎町立大崎小学校では2年時に大崎ソフトボールスポーツ少年団でソフトボールを始め、大崎町立大崎中学校では鹿児島大隅ボーイズに所属した。 樟南高等学校進学後、1年夏からベンチ入りを果たすと、2年秋からエースとなった。3年夏の鹿児島県大会では、決勝の鹿児島実業高校戦で6回から10回をロングリリーフし、13奪三振無失点に抑え、再試合に持ち込んだ。再試合では3―2で勝利し、甲子園出場を決めた。第98回全国高等学校野球選手権大会では、初戦の石原彪、山本祐大擁する京都翔英高校戦で8回を1失点に抑え勝利に貢献。
太田 龍(おおた りゅう、1998年11月15日 - )は、… 太田 龍(おおた りゅう、1998年11月15日 - )は、鹿児島県薩摩郡さつま町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 さつま町立盈進小学校1年から野球を始め、6年時に「宮之城野球スポーツ少年団」で全国大会出場。さつま町立宮之城中学校では軟式野球部に所属。 れいめい高等学校では、1年春からベンチ入りし、3年次には山本由伸・梅野雄吾・浜地真澄らと共に「九州四天王」として話題を集めたが、甲子園出場経験はなかった。 最後の夏に痛めた肘と大柄な体格に伴う成長痛の影響もあり、プロ志望届を提出せず、高校卒業後は社会人野球のJR東日本硬式野球部に進んだ。身体作りの基礎が整った2年目から急成長し、2018年7月に開催された第89回都市対抗野球大会では若獅子賞(新人賞)を受賞した。
宮田 輝星(みやた ほくと、1997年12月2日 - )は、… 宮田 輝星(みやた ほくと、1997年12月2日 - )は、鹿児島県出水市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投両打。 出水市立出水小学校3年時よりソフトボールを始める。 出水市立出水中学校では同校の軟式野球部で投手兼内野手としてプレーする。 高校は出水中央高等学校に進学。3年生の夏の第97回全国高等学校野球選手権鹿児島大会において3番・中堅手として出場したが、準々決勝戦で鹿児島実業高等学校戦に1対0で敗れ甲子園出場はならなかった。 大学は福岡大学に進学。1年生の秋からベンチ入りを果たし、3年生の春から中堅手のレギュラーを獲得する。大学の同級生に上原幸真がいる。 2019年10月17日に行われたプロ野球ドラフト会議にて、北海道日本ハムファイターズから育成ドラフト1位指名を受け、11月23日、入団発表会見が行われた。
上原 幸真(うえはら こうしん、1997年7月4日 - )は… 上原 幸真(うえはら こうしん、1997年7月4日 - )は、沖縄県島尻郡出身の日本の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 与那原町立与那原小学校1年生のとき、「与那原マリンズ」で野球を始める。与那原町立与那原中学校では野球部に所属し、当初は野手だったが、3年生で投手に転向。 沖縄出身で鹿児島城西高等学校硬式野球部の監督を務める金城和彦にスカウトされ、沖縄を離れ、高校は鹿児島県の同高校に進学。1年生秋、第19回MBC旗争奪鹿児島県選抜高校野球1年生大会に出場し、決勝では先発投手を務めて優勝を果たす。金城の指導の下、成長を遂げ、2年生秋からエースを務め、第135回九州地区高等学校野球大会の鹿児島県予選では準優勝までチームを牽引し、同校3年ぶりの本大会出場を果たす。
川畑 瞳(かわばた ひとみ、1996年5月1日 - )は、鹿… 川畑 瞳(かわばた ひとみ、1996年5月1日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の女子ソフトボール選手(内野手)。ホンダリヴェルタ所属。ソフトボール日本代表。2021年開催の東京オリンピック金メダリスト。 高校3年生の時にインターハイで優勝。2021年8月23日、鹿児島県民栄誉表彰を受賞。 尊敬する選手は大谷翔平と答えている。 東京オリンピック日本代表として金メダルを獲得した功績をたたえ、2022年1月14日、鹿児島市の鹿児島明和郵便局前に記念のゴールドポスト(第48号)が設置された(ゴールドポストプロジェクト)。
二木 康太(ふたき こうた、1995年8月1日 - )は、鹿… 二木 康太(ふたき こうた、1995年8月1日 - )は、鹿児島県国分市(現:霧島市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学3年生までサッカーチームに所属しており、今でもサッカーは趣味であり特技である。5年生の頃、霧島市立青葉小学校のスポーツ少年団(軟式野球)に入団し、野球を始め、霧島市立国分中学校時代には軟式野球部に所属し投手としてプレーした。 鹿児島情報高等学校では1年秋から背番号「1」を背負い、エースとして活躍した。2年の夏は、鹿児島大会で18イニング連続無失点を記録する好投を見せるも、チームは4回戦の対鹿児島工戦で敗れた。新チームで挑んだ秋の鹿児島大会では、登板した53イニングで与えた四死球はわずかに4という制球力の良さを見せるなど、チームの創部後初の県大会優勝に貢献した。
横田 慎太郎(よこた しんたろう、1995年6月9日 - )… 横田 慎太郎(よこた しんたろう、1995年6月9日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(外野手)。実父は、ロッテオリオンズなどで外野手として活躍した横田真之。
北之園 隆生(きたのその りゅうせい、1995年4月12日 … 北之園 隆生(きたのその りゅうせい、1995年4月12日 - )は、鹿児島県鹿屋市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 小学時代は、鹿屋市立下名小学校の下名ソフトボールスポーツ少年団でプレーし、中学は鹿屋市立吾平中学校で軟式野球部に所属。卒業後、熊本県の秀岳館高等学校に進学し、1年の秋からエースで4番を務める。高校では県大会準優勝が最高で、甲子園出場経験はなし。 高校3年時に読売ジャイアンツの入団テストを受験し、野手として唯一合格した。2013年10月24日に行われたプロ野球ドラフト会議において読売ジャイアンツから育成3巡目で指名され、支度金100万円、年俸240万円で仮契約した(金額は推定)。
高山 竜太朗(たかやま りゅうたろう、1995年2月21日 … 高山 竜太朗(たかやま りゅうたろう、1995年2月21日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 鹿児島工業高等学校では、7番・捕手で出場した2年生の夏の第93回全国高等学校野球選手権鹿児島大会、5番・捕手で出場した3年生の夏の第94回全国高等学校野球選手権鹿児島大会において準々決勝に進出した。 高校卒業後は、福岡県福岡市の九州産業大学に進学し硬式野球部に入部。高良一輝とバッテリーを組み、3・4年生時には全日本大学野球選手権に2年連続の出場を果たす。 2016年10月20日、プロ野球ドラフト会議において読売ジャイアンツから育成選手ドラフト6巡目指名され、11月19日、支度金300万円、年俸240万円(金額は推定)で契約合意に達し、同月23日に東京ドームで新入団選手発表が行われた。
中野 花菜(なかの かな、1994年2月12日 - )は、鹿… 中野 花菜(なかの かな、1994年2月12日 - )は、鹿児島県日置市出身の女子ソフトボール選手(投手)。 神村学園中等部時代に全国中学校ソフトボール大会を3連覇している。 神村学園高等部卒業後、2012年にルネサス高崎に入団。同年の日本リーグ新人賞に選ばれた。2014年には日本代表に選出。2019年限りで現役引退。 2021年、地元鹿児島県のMORI ALL WAVE KANOYAで現役復帰。2024年シーズン終了後に現役引退。
宮之原 健(みやのはら たける、1993年7月16日 - )… 宮之原 健(みやのはら たける、1993年7月16日 - )は、鹿児島県鹿屋市出身の元プロ野球選手(外野手、両投左打)、ベースボール5選手。元ベースボール5日本代表。 小学2年生の時に東京都へ移り住み、世田谷区立山崎小学校に編入した。小学3年生から世田谷区の「ツインファイターズ」で野球を始める。世田谷区立山崎中学校に進学した。 日本大学第三高等学校では2年秋の明治神宮野球大会からベンチ入りし、副主将も務めたが、右肘の怪我に悩まされ、3年時には全国高等学校野球選手権大会に背番号16で出場し、チームは優勝したものの自身は準決勝で9回に守備に就いたのみだった。高校の同期には阪神タイガースの髙山俊、東北楽天ゴールデンイーグルスの横尾俊建らがいる。
中﨑 翔太(なかざき しょうた、1992年8月10日 - )… 中﨑 翔太(なかざき しょうた、1992年8月10日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。鹿児島県曽於郡財部町(現:曽於市)出身。愛称は『ザキ』、『中崎どん』、『天山』、『ピート』。
中﨑 翔太(なかざき しょうた、1992年8月10日 - )… 中﨑 翔太(なかざき しょうた、1992年8月10日 - )は、鹿児島県曽於郡財部町(現:曽於市)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 実兄は埼玉西武ライオンズや栃木ゴールデンブレーブスでプレーした中﨑雄太。 曽於市立財部小学校では軟式野球の財部サンデーズでプレー。曽於市立財部中学校では都城リトルシニアに所属していた。 日南学園高校では2年秋にエースとして宮崎県大会で優勝、3年春には県大会で準優勝している。 2010年10月28日に行われたドラフト会議で広島から6位指名を受けた。11月17日に契約金2500万・年俸450万円で契約した。入団当初の背番号は56。 2012年は、9月19日の東京ヤクルトスワローズ戦でプロ入り初先発し、6回まで無失点と好投するも中村悠平に頭部死球を与えて危険球退場処分を受け敗戦投手となった。
中原 大樹(なかはら だいき、1992年6月6日 - )は、… 中原 大樹(なかはら だいき、1992年6月6日 - )は、鹿児島県姶良郡姶良町(現:姶良市)出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。右投右打。プロでは育成選手であった。 帖佐中時代は軟式野球部に所属。鹿児島城西高時代は、2年時から4番として活躍。夏の鹿児島予選では、準々決勝の伊集院高戦で2打席連続本塁打を放つも、決勝で樟南高に敗れた。翌年の1月、練習中に右足首を骨折し全治6ヶ月の大怪我を負ってしまう。夏は絶望と見られていたが、トレーニングに励み大会に出場するも、調子を取り戻すことはできずベスト8で敗退した。高校通算36本塁打。 2010年、10月28日に行われたプロ野球ドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークスから育成2位指名を受けた。
中﨑 雄太(なかざき ゆうた、1991年3月11日 - )は… 中﨑 雄太(なかざき ゆうた、1991年3月11日 - )は、鹿児島県曽於郡財部町(現:曽於市)出身のプロ野球選手(投手、左投左打)、コーチ。栃木ゴールデンブレーブス所属。
中﨑 雄太(なかざき ゆうた、1991年3月11日 - )は… 中﨑 雄太(なかざき ゆうた、1991年3月11日 - )は、鹿児島県曽於郡財部町(現:曽於市)出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、コーチ、監督。 広島東洋カープに所属するプロ野球選手の中﨑翔太は実弟。妻は元女子プロ野球選手でエイジェックにも所属していた佐々木希、一児の父でもある。 曽於市立財部小学校2年から財部サンデーズで軟式野球を始めた。曽於市立財部中学校では軟式野球部に所属し、1年でエースとして県の1年生大会優勝。中学2年生で硬式野球の「都城リトルシニア」に入団した。日南学園高等学校では有馬翔と同期で、ともに1年の夏からベンチ入りしている。同年秋には背番号1をつけて県大会に臨んだが、練習中に左足靭帯を負傷し、その間に有馬がエースとなった。
金田 和之(かねだ かずゆき、1990年9月18日 - )は… 金田 和之(かねだ かずゆき、1990年9月18日 - )は、鹿児島県曽於郡財部町(現・曽於市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 中﨑雄太・翔太兄弟の生家に近い実家で出生した後に、財部小学校3年時から、財部サンデーズで野球を始める。財部中学校時代には軟式野球部に所属した。卒業後に進学した宮崎県立都城商業高等学校では、2年の冬から肘を怪我しており、春夏とも阪神甲子園球場の全国大会に出場できなかった。インタビューで「高3の夏」について訊かれたときには「僕の世代の宮崎はすごかったんです。元ヤクルトの赤川(赤川克紀)、元西武の中崎(中﨑雄太)、元ソフトバンクの有馬(有馬翔)と3人も高卒でプロ入りして、2人はドラフト1位。
戸柱 恭孝(とばしら やすたか、1990年4月11日 - )… 戸柱 恭孝(とばしら やすたか、1990年4月11日 - )は、鹿児島県肝属郡内之浦町(現:肝付町)出身のプロ野球選手(捕手)。右投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 鹿屋中央高時代までは内野手で、主に三塁を守っていた。駒澤大学1年時から捕手へ転向したが、学生時代には全国大会と無縁であった。プロでもチームメイトとなる白崎浩之は大学の同期生、今永昇太は3学年後輩に当たる。リーグ通算45試合に出場、154打数35安打、打率.227、0本塁打、11打点を記録。 大学卒業後にNTT西日本へ入社。入社当初は正捕手・北﨑寛明の控えに甘んじていた。入社2年目の第85回都市対抗野球大会では、チームは予選で敗退したが、大阪ガスの補強選手として出場。
榎下 陽大(えのした ようだい、1988年7月21日 - )… 榎下 陽大(えのした ようだい、1988年7月21日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 伊敷台小学校1年時に野球を始め、6年時には県選抜のメンバー入りし、全国大会で優勝。伊敷台中学校時代は軟式野球部でプレー。 鹿児島工業高では1年生大会でエースとして鹿児島城西高校を破り優勝。1年秋の鹿児島県大会ではエースとして準優勝に貢献し、九州大会でベスト8。2005年春のセンバツ高校野球大会に、鹿児島県の推薦校として選ばれるがセンバツ大会出場は落選。2年春の九州大会にもエースとして出場しベスト4入り。3年夏の鹿児島県大会決勝で鹿屋高校を破り、甲子園(2006年・第88回選手権大会)に出場。
伊集院 峰弘(いじゅういん たかひろ、1988年6月4日 -… 伊集院 峰弘(いじゅういん たかひろ、1988年6月4日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手)。
美沢 将(みさわ まさる、1988年3月3日 - )は、鹿児… 美沢 将(みさわ まさる、1988年3月3日 - )は、鹿児島県大島郡喜界町出身の警察官、元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 鹿児島県大島郡喜界町出身。小学生時代はサッカー少年だったが、中学校にはサッカー部がなかったため野球に転向。 喜界高時代に、投手から遊撃手となる。 高校卒業後には、野球をやめて自衛隊への入隊を希望していたものの、高校の監督の勧めによって県内の第一工業大学へ進学。大学ではすぐにショートのレギュラーをつかみ、1年春に鹿児島県リーグで新人賞、2年秋にはMVPなど、クリーンアップを打って活躍。県リーグ通算15本塁打。 2009年10月29日に行われたドラフト会議において埼玉西武ライオンズに2位で指名され、入団。
榎田 大樹(えのきだ だいき、1986年8月7日 - )は、… 榎田 大樹(えのきだ だいき、1986年8月7日 - )は、鹿児島県曽於郡大崎町出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、プロ野球コーチ。 大崎小学校4年時に地元の鹿児島県・大崎ソフトボールスポーツ少年団に所属しソフトボールを始める。5年生の時には全国大会優勝。当時、同チームの1学年先輩には松山竜平が在籍して捕手を務めており、榎田ともバッテリーを組んでいた。なお、このチームの監督の新留勝郎は、後に阪神タイガースで榎田とチームメイトとなる福留孝介を指導した人物である。 大崎中学では野球部に入り投手兼外野手。小林西高では1年春からベンチ入りし、秋からは本格的に投手として起用されるようになる。3年の夏
細山田 武史(ほそやまだ たけし、1986年4月29日 - … 細山田 武史(ほそやまだ たけし、1986年4月29日 - )は、鹿児島県出水市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 大龍小学校3年生から野球を始め、小学6年時鹿児島選抜のメンバーに選ばれた。同年秋、大口スポーツ少年団正捕手キャプテンとして県大会優勝、大口中学校では3年春に鹿児島大会ベスト4となった。2年時に観戦した夏の鹿児島大会決勝で大差で敗れたにもかかわらず笑顔の選手に驚き、「笑える野球がしたい」と卒業後は鹿児島城西高等学校へ進学した。 鹿児島城西では1年夏から正捕手となった。2003年・2年夏の甲子園鹿児島大会では鹿児島商業との準決勝で延長12回サヨナラ負けを喫した。2004年・3年夏の甲子園鹿児島大会では全試合フル出場したが準々決勝で鹿児島実業に2対7で敗れた。
川﨑 成晃(かわさき なりあき、1986年3月30日 - )… 川﨑 成晃(かわさき なりあき、1986年3月30日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 鹿児島県垂水市出身。垂水中学校では軟式野球部に所属。鹿児島商高では3年夏に鹿児島大会で準優勝。高校通算20本塁打の強打で活躍する。 福岡大学では1年秋にDHで、2年秋に外野手で2度のベストナインを受賞。また2年秋は盗塁王も獲得した。3年時に大学選手権に出場。 卒業後は鮮ど市場に入社。青果部門の業務に携わりつつ、同社野球部の熊本ゴールデンラークスでプレー。 2008年の都市対抗野球では本塁打を放ち注目される。 2009年は沖縄電力の補強選手として都市対抗野球に出場。 2010年にはアジア大会日本代表に選出された。
川﨑 成晃(かわさき なりあき、1986年3月30日 - )… 川﨑 成晃(かわさき なりあき、1986年3月30日 - )は、鹿児島県垂水市出身のプロ野球選手(外野手)。
松山 竜平(まつやま りゅうへい、1985年9月18日 - … 松山 竜平(まつやま りゅうへい、1985年9月18日 - )は、鹿児島県曽於郡大崎町出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ所属。 大崎町立大崎小学校3年生の時にソフトボールを始め、6年生で全国大会優勝。ソフトボールスポーツ少年団の監督の勧めで左打ちに転向した。その監督が福留孝介を育てた新留勝郎である。当時松山は捕手を務めており、同チームの1学年下には榎田大樹が在籍していた。大崎中学校時代は、ヤングリーグの「鹿屋ビッグベアーズ」に所属した。 鹿屋中央高等学校では1年生からエースで4番だったが、甲子園には出場していない。高校時代は猛練習が実を結び、3年時春には100mだった遠投が夏には123mにまで伸ばし、苦手だった50m走の記録も春の6秒5から夏には6秒0まで伸ばしている。
宇都 格(うと いたる、1984年5月20日 - )は、鹿児… 宇都 格(うと いたる、1984年5月20日 - )は、鹿児島県いちき串木野市出身の元プロ野球選手(投手)である。現在はプロダーツプレイヤー、ダーツバーの経営者を務める。 高校では2年秋の県大会で準優勝。九州大会出場を果たしたが、準々決勝で長崎南山高に敗れセンバツ出場はならなかった。3年夏は県大会ベスト8に終わるが、長身から投げ下ろす、140km/h台後半の速球派として注目を集めた。 2002年のドラフト5位で近鉄に入団。新人年である2003年は二軍で6試合で防御率3.78とまずまずの成績を残すが翌2004年はイップス気味で制球難となり、7試合で防御率15.63と不調に終わる。2004年11月8日の選手分配ドラフトでオリックスへ移籍した。
青野 毅(あおの たけし、1983年1月12日 - )は、鹿… 青野 毅(あおの たけし、1983年1月12日 - )は、鹿児島県川辺郡坊津町(現:南さつま市)出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、野球指導者。 鹿児島県川辺郡坊津町大字坊(現:南さつま市坊津町坊)出身。坊泊中学校を経て、樟南高校に入学。高校時代は1年夏の県大会準決勝で1学年上の上野弘文を後を受けて点差の付いた9回1イニングを投げたが敗退。秋は九州大会準々決勝でも上野-鶴岡慎也のバッテリーが先発し、2番手で登板したが敗退。2年夏は1学年上の上野-鶴岡とともに自身は外野手として甲子園出場。3年夏の甲子園はエースで主将で4番としてベスト4、高校日本選抜にも選出された。 2000年オフ、千葉ロッテマリーンズにドラフト5位で投手として指名を受け入団した。
里 隆文(さと たかふみ、1982年1月18日 - )は、日… 里 隆文(さと たかふみ、1982年1月18日 - )は、日本の野球指導者。元埼玉西武ライオンズスタッフ(2018年まではコーチ)。 2008年からBCリーグ・群馬ダイヤモンドペガサスのトレーナーに就任したのち、2010年から同球団のコンディショニングコーチに就任。 2012年からはNPB・埼玉西武ライオンズの二軍トレーニングコーチに就任、2017年から一軍トレーニングコーチに配置転換された。2019年からはトレーニングコーチはS&C(ストレングス&コンディショニング)スタッフという枠組みに変わり、里は二軍の担当スタッフとして引き続き西武に在籍していた。 2022年より独立し、フリーのストレングス&コンディショニングコーチとしてプロやアマチュアの指導をする傍ら、フィットネスジムの運営も手掛ける。
川﨑 宗則(かわさき むねのり、1981年〈昭和56年〉6月… 川﨑 宗則(かわさき むねのり、1981年〈昭和56年〉6月3日 - )は、鹿児島県姶良市出身のプロ野球選手(内野手)、コーチ、野球解説者。右投左打。愛称は「ムネリン」他(後述)。 兄の影響で野球を始め、重富小学校時代、「重富少年野球クラブ」という軟式野球のスポーツ少年団に入団。当初は右打ちだったが、重富中学校時代にイチローの影響で左打ちに変更した。 高校は鹿児島県立鹿児島工業高等学校へ進学。甲子園への出場は叶わなかったものの、50m走で5秒9を記録するほどの俊足、同じ左打ち、安打数の多さから、地元球界ではイチローにちなんで「サツロー(薩摩のイチロー)」と呼ばれることもあった。 1999年のNPBドラフト会議にて福岡ダイエーホークスから4位指名を受け、契約金4000万円、年俸600万円(年俸は推定)という条件で入団。
川﨑 宗則(かわさき むねのり、1981年6月3日 - )は… 川﨑 宗則(かわさき むねのり、1981年6月3日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属する鹿児島県姶良市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。
鶴岡 慎也(つるおか しんや、1981年4月11日 - )は… 鶴岡 慎也(つるおか しんや、1981年4月11日 - )は、鹿児島県肝属郡高山町(現:肝付町)出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、野球解説者・野球評論家。 肝付町立高山小学校時代は、高山ソフトボールスポーツ少年団に所属し投手だった。 高山中学ではボーイズリーグ・鹿屋ベイスターズで硬式野球を始め、投手を希望していたが監督により捕手へと転向させられた(断って投手を続けていたらプロにはなれなかったと振り返っている)。捕手として全国大会で準優勝を経験。 樟南高校では捕手として甲子園に2度出場。同級生に上野弘文、1年下に青野毅がいる。2年の時、1998年は第70回選抜高等学校野球大会に出場したが1回戦でPL学園に敗れた。
上野 弘文(うえの ひろふみ、1981年4月10日 - )は… 上野 弘文(うえの ひろふみ、1981年4月10日 - )は、鹿児島県奄美市出身の元プロ野球選手(投手、右投左打)。 朝日中学校では軟式野球部に所属。高校時代、1998年のセンバツ(初戦敗退)、1999年の夏の甲子園(準決勝進出)に出場。高校では鶴岡慎也が同級生、青野毅が一学年下にいた。社会人時代は安藤優也、川岸強、金子千尋、吉見一起らと同僚であった。2006年には抑えのエースとして都市対抗野球大会に出場。 2006年11月21日の大学生・社会人ドラフトで、広島東洋カープより3巡目指名を受ける。強行指名だったため、上野を説得すべく監督のブラウンは会議終了を待たずにすぐ交渉へと大阪へ向かった。12月1日に仮契約。
赤田 将吾(あかだ しょうご、1980年9月1日 - )は、… 赤田 将吾(あかだ しょうご、1980年9月1日 - )は、鹿児島県曽於郡大崎町出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投両打)、コーチ。現在は埼玉西武ライオンズの二軍打撃兼外野守備・走塁コーチを務めている。
木佐貫 洋(きさぬき ひろし、1980年5月17日 - )は… 木佐貫 洋(きさぬき ひろし、1980年5月17日 - )は、鹿児島県川内市(現:薩摩川内市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 川内市川内南中学校では軟式野球部に所属。川内高校では3年時の1998年、鹿児島県高等学校春季野球大会にて杉内俊哉を擁する鹿児島実業を破り優勝。夏の全国高等学校野球選手権鹿児島大会決勝では鹿児島実業に1-3で惜敗。甲子園出場を逃した。卒業後は亜細亜大学に進学。2年時にはリーグ戦未勝利ながら大学選手権準決勝でドラフト有力候補だった山村路直(九州共立大)と延長10回を投げ合って完封勝利。決勝でも先発し3回1失点で交代するも優勝に貢献した。東都大学リーグ通算31試合登板、12勝8敗、防御率1.80、225奪三振。
下窪 陽介(しもくぼ ようすけ、1979年1月21日 - )… 下窪 陽介(しもくぼ ようすけ、1979年1月21日 - )は、鹿児島県揖宿郡頴娃町(現:南九州市)出身の元プロ野球選手(外野手)。
福留 孝介(ふくどめ こうすけ、1977年4月26日 - )… 福留 孝介(ふくどめ こうすけ、1977年4月26日 - )は、鹿児島県曽於郡大崎町出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投左打)、野球解説者。 PL学園高校時代から強打者として注目され、1995年のプロ野球ドラフト会議でNPBの7球団から1位指名されたが、交渉権を獲得した近鉄バファローズへの入団を拒否して社会人野球の日本生命に入団した。1998年のNPBドラフト会議前には、1995年の会議の際に意中の球団として挙げていた中日ドラゴンズを逆指名し、1位指名を受けて入団、1999年から2007年まで中日でプレーした。中日時代にはセントラル・リーグの首位打者を2回(2002年・2006年)獲得、2006年にはリーグ最優秀選手 (MVP) に選出され、3回のリーグ優勝(1999年・2004年・2006年)に貢献した。
内薗 直樹(うちぞの なおき、1974年5月14日 - )は… 内薗 直樹(うちぞの なおき、1974年5月14日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手(投手)。
高橋 英樹(たかはし ひでき、1972年10月4日 - )は… 高橋 英樹(たかはし ひでき、1972年10月4日 - )は、鹿児島県大島郡喜界町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は、広島東洋カープの打撃投手を務めている。 小学3年から野球を始め、中学3年の時に捕手から投手に転向した。喜界高では1年秋からエースとなり2年夏はベスト16、秋はベスト8まで進んだ。3年夏は出水高校戦で15奪三振を奪うも初戦敗退した。 1990年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープと阪神タイガースから3位指名を受け、抽選の結果広島が交渉権を獲得し入団に至った。喜界町出身者としては史上初のプロ野球選手となった。 プロ3年目の1993年に一軍登板を果たし、同年は先発・中継ぎとして23試合に登板する。
小野 幸一(おの こういち、1972年5月13日 - )は、… 小野 幸一(おの こういち、1972年5月13日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手(投手)。 鹿児島商業高では井上一樹の1年後輩。3年春は県大会で優勝し、九州大会では初戦で佐賀学園の若林隆信と投げ合って完封すると準々決勝では夏の甲子園で準優勝することになる沖縄水産にも完投勝利してベスト4。1990年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープに2位指名され入団。 在籍4年間で一軍登板はなく、1994年に現役を引退した。長身で甘いマスクを活かして引退後はモデルに転身、その後はカード会社に就職した。
内之倉 隆志(うちのくら たかし、1972年4月30日 - … 内之倉 隆志(うちのくら たかし、1972年4月30日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(捕手)。
田之上 慶三郎(たのうえ けいさぶろう、1971年9月17日… 田之上 慶三郎(たのうえ けいさぶろう、1971年9月17日 - )は、鹿児島県指宿市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ。 指宿商業高から、1989年オフにドラフト外で福岡ダイエーホークスに入団。 1990年には1Aアドバンス級チームだったサリナス・スパーズ(英語版)に野球留学した。 1996年に一軍に昇格し、長らく「未完の大器」と称されていた。 1997年にプロ8年目で初勝利。直球の最速は140km/h程度であった。 2000年はダイエーがリーグ優勝を決めた試合で先発し無失点で勝利投手になるなど、ローテーションの谷間の先発・ロングリリーフを中心とした仕事をこなし、後半戦には主軸を任され、若田部健一ら4投手に次ぐ8勝を挙げた。
井上 一樹(いのうえ かずき、1971年7月25日 - )は… 井上 一樹(いのうえ かずき、1971年7月25日 - )は、鹿児島県姶良郡溝辺町(現:霧島市)出身の元プロ野球選手(外野手、左投左打)、プロ野球監督。現役時代は1990年から2009年まで20年間にわたり中日ドラゴンズ一筋でプレーした。2025年からは中日の監督を務める。 陵南小学校時代にソフトボールを始める。陵南中学校時代に軟式野球部に入部。鹿児島商業高校時代は、投手兼外野手として高校2年生のとき甲子園に1回出場。甲子園出場について井上本人が「行進のときに鳥肌が立ったことが忘れられない。これのために頑張ってきたんだと思った。」と語っている。甲子園での敗退後、甲子園の砂を集めていたら、同級生