木屋 好絵(きや よしえ、1975年11月15日 -)は北海… 木屋 好絵(きや よしえ、1975年11月15日 -)は北海道根室市出身の日本の柔道家。72kg超級及び78kg超級の選手。身長167cm。 柔道は6歳の時に父親の影響で始めた。根室市立啓雲中学から釧路湖陵高校へ進むと、2年の時に高校選手権72kg超級で5位になった。1994年には筑波大学へ進学すると、2年の時に優勝大会で3位となった。3年の時には無差別で争われる全日本学生選手権の準決勝で拓殖大学3年の妹尾ひでみに敗れるも3位となると、世界学生では個人戦の無差別で2位、団体戦で3位となった。4年の時には優勝大会で3位だったが、全日本学生選手権では決勝で東和大学4年の山下まゆみを判定で破って優勝を飾った。
佐野 奈津子(さの なつこ、1975年1月24日 - )は長… 佐野 奈津子(さの なつこ、1975年1月24日 - )は長崎県出身の日本の柔道家。現役時代は66kg級と70kg級の選手。身長171cm。なお、48kg級で活躍していた長井淳子とはいとこにあたる。 三井楽中学から柳川高校へ進むと、1年の時には早くも先輩の松永真里子や国吉真子らとともに、金鷲旗での優勝に貢献した。新設されたインターハイ女子団体戦決勝の夙川学院高校戦では1年生ながら代表戦に出場して、同じく1年生の吉田早希と対戦するが判定で敗れて2位に終わった。全国高校選手権の66kg級では優勝を飾った。2年の時には金鷲旗で2連覇を果たした。インターハイの団体戦では予選リーグで夙川学院高校と同じブロックに入ってしまったこともあって、得失点差で決勝トーナメントに進めなかった。
楢崎 教子(ならざき のりこ、旧姓:菅原、1972年〈昭和4… 楢崎 教子(ならざき のりこ、旧姓:菅原、1972年〈昭和47年〉9月27日 - )は、岩手県東磐井郡千厩町(現:一関市千厩町)生まれ、神奈川県大和市出身の元柔道選手。柔道指導者。福岡教育大学専任講師。筑波大学大学院体育学修士課程修了。身長157cm。得意技は体落と寝技。 母が岩手県千厩町、父が藤沢町の出身で、生後間もない頃から幼稚園に入園するまでの約3年間を母親の実家がある千厩町で育つ。柔道は4歳の頃から父親の主宰する菅原道場(神奈川県大和市)にて指導を受ける。日本大学藤沢高等学校卒業後、筑波大学へ進学。大学卒業後に株式会社ダイコロへ入社。 1996年アトランタオリンピックでは菅原姓で銅メダルを獲得。
阿部 由記子(あべ ゆきこ、1972年8月26日 - )は岩… 阿部 由記子(あべ ゆきこ、1972年8月26日 - )は岩手県出身の日本の柔道家。現役時代は66kg級の選手。身長165cm。 小佐野中学2年の時に早くも体重別と強化選手選考会の66kg級で3位になった。3年の時にはコロラドスプリングスで開催された環太平洋柔道選手権大会で日本選手最年少となる15歳1ヶ月でのシニアの国際大会優勝を飾った(2020年現在も最年少記録を保持している)。続く強化選手選考会でも優勝を果たした。釜石南高校へ進むと、1年の時には強化選手選考会で2連覇、体重別では初優勝を飾った。2年の時には強化選手選考会で3連覇を達成した。福岡国際では3位に入った。3年の時には世界ジュニアに出場して決勝まで進むも、イギリスのケイト・ホーウェイに敗れて2位にとどまった。
永井 和恵(ながい かずえ、1972年5月19日 - )は、… 永井 和恵(ながい かずえ、1972年5月19日 - )は、京都府宇治市出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級および52kg級の選手。得意技は背負投、巴投、寝技。身長153cm。。現姓は南條。現在は仙台大学女子柔道部監督。 柔道は5歳の時に始めた。北宇治中学の時には48kg級の選手ながら無差別で争われる京都府柔道大会で優勝を成し遂げた。成安女子高校に入学すると、全国高校選手権では1年の時から2連覇を達成した。2年の時には福岡国際で3位となった。しかし、世界ジュニアでは初戦で旧ソ連の選手に敗れた。3年の時には体重別決勝で筑波大学の江崎史子に崩上四方固で敗れたものの2位となった。1991年には筑波大学に進学するが、体重別では準決勝で田村亮子に掬投で敗れて3位だった。
植田 睦(うえだ むつみ、1972年1月25日 - )は、大… 植田 睦(うえだ むつみ、1972年1月25日 - )は、大阪府東大阪市出身の日本の柔道家。現役時代は52kg級及び56kg級の選手。身長163cm。得意技は大外刈。3人姉妹の次女。長女の早苗は実業個人選手権52kg級で2位、3女の庸子は体重別や全国女子体重別の57kg級で3位になるなど、それぞれ活躍していた。 小阪中学1年の時にニュージャパン柔道協会で柔道を始めた。高校は道場の先輩である深川照子が通っていた大阪市立桜宮高等学校へ進んだ。1学年上には後のバルセロナオリンピック56kg級で銅メダルを獲得することになる立野千代里がいた。2年の時には高校選手権52kg級で決勝まで進むが、浜松西高校2年の溝口紀子に横四方固で敗れた。
江崎 史子(えさき ふみこ、1971年9月27日 - )は、… 江崎 史子(えさき ふみこ、1971年9月27日 - )は、長野県松本市出身の日本の女子柔道選手。身長155cm。現役時代は48kg級の選手だった。 小学校4年の時に父親の影響を受けて、近所の松島道場で柔道を始めた。同期には泉香澄がいた。信州大学教育学部附属松本中学校中学2年の時全日本女子柔道体重別選手権大会52kg級決勝で山口香に敗れるが2位となった。翌年には階級を1つ下げて48kg級に出場して優勝を成し遂げ、世界選手権では決勝でイギリスのカレン・ブリッグスに敗れたものの、中学3年生ながら2位となった。八千代松陰高等学校進学後の世界選手権では決勝で中国の李忠雲に敗れて再び2位に終わった。1988年のオリンピック(公開競技)でも李に有効で敗れて2位にとどまった。
杉村 英子(すぎむら ひでこ、1971年9月23日 -)は愛… 杉村 英子(すぎむら ひでこ、1971年9月23日 -)は愛知県海部郡立田村(現・愛西市)出身の日本の柔道家。現役時代は61kg級の選手。身長162cm。 立田中学から同朋高校へ進むと、1年の時に強化選手選考会61kg級で3位となった。全国高校選手権では決勝で常磐高校1年の北爪弘子に判定で敗れて2位だった。体重別では決勝まで上がるが、ソウルオリンピック(公開競技)銅メダリストである住友海上の持田典子に敗れた。フランス国際では3位となった。しかし、全国高校選手権では2回戦で敗れた。3年の時には体重別で3位だった。1990年に筑波大学へ進学すると、1年の時には強化選手選考会の決勝で埼玉大学1年の北爪に敗れた。
大石 愛子(おおいし あいこ、1970年10月13日 - )… 大石 愛子(おおいし あいこ、1970年10月13日 - )は、愛知県大府市出身の日本の柔道家。現役時代は66kg級の選手。身長166cm。得意技は内股。 バルセロナオリンピック78kg級金メダリストの吉田秀彦や63kg級でオリンピック2連覇の谷本歩実を輩出したことで知られる大石道場の指導者である大石康の長女。弟の大石公平は大成中学校・高等学校女子柔道部の監督を務める。妹の大石いづみも全国レベルで活躍していた。 体重別選手権には中学の頃から出場していて、桜丘高等学校2年の時には66kg級で2位になった。全国高校選手権ではオール一本勝ちで優勝した。3年の時にはこの当時無差別で行われていた女子の金鷲旗で3位となった。
増地 克之(ますち かつゆき、1970年9月29日 - )は… 増地 克之(ますち かつゆき、1970年9月29日 - )は、日本の柔道家(講道館6段)。 現役時代は1990年代の全日本選手権の常連として活躍し、無差別級のアジア王者にも2度輝いた。引退した現在は筑波大学柔道部総監督や、全日本柔道連盟の強化スタッフとして女子代表監督を務める。 三重県津市出身。父親が警察官だった関係で小学校4年生の時に警察署の柔道場へ連れて行かれたのを機に、柔道を始めた。とは言え遊び盛りの少年時代、この頃の増地は柔道よりも野球の方に興じていたという。中学生の時に父が転勤となり川越町の川越町朝日町組合立明和中学校。現、川越中学校に入学。既に身長170cmと大柄だった増地は柔道部に入部して練習に明け暮れるが、連日の猛稽古が祟り中学2年の時に腎盂腎炎を患って、栄養失調により一時は体重60kgまで激減して入院までする羽目になった。
立野 千代里(たての ちより、現姓:増地、1970年6月25… 立野 千代里(たての ちより、現姓:増地、1970年6月25日 - )は、大阪府守口市出身の柔道選手。現役時代は56kg級の選手だった。身長155cm。得意技は大内刈、寝技。 中学まではソフトボールをやっていて、本格的に柔道を始めたのは桜宮高校に入ってからだった全国高等学校柔道選手権大会では3位となる。筑波大学に進学後、1991年には体重別で優勝して世界選手権代表に選ばれるも3回戦で敗れる。翌年再び体重別で優勝してオリンピック代表に選ばれて、銅メダルを獲得する。1993年の世界選手権では決勝で敗れて2位に終わる。その後は52kg級から階級を上げてきた溝口紀子に勝てず代表の座から離れていたが、1997年には体重別で久しぶりに優勝して代表に選ばれて、世界選手権でも3位となる。
山田 紀美子(やまだ きみこ、1970年4月6日 - )は、… 山田 紀美子(やまだ きみこ、1970年4月6日 - )は、埼玉県出身の、日本の柔道選手である。階級は61kg級。身長166cm。 児玉高校2年の時に全国高校選手権61kg級の2回戦で敗れた。日体大へ進学すると、1年の時に正力杯で3位となった。強化選手選考会では決勝で常磐高校3年の北爪弘子に敗れて2位だった。2年の時には体重別決勝で世界選手権3位である筑波大学4年の小林貴子に敗れて2位だったが、正力杯決勝では大学の同級生である小竹尚子を破って優勝した。グッドウィルゲームズで3位になると、福岡国際では決勝まで進むも、中国の金香蘭に効果で敗れて2位だった。3年の体重別では3位、正力杯では決勝で埼玉大学2年の北爪に敗れて2位だった。
内村 直也(うちむら なおや、1970年4月3日 - )は、… 内村 直也(うちむら なおや、1970年4月3日 - )は、日本の柔道家。現役時代は65kg級の選手。身長168cm。現在は大阪産業大学のスポーツ健康学部スポーツ健康学科の准教授。 愛知県出身。津島柔道会で柔道を始めた。佐屋中学から中京高校へ進むと、1年の時には早くもインターハイ軽量級で2位になる活躍を見せるが、2年と3年の時には上位へ進めなかった。団体戦の国際高校柔道選手権大会では優勝を飾った。筑波大学へ進学すると、1年の時には新人体重別60kg級で優勝した。世界ジュニアでは準決勝でソ連のニコライ・オジョギンに判定で敗れて3位だった。2年になると、正力杯で2位になった。新人体重別では3位に終わり2連覇はならなかった。
鈴木 香(すずき かおり、1969年11月22日 - )は、… 鈴木 香(すずき かおり、1969年11月22日 - )は、東京都江東区出身の日本の柔道家。現役時代は72kg超級の選手。身長165cm。体重95kg。得意技は寝技。妹の美佐子も72kg超級の強化選手だった。 江東区で生まれたが、幼稚園の時に千葉の松戸へ移った。松戸馬橋高校に入学した時点でかなり太っていたこともあって痩せるために柔道を始めてみたが、監督である菊川慶一の指導の下で1年もしないうちに全国高校選手権60kg超級で優勝するまでになった。2年の時には強化選手選考会72kg超級で優勝すると、福岡国際でも3位となった。3年の時には金鷲旗の女子個人戦で優勝を飾った。1988年に筑波大学に進学すると、正力杯で2連覇を達成した。
土川 美和子(つちかわ みわこ、1969年6月5日 -)は愛… 土川 美和子(つちかわ みわこ、1969年6月5日 -)は愛知県出身の日本の柔道家。身長155cm。現役時代は56kg級の選手。 桜丘高校1年の時に全国高校選手権60kg級の準決勝で京都商業高校2年の小林貴子に判定で敗れて3位だった。2年の時には全国高校選手権の56kg級で優勝を飾った。また、この年から3年連続で体重別で3位に入った。1988年に筑波大学に入学すると、2年の時には正力杯の決勝で大学の1年後輩である立野千代里に敗れて2位だった。強化選手選考会では決勝で柳川高校2年の松永真理子を破って、シニアの全国大会初優勝を飾った。4年の時には体重別の決勝で立野に敗れた。強化選手選考会でも決勝でミキハウスの薮下めぐみに敗れて2位だった。
中橋 政彦(なかはし まさひこ、1968年10月23日 - … 中橋 政彦(なかはし まさひこ、1968年10月23日 - )は香川県坂出市出身の日本の柔道家。現役時代は86kg級の選手。身長183cm。妹は選抜体重別61kg級で優勝経験のある中橋治美。 高松商高3年の時にインターハイ軽重量級で2位になった。1987年に筑波大学へ進学すると、4年の時に正力杯86kg級で3位になった。1991年には国体要員として香川県スポーツ振興財団の所属となると、1992年には講道館杯と選抜体重別でそれぞれ3位となった。嘉納杯では決勝まで進みバルセロナオリンピック銅メダリストであるカナダのニコラス・ギルと対戦すると、大内刈で効果を先取するが、その後内股を小外掛で切り返されるもそれがポイントにはならず、辛うじて優勝を果たした。
坂上 洋子(さかうえ ようこ、1968年8月29日 - )は… 坂上 洋子(さかうえ ようこ、1968年8月29日 - )は、長崎県出身の元柔道選手。身長163cm、体重95kg。得意技は大外刈。現姓・石角。日本マスターズ柔道協会会員。 長崎市立西北小学校1年の時に柔道を始めた。その後、長崎市立岩屋中学校、長崎県立長崎西高等学校を経て筑波大学卒業。 1992年バルセロナオリンピック女子柔道72kg超級で、準決勝で抑え込まれて完敗するも、3位決定戦ではポーランドのベアタ・マクシモフを逆に抑え込み一本で破り銅メダルを獲得した。 引退後は阪神・淡路大震災に被災したことをきっかけに、アマチュア無線の免許を取得。パネルディスカッションにパネラーとして出演し、災害時にアマチュア無線をどう生かすか、またその際の問題点などについて、被災の実体験を元に語っている。
大幡 悦雄(おおはた えつお、1968年6月16日 - )は… 大幡 悦雄(おおはた えつお、1968年6月16日 - )は、日本の柔道選手である。茨城県出身。階級は65kg級。身長165cm。 筑波大学2年の時に新人体重別65kg級で3位になった。4年の時には講道館杯で3位になると、正力国際では決勝で鹿屋体育大学3年の山部伸敏を判定で破って優勝した。1991年には水海道第一高校の教員になると、体重別で3位となった。引退後は茨城県柔道連盟の役員となった。 (出典、JudoInside.com)。
小林 貴子(こばやし たかこ、1968年4月2日 -)は、京… 小林 貴子(こばやし たかこ、1968年4月2日 -)は、京都府出身の日本の柔道家。現役時代は61kg級の選手。身長159cm。得意技は内股。 京都市立柏野小学校6年の時に早くも全日本の体重別に出場を果たす。初戦で開始早々の巴投げで敗れたものの、話題となった。元々は韓国籍であり、第二回福岡国際には韓国代表として出場していた。その後京都商業高校から筑波大学に進み、大学2年の時には無差別の全日本選手権で、第一人者の田辺陽子と接戦を演じる活躍を見せて61kgの選手ながら2位となった。翌年にはライバルである北田典子を破り、世界選手権代表になり3位となった。その後ミキハウスに入社して1992年バルセロナオリンピック代表にもなるが、初戦で敗れて引退した。
佐々木 光(ささき ひかり、1967年10月4日 - )は、… 佐々木 光(ささき ひかり、1967年10月4日 - )は、静岡県沼津市出身の女子柔道選手。一時期に「山田」姓でも活動。柔道六段。
酒井 英幸(さかい ひでゆき、1967年5月30日 -)は福… 酒井 英幸(さかい ひでゆき、1967年5月30日 -)は福岡県出身の日本の柔道家。現役時代は71kg級の選手。身長170cm。得意技は「酒井返し」を始めとした寝技。現在は自衛隊体育学校柔道班の監督を務めている。 6歳の時に沖縄へ移ると、近くの道場に無理やり連れて行かれて柔道を始めた。嘉手納中学から沖縄尚学高校へ進むと、2年と3年のインターハイ中量級では、世田谷学園高校の古賀稔彦に敗れて5位だった。筑波大学へ進学すると、1年の時には新人体重別71kg級で優勝した。2年の時には新人体重別を連覇した。3年の時には正力国際の決勝で日体大3年の古賀に効果で敗れた。4年の時には環太平洋柔道選手権大会で国際大会初優勝を飾った。
岡田 弘隆(おかだ ひろたか、1967年2月22日 - )は… 岡田 弘隆(おかだ ひろたか、1967年2月22日 - )は、日本の柔道家、体育学者。筑波大学体育専門学群准教授。講道館八段を取得。得意技は小内刈・大内刈・大外刈。身長170cm。岐阜県揖斐郡大野町出身。 町立大野小5年次より柔道を始めた。町立大野中学校から大垣日大高校へと進学。高校時代には既に周囲の期待を集め、2年次には全日本の合宿にも参加している。高校3年次の1984年、インターハイ個人戦の軽重量級で優勝。 筑波大学に進学するが、前述の通り既に全日本合宿を経験していた岡田は、目標は世界だけと定めており、本人曰く「学生大会には全くと言っていいほど興味が無かった」との事。その言葉が示すように、入学してすぐの講道館杯で準優勝すると、翌86年には体重無差別の全日本選手権で2試合勝ち進むなど健闘を見せたほか、10月の嘉納治五郎杯で優勝し、シニア初タイトル。
岡泉 淳(おかいずみ じゅん、1966年8月21日 - )は… 岡泉 淳(おかいずみ じゅん、1966年8月21日 - )は埼玉県出身神川町在住の日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長180cm。体重118kg。 柔道は小学校1年の時に後に1995年の世界選手権95kg級で3位となる弟の岡泉茂とともに始めた。児玉高校3年の時にインターハイの重量級で決勝まで進むが、東海大相模高校3年の多田隈和博に敗れて僅差判定で2位だった。1985年には筑波大学に進むと、2年の時には新人体重別の決勝で日本大学2年の金野潤に抑え込みで一本勝ちをして優勝する。。1989年には新日鉄広畑の所属となると、講道館杯では旭化成延岡の樋川純を破って優勝を飾った。1991年には講道館杯で2年ぶり2度目の優勝を果たした。
渡辺 涼子(わたなべ りょうこ、1966年4月18日 -)は… 渡辺 涼子(わたなべ りょうこ、1966年4月18日 -)は日本の柔道家。金沢学院大学人間健康学部教授。現役時代は66kg級の選手。身長169cm。得意技は大外刈。 岡山県出身。小学校4年の時に柔道を始める。中学高校の時には学校に柔道部がなかったので陸上部に所属して、柔道は児島武道館で稽古した。岡山県立児島高等学校から筑波大学に進学後、大学2年の時には61kg級で世界3位となった。その後階級を66kgに上げて、1991年の世界選手権では3位となった。翌年の体重別では決勝で佐々木光に1-2の微妙な判定で敗れるも、オリンピック代表に選ばれるが初戦で敗れた。1993年の世界選手権でも初戦で敗れて引退した。
渡辺 直勇(わたなべ なおたけ、1965年6月27日 - )… 渡辺 直勇(わたなべ なおたけ、1965年6月27日 - )は、北海道出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg超級。現役時代は身長174cm。体重120kg。現在は、金沢学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。専門は柔道方法学、コーチ学。 旭川龍谷高校1年の時に1年先輩の野村幸生などとともに活躍して全国高校選手権の団体戦で優勝を飾った。 筑波大学2年の時に、この当時全日本学生柔道連盟と対立関係にあった全柔連傘下の全日本大学柔道連盟が主催する、団体戦の全日本大学柔道大会で優勝した。3年の時は2位だったが、4年の時は再びチームの優勝に貢献した。 1988年には筑波大学大学院へ進学した。1989年の全日本選手権では予想外の活躍で準決勝まで進むも、東海大学4年の関根英之に判定負けを喫したが3位入賞を果たした。
山口 香(やまぐち かおり、1964年12月28日 - )は… 山口 香(やまぐち かおり、1964年12月28日 - )は、日本の柔道家(2020年8月現在、七段)、体育学者。学位は博士(生命医科学、山梨大学)、体育学修士(筑波大学大学院・1989年)。筑波大学人間総合科学学術院 人間総合科学研究群 スポーツウエルネス学教授。 1988年ソウルオリンピックで銅メダルを獲得した。全日本柔道連盟女子強化委員、日本オリンピック委員会理事、コナミ取締役、日本学術会議会員、筑波大学柔道部女子監督を歴任。得意技は小内刈。 東京都豊島区で出生し、欧州と米国が強く日本人の勝利が少なかった時期に第3回世界選手権で日本人女性柔道家として史上初の金メダルを獲得している。 現役時代は「女三四郎」と称賛された。
坂下 誠(さかした まこと、1964年7月30日 - )は滋… 坂下 誠(さかした まこと、1964年7月30日 - )は滋賀県出身の日本の柔道家、教員。65kg級の選手。身長170cm。 比叡山高校3年の時にインターハイの中量級で優勝を飾った。新人体重別では3位だった。筑波大学へ進学すると、1年の時にはプエルトリコのマヤグエスで開催された世界ジュニアでは、決勝でソ連のセルゲイ・コスミニンを破って優勝を飾った。しかし、新人体重別では決勝で東海大学の村山晴夫に敗れて2位にとどまった。2年の時には正力杯で3位だった。3年の時には講道館杯で3位に入った。4年の時には選抜体重別で3位に入った。1987年には西武百貨店筑波の所属になると、講道館杯では決勝まで進むも日体大研究生の山本洋祐に敗れて2位だった。
小澤 雄二(おざわ ゆうじ、1963年7月8日 - )は、愛… 小澤 雄二(おざわ ゆうじ、1963年7月8日 - )は、愛媛県出身の、日本の柔道選手である。階級は60kg級。身長161cm。 今治南高校2年の時にインターハイの軽量級で3位になった。 筑波大学3年の時に講道館杯の決勝で奈良工業高校教員の細川伸二に敗れて2位だった。正力杯でも2位にとどまった。また、東ドイツ国際では3位だったが、西ドイツ国際 では優勝を飾った。4年の時にはフランス国際でも優勝した。1986年には山形県教育委員会の所属になると、講道館杯では決勝でダイコロの木田守に敗れて2位だった。1987年の講道館杯では3位だった。1988年にはハンガリー国際で優勝するも、体重別では3位だった。
向井 幹博(むかい みきひろ、1962年4月22日 - )は… 向井 幹博(むかい みきひろ、1962年4月22日 - )は長崎県出身の日本の柔道家。現役時代は60kg級の選手。段位は七段を取得。身長170cm。のちに講道館道場指導部課長に。 長崎県立長崎南高等学校から筑波大学を経て、筑波大学大学院へ進んだ。大学時代にはフランスのストラスブルクで開催された世界学生の60kg級で3位、団体戦で2位となった。さらにはこの当時、全日本学生柔道連盟と対立関係にあった全日本柔道連盟側の全日本大学柔道連盟が新たに設けた第一回の全日本大学柔道体重別選手権大会において優勝を飾った。ブルガリア国際でも優勝した。1986年には佐世保南高校の教員として、モスクワで開催されたCNN創業者のテッド・ターナー考案による第一回のグッドウィル・ゲームズに出場すると、決勝で地元ソ連の選手を破って優勝を飾った。
出口 達也(でぐち たつや、1962年4月21日 - )は富… 出口 達也(でぐち たつや、1962年4月21日 - )は富山県出身の日本の柔道家。60kg級の選手。身長164cm。現在は広島大学の教授で、柔道部監督も務めている[4]。
三戸 範之(さんのへ のりゆき、1961年12月19日 - … 三戸 範之(さんのへ のりゆき、1961年12月19日 - )は、秋田県出身の日本の柔道家。現役時代は86kg級の選手。段位は七段。身長178cm。2016年現在は秋田大学教育文化学部の教授を務める。 秋田高校から筑波大学へ進学すると、2年の時に新人体重別86kg級で2位に入った。3年の時には正力杯で2位だった。4年の時には講道館杯で3位になった。 その後筑波大学の大学院へ進んだ。さらに八戸工業高等専門学校の教員となると、1986年の講道館杯では3位だったが、選抜体重別では決勝で東海大学4年の村田正夫を破って優勝を飾った。アジア大会では決勝で地元韓国のパク・キュンホに判定で敗れて2位に終わった。
高野 裕光(たかの ひろみつ、1959年8月25日 - )は… 高野 裕光(たかの ひろみつ、1959年8月25日 - )は熊本県下益城郡出身の日本の柔道家。階級は78kg級。身長は175cm。得意技は大外刈、大内刈。
浅見 三喜夫(あさみ みきお、1959年1月7日 - )は、… 浅見 三喜夫(あさみ みきお、1959年1月7日 - )は、愛媛県の宇和島市・九島出身の日本の柔道家。現役時代は60kg級及び65kg級の選手。次女は48kg級の世界チャンピオンである浅見八瑠奈。現在は新田高校の教頭及び柔道部顧問。 柔道は城南中学に入ってから兄の影響で始めた。新田高校2年の時にはインターハイ軽量級で3位になると、3年の時には中量級で3位となった。その後筑波大学に進学するが、1年の時に肘をケガして従来の得意技だった背負投が使えなくなったので、今までとは違ったスタイルの背負投を編み出すことになった。2年の時には新人体重別で優勝を飾った。4年の時には60kg級の選手ながら全日本学生柔道優勝大会のメンバーに選ばれて準優勝を果たした。
木村 昌彦(きむら まさひこ、1958年8月26日 - )は… 木村 昌彦(きむら まさひこ、1958年8月26日 - )は、日本の柔道家、研究者。 山形県米沢市で生まれる。筑波大学体育専門学群コーチング卒業。山梨大学大学院総合研究部医学領域社会医学講座博士課程修了。 1987年、防衛大学校所属で第13回全日本サンボ選手権大会90 kg超級優勝。 1998年ドイツ国際銀メダリストの宝寿栄が横浜国立大学時代に柔道部監督をつとめていた。1992年バルセロナオリンピックから2016年リオデジャネイロオリンピックまでオリンピックにおいて柔道日本代表選手団に携わる。2015年現在、全日本柔道連盟強化委員。2016年リオデジャネイロオリンピックでは柔道日本代表チームのチームリーダーを務める。
松井 勲(まつい いさお、1956年8月28日 - )は、日… 松井 勲(まつい いさお、1956年8月28日 - )は、日本の柔道家(八段)。 福井県生まれ。岐阜県立関高校時代インターハイ個人重量級で山下泰裕を破って優勝。山下の3連覇を阻んだ。山下(東海大学付属相模高等学校→東海大学)・吉岡剛(福岡県立嘉穂高等学校→中央大学)と並び称され将来を大いに嘱望され、高校3年次と大学1年次には全日本ジュニア体重別選手権でそれぞれ2位と3位にも入っている。筑波大学卒業後は同大学の職員に。1979年から3年連続して全日本柔道選手権決勝では3位と、山下の前に涙を飲んだ。185cmと山下に対して長身であったが後年はライバルには成り得なかった。全日本柔道選手権では準優勝が1回・3位が実に5回有るが遂に優勝には届かなかった、悲運の選手。
笹原 美智子(ささはら みちこ、1955年5月27日 - )… 笹原 美智子(ささはら みちこ、1955年5月27日 - )は、東京都出身の日本の柔道家。現役時代は61kg級及び65kg級の選手。 高校を卒業後に安田火災海上に入社するも、柔道に専念するために退社した。1978年7月に講道館で初開催となった女子の体重別選手権65kg級に出場すると、決勝で今立篤子を合技で破って初代チャンピオンに輝いた。なお、この当時はプロレスラーのアントニオ猪木に憧れていて、1日6時間は稽古を積んでいたという。1979年には体重別選手権決勝で遺愛女子高校1年の八戸かおりを破って2連覇を飾った。講道館で初開催となった強化選手選考会の60kg級では3位だった。1980年には体重別選手権の61kg級決勝で八戸を破って優勝を飾り、女子としては初めての開催となる世界選手権の代表に選出された。
野瀬 清喜(のせ せいき、1952年8月10日 - )は、日… 野瀬 清喜(のせ せいき、1952年8月10日 - )は、日本の柔道家(講道館8段)。 選手としてロサンゼルス五輪や世界選手権でメダルを獲得したほか、日本国内においては全日本選抜体重別選手権5連覇等の実績が光る。身長176cmで現役時代の階級は86kg級。引退後は埼玉大学で教鞭を執る傍ら、全日本女子のヘッドコーチ・強化部長を歴任して多くのメダリストを輩出した名伯楽としても知られる。 新潟県は北蒲原郡京ヶ瀬村(現・阿賀野市)の出身。小学校時代は野球少年で、村立京ヶ瀬中学校時代に柔道と出会った。県立新発田高校へ進学して柔道部に入部するも、1年生の終わりには同級生が1人もいなくなるという憂き目に。それでも黙々とウェイトトレーニングに取り組むなどして才能を開花させた野瀬は、高校時代はインターハイや国体等に出場した。
中村 良三(なかむら りょうぞう、1942年11月12日 -… 中村 良三(なかむら りょうぞう、1942年11月12日 - )は、日本の柔道家。講道館九段を取得している。 現役時代は全日本選手権出場等の実績を持ち、引退後は母校・東京教育大学および筑波大学にて教授や柔道部監督、国際柔道連盟教育理事等を歴任した。 富山県高岡市の生まれで、小学校低学年の時に母親の友人の女性から勧められて柔道を始めた。市立高陵中学校にて後々まで生涯の師と仰ぐ事となる向健三と出会い、中学3年次に県大会で団体戦・個人戦とも優勝。高校は県下有数の進学校である県立高岡高校へ進み、卒業後1961年に東京教育大学へ入学して稽古に励んだ。大学4年次の1964年には日本の柔道家にとっての檜舞台である全日本選手権に東京地区代表として出場を果たしている。
佐藤 みずほ(さとう みずほ)は、日本の女子柔道選手である。… 佐藤 みずほ(さとう みずほ)は、日本の女子柔道選手である。東京都出身。階級は63kg級。組み手は右組み。得意技は大外刈。 藤村女子中学3年の時に全国中学校柔道大会の63㎏級に出場するが、3回戦で大成中学3年の鍋倉那美に払腰で敗れた。藤村女子高校2年の時にはインターハイの初戦で敗れた。全国高校選手権では5位となった。3年の時には東京予選決勝で敗れてインターハイには出場できなかったが、関東高校柔道大会で優勝した。2016年には三井住友海上の所属となった。2017年の実業個人選手権では決勝で会社の同期の鍋倉那美に技ありで敗れて2位だった。講道館杯では3回戦で筑波大学4年の津金恵に反則負けを喫した。2018年のアジアオープン・台北ではオール一本勝ちして国際大会初優勝を飾った。