島津 一郎(しまづ いちろう、1921年5月 - 2007年… 島津 一郎(しまづ いちろう、1921年5月 - 2007年1月29日)は、日本の法学者。専門は民法、家族法。学位は法学博士(東北大学・1962年)。一橋大学名誉教授。中川善之助門下。弟子に奥山恭子(横浜国立大学名誉教授)、許末恵(青山学院大学教授)など。 横浜市生まれ。1934年3月埼玉県立師範学校附属小学校(埼玉大学教育学部附属小学校の前身)卒業、1941年武蔵高等学校(旧制)(武蔵中学校・高等学校の前身)卒業、1943年東北帝国大学法文学部法科第1類卒業。1962年東北大学より法学博士の学位を取得。 1943年東北大学法文学部助手。1945年召集により富山連隊入隊。1949年助手論文「社会家族と自然家族」を書き、新設の金沢大学法文学部の法科の助教授に就任。
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虫明 康人(むしあけ やすと、1921年3月28日 - 20… 虫明 康人(むしあけ やすと、1921年3月28日 - 2020年10月6日) は、日本の工学者。東北大学名誉教授。元東北工業大学学長。 工学博士。専門は電気工学、通信工学で、周波数によらずインピーダンスが一定で、広帯域で利用可能な自己補対アンテナを発明した。 IEEEマイルストーン受賞。紫綬褒章受章。 長男は東北大学名誉教授で神経生理学者の虫明元。 岡山県浅口郡三和村(現浅口市金光町)に生まれる。1941年に広島高等工業学校電気工学科を卒業し、1942年に東北帝国大学工学部電気工学科に入学した。1944年に東北帝国大学工学部通信工学科を卒業すると、引き続き同大学大学院の第一期特別研究生となる。
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清水 正徳(しみず まさのり、1921年2月17日 - 20… 清水 正徳(しみず まさのり、1921年2月17日 - 2004年3月7日)は、日本の哲学研究者。神戸大学名誉教授。 京都府京都市生まれ。東北帝国大学哲学科卒業。神戸大学助教授、教授、1984年定年退官、名誉教授、大阪学院大学教養部教授。マルクスの疎外論を研究。 1996年、勲三等旭日中綬章を受章。 2004年3月7日、病気のため京都市東山区の病院で死去。83歳没。
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樋渡 宏一(ひわたし こういち、1921年2月11日 - 2… 樋渡 宏一(ひわたし こういち、1921年2月11日 - 2009年3月7日) は、日本の細胞生物学者、遺伝学者。東北大学名誉教授。元日本学士院会員。日本における、ゾウリムシを用いた生物学研究の先駆者とされる。 宮城県仙台市生まれ。旧制盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)を経て、東北帝国大学理学部を卒業後、東北帝国大学大学院特別研究生となる。 山形大学講師に赴任後、東北大学教育学部で教授に就任、宮城教育大学教授を経て、1968年に東北大学理学部教授となる。東北大学理学部教授時の1971年に日本動物学会賞を受賞した。 1984年に定年退職し、東北大学名誉教授となる。
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村井 貞允(むらい さだまさ、1921年〈大正10年〉2月1… 村井 貞允(むらい さだまさ、1921年〈大正10年〉2月10日 - 2007年〈平成19年〉10月1日)は、日本の地質学者、理学博士、岩手大学名誉教授。
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青木 生子(あおき たかこ、1920年11月20日 - 20… 青木 生子(あおき たかこ、1920年11月20日 - 2018年11月14日)は、日本の国文学者。専門は万葉集研究。学位は、文学博士(東北大学・1962年)(学位論文「日本古代文芸における恋愛」)。日本女子大学名誉教授。 東京・日本橋の問屋の娘として生まれるが、父が関東大震災で亡くなったため、店を畳んで大磯に移住する。神奈川県立平塚高等女学校(現・神奈川県立平塚江南高等学校)で高瀬兼介らの薫陶を受け、周囲の反対を押し切り、日本女子大学校国文学部へ進学する。同大学校卒業後、東北帝国大学法文学部国文科教授の岡崎義恵『日本文芸学』を読み、岡崎の指導を受けるべく、東北帝国大学法文学部国文科へ進学。1944年、東北帝国大学を繰り上げ卒業し、日本女子大学に教員として戻る。
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山本 鎮彦(やまもと しずひこ、1920年(大正9年)11月… 山本 鎮彦(やまもと しずひこ、1920年(大正9年)11月1日 - 2012年(平成24年)9月17日)は、日本の内務・警察官僚。第9代警察庁長官。位階は従三位。 長野県長野市生まれ。横浜第一中学校(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)、旧制松本高等学校文科甲類を経て1943年東北帝国大学(現東北大学)法文学部法科卒。 1943年内務省入省。警視庁の初代公安三課長、警務部監察官など警備・公安畑一筋に歩む。公安三課長時代にラストヴォロフ事件を手掛けたのを始め、公安部長時代には第二次安保騒動、警備局長時代には赤軍派による日航機ハイジャック事件、金大中事件、連続企業爆破事件など歴史的事件に遭遇し、陣頭指揮を執った。
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平山 敏雄(ひらやま としお、1920年10月26日 - 2… 平山 敏雄(ひらやま としお、1920年10月26日 - 2005年4月27日)は、日本の経営者。 新潟日報社社長を務めた。東京都出身。 1944年に東北帝国大学法文学部を卒業し、1945年に新潟日報社に入社。1971年に取締役に就任し、1976年に常務、1979年に専務を経て、1983年には社長に就任。1990年から取締役相談役を務めた。 1990年11月に勲三等瑞宝章を受章した。 2005年4月27日胃がんのために死去。84歳没。
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三浦 種敏(みうら たねとし、1920年(大正9年)9月21… 三浦 種敏(みうら たねとし、1920年(大正9年)9月21日 - 2004年(平成16年)1月19日)は、日本の海軍技術大尉、学者。専門は電気音響工学。 1920年9月21日、青森県五戸町生まれ。1943年9月、東北帝国大学工学部電気工学科卒業。1945年3月、海軍技術大尉。同年11月、逓信省電気試験所に入所し、4号電話機の開発に従事。1952年8月、日本電信電話公社入社。1957年8月、工学博士(東北大学)。1959年、日本電信電話公社電気通信研究所伝送研究室室長。1962年、日立製作所中央研究所入所。1977年、東京電機大学工学部電気通信工学科教授。2004年1月19日、83歳で死去。 1985年5月から1987年まで、日本音響学会会長を務めた。
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佐藤 武敏(さとう たけとし、1920年9月3日- 2019… 佐藤 武敏(さとう たけとし、1920年9月3日- 2019年8月31日)は、日本の東洋史学者、大阪市立大学名誉教授。古代中国の交易・水利の研究などを行い、 1920年、山形県で生まれた。東北帝国大学法文学部を卒業し、同大学大学院中退。 卒業後は大阪市立大学助教授に就いた。のち教授昇格。1961年、学位論文『中国古代工業史の研究』を東北大学に提出して文学博士号を取得。1984年に大阪市立大学を定年退官し、同校の名誉教授となった。退任後も流通科学大学などで教鞭をとった。2019年に死去。
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佐藤 春郎(さとう はるお、1920年5月18日 - 200… 佐藤 春郎(さとう はるお、1920年5月18日 - 2002年7月18日)は、がんの基礎研究者。専門は、病理学、実験腫瘍学。東北大学名誉教授。勲三等旭日中綬章。 東京都生まれ。旧制仙台二中、旧制二高卒業後、1945年(昭和20年)、東北帝国大学医学部卒。同大学院特別研究生となり、吉田富三教授の指導を受ける。1950年(昭和25年)、同医学部助教授。1951年10月、東北大学医学博士、論文の題は「On the chromosomes of Yoshida sarcoma : studies with tumor cells proliferated in the peritoneal cavity of the rat trausplated with a single cell」。
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岡田 重精(おかだ しげきよ、1920年3月15日 - 20… 岡田 重精(おかだ しげきよ、1920年3月15日 - 2013年8月11日)は、日本の宗教学者。学校法人皇學館大学理事長、皇學館大学名誉教授。文学博士(東北大学)。 高知県出身。1943年に神宮皇學館大學専門部を卒業し、兵役に服した後、1946年に東北帝国大学法文学部に入学、1949年に同大学を卒業。 ただちに同大学助手となり、1951年に退官。続いて大学院特別研究生。その後、1954年に東北大学文学部東北文化研究室研究員・宮城県工業高等学校教諭、1966年に皇學館女子短期大学助教授、1971年に皇學館短期大学教授、1975年に皇學館大学教授、神道研究所長・学生部長・文学部長等併任。北京大学・ハワイ大学ほか海外招聘講義。
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小座間 泰蔵(おざま たいぞう、1920年(大正9年)2月2… 小座間 泰蔵(おざま たいぞう、1920年(大正9年)2月21日 - 1985年(昭和60年)1月15日)は、日本の政治家。山形県天童市長(1期) 。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 山形県出身。東北帝国大学工学部卒。山形県庁に入り、新庄、米沢の各建設事務所長、土木砂防課長、土木部次長を経て、1975年、天童市助役となる。1981年、天童市長に当選。市長時代は山形県社会教育振興会副会長、県農地管理公社監事、県治山林道協会理事、県自然環境保全審議会委員、国鉄利用成美強化促進期成同盟会常任理事、奥羽本線全線複線化早期完成期成同盟会監事、日本道路協会評議員、県住宅協会監事、県都市計画協会副会長などの公職を兼務した。
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玉手 統(たまて おさむ、1920年1月6日 - 2010年… 玉手 統(たまて おさむ、1920年1月6日 - 2010年11月13日)は、日本の機械工学者。東北大学名誉教授。第二一代東北大学工学部長を経て、第三代八戸工業高等専門学校校長を務めた。従三位勲二等瑞宝章。 1942年東北帝国大学工学部機械工学科卒業。1954年東北大学工学博士。1977年第二一代東北大学工学部長。1980年第三代八戸工業高等専門学校校長。1990年勲二等瑞宝章受章。1995年初代東北大学機械系同窓会会長。2010年従三位。2010年11月13日、老衰のため死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
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本林 勝夫(もとばやし かつお、1919年9月18日 - 2… 本林 勝夫(もとばやし かつお、1919年9月18日 - 2008年11月17日)は、日本近代文学研究者、共立女子大学名誉教授。 石川県生まれ。東北大学大学院博士課程中退。1989年「斎藤茂吉の研究 -その生と表現」で文学博士の学位を取得。同著で第2回斎藤茂吉短歌文学賞を受賞する。共立女子大学教授を務め、近代短歌を研究した。 2008年11月17日午後0時40分、心不全のため東京都目黒区の病院で死去。89歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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千葉 正士(ちば まさじ、1919年9月17日 - 2009… 千葉 正士(ちば まさじ、1919年9月17日 - 2009年12月17日 )は、日本の法学者。東京都立大学名誉教授。法学博士(東北大学、1962年)(学位論文「学区制度の研究:国家権力と村落共同体の再編成」)。専門は法社会学、スポーツ法学。宮城県仙台市出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。
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高木 一見(たかぎ かずみ、1919年(大正8年)8月20日… 高木 一見(たかぎ かずみ、1919年(大正8年)8月20日 - 1997年(平成9年)3月18日)は、日本の実業家。毎日放送(MBS)元社長。 広島県出身。東北大学法文学部卒業後、1947年(昭和22年)に毎日新聞社へ入社。 1955年(昭和30年)、大阪テレビ放送(現・朝日放送テレビ)の設立と同時に出向し、経理部長をつとめた後、新日本放送(現・MBSメディアホールディングス)に転籍して財務部長。その後経理部長、総務局長、テレビ営業局長、取締役テレビ編成制作局長を経て、1968年常務、1969年専務、1979年副社長をそれぞれ歴任。1980年(昭和55年)、第3代社長坂田勝郎の後を受けて毎日放送第4代代表取締役社長に就任した。
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藤森 鉄雄(ふじもり てつお、藤森 鐵雄、1919年7月16… 藤森 鉄雄(ふじもり てつお、藤森 鐵雄、1919年7月16日 - 2011年11月7日)は、日本の銀行家。第一勧業銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)会長、東京商工会議所副会頭、東京メトロポリタンテレビジョン初代代表取締役社長を務めた。 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、東北帝国大学(現・東北大学)法学部卒業。戦時中は学徒出陣を経験しており、1945年3月の東京大空襲の際は、当時の陸軍糧秣本廠所属の少尉として部下たちを防空壕に避難させていたが、結果防空壕が満員となり入ることができず、隅田川に飛び込んで一晩をやり過ごした。翌朝になって防空壕に戻ってみると、中の部下たちは全員窒息死しており、結果として九死に一生を得たという。
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後藤 弘(ごとう ひろし、1919年6月6日 - 2001年… 後藤 弘(ごとう ひろし、1919年6月6日 - 2001年6月26日)は、日本の公認会計士、税理士、俳人。 秋田県秋田市生まれ。別名・岡野等。秋田師範学校卒、1943年土浦海軍航空隊に入り、少尉に任官して大分、博多、谷田部で訓練し特攻隊を志願するが敗戦を迎える。1949年東北大学文学部卒。日本興業銀行ほか数社を経て、1957年日本能率協会に入り、経理部長、常務理事、監事、のち顧問。1980年文教大学情報学部教授、92年定年退職。日本能率協会の経営コンサルタントとして数100社に及ぶ一流企業のバランスシートを分析した。 文学に親しみ、学生時代、東北学生俳句連盟の「赤外線」の創刊に参加、1945年新俳句人連盟に入り投句。
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鹿野 琢見(かの たくみ、1919年4月15日 - 2009… 鹿野 琢見(かの たくみ、1919年4月15日 - 2009年10月23日)は、日本の弁護士。1969年、東京第二弁護士会副会長。弥生美術館および竹久夢二美術館を創設し理事長を務めた。また立原道造記念館の創設にも関わり同館理事長を務めた。 1929年(昭和4年)発行の雑誌『日本少年』の巻頭口絵は高畠華宵の「さらば故郷!」であった。当時10歳であった鹿野は強烈に感動し、出征するまで勉強部屋に保管しておいたが、敗戦により復員したときには失われていた。 1965年(昭和40年)3月に華宵(当時77歳)が兵庫県の明石愛老園にいることを知り、「『さらば故郷!』のような絵を再び描いていただければ…」と手紙を送る。
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三潴 信邦(みつま のぶくに、1919年4月4日 - 201… 三潴 信邦(みつま のぶくに、1919年4月4日 - 2010年10月2日)は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(東北大学・論文博士・1984年)(学位論文「経済統計分類論」)。筑波大学名誉教授。父は法学者で東京帝国大学法学部教授を務めた三潴信三。兄は法学者の三潴信吾。 義兄(姉の夫)は法学者の山田晟。 東京市麻布区生まれ。1943年東北帝国大学法文学部経済科卒。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年(昭和20年)3月、主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 解員(復員)し、1946年東北帝国大学助手、1947年内閣府統計委員会事務局、1949年東京教育大学助教授、1960年教授、1974年筑波大学教授、1983年定年退官、名誉教授、城西大学経済学部教授、1990年退職し招聘教授。
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齋藤 進六(さいとう しんろく、1919年3月30日 - 1… 齋藤 進六(さいとう しんろく、1919年3月30日 - 1994年11月21日) は、日本の材料科学者。東京工業大学名誉教授。第11代東京工業大学学長。第2代長岡技術科学大学学長。紫綬褒章受章。 栃木県宇都宮市生まれ。1943年、東北帝国大学工学部航空学科卒業。1960年、東京工業大学にて工学博士の学位を取得。 1945年久我山工業専門学校教授。1967年、東京工業大学工学部材料工学科教授。1973年東京工業大学工業材料研究所所長。 1977年東京工業大学学長。1981年東京工業大学より名誉教授の称号を授与される。1982年、紫綬褒章受章。1983年長岡技術科学大学学長。1985年、日本セラミックス協会会長。
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神津 康雄(こうづ やすお、1919年2月27日 - 201… 神津 康雄(こうづ やすお、1919年2月27日 - 2013年4月16日)は、日本の内科医。医学博士。日本寮歌祭を主催する日本寮歌振興会の委員長を1964年から30年以上務めた。 長野県北佐久郡志賀村(現、佐久市)の豪農・神津「赤壁家」に生まれる。 旧制山形高等学校から、1944年東北帝国大学医学部卒業、同医学部内科教室(教授・黒川利雄)に入局。1951年、青森県浪岡町立病院(現・青森市立浪岡病院)院長。1954年東京都世田谷区若林に自宅開院。 日本寮歌祭には1962年に山形高校参加にあたって中心となって以来、1964年には日本寮歌振興会委員長、2002年には日本寮歌祭会長となった。 日本寮歌祭会長、日本寮歌振興会委員長、東京校歌祭会長、旧制高等学校懇話会代表、海軍櫻医会会長、日本臨床内科医会会長(1989年就任、のち名誉会長)、日本医師会常任理事(1982年 - 1984年)、東京都医師会理事、東京内科医会会長、東京都各科医会協議会会長、世田谷区医師会会長、日本の高等教育を考える会専務理事、日本病院管理教育協会理事長、東京尚仁会会長などを歴任。
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石井 冨士雄(いしい ふじお、1919年1月16日 - 20… 石井 冨士雄(いしい ふじお、1919年1月16日 - 2007年9月5日)は、日本の銀行家。岩手銀行頭取を務めた。岩手県和賀郡沢内村(現西和賀町)出身。 1943年9月に東北帝国大学法学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 1946年3月に大蔵省に入省。1968年4月に岩手銀行常務に就任し、1974年11月に専務を経て、1977年12月には頭取に就任。1989年6月に会長に就任し、1995年6月には相談役に退いた。 2007年9月5日、心不全で死去。
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天城 一(あまぎ はじめ、1919年1月11日 - 2007… 天城 一(あまぎ はじめ、1919年1月11日 - 2007年11月9日)は、日本の小説家、推理作家、数学者(解析学)、大阪教育大学名誉教授。本名中村 正弘。 別筆名に「高天原 アリサ」「青山 狂介」がある。 東京生まれ。東北帝国大学数学科卒業。 1947年、探偵小説雑誌『宝石』2・3月合併号(岩谷書店)掲載の短編「不思議な国の犯罪」(後に「不思議の国の犯罪」に改題)でデビュー。摩耶正を探偵役とした密室ものの作品を発表し、寡作ながらも学者独特の観察眼からの作品は人気が高い。 1955年に長編「圷家殺人事件」執筆後、長らく作品がなかったが、1975年に復活。アリバイを重視した島崎警部を探偵役とした作品を発表した。
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島谷 清(しまたに きよし、1918年12月9日 - 201… 島谷 清(しまたに きよし、1918年12月9日 - 2014年9月25日)は、日本の経営者。島根県出身。 1947年に東北帝国大学法学部を卒業し、同年に富士銀行に入行。 1968年に取締役に就任し、1973年に安田倉庫に転じ、1976年に社長に就任し、1986年には会長に就任。 2014年9月25日老衰のために死去。95歳没。
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亀井 健三 (かめい けんぞう、1918年10月8日 - 2… 亀井 健三 (かめい けんぞう、1918年10月8日 - 2002年12月24日)は、日本の教育者、科学書翻訳家、ちぎり絵作家。元がんぴ舎役員。 鳥取県米子町(現米子市)に生まれる。父かた母かたとも米子在住の町人の家系。生家は砂糖、乾物等を商っていた。1941年東北大学法文学部哲学科卒業。ハルピン学院に留学し、1946年帰国する。高校教員をするかたわらソ連科学文献10数編を翻訳紹介。1975年高校教員を辞職。たたら書房代表取締役を経て、ちぎり絵普及に専念する。全国和紙ちぎり絵サークル主宰、1986年モスクワ日本産業展でちぎり絵を実演。 ゆかりの地として、西伯郡米子町、神戸市、仙台市、茨城県、中国(満州)、島根県各地、米子市がある 亀井健三は、科学書の翻訳をしていた。
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田中 菊次(たなか きくじ、1918年9月19日 - (2… 田中 菊次(たなか きくじ、1918年9月19日 - (2020-02-17) 2020年2月17日(101歳没))は、日本の経済学者、東北大学名誉教授。 東京府下出身。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年(昭和19年)9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1947年東北帝国大学法文学部法律科卒、1962年「地代論の理論的内容について」で東北大学経済学博士。東北大学経済学部教授。82年定年退官、名誉教授、東洋大学教授。89年退職。
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飯塚 毅(いいづか たけし、1918年(大正7年)7月8日 … 飯塚 毅(いいづか たけし、1918年(大正7年)7月8日 - 2004年(平成16年)11月23日)は、日本の実業家、公認会計士、税理士。TKC創業者。日本会計研究学会太田賞受賞。鹿沼市名誉市民。TKC全国会名誉会長。 栃木県上都賀郡鹿沼町(現鹿沼市)生まれ。鹿沼町立鹿沼尋常高等小学校(現鹿沼市立鹿沼中央小学校)、栃木県立鹿沼農商学校(現栃木県立鹿沼商工高等学校)を経て、1939年福島高等商業学校(現福島大学経済経営学類)卒業。1943年東北帝国大学法文学部法科(現東北大学法学部)繰り上げ卒業。大日本帝国陸軍主計少尉を経て、日本の降伏後、1946年計理士登録。1952年税理士登録。1963年紺綬褒章受章。
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中澤 信午(なかざわ しんご、1918年5月17日 - 20… 中澤 信午(なかざわ しんご、1918年5月17日 - 2002年5月30日)は、日本の生物学者。山形大学理学部教授をつとめた。 新潟県南魚沼郡塩沢町(現南魚沼市)出身。1943年東北帝国大学理学部生物学科卒。1961年「形成の場の極性理論」で東北大学理学博士。1951年山形大学助教授、教授、1984年定年退官、名誉教授。 念写の発見者とされる福来友吉と懇意にしており、『福来友吉博士の生涯と学問』『超心理学者福来友吉の生涯』『海外の超心理学研究機関一覧』などの著者でもある。 中澤は福来が1931年に行った月の裏の透視・念写についての英論文のタイプライター浄書を福来から依頼されて行った。中澤論文は、海外の研究所等の名称・所在地を掲載しているもので、研究の国際交流を求める向きには不可欠の参考資料となっている。
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田辺 康平(たなべ こうへい、1918年5月10日 - 20… 田辺 康平(たなべ こうへい、1918年5月10日 - 2000年10月28日)は、日本の法学者。西南学院大学名誉教授。 北海道出身。東北帝国大学法学部卒、1963年「損害保険契約の本質」で東北大学・法学博士。西南学院大学法学部教授。1989年定年退職、名誉教授。弁護士、境克彦法律事務所。
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竹中 修一(たけなか しゅういち、1918年4月20日 - … 竹中 修一(たけなか しゅういち、1918年4月20日 - 1997年7月31日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(5期)。青森県出身。経世会所属であった。
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庄司 幸助(しょうじ こうすけ、1918年3月31日 - 2… 庄司 幸助(しょうじ こうすけ、1918年3月31日 - 2011年5月15日)は、日本の政治家、自然保護活動家。衆議院議員(日本共産党公認)を通算2期務めた。日本共産党名誉幹部会顧問。財団法人政治経済研究所森林政策研究室主任研究員。 宮城県仙台市宮城野区出身。東北帝国大学法文学部を経て、1947年から1972年まで日本共産党の宮城県議会議員を務める。 第33回衆院選に宮城1区から出馬し初当選を果たす。再選を目指した1976年の衆院選に立候補し次々点に終わるが、1979年の衆院選で2期目の当選。以後1980年、1983年、1986年の各衆院選に挑むも何れも当選には至らなかった。 宮城県議在任中の1970年頃からブナ問題に関心を寄せ、政界引退後も仙台のブナ林と水・自然を守る会常任代表、日本の森と自然を守る全国連絡協議会常任世話人を務めるなどして里山の保全に力を入れていた。
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氏家 卓也(うじいえ たくや、1917年〈大正6年〉11月2… 氏家 卓也(うじいえ たくや、1917年〈大正6年〉11月24日 - 2008年〈平成20年〉11月15日)は、日本の実業家、銀行家。ダイヤモンドリース(現・三菱HCキャピタル)社長。 宮城県出身。氏家清吉の二男。1943年、東北大学法学部卒業。三菱銀行に入行。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。摩耶に配属。経理学校付第12期見習尉官隊指導官付に転任。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進し、川棚海軍工廠会計部兼水雷部部員として終戦を迎えた。 解員(復員)後、三菱銀行に復帰し、外資部次長や鉄鋼ビル支店長等を歴任。
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緒方 研二(おがた けんじ、1917年 <大正6年> 11月… 緒方 研二(おがた けんじ、1917年 <大正6年> 11月21日 - 2009年 <平成21年> 10月31日) は、日本の技術者。日本電気 (NEC)副社長や、NECエンジニアリング社長、テレビジョン学会会長、電子通信学会会長などを歴任した。従四位、勲二等瑞宝章受章。父は緒方竹虎元副総理。岳父に名和武。 福岡県福岡市出身。東京府立第四中学校、第一高等学校を経て、伊藤庸二の勧めで、1941年東北帝国大学工学部電気工学科を卒業した。在学中大日本帝国海軍委託生となり、1942年海軍技術士官に任官して、横須賀海軍工廠に配属され、横須賀砲術学校に入校した。 タラワ島や、マキン島でレーダーサイトの整備にあたったのち、海軍技術研究所に転属する。
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南部 松夫(なんぶ まつお、1917年11月19日 - 20… 南部 松夫(なんぶ まつお、1917年11月19日 - 2009年8月21日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学・鉱物学。福島県相馬市生まれ。 1947年、東北帝国大学理学部岩石鉱物鉱床教室を卒業し、同大学選鉱精錬研究所(現、素材工学研究所)助手となる。1949年に講師、1953年に助教授、1955年 に東北大学理学博士 「Mineralogical study of limonite from Japan(日本産褐鉄鉱の鉱物学的研究) 」。 1962年に教授へと昇任し、1981年に停年退職。この間、1971年から1976年に同研究所所長。東北大学退職後は、東京理科大学の専任教授や監事にも就任した。
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二村 忠元(にむら ただもと、1917年11月9日 - 19… 二村 忠元(にむら ただもと、1917年11月9日 - 1982年12月18日)は、日本の工学者。東北大学名誉教授。専門は電気音響工学。 長野県松本市出身。旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高校理科甲類を経て、1940年(昭和15年)京都帝国大学工学部電気工学科卒業。 東京大学、東北大学で1年間研究に従事した後、1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)まで、創設時の京城帝国大学理工学部助教授を務める。1946年(昭和21年)、東北大学助教授。1951年(昭和26年)、東京大学から理学博士の学位を取得。1955年(昭和30年)、東北大学教授に昇任。 ダイナミックスピーカーの改良、スピーカアレイの設計法、残響可変装置、電気的な残響付加装置など先進的な研究に取り組む。
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李 建鎬(イ・ゴノ、朝鮮語: 이건호、1917年7月21日 … 李 建鎬(イ・ゴノ、朝鮮語: 이건호、1917年7月21日 - 2020年4月12日)は、大韓民国の弁護士、法学者、教授、政治家。第11代韓国国会議員。 本貫は全州李氏、号は為村(ウィチョン、위촌/爲村)。カトリック教徒。 日本統治時代の忠清北道清州郡(現・清州市)またはソウル出身。東北帝国大学(現・東北大学)法学部卒。法学博士。朝鮮弁護士試験合格。普成専門学校、高麗大学校、ソウル大学校や梨花女子大学校で講義したほか、中央日報論説委員、成均館大学校教授、梨花女子大学校大学院長、国会議員、民主正義党中央委員会副議長、韓国放送倫理委員会委員長、ユネスコ韓国委員長、韓国刑法学会会長を歴任した。 2020年4月12日に死去。
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黄 聖秀(ファン・ソンス、朝鮮語: 황성수/黃聖秀、1917… 黄 聖秀(ファン・ソンス、朝鮮語: 황성수/黃聖秀、1917年2月22日 - 1997年3月4日または3月5日)は、アメリカ合衆国のジャーナリスト、大韓民国の外交官、弁護士、学者、政治家。第3代韓国国会民議院副議長、第2・3・4・5代国会議員(第5代は参議員)、全羅南道知事を歴任した。 本貫は昌原黄氏。父は牧師の黄保翼で、制憲国会議員の黄斗淵は父方の叔父、呉錫柱は母方の叔父である。篤実なキリスト教徒である。 日本統治時代の全羅南道宝城郡宝城邑宝城里出身、本籍は平安北道である。平壌崇実中学校、崇実専門学校、明治学園を経て、1940年、東北帝国大学(現・東北大学)法文学部を卒業。東京帝国大学(現・東京大学)文学部で研究を行った後、渡米しウェストミンスター神学校を卒業した。
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小室 直人(こむろ なおと、1916年(大正5年)5月1日 … 小室 直人(こむろ なおと、1916年(大正5年)5月1日 - 1997年(平成9年)11月25日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。学位は、法学博士(東北大学・論文博士・1962年)(学位論文「上訴制度論」)。大阪市立大学名誉教授。勲三等旭日中綬章受章。斎藤秀夫門下。弟子に松本博之、上野泰男など。 鳥取県の谷内家に生まれ、宮城県小室家へ養子に行く。 1939年広島高等学校 (旧制)卒、1940年学徒出陣、45年復員し、1948年東北帝国大学法文学部卒、1950年東北大学法学部大学院(旧制)修了(指導教員:斎藤秀夫)、1950年大阪市立大学法文学部助手、1951年講師、1952年助教授、1960年法学部教授。
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丸山 儀四郎(まるやま ぎしろう、1916年4月4日 - 1… 丸山 儀四郎(まるやま ぎしろう、1916年4月4日 - 1986年7月5日)は、確率過程論研究の指導者として知られる日本の数学者である。オイラー・丸山法(Euler–Maruyama method)でも知られる。日本学術会議会員、日本数学会理事長。 長野県東筑摩郡上川手村(現安曇野市)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、東北帝国大学卒業。昭和16年(1941年)九州帝国大学助手、同25年(1950年)お茶の水女子大学教授、同31年(1956年)九州大学教授、同40年(1965年)東京教育大学教授、同48年(1973年)東京大学教授、同60年(1985年)東京電機大学教授、理学部数理学科長などを歴任した。
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海藤 勇(かいとう いさむ、1916年(大正5年)3月18日… 海藤 勇(かいとう いさむ、1916年(大正5年)3月18日 - 1984年(昭和59年)2月17日は、日本の内科学者。専門は、消化器病学、特に肝臓疾患。医学博士。 長崎県長崎市生まれ。 1941年、東北帝国大学医学部卒業後、同医学部内科教室(教授 黒川利雄)に入局。1962年、東北大学医学部同内科助教授。1966年、岩手医科大学教授。1981年、同大学付属病院長・理事。がん予防対策に貢献した。医学博士(東北帝国大学)、論文「糖尿病に於ける肝臓機能について」。正五位、勲三等瑞宝章。1984年逝去、享年67。
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黒田 正典(くろだ まさすけ、1916年2月29日 - 20… 黒田 正典(くろだ まさすけ、1916年2月29日 - 2009年5月29日)は、日本の心理学者。 宮城県出身。東北帝国大学法文学部心理学科を卒業。1967年「日本文字の筆跡心理学に関する基礎的研究」で東北大学より文学博士号を取得する。新潟大学教育学部助教授、教授を経て、1970年東北大学教養部教授となる。1979年に定年退官、名誉教授となり、岩手大学教授、東北福祉大学教授を務めた、福来心理学研究所。児童心理学を専門とした。
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佐藤 日吉(さとう ひよし、1916年〈大正5年〉 - 20… 佐藤 日吉(さとう ひよし、1916年〈大正5年〉 - 2007年〈平成19年〉)は、日本の倫理学者。専門は倫理学・宗教的倫理学。北海道教育大学名誉教授・元旭川大学女子短期大学部学長。山形県東村山郡出身。 この他1968年(昭和43年)から1974年(昭和49年)まで北海道教育大学附属旭川小学校長を務める 勲三等旭日中綬章(1990年) 『北海道人物・人材リスト 2004 な-わ』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年) この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
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秋田 一季(あきた かずすえ、1915年〈大正4年〉12月2… 秋田 一季(あきた かずすえ、1915年〈大正4年〉12月23日 - 1997年〈平成9年〉3月30日)は、旧三春藩主家秋田氏第15代当主。夫人は喜美子。養子に秋田美篤(男爵・藤大路親美の子)。三春町名誉町民。 秋田重季・芳子夫妻の子として生まれる。学習院高等科を経て、東北帝国大学卒業。1953年(昭和28年)2月に宮中御歌会諸役へ選ばれる。日本教文社専務取締役となり、1977年(昭和52年)に社団法人出版梓会幹事長へ就任し、その後理事長も務めた。また、日本書籍出版協会理事にもなっている。1987年(昭和62年)11月30日、学習院の同窓会「桜友会」の3代目会長、学校法人学習院理事及び学習院剣道部総監督を歴任。
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喜安 善市(きやす ぜんいち、1915年12月11日 - 2… 喜安 善市(きやす ぜんいち、1915年12月11日 - 2006年12月7日)は、日本の電子工学研究者。日本のコンピュータ研究における先駆者の一人とされる。日本電信電話公社電気通信研究所次長や、東北大学電気通信研究所教授、電子通信学会副会長、電子通信学会編集長などを歴任。 1939年、東北帝国大学工学部電気工学科を卒業後に逓信省電気試験所(のち、日本電信電話公社電気通信研究所、現・NTT武蔵野研究開発センタ)に入所。搬送用濾波器の研究に従事した。後年手がける自動ディジタル計算機は、この当時膨大な量の数値計算に苦労した経験がその発端となった。戦時研究員として飛行機の無線操縦の研究に携わった際にアナログ計算機に関心を抱いた。
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木村 瑞雄(きむら みずお、1915年11月23日 - 19… 木村 瑞雄(きむら みずお、1915年11月23日 - 1989年7月1日) は、日本の電気工学者。東北大学教授を経て、第4代東北工業大学学長を務めた。 1940年東北帝国大学工学部電気工学科卒業、東洋通信機入社。1941年東北帝国大学工学部通信工学科助手。1946年東北大学電気通信研究所助教授。1958年東北大学工学博士。信州大学工学部教授、東北大学工業教員養成所教授を経て、1968年東北工業大学教授。1969年日本音響学会東北支部長。1971年学校法人東北工業大学理事。1976年東北工業大学学長。1989年従四位勲三等瑞宝章。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
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安井 吉典(やすい よしのり、1915年(大正4年)10月3… 安井 吉典(やすい よしのり、1915年(大正4年)10月30日 - 2012年(平成24年)11月6日)は、日本の政治家(日本社会党)。位階は正三位。勲等は勲一等。 衆議院副議長(第57代)、衆議院議員(11期)を歴任。 1915年(大正4年)、北海道東神楽村(現東神楽町)にて生まれる。1940年(昭和15年)に東北帝国大学法学部を卒業し、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)に入社、秋田県の尾去沢鉱業所に勤務した。1944年(昭和19年)に吉田貞次郎衆議院議員(元上富良野村長)の娘の弥生と結婚。1945年(昭和20年)、父で東神楽村長代理助役だった安井吉太郎の死去を受け、翌1946年(昭和21年)に家業の農業を継ぐため退社。
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町村 泰男(まちむら やすお、1915年9月12日 - 19… 町村 泰男(まちむら やすお、1915年9月12日 - 1969年4月10日)は、日本の実業家。 祖父は北海道における酪農の先駆者・町村金弥、父は町村農場創設者・町村敬貴。法学者の町村泰貴は息子。声楽家でお笑い芸人の町村彰は孫。従弟に衆議院議長を務めた町村信孝がいる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
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阪田 勝三(さかた かつぞう、1915年7月5日 - 201… 阪田 勝三(さかた かつぞう、1915年7月5日 - 2010年9月19日)は、日本の英米文学者。専門はジョン・キーツ、ウィリアム・フォークナー。 和歌山県生まれ。東北帝国大学法文学部英文科卒業。土居光知に師事。海軍大学校教授、戦後宮城学院女子大学助教授、教授を経て、1969年同大学および同短期大学にて公選制最初の学長。1972年日本大学文理学部教授、1976年「ジョン・キーツ論考 自己解体としての想像力」で日本大学文学博士。1986年日本大学定年後、96年までクラーク学園理事長を務めた(95-96年は和泉短期大学学長も兼務)。 多くのキーツ研究者が「思想の詩人としてのキーツ」を重く見るのに対し、阪田は「感覚の詩人としてのキーツ」に愛着を持った数少ない研究者である。
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