山根 伸泉(やまね のぶみつ、1979年6月28日 - )は… 山根 伸泉(やまね のぶみつ、1979年6月28日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手。ポジションはMF。 市立船橋高校では2年時に第75回全国高等学校サッカー選手権大会の決勝のピッチに立ち、優勝を経験。国士舘大学サッカー部に進学後も早い段階から活躍をみせ、4年時に2001年に北京で開催された夏期ユニバーシアードでも代表チームの中心選手として優勝を果たした。 大学卒業後の2002年シーズン、ユニバ代表でのチームメイトでもあった坪井慶介、堀之内聖、平川忠亮などとともに浦和レッズに入団するも、出場機会の得られないまま1年で退団した。 2003年には活躍の場を求めてJFLの佐川急便東京SCに移籍。
後藤 洋央紀(ごとう ひろおき、1979年6月25日 - )… 後藤 洋央紀(ごとう ひろおき、1979年6月25日 - )は、日本の男性プロレスラー。愛称は 「ごっちゃん」。三重県桑名市出身。新日本プロレス所属。血液型O型。 電気関係の工事を営む実家に生まれる。 三重県桑名市立光風中学校時代は、ソフトテニス部に所属していた。 三重県立桑名工業高等学校出身。柴田勝頼とは同級生であり、柴田と共にレスリング部を立ち上げた。 国士舘大学へ進学後、2001年の全日本学生選手権グレコローマン85kg級で3位入賞を果たす。大学時代の後輩に伊藤旭彦、先輩にプロレス同期入門の山本尚史(現:ヨシタツ)がいた。大学卒業後、2002年に新日本プロレスに入門するが肩を脱臼し、一旦新日本を退団。
高木 義成(たかぎ よしなり、1979年5月20日 - )は… 高木 義成(たかぎ よしなり、1979年5月20日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 2000年に東京ヴェルディ1969に入団。クラブでは本並健治と菊池新吉が引退した後の2002年よりレギュラーを務めてきたが、2008年はFC東京から移籍してきた土肥洋一にポジションを奪われ、控えに回された。J2に降格して迎えた2009年も7試合の出場に留まり、シーズン終了後に東京Vから戦力外通告を受け、2010年1月7日、名古屋グランパスへの完全移籍が発表された。同年7月の対横浜F・マリノス戦ではベンチ入りの控え選手ながら主審に執拗に抗議したという理由で退場処分を命じられた。
大槻 邦雄(おおつき くにお、1979年4月29日 - )は… 大槻 邦雄(おおつき くにお、1979年4月29日 - )は、東京都新宿区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 ポジションはDF/MF。 三菱養和サッカークラブジュニアユース、ユースを経て国士舘大学サッカー部でプレー。2学年上に佐伯直哉と鈴木勝大、1学年上に西村卓朗と木谷公亮、同学年に板橋裕也と山根伸泉、1学年下に白尾秀人、2学年下に相馬崇人がいた。在学中はJSL、JFLに出場。関東大学リーグ、総理大臣杯、インカレなどで優勝を経験。大学卒業後、JFL・横河武蔵野FCでプレー。選手生活と並行して国士舘大学大学院スポーツシステム研究科を修了し修士号を取得。 2013年より三菱養和サッカークラブ巣鴨ジュニアの監督を務め、全日本少年サッカー大会に2度の出場、ダノンネーションズカップ in JAPANにて第3位を獲得するなどジュニア世代の指導に定評がある。
正木 裕史(まさき ひろふみ、1979年1月22日 - )は… 正木 裕史(まさき ひろふみ、1979年1月22日 - )は、広島県廿日市市出身のサッカー指導者。日本サッカー協会公認A級ライセンス所持。国士舘大学卒。 国士舘大学在学中から指導を始め、高校生以下育成年代の指導を経て、2008年より東京電力女子サッカー部マリーゼのコーチに就く。選手からの信頼は厚く、2012年にはマリーゼの選手と共にベガルタ仙台レディースへ転籍。コーチとして、女子サッカー指導経験の無かった千葉泰伸監督にとって大きな支えになった。2015年、A級ジェネラルライセンス取得。2016年限りで仙台コーチを退任。 2017年、浦和レッドダイヤモンズ・レディースコーチに就任。2018年10月、石原孝尚監督の解任に伴い監督に昇格した。
斎藤 順道(さいとう まさみち、1979年1月10日 - )… 斎藤 順道(さいとう まさみち、1979年1月10日 - )は、北海道出身の日本の柔道家。現役時代は73kg級の選手。身長は167cm。 90kg級で活躍していた斎藤制剛を兄に持ち、札幌市立北白石中学校、北海高校、国士舘大学と、大学まで同じ進路を歩んだ。 中学3年生時、全国中学校柔道大会の65kg級決勝で阿蘇市立一の宮中学校3年の内柴正人に敗れて準優勝。北海高校3年生時にはインターハイの軽中量級で優勝して、前年に中量級で優勝した兄に続いて兄弟での連覇を果たした。全日本ジュニアの71kg級では2位にとどまった。 1997年に国士舘大学へ進学。3年の時に優勝大会で初優勝すると、新設された体重別団体でも兄の制剛や同級生の内柴などとともに活躍して優勝を勝ち取り、団体2冠を達成した。
生方 繁(うぶかた しげる、1978年11月15日 - )は… 生方 繁(うぶかた しげる、1978年11月15日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 国士舘高校から国士舘大学体育学部への推薦入学に失敗したうえ、一般受験でも不合格。そこで留学生制度を利用して1997年にイタリアへ渡り、セリエD2部ACサンジュステーゼと同3部サンベニーニョに合計2シーズン在籍した。 帰国後は柏レイソルなどの入団テストを受験するも不合格が続き、アップルスポーツカレッジFC(現JAPANサッカーカレッジ)に入団。提携していたアルビレックス新潟への入団を目指すこととなった。 主力選手として活躍すると、第80回天皇杯全日本サッカー選手権大会に新潟県代表として同クラブの初出場に貢献する。
木谷 公亮(きたに こうすけ、1978年10月9日 - )は… 木谷 公亮(きたに こうすけ、1978年10月9日 - )は、千葉県鎌ケ谷市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。Jリーグ・サガン鳥栖ヘッドコーチ。 修徳高校、国士舘大学を経て、2001年に大宮アルディージャに入団。4年間プレーするが、2004年に戦力外となり退団。 トライアウトを経て、2005年にベガルタ仙台へ完全移籍。仙台ではセンターバックのレギュラーを獲得。チームの守備の要として確固たる存在感を示す。しかし2009年は渡辺広大と新加入のエリゼウのコンビが定着して出場機会が激減。リーグ戦わずか2試合しか出場できず、同年シーズン終了を以って戦力外となり退団。
平井 英一(ひらい えいいち、1978年10月4日 - )は… 平井 英一(ひらい えいいち、1978年10月4日 - )は、香川県出身の元社会人野球選手(投手)、コーチ。 香川中央高から国士舘大学を経て、2001年に朝日生命に入社し野球部に入部。同期に金剛弘樹がいた。同年の都市対抗野球への出場を果たしたものの、チームはこの年限りで廃部となり富士重工業に移籍した。 移籍1年目の2002年はプロ注目選手として期待されたが、シーズン開始直後に突然投球イップスを発症して投球ができなくなった。平井の場合はボールが握れなくなるという深刻なもので、一時はチームに引退を申し出たものの、当時の監督・コーチが懸命に説得し、どうにか引退を思いとどまらせた。 その後は、毎年のように投球フォームを変える試行錯誤を繰り返した。
高橋 努(たかはし つとむ、1978年〈昭和53年〉8月23… 高橋 努(たかはし つとむ、1978年〈昭和53年〉8月23日 - )は、日本の俳優。東京都出身。トライストーン・エンタテイメント所属。演劇チーム「渋谷ハチ公前」主宰。 国士舘大学卒業。高校の同級生で親友だった、俳優・きたろうの息子に誘われて、3人芝居のコントをしたのが役者を目指したきっかけ。 演劇チーム「渋谷ハチ公前」を主宰し、同チームでは作・演出も担当。 趣味は映画鑑賞、読書。特技はサッカー。 [信頼性要検証][信頼性要検証]
髙橋 聡(たかはし さとし、1978年〈昭和53年〉8月14… 髙橋 聡(たかはし さとし、1978年〈昭和53年〉8月14日 - )は、日本の経営者。株式会社アートワークスコンサルティング 代表取締役。 医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(以下薬機法)、不当景品類及び不当表示防止法(以下景品表示法)に関する誇大表現の境界線を研究テーマとしている法学者でもあり、世界中の広告表現NGワード収集を日課としている。 2021年 iU(情報経営イノベーション専門職大学)客員教授就任。2023年 『広告表現判定装置及び記憶媒体並びにプログラム』で国際出願。 東京中小企業家同友会渋谷支部支部長。 埼玉県秩父郡小鹿野町にて誕生。1994年3月31日 小鹿野町立小鹿野中学校卒業。
袋井 隆史(ふくろい たかふみ、1978年7月31日 - )… 袋井 隆史(ふくろい たかふみ、1978年7月31日 - )は、日本のラグビー指導者。現在青森山田高校ラグビー部の監督を務めている。 青森山田高校、国士舘大学、ヤクルトを経て、2005年、近鉄ライナーズ(現・花園近鉄ライナーズ)に加入。6シーズンプレーした。 現役引退後、札幌大学ラグビー部の監督に就任。 2018年、第68回全国地区対抗大学ラグビーフットボール大会にてチームを準優勝に導いた。 そして2026年、青森山田中学ラグビー部監督に就任する橋本高行の後を受けて母校青森山田高校ラグビー部の監督に就任。 この項目は、日本のラグビーユニオン関連人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJラグビー/Pラグビー)。
石崎 真悟(いしざき しんご、1978年7月2日 - )は、… 石崎 真悟(いしざき しんご、1978年7月2日 - )は、日本のラグビー指導者。現在遠軽高校ラグビー部の監督を務めている。 高校からラグビーを始めた。 遠軽高校、国士舘大学、紋別高等養護学校の教諭を経て、2005年、高校教師になる。その後2017年、遠軽高校ラグビー部の監督に就任。 2023年、監督として第103回全国高等学校ラグビーフットボール大会にて8年振りの花園出場に貢献。
石井 雅之(いしい まさゆき、1978年6月20日 - )は… 石井 雅之(いしい まさゆき、1978年6月20日 - )は、神奈川県横浜市出身の元サッカー選手でポジションはDFで主にCB。2010年をもって現役引退。
内柴 正人(うちしば まさと、1978年6月17日 - )は… 内柴 正人(うちしば まさと、1978年6月17日 - )は、日本の柔道家、格闘家、柔術家。アテネオリンピック・北京オリンピック柔道男子66kg級金メダリスト。九州看護福祉大学元女子柔道部コーチ、同大学元客員教授、元キルギス柔道連盟総監督。 熊本県菊池郡合志町(現・合志市)出身、同県八代市在住。9歳で柔道を始める。そのきっかけは「兄に喧嘩で勝つ為」だった。得意技は巴投。尊敬する選手は柔道家の野村忠宏。身長157cm、体重66kg。血液型はB型。 国士舘高等学校を経て国士舘大学体育学部卒業後、旭化成に入社した。2004年に開催されたアテネオリンピックや、2008年に開催された北京オリンピックでは、それぞれ柔道男子66kg級にて金メダルを獲得した。
小澤 慶二郎(おざわ けいじろう、1978年5月23日 - … 小澤 慶二郎(おざわ けいじろう、1978年5月23日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
山口 直子(やまぐち なおこ、女性、1978年4月25日 -… 山口 直子(やまぐち なおこ、女性、1978年4月25日 - )は、日本の元プロボクサー。三重県津市出身。元OPBF東洋太平洋女子スーパーフライ級王者。元WBA女子世界スーパーフライ級王者。白井・具志堅スポーツジム所属。 中学・高校と陸上をしており、津商業高等学校では、やり投げでインターハイ優勝、国体経験を持つ。 国士舘大学進学後、肘を故障したため七種競技に転向するが、結果は残せなかった。 高校・大学の1年後輩に砲丸投現日本ジュニア記録保持者の市岡寿実、大学の2年後輩に森千夏がいた。 大学卒業後、山木ジム(現山木ボクシングジム)でボクシングを始め、2001年10月10日、八木橋悦世をTKOで下しデビューを飾る。
望月 隆司(もちづき たかし、1978年4月19日 - )は… 望月 隆司(もちづき たかし、1978年4月19日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。 1994年、読売日本SCユースに入団。 1997年、国士舘大学に進学し、男子サッカー部に入部。 1999年10月31日、日本フットボールリーグ(JFL)第7節に本田技研戦でデビューし、2試合に出場した。 2001年、J1・東京ヴェルディ1969に入団ですが、出場機会がないまま退団。 2002年、九州サッカーリーグ・沖縄かりゆしFCに移籍。 2003年、沖縄県社会人サッカーリーグ3部北・FC琉球に移籍。 2008年、シンガポールのSリーグ・アルビレックス新潟シンガポールに移籍。
高木 貴行(たかぎ たかゆき、1978年4月10日 - )は… 高木 貴行(たかぎ たかゆき、1978年4月10日 - )は、日本の政治家。岐阜県議会議員(3期)。元プロサッカー選手。
堤 健吾(つつみ けんご、1978年3月8日 - )は、大分… 堤 健吾(つつみ けんご、1978年3月8日 - )は、大分県出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 東福岡高校時代は山下芳輝、小島宏美(同期)、本山雅志(2年後輩)らと共にプレー。国士舘大学卒業後、当時北信越フットボールリーグ所属だったYKKに入団し、長らくセンターバックの一角として活躍した。 2008年に所属チームとアローズ北陸が合併し誕生したカターレ富山に加入し、チーム最年長選手としてJ昇格に貢献。Jリーグ(J2)に舞台を移した2009年も開幕からレギュラーとして起用された。 2010年は25試合に出場し、4月29日にはザスパ草津戦にてJリーグ初ゴールを決めた。 2011年1月14日、現役引退を発表した。
上田 将勝(うえだ まさかつ、1977年12月21日 - )… 上田 将勝(うえだ まさかつ、1977年12月21日 - )は、日本の男性元総合格闘家。京都府京都市出身。パラエストラ東京所属。元修斗世界フェザー級王者。ONE FCバンタム級グランプリ王者。1995年度全国選抜レスリング選手権フリースタイル58kg優勝 1995年度鳥取インターハイフリースタイル58kg級3位 大学1997年度東日本新人レスリング選手権グレコローマンスタイル63kg級優勝 南京都高校(現・京都廣学館高校)、国士舘大学とレスリングを続け、大学卒業後に八隅孝平の紹介でパラエストラ東京に入門した。パラエストラの中でもレスリングだけを続けていたが、レスリングルールの変更を契機に2005年4月から総合格闘技の練習を始めた。
佐伯 直哉(さえき なおや、1977年12月18日 - )は… 佐伯 直哉(さえき なおや、1977年12月18日 - )は、東京都多摩市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー(ボランチ)。 小学校3年生でサッカーを始める。中学入学時に読売日本サッカークラブジュニアユースに入団し、高校入学時に読売ユースに昇格。1993年にU-17日本代表に招集された経歴も持つ。国士舘大学に進学後、ユニバーシアード代表での活躍などが認められ、2000年にジュビロ磐田に入団。 2001年9月よりヴィッセル神戸に期限付き移籍 してレギュラーの座を掴む。2002年も移籍期間を延長、2003年より神戸に完全移籍。2003年4月6日の京都パープルサンガ戦にて右膝前十字靭帯断裂の重傷を負い、約1年をリハビリに費やすも復活。
富田 昌浩(とみた まさひろ、1977年9月13日 - )は… 富田 昌浩(とみた まさひろ、1977年9月13日 - )は、日本のラグビー指導者。現在鹿児島実業高校ラグビー部の監督を務めている。 中学までサッカーをやっていたがサッカーの先生からラグビーの方が向いていると言われて始めた。 鹿児島実業高校、国士舘大学、鹿児島実業高校ラグビー部のコーチを経て、鹿児島実業高校ラグビー部の監督に就任。監督コーチとして後の日本代表中村亮土・小瀧尚弘ら選手を数多く育て上げた。 この項目は、日本のラグビーユニオン関連人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJラグビー/Pラグビー)。
鏑木 豪(かぶらき ごう、1977年8月26日 - )は、東… 鏑木 豪(かぶらき ごう、1977年8月26日 - )は、東京都品川区出身のサッカー選手、サッカー指導者。関東サッカーリーグ2部・tonan前橋サテライト所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。 1994年及び1995年には東京都選抜として国体に出場。1996年、国士舘大学に進学。同年の全日本大学選手権で優勝し、ベストGKに選出された。1997年には大学選抜としてユニバーシアードに出場した。 1999年よりプロ入りしたが、Jリーグでは中々活躍の機会を得られず、複数のクラブを渡り歩く。2003年のJ2第1節アビスパ福岡対水戸ホーリーホックでJリーグ初出場。 2005年に加入したJFL・FCホリコシ(後のアルテ高崎)では正GKとして出場を続けたが、クラブの資金難による選手一斉解雇により2006年シーズン途中に退団。
ヨシ・タツ(1977年8月1日 - )は、日本の男性プロレス… ヨシ・タツ(1977年8月1日 - )は、日本の男性プロレスラー。岐阜県岐阜市出身。WWE所属時代はギミック上、東京都出身という設定になっていた。血液型AB型。ユニットはTEAM 2000Xに所属している。本名:山本 尚史(やまもと なおふみ) 父が4人兄弟の末っ子としてお寺の住職の祖父の元に生まれた。末っ子の父以外の親戚が皆、お寺で、そんな環境で育ったため山本は読経ができる。山本と妹以外の親戚は少年期に皆、得度を完了しているが、幼少期に坊主頭にするのが嫌で山本は得度を拒んでいた。 プロレスファンとしては長州力、グレート・ムタ、アントニオ猪木が好きであった。国士舘大学時代、レスリング部に1年間所属し、正道会館東京本部でキックボクシング、フリースタイル柔術など経験。
塘内 将彦(ともうち まさひこ、1977年7月13日 - )… 塘内 将彦(ともうち まさひこ、1977年7月13日 - )は、日本の元柔道選手。階級は81kg級。福岡県大牟田市出身。大牟田高等学校、国士舘大学卒業。旭化成柔道部に所属していた。身長175 cm。大舞台にめっぽう弱く、オリンピック及び世界選手権で計4度も代表に選出されながら際立った成績を残していない。 1999年には体重別の初戦で敗れるが、嘉納杯、フランス国際などで優勝した実績が評価されて世界選手権代表に選ばれたものの、初戦で敗れた。 2004年4月には、体重別男子81kg級の準決勝で秋山成勲に優勢勝ち、決勝では瀧本誠に袖釣り込み腰で一本勝ちしてアテネオリンピック代表を掴むが初戦で敗れ、敗者復活戦でも初戦で敗れた。
谷本 耕治(たにもと こうじ、本名・同じ、1977年6月30… 谷本 耕治(たにもと こうじ、本名・同じ、1977年6月30日 - )は、日本の歌手、俳優である。愛称はこうちゃん。 鳥取県湯梨浜町出身。タニテツプロ所属。シャンソン歌手を経て、2014年小西良太郎のプロデュースにより「遊びぐせ / 惚れたあいつは旅役者」でCDデビュー。春日流小唄名取・師範「春日豊芝鳳若」。湯梨浜町PR大使。 国士舘大学文学部教育学科倫理学専攻 卒業。ビクター歌謡音楽研究会認定講師取得。大衆演劇の役者や、シャンソン歌手戸川昌子の付き人等で修行を重ね、2010年、第4回浜松シャンソンコンクールでグランプリ獲得後、シャンソン歌手として活動。 春日流小唄名取・師範「春日豊芝鳳若」。日本舞踊は尾上流。
斎藤 制剛(さいとう せいごう、1977年5月4日 - )は… 斎藤 制剛(さいとう せいごう、1977年5月4日 - )は、北海道札幌市出身の柔道家。1995年、第23回札幌市民スポーツ賞受賞者。 小学校、中学校、高校までは北海道代表として全国大会で活躍し、高校3年時には得意の内股、大内刈、寝技を武器にインターハイの中量級で優勝。北海高等学校卒業後は国士舘大学に進学し、国士舘大学が全国制覇した際には主将としてチームを牽引した。 大学卒業後は旭化成に籍を置き、個人戦で講道館杯を4連覇、全日本選抜体重別選手権で2連覇、全日本実業個人選手権で3連覇するなど同階級の第一人者として活躍した。 しかし、大学4年時と社会人1年目に相次いで両膝を故障(靱帯損傷)した影響により、それまでの正攻法の柔道から肩車・朽木倒・返し技などの変則柔道に偏重していった事や、同階級に飛塚雅俊、矢嵜雄大、泉浩といった強豪が揃っていたなど数々の不運もあり、オリンピックや世界選手権に個人代表として出場する事は無かった(2005年には全日本選抜体重別選手権で優勝するも、「外国人選手を相手に結果を残していない」という理由で同年の世界選手権代表には選ばれなかった)。
豊永 陽子(とよなが ようこ、1977年4月15日 - )は… 豊永 陽子(とよなが ようこ、1977年4月15日 - )は、日本の陸上競技選手。2005年ヘルシンキ世界陸上選手権女子砲丸投代表、2007年大阪世界陸上選手権女子砲丸投代表。現在、生光学園中学校・高等学校講師を務める。徳島県板野郡松茂町出身。
植村 綾子(うえむら あやこ、旧姓小梁川、1977年〈昭和5… 植村 綾子(うえむら あやこ、旧姓小梁川、1977年〈昭和52年〉3月25日 - )は、神奈川県出身のチアリーダー、チアリーディング指導者。 3歳で育芳香モダンバレエ研究所へ入所し20年間に渡りバレエを学ぶ傍ら、ヤマハ体操教室に入門して新体操にも取り組んでおり、広島県ジュニア新体操選手権大会でリボン種目において優勝、総合でも3位に入賞している。国士舘大学に入学後はチアリーディング部に入部し、キャプテンとして活躍、また体育学部創作ダンス部でも活動した。 大学卒業後は鹿島建設に勤務する傍ら、日本社会人アメリカンフットボール Xリーグの鹿島ディアーズ(現:胎内ディアーズ)専属チアリーディングチーム『鹿島ディアーズ チアリーダーズ(KDC)』のチアリーダーとして活動し、入社2年目でバイスキャプテン、3年目でキャプテンに昇進した後、同チームのコーチ、ディレクター、アドバイザーといったチアリーディング指導者への道に進む。
澤畠 雄一郎(さわはた ゆういちろう、1977年3月14日 … 澤畠 雄一郎(さわはた ゆういちろう、1977年3月14日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。茨城県日立市出身。ポジションはミドルブロッカー。 元上尾メディックス所属のバレーボール選手澤畠文子は妹。 土浦日大高校を経て、国士舘大学を卒業後の1999年に新日鐵(現在の堺ブレイザーズ)へ入団。2001年に全日本代表に初選出され、2001年ワールドリーグ、2002年アジア大会に出場した。 チームではミドルブロッカーとして活躍し、2006年の第12回Vリーグの堺ブレイザーズの優勝に貢献した。 2008年5月31日を以って堺ブレイザーズを退団し、現役を引退した。
五代目 古今亭 志ん好(ここんてい しんこう、1977年2月… 五代目 古今亭 志ん好(ここんてい しんこう、1977年2月26日 - )は静岡県藤枝市出身の落語家。本名∶安部 利昭。出囃子∶『梅が枝』。 静岡県藤枝市立西益津小学校、静岡県藤枝市立西益津中学校、静岡県立焼津中央高校、国士舘大学政経学部政治学科卒業。 1999年3月、初代古今亭志ん五に入門、古今亭いち五となる。2002年、第7回岡本マキ賞を受賞。 2003年5月に古今亭朝太、桂才紫、三遊亭司と共に二ツ目昇進。古今亭志ん公に改名。自身はこの時点で志ん好襲名を希望したが、師匠に「志ん好は真打の名前だから」と却下される。2010年に師匠志ん五が死去し、六代目古今亭志ん橋門下に移籍。 2014年3月21日に三代目柳家東三楼、四代目柳家三語楼、三遊亭究斗、三代目桂やまとと共に真打昇進、五代目古今亭志ん好を襲名。
馬王。(ばおう、1977年1月19日 - )は、SMA NE… 馬王。(ばおう、1977年1月19日 - )は、SMA NEET Project所属のピン芸人。本名は有間 勇太(ありま ゆうた)。
嶋原 清子(しまはら きよこ、1976年12月22日 - )… 嶋原 清子(しまはら きよこ、1976年12月22日 - )は、日本の女子陸上競技(長距離走・マラソン)元選手。山口県大島郡周防大島町出身。高水高等学校、国士舘大学卒業。身長154cm、体重43kg。1999年4月、資生堂ランニングクラブに入部し、その後8年間所属していたが、2007年4月1日をもってセカンドウィンドAC(SWAC)に移籍した。 2010年5月、当時陸上競技の現役選手で佐久長聖高等学校・陸上部コーチ(2011年3月より同校陸上部監督就任)の高見澤勝と結婚、その後ミセスランナーとしても活躍した。2012年1月29日の大阪国際女子マラソンで現役引退。2012年12月6日、第一子となる男子を出産した。
眞島 秀和(ましま ひでかず、1976年11月13日 - )… 眞島 秀和(ましま ひでかず、1976年11月13日 - )は、日本の俳優。山形県米沢市出身。ザズウ所属。 山形県立米沢興譲館高等学校卒業。国士舘大学法学部法律学科中退。大学時代に俳優を志すようになった。 1999年の映画『青〜chong〜』でデビュー。転機になった作品として、2007年の『海峡』を挙げている。2019年8月26日、『サウナーマン〜汗か涙かわからない〜』で連続ドラマ初主演。 こだわりすぎない性格。寡黙な印象を持たれがちだが、実際はよく話すタイプ。一人っ子。影響を受けた作品に、『東京ラブストーリー』を挙げている。2020年には、同作のリメイク版に出演。動物が好きで、犬を飼っている。
熱田 眞(あつた まこと、1976年9月16日 - )は、東… 熱田 眞(あつた まこと、1976年9月16日 - )は、東京都町田市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 帝京高校では、2学年上に松波正信、阿部敏之、丸山良明、時岡宏昌、小峯隆幸、1学年下には松波和幸(正信の弟)、依田光正、吉成大と江田広(共にペルー人)がいた。日本高校選抜で10番を背負い、国士舘大学時代は伊藤卓、佐藤尽、今野彰、金沢丈などスタメン全員がプロになった。国士館時代日本一を多数経験。1998年のJFLでは学生ながらリーグ日本人得点2位とオールスター戦では2得点でMVPに選出された。 1999年入団後ルーキーながらレギュラーとなるが2年でJ2降格となる。J2ではアシスト王となりJ2優勝J1昇格に貢献。
富永 英明(とみなが ひであき、1976年8月27日 - )… 富永 英明(とみなが ひであき、1976年8月27日 - )は、福井県出身の元サッカー選手。ポジションはフォワードだが、長身という事もありチーム事情などでディフェンダーやボランチなどもこなす。
パッション屋良(パッション やら、本名:屋良 朝苗(やら ち… パッション屋良(パッション やら、本名:屋良 朝苗(やら ちょうびょう)、1976年(昭和51年)7月23日 - )は、日本のお笑いタレント(ピン芸人)。沖縄県名護市出身。国士舘大学体育学部卒業。マセキ芸能社所属。 沖縄県立名護高等学校を卒業後、1浪して国士舘大学体育学部へ入学し卒業。陸上部で円盤投げの選手として活躍し、教員免許も取得した。 2000年にコンビ「サミット75」を結成。解散したのちに「パッション屋良」名義でピン芸人として活動。 2006年3月29日放送の特別番組『ザ・放送ヲ阻止セヨ!!』(TBS)内の出川哲朗の指名により、実の母親に暴露される形で、14歳のころから16年付き合った女性と2005年6月に結婚していた事を公式に発表(他の芸能人がラジオでバラしていた)。
金沢 浄(かなざわ じょう、1976年7月9日 - )は、埼… 金沢 浄(かなざわ じょう、1976年7月9日 - )は、埼玉県出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)及びミッドフィールダー(MF)。
鏑木 享(かぶらぎ とおる、1976年4月18日 - )は、… 鏑木 享(かぶらぎ とおる、1976年4月18日 - )は、茨城県東茨城郡美野里町 (現 小美玉市)出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。 小学校2年生の時にサッカーを始める。1992年に水戸短期大学付属高校に入学し、2年生・3年生時に全国高校選手権に出場。1995年、国士舘大学に進学し、サッカー部に所属。同期には熱田眞、金沢浄、小林稔、齋藤誠一、富永英明らがおり、在部中の4年間に関東大学リーグ1部で3度、インカレで2度の優勝を果たした。1998年には新たに参入したJFLで活躍し、同リーグに所属する東京ガスサッカー部監督大熊清の推薦を受けてオールスター戦に出場。この試合で2アシストと結果を残し、プロの舞台でも通用するという手応えを掴んだ。
筒井 正也(つつい まさや、1976年4月11日 - )は、… 筒井 正也(つつい まさや、1976年4月11日 - )は、東京都江東区出身の元プロ野球選手(投手)。現在は中日ドラゴンズでスコアラーを務めている。 中学時代は墨田リトルシニア。国士舘高校で1993年に2年でセンバツに出場し、2回戦の市立船橋高戦では9回表から延長15回まで1安打に抑える好投でベスト4進出に大きく貢献した。1994年、3年夏の西東京大会では3回戦、都立東大和高戦で9回ノーヒットノーランを記録。この大会では打撃でも3本塁打を放ち、決勝進出の原動力となる。 その後、国士舘大学に進学すると1年春のみ東都大学野球1部リーグで1試合に登板、以降は2部で2年生からエースとして活躍。2部リーグながら通算15勝、MVP・最優秀投手賞を各2回受賞している。
堤 時貞(つつみ ときさだ、1976年4月6日 - )は、福… 堤 時貞(つつみ ときさだ、1976年4月6日 - )は、福岡県出身の日本の柔道選手である。階級は60kg級。身長162cm。 曽根中学2年と3年の時に全国中学校柔道大会の55kg級で2連覇を達成した。国士舘高校へ進むと、3年の時にはインターハイの軽量級で優勝した。1995年に国士舘大学へ進学すると、1年の時には正力杯60kg級の決勝で東海大学3年の徳野和彦に敗れるも2位となった。続くジュニア体重別では3位だったが、正力国際では決勝で日体大2年の関口幸三を破って優勝を飾った。2年の時には正力杯、講道館杯、チェコ国際でそれぞれ3位になった。世界ジュニアでは7位に終わった<3年の時には体重別で3位になるが、講道館杯では決勝で神奈川県警の徳野に敗れた。
古城 茂幸(ふるき しげゆき、1976年1月12日 - )は… 古城 茂幸(ふるき しげゆき、1976年1月12日 - )は、千葉県柏市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、プロ野球コーチ。 愛称は「茂ちゃん」。 父親は子供の頃からキャッチボールや打撃を教えたが、本格的に野球をするのは高校に入ってからと言いつけていた。茂幸は小学校で体操や陸上に熱中し運動神経のよさを発揮していたが、一時こっそり少年野球チームの練習に加わったりしていた。中学では体操部に入ろうとしたが、進学した年に体操部が廃部し、代わりに野球部に入部した。 中央学院高校へ進むと野球部に所属。3年生のとき、夏の県大会準決勝へ進出して成田高校に2-3で惜敗。国士舘大学時代は東都大学野球連盟2部リーグにおいて、3度の打率3割を記録。
佐藤 貴史(さとう たかし、1976年 - )は、日本の宗教… 佐藤 貴史(さとう たかし、1976年 - )は、日本の宗教学者、北海学園大学教授。思想史・宗教学専攻。 北海道生まれ。1999年国士舘大学政経学部二部政治学科卒業、2006年聖学院大学大学院アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科博士後期課程修了、「フランツ・ローゼンツヴァイクの新しい思考 時間、永遠性、神」で博士(アメリカ・ヨーロッパ文化学)。2010年聖学院大学総合研究所助教、2011年北海学園大学准教授。
米屋 勇一(よねや ゆういち、1976年 - )は、日本の剣… 米屋 勇一(よねや ゆういち、1976年 - )は、日本の剣道家(2022年11月24日八段)。元剣道日本代表。東京都練馬区出身。埼玉県警察警備部機動隊剣道特練監督を経て、現在は鴻巣警察署に勤務。警部補。
窪田 和則(くぼた かずのり、1975年12月13日 - )… 窪田 和則(くぼた かずのり、1975年12月13日 - )は、神奈川県川崎市出身の柔道選手。現役時代は78kg級の選手。173cm 小学校2年の時に柔道を始める。国士舘中学時代には大きな実績はなかったが、国士舘高校3年の時にインターハイ中量級で優勝を果たした。 国士舘大学に入学後、2年の時に学生体重別に優勝した勢いで、ユニバーシアードではオール一本勝ちで優勝を飾った。さらに講道館杯でも優勝するが、この階級には古賀稔彦がいたためにアトランタオリンピック代表にはなれなかった。 1997年には1つ年上のライバルである瀧本誠と世界選手権代表の座を争うも、ドイツ国際、体重別と決勝で瀧本に敗れて代表にはなれず。
野村 健太郎(のむら けんたろう、本名同じ、1975年10月… 野村 健太郎(のむら けんたろう、本名同じ、1975年10月12日 - )は、日本の元俳優。 愛媛県松山市出身。国士舘大学政経学部1部政治学科卒業。ニックネームは「のむけん」。ラックジェット事務所所属。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
宮下 真洋(みやした まさひろ、1975年10月10日 - … 宮下 真洋(みやした まさひろ、1975年10月10日 - )は、北海道出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 北海道出身、札幌第一高校、国士舘大学を卒業後、ジャパンフットボールリーグの大宮アルディージャに入団。1999年にJ2リーグに昇格。主にミッドフィールダーとしてプレー、J2リーグで45試合に出場した。プロ引退後は平本大介とともに埼玉サッカークラブでもプレーした。
阿久津貴志(あくつ たかし、1975年9月28日 - )は、… 阿久津貴志(あくつ たかし、1975年9月28日 - )は、神奈川県高座郡寒川町の元サッカー選手、元フットサル選手である。ポジションはゴレイロ。 2010年よりFリーグ湘南ベルマーレGKコーチ。 寒川町立旭小学校2年生からサッカーを始める。寒川町立旭が丘中学校、帝京高校から国士舘大学を経てアルビレックス新潟に練習生として加入。いわばエリートコースである。(本契約には至らず)。佐川急便東京SCに移籍し引退。 その後、esporte藤沢でフットサル転向し、湘南ベルマーレの前身であるP.S.T.C.LONDRINAに入団。別名「ロンドリーナの師範ゴレイロ」と呼ばれ、2003年には全日本フットサル選手権大会優勝に導いた。
東 俊介(あずま しゅんすけ、1975年9月16日 - )は… 東 俊介(あずま しゅんすけ、1975年9月16日 - )は、石川県金沢市出身の元ハンドボール選手、指導者。 中学1年からハンドボールを始める。金沢市立工業高校では2年時に国体、3年時にインターハイ、国体に出場。全て1回戦で敗れるも、長身と潜在能力を見込まれU-18日本代表に選出。田場裕也、植松伸之介らとともに韓国遠征を経験し、国際武道大学へ進学。 大学では1年時から試合に出場し、U-20日本代表としてシリアにて開催された世界ジュニア選手権アジア予選に出場し、5位。2年時には東日本学生選手権準優勝、全日本学生選手権ベスト8と同大学史上最高の成績を残す。大学卒業後は大崎電気に入団。 入団後3年間は2部リーグとの入れ替え戦を経験するなど低迷するも、三陽商会の廃部に伴い移籍してきた岩本真典、中川善雄、永島英明、2004年に入団した宮﨑大輔らプロ契約選手の活躍により強豪となったチームで中心選手として存在感を発揮。