山田 修(やまだ おさむ、1958年〈昭和33年〉12月10… 山田 修(やまだ おさむ、1958年〈昭和33年〉12月10日 - )は、日本の実業家。ミヨシ油脂社長。 愛知県名古屋市に出生する。青山学院大学経済学部卒業後の1982年に、服部時計店(現セイコー)に入社。1995年9月にセイコーシンガポールPTE.LTD.取締役社長に就任。1997年にミヨシ油脂に転職する。同社で、取締役経営企画室長や、常務取締役経営企画室長兼食品事業本部副本部長、常務取締役資材部長兼食品事業本部本部長補佐、専務取締役資材部長兼食品事業本部本部長補佐、同部長兼食品事業本部本部長補佐兼海外事業室長、専務取締役食品事業本部本部長補佐兼油脂原料担当兼海外事業室長などを歴任。2007年3月に代表取締役社長に昇格した。
中村 正人(なかむら まさと、別名:マサ、1958年10月1… 中村 正人(なかむら まさと、別名:マサ、1958年10月1日 - )は、日本のミュージシャン、音楽プロデューサー、俳優。DREAMS COME TRUEのリーダーでベーシスト。東京都調布市出身。血液型A型。妻は元HIGH and MIGHTY COLORのマーキーこと中村麻紀。 小学1年の2学期に父の仕事の関係で大阪府寝屋川市へ転居。同市内にある同志社香里中学校に入学後、1年の1学期だけ過ごした。2学期には千葉県へ移り住み、 市川市立第一中学校へ転校した。 DREAMS COME TRUEのデビュー以前は、国府台高校在学中に、フォークソングやロック、あるいはR&B系のミュージックのバンド活動を始め、当時から演奏技術とセンスで頭角を現し、この国府台高校での数々のエピソードはラジオ番組等で何度となく、その楽しさが語られている。
小出伸一(こいで しんいち、1958年10月1日 - )は、… 小出伸一(こいで しんいち、1958年10月1日 - )は、日本の実業家。株式会社セールスフォース・ドットコム 代表取締役会長 兼 CEO。元日本ヒューレット・パッカード代表取締役社長執行役員。元ソフトバンクテレコム代表取締役副社長兼最高執行責任者。
横山 隆治(よこやま りゅうじ、1958年9月29日 AB型… 横山 隆治(よこやま りゅうじ、1958年9月29日 AB型- )は、日本の実業家。 インターネットの黎明期からネット広告の普及、理論化、体系化に取り組み、企業のマーケティングメディアをPOE(ペイドメディア、オウンドメディア、アーンドメディア)に整理する「トリプルメディア」の考え方を日本に紹介するなど、長年にわたりインターネット広告、デジタルマーケティングに関する著書を多く発表している。 1982年青山学院大学文学部英米文学科卒業。同年、株式会社旭通信社(現ADKホールディングス)に入社。インターネット広告がまだ体系化されていなかった1996年に、日本国内でメディアレップ事業を行う専門会社「デジタル・アドバタイジング・コンソーシアム株式会社(略称:DAC)」を起案し、博報堂とADKなどとの共同事業で同社を設立、代表取締役副社長に就任する。
荒木 恵司(あらき けいじ、1958年〈昭和33年〉9月5日… 荒木 恵司(あらき けいじ、1958年〈昭和33年〉9月5日 - )は、日本の政治家。群馬県桐生市長(2期)。元群馬県議会議員(1期)、元桐生市議会議員(3期)。 群馬県桐生市出身。桐生市立西中学校(現・桐生市立中央中学校)、群馬県立桐生高等学校卒業。1981年(昭和56年)3月、青山学院大学法学部卒業。同年4月、堀村株式会社に就職。退職し、1983年(昭和58年)に呉服卸荒木商店の代表に就任。 2003年(平成15年)、桐生市議会議員に初当選。2011年(平成23年)、3選。 2015年(平成27年)、群馬県議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し初当選。 2018年(平成30年)11月5日、任期満了に伴う桐生市長選挙に立候補する意向を表明した。
坂井 秀明(さかい ひであき、1958年〈昭和33年〉9月5… 坂井 秀明(さかい ひであき、1958年〈昭和33年〉9月5日 - )は、日本の銀行家。佐賀銀行頭取を務める。 佐賀県芦刈町(現・小城市)出身。佐賀県立小城高等学校(高校29回)を経て、1981年(昭和56年)3月に青山学院大学法学部を卒業し、4月に佐賀銀行に入行。 営業と企画をほぼ半分ずつ経験。2002年6月二日市支店長兼都府楼支店長、11月二日市支店長、2004年総合企画部副部長、2007年武雄支店長、2009年総合企画部長、2011年取締役総合企画部長、2014年常務取締役。 2018年(平成30年)4月1日、佐賀銀行代表取締役頭取に昇格。
姫野 カオルコ(ひめの かおるこ、1958年8月27日 - … 姫野 カオルコ(ひめの かおるこ、1958年8月27日 - )は、日本の小説家。雅号:姫野 嘉兵衛。 1958年(昭和33年)、現在の滋賀県甲賀市に生まれる。青山学院大学文学部日本文学科を卒業。 嬰児の頃から、いろいろな他人宅に預けられていた。小学校入学後も鍵っ子で一人っ子だった。そのため空想や書くことが友達代わりだった、小学生の頃から作家を志す。大学在学中より読者投稿原稿のリライト作業などを主としていたが、映画評も書くようになる。卒業後、画廊で、事務のアルバイトをしながら小説を執筆し、1990年、講談社に持ち込みをした『ひと呼んでミツコ』で32歳で単行本デビュー。 1997年の『受難』、2003年の『ツ、イ、ラ、ク』、2006年の『ハルカ・エイティ』、2010年の『リアル・シンデレラ』がそれぞれ直木賞候補となる。
松浦 理英子(まつうら りえこ、1958年8月7日 - )は… 松浦 理英子(まつうら りえこ、1958年8月7日 - )は、日本の小説家。 愛媛県松山市生まれ。父親の勤務の関係で、幼少期を四国地方の各地で過ごす。中学生の時に香川県丸亀市に移り、丸亀市立西中学校から香川県大手前高等学校を経て、青山学院大学への進学を機に上京。 10代よりマルキ・ド・サド、ジャン・ジュネなどを愛読し、大学で仏文科を志望したのもジュネを原語で読むためであった。大学在学中の1978年、「泣き屋」と「笑い屋」との奇妙な交流を描く「葬儀の日」で文學界新人賞を受賞、芥川賞候補になる[リンク切れ][要出典]。青山学院大学文学部仏文科を卒業後、1987年にレズビアンを描いた『ナチュラル・ウーマン』が中上健次の絶賛を受け注目される。
吉田 幸夫(よしだ ゆきお、1958年7月23日 - )は、… 吉田 幸夫(よしだ ゆきお、1958年7月23日 - )は、元アマチュア野球選手である。ポジションは投手。 和歌山県田辺市出身。南部高校でアンダースローとなり、卒業後は青山学院大学経営学部に入学し硬式野球部に所属する。入部時は東都大学リーグ2部リーグであったが、大学3年次の1979年春の入替戦で専修大学に勝利。1部に昇格すると最優秀投手、1学年上の藤倉一雅とともにベストナインを受賞。4年次は主将も務めた。 大学卒業後の1981年に社会人野球のプリンスホテルに入社する。同期に川村一明、高山郁夫がいた。1984年にエースとしてロサンゼルスオリンピック野球日本代表に選ばれ、伊東昭光や宮本和知とともに投手陣の一角として活躍し、オリンピックでの金メダル獲得に貢献した。
香野 麻里(こうの まり、1958年7月7日 - )は、日本… 香野 麻里(こうの まり、1958年7月7日 - )は、日本の女優。東京都出身。 青山学院大学卒業。東映俳優センターに所属していた。本名(旧姓)及び旧芸名:平野 真理。 大学入学と同時に、東映京都でプロデューサーをしていた叔父に頼み込む形で東映俳優センターに所属。1979年、青山学院大学英文科在学中に本名でデビュー。 1981年、『哀愁美容室』への主演をきっかけに香野麻里の芸名を使用開始した。1984年になるとにっかつロマンポルノ『双子座の女』に出演し、アダルト向けの雑誌でヌードを披露。 一般には『科学戦隊ダイナマン』の王女キメラ役で知られる。大胆に脚を露出させたセクシーなコスチュームで、全国の特撮ファンを虜にした。
多田 一彦(ただ かずひこ、1958年7月1日 - )は、日… 多田 一彦(ただ かずひこ、1958年7月1日 - )は、日本の政治家。岩手県遠野市長(2期)。行政書士。 岩手県遠野市出身。1977年岩手県立遠野高等学校卒。高校時代はサッカー部で、全国大会出場を経験した。1981年青山学院大学法学部卒。同年遠野市役所勤務。その後、市役所を退職し、首都圏の会社に勤務する。遠野市と宮守村の合併後に「宮守ブロイハウス、コテージランドかしわぎ」を運営する柏木平レイクリゾート(株)の代表取締役社長に就任し、その経営に当たる。2011年3月の東日本大震災により、NPO法人「遠野まごころネット」を結成し、理事として活動する。 2017年の遠野市長選挙に立候補したが、現職の本田敏秋との一騎打ちに敗れ落選した。
唐沢 俊一(からさわ しゅんいち、1958年5月22日 - … 唐沢 俊一(からさわ しゅんいち、1958年5月22日 - 2024年9月24日)は、日本のカルト物件評論家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ、劇作家、演出家。元朝日新聞書評委員。 サブカルチャー、カルトとされる文化や物件について幅広い関心を持つ。書籍・映像・音楽・雑貨など昭和期における事物を今日的視点からB級文化として紹介することをライフワークとしていた。また、オタク文化の評論家として、各種メディアでのコメンテーターや、日本オタク大賞といったイベントの審査員を務めた。 北海道札幌市東区出身。本人の主張するところによれば、札幌光星高等学校、青山学院大学文学部教育学科卒業。東北薬科大学薬学部中退。
宮田 繁男(みやた しげお、1958年5月3日 - 2014… 宮田 繁男(みやた しげお、1958年5月3日 - 2014年3月30日)は、日本のドラマー・音楽プロデューサー。 高校1年生のとき、アマチュア・バンド“ミスター・アフガニスタン”を結成。当初はベースを担当していたが向いていないと感じ、“ちょっとやらせて”とドラムをやってみたところ最初から16ビートが叩け、「あ、俺はドラムだったんだ」と思い、以降ドラムを担当することになる。演奏時、左手のスティックはトラディショナル・グリップで持つ。当初はアメリカなどをコピーしていたが、宮田がドラムを担当してからはデビュー前のシュガー・ベイブをコピーし、ハネたグルーヴを得意とするようになった。 青山学院大学入学を機に上京、音楽サークル“Better Days”に入る。
斎藤 誠(さいとう まこと、1958年1月3日 - )は、日… 斎藤 誠(さいとう まこと、1958年1月3日 - )は、日本の音楽家・シンガーソングライター・ギタリスト・編曲家・音楽プロデューサー。所属レコード会社はエイベックス。 東京都生まれ。青山学院大学卒業。愛称は、誠ちゃん。 青山学院大学在学中に先輩の桑田佳祐や原由子らと知り合って音楽活動を開始、1983年にアルバム『LA-LA-LU』でシンガーソングライターとしてデビューした。サザンオールスターズのサポートギタリストとしても活躍している。 影響を受けた音楽家はビートルズ、ポール・マッカートニー、マウンテン、エリック・クラプトン、クリーム、デレク・アンド・ドミノスなど。主に1960年代から1980年代の洋楽を聴いたことが自身の音楽性を形成するきっかけとなった。
大塚 展生(おおつか のぶお、1958年1月1日 - )は、… 大塚 展生(おおつか のぶお、1958年1月1日 - )は、朝日放送テレビ(ABC)の元アナウンサー、政治家。 岡山県玉野市出身、1989年より兵庫県芦屋市在住。青山学院大学文学部フランス文学科を卒業。1981年に朝日放送へアナウンサーとして入社した。ジャンルはラジオパーソナリティー、報道記者、リポーター。その後、『サンデープロジェクト』やドキュメンタリー番組のディレクターを務め、ラジオのニュースデスクや経営部門へも勤務を経験した。 2019年の兵庫県芦屋市議選で初当選。 2023年2月24日、芦屋市民への説明責任を果たさない現市政を批判し、4月に行われる芦屋市長選挙に立候補することを正式に表明したが、支持を広げられず落選した。
ホリ・ヒロシ(1958年1月1日 - )は神奈川県横須賀市出… ホリ・ヒロシ(1958年1月1日 - )は神奈川県横須賀市出身の人形作家・衣装デザイナー。青山学院大学経済学部出身。マネージメントはオスカープロモーション。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
植村 秀樹(うえむら ひでき、1958年 - )は、日本の国… 植村 秀樹(うえむら ひでき、1958年 - )は、日本の国際政治学者。流通経済大学法学部教授。専攻は、日本政治外交史、安全保障論。 愛知県新城市生まれ。1983年早稲田大学法学部卒業。読売新聞社勤務を経て1994年青山学院大学国際政治経済学研究科博士課程修了。博士(国際政治学)。文部省教科書調査官、放送大学非常勤講師を経て、現職。
梅森 浩一(うめもり こういち、1958年 - )は、日本の… 梅森 浩一(うめもり こういち、1958年 - )は、日本のビジネス書の執筆者。 仙台市生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、三井デュポン・フロロケミカルに入社。1988年チェース・マンハッタン銀行に転職。 1993年、35歳でケミカル銀行東京支店の日本統轄人事部長に就任。2003-2008年の間多くのビジネス書を書いた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
勝股 秀通(かつまた ひでみち、1958年- )は、日本の社… 勝股 秀通(かつまた ひでみち、1958年- )は、日本の社会学者、著述家。元読売新聞記者。日本大学危機管理学部特任教授。 千葉県生まれ。青山学院大学経営学部経営学科を経て、1983年、読売新聞入社。東京地検でリクルート事件を取材。1993年から防衛省担当。1999年には民間人として初めて、防衛大学校総合安全保障研究科を修了。2015年4月、日本大学総合科学研究所教授。2016年4月危機管理学部教授。2024年4月危機管理学部特任教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小森 香折(こもり かおり、1958年 - )は、日本の小説… 小森 香折(こもり かおり、1958年 - )は、日本の小説家、翻訳家。別名に橋本 香折。 ドイツ語の絵本の翻訳を行うほか、自らいくつもの児童小説を書いている。 東京都生まれ。青山学院大学文学部卒業。学習院大学大学院文学研究科独文学専攻博士後期課程満期退学。 『ぼくにぴったりの仕事』で、第12回《小さな童話》大賞大賞を受賞。ファンタジー小説『ニコルの塔』により2002年度第5回ちゅうでん児童文学賞を受賞。この作品は2003年11月にBL出版より刊行され、2004年には第22回新美南吉児童文学賞も受賞した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
三枝 利行(さえぐさ としゆき、1958年 - )は、日本の… 三枝 利行(さえぐさ としゆき、1958年 - )は、日本の実業家。東急不動産社長。東京都出身。 1981年青山学院大学経済学部卒業後、東急不動産入社。 2008年執行役員資産活用事業本部長兼資産開発部統括部長、2009年執行役員経営企画部統括部長、2011年常務執行役員事業創造本部長、同年取締役常務執行役員、2014年に代表取締役に昇格したが、週刊誌報道を受け社内規定違反があったとして2015年に取締役から退任した。 記者会見にて「アタックのないところにチャンスはない。創業60年の節目を第二創業と位置付けており、東急不動産のDNAである“”ものづくりの原点”“お客さま目線”を大切にしながら、さまざまな事業にチャレンジしたい」と述べた。
須田 敏子(すだ としこ、1958年 - )は日本の経営学者… 須田 敏子(すだ としこ、1958年 - )は日本の経営学者。青山学院大学国際マネジメント研究科教授。 青山学院大学経営学部経営学科卒業。英国リーズ大学にて、修士号取得(人的資源管理)。英国バース大学よりPh.D取得(経営学専攻)。専門は、人材マネジメント、組織行動、国際経営学である。アブダビ石油を経て、日本能率協会に勤務。その後、日本能率協会マネジメントセンターに転籍し、同協会にて月刊誌「人材教育」の編集長に就任。その後、青山学院大学教授に就任。2009年より厚生労働省・中央職業能力開発協会ビジネス・キャリア人事・人材開発1級試験監査委員、2013年より、総務省国家公務員人事評価制度研究委員会委員。
橋本 到(はしもと いたる、1958年 - )は、日本の学者… 橋本 到(はしもと いたる、1958年 - )は、日本の学者。法政大学経済学部経済学科教授。 武蔵大学人文学部卒業後、立教大学大学院博士前期課程修了、青山学院大学大学院博士後期課程満了。法政大学経済学部経済学科教授。
鈴木 宏昭(すずき ひろあき、1958年 - 2023年3月… 鈴木 宏昭(すずき ひろあき、1958年 - 2023年3月8日)は、日本の認知科学者。特に、思考・学習における創発過程の研究。日本の認知科学研究の第一世代を牽引した。青山学院大学教育人間科学部教育学科教授。博士(教育学)(東京大学)。 1958年、宮城県仙台市生まれ。1974年4月、静岡県立静岡高等学校入学、1977年3月、富山県立富山中部高等学校卒業。1981年、中央大学文学部哲学科教育学専攻心理学専修卒業。東京大学大学院教育学研究科へ進学。佐伯胖の指導を受ける。1988年3月、東京大学大学院教育学研究科学校教育学専攻博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員を経て、1989年、東京工業大学大学院総合理工学研究科助手。
藤原 淳子(ふじわら じゅんこ、現姓:冨田、1957年12月… 藤原 淳子(ふじわら じゅんこ、現姓:冨田、1957年12月2日 - )は、中部日本放送(CBC)の元アナウンサー。フリーアナウンサー。夫は、元CBCアナウンサー・元稲沢市議会議員の冨田和音。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
田中 隆三(たなか りゅうぞう、1957年〈昭和32年〉10… 田中 隆三(たなか りゅうぞう、1957年〈昭和32年〉10月26日 - )は、日本の俳優。本名同じ。大阪府大阪市出身。 姉は女優の田中裕子。義兄は歌手・俳優の沢田研二。特技はスキー、サッカー。所属事務所はTOM company。 何度か演劇の舞台裏を見て来たうちに、役者をやりたくなって志すようになり、大学卒業の時期になって「平凡なサラリーマンにだけはなりたくない」と思うようになって、青山学院大学卒業後に自由劇場の養成所に入る。映画、テレビドラマなどで活躍する。特に時代劇のドラマに多数出演している。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
井阪 隆一(いさか りゅういち、1957年10月4日 - )… 井阪 隆一(いさか りゅういち、1957年10月4日 - )は、日本の企業家。セブン&アイ・ホールディングス元代表取締役社長、日本経団連審議員会副議長、日本銀行参与。 井阪健一(野村證券副社長、東京証券取引所副理事長、大阪経済大学理事長を歴任)の子として東京都に生まれる。 東京都立駒場高等学校、青山学院大学法学部卒業後、1980年セブン-イレブン・ジャパンに入社。虎丸店の店員、商品本部食品部シニアマーチャンダイザー、取締役商品本部食品部長、取締役執行役員商品本部食品部長、取締役常務執行役員商品本部食品部長を経る。2009年5月に代表取締役社長(最高執行責任者)に昇格、同時に(株)セブン&アイ・ホールディングス取締役に就任した。
藤倉 多祐(ふじくら かずまさ、1957年8月31日 - )… 藤倉 多祐(ふじくら かずまさ、1957年8月31日 - )は、栃木県足利市丸山町出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 1983年までの登録名は藤倉 一雅(読み同じ)。学生野球指導においても変更後の藤倉多祐の名義を用いている。父は、元西鉄の藤倉平三郎。 足利学園高では投手としてプレーし、3年次の1975年には夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で鹿児島商業高に完封勝利するが、3回戦では習志野高のエース小川淳司に完封負けを喫した。高校卒業後は1976年に青山学院大学に進学し、内野手に転向。東都大学リーグでは4年次の1979年に春季二部リーグで優勝し、入替戦で専大を降して5年ぶりの一部昇格を果たす。
藤倉 一雅(ふじくら かずまさ、1957年8月31日 - )… 藤倉 一雅(ふじくら かずまさ、1957年8月31日 - )は、栃木県足利市丸山町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
多羅尾 光睦(たらお みつちか、1957年8月23日 - )… 多羅尾 光睦(たらお みつちか、1957年8月23日 - )は、日本の地方公務員。東京都港湾局長兼東京臨海高速鉄道取締役、東京都生活文化局長、東京都総務局長、東京都副知事、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副会長、東京都職員共済組合理事長を経て、東京都参与、建設資源広域利用センター代表取締役社長、東京都競馬代表取締役社長、東京サマーランド代表取締役会長、東京都中小企業振興公社理事長。 東京都立武蔵高等学校を経て、1980年青山学院大学法学部を卒業し、東京都入庁。2004年東京都立保健科学大学事務局長。2006年東京都総務局行政改革調整担当部長。2007年東京都港湾局総務部長。2010年東京都人事委員会事務局長。
名取 裕子(なとり ゆうこ、1957年8月18日 - )は、… 名取 裕子(なとり ゆうこ、1957年8月18日 - )は、神奈川県横須賀市出身の女優。所属事務所は東宝 → 島田事務所 → 茂田オフィス→ホリプロ・ブッキング・エージェンシー。 座間市立栗原小学校、座間市立東中学校、神奈川県立厚木高等学校、青山学院大学文学部日本文学学科卒業。大学在学中にカネボウ「ミス・サラダガール・コンテスト」に応募。準優勝を果たし芸能界入り(同コンテスト優勝者は古手川祐子)。1976年東宝『星と嵐』で三浦友和の相手役募集に応募し、同作に出演。翌1977年のTBSポーラテレビ小説『おゆき』で本格デビューを果たす。その後、『3年B組金八先生』に出演して人気を得る。 松本清張作品に映画・テレビドラマ合わせて17本出演、「清張女優」と呼ばれた。
村岡 兼幸(むらおか かねゆき、1957年6月21日 - )… 村岡 兼幸(むらおか かねゆき、1957年6月21日 - )は、日本の実業家。村岡建設工業代表取締役社長。日本青年会議所(JC)の第46代会頭を務めた。父は内閣官房長官を務めた元衆議院議員の村岡兼造、弟は衆議院議員の村岡敏英。 秋田県本荘市(現由利本荘市)生まれ。本荘市立南中学校、秋田県立本荘高等学校、青山学院大学経営学部卒業。 大学卒業後、地域における「まちづくり運動」の青年会議所に15年間かかわり、1990年(平成2年)、社団法人由利本荘青年会議所理事長に就任した。その後、社団法人日本青年会議所の常任理事、専務理事、副会頭を歴任、1997年(平成9年)には日本青年会議所第46代会頭に就任した。
新津 きよみ(にいつ きよみ、1957年5月4日 -)は、日… 新津 きよみ(にいつ きよみ、1957年5月4日 -)は、日本の小説家。長野県大町市出身。夫は同じく小説家の折原一。埼玉県白岡市在住。 父、兄、甥は医師。大町市立仁科台中学校を経て、長野県松本深志高等学校に進学。高校の1年先輩に務台俊介がいた。青山学院大学文学部フランス文学科を卒業後、いくつかの企業にOLとして勤めながら講談社フェーマススクールズの小説作法講座を受講していた時、講師の山村正夫の勧めにより小説の投稿を始めたことが小説家としてのデビューに繋がる。1987年、第7回横溝正史賞に応募した「ソフトボイルドの天使たち」が最終候補作となる。1988年に「両面テープのお嬢さん」にて小説家デビュー。
山田 美保子(やまだ みほこ、1957年5月4日 - )は、… 山田 美保子(やまだ みほこ、1957年5月4日 - )は、日本の放送作家・芸能コラムニストである。かつて株式会社ホリプロに所属していた。
相馬 憲一(そうま けんいち、1957年〈昭和32年〉5月3… 相馬 憲一(そうま けんいち、1957年〈昭和32年〉5月3日 - )は、日本の政治家。栃木県大田原市長(第7代)。 栃木県議会議長(第107代)、栃木県議会議員(5期)、大田原市議会議長(第34代)、大田原市議会議員(3期)を歴任。 栃木県大田原市出身。「憲一」という名前は憲法記念日に生まれた長男であったことが由来だという。 大田原市立大田原小学校、大田原市立大田原中学校を経て、1976年(昭和51年)、栃木県立大田原高等学校を卒業。高校時代は野球部に所属し、キャッチャーを務めた。 1980年(昭和55年)、青山学院大学経営学部Ⅱ部経営学科を卒業し、同年4月、エドヤファミリーデパートに入社。その3年後の1983年(昭和58年)4月に有限会社大新に入社した。
二場 公人(ふたば きみと、1957年〈昭和32年〉1月19… 二場 公人(ふたば きみと、1957年〈昭和32年〉1月19日 - )は、日本の政治家。元福岡県田川市長(2期)。元田川市議会議員(2期)。 福岡県田川市出身。福岡県立田川高等学校卒業。1979年(昭和54年)3月、青山学院大学経済学部卒業。 企業の取締役や九州環境企業組合の専務理事などを経たのち、2007年(平成19年)4月22日の田川市議会議員選挙に出馬し初当選。2011年(平成23年)の市議選で2選。このときトップ当選を果たす。 2015年(平成27年)4月26日に行われた田川市長選挙(第18回統一地方選挙)に、自由民主党・公明党・自治労県本部の推薦を得て無所属で出馬。現職の伊藤信勝市長、元市議の金子和智、元市議の笹山良孝ら3候補を相手に戦い初当選した。
江原 功雄(えはら のりお、1957年1月9日 - )は、日… 江原 功雄(えはら のりお、1957年1月9日 - )は、日本の外交官。イスタンブール総領事を経て、2018年から2022年にかけてモーリタニア駐箚特命全権大使。 1980年青山学院大学文学部英米文学科卒業、外務省入省。中東関係や、エネルギー問題などに携わり、2011年外務省中東アフリカ局中東第二課調整官。2013年外務省国際協力局民間援助連携室長。2015年イスタンブール総領事。2018年から2022年にかけて駐モーリタニア特命全権大使を務めた。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。
大熊 雅士(おおくま まさし、1957年 -)は、日本の教育… 大熊 雅士(おおくま まさし、1957年 -)は、日本の教育者、行政官。東京都小金井市教育委員会教育長。 東京都出身。1957年生まれ。高校卒業後、カフェの店長などを経て、青山学院大学文学部第二部(夜間学部)教育学科を卒業した。 1982年より世田谷区立池之上小学校、板橋区立板橋第四小学校で教諭を務める。その後、小金井市教育委員会指導主事、江戸川区教育委員会統括指導主事、東京都教職員研修センター統括指導主事などを歴任。 2014年には東京学芸大学教職大学院特命教授に就任。2018年に小金井市教育委員会教育長に就任し、現在3期目を務める。 「障がいがあっても今のあなたがいい」という信念を掲げ、不登校児童・生徒が安心して過ごせる居場所づくりや、大学院生を学習支援に派遣する「学習指導補助員制度」を日本で初めて構築した。
清水 眞澄(しみず ますみ、1957年 - )は、日本の中世… 清水 眞澄(しみず ますみ、1957年 - )は、日本の中世文学・音声表現思想史研究者。静岡県静岡市生まれ。現在、青山学院女子短期大学非常勤講師、聖徳大学非常勤講師。
茶木 則雄(ちゃき のりお、1957年 - 2024年9月)… 茶木 則雄(ちゃき のりお、1957年 - 2024年9月)は、日本のライター、書評家、書店員。日本推理作家協会会員。 『このミステリーがすごい!』大賞選考委員を第15回まで務める。 広島県庄原市生まれ。東京大学を目指して、3年浪人。青山学院大学中退。在学中は推理小説研究会に所属。 アルバイトをしていた阿佐ヶ谷の書店「書楽」で白夜書房の藤脇邦夫と知り合い、PR誌『白夜通信』に寄稿。1986年に開店した神楽坂のミステリー専門書店「ブックスサカイ深夜プラス1」の店長を務める。そのかたわら『本の雑誌』に連載をはじめ、書評家、エッセイストとしても活躍し、10年後にフリーライターに転身。2002年に書店の現場に復帰し、ときわ書房本店・聖蹟桜ヶ丘店・いわき店の兼任店長。
大森 隆志(おおもり たかし、1956年〈昭和31年〉12月… 大森 隆志(おおもり たかし、1956年〈昭和31年〉12月12日 - )は、日本の男性ミュージシャン、ギタリスト。ロックバンドであるサザンオールスターズの元メンバーで、結成時から2001年8月7日の脱退まで、ギターを担当していた。宮崎県出身。宮崎大宮高等学校卒業、青山学院大学経済学部夜学中退。愛称は、ター坊。身長は178センチメートル。 1975年に青山学院大学経済学部夜学に入学。大学の音楽サークルに所属、アマチュア時代の桑田佳祐がやっていたバンドに興味を持ち、1977年にサザンオールスターズにギタリストとして加入した。頻繁にメンバーが入れ替わっていたバンドの状態に懸念を示し、松田弘や野沢秀行らを勧誘して「EastWest」に参加、デビューの契機を作る。
伊藤 秀(いとう しゅう、1956年(昭和31年)10月31… 伊藤 秀(いとう しゅう、1956年(昭和31年)10月31日 - )は、日本の実業家。パイロットコーポレーション代表取締役社長。 北海道出身。1979年青山学院大学文学部卒業、パイロット萬年筆(のちのパイロットコーポレーション)入社。2005年海外第一営業部長。2007年執行役員。2009年取締役に昇格。2017年から代表取締役社長を務めている。。
朝倉 匠子(あさくら しょうこ、本名:由利 匠子、1956年… 朝倉 匠子(あさくら しょうこ、本名:由利 匠子、1956年10月7日 - )は、日本の元タレント、元モデル。 広島県広島市生まれ、東京都港区育ち。千代田区立麹町小学校から雙葉中学校・高等学校卒業。1979年、青山学院大学文学部英米文学科卒業。在学中から資生堂、コカ・コーラなどのCMモデルとして活動。1982年、日本テレビ系列『11PM』で愛川欽也が担当した水曜イレブンのアシスタントに抜擢され、サブ司会・今野雄二と音楽や映画、ファッションなどのサブカルチャーを主に紹介したが、1986年に結婚して仕事を辞め渡米した。 子供が生まれ10年専業主婦をしていた間に、自分でお金を稼ぐという緊張感は女性が美しく年をとるためには必要、と仕事に復帰。
島田 三郎(しまだ さぶろう、1956年〈昭和31年〉7月6… 島田 三郎(しまだ さぶろう、1956年〈昭和31年〉7月6日 - 2019年〈令和元年〉5月8日)は、日本の政治家。 総務大臣政務官兼内閣府大臣政務官(第3次安倍第2次改造内閣)、参議院議員(1期)、島根県議会議員(5期)などを歴任。 父はかつて島根県議会議員を務めていた島田芳雄であり、次兄(異母兄)はかつて島根県安来市長を務めていた島田二郎である。 1956年7月6日、島根県安来市にて島根県議会議員であった島田芳雄の三男として生まれる。島根県立松江北高等学校を経て、青山学院大学経済学部卒業。長兄(異母兄)は後に医師となって関東へ移住して関東の病院に勤務し、次兄(異母兄)の島田二郎は後に歯科医師となって安来市長となる。
管 宗次(すが しゅうじ、1956年5月7日 - )は、日本… 管 宗次(すが しゅうじ、1956年5月7日 - )は、日本の近世文学・書誌学研究者。武庫川女子大学名誉教授。 兵庫県尼崎市生まれ。1980年青山学院大学文学部国文学科卒、1980年小学館・商学社に勤務後、梅花高等学校普通科の国語科教諭、大阪芸術大学文芸学科非常勤講師・金蘭短期大学国文学科非常勤講師・園田学園女子大学文学部国文学科非常勤講師・愛媛女子短期大学(現・環太平洋大学短期大学部)非常勤講師・愛知教育大学非常勤講師を経て、武庫川女子大学文学部日本語日本文学科専任講師、助教授、教授となる。 「敷田年治研究」で武庫川女子大学にて博士号(文学)取得。 近世上方文人研究・書誌学を中心に研究している。
望野 和美(もちの かずよし、1956年4月3日 - )は、… 望野 和美(もちの かずよし、1956年4月3日 - )は、日本の実業家。消費者行動モデルAISCEAS(アイセアス)の提唱者。有限会社アンヴィコミュニケーションズの創業者で代表取締役。静岡県富士宮市出身。 静岡県立富士宮北高校を経て、1979年青山学院大学経済学部を卒業。陸上競技部OB。中央宣興、アサツーディ・ケイ、社団法人日本アドバタイザーズ協会 Web広告研究会の事務局長を経て、2002年7月にアンヴィコミュニケーションズを設立。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
樋本 達夫(ひもと たつお、1956年(昭和31年)2月14… 樋本 達夫(ひもと たつお、1956年(昭和31年)2月14日 - )は、日本の実業家。小田急百貨店顧問。東京都出身。 1978年青山学院大学経済学部卒業後、小田急百貨店入社。2008年取締役婦人服・子供商品部長、2012年5月常務。 リーマンショック以降、客数・売上高が減少するなか、小川三木夫社長(当時)が進めた新運営体制の導入や売場効率管理の実践により、恒常的に利益を生み出せる事業構造への変革に一定のめどがついたとして、2013年、初の生え抜きとして社長に登用された。 2023年1月顧問。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
奥田 民義(おくだ たみよし、1956年1月26日 - )は… 奥田 民義(おくだ たみよし、1956年1月26日 - )は、日本の声優、ナレーターである。広島県広島市出身。クレイジーボックス所属。 青山学院大学文学部日本文学科卒業。 テレビドラマ『太陽にほえろ』の刑事役に憧れ、文学座研修科に入所。 2年目、アトリエ公演の主役に抜擢されたが、プライベートな問題に悩んでいたという。一言のセリフの芝居ができず、ダメ出しが続き、「主役を代えてもらいたい」と願い出たという。 大先輩だった太地喜和子らに説教され、引き止められたが、ギリギリの決断を下し文学座を辞めたという。その時は2007年時点で奥田にとっては原点で、ナレーターとして声の仕事をするアイデンティティになっているような気がするという。
髙木 毅(たかぎ つよし、1956年〈昭和31年〉1月16日… 髙木 毅(たかぎ つよし、1956年〈昭和31年〉1月16日 - )は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の元衆議院議員(8期)。 高木商事株式会社代表取締役、社団法人日本青年会議所北陸信越地区協議会会長、自由民主党国会対策委員長(第58代)、防衛庁長官政務官、国土交通副大臣、復興大臣(第5代)、衆議院議院運営委員会委員長(第75代、第82代)、原子力問題調査特別委員会委員長を歴任。 福井県敦賀市出身(現住所は敦賀市沓見)。高木建設社長・高木孝一の長男として生まれる。父親の孝一は毅が幼少時の1959年に福井県議会議員に当選した。福井県立敦賀高等学校、青山学院大学法学部卒業。父親が設立した高木商事に入り、代表取締役になった。
桐生 典子(きりゅう のりこ、1956年 - )は、日本の小… 桐生 典子(きりゅう のりこ、1956年 - )は、日本の小説家。新潟県生まれ。青山学院大学文学部フランス文学科を卒業する。 女性誌等のフリーライターを経て、1996年に書き下ろし短編連作、『わたしのからだ』でデビュー。新人賞を受賞せず、デビューする新人はめずらしい。『閃光』『やわらかな針』『抱擁』『眠る骨』『金色の雨がふる』など著書多数。女性の肉体と精神を徹底的に追求した作風が特徴。 新潟の雪深い山間部の水力発電所で3姉妹の末っ子として幼年時代を送る。雪の降りつづく暗い日々から、ある朝目をさますと、空は晴れわたり、世界は真っ白に輝いている――それが原風景であり、おかげで楽天的な(?)性格になったらしい。