真板 益夫(まいた ますお、Masuo Maita、1920… 真板 益夫(まいた ますお、Masuo Maita、1920年(大正9年)10月12日 - 2015年(平成27年)11月23日)は、日本の教育者。学校法人君津学園の創立者であり、学園の理事長、設置各校の学長・校長・園長を務めた。木更津市名誉市民。 第二次世界大戦の終戦により帰郷後、祖国再建には教育による他にないと確信し、青少年教育、特に女子教育に着目し、自らの教育理念とする「真心教育」の理想実現に向け、学校法人君津学園の創立をはじめとする教育活動を行った。 清和大学・清和大学短期大学部の校名は、出身地の三島村が町村合併に伴って後年に清和村となったことに由来する。 1920年(大正9年)、千葉県君津郡三島村(現在の君津市)で、7人兄弟の3番目として生まれる。
向井孝(むかい こう/たかし、1920年10月4日 - 20… 向井孝(むかい こう/たかし、1920年10月4日 - 2003年8月6日)は、日本の詩人、社会運動家。 東京都出身。中央大学卒。1947年日本アナキスト連盟に加盟。1952年WRI(戦争抵抗者インター)に参加、1956年WRI日本部書記。「自由連合」「イオム通信」を発行。詩誌「コスモス」同人。
後藤 喜八郎(ごとう きはちろう、1920年(大正9年)9月… 後藤 喜八郎(ごとう きはちろう、1920年(大正9年)9月12日 - 2007年(平成19年)11月1日)は、日本の政治家。日本社会党に所属し、東京都武蔵野市議会議員・副議長、第2代武蔵野市長を歴任した。1960年代から1970年代にかけて日本各地に多く誕生した革新系首長の一人である。 1920年(大正9年)9月12日、東京府北多摩郡武蔵野村(のちの東京都武蔵野市)に生まれる。 1943年(昭和18年)8月、中央大学法学部を中退。終戦時には第三〇二海軍航空隊に中尉として所属し、厚木航空隊事件に際しては上官の小園安名大佐の命により「抗戦の使者」として谷田部海軍航空隊へ駆り出されたものの、同隊の説得を断念している。
奧野 久之(おくの ひさゆき、1920年8月27日 - 19… 奧野 久之(おくの ひさゆき、1920年8月27日 - 1992年4月17日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。 1987年9月5日に67歳で最高裁判所裁判官に就任。67歳での最高裁裁判官就任は三淵忠彦以来2人目。就任時の会見で「裁判や判決は法理の筋が通っているだけで値打ちが決まるものではない。この40年間、闘う手段を持たないで闘争している弱者の側にたって裁判所を下からみてきた。これからもこの立場で意見を」と述べた。 1986年衆院選の一票の格差訴訟と1986年参院選の一票の格差の最高裁判決において、合憲とする多数意見に対し、違憲とする反対意見を述べた。 1990年8月26日に定年退官した。
大崎 映晋(おおさき えいしん、1920年〈大正9年〉6月2… 大崎 映晋(おおさき えいしん、1920年〈大正9年〉6月21日- 2015年〈平成27年〉)は日本の水中写真家・水中考古学者・海女文化研究家。中央大学経済学部卒業、東京藝術大学油絵画科中退。1938年(昭和13年)、トレジャー・ダイバーの第一人者片岡弓八に師事し、海軍水路部勤務などを経て、戦後は名取洋之助の門下に入り、水中写真家として国内外の映画の水中撮影を数多く手掛ける。1960年から1961年(昭和35年-36年)、サンタモニカ国際写真コンクールにてアカデミー賞受賞。1970年(昭和45年)、ジャック・マイヨールが伊豆半島でフリー・ダイビングの世界新記録を出した時に彼をサポートし、以後、ジャックと交遊を続ける。
宗政 美三(むねまさ よしぞう、1920年(大正9年)4月1… 宗政 美三(むねまさ よしぞう、1920年(大正9年)4月1日 - 2006年(平成18年)5月25日)は、日本の弁護士。広島県高田郡(現安芸高田市)出身。中央大学法学部卒業。 1943年(昭和18年)、高文司法科合格。1944年(昭和19年)、近衛師団司令部、東部軍管区司令部、中国軍管区司令部の各法務部において軍務及び残務整理に従事する。1947年(昭和22年)に弁護士登録、後に日本弁護士連合会副会長、中国地方弁護士連合会会長、広島県弁護士会会長を務めた。また、日本調停協会連合会副会長を始め、法務省委嘱人権擁護委員、中国船員地方労働委員、広島地方裁判所調停委員、広島家庭裁判所調停委員、広島県選挙管理委員、広島市教育委員等の各委員や、広島連合会会長、広島女子商学園理事、広島山陽学園理事長等を歴任した。
趙 一載(チョ・イルジェ、朝鮮語: 조일재、1920年2月2… 趙 一載(チョ・イルジェ、朝鮮語: 조일재、1920年2月28日 - 1965年9月19日)は、大韓民国の政治家。第4・5代韓国国会議員。 日本統治時代の慶尚南道東萊郡(現・釜山広域市東萊区一帯)出身。中央大学法科中退あるいは卒業。 日本留学中に三星党組織事件により7回も検挙され、拷問を受けた。光復後は亡くなった李奉昌、尹奉吉、白貞基の遺骨を本国に奉安する使命で帰国し、申翼熙と会った後に民主国民党の発起人を務めた。同党中央執行委員および慶尚南道党企画部長・組織部長・青年指導部長を経て、民主党発起人・中央委員・釜山西区党委員長・政策委員、国会国防委員を務めた。 1965年1月に民主党院外政策委員に選出されたが、同年9月19日に持病により自宅で死去した。
小野寺 公二(おのでら こうじ、1920年2月5日 - 19… 小野寺 公二(おのでら こうじ、1920年2月5日 - 1998年10月8日)は、日本の歴史小説作家。別筆名に田原 耕二(たはら こうじ)。 青森県生まれ。後に父の郷里である岩手県胆沢郡胆沢町(現在の奥州市)へ転居し、旧制一関中学校(現岩手県立一関第一高等学校)を卒業。東京の中央大学経済学部へ進学し、卒業した後に病気療養のため帰郷する。 1954年に「奥羽のキリスト」でデビューするが、以後しばらくは「田原耕二」名義で懸賞歌謡の作詞を中心に活動し、1964年に「岩手県民の歌」(作曲:中田喜直)が入選した。 1970年代以降は主に歴史小説を手掛け、東北地方を舞台にしたものや算学を題材にしたものに特色がある。
小野田 勇(おのだ いさむ、1920年1月22日 - 199… 小野田 勇(おのだ いさむ、1920年1月22日 - 1997年7月15日)は、日本の脚本家、劇作家。 東京・四谷出身。中央大学(1941年)卒業。東京放送劇団に在籍していた。俳優としての実績もある。息子の小野田正も脚本家兼演出家であり、孫の小野田光は歌人兼フォトグラファーである。
上岡 一嘉(かみおか かずよし、1919年12月28日- 1… 上岡 一嘉(かみおか かずよし、1919年12月28日- 1991年3月6日)は、日本の経済学者。専門はマーケティング。学校法人足利学園および白鷗大学の経営者。 栃木県足利市出身。父上岡長四郎、母上岡た津は足利学園の創設者だった。 1938年、県立足利中学校卒業。1943年、早稲田大学商学部卒業、足利学園高等学校に勤務。1948年1月、GHQ民間情報局勤務。1949年5月、東京都庁経済局勤務。1954年10月、法政大学経済学部および経営学部講師。1956年4月、青山学院大学経済学部講師、1963年同教授。1967年、大阪学院大学教授。1976年2月、足利学園理事長に就任。1976年白鷗女子短期大学2代目学長。
桑田 琢磨(くわた たくま、1919年12月19日 - 20… 桑田 琢磨(くわた たくま、1919年12月19日 - 2011年4月22日)は、日本の経営者。時事通信社代表取締役を務めた。 広島県福山市出身。1944年に中央大学を卒業し、同盟通信社での勤務を経て、1945年に時事通信社に入社。1974年に取締役に就任し、1978年から1980年までに代表取締役を務めた。 2011年4月22日肺炎のために死去。91歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
深見 安博(ふかみ やすひろ、1919年11月26日 - 1… 深見 安博(ふかみ やすひろ、1919年11月26日 - 1972年4月9日)は、兵庫県神戸市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。
石原 八束(いしはら やつか、1919年(大正8年)11月2… 石原 八束(いしはら やつか、1919年(大正8年)11月20日 - 1998年(平成10年)7月16日)は、日本の俳人。 山梨県錦村二之宮(現・笛吹市御坂町二之宮)に生まれる。父親は俳人の石原舟月(起之郎)。本名は「登」であったが、病弱であったため生後一ヶ月で長命を願い「八束」に改名した。 1937年(昭和12年)、父の師である飯田蛇笏に師事する。飯田蛇笏は現在の笛吹市境川町において俳誌「雲母」を主催していた俳人で、八束も「雲母」に投句を始める。1943年(昭和18年)に中央大学法学部を卒業する。戦後は東京世田谷の石原舟月宅に「雲母」発行所が移転され、八束は1947年(昭和22年)より蛇笏の子息・飯田龍太とともに「雲母」編集に携わる。
脇 信男(わき のぶお、1919年(大正8年)9月1日 ‐ … 脇 信男(わき のぶお、1919年(大正8年)9月1日 ‐ 1997年(平成9年)12月12日)は、日本の政治家。1971年から1995年までの6期24年にわたり高松市長を務めた。日本社会党県副委員長、全国革新市長会会長などを歴任。高松市名誉市民。 高松市出身。旧制高松中学(現・香川県立高松高等学校)を経て中央大学法学部を卒業。戦後は帰郷し、同郷の成田知巳(後の日本社会党委員長)の秘書を16年間務める。 前市長・三宅徳三郎の1期限りでの引退表明を受け行われた1971年の高松市長選挙に、社会党と共産党の推薦を受け立候補。自身としては3回目の挑戦であったが、当時全国各地で革新自治体が誕生していたことや、保守陣営が分裂したことも手伝い初当選。
鈴木正和(すずき まさかず、1919年7月16日-1994年… 鈴木正和(すずき まさかず、1919年7月16日-1994年9月27日)は、日本の法学者。 愛知県出身で、中央大学法学部を卒業。全国銀行協会連合会事務局、法政大学講師。金融実務、特に貸金回収を専門とした。
橋本 公亘(はしもと きみのぶ、1919年〈大正8年〉7月9… 橋本 公亘(はしもと きみのぶ、1919年〈大正8年〉7月9日 - 1998年〈平成10年〉2月6日)は、日本の法学者。専門は憲法、行政法。 1990年まで中央大学法学部教授(法学部長等を歴任)。中央大出身者としての初の日本学士院会員(1992年12月14日から)。1962年から1964年まで第一次臨時行政調査会の臨時委員を務めた。正五位勲二等瑞宝章。 橋本は、高等文官試験司法科・行政科をそれぞれ4番の成績で合格した秀才である。大学卒業後内務省に入ったが、第二次大戦中、短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、1942年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。
堀内 末男(ほりうち すえお、1919年5月20日 - 19… 堀内 末男(ほりうち すえお、1919年5月20日 - 1992年6月4日)は日本の出版事業家。第2代集英社代表取締役社長。静岡県出身。 尋常高等小学校を卒業後、上京し小学館に入社。その後1934年に集英社に移籍。1939年に中央大学専門部を卒業。1959年に集英社取締役、1966年に常務を経て、1976年に代表取締役社長に就任。1988年9月より会長職。 1992年6月4日午後4時38分に胃癌のため東京都新宿区の病院で死去。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
安 東濬(アン・ドンジュン、朝鮮語: 안동준、1919年5月… 安 東濬(アン・ドンジュン、朝鮮語: 안동준、1919年5月15日 - 2010年11月16日)は、大韓民国の陸軍軍人、政治家、教育者。陸軍大領、第3・5・6・7代韓国国会議員、国際観光公社(現・韓国観光公社)総裁などを歴任した。 本貫は順興安氏(朝鮮語版)、号は中山(チュンサン、중산)。儒教の信者。 日本統治時代の忠清北道槐山郡出身。牧渡公立普通学校(現・牧渡初等学校(朝鮮語版))、清州公立農業学校(現・清州教育大学校)を経て、1942年中央大学法科卒。1944年中央大学大学院研究科修了。1948年陸軍士官学校第7期卒。1949年陸軍参謀学校、1952年陸軍大学、1953年アメリカ合衆国陸軍歩兵学校卒。
桑田 三郎(くわだ さぶろう、1919年5月6日 - 201… 桑田 三郎(くわだ さぶろう、1919年5月6日 - 2013年9月14日)は、日本の法学者。専門は、国際私法・商標法・工業所有権法。中央大学名誉教授。高岡法科大学初代学長。弁護士。 1919年、広島県生まれ。1939年、兵役に就く。一方で、八杉貞利に学んでロシア語を習得した。1945年に太平洋戦争が終結すると、復員。1947年、高等試験司法科試験に合格。弁護士試補。1948年、弁護士登録(第一東京弁護士会所属)。1949年、中央大学法学部法律学科を卒業した。 卒業後は、中央大学法学部助手に着任。中央大学助手時代には学外指導教授として江川英文に師事した。1953年に同法学部助教授、1961年に同法学部教授に昇進。
鄭 喜沢(チョン・ヒテク、朝鮮語: 정희택/鄭喜澤、1919… 鄭 喜沢(チョン・ヒテク、朝鮮語: 정희택/鄭喜澤、1919年4月8日 - 2000年2月10日)は、大韓民国の政治家、検察官、弁護士。第11代韓国国会議員、第10代監査院長。 本貫は延日鄭氏(朝鮮語版)。資産家の鄭雲漢は父、第4代国会議員の鄭南沢は兄、1950年の第2代総選挙に出馬した実業家の鄭春沢も兄弟である。 日本統治時代の慶尚北道高霊郡高霊面出身。1942年に中央大学法学部卒、米国コロンビア大学にて国際法修学、日本高等文官試験司法科合格。1946年以降は司法部監察官、ソウル地方検察庁検事・部長検事、大邱地方検察庁次長検事、釜山地方検察庁次長検事、大邱高等検察庁次長検事、ソウル高等検察庁次長検事、大検察庁(朝鮮語版)検事、中央捜査局長、連合情報委員会議長、統一主体国民会議運営委員(1972年〜1980年)、第5共和国憲法改正審議委員会委員、国家保衛立法会議法制司法委員長、民主正義党結党発起人、第11代国会議員、第10代監査院長(1982年9月21日〜1984年4月7日)、放送委員会委員長(1984年〜1986年)、言論仲裁委員会委員長(1986年〜1993年)を歴任した。
瀬谷 英行(せや ひでゆき、1919年2月28日 - 200… 瀬谷 英行(せや ひでゆき、1919年2月28日 - 2008年12月16日)は、日本の政治家。元日本社会党参議院議員。元参議院副議長。正三位勲一等旭日大綬章。 東京府に生まれ、1931年、中央大学法学部卒業後、鉄道省に就職。戦後国鉄労働組合(国労)の結成に参加し反共連盟→民主化同盟で活動、埼玉県国営企業体等労働組合協議会議長を歴任した。 大沢雄一の辞職(第29回衆議院議員総選挙出馬)に伴う1960年11月の参議院議員補欠選挙(第29回衆議院議員総選挙と同日)に埼玉県地方区(1983年の参院選より埼玉県選挙区)から社会党公認で出馬し落選するも、1962年7月参院選に同区より再び社会党公認で出馬し当選、以後連続6期務める。
村上 茂利(むらかみ しげとし、1918年11月9日 - 1… 村上 茂利(むらかみ しげとし、1918年11月9日 - 1989年11月20日)は、日本の政治家。自由民主党所属衆議院議員(3期)。福田派。
多和 健雄(たわ たけお、1918年10月29日 - 200… 多和 健雄(たわ たけお、1918年10月29日 - 2007年6月)は、愛媛県出身の教育者、体育学者、サッカー選手、サッカー指導者。 選手として旧制兵庫県立第三神戸中学校、東京高等師範学校でプレーして、中央大学法学部を卒業した。 大学卒業後は、都立高校体育科教諭として東京都立大泉高等学校などに勤めた。その後、東京教育大学講師となり、1954年には蹴球部監督として関東大学サッカーリーグ戦1部で優勝した。後に教授に昇格し、大学の改編に伴い、筑波大学教授となる。筑波大学退職後は、青山学院大学で教鞭を執った。 主にサッカーの普及・研究において顕著な業績を残した。日本サッカー協会理事・普及指導部長、日本ミニサッカー連盟会長、FIFAコーチングスクール校長、日本幼少児健康教育学会名誉会員などを歴任した。
遠山 景久(とおやま かげひさ、1918年〈大正7年〉10月… 遠山 景久(とおやま かげひさ、1918年〈大正7年〉10月28日 - 1999年〈平成11年〉7月13日)は、日本の実業家。アール・エフ・ラジオ日本(以下「RF」)の社長、会長を務めた。妻は遠山佐和子で、一時期は遠山夫妻でRFの半分以上の株式を持っていた。佐和子との間には子供がいるが、詳細は明らかにされていない。 東京府東京市神田区神田(現:東京都千代田区神田)出身。「遠山の金さん」こと江戸化政の町奉行・遠山景元の末裔にあたる。 幼少の頃、「京浜実業新聞」を運営し借財を抱えていた父と死別し、日本統治時代の台湾で判事を務めていた長兄・遠山景一の下で台北で育つ。一家の帰国で、台北一中から府立四中に転校。
別川 悠紀夫(べつかわ ゆきお、1918年(大正7年)9月2… 別川 悠紀夫(べつかわ ゆきお、1918年(大正7年)9月25日 - 1977年(昭和52年)5月28日)は、昭和期の農業協同組合指導者、実業家、政治家。衆議院議員。 石川県石川郡上金石町(金石町を経て現金沢市金石)で生まれる。金沢第一中学校(現石川県立金沢泉丘高等学校)を経て、1942年(昭和17年)中央大学経済学部を卒業した。全国農業会産業組合中央会職員となり太平洋戦争に出征した。 1946年(昭和21年)石川県農業会に入り、以後、石川県農業協同組合中央会参事、同常務理事、同県信用農業協同組合連合会理事、同経済農業協同組合連合会理事、同共済農業協同組合連合会理事などを務めた。 1969年(昭和44年)12月の第32回衆議院議員総選挙で石川県第1区から自由民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
許 南麒(허남기、ホ・ナムギ、きょ・なんき、1918年6月2… 許 南麒(허남기、ホ・ナムギ、きょ・なんき、1918年6月24日 - 1988年11月)は、在日韓国・朝鮮人の詩人。朝鮮語と日本語の両方で作品を発表。日本語で書いた叙事詩「火縄銃のうた」で有名。在日本朝鮮文学芸術家同盟委員長、朝鮮総聯中央副議長、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議代議員。
戸井田 三郎(といだ さぶろう、1918年6月12日 - 1… 戸井田 三郎(といだ さぶろう、1918年6月12日 - 1996年10月13日)は、日本の政治家。衆議院議員。長男は元衆議院議員の戸井田徹。東京都出身。従三位勲一等瑞宝章。
西野 一夫(にしの かずお、1918年6月10日 - 200… 西野 一夫(にしの かずお、1918年6月10日 - 2005年2月24日)は、元・東宝代表取締役副社長、芸苑社、東宝映像美術初代代表取締役社長。岡山県生まれの熊本県熊本市育ち。東京都港区南青山在住。 1936年4月から東京芦田工業所勤務。1938年に中央大学専門部経済学科中退と同時に東宝に入社。1948年11月、撮影所製作会計課長、1955年9月20日、撮影所製作部長、1960年7月、東京映画出向、撮影所支配人。 1969年3月25日に東宝撮影所支配人・東宝取締役に昇進し、1970年3月31日には馬渕威雄副社長の命で東宝美術代表取締役社長となる。その後、1974年8月22日に東宝常務取締役、1977年5月25日に東宝専務取締役を経て、1987年10月に亡くなった佐藤一郎に代わって芸苑社代表取締役社長となり、1988年には東宝映像、東宝美術が合併し東宝映像美術初代代表取締役社長となる。
稲葉 誠一(いなば せいいち、1918年(大正7年)3月3日… 稲葉 誠一(いなば せいいち、1918年(大正7年)3月3日 - 1996年(平成8年)5月4日)は、昭和から平成初期の弁護士、政治家。日本社会党衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。 東京都新宿区出身。1941年(昭和16年)中央大学専門部法科を卒業。高等試験司法科に合格し、司法官試補に任官後、大阪・東京・宇都宮地検の検事を経て1947年(昭和22年)に退官、弁護士になる。 日本社会党に入党。同党栃木県本部書記長、同委員長を務め、1955年(昭和30年)栃木県議会議員選挙に当選し2期在任した。1962年(昭和37年)第6回参議院議員通常選挙に栃木県地方区から社会党公認で当選した。1968年(昭和43年)第8回通常選挙で落選。
広瀬 秀吉(廣瀬 秀吉、ひろせ ひでよし、1918年〈大正7… 広瀬 秀吉(廣瀬 秀吉、ひろせ ひでよし、1918年〈大正7年〉2月2日 - 2011年〈平成23年〉10月17日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(9期)、社民党栃木県連合常任顧問。 栃木県、現在の真岡市出身。 1941年、中央大学法学部卒業。その後、南満州鉄道に勤務、前橋予備士官学校卒業などを経る。 1946年、日本国有鉄道に勤務。国鉄労働組合の専従役員なども務めた。 1958年の総選挙で旧栃木1区から日本社会党公認で立候補するも落選。1960年の総選挙で初当選した。その後、1963年の総選挙では落選したが、1967年の総選挙から通算9期務めた。1990年の総選挙には立候補せず退いた。
西沢 実(西澤 實、にしざわ みのる、1918年(大正7年)… 西沢 実(西澤 實、にしざわ みのる、1918年(大正7年)1月2日 - 2013年(平成25年)7月2日) は、日本の放送作家・劇作家。筆名に苗川正 、芸名に西沢みのる。 日本放送芸術学会、日本放送作家協会、日本演劇協会の各会員。 長野県長野市出身。旧制海城中学卒業。1939年(昭和14年)、東京中央放送局JOAK(現・NHK)が実施した朗読の新人募集に応募する。1941年(昭和16年)には中央大学法学部在学のまま、同年に設立された東京中央放送局専属劇団俳優養成所に参加した。同年大学を繰り上げ卒業し、1942年(昭和17年)に応召して第2師団に入隊、戦車隊長としてトラック島で敗戦を迎える。軍隊での最終階級は陸軍中尉であった。
朴 南秀(パク・ナムス、1918年 - 1994年)は韓国の… 朴 南秀(パク・ナムス、1918年 - 1994年)は韓国の詩人。平安南道平壌出身。 1918年、平安南道平壌に生まれる。平壌の崇仁商業を卒業後日本に渡り中央大学に入学する。卒業後は朝鮮殖産銀行の鎮南浦支店に入行し、1946年に朝鮮殖産銀行平壌支店長に昇進したが、朝鮮戦争期に大韓民国国軍の撤収に伴い越南した。 1939年、『문장(文章)』に「초롱불(灯火)」「거리(距離)」「밤길(夜道)」「마을(村)」 「심야(深夜)」「주막(酒幕)」などの 6篇が推薦された。初期の作品は日帝植民地の農村生活を通して時代的な暗黒相を求めていた。 「문장(文章)」の中に、他の詩人は主に自然を詩っていたとき、朴は社会にも関心をおいて、叙情的な情景に切実な感情を隠喩しているのが特徴である。
本間 信治(ほんま のぶはる、1918年 - 1995年4月… 本間 信治(ほんま のぶはる、1918年 - 1995年4月28日)は、日本の地名研究家。本名は本間 信治(のぶじ)。 東京生まれ。中央大学専門部商学科卒。第二次大戦のとき沖縄戦に参加。 戦後、測量会社に勤務のかたわら、地名を研究。地名研究協議会、地名文化研究会主宰。楠原佑介の師にあたる。
朴 商黙(パク・サンムク、朝鮮語: 박상묵/朴商默、1917… 朴 商黙(パク・サンムク、朝鮮語: 박상묵/朴商默、1917年11月9日 - 1983年7月28日)は、大韓民国のジャーナリスト、政治家。第5代韓国国会議員。 日本統治時代の京畿道華城郡(現・華城市)出身。京城徽文高等普通学校、中央大学法学部卒。京城新聞・国都新聞・自由新聞・大公新聞記者、自由新報編集部次長、商工日報・産業経済新聞編集部長など20年間マスコミ業界で活動したのち政界に進出し、民主党華城郡党委員長、無所属の第5代国会議員、国会国防委員を務めた。 1983年7月28日、ソウル市麻浦区の自宅で肺癌により死去。享年67または68。
李 忠煥(イ・チュンファン、朝鮮語: 이충환、1917年9月… 李 忠煥(イ・チュンファン、朝鮮語: 이충환、1917年9月12日または9月13日 - 2005年9月30日)は、大韓民国の政治家、弁護士。第2・3・5・6・9・10代大韓民国国会議員。 本貫は陽城李氏。元駐チェコ大使の全海鎮と法務法人「中央」代表弁護士、元国会議員の李泛来は娘婿。 日本統治時代の忠清北道鎮川郡に生まれた。中央大学1年修了、大同学院卒業。1943年に日本の高等文官試験行政科に合格した。清州商科大学の講師と忠清北道人事処長代理を務めた後、第2代総選挙に無所属で立候補して当選し、民議員(国会議員)となった。その後も5度議員を務めた。国会議員在任中に予算決算委員長を4回務めたほか、民主党政策委副委員長、民衆党忠北第7地区党委員長、アジア国会議員連合第2回総会韓国代表、民衆党政策審議会議長・運営委員、新民党政務委員・政策審議会議長・全党大会議長・総裁権限代行・最高委員などを歴任した。
千代田 葛彦(ちよだ くずひこ、1917年7月10日 - 2… 千代田 葛彦(ちよだ くずひこ、1917年7月10日 - 2003年11月22日)は、俳人。本名次郎。台湾台中州にて生まれる。1934年阿川燕城の「竹鶴」に参加。終戦後に引揚げ。肺湿潤で療養後、中央大学法学部を卒業、教職に就く。1950年、「馬酔木」に入会し水原秋桜子に師事。1964年、『旅人木』で第4回俳人協会賞受賞。2003年、葛飾賞受賞。代表句「眠るまで月をいくつも見て眠る」他。「賜る俳句」を作句信条とした。句集に『旅人木』(1964年)『瀝々集』(1980年)『無邪』(2003年)。
洪 範憙(ホン・ボミ、朝鮮語: 홍범희、1917年6月8日ま… 洪 範憙(ホン・ボミ、朝鮮語: 홍범희、1917年6月8日または6月18日 - 1972年2月27日または2月28日)は、大韓民国の官僚、政治家、教育者。槐山郡郡守、内務部次官、制憲・第4代韓国国会議員。 本貫は豊山洪氏(朝鮮語版)。号は逸谷。漢字表記は洪範熹とも。 日本統治時代の江原道原州郡または慶尚北道善山郡出身。京城京北中学校を経て、1935年に京城第二高普、1937年に普成専門学校法科、1941年に中央大学法学部卒。1945年に高等文官試験行政科に合格した後、1946年に原州に育民館を設立し、館長を務めた。朝鮮食糧営団忠清北道支部勤務を経て、1948年の初代総選挙で国会議員に当選し、国会交通逓信委員会常任委員会で活動した。
柳沢 勲(やなぎさわ いさお、1917年5月26日 - 20… 柳沢 勲(やなぎさわ いさお、1917年5月26日 - 2003年12月21日)は、日本の政治家。長野県篠ノ井市長。長野県議会議員(8期、自由民主党)。 長野県更級郡栄村(現長野市)出身、旧制屋代中学を経て、昭和13年(1938年)中央大学専門部法科中途退学。同23年(1948年)篠ノ井町役場収入役、同29年(1954年)助役、同33年(1958年)町長を歴任し、同34年(1959年)市制施行に伴い篠ノ井市長となる。 在任中は長野市等との2市6町村合併を推進し、昭和41年(1966年)退任、翌年(1967年)から長野県議会議員(自由民主党)、同63年(1988年)議長。平成11年(1999年)政界を引退した。
千秋 実(、1917年〈大正6年〉4月28日 - 1999年… 千秋 実(、1917年〈大正6年〉4月28日 - 1999年〈平成11年〉11月1日)は、日本の俳優。本名は佐々木勝治()。旧姓は森竹。 妻の女優佐々木踏絵とともに薔薇座を結成して舞台で活動後、映画俳優に転向し、黒澤明監督作品の常連俳優として活躍。テレビドラマでもホームドラマを中心に人気を得た。主な作品に『七人の侍』『隠し砦の三悪人』『花いちもんめ。』など。著書に妻との共著『わが青春の薔薇座』などがある。俳優の佐々木孝丸は岳父にあたる。俳優の佐々木勝彦は息子(次男)。女優の宮本信子の父親とは従兄弟同士であり、従兄弟の娘という関係性を説明するのが面倒との理由で宮本信子を姪と紹介していた。 1917年(大正6年)4月28日(土曜日)、北海道中川郡恩根内村(現在の美深町)に、呉服・洋品雑貨店を営む森竹家の3男として生まれる。
名尾 良孝(なお りょうこう、1917年(大正6年)3月18… 名尾 良孝(なお りょうこう、1917年(大正6年)3月18日 - 1991年(平成3年)5月6日)は、日本の弁護士、政治家。参議院議員(2期)。父は内務官僚で、秋田県知事(官選)を務めた名尾良辰。 青森県青森市生まれ。名尾良辰の四男。1921年に浦和に移り、浦和中学を経て、1921年に中央大学法学部卒業。 戦後に弁護士を開業する。1959年、埼玉県議会議員に当選。以来連続6期在任する。在職中には埼玉県議会議長を務めた。その後1980年の第12回参議院議員通常選挙に自民党公認で埼玉県地方区(1986年の参院選は埼玉県選挙区)から立候補し初当選。鈴木派→宮沢派に属した。法務政務次官、参議院内閣委員長、同商工委員長、自由民主党埼玉県支部連合会会長、埼玉菊花連盟顧問などを歴任した。
石原 忠男(いしはら ただお、1917年3月4日 - 200… 石原 忠男(いしはら ただお、1917年3月4日 - 2006年3月25日)は、日本の経済学者。 東京出身。1940年中央大学経済学部卒業、東京芝浦電機調査課勤務、1942年から1944年まで中央大学大学院に在籍。1948年中央大学経済学部講師、1950年助教授、1955年教授、商学部教授。1987年定年、名誉教授。日本科学者会議の創立に参加し、全国幹事、のち参与。1975年から1979年まで経済理論学会代表幹事。1990年勲三等旭日中綬章受章。
土屋 隆夫(つちや たかお、1917年1月25日 - 201… 土屋 隆夫(つちや たかお、1917年1月25日 - 2011年11月14日)は、日本の小説家、推理作家。 長野県北佐久郡立科町芦田出身。慶長年間から芦田宿に続く旧家の出であり、祖先は江戸時代を通して本陣と問屋をつとめ、隆夫の実家はその下屋敷であった。 中央大学専門部法律学科卒業。卒業後は化粧品会社、映画配給会社宣伝部に勤務した。第二次大戦後、郷里の長野県に戻り、小劇場の支配人を勤めたのち立科町立中学校の教諭となる。 推理小説を執筆する以前には、演劇に傾倒した。真山青果の戯曲を暗誦するまで読み込み、自身も戯曲を執筆した。松竹歌舞伎研究会が主催した新歌舞伎脚本の募集に「彩管武士道」を応募し二席入選を果たしている。
伊藤 勲(いとう いさお、1917年1月20日 - 2012… 伊藤 勲(いとう いさお、1917年1月20日 - 2012年11月15日)は、日本の政治学者、上智大学名誉教授。 山形県山形市生まれ。1938年中央大学専門部法律科卒、1939年内閣情報局勤務、1941年中央大学法学部卒、中央気象台勤務、1949年運輸省へ出向。1957年上智大学法学部助教授、1963年教授、1966年「明治政党史の研究」で中大法学博士。1983年上智大学を定年、名誉教授、松阪大学教授。
文 鍾斗(ムン・ジョンドゥ、朝鮮語: 문종두、1916年12… 文 鍾斗(ムン・ジョンドゥ、朝鮮語: 문종두、1916年12月25日 - 1987年8月29日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の教育公務員、実業家、政治家。第3・4代韓国国会議員。 本貫は南平文氏(朝鮮語版)。号は悟耕。 日本統治時代の慶尚北道漆谷郡出身。大邱公立商業学校(現・大邱商苑高等学校(朝鮮語版))、中央大学法科卒。大邱市学務課長署理、慶尚北道知事官房、人事審査院慶尚北道高試課長、金泉中学期成会会長、慶尚北道理事官・教育委員、金泉時報社長、金泉商工会議所会長、金泉新聞記者団団長、民主共和党慶尚北道金泉地区党委員長・中央常任委員を務めた。 晩年は尹奉吉義士義挙55周年記念事業推進会副会長を務めた。
佐藤 進一(さとう しんいち、1916年11月25日 - 2… 佐藤 進一(さとう しんいち、1916年11月25日 - 2017年11月9日)は、日本の歴史家。専門は、日本中世史・中世法制史・古文書学。学位は、文学博士(1961年)(学位論文(学位論文「鎌倉時代より南北朝時代に至る守護制度の研究」)。中央大学名誉教授。東京大学教授・名古屋大学教授を歴任。 新潟県中蒲原郡新津町(現・新潟市秋葉区)生まれ。旧制新潟県立三条中学校4年修了後、1936年3月に旧制新潟高等学校文科甲類を卒業。同年4月に東京帝国大学文学部入学。1939年3月に東京帝国大学文学部卒業。卒業論文は「鎌倉幕府訴訟制度の分化」であった。 同年4月に東京帝国大学史料編纂所第十編部に採用される。
安 峻錡(アン・ジュンギ、朝鮮語: 안준기、1916年11月… 安 峻錡(アン・ジュンギ、朝鮮語: 안준기、1916年11月3日 - 1995年6月28日)は、大韓民国の弁護士、政治家。第3代韓国国会議員を務めた。 釜山出身。日本大学専門部法律科、中央大学法学部卒。普通文官試験合格。釜山弁護士副会長・会長、釜山地方法院調整委員、交通部法律顧問、国民会慶南本部副会長、大韓造船公社監事を経て、1955年の第3代国会議員の補欠選挙で自由党の候補として当選し、自由党慶南道党副委員長、李龍範の顧問などを務めた。 野次をよく飛ばす議員として知られる。
金 仕龍(キム・サヨン、朝鮮語: 김사용、1916年10月2… 金 仕龍(キム・サヨン、朝鮮語: 김사용、1916年10月28日 - 1991年6月3日)は、満洲国および大韓民国の検察官、政治家、弁護士。第11代韓国国会議員。 慶北大邱出身。中央大学法学科卒。高等文官試験司法科合格。新京地方検察庁検察官、京城地方法院甕津支庁長、大邱地方検察庁部長検事・次長検事、全州地方検察庁・大邱高等検察庁次長検事、春川地方検察庁・大田地方検察庁・大邱地方検察庁検事長、統一主体国民会議運営委員、国家保衛立法会議議員・政治関係法特別委員長、民主正義党創党発起人、韓日議員連盟法的地位特別委員長、弁護士を務めた。
久保 等(くぼ ひとし、1916年〈大正5年〉10月6日 -… 久保 等(くぼ ひとし、1916年〈大正5年〉10月6日 - 2002年〈平成14年〉6月15日)は、日本の政治家。 日本社会党所属の衆議院議員(4期)、参議院議員(3期)、衆議院永年在職議員。 香川県綾歌郡生まれ。1941年、中央大学法学部卒業。 1953年、全電通労組(現NTT労組)初代委員長を経て、第3回参議院議員通常選挙全国区当選。1958年、参議院社会労働委員長。 1968年、参議院逓信委員長。1972年、衆議院に鞍替え出馬して第33回衆議院議員総選挙香川2区当選。1977年、衆議院公害対策並びに環境保全特別委員長。 1983年、第37回衆議院議員総選挙で加藤常太郎に309票差で敗れ落選。
金 周仁(キム・ジュイン、朝鮮語: 김주인、1916年2月2… 金 周仁(キム・ジュイン、朝鮮語: 김주인、1916年2月25日 - 2001年3月25日)は、大韓民国の政治家、実業家。第6・7・9・10韓国国会議員。第7・8代大韓民国憲政会会長。 慶尚南道巨済島の巨済面明珍里またはソウル生まれ。中央大学法学部卒業。朝鮮金融組合連合会理事、韓国輸出産業公団社長、農業銀行常任取締役、韓国経済人協会常勤副委員長、事務局長などを務めた。時期は不明だが民主共和党に入党し、同党慶南第4地区党委員長・政策委副議長・政策研究室長・慶南道党党務協議会委員長などを務めた。1963年の第6代総選挙に同党の公認で立候補して初当選し、国会では農林委員長、予決委員長、維新政友会副議長、韓日協力委員会事務総長などを務めた。
木戸口 久治(きどぐち ひさはる、1916年1月9日 - 2… 木戸口 久治(きどぐち ひさはる、1916年1月9日 - 2005年1月7日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。石川県出身。 1942年(昭和17年)9月に中央大学法学部を卒業。同年10月に司法官試補となったが、陸軍に召集されてベトナムに出征。復員後に5日間だけ検事になったが、「同期より遅く任官しても将来どうなるか」と考え、1948年(昭和23年)1月に弁護士登録をした。 第二東京弁護士会に所属。十条製紙の顧問弁護士を務め、立木の所有権や境界などの紛争があるたびに出かけ、北海道から九州まで全国の山を歩いた。製紙工場の公害問題も地方の人たちと丁寧に話し合い、訴訟に持ち込まれないで解決した。 中央大学理事や第二東京弁護士会会長を務めた。