元山 仁士郎(もとやま じんしろう、1991年 - )は、沖… 元山 仁士郎(もとやま じんしろう、1991年 - )は、沖縄県宜野湾市出身の一橋大学大学院生、政治活動家。法政大学沖縄文化研究所奨励研究員。 SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)や、SEALDs RYUKYUの設立に参画したのち、「辺野古」県民投票の会代表として条例制定を求める活動を行った。 沖縄県宜野湾市出身。琉球大学教育学部附属小学校、琉球大学教育学部附属中学校、沖縄県立普天間高等学校を卒業後、大学受験浪人生活を経て、国際基督教大学教養学部在学中、SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)、ゆんたくるー、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)や、SEALDs RYUKYUの設立に参画。
我那覇 真子(がなは まさこ、1989年[3]8月10日 -… 我那覇 真子(がなは まさこ、1989年[3]8月10日 - )は、政治活動家、予備自衛官。「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員、日本文化チャンネル桜沖縄支局キャスター、元編集者。
沖縄県名護市出身。父は、琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会の運営委員の我那覇隆裕。「県政奪還! 世直し自分直し沖縄庶民の会の共同代表我那覇隆夫は隆裕の兄、真子の伯父。ソーキそばの元祖を名乗る丸隆そばの創業者であり、名護市議(1970-1986)を務めた我那覇隆光は、隆夫、隆裕の父。 自由民主党所属の元衆議院議員である嘉数知賢は、隆夫、隆裕と異父兄弟である。
渡慶次 幸平(とけし こうへい、1988年6月4日 - )は… 渡慶次 幸平(とけし こうへい、1988年6月4日 - )は、日本の男性総合格闘家、ラウェイファイター、慈善家。沖縄県豊見城村(現・豊見城市)出身。クロスポイント吉祥寺所属。第5回 Air KBZ グランドファイナル・ミャンマーチャンピオンシップ 75kg級チャンピオン。 幼少期より、わんぱくで手がつけられない子供であった。その反面、進学校に中学受験するために小学校低学年から学習塾に毎日通い、進学校への中学受験を合格。 小学校低学年に始めた野球は、名門の沖縄県立糸満高等学校野球部までレギュラーでキャプテンや副キャプテン、常にクリーンナップを任される中心選手として活躍。ポジションはピッチャーとキャッチャーであった。
多嘉山 侑三(たかやま ゆうぞう、1984年 - )は、沖縄… 多嘉山 侑三(たかやま ゆうぞう、1984年 - )は、沖縄県糸満市生まれ、名護市在住のYouTuber、琉球独立活動家、音楽講師、名護市議会議員。慶應義塾大学商学部卒業。 YouTuberとして、沖縄の基地などの時事問題を「うちなーありんくりん(沖縄あれこれ、の意味)TV」を製作して配信している。戸籍上の姓は「高山」。本人曰く、先祖代々「多嘉山」であったが、1947年(昭和22年)に「高山」と改姓している。当時は大和風に改姓することが流行っていたためと語っている。市議会の規定には、通称名の使用を許可していないため、名護市議会への登録は「高山侑三」となっている。 2019年2月23日、ロバート梶原来沖プロジェクトにて、ハワイ在住県系4世のロバート・カジワラなどと普天間基地移設問題などの議論を行った。
ボギー 手登根(ボギー てどこん、1963年〈昭和38年〉8… ボギー 手登根(ボギー てどこん、1963年〈昭和38年〉8月22日 - )は、 沖縄県浦添市出身の政治活動家。沖縄国際大学卒。実家は浦城タクシー経営。FM21「わんぬうむい」メインパーソナリティー、元日本のこころを大切にする党第四支部長、チャンネル桜沖縄支局キャスター。本名は手登根 安則(てどこん やすのり)。 2007年12月、手登根と飼い犬ボギーの交通安全啓発活動が『犬のおまわりさんボギー: ボクは、日本初の“警察広報犬”』という書籍となる。 2009年、2月8日投開票の浦添市会議員選挙に立候補したが落選。 2012年、手登根が県立那覇西高校のPTA会長をしていた際、同校で取り組んでいた「0校時」(勤務外の課外講座) の報酬が高すぎると批判、内外から波紋を呼んだ。
目取真 俊(めどるま しゅん、1960年10月6日 - )は… 目取真 俊(めどるま しゅん、1960年10月6日 - )は、日本の小説家、政治活動家。芥川賞受賞者。本名、島袋正。 沖縄県国頭郡今帰仁村出身。沖縄県立北山高等学校を経て琉球大学法文学部卒業。期間工、警備員、塾講師などを経て県立高校の国語教師を務めるが、2003年に退職。 在職中の1997年に『水滴』で第117回芥川賞を受賞。この時選考委員だった日野啓三は「また沖縄か、という人が少なくないだろう」、石原慎太郎は「またしても沖縄という感じだが」と発言したが、仲程昌徳は「沖縄文学の水準はそれほど高くなっていた」と語る。 沖縄の自然や風土、歴史に根ざした小説を発表している。『水滴』『魂込め』には、沖縄戦の記憶を背負って生きる庶民の姿が描かれている。
屋良 朝助(やら ちょうすけ、1952年1月14日 - )は… 屋良 朝助(やら ちょうすけ、1952年1月14日 - )は、日本の政治活動家、かりゆしクラブ(旧名琉球独立党)党首、衣料品加工印刷会社代表。沖縄県那覇市出身、那覇高等学校卒業。
喜納 昌吉(きな しょうきち、1948年〈昭和23年〉6月1… 喜納 昌吉(きな しょうきち、1948年〈昭和23年〉6月10日 - )は、沖縄出身の日本人音楽家、平和活動家、政治家である。米軍占領下の中頭郡越來村(現・沖縄県沖縄市)生まれ。 琉球民謡を現代風にアレンジしたウチナー・ポップを確立した。バンド・喜納昌吉&チャンプルーズを率い、ヴォーカル、ギター、三線、作詞作曲を主に担当する。 参議院議員(1期)、元民主党沖縄県総支部連合会代表。 父は琉球民謡の第一人者喜納昌永。11人兄弟の四男。 琉球民謡を元にした独特のメロディとウチナーグチ(沖縄方言)が特徴的なポップスを歌ってきた。実妹らと共に結成したバンド「喜納昌吉&チャンプルーズ」の音楽は、りんけんバンド、ネーネーズ等のものと共に「ウチナー・ポップ」とも呼ばれる。
又吉 イエス(またよし イエス、1944年〈昭和19年〉2月… 又吉 イエス(またよし イエス、1944年〈昭和19年〉2月5日 - 2018年〈平成30年〉7月20日)は、日本の政治活動家、宗教家、教育者。世界経済共同体党代表で、本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称してイエス・キリストを謳い、政治活動などを行った。 沖縄県宜野湾市で、雑貨店の5人兄弟の末子として生まれる。1963年に琉球政府立普天間高等学校を卒業、1968年に中央大学商学部を卒業したのちに、東京の商社や設計事務所で勤務した。兄の又吉辰雄は元沖縄県総務部長と宜野湾市助役を務めた。 その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた。
上原 康助(うえはら こうすけ、1932年〈昭和7年〉9月1… 上原 康助(うえはら こうすけ、1932年〈昭和7年〉9月19日 - 2017年〈平成29年〉8月6日)は、日本の政治家、労働運動家。位階は従三位、勲等は勲一等。 衆議院議員(10期)、北海道開発庁長官(第59代)、沖縄開発庁長官(第28代)、国土庁長官(第24代)を歴任。 沖縄県国頭郡本部町字伊豆味に、農業・上原幸福の二男として生まれる。1951年沖縄県立北山高等学校を卒業後、米軍沖縄地区工作隊に就職する。当時の米軍基地では、USCARの布令116号でストライキに参加することは違法で解雇とされ、琉球住民への賃金差別をはじめとする差別待遇が横行していた。やがてある日一方的に解雇通告を受けたことを契機に労働問題への関心を強め、1960年上原が中心となって「軍労働問題研究会」を立ち上げ、翌1961年には全沖縄軍労働組合連合会を結成、委員長となる。
野底 武彦(のか たけひこ、1928年3月27日 - 200… 野底 武彦(のか たけひこ、1928年3月27日 - 2007年8月10日)は、琉球政府および沖縄県の政治活動家。 琉球独立党(現・かりゆしクラブ)の前党首で、2005年以降は「名誉党首」。沖縄県与那国町出身。ペンネームは「野底 土南(ぬか どなん)」。 1928年(昭和3年)3月27日生まれ。沖縄本島に渡り沖縄県立首里第一中学校(現在の沖縄県立首里高等学校)入学する。その後台湾に移住し、台北州立基隆中学校(現在の国立基隆高級中学)に転校する。 終戦後、台湾から島づたいで北上し、法政大学経済学部に進学する。在学中には沖縄県出身者では初の公認会計士の資格を取得した。卒業後はアメリカ統治下であった沖縄県に戻り、沖縄大学の講師に就任した。
仲村 俊子(なかむら としこ、1922年 - 2022年11… 仲村 俊子(なかむら としこ、1922年 - 2022年11月18日)は、日本の社会運動家。 大正11年(1922年)、沖縄県うるま市勝連生まれ。昭和13年(1938年)、私立家政高等女学校を修了。昭和27年(1952年)に教師となり、沖縄教職員会で祖国復帰運動に取り組むが、運動の左傾化を感じ、昭和44年(1969年)に同会を脱退。昭和46年、「沖縄返還協定批准貫徹県民集会」開催に携わり、陳情団の一員として上京、早期批准を要望した。昭和55年(1980年)、前島小学校を最後に退職。昭和58年(1983年)、防衛協会の初代婦人部長を務めた。晩年も集会、講演会やメディア等に登場している。令和4年11月18日永眠。
島 マス(しま マス、1900年3月13日 - 1988年7… 島 マス(しま マス、1900年3月13日 - 1988年7月9日)は、沖縄県の教育者、社会福祉活動家。第二次世界大戦後、米統治下の沖縄で、おもに児童・青少年に関わる様々な社会福祉事業に関わり、「戦後沖縄の "福祉の母"」と称された。 1900年、当時の美里間切伊波村(現在のうるま市)に、貧しい小作農であった伊波家の末子として生まれる。1919年、沖縄県女子師範学校を卒業して、山田尋常高等小学校訓導となり、以降、長く小学校教員を務めた。1921年、同じく小学校教員であった島有剛と結婚して島姓となり、翌1922年以降、5男2女をもうける。1945年、沖縄戦の中でふたりの子を失う。 1948年、小学校教員を依願退職して、越来村(現在の沖縄市)へ移り、越来村婦人会を結成して戦災母子世帯の救済や青少年の健全育成をめざす活動に取り組む。
井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月… 井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月28日 - 昭和42年(1967年)6月30日)は、日本の政治運動家、革命家、ジャーナリスト、政治家。衆議院議員(1期)。 沖縄県那覇市出身。1912年(大正元年)鹿児島一中を卒業、1916年(大正5年)慶應義塾大学部予科に入学し、卒業。1918年(大正7年)同大学部理財科に進む(後に中退)。在学中に、「日本社会主義同盟」、山川均らが主宰していた水曜会で活躍。1921年(大正10年)12月より翌年11月まで一年志願兵として鹿児島歩兵連隊に入隊。24年春から秋頃まで大阪の『関西日報』の記者となる。 1923年(大正12年)に日本共産党に入党。
徳田 球一(とくだ きゅういち、1894年〈明治27年〉9月… 徳田 球一(とくだ きゅういち、1894年〈明治27年〉9月12日 - 1953年〈昭和28年〉10月14日)は、日本の政治運動家、共産主義者、革命家、弁護士、政治家。衆議院議員(3期)、戦前の非合法政党時代から戦後初期に至るまでの日本共産党の代表的活動家で、戦後初代の書記長を務めた。徳球の愛称で知られる。 沖縄県国頭方名護間切(現:沖縄県名護市)で、鹿児島の豪商の庶子であった父とウチナーンチュの母の間に生まれる。家は沖縄の中にあっては裕福で、「球一」の名は「琉球一の人物」になることを願って付けられた。母方の祖母は高利貸しと泥藍売りを営み、徳田もこの稼業を手伝っていたが、強欲な祖母に反発して「お金を借りてはだめだ」と借りに来た者に対して注意するなど、正義感が強い子供であった。
湧上 聾人(わくがみ ろうじん、1888年(明治21年)6月… 湧上 聾人(わくがみ ろうじん、1888年(明治21年)6月26日 - 1966年(昭和41年)5月24日)は、日本の政治家、社会運動家。戦前の沖縄県議会議員(3期)、衆議院議員(1期)。 沖縄県玉城間切冨名越(現・南城市玉城船越)に生まれる。幼名平二。幼少期に水遊び中の耳のケガが原因で聴力を失ったといわれ、35歳の時に「聾人」と改名する。長じて上京し、攻玉社中学校を経て早稲田大学高等師範部に入学。在学中は安部磯雄に私淑するも中退し、帰郷後玉城村村議(1921年)を経て、1925年沖縄県議に当選。 沖縄県議時代は、関西の県出身出稼ぎ紡績女工の待遇改善に尽力。また自身の医療公営論を実践するため、1931年那覇市に「沖縄同仁病院」を設立するなど、庶民の立場に立った活動を行う。
東恩納 琢磨(ひがしおんな たくま)は、日本の政治家、環境活… 東恩納 琢磨(ひがしおんな たくま)は、日本の政治家、環境活動家、エコツアーガイド。名護市議会議員(4期、無会派)。オール沖縄参加団体のヘリ基地反対協議会事務局長、元共同代表。ジュゴン保護基金委員会事務局長。エコツーリズム事業を行う環境保護団体「じゅごんの里」代表。沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団団長。 沖縄県名護市瀬嵩出身。1977年に名護市立久志中学校を卒業、1980年に沖縄県立宜野座高等学校を卒業。 1982年、那覇市の設計コンサルタント会社に勤務。 1987年、潜水士免許を取得し、海洋調査などに携わる。 1996年、建設会社に勤務働しつつ、1級土木施行管理技士となる。 1997年、名護市の人材育成市民講座「親方塾」にて「久志山海塾」を設立、塾長を2期務め、同年の名護市米軍ヘリ基地建設の是非を問う住民投票に参加し、建設会社を退社。